2005年03月

2005年03月31日

下北沢で高野拳磁はこう言った

新日本が両国でやっているのにこんな所にきやがって。けどなあ、新日本ってそんなに凄いか?世界から見れば小さい小さい。
その両国にはメキシコからの選手が大挙参戦していたが、当時はメキシコの選手の評価はそれほど高くなく、アメリカの評価も同様でレベルは日本が一番高いといわれていた。
そんな時代だったが、自らのカナダ・カルガリー遠征やSWS時代のアメリカWWFとの提携など、海外のレベルを生で見る機会に恵まれている高野にとって、日本が一番という評価は日本国内だけしか通じない概念だったのだろう。
続いて高野は若手の選手で一番になったら海外修行のチャンスを与える。海外行きの片道切符を用意すると言った。
片道切符の理由は、帰りの切符は自分で買えというものだ。一人前になり、稼いだ金で帰れという自活を促すものだった。
PWC・TAMA・チームウルフ・道場『元気』から若手を一人ずつ選び、一番になった者が海外遠征の権利を得られることになった。
TAMAの代表は前田光世に勝利した渡辺宏志、PWCの代表は野沢一茂に勝利した高木三四郎、この二人が後楽園で対戦し、渡辺が勝利した。
チームウルフと道場『元気』の若手が選ばれていないため、一番の若手はまだ決まっていない。
だが、野沢や渡辺、道場『元気』の若手の足立など一人でメキシコに旅立って修行したものがいる。帰りの切符を買わずに行った者が、あの時の一番の若手だったに違いない。

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2005年03月30日

高木三四郎をPWCの代表と呼んでみる

もちろん、彼がPWCに参戦していた時のPWC代表は高野拳磁その人しかいない。今も高野拳磁を高野代表と呼ぶ彼が、なぜPWCの代表なのか。
彼はこう言われたからだ。
「格闘志塾のお前がなんでPWCの代表なんだよ」
これを目の当たりにしているので、高木三四郎は自分にとってPWCの代表だ。
彼はまだPWC所属以前、IWA格闘志塾時代にPWC若手代表決定戦に出ている。対戦相手はデビュー時からPWC所属の野沢一茂。
結果高木三四郎が勝利。負けた野沢がマイクを握った時の言葉だ。
それを言ってどうするという言葉だ。それはこの試合が発表された時点で皆が思っていたことで、負けてから言うのは遅い。
勝った三四郎は言った。
「僕がデビューしたのはPWCのリングです」
http://www.91922.com/2006/artist/artist4.html
高木三四郎は選手としてリングに上がったのは12月と書いている。彼のデビュー当時のライバルだった鴨居長太郎はデビュー戦を12月の屋台村での高木三四郎戦と書いていることも彼のデビュー時期を裏付ける証拠になっている。
だが、彼は一貫してデビュー戦は(3つ説があるのでよくわかりませんと書いた時期もあったが)翌1995年2月16日のPWCとしている。
高木三四郎はあの時の発言をまだ反故にしてはいない。
発言が一貫していることはPWCとしてかなり問題がある。その辺いい加減でなければ高野イズムが足りないと言えるだろう。
だが、彼がデビューしたのはPWCのリングであるとそれ以前のことを有耶無耶にしているのもPWCらしさのある行動だ。
彼がPWCでデビューした事を否定しない限り、彼はPWCの代表である。

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2005年03月29日

プロレス界にはスタンディングクラッチという技がある

形で言えば、体育の時間の三角座りをしている片足を後ろから引っ張るような技だ。
全日本プロレスの世界ジュニアヘビー級タイトルマッチで決まり手となった事が一度あるが、通常は決め技にはならない、地味なつなぎ技である。
だが、PWCにおいては特別な意味がある。
当時、PWCの会場には女子高生がたくさんいた。そんなこと言っても信じないだろうが、本当に若い女の子がたくさんいたのだ。
今DRAGON GATEやプロレスリングNOAHでイケメンとか女性客が多いとか言われているが、それは既にPWCが下北沢でやってきたことだった。
その女の子の声援が特に多かったのが高木三四郎だった。
今の高木三四郎ならそれでもいいが、当時の高木三四郎は、本当に地味な存在だった。
足立・前田・野沢・吉田らがトップロープに上って歓声を浴びやすい派手な飛び技をしてインパクトを与えているのに対し、高木はコーナーポストに上ることすら希だった。今の三四郎が一日に上る回数を一ヶ月かけて上っていたと言ったらその地味さが伝わるだろう。
野沢とのPWC若手代表をかけた一戦で、黄色い声援が飛び交う中、三四郎が勝負を決めたのがその地味なスタンディングクラッチだった。
三四郎はしばらくはスタンディングクラッチを決め技にしていたが、野沢とDDT旗揚げ後、団体の宣伝も兼ねてデンジャラス・ドラゴンスリーパー・タカギ(略してDDT)を決め技とし、これも決め技としては地味なためか、三四郎スタナーを開発してからは使わなくなった。
ギブアップを取る技より3カウントとって勝つ技の方が見た目はいいのもあるだろう。以降、三四郎の決め技は3カウント目的ばかりで、ギブアップ勝ちのための技は編み出されていない。
そんなデンジャラス・ドラゴンスリーパー・タカギ(略してDDT)を一度だけ見たことがある。渋谷クラブATOMのy2Dで行われた高木対NOSAWA(野沢)の一戦だ。試合終盤に三四郎はあの日の技スタンディングクラッチを出し、略してDDTを出し、三四郎スタナーを出した。デビュー当時からの決め技を順番に出すその展開は、一緒にやってきた野沢だからこそできる歴史の積み重ねの披露だったのだろう。三四郎にこの件について聞くような気の利いたマスコミはないが、他に解釈の仕様はない。
その後、一度だけ三四郎のスタンディングクラッチを見る機会に恵まれた。冬木軍興行に出た時である。その日の対戦相手の牧田は、コスチュームも黒のショートタイツで、出す技も派手さはなく、三四郎の新人の頃はこんな感じだったと思っていたら、そこで三四郎がスタンディングクラッチを出してきた。三四郎も昔を思い出して当時の技を出したのだろう。
三四郎は昔を思い出す時しかスタンディングクラッチを使わなくなり、他の選手も使わないのでDDTでスタンディングクラッチを見ることは無くなったが、他団体を見るとNOAHで橋誠が倒れた形でのスタンディングクラッチの8469(橋ロック)を使い、所属選手ではないが高山や鈴木みのるも使っている。
いつの日か、三四郎以外の選手がDDTでスタンディングクラッチを使う日が来るかもしれない。
それが、若手による代表決定戦でだったら、泣けるだろう。

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2005年03月28日

これがPWCだ!

高野拳磁時代のPWCを語るに欠かせないのが、テレビ番組「リングの魂」であり、その企画としてPWCでデビューしたばかりの新人だった野沢一茂が抜擢された。
彼の仕事は女子プロレス界のアイドル的存在の白鳥智香子を襲うこと。
見事に押し倒し、抵抗されても脱出させないその動きは、事実上の初勝利に等しかった。
インディー団体のリングに女性がいるのは当たり前のような光景である。女子の試合が組まれたり、女子マネージャーがいたり、リングアナが女性だったり、試合は男性でもレフェリーは女性という光景も違和感はなくなった。
だが、PWCでは渋谷のロックとの合同イベントで高野拳磁が女性を肩にかついだなどはあるが、通常の興行では女子の試合もなく、マネージャーもリングアナもレフェリーもみんな男性と、リングは完全に男だけで構成されていた。
ある意味それは必然だった。なぜならもし女性がいたら、
「その日のうちにアダルトビデオ5本分くらいのことになる」
雰囲気が漂っていたのが当時のPWCだったからだ。
そんな雰囲気を感じ取れたものにとって、野沢が白鳥を襲う映像は「これがPWCだ」と思わせるだけのものがあった。
この後、PWCの北沢タウンホールでの野沢対ライダーの試合前、電報が読み上げられた。
当時リング上で電報が読まれるなど、国内外でなじみのない話である。
読み上げられた電報は、可愛い白鳥ちゃんを襲った野沢は許せないというファンのもの、野沢が許せないのでライダーさんやっつけちゃってくださいという白鳥ちゃんのもの、可愛い白鳥ちゃんを襲った野沢は許せないというライダーさん自身のものだった。
アメリカのプロレス団体WWFがエンターテイメント路線で成功する前に、PWCは時代の先を走っていた。


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2005年03月27日

鎖を引きちぎれ

テレビ東京の週刊テレビプロレスという番組が高野拳磁を取り上げたときのサブタイトルだ。
野良犬と呼ばれる男にとって、鎖で縛られるのは耐えがたきこと。たとえ毎日の餌が与えられようと、代償が鎖ではその条件は飲めない。
身長2メートルの男がまだ明るい川崎の路上で、車がどうなろうと気にせず暴れる様も映していた。
鎖から開放された者の暴れぶりであった。
10年前の映像だが、今見ても通用するかっこよさだと思う。
アメリカのプロレス団体WWF(現WWE)が取り入れたエンターテイメント路線で、いくら路上で暴れようと、車を遠慮なしに壊そうと、高野拳磁がPWCでやったことを、金を余計にかけてやったようにしか見えなかった。
そんな高野が鎖で縛られた。
北沢タウンホールで行われたトーナメント、1回戦で将軍KYワカマツに敗れた拳磁は、最下位ではなかったものの敗者への罰を受け入れた。
日が暮れた下北沢の路上に鎖でぐるぐる巻きにされて縛られる拳磁。それは明らかに「鎖を引きちぎれ」という言葉を意識していた。
「鎖を引きちぎれ」という観客の声は届いても、拳磁の鎖は解かれない。
野良犬にとって屈辱ともいえる大いなる罰であった。
それから何年かたって、テレビ東京でWWFの番組「ライブワイヤー」が放送された。1回目、路上に鎖でぐるぐる巻きにされた男が映っていた。
それは、下北沢で見た光景と一緒だった。WWFはPWCのパクリだと言われても信じない人は多いだろうが、それは鎖を引きちぎれなかった野良犬を知らないからでしかない。

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2005年03月26日

バイオレンス・コネクション

始まりはカルガリーだった。
屋台村で最初に行われたプロレスで、飛田将(現・サバイバル飛田)のデビュー戦の相手がである。
アメフトのような衣装、ヘルメットのようなマスクのカルガリーの亡霊は、バイオレンス・リベンジャーという名前だった。
カルガリー・ハリケーンズでデビューするはずが、その機会に恵まれなかった男。
ハリケーンズの一員だった高野俊二を追ってPWCに現れたら、俊二は拳磁に変わっていた。
それでもリベンジャーは高野を標的としていた。
ある日、北沢タウンホールで各軍団1人ずつ参加のトーナメントの開催が決定された。PWC代表として当然拳磁はトーナメント参加。リベンジャーとしては一騎打ちのチャンスである。
参加者を見たらその名があった。バイオレンス・リベンジャーβ。
ベータ?
そう、リベンジャーはアルファとベータに増殖していたのだ。
分裂増殖の過程はよくわからないが、普通に考えたらオリジナルはアルファのような気がするので、対戦するのがアルファなら気にも留めないが、ベータであるというのは糸としてどうかと思う。
結局、ベータは高野に負けたわけだが。
このバイオレンス・コネクションは後にガンマまで誕生している。
ベータとガンマはさておき、アルファに事件がおきた。
1996年、宇宙パワーとの抗争が勃発したのだ。宇宙パワーは既にホッパーさん(仮面シューター・スーパーライダー)と、壮絶な傍で見ていて凍りつくような関係にあったのに、なぜかリベンジャーにまで飛び火したのだ。
リベンジャーαは敗者マスク剥ぎマッチにより、正体をさらす。
PWC広報の森谷さん(後にニセ大仁田として脚光を浴びる)がその正体だった。
敗れたことにより森谷さんはリベンジャーのマスクを失った…と思ったら大間違いであった。
後楽園ホールでの将軍KYワカマツ対島田宏のPWCヘビー級戦、ワカマツのKYスペシャルにより決着かと思われたとき、バイオレンス・リベンジャーが現れた。
ベータじゃない、アルファだ。
リベンジャーの乱入によりKYスペシャルから脱出した島田は逆転勝利。PWCヘビー級王者となった。
そんな島田にリベンジャーは言った。
「俺が乱入したおかげで取れたんだから、俺に挑戦させろ」
筋が通っているようでいないような気もするが、これは理屈としてどうなのだろうか。
ともあれ、島田は後日宇宙パワーからのアピールにも「PWCヘビー級の挑戦者は、リベンジャーを指名する」と答えるなど、リベンジャーとやる気があったが…
後楽園から半年もしないうちにPWCが崩壊した。
PWCヘビー級タイトルマッチをやる場所はなかった。
それからしばらくたって、時は2000年。島田宏はPWC参戦時所属していた「チーム・ウルフ」の発展した団体EAGLEで、PWCヘビー級戦を実現させた。
そのときの防衛戦の相手はニセ大仁田。
あの時のリベンジャーとの約束が、時を経てこのような形で果たされたことに気づくものはほとんどいなかった。
その後、森谷さんはZIPANGでまたPWCヘビー級王座に挑戦、島田・飛田・森谷でPWC軍団が結成された。
鶴見青果市場大会では、島田の欠場により代わりにバイオレンス・リベンジャーαかβかγが入ると発表があった。
αは森谷さんだからそれはないだろうと思ったら、現れたのはニセ・リベンジャーだった。
「こんなのリベンジャーじゃない」「オレのリベンジャーを返せ」と声が飛んだが、そんなこと言ってどうなるものでなし。
その後も普通にリベンジャーが現れたとか、森谷さんじゃないリベンジャーが現れたとか。
森谷さんは肩の肉腫が原因で引退したけど、復帰したり引退したりを繰り返した。
リベンジャーのことがどうなっているのか答えるのは、森谷さんが何回引退したのか答えるようなもの。
本人でさえちゃんと把握していないもの、どうやってまとめたらいいんだろう。

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2005年03月25日

PWCについて語られていないことはたくさんある

特に、プロレスの範疇から飛び出すことへの対応だ。
いやまあ、当時やっていたプロレスが既にプロレスの定義からはみ出しそうだったとかそういう話ではなく、今も「プロレスではないもの」をちゃんと見ていたって話。
プロレスについてもほとんど語られていないのだから、そこら辺にも触れられていないのは当然だが、PWCは普通に格闘技も見ていた。
PWC所属の選手がヴァーリ・トゥードの大会に出るとかではなかったが、「PWC格闘技戦」という、当時の総合格闘技に適応するものを扱っていた。
まだPRIDEさえない時代なのに、PWC格闘技戦のルールは今の視線にも耐えうるものだった。
ルールは、ダウン・ロープエスケープは即失格というもの。
後楽園ホールでルール説明として野沢と長瀬館長で行われたエキシビションは、長瀬の裸締めにより14秒で終わった。
あまりにも早い決着であるが、実戦では技が決まって脱出できなければ敗北あるのみだから仕方がないというのだろう。
(注・当時はUWFルールのように、ロープエスケープのあるルールでもおかしくなかった)
ダウンも、1回のダウンで即ストップというのは異色であったが、実戦ではダウンカウント取る間待っているなんてことはなく、ダウンしたところをそのまま襲い掛かってしまえば確実に勝てるという理屈なのだろう。
今のPRIDEではダウンカウントを取らないで倒れてもそのまま試合をさせ、ダメージが蓄積してから止めているが、この形式はPWC格闘技戦の方が先なのだ。
それでも、所詮プロレス団体のやることだと見下す人はいるだろうが、実際このルールでやってみれば、1回ダウンで即ストップは甘いものではない。
膝を付いたら即ストップなのだ。ボクシングでもこんなルールではやっていない。
そんなシビアなルールでやる格闘技戦、長時間続けるのは心身ともに負担が大きいことは分かるだろう。
PWCの会場がさいたまスーパーアリーナならまだしも、最大が後楽園ホールで、リングとの距離は近い。
新日本プロレスのUCルール
http://www.njpw.co.jp/rules/rulebook_030502.html
では反則に「双方の競技者が、互いに戦意を示さず、馴れ合い的な試合を行った場合及び、双方あるいは一方の競技者が作り試合を行った場合」というのがあるが、東京ドームの巨大ビジョンを見るならともかく、北沢タウンホールのリングサイド立ち見のみの客の前でそんなものやったら一目でバレる距離である。
生ぬるいパンチなど出せば見ている者に笑われる。
PWC格闘技戦の真価は、そのルールだけではなく、ルールの成立する環境にもある。
ある時、試合前にこんな説明があった。
「グローブを付けるとパンチ力が弱まるから素手でやらせろ」というボクサー側の要求に対する答えだ。
「投げ技だって下がコンクリートなら一発で決まるけど、リングだから衝撃が弱まっている。これはハンデだ」
普通の感覚では、素手で殴ると拳を痛めるという理由になるところだが、路上を想定してバランスのためグローブつけているというのは、物の考え方が最初から違っている。
ストリートファイトの意味、直訳しすぎ。
後に初代タイガーマスクこと佐山聡が掣圏道という市街地型実戦武道を提唱するが、この源がPWC格闘技戦ルールなのだ。
これは妄想でもホラ話ではない。なにせ実際にPWC格闘技戦をやっていたホッパーさん(仮面シューター・スーパーライダー)は、元々シューティングの王者というバリバリの佐山の弟子で、北関東で「ホッパー先生のシューティング教室」をやっていたとか、掣圏道が始まってからホッパーさんがDDTで試合する時ジャケット着用したとか、ある日ホッパーさんがDDTの興行を休んだのはPRIDE・GPでホイス対桜庭の審判やっていたから説があるとか、掣圏道の大佐で今も佐山の右腕として活躍しているとか、それだけの逸話のある人なのだ。
そんな佐山エキスの濃い人がいるのだから、PWC格闘技戦は恐ろしいものだと分かるだろう。
しかも、この人にプラスして、木村浩一郎までいるのだ。この人について語るとキリがないので詳しくは触れないが、この二人が中心にいるんだから、PWC格闘技戦ルールというのは今の目で見てもろくなもんじゃない。そこに疑いがあるなら、個人について調べて欲しい。
「なるほど、この人たちのやることだから、そりゃただごとじゃないはずだ」と分かるだろう。
この辺りについて詳しい人(詳しく語る勇気もある人)がいないのは非常に残念である。
そんなものがかつてあったのに、全然語られていないのは非常にもったいないことだ。

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2005年03月24日

木村浩一郎物語一部抜粋

全部語れる人、探しています。
木村浩一郎、一般には「ヒクソンと戦った男」で通るが、それは端的に過ぎる。
語りたくても資料に欠けるJPWA(日本プロ・レスリング協会) のホームページによると、アマレス・インターハイ、団体2位、SAW(サブミッション・アーツ・レスリング)三連覇という十分に立派な経歴なのですが、団体2位もSAWも中途半端なのか、みんな掘り下げてくれません。
大学在学中にリングス参戦、1992年1月25日、リングスの長井と対戦して敗れるが、「卒論の合間に参戦」と、大学生が参戦していることが何かおかしくないかと。
その一方で世界一過激なデスマッチ団体W☆INGで「格闘三兄弟」と呼ばれている。
この両極端な経歴にどこか突っ込みを入れたくなりませんかと。
その後新格闘プロレス参戦なんですが、もうこの団体名でピンと来るでしょう。
こんな団体なので、全然語られていません。
新格闘プロレスのエースの青柳と連戦とかしていたのですが、それを語る人もいやしない。
新格闘プロレスがなくなって、西日本プロレスに上がりもしましたが、もうこの団体名でピンと来るでしょう。
こんな団体なので、全然語られていません。
面白い話は捨てるほどあると思うんですが。
「ヒクソンと戦った男」のインパクトでここら辺触れてくれるまで行かないのが、もったいないという気持ちで一杯です。
そのヒクソン戦はちょうど95年4月20日。
ちょうどチーム・ウルフの一員としてPWCに上がりだしたのがこの頃です。
チーム・ウルフ自主興行などもあったのですが、チーム・ウルフで欠かせないのは冴夢来プロレスでの俗に「興行破り」と言われる事件。
モノがモノなので詳しく語られる機会がないから客席からの記憶に頼ると、メインイベント終了後「助けてくださーい」の叫びと共に野沢(現・論外)が登場。その後に木村さん出現。
「秋山出て来い」「殺すぞオラ」など、殺気に満ちた発言で客席を凍りつかせました。
彼いわく、チーム・ウルフの一員の秋山文生が冴夢来の一員になったのは引き抜き行為だと。それに関連して、チーム・ウルフを冴夢来の興行に呼ぶはずが、島田宏は出ているけど木村含む他の人は出ていないと。
どうなってるんだとばかり暴れた木村さん。しかし、本当に怖いのはそれからだった。
以後、秋山文生の消息が知れません。
後日、何年もたって「ビッグコミック・スピリッツ」で木村さんが語っていたのですが、その内容は…
「オレはやってない」「羽交い絞めにしただけだ」「手首を折ったのは別の人」
いや、それ、手首折ったときに羽交い絞めにしていたから立派な共犯だとしかいえないんですけど。
秋山文生が手首破壊されたなんて初耳です。
そもそもオレはやっていないなら誰がやったのと。他のチーム・ウルフのメンバーは、島田宏は試合組まれた人だから加担しにくいし、若い吉田和則は試合後に見せる鬱症状や、マイクアピールの方向のずれ具合から、そんな根性があるとは思えず、むしろ見てしまったトラウマでこうなった感じだし、となると残りはホッパーさんとジューディストなんだが、吉田がEAGLE旗揚げしたときに、島田とジューディストは参加していて、木村とホッパーがいなかったのが、ホッパーさんだと暗に示しているような。
いや本当の所は分からないんで「木村さんは言動共にとんでもない人だ」とだけ覚えてもらえればいいんですが、まあこういうことがあったんですよ。
プロレスを「台本がある」「全て演出」とか言う人には、是非この辺にどんな台本があったのか教えて欲しいものです。そういうこと言う人で、この件説明している人いないんですけど、全て台本どおりならどういう演出だったのか言ってみろって。秋山文生どこにいるんだよ。文生が「大丈夫、あれ全部台本どおり。演出だって。アングルもブックもあったから」と言ってくれるのかよ。
そういうことがあるので、私は世間がいくら「あれは台本どおり」「全て演出」とか言っても、受け入れられません。
むしろそういうことを言う人は、現実から目をそむけているようなダメな人だと思ってしまいます。
それはさておき木村さんはそんなことをやらかした後、PWCの流れを汲むDDTに定着しました。
まあ木村さんのことなので、色々やっておりまして、そこをあげるとキリがないので、かいつまんでみます。というか、そうさせて。
99年3月、UFOに参戦し、フランスのナンシー柔道の選手に圧勝していますが、もうお気づきでしょう。モノがUFOでモノがナンシー柔道なので、全然話題になっていません。UFOは笑いの宝庫みたいに勝手にネタが発生するため、この程度では後世に全然取り上げられないのです。
DDTで彼は、もう一人潰しています。
99年7月、スーパー宇宙パワーと組んでNeoDDTのNEOアイスマン&加藤選手と戦っていた黒影は、わざと負けます。彼はNeoDDTに味方する裏切り者だったのです。
そこで木村浩一郎大激怒。
わざと負けるという行為をした黒影が悪いのですが、木村さんはここで黒影の腕をあたかも赤子の腕を捻る様に破壊しました。その後の彼の言葉も凍ります。
「折れてねーよ。脱臼だ。全治一ヶ月。今晩風呂入るなよ」
一ヶ月どころか、まだ治っていません。黒影は脱臼癖がつき、試合中に戦闘不能になり欠場、復帰してまた脱臼と、全治一ヶ月の言葉の意味を疑いたくなる状態に陥り、いつしか姿を見せなくなりました。
黒影が悪いとはいえ、選手生命絶っちゃいけません。秋山につづく犠牲者です。
しかも、詳しく調べたらこの二人の他にも犠牲者はいるかもしれません。
これだけでもう木村浩一郎が「ヒクソンと戦った人」で終わりというのは、説明のポイントがゆるゆるすぎると痛いほど分かったと思います。でも、まだ終わりではないのです。
99年12月、DDT初の後楽園ホール進出を記念して、「木村浩一郎遺恨清算記念試合」が組まれました。
過去、こんな試合が組まれた人がいるでしょうか。
この話をするだけで「木村さんは凄い人だ」になるような気がします。
その日の対戦相手は、卒論の合間にリングスで戦った長井、新格闘プロレスで戦った青柳、そして興行破りをやらかした冴夢来プロレス主催者剛竜馬という、暗黒史的に豪華な面子でした。
これで、清算するかなと思えるようならいいんですけどねえ。
結局その日は、剛竜馬の攻撃を受け付けず、圧倒的力の差で打ちのめし、最後に「剛、引退しろ!」とマイクアピールするなど、遺恨清算する気は全くない木村さんなのであった。
その後も木村さんはまあ木村さんであって。
DDTでは女子プロレスラーの美佐恵ちゃんと「真実の愛」とかいって不倫タッグ組んでいたような気がするのだが、このタッグ、どう見ても美佐恵ちゃんの方が大きいのに、発表では軽く発表されているのが不思議だったなあ。
「ビッグコミック・スピリッツ」で木村さんのインタビューが実現したのも、そもそも漫画の登場人物スペル・パピヨンを木村浩一郎本人がやるって話になったからです。漫画の登場人物の木村浩一郎は出たところがいきなりさわやかで、本物とのギャップが大きすぎて笑ってしまいました。木村浩一郎の名前で笑える日が来ると、誰が予想できたでしょう。
しかも、漫画のパピヨンは華麗な空中技を披露する人でしたが、木村浩一郎はそんなことはしないため「あ、あれは合成写真」という凄い理由付けでなかったことにされちゃいました。それもひどい話なんですが、木村さんのやってきたことに比べたらたいしたことないと思えたりもします。
DDTの人なのに、DDTの興行あるのにWJに出ました。普通に考えたらおかしいことなのですが、木村さんのやることなので、みんなまたかと思うだけです。
DDTの人なのにJPWAの人になって、いつの間にかDDTの人に戻っていた経歴があるので、WJがダメになったらまた戻ってくるんだろうなと思ったら、本当にそうなったので、安心しました。
最近DDTに出ないなと思ったら、2005年になって、佐山聡の「リアルジャパンプロレス」に参加していました。ここがダメになったらまた戻ってくるのかなあ、でもリアルジャパンがダメになるまでどれだけかかるのか微妙だしなあなんて思っています。
佐山さんといえば、「真説・タイガーマスク」という作品で木村浩一郎はライオンマンという覆面レスラーとして出演しています。「デビルマン」で東スポ映画大賞特別賞(北京原人やシベリア超特急らと同格扱い)を受賞した監督の遺作です。そのおかげで木村さんが木村さんなのに際立たないということになっています。これはいいことなのか困ったことなのか、未だに分かりません。
誰か、もっと詳しい人に木村浩一郎物語とかやってほしいのですが、でもそれやったら、ほんと大変だろうなあ。

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2005年03月23日

歴史は繰り返すのは仕方ないし、ネタはかぶるのもしょうがない

2005年2月9日、サッカーの日本対北朝鮮があるのにハッスル・ハウスを選んだ人たちを高田総統は変わり者だとネタにした。総統は素晴らしいお人なのは認めるが、それ以前の2002年6月13日渋谷で「ワールドカップがあるのにこんなとこ来やがって」と高木三四郎が言ったことと完全にネタがかぶっている。
しかもこの高木三四郎の発言は彼の師匠である高野拳磁の「新日本が両国でやっているのにこんな所にきやがって」がオリジナルであり、単に周囲がそのことに気づいていないだけだった。
高野拳磁もまさか野良犬の拳磁とは比較できない階層の高田総統にネタをパクられるとは思いもしなかっただろう。
しかし、それも必然だったのかもしれない。PWCはアメリカの巨大プロレス団体にもパクられてきたのだ。
有名なのは新日本プロレスの蝶野が相手の背中に黒スプレーで「犬」と書いたもの。本人はNWOジャパンとかいって、アメリカWCWでやっていたことを真似したつもりだったが、それ自体がPWCで将軍KYワカマツが高野拳磁の背中に「負け犬」と書いたもののパクリだったので、単なる劣化コピーになってしまった。
そのWCWを吸収合併したWWF(元WWE)は、「アティトゥード」などの言葉でエンターテイメント路線を行くことで成功したが、その際にもPWC(だけじゃないが)のパクリが大いに役立っている。場外乱闘でホールから出て、ボイラー室や駐車場、はたまた路上にまで飛び出すという、会場のお客さんをないがしろにする展開は視聴者を喜ばせるものだったが、外に出る展開は既にPWCがやり倒していたことだった。
PWCが川崎の路上で倒したのは自転車だが、WWFは乗用車を壊したから別物だなんて話は成り立たないのだ。
もちろんやっていることはWWFの方がスケールはでかかったが、それはお国柄の違いもあり、先にやったPWCの存在をなかったことにはできない。
むしろ、警察から始末書書かされることをものともせず、渋谷の路上で暴れ、下北沢や六本木でも路上体験しているPWCのやっていることの方が凄いだろう。
WWFで路上乱闘が一般の店内になだれ込むものなど、IWA格闘志塾が鶴見青果市場前のジャスコ駒岡店でやってきたこととどう違うのか。既に「ジャスコ」が決まり文句として日本で定着した頃にアメリカで同じ事をやられても、斬新さは感じられない。
この頃WWFを盛り上げた一番のスターは、ストーンコールド・スティーブ・オースチンである。高木三四郎を「オースチンのパクリ」みたいな見方をする人がまだいるが、はっきり言ってオースチンは将軍KYワカマツのパクリキャラだ。ただ日本の話だから気づかれていないだけだ。
そもそもスティーブ・オースチンというのはテレビシリーズ「600万ドルの男」の主人公の名前(超人ハルクからハルク・ホーガンにしたようなもの)で、それがテレビヒーローと全然違う将軍KYワカマツになったというのはどういうことだろう。
WWFにとってワカマツは新日本プロレスではマシン軍団を率い、SWSと提携したころはその団体の参謀格であったのだから知らないはずがない。
その変化をWWFのオリジナルキャラクターだと言われても受け入れがたい。
この頃オースチンがやっていたのは元金メダリストのカートが大切にしている金メダルを奪うことだが、これなどはワカマツが「高野ー!お前の一番大切としている物をもらうぞ」と言って金色のPWCヘビー級ベルトを奪ったことの焼き直しで、それで路上にて鎖で縛られる「下北沢であった風景」など見せられたら、WWFも結局は日本のパクリで成功しただけじゃないのかと醒めてしまう。もちろんパクリでも成功したことはそれだけで価値はあるのだが、その元ネタが全く評価されていない現状は好ましいものではない。

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2005年03月22日

俊二と拳磁の違い

単なる改名で、たいした違いじゃないように思えるだろうが、そうではない。
これも「リングの魂」で本人が語ったことだが、高野俊二は死んだそうだ。
その体に宿った堕天使が拳磁だというのだ。
これだけだと、なんだそれはという話だが、時系列で見ると、そうでもない。
1993年2月13日愛知で旗揚げしたPWCだが、翌94年2月17日後楽園ホールで4体現れた宇宙パワーにより高野は蹂躙され、PWC壊滅を印象付ける風景を見せ付けられた。
94年4月17日最初の屋台村興行でPWCが再開し、高野俊二が高野拳磁に変わっていたが、変化はそれだけではなかった。
他の参加選手は高野・ワカマツ・宇宙パワー以外はほぼ総入れ替えと、これまでのPWCとは違うものになっていたのだ。
宇宙パワー軍団に壊滅されたとはいえ、PWCの人間が全滅したわけではない。いくらかは高野についてきてもよかったのだが、屋台村では高野しかいなかったのは、PWCに見切りを付けられただけではすまないものがあるだろう。
こうなると、俊二は死んで拳磁になったという話も聞き逃せない。
拳磁による新たな戦いなので俊二を知るものが少なくなったと思えてくる。

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2005年03月21日

あれは夢だったのか

高野拳磁が脚光を浴びるまでの流れは、「週刊テレビプロレス」で取り上げられ、「リングの魂」で重用され、「ピザーラ」のCMに登場するまでである。
だからといって、「ピザーラ」のCMのボブ・サップを見て「高野拳磁もこんな感じだったな」と思うことはないが、この世にはいやでも高野拳磁を思い出す男が居る。
現在アメリカ・WWE所属のプロレスラー鈴木健想(ケンゾー・スズキ)である。
鈴木健想を「高野拳磁二世」と呼んだ人は不特定多数だとか、そんな言葉も大げさではない存在。偶然なのに、偶然とは思えないほどの共通点。
身長2メートルの高野ほどではないが、190センチ級のでかい体を持つ健想。
大学時代ラグビーの選手として鳴らした健想と、あやうくヘビー級ボクサーに転向させられそうになった高野。
大型の逸材と期待されながら、練習嫌いと呼ばれたり、未完の大器扱いを受けたりも共通している。
海外、特にアメリカ志向が強かったのも、この手の人間の特権だったのか。
健想がアメリカでWWEタッグ王者になったとき、ピザーラのCMで「元WWFタッグ王者」と記された高野拳磁と同格になったなと喜んだ人もいるだろう。
プロレスラーが女に刺されたという話を聞いて、「刺されたの、鈴木健想の方じゃないの?」と思った人は少なくない。
高野拳磁は女に刺されたという話は聞かないが、「銃を向けられたことはあるよ」とか言いそうなのが高野だ。
鈴木健想の試合を見たことがある。笑いの宝庫とも言うべき団体だったWJで。
その日は、WJの若手が先輩の胸を借りるというテーマで試合が組まれていた。
だが、先輩側の鈴木健想は若手とされている3人(通称ヤングマグマ)よりもキャリアが短かった。その時点で何かおかしいのだが、WJではおかしいことを指摘してもキリがないので、優しい観客はみんなその辺は掘り下げないでいた。
多分、鈴木健想は新日本プロレス出身なので、ヤングマグマより格上に見られていたのだろう。その価値観も何かおかしいのだが、そこよりも指摘すべき点が一杯あるのが、WJのネタ団体ぶりである。
キャリアが自分より5年以上ある若手と対戦するというおかしさは健想にも伝わっていただろう。健想は、おかしいことにおかしいことで応えるネタを見せた。
圧倒的な力の差を見せてヤングマグマ相手に一度も倒れることなく攻め込んでいた健想が、勝負を決めるとばかりに寝転んだ。
ヤングマグマはそのまま上になると、3カウントが入り、ヤングマグマが勝利した。
無気力試合というには、それまでのやる気満々の強さと釣り合わないし、油断というレベルではなく、わざと負けたとしか言いようがない。
そんな所が高野拳磁っぽさをさらに引き出していたのは本人の予想外だったと思うが、この日は特に高野拳磁の霊がついたかのごとき様子だった。
健想は攻めてばかりいて、受身を取ることもなかったため、大きさは目立ち、力強さも感じ取れた。
PWCの北沢タウンホールで無名の若手だった飛田・渡辺組を圧倒している高野拳磁はこんな感じだった。
相手が倒れると、そこで倒れた相手を起こして攻め込む策もあるのだが、この日の健想は起き上がるまで待っていて、その待っている時の気だるさ、やりたいことがやれないことへの鬱憤があるかのような表情、大きな体を小さくさせて生きていかねばならない哀しさすら感じさせる健想には、高野拳磁二世という称号は必然的であり、PWCと何の接点もない健想が高野拳磁度を濃く溢れさせていたことは、何ともいえない刺激だった。
ただ問題はWJにとって、高野拳磁的存在は不要だということだった。WJには新日本プロレス的価値観を否定する高野など、存在すら許されないものなのに、期待の健想が高野拳磁になっていたのは、WJのネタ団体としての因果の産物だったのか。
健想はリングに女は上げないというWJの方針を逆手にとってオカマをリングに上げるなど、奔放なことをした挙句、海外進出のためWJを去り、見事アメリカのWWEにたどり着いた。
現在は怪我のため欠場しているが、果たして復帰できるかは分からない。
いつか日本のどこかで、かつて高野拳磁が残した言葉「また飛び出しちゃったよー」が鈴木健想の口から飛び出す日が来てしまうかもしれない。

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2005年03月20日

あの日の言葉を忘れはしない

今はどこにいるか分からない人だが、高野拳磁が残した言葉には素晴らしいものが多い。
全てを思い出せないのが歯がゆくてたまらない。
そんな彼の言葉の中に、こんなものがあった。
「深夜にプロレスやりたい。18歳未満お断りのプロレス」
今でこそそういうプロレスはあるが、当時は新宿プロレスなんてありゃしないし、露骨に18歳未満お断りなんてのは、キャットファイトならあるかもしれないが、当時のPWCをもってしても、そぐわない感があった。
実現することはないだろうと思われていたが、その構想を忘れることはなかった。
ニセ大仁田の森谷さんも当然覚えていた。
西暦2000年の大晦日、21世紀を迎えるに際し、EWP名義でディファ有明をおさえたのだ。
大仁田による年越しマッチが主となっていたが、他の面々を見ると、あまりにもPWCや屋台村のことを覚えすぎていたので、大仁田が高野拳磁の代役にさえ見えてきた。
この日はゆかりのある人が多かった。いやむしろ、PWCも屋台村も関係ない人の方が少なかった。
ゆかりがなさそうなのが大仁田&サンボ浅子&矢口壹狼&中牧昭二&死神&バイキング・タニグチ&サスケ・ザ・グレート&ミステル・カカオ&スペル・アストロ&GENTARO&負死鳥カラス&ブラソ・デ・オロ&ロス・チバス・ラダーヤス2号&怪獣Zマンドラ&岩崎隆男&BIG石川
ありそうなのがエキサイティング吉田&菊澤光信&佐野直&矢口2001狼&スペル・カカオ&MIKAMI&タノムサク鳥羽&鶴見五郎&NOSAWA&ダース・モール&ベビー・リチャード&足立知也&トウカイブシドー元旦&長瀬館長&マスクド・インベーダー&レッド・スカル&くいしんぼう仮面&アルカンヘル&ウルトラマンJr&島田宏&吉田和則&サバイバル飛田&クラッシャー高橋&バイオレンス・リベンジャー
たぶん分類ミスはあるだろうが、これで正しいとしたら16対24で、PWC率6割となる。
これだけ高ければ、無関係だとは思えない。
なんといってもセミファイナルがアルカンヘルとウルトラマンJrのマスカラ・コントラ・マスカラなのだ。PWCで幾度も「マスカラ」「マスカラ」と言ってきたのがここで実現したのも、EWPの中にPWCがあったからだろう。
しかもメインはPWC対EAGLEと、露骨にPWCの名前が出てきているのだ。
深夜0時に開始で、PWC色濃い興行、あの日の夢を実現させたに違いない。

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2005年03月19日

PWCの人かは微妙だけどついでに思い出してみる

PWCを思い返すとき、つい出てしまうのが野良馬こと、グレート・ゼブラさんである。
もっとも、この人PWCの所属ではない。
ご存知のように、グレート・ゼブラというのは「タイガーマスク」でジャイアント馬場が変装した姿である。
当時、タイガーマスクがみちのくプロレス所属で、ちょうど「覆面ワールドーグ戦」をやっている時期ゆえに登場した人である。
PWCの人と思われているのは、このゼブラさんが登場したときの対戦相手が「ドラゴン・ササニシキ」というPWCで目撃された人であることに由来する。
ここでササニシキがどこの名産の米かを思い出して欲しい。そう、宮城だ。
完全にみちのくプロレスの勢力圏である。
つまり、この90年代に現れたゼブラさんの本来の居所はみちのくプロレスであり、ジャイアント馬場のいる全日本プロレスと解釈するならともかく、PWCという考え方は間違っているはずなのになぜそうならなかったのか。
当時のプロレスマスコミは雑な仕事をしていたといわれても仕方のないところである。
ゼブラさんの話は需要のあるなしにかかわらず、続く

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2005年03月18日

PWCの人かは微妙だけどついでに思い出してみる・続き

グレート・ゼブラといえば、つい高野拳磁を思い浮かべてしまう。
それは仕方のないことなのは認めよう。
グレート・ゼブラは日本語を話していたからだ。
当時のプロレス界であんなに大きくて日本語を話すとなれば、高野拳磁の他はジャイアント馬場と北尾光覇くらいである。
グレート・ゼブラがPWCに出現したということを考慮すれば、馬場や北尾がPWCに出るなんてということで、消去法で高野拳磁というのはまあ分かる。
しかし、当時PWCのリングにそんなにゼブラさんが出ていたのかという疑問が浮上しなくてはいけない。
ゼブラさんがPWCに出た事は確かにある。それは確たる事実として残っている。
しかし、グレート・ゼブラの試合はどう考えてもみちのくプロレスでの方が多い。
両国での「竹脇」(96年10月10日)にいなかったかとか、幕張での「みちのくにまいったか」(98年11月1日)の覆面時間差バトルロイヤルに混じっていなかったかとか、初登場のとき以外でもみつのくプロレスでの目撃例ばかりではないか。
しかも、PWCで目撃されたその内容も、例えば、96年4月20日のクラブチッタ川崎大会で拳磁の試合後に姿を見せたゼブラさんが高野拳磁だとするならば、拳磁はどうやって姿を消し、早代わりをしたのかという疑問が発生する。
そして、グレート・ゼブラといえばPWCという印象を与える最大の理由と思われる後楽園ホール大会でのゼブラさんのカード「どうぶつ奇想天外タッグマッチ」は
「野良犬」高野拳磁&バットマン対ザ・グレート・ゼブラ&「カニ男」愚乱・浪花
というもの。
さて、高野拳磁がグレート・ゼブラだとしたらこれはどう説明がつけられるのだろうか。
この後楽園ホールでの映像を見たうえでなにか言うのなら分かるのだが、結局、「グレート・ゼブラ=高野拳磁」というのは、どこかの良く知らないで書いた人の受け売りみたいなことになっていないだろうか。
その辺を全て飲みこんだ上で「グレート・ゼブラ=高野拳磁」というのならそれは尊重するが。
しかしここで挙げたPWCにおける出来事からは、グレート・ゼブラは高野拳磁とは見なしにくい。
むしろ原典どおり「グレート・ゼブラ=ジャイアント馬場」の可能性の方が高くなってしまうのである。
馬場が覆面をしてPWCに出場するというのはあまりにもおかしな話だが。
しかし、ゼブラの主戦場がみちのくプロレスである。
サスケが新日本プロレスのIWGPを、新崎人生が全日本プロレスのアジアタッグを獲った団体であり、「みちのくにまいったか」では新日本と全日本の両方から選手を呼ぶという当時では考えがたいことすらしていた所である。
そんな緩衝地帯であれば、馬場が洒落っ気を出せば即座に「グレート・ゼブラ=ジャイアント馬場」が成立してしまう。
その姿でPWCに上がり、高野拳磁と対戦することなど信じがたいだろうが、それでもグレート・ゼブラの対戦相手が高野拳磁である以上「グレート・ゼブラ=高野拳磁」の可能性よりは高いのである。

1fuji at 21:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!PWC 

2005年03月17日

PWCバトン

何故か作ってしまいましたよ。
ちなみに自分の回答はネタが枯れたときにやります。
☆.あなたにとってのPWCは 高野俊二・高野拳磁・高野不在 どの期間?(複数可)
☆.あなたが足を運んだPWCの会場は?
☆.好きなPWCは?
☆.嫌いなPWCは?
☆.PWCという言葉で思い浮かべるのは?
☆.PWCという言葉で浮かぶいやな記憶は?
☆.PWC会場での思い出は?
☆.好きなPWC経験者。国内、複数可能。
☆.好きなPWC経験者。国内、引退した人では?
☆.好きなPWC経験者、国外では? 
☆.好きなPWC経験者、引退した国外では?
☆.嫌いなPWC経験者は?
☆.好きなリングアナは? 
☆.好きなレフェリーは? 
☆.好きな技は? 
☆.嫌いな技は? 
☆.無理を承知で、見たいカードは?
☆.今まで「すげえ!」と思った選手は? 
☆.今後の飛躍を期待する選手は?
☆.個人的な興味を○、△、×で表してください。曖昧でいいです。
フリーランス・フェスティバル
西日本プロレス
SPWF
レスリングユニオン
屋台村プロレス
TAMA
宇宙パワーステーション道場『元気』
チーム・ウルフ
みちのくプロレス
プロレス活き活き塾
ニセ大仁田興行
DDT
EWP
UNW
埼玉プロレス
NOSAWAボンバイエ
(PWCと縁ある団体は追加していいです)
☆.PWCで、何を重視する? 
☆.今まで生で観た凄い団体を全て挙げてください。 
☆.逆に、生で観たことがない(主な)凄い団体を挙げてください。
☆.PWCの選手、関係者になれるならどんな立場がいい? 
☆.PWCに関することで、訴えたいことある?(裁判沙汰でなくてもいいです)
次にバトンを回す人 原則3人以内
ただし、行方不明の人がいるため多くなるのは仕方がないので許す。
(安藤悟・紅林慎一郎・小木曽英希の3人なら確実にバトン止まっちゃうから)


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2005年03月16日

Beastie Boysはひどい男達と訳せる

カラオケボックスに行った時は、ターザン・ボーイを流さないと気がすまない。そのことは不思議ではないだろう。
時間が余ったので「ファイト・フォー・ユア・ライト」をかけてみた。
ターザン・ボーイでもうピンときているであろうこの2曲の関連性。
それだったらかける順番が逆だろうとか、だったらザブングルとか仮面ライダーBLACKRXもかけろとか、全ての曲を覚えているわけでもないだろうにとか思われるだろうが。
それはさておきカラオケボックスでは当然歌詞が出るわけである。
「ファイト・フォー・ユア・ライト」だけなら「権利のために戦え」とでもなるのだろうが、そこから「to party」と続く。つまり目的はパーティということになる。
このパーティにも解釈は色々あるが、「パーティーに出かけるor開催したいとゴネる」と訳することもできる。
「ファイト・フォー・ユア・ライト」は当時バトラーツの池田大輔も使用していたが、この歌詞の意味を考慮すれば、これは池田のテーマ曲ではない。
PWCの会場で流れるのが正しいあり方だったと、曲自体が語っているのである。

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