芸の不思議、人の不思議

大友浩による「芸」と「人」についてのブログです。予告なくネタバレを書くことがあります。

●アガサ・クリスティー『火曜クラブ』(中村妙子訳、2003年、クリスティー文庫)

 原初は1932年出版。ミス・マープル物の初の短編集。マープル物の第一長編として1930年に『牧師館の殺人』が出版されている。

 何人かの人々が火曜ごとに集まって、自分が知っている「迷宮入り事件」を披露しあう(とはいえ、この設定が全編を通じて生きているわけではない)。聞いた人たちはいろいろ考えを出すが、いつも真実を言い当てるのはマープルだった。

 ジェーン・マープル:セント・メアリ・ミード村に住む老女。
 レイモンド・ウェスト:作家。マープルの甥。
 ジョイス・ランプリエール:女流画家。
 サー・ヘンリー・クリザリング:元スコットランド・ヤードの警視総監。
 ベンダー:教区の老牧師。
 ペサリック:弁護士。
 バントリー:大佐
 ミセス・バントリー:バントリー大佐の妻。
 ジェーン・ヘリア:美人女優。
 ロイド:セント・メアリ・ミード村の医師。

 第一話 火曜クラブ
 第二話 アスタルテの祠
 第三話 金塊事件
 第四話 舗道の血痕
 第五話 動機対機会
 第六話 聖ペテロの指のあと
 第七話 青いゼラニウム
 第八話 二人の老嬢
 第九話 四人の容疑者
 第十話 クリスマスの悲劇
 第十一話 毒草
 第十二話 バンガロー事件
 第十三話 溺死
 訳者あとがき
 解説(芳野昌之)

 結末を割ってます。

●アガサ・クリスティー『邪悪の家』(真崎義博訳、2011年、クリスティー文庫6)

 原著は1932年出版。真崎義博訳はクリスティー文庫の新訳で、旧訳として田村隆一訳が出ていた。私は未入手だが、見つけ次第買うつもり。ポアロ物長編。

 岬に建つエンド・ハウスの若き所有者であるニック・バックリーは、何度か命を狙われたふしがあるが、いずれも運よく助かっていた。たまたま近くに来ていたポアロとヘイスティングズが調査に乗り出した。従妹のマギー・バックリーがニックに呼ばれてやってきた。ところが、花火大会の日、マギーが射殺された。どうやらニックと間違えて殺されたらしい。
 ニックは大した資産も持っていなかった。が、次第に有名な飛行家のマイケル・シートンと婚約していたらしいことが明らかになる。マイケルの叔父のマシュー・シートンは大資産家だが、先ごろ亡くなっていた。莫大な財産を相続することになったマイケルは、飛行中に死んだ。彼は、自分が死んだら愛するマグダラに全てを遺す、と遺言をしていた。
 ポアロは、ニックを病院にかくまう一方、調査を続けた。ほぼ全貌がわかりかけた頃、ポアロは一計を案じた。ニックが亡くなったことにして何かが起きるのを待つことにしたのだ。
 結論。犯人は、被害者と思われていたニックであった。マイケル・シートンの婚約者のマグダラはニックではなく、マギーのことだった。そのことを知ったニックは、マギーを亡き者にしてマイケルの遺産を手にしようとしたのだった。

 ニック・バックリー:エンド・ハウスの所有者。何度か命を狙われるが、運よくかわしていた。ポアロに調査を依頼。マグダラ。
 マギー・バックリー:ニックの従妹。花火大会を見ていて射殺される。実は飛行家マイケル・シートンの婚約者であった。
 フレダリーカ(フレディ)・ライス:ニックの親友。麻薬を止揚している。
 ジム・ラザラス:美術商。ライスと愛し合っている。
 チャールズ・ヴァイス:ニックのいとこ。弁護士。
 エレン・ウィルスン:エンド・ハウスの使用人。
 ウィリアム・ウィルスン:エレンの夫。庭師。
 バート・クロフト:ロッジの住人。遺言書を偽造してニックの財産を横取りしようとした。
 ミリ―:クロフト:バートの妻。実はミリー・マートンという詐欺師。
 ジョージ・チャレンジャー:海軍中佐。ニックに惚れている。
 マシュー・シートン:大富豪。亡くなる。
 マイケル・シートン:マシューの甥。飛行家。マグダラと婚約している。飛行中に亡くなる。

 結末を割ってます。

●アガサ・クリスティー『シタフォードの秘密』(田村隆一訳、2004年、クリスティー文庫76)

 原著は1931年出版。

 ダートムアの村のはずれにあるシタフォード荘は、トリヴェリアン大佐の所有だが、この冬はウィリット夫人とその娘ヴァイオレットが借りて住んでいた。トリヴェリアンは歩いて一時間以上かかるエクスハンプトンに別の家を借りて住んでいた。ウィリット夫人はたびたび近所の人たちを招待していたが、ある金曜日、集まった人々で降霊術(テーブル・ターニング)をすると、「トリヴェリアン、殺人」と出た。5時25分のことだった。トリヴェリアンの親友バーナビー少佐は、心配になって、雪の中エクスハンプトンを訪ねた。はたしてトリヴェリアンは殺されていた。

○トリヴェリアン大佐と親族
 ジョセフ・トリヴェリアン大佐:シタフォード荘の所有者。資産家。この事件の被害者。妹にジェニファー・ガードナーとメリー・ピアソン(故人)、ピアソンの子どもにジェイムズ、シルヴィア、ブライアンがいる。
 ジェニファー・ガードナー:トリヴェリアン大佐の妹。
 ロバート・ガードナー:ジェニファーの夫。
 ジェイムズ・ピアソン:メリー・ピアソンの息子でトリヴェリアン大佐の甥。事件当時、ダートムアにいたことがわかり、容疑者として逮捕される。婚約者にエミリー・トレファシス。
 エミリー・トレファシス:ジェイムズ・ピアソンの婚約者。頭の良い美人で、夫の無実を証明すべく、新聞記者のチャールズ・エンダビーを利用しながら、事件を調べる。主役の一人。
 シルヴィア・ディアリング:メリー・ピアソンの娘で、トリヴェリアンの姪。夫は作家のマーチン・ディアリング。
 マーチン・ディアリング:作家。シルヴィアの夫。事件当時ある会合に出席していたと述べるが、それは嘘だった。実は昔ライクロフトと結婚していたが、彼女との離婚のために動いていたのらしい。
 ブライアン・ピアソン:メリー・ピアソンの息子でトリヴェリアン大佐の甥。事件当時ダートムア付近にいた。実はヴァイオレット・ウィリットとは船旅で一緒していら恋仲になっている。ウィリット夫人にシタフォード荘を借りるよう勧めたのもブライアンだった。ウィリット家の秘密についても知っている。

○シタフォード荘周辺の人物
 バーナビー少佐:トリヴェリアン大佐の親友。実は犯人。歩いて一時間以上かかるエクスハンプトンに「スキー」で行き、犯行に及んだ。賭けで当たった5000ポンドは、トリヴェリアン大佐がバーナビーの名で送ったもので、この金を着服しようと思ったことが殺害の動機だった。自分の使ったスキーを大佐の持ち物の中に隠すために、大佐のブーツを煙突の中に隠した。
 ウィリット夫人:シタフォード荘の借主。服役している夫(通称フリーマントル・フレディと呼ばれている)を脱獄させるために、ブライアンの手助けを受け、シタフォード荘を借りたのであった。脱獄した夫はしばらくして捕まったために、計画は失敗。シタフォードを離れようとしている。
 ヴァイオレット・ウィリット:ウィリット夫人の娘。ブライアンと愛し合っている。通称フリーマントル・フレディと呼ばれる脱獄囚は父。
 通称フリーマントル・フレディ:脱獄囚。やがて捕まる。
 エヴァンズ:トリヴェリアン大佐の下男。
 レベッカ:エヴァンズの妻。
 ワイアット大尉:シタフォード荘の隣人。
 ライクロフト:シタフォード荘の隣人。
 ミス・パーソハウス:シタフォード荘の隣人。
 ロナルド・ガーフィールド:ミス・パーシハウスの甥。
 カーティス夫妻:シタフォード荘の隣人。エミリー・トレファシスとチャールズ・エンダビーを宿泊させる。
 ベリング夫人:スリー・クラウン館の女主人。

○捜査関係者
 ナラコット警部:事件を担当する警部。たびたびデュークの家へ出入りしている。
 デューク:物語の最後近くまでほとんど何もわからない謎の人物として登場する。最後の最後で、スコットランド・ヤードの前の主人警部であったことがわかる。
 チャールズ・エンダビー:新聞記者。賭けの賞金の5000ポンドをバーナビー少佐に渡すためにダートムアにやってくるが、そのまま事件と関わり、エミリーの手先となって調べはじめる。エミリーの惚れてしまうが、振られる。

 登場人物が多いので頭の中で人物のイメージが曖昧になったきらいがある。まあ、漫然と読んでいる私がが悪いのかもしれないが。

 事件の調査は、ナラコット警部と、エミリー・トレファシス&チャールズ・エンダビー組の二つのグループを中心に行われる。ポアロのような絶対的な存在がいないので、読者としてはどこに拠点を置いて読んでいったらいいのか迷う。とりわけエミリーについては、かなり後になって「このあたしが、もっとも疑わしい人物であることが、やっとわかったわ」(P.362)と言わせて、読者に疑いの目を向けさせることもさせている。

 田村隆一の訳は、とてもわかりやすく、全て自然な日本語になっているし、古さを全く感じさせない。執筆当時のイギリス文化に対する理解云々ということはわからないが、例えばこれを新訳に置き換える必要があるとは思われない。

 たぶん三年ぐらい前に放映されたのを今ごろなって見た。

 宮城道雄は明治27年(1894)〜昭和31年(1956)。今では一般に、日本の伝統音楽の代表者と思われているが、当時の邦楽界では最前衛を走っていた人の一人。西洋音楽を積極的に取り入れて新しい地平を切り拓こうとしていた。

 ただし、宮城の中では、「伝統」と対立していたのではなく、積極的に時代に合わせて変えていくことこそが「伝統」だと思っていた。そういう意味では「伝統的な」という形容詞は間違ってはいない。むしろ「伝統」という語の意味内容が知らず知らずのうちに変化してきているのだ。

 というわけで、宮城の箏曲を三曲。いずれも名曲とされて演奏頻度の高い曲だ。

「水の変態」砂崎知子・深海さとみ
 とても素敵な演奏だった。今回の三曲の中では最も好きな演奏。さまざまな水の描写に宮城の前衛精神が光る。

「春の海」安島瑶山(尺八)ほか
 子どもたちによる演奏。中学から高校ぐらいか。皆さんプロの卵と思しくお上手です。
 余談だが、この曲はフルートとピアノで演奏されることもある。こちらの完全に西洋的な演奏スタイルの中での私のベストは、高橋理恵子さんによるトラヴェルソによる演奏だ。モダンフルートよりもトラヴェルソに合うと思う。

「春の賦」宮城合奏団
 筝のソロに、三群の筝、一群の三味線、フルート、笙、二本の尺八、太鼓。積極的に西洋音楽との融合を考えていた宮城道雄らしい曲。フルートの音色は全体に明るい輝きを与えて全く違和感がないし、いつどこで演奏しても聴衆に受ける曲だろう。

 西洋楽器を採り入れた宮城道雄の手法は、意味のあることだったと思う。けれども、五線で完全に記述できるような音楽は、私にはあまり魅力的ではない。例えば「春の賦」は、滅法楽しいけれどもそれ以上の深みは感じない。

 結末を割ってます。

●アガサ・クリスティー/チャールズ・オズボーン『ブラック・コーヒー(小説版)』(中村妙子訳、2004年、クリスティー文庫34)

 1930年の戯曲「ブラック・コーヒー」を、1997年にチャールズ・オズボーンが小説化したもの。
 筋立ては戯曲版と同じ。とりたてて大きく手を入れているところは無さそうだ。
 とはいえ、クリスティー自身が書いているわけではないので、どことなく文体の違いが感じられる。
 したがって、これをクリスティーの作品として《クリスティー文庫》に入れることには疑問がある。入れるなら別巻として入れるべきであろう。これは想像だが、編纂者には「ちょうど100巻にしたい」という思惑があったのではないだろうか。

 舞台は、ロンドン郊外にあるクロード・エイモリー卿の屋敷。クロードは原子力研究の権威である。その金庫から原子力に関する重要な方程式が盗まれた。クロード卿は、家にいる全員を集めて、「部屋の照明を切って真っ暗にしているあいだに返せば罪は問わない」と言った。照明が消されて再び明るくなったとき、封筒がテーブルに置かれていた、が、中は空だった。そしてクロード卿は死んでいた。そこへポアロとヘイスティングズがやってきた。

 エルキュール・ポアロ:私立探偵。
 アーサー・ヘイスティングズ大尉:ポアロのパートナー。
 クロード・エイモリー卿:原子力研究の権威。原子力についての方程式を発見した。殺害される。
 リチャード・エイモリー:クロードの息子。ルシアが犯人だと思い、かばって自首する。
 ルシア・エイモリー:リチャードの妻。実は国際的スパイであるセルマ・ゲーツの娘。リチャードが犯人だと思い、かばって自首する。
 キャロライン・エイモリー:クロードの妹。
 バーバラ・エイモリー:クロードの姪。
 エドワード・レイナー:クロードの秘書。実は犯人。方程式は暖炉の上の付け木入れの壺に隠していた。殺害方法はヒオスシンによる毒殺。
 トレッドウェル:クロードの秘書。
 カレリ博士:エイモリー家の客。実は詐欺師。
 グレアム:医師。
 ジャップ:スコットランド・ヤードの警部。
 ジョンソン:警官

 「嗅ぎ塩」というものが出てくる。何だろうか?

> ねえ、気分がすっきりするように、わたしの部屋から嗅ぎ塩でも持ってきてあげましょうか?(P.26)

 ネットで検索してみると、実際にそういうものがあるらしい。原語では smelling salts とのこと。

 ちなみに、戯曲版(麻田実訳)では、この台詞に対応する台詞の訳文はこうなっている。

> 何か、気分のよくなるお薬、とってきましょうか?(P.15)

 日本人にはなじみの薄い「嗅ぎ塩」という語を避けたのだろう。これはどちらが良いとは言えない。訳者の悩ましいところだ。

 「すべからく」チェック。

> すべからく秩序と均整を保てってことですか、ポアロ(P.138)

 この用法は形式的には間違っているが、意味の上では、まあ、容認できる。こういう用法がクッションになって誤用が一般的になったのではないかとも考えられる。否定形に呼応する副詞「全く」「全然」のように。

 解説は貝谷郁子で、肩書は「料理研究家&料理探偵」とある。戯曲が何年に出版されて、小説化は何年で、オズボーンが何者であるかといった書誌的なことが全く書かれていない。これは貝谷さんのせいというより、依頼した編集者が悪い。これまで読んできたクリスティー文庫の解説にもそのようなものが少なくない。ゲストにエッセイ風の自由な解説を書いてもらうのであれば、別に短い(長くてもいいけど)訳者解説をつけて、最低限の書誌的なことは記すべきだろう。なんといっても「全集」なのだから。

 ネタを割ってます。

●アガサ・クリスティー『ブラック・コーヒー』(麻田実訳、2004年、クリスティー文庫65)

 1930年の戯曲「ブラック・コーヒー」に、1958年の「評決」を併録した一冊。

1、ブラック・コーヒー(1930年)

 クリスティーが書いた初めての戯曲だそうだ。1997年にチャールズ・オズボーンによって小説化されている(クリスティー文庫34)。

 舞台は、ロンドン郊外にあるクロード・エイモリー卿の屋敷。クロードは原子力研究の権威である。その金庫から原子力に関する重要な方程式が盗まれた。クロード卿は、家にいる全員を集めて、「部屋の照明を切って真っ暗にしているあいだに返せば罪は問わない」と言った。照明が消されて再び明るくなったとき、封筒がテーブルに置かれていた、が、中は空だった。そしてクロード卿は死んでいた。そこへポアロとヘイスティングズがやってきた。

 エルキュール・ポアロ:私立探偵。
 アーサー・ヘイスティングズ大尉:ポアロのパートナー。
 クロード・エイモリー卿:原子力研究の権威。原子力についての方程式を発見した。殺害される。
 リチャード・エイモリー:クロードの息子。ルシアが犯人だと思い、かばって自首する。
 ルシア・エイモリー:リチャードの妻。実は大泥棒セルマ・ゲーツの娘。リチャードが犯人だと思い、かばって自首する。
 キャロライン・エイモリー:クロードの妹。
 バーバラ・エイモリー:クロードの姪。
 エドワード・レイナー:クロードの秘書。実は犯人。方程式は暖炉の上の付け木入れの壺に隠していた。殺害方法はヒオスシンによる毒殺。
 トレッドウェル:クロードの秘書。
 カレリ博士:エイモリー家の客。実は詐欺師。
 グレアム:医師。
 ジャップ:スコットランド・ヤードの警部。
 ジョンソン:警官

2、評決(1958年)

 カール・ヘンドリック教授は、自らの信念を曲げなかったことで、故国を追われ、亡命してイギリスに住んでいる。妻のアニヤ・ヘンドリックは、故国での心労がたたったのか重い病気に罹っている。アニヤの従妹のライザ・コレツキーは、物理学者だが、アニヤの身の回りの世話をしている(秘かにカールを愛している)。金持ちのわがまま娘ヘレン・ロランダーは、カールに個人教授を頼むが、カールは断る。しかし、ヘレンの父ウィリアム・ロランダー卿は、アニヤの病気に効く新薬を処方させるから、娘の個人教授を頼む、とカールの弱いところを突いた。ヘレンは、アニヤと二人きりになったとき、致死量の薬を与えてアニヤを殺してしまった。カールはヘレンからそのことを告白されたが、彼女を訴えようとはしなかった。カールとライザは互いの愛を告白した。悪いことにメイドのローパー夫人にその場面を見られてしまった。しかし、ライザが殺人の容疑者として逮捕されるに及んで、カールは犯人はヘレンだと言ったが、その直前にアニヤが交通事故で死んでいたために、愛するライザを救うために死者のせいにした、と思われた。ライザは有罪か無罪か…。評決は、無罪だった。しかし、ライザはカールの家を出るという。カールは理想主義に生きるあまり、彼を愛する女性を不幸にする人間だからだと。一度は家を出たライザだったが、戻って来た。理由は「私がおばかさんだから」。

 カール・ヘンドリック教授:物理学者。
 アニヤ・ヘンドリック:カールの妻。患っている。
 ライザ・コレツキー:アニヤの従妹。物理学者だが、アニヤの身の回りの世話をしている。カールを秘かに愛している。
 ヘレン・ロランダー:金持ちのわがまま娘。カールを愛しているために個人教授を受けたいという。父の力を借りてそれを実現させる。だが、カールが予想した通り、学問に熱中することはなかった。アニヤに致死量の薬を飲ませて殺してしまう。が、その後、交通事故で死ぬ。
 ウィリアム・ロランダー卿:ヘレンの父で、大金持ち。
 レスター・コール:カールの教え子。デート資金をつくるためにカールの本を借りて売ってしまい、そのことをカールに告白した。
 ローパー夫人:ヘンドリック家のメイド。性格悪い。
 ストナ医師:医師。
 オグデン警部:警部。
 ピアス部長刑事:刑事。

 2017年1月21日、原宿・アコスタディオへ平野啓子さんの語り&朗読を聞きに行ってきた。昨年秋に旗揚げした「日本の語り芸術を高める会」の第三回公演として開催された。

 旗揚げ公演では瀬戸内寂聴の「曼殊沙華」を語った平野さんが、今回は同じ短編集(『花情』)の中から「冬薔薇」をネタ下ろし、とはいわないか、初めて朗読するというので楽しみにしていた。

 もう一席、とはいわないな、もうひと作品は「お楽しみ」であったが、なんと同じ短編集の中からすでに平野さんの十八番となっている「しだれ桜」を語ってくださったのであった。

 一応申し添えておくと、ここで「語り」「朗読」を呼び分けているのは、テキストを暗記して本なしで話す場合を「語り」、本を見ながら話す場合を「朗読」としている。両者がどれだけ違うのか、違わないのか、ということは、私が関心をもっているテーマの一つだが、それはさておく。

 結論を申し上げる。今回のこの公演は、まことに素晴らしいものであった。

 平野さんの語りは、センテンスごとに、いやフレーズごとにテンポが変わる。しかし、そのテンポの変化が文意そのものから発しているので、聞き手にとって全く不自然に聞こえない。おそらくほとんどの人はテンポの変化に気づいてさえいないのではないか。

 また、台詞の読み方が素晴らしい。語りのプレーヤーには役者系とアナウンサー系とがいて、平野さんは後者だが、役者系のプレーヤーも顔負けなほど表情が巧みだ。例えば「しだれ桜」の最後のシーンは、死んだカメラマンと愛人関係にあった主人公の女が、故人を偲ぼうと思い出のしだれ桜を見に行って、男の妻と偶然出会い、会話する(妻は主人公が愛人であったことを知らない)というシチュエーションだ。この短い紹介だけでも想像できると思うが、極めて繊細な心の揺れ動きを表現しなくてはならない。それを平野さんはまことに巧みに聞かせてくれる。主人公の気持ちが手に取るようにわかり、聞き手はまざまざと内面のドラマを目撃する。

 ところで、語り・朗読を聞くときに、私が一番注目しているポイントがある。それは「言葉がどこから出ているのか?」ということだ。講演や、講談・落語のようなものとは違って、語り・朗読の場合、言葉を書いているのは作者だ。作者が書いた文字を、語り手が声にして発するのである。しかし、語りの場における理想の形は、作者は消え、まるでプレーヤーがたった今、その言葉を思いつき、発したかのように聞こえることであろう。そうでなければ言葉は生きたものにはならない。私はこれを「言葉の自由度」と呼んでいる。

 「いかに言葉の自由度を獲得するか」は、語り手にとって最重要の課題のはずである。

 このことに関連して、平野さんの語りで一つ発見したことがある。今回の「冬薔薇」は、先にも述べたように朗読で行われた。つまり、文字に目を落とし、声を発する、という二つの手順を繰り返したわけだ。この文字に目を落とすことと声を発することとの間に、平野さんはとても重要な手続きを行っていたのである。それは「表情をつくること」。目に映った文字をダイレクトに自動的に音声に変換するのではなく、書かれている言葉の情景・表情・内面といったものを思い浮かべ、しかる後に声として発していたのである。

 言い換えれば、作家が書いた言葉を、一度自身の中で身体化しているのだ。これは、私に言わせれば、言葉の自由度を獲得するための平野さん流の方法である。この過程によって、作家の言葉はかなりの程度(100%とは言わない)語り手自身の言葉になり得ていたのである。

 以下は余談に属する話だが、表情が言葉に先行するのを見て、私は五街道雲助師の高座を連想した。雲助師は高座で複数の人間の会話を演ずる場合、上下を切り替えてすぐには言葉を発しない。まず顔の表情を作り、その後に言葉を発するのだ。このことによって、言葉の奥の人間ドラマが聞く者に確実に伝えられるのだ。

 平野さんの語りは、朗読とほとんど変わらない間合いを持っている。つまり、朗読で垣間見えた自由度獲得のための過程は、語りにおいても内在していると言ってよい。平野さんの語る言葉が生きている秘密の一端は、間違いなくこの点にあると思う。

 瀬戸内寂聴『花情 愛蔵版』(2002年、海竜社)を読んだ。これは素晴らしい短編集だ。この人の小説は以前に世阿弥を描いた『秘花』を読んでいて、あまり感心しなかったので、それだけの作家だと思っていたのだが、とんでもなかった。謹んでお詫びします。

 元は草月流の機関紙『草月』に昭和51年(1976)から54年(1979)まで連載されたもので、1980年に文藝春秋から単行本が出版された。後に文春文庫からも出されたが、現在では両方とも絶版だそうだ。私が持っているものは海竜社から出された愛蔵版と称する単行本。初出時点では著者の名前は瀬戸内晴美だったはずだ。

 何らかの花にちなんだ女の愛の物語。変化に富んでいて、十五の短編のすべてが良い。駄作なし。

 もちろん女の視点から描かれていて、男の描き方は平板だったりもするが、それは「欠点」とは言えない。「芸術は視点」だから、それでいいのだ。とはいえ、ときおり男の心理の深いところが書かれていたりするので、油断できない。

 電車に乗るたびに一編ずつ舐めるように読んだ。読み終わると頭の中で反芻して余韻を楽しんでいたくなるので、続けて読むことができなかった。何度も繰り返し読みたい一冊だ。

 1、冬薔薇
 2、梅
 3、鬱金桜
 4、罌粟
 5、桔梗
 6、女郎花
 7、柊
 8、しだれ桜
 9、石楠花
 10、てっせん
 11、曼殊沙華
 12、枯蓮
 13、水仙
 14、沈丁花
 15、ライラック
 あとがき

 朗読・語りのトッププレーヤーがこの本に収録されている小説を読んでいる。「しだれ桜」「曼殊沙華」を平野啓子さんが、「枯蓮」を幸田弘子さんが取り上げている。

 一語一語がよく彫琢されて、フィギュールに満ちているので、女性が朗読するにはうってつけの素材だろう。と同時に、語り手の技量を問われる素材でもあると思う。

 実は今日の夕方、平野さんが「冬薔薇」を語るのを聞きに行くのだ。楽しみ楽しみ。


 結末を割ってます。

●アガサ・クリスティー『愛の旋律』(中村妙子訳、2004年、クリスティー文庫75)

 クリスティーの書いたミステリでも冒険物でもない普通の小説。まあ、「普通の」というのもよくわからないけれども。恋愛小説というと近いかも知れないが、ハーレクイン・ロマンスみたいなものとは違う。

 イギリスではメアリ・ウェストマコットの名で出版されたが、日本では最初からアガサ・クリスティー名義で出された。原題を直訳すると「巨人の糧」。

 原作は1930年出版。この年クリスティーはほかに、ミステリ長編『牧師館の殺人』、ミステリ短編集『謎のクィン氏』、戯曲『ブラック・コーヒー』を出版している。

 以下内容メモ。

 第一部 アボッツ・ピュイサン。
 バーミンガムのアボッツ・ピュイサンという美しい家に住むヴァーノン・デイアの、幼児期から少年期まで。ヴァーノンは独特の空想の世界にいる(作者は、一般的に幼児とはそういうものだとして書いているのか、ヴァーノンの特異性として書いているのか、よくわからなかった。後者だとすると、やや自閉症スペクトラムに近い気がしたが、成長後はその要素はあまり感じられなくなる)。
 母親マイラ・デイアとは気が合わない。マイラは夫のウォルターとも気が合わない。
 従妹のジョー(ジョセフィン)・ウェイト、隣家に越してきたユダヤ人セバスチャン・レヴィンと親友になる。

 第二部 ネル。
 ヴァーノンは20歳になっている。
 音楽への目覚め(それまでは音楽に対して嫌悪感を抱いていたが、あるコンサートへ行ったことで、電撃的に音楽に目覚め、作曲家を志す)。
 金持ちかどうかというメルクマールが描かれている(とりわけ幼友達のネル・ヴェリカーをめぐって)。

 第三部 ジェーン。
 不思議な魅力をもった歌手ジェーン・ハーディングの存在がヴァーノンにとって重要な意味をもってくる。ジェーンは、ヴァーノンの処女作を歌い、声をつぶした。
 ヴァーノンは成長したネルの美しさに目を奪われ、やがて愛し合うようになる。しかしネルは、ヴァーノンとの生活に不安を感じ、アメリカの富豪ジョージ・チェトウィンドを選んだ。
 しかし、戦争がはじまり、ネルはヴァーノンの元へ帰って来た。二人は結婚した。

 第四部 戦争。
 ヴァーノンは応召。
 ネルは看護婦になる(看護婦の世界をめぐるネチネチした人間関係がよく描写されている)。
 ヴァーノンが戦死したという報せが届く。ネルはチェトウィンドと再婚する。
 しかし、ヴァーノン戦死の報せは誤報だった。ドイツ軍の捕虜になっていたのだ。彼は新聞でネルの再婚を知り、車に飛び込んで自殺する。

 第五部 ジョージ・グリーン。
 ヴァーノンは生きていた。記憶喪失になり、ジョージ・グリーンとしてブライブナーの運転手として働いていた。アボッツ・ピュイサンはチェトウィンドがネルのために買い、今は二人が住んでいた。あるときヴァーノンは、運転手としてアボッツ・ピュイサンを訪れた。セバスチャンらはヴァーノンが生きていたことを知る。
 ヴァーノンは次第に記憶を回復してくる。しかしそれは思い出したくないことを思い出すことでもあった。
 ネルは、ヴァーノンとチェトウィンドの間で煩悶するが、結局安定した生活を保証してくれるチェトウィンドを選んだ。
 ヴァーノンはジェーンと暮らす。心では音楽を欲しているけれども、どうしても作曲する気持ちにはなれなかった。
 ジョーがニューヨークで倒れたという報せが届く。ジョーを愛していたセバスチャンはいち早く駆けつけた。ヴァーノンとジェーンも船で向かった。
 しかし、ヴァーノンとジェーンが乗った船が氷山に激突して沈没した。ヴァーノンは生きていたが、ジェーンは死んだ。
 セバスチャンは、ヴァーノンを慰めようとしたが、ヴァーノンは「ジェーンは自分が殺した」と言う。同じ船にたまたまネル夫妻も乗っていて、船が沈没する間際、ヴァーノンはジェーンとネルのどちらか一方だけを救える状況にあったが、彼はネルに手を差し伸べたのだった。
 ヴァーノンは自分がいかにジェーンを愛していたかに気づいた。音楽が自分に降りてきて、無性に作曲がしたくなった。

 主な登場人物。

 ヴァーノン・デイア:主人公。アボッツ・ピュイサンの本来の継承者。空想の世界で遊ぶ幼児期を送る。音楽に目覚め、作曲家を志す。ジョー、セバスチャンとは生涯の友情を保つ。歌手のジェーンとは不思議な縁で結ばれる。成長したネルを愛する。
 ジョー・ウェイト:ヴァーノンの従妹。安定した生活のようなものに魅力を感ぜず、苦労や不幸を自ら買って出るような生き方を選ぶ。セバスチャンに愛され求婚されるが、事業家として成功する彼を選ぶことはなかった。
 セバスチャン・レヴィン:アボッツ・ピュイサンの隣に越してきたユダヤ人。後に事業家として成功する。ジョーに惚れるが、結婚は断られる。
 ジェーン・ハーディング:不思議な魅力をもったオペラ歌手。芸術の深遠を見ている。ヴァーノンの才能を高く買い、歌手としてのどをつぶしてしまうことがわかっていながら、彼の処女作を自ら歌う。
 ネル(エリナー)・ヴェリカー:ヴァーノンの幼友達。苦しい生活を送っており、安定した生活に憧れている。ヴァーノンは少女時代のネルには魅力を感じないが、成長したネルの美しさに魅せられてしまう。やがて二人は愛し合うようになる。ネルは二度にわたってヴァーノンではなく、富豪のチェトウィンドを選ぶが、「打算的」というのとは違うと思う。
 ウォルター・デイア:ヴァーノンの父。妻とは気が合わない。戦死する。
 マイラ・デイア:ヴァーノンの母。
 ジョージ・チェトウィンド:アメリカの富豪。一貫してネルを愛する。

 この小説で描かれているもの。

 幼児期の空想世界。
 
 母親との齟齬。マイラ・デイアは、自分では良い妻・良い母でいるつもりだが、実は「役割演技」に陶酔したような人物として描かれている。この描き方はまことにリアルであり、クリスティーの鋭い人間観察が光っている。

 金と生活との関係。金持ちかどうかがその人の生き方に関わってこざるを得ないという事実。

 芸術と生活との葛藤。ヴァーノンとジェーンは芸術側の人間であり(ジョーも近い。セバスチャンはよき理解者という位置づけである)、生活側の人間であるネルと対立している。

 翻訳で気になったところがあったのでメモしておく。

> 世界の果てばてから王や騎士が彼女の手を求めてやってくる。(P.335)

 「果てばて」というのはこなれない日本語だ。翻訳でこういう日本語を読みたくない。

> ネルとは週に一、二度会った。慌しい、満ち足らわぬ逢瀬だった。(P.348)

 「満ち足らわぬ」は、「満ち足りぬ」の自発ないし婉曲表現だろうが、極めてこなれが悪い。

> 賭けるなら、すべからくいい賭博師になって、負けてもあたふたしないことね。(P.400)

 「すべからく」の誤用。なお、

> 美というものはすべからく、あらゆる階級の人々に理解さるべきだというのが私の持論でして。(P.539)

 ここは正しい使い方になっている。おそらく偶然であろう(^_^;)。

※追記(2017.1.7)

 おそらく多くの読者にとって、ヴァーノンが作曲しようとしていた究極の音楽の姿―それはプロローグに示唆されている―がピンとこないのではないか。というのも、ヴァーノンの音楽を聞いた人々の反応が「賛否両論」だからだ。

> 「退廃的……病的……神経症的……小児的……」といったいいぐさは批評家連中のそれだった。
「すごいわ……ふるいつきたくなるよう……うっとりするわ」というのは女性たち。
「なんてことはないね。いわば大掛かりなレヴューってところじゃないか」
「『機械』と題する第二部の効果は驚倒すべきものだったね(略)」(P.10)

 物語の流れからいえば、天才音楽家のヴァーノンが幾多の愛の苦悩を経験し、それらを糧にしてようやく実を結んだ作品であるのだから、人々から絶賛されてしかるべきであろう。読者のカタルシスを最終目的とする大衆文学の語法からは、それが当たり前の結論である。ディーン・R・クーンツなら間違いなくそう書いていたはずだ。
 そうした読者の当惑を予想してのことだろう、解説の服部まゆみはこの小説が書かれた時代の芸術状況について説明している。

> 二十世紀初頭は、芸術――美術、音楽、文学、演劇、舞踊、そして思想の革命――古い文化に反旗を翻したアバン・ギャルドの寵児たちの時代だった。(P.650)

 そして、

> ヴァーノンの求めるものは今までの音楽ではない未来の音楽である。(略)どうやら一九二一年に十二音技法を発見し無調音楽の体系を作り上げたシェーンベルク風の音楽らしい。(P.652)

 と書いている。ただし、プロローグを読む限り、それは十二音技法を明確にイメージしているというよりは、ミュージック・コンクレート的な要素も強い、もう少しあいまいなイメージのような気がする。そして、演奏が賛否両論を巻き起こしたという点については、ストラヴィンスキー『春の祭典』の初演(1913年)が作者の頭にあったのかも知れない。
 いずれにしても、服部さんの解説がなければこんなことは考えず、なんとなくおさまりの悪さを感じて読書を終えただろう。まことに痒い所に手が届く、素晴らしい解説だ。

 ネタを割ってます.

●アガサ・クリスティー『牧師館の殺人』(羽田詩津子訳、2011年、クリスティー文庫)

 原書は1930年出版。
 ミス・マープルのデビュー作。以後ミス・マープル物は、ポアロ物と並んでクリスティー作品の二枚看板となる。

 舞台はセント・メアリ・ミード村。牧師館の一室で治安判事のプロザロー大佐が殺されているのが見つかった。プロザロー大佐は、村中の者に嫌われていた。やがてローレンス・レディングが自首して出た。その後にアン・プロザローも自首した。が、二人は互いにかばい合っていたことがわかる。真犯人は誰か?

 ジェーン・マープル:セント・メアリ・ミード村に住む老嬢。
 レオナルド・クレメント:牧師。この作品はレオナルドの一人称で書かれている。
 グリゼルダ・クレメント:レオナルド牧師の妻。物語の末尾で腹に子どもができていることがほのめかされる。
 デニス・クレメント:レオナルド牧師の甥。
 ホーズ:副牧師。
 プロザロー大佐:治安判事で、牧師館で殺されているのを発見される。みんなに嫌われている。
 アン・プロザロー:プロザロー大佐の妻。ローレンス・レディングと愛し合っている。一旦は自首して出るが、それは偽計。実は殺人はローレンス・レディングと共謀して行ったのだった。
 レティス・プロザロー:プロザロー大佐の娘。実は母はレストレンジ夫人。
 ローレンス・レディング:画家。アン・プロザローと愛し合っている。一旦は自首して出るが、それは偽計。実は殺人はアンと共謀して行ったのだった。
 ヘイドック:医師。
 エステル・レストレンジ:謎めいた女性。実はレティスの母で、余命いくばくもない。ヘイドック医師とは古い友人。
 ストーン博士:考古学者。実は名うての泥棒。
 グラディス・クラム:ストーン博士の秘書。
 アーチャー:ならず者。
 プライス・リドリー夫人:ミス・マープルの友人。
 ミス・ウェザビー:ミス・マープルの友人。
 ミス・ハートネル:ミス・マープルの友人。
 レイモンド・ウエスト:ミス・マープルの甥。作家。本作ではさほど活躍しない。
 ハースト:巡査。
 スラック:警部。
 メルチェット大佐:警察本部長。

 物語の傍流に当たるが、ストーン博士と秘書のミス・クラムが話題になるところがある。

> 「ちょうど話していたところですのよ」グリゼルダが甘ったるい声でいった。「ストーン博士とミス・クラムのことを」
 デニスの作ったふざけた歌が頭をよぎった。
「ミス・クラムにその気はまるでなし」
 わたしはそれを口にして、みんなの反応を見たいという衝動に駆られたが、幸いどうにか思いとどまった。(P.30)

 この「ミス・クラムにその気はまるでなし」というのがどうもわからない。おそらく原文では韻を踏んでいるのではないだろうか。そう思って、別の訳(中村妙子訳、新潮文庫、『牧師館殺人事件』)を調べてみた。

> ミス・クラム
 石(ストーン)に
 目がくらむ(P.24)

 となっている。ストーン博士と石(ストーン)がかけてあり、なおかつミス・クラムと目が「くらむ」がかけてある。技ありであろう。
 とはいえ、羽田は、いくら中村訳に技があるとはいっても、それをそのままいただくことはできないわけで、ここらあたりが新訳者の苦しいところではないだろうか。新訳が常に良いというわけではない、ということでもある。
 田村隆一訳ではどうなっているのか。旧版のクリスティー文庫を入手したら、調べてみようと思う。

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