時代が明治となり、駿府に国替えとなった徳川16代目当主の帰りを待ちながら、東京でひっそりと日々を暮らす天璋院の元に、友、遠方より来るのごとく、懐かしい面々が訪れ昔話をする中で回想が描かれていく。

明治の約10年をあっという間に描く「篤姫」最終話は、本編の後日談のように、まるで独立した一篇のように淡々と描かれています。こういう最終回の構成も珍しいし良かったと思いました。回想に交えて、時折(…というよりしょっちゅうだが)やってくる勝海舟が、天璋院に解説をするという形で、当時の時勢について触れていくという手法も憎い。

「人生の価値は、名誉や財産などではなく、良き友や家族といること」、というのも今日的なテーマとしてよい着地点だったと。もっともこれは「篤姫」執筆中に夫を亡くした脚本家田渕久美子氏の実感なのかも知れないですね。

そういうことと関係があったかも、と思えたのは、「男たちの死(別れ)」が印象深い名場面としていくつも描かれていたことです。遥か遠くの娘に思いをはせる篤姫の父、出会えてよかったとお互いに確認しあった家定、わたしは男として何かをなしえたのか?と自問する家茂、そして二人の女性に看取られながら「いろんな人に会って、いろんなことを為しえた良い人生だった」と振り返る小松帯刀。また、臨終ではありませんが、お互いもう少し時間があればわかりあえたかも、という井伊直弼との茶室のシーンも忘れられません。

男の脇役は死に際が特に魅力的でしたが、女性の脇役たちは、役者の好演で、忘れられない魅力的なキャラクターを作りだしていたんじゃないかと思います。滝山(稲森いずみ)、菊本(佐々木すみ江)、幾島(松坂慶子)、お幸(樋口可南子)などなど…。出番は少なかったけど、少女マンガのキャラがよくやる「じとー」という目つきで竜馬を睨む芝居をした市川実日子のその時の表情が忘れられないので、個人的に彼女に一票。

また、「人は誰しも何らかの役割を持って生まれてきた」とも語られますが、これも「自由に生きること→かってきままに生きること→思い通りに生きられないことは損だ」という考え方の展開の末、社会との関係を一方的に絶って、かえってさびしく不愉快な目にあうという、現代の自由な社会に生きるわれわれに対するこれもメッセージとなっていたと思います。

まあ、でも何といっても宮崎あおいちゃんでしょう。彼女なくして篤姫は成功しなかったでしょう。彼女の地力には恐れ入りました。