芸の不思議、人の不思議

「今月の『リコーダー吹けるもん』」随時更新中。 大友浩による「芸」と「人」についてのブログです。予告なくネタバレを書くことがあります。

 2020年に見た映画のリストとメモ。
 昨年は映画見なかったなあ。5月まででなんと1本しか見ていない。その後6月から12月までで37本。
 昭和30〜40年代高度経済成長期の日本映画が多かった。
 収穫の一つは、石井輝男監督の《地帯》シリーズを全部見たこと。ほかに良い映画もいくつかあった。

▼リスト(見た順)

『翔んで埼玉』(2019年、武内英樹監督、日本)
『美女と液体人間』(1958年、本多猪四郎監督、日本)
『釣りバカ日誌』(1988年、栗山富夫監督、日本)
『銀座二十四帖』(1955年、川島雄三監督、日本)
『白線秘密地帯』(1958年、石井輝男監督、日本)
『電送人間』(1960年、福田純監督、日本)
『ガス人間第1号』(1960年、本多猪四郎監督、日本)
『しとやかな獣』(1962年、川島雄三監督、日本)
『江戸川乱歩の陰獣』(1977年、加藤泰監督、日本)
『ニノチカ』(1939年、エルンスト・ルビッチ監督、アメリカ)
『ニューオリンズ』(1947年、アーサー・ルービン監督、アメリカ)
『黒の奔流』(1972年、渡辺祐介監督、日本)
『ゴルゴ13』(1973年、佐藤純彌監督、日本)
『ゴルゴ13 九竜の首』(1977年、野田幸男監督、日本)
『HOUSE』(1977年、大林宣彦監督、日本)
『黒線地帯』(1960年、石井輝男監督、日本)
『RANMARU 神の舌を持つ男』(2016年、堤幸彦監督、日本)
『黄線地帯』(1960年、石井輝男監督、日本)
『キートンの大列車追跡』(1926年、バスター・キートン監督、アメリカ)
『十六文からす堂 千人悲願』(1951年、萩原章監督、日本)
『ザ・スパイダースの大騒動』(1968年、森永健次郎監督、日本)
『必殺仕掛人』(1973年、渡邊祐介監督、日本)
『必殺仕掛人 梅庵蟻地獄』(1973年、渡邊祐介監督、日本)
『必殺仕掛人 春雪仕掛針』(1974年、貞永方久監督、日本)
『オペラ座の怪人』(2004年、ジョエル・シュマッカー監督、アメリカ)
『鑑定士と顔のない依頼人』(2013年、ジュゼッペ・トルナトーレ監督、イタリア)
『セクシー地帯』(1961年、石井輝男監督、日本)
『チャーリーとチョコレート工場』(2005年、ティム・バートン監督、アメリカ)
『火線地帯』(1961年、武部弘道監督、日本)
『ギターを持った渡り鳥』(1959年、齋藤武市監督、日本)
『なにはなくとも全員集合!!』(1967年、渡邊祐介監督、日本)
『グーニーズ』(1985年、リチャード・ドナー監督、アメリカ)
『鬼滅の刃 無限列車編』(2020年、外崎春雄監督、日本)
『清須会議』(2013年、三谷幸喜監督、日本)
『利休』(1989年、勅使河原宏監督、日本)
『ペット・セメタリー』(1989年、メアリー・ランバート監督、アメリカ)
『寄生獣』(2014年、山崎貴監督、日本)
『寄生獣 完結編』(2015年、山崎貴監督、日本)

▼メモ

『翔んで埼玉』(2019年、武内英樹監督、日本)
 面白かった。埼玉を貶めている根拠である「東京=都会性」が陳腐極まる描かれ方をしているので、結局この作品は、埼玉をディスるのではなく、ブランド志向そのものの陳腐さを皮肉っている。
 土地柄を「差別」として戯画化するという手法は、私の知る限り、三遊亭円丈が発明したのではないかと思う。
 「家を建てよう、春日部に!」ぎゃははは。
 「与野は黙ってろ!」わはははは。
 習字に「刺身」。だはははは。

『美女と液体人間』(1958年、本多猪四郎監督、日本)
 特撮監督は円谷英二。特撮物で佐原健二主演だからほぼ『ウルトラQ』。白川由美はきれいだけど何だかなあ。歌はサラ・ヴォーンみたいな声のちゃんとしたジャズ歌手が吹き替えしてる。

『釣りバカ日誌』(1988年、栗山富夫監督、日本)
 シリーズ第一弾。濱田岳が主役をやったテレビドラマ版と同時に見た。スーさん(三國連太郎)に社長らしい威厳がある。リアルに演じているのだなと思う一方、シリーズが進んで練れてくれば変わるような気もする。この後も少しずつ見ることにしよう。

『銀座二十四帖』(1955年、川島雄三監督、日本)
 三橋達也、月丘夢路。ある絵の作者をめぐって、月丘夢路の思いと、ヒロポン密売がからむ。物語は銀座を舞台に展開する。面白かった。川島雄三は「現在」を描きたいんだ、ということがわかった。それも、田舎ではなく都会の現在。昭和30年の銀座の風景が、なんとも興味深い。古い映画はこれがあるから面白い。15歳の浅丘ルリ子がかわいい!

『白線秘密地帯』(1958年、石井輝男監督、日本)
 宇津井健、三原葉子。トルコ風呂の女が殺された。事件を追っていくと秘密クラブと称する売春組織があった。セミドキュメンタリー風の運び。宇津井健がぽっちゃり。天地茂、菅原文太が悪役で出ている。《地帯》シリーズ第一弾。

『電送人間』(1960年、福田純監督、日本)
 鶴田浩二、白川由美、中丸忠雄。東宝の変身人間シリーズ第2作。お化け屋敷で銃剣で刺殺されるという事件が発生。14年前の終戦の日に、軍の金を横領しようとした上官らに殺されかけた男による復讐だった。男は「電送」によって意外な場所に現れる。(ネタバレ)火山の爆発により、電送の途中で装置が故障して犯人が滅びるという身も蓋もない結末。
 特撮監督は円谷英二。特撮物=子ども向けではない。大人向けに作られていて、キャバレーの店内などセクシーな場面もある。
 軍国キャバレー「DAIHONEI」という店が出てくる。いわゆる戦後が終わり、こういうことがギャグにできる時代なのだろう。「やけにヒリヒリするな、これなんて酒だい?」「焼夷弾よ」なんて会話がある。

『ガス人間第1号』(1960年、本多猪四郎監督、日本)
 東宝の変身人間シリーズ第3作。シリーズ中随一の作品。実験の失敗でガス人間になった男(土屋嘉男)が、日本舞踊家本・藤千代(八千草薫)の発表会を開かせるために、銀行強盗や殺人を犯す。特撮物だが一種の悲恋物語にもなっている。
 八千草薫の美しいこと(はっきりと「美しく」撮っている)。日本舞踊を踊る場面が見せ場になっている。囃子方には本物の長唄連中が参加している。
 円谷英二が「ガス」をどう表現するか苦労したことが漏れ伝わるが、はるか前に撮られた『奥様は魔女』(1942年、ルネ・クレール監督、フランス)のほうがはるかに上手にスマートに撮っている。円谷はこの映画を知らなかったのだろうか?

『しとやかな獣』(1962年、川島雄三監督、日本)
 団地に住む一家は、揃いも揃って他人を騙して金をせしめようとする。その他の登場人物もほとんど裏のある人間ばかり。川島雄三にとって高度経済成長期の人間像はそのようなものなのだろう。伊藤雄之助、山岡久乃、若尾文子。
 オープニング、エンディングそのほかの場面で能の囃子が使われている。階段を象徴的に見せている。
 高度経済成長期、人間をエゴイズムの塊と捉える認識は割合広く見られる。山崎豊子『白い巨塔』、ジョージ秋山『銭ゲバ』など。

『江戸川乱歩の陰獣』(1977年、加藤泰監督、日本)
 あおい輝彦、香山美子。原作はだいぶ前に読んであまり覚えていないが、だいぶ違うような。乱歩の「この世のほかの」美学を映像化しようとして、なんだか陳腐になってしまった印象。乱歩を映像化するの、実は難しいと思う。

『ニノチカ』(1939年、エルンスト・ルビッチ監督、アメリカ)
 舞台はパリ。ソ連から来たガチガチの共産主義者ニノチカ(グレタ・ガルボ)に、レオン・ダルグー伯爵(メルヴィン・ダグラス)は恋をするが…。共産主義を皮肉ったというより、要するに小粋な恋の物語だ。脚本にワイルダーも参加。

『ニューオリンズ』(1947年、アーサー・ルービン監督、アメリカ)
 最高だった。
 1917年、ニューオリンズでオペラ歌手の卵・ミラリー(ドロシー・パトリック)は、カジノ酒場の経営者デュケイン(アルトゥーロ・デ・コルドヴァ)と出会い、愛するようになる。そして、ラグタイムという新しい音楽を知る。そこでは、「白人社会=高級=クラシック」vs「黒人社会=低級=ラグタイム」という厳然たる区別があった。やがてデュケインらはニューオリンズを追い出され、シカゴに逃げる。他方、ミラリーはデュケインを諦めオペラ歌手として成功する。シカゴでラグタイムはジャズと名を変え、新しい時代の音楽として世界の人に愛されるようになる。デュケインは、ウディ・ハーマンをニューヨークのシンフォニーホールに出演させたいと交渉するが、支配人は許さなかった。ミラリーのリサイタルが同ホールで開催され、デュケインは招待された。彼女はアンコールで「ニューオリンズ」を歌った。ハーマンはじめジャズバンドのメンバーもステージに上がった。
 ジャズ史のある側面をきちんと描いている。つまり、中心がニューオリンズからシカゴへ移って、ジャズがジャズとして成立したという。ルイ・アームストロング、ビリー・ホリデイ、ウディ・ハーマンら、本当にジャズ史を作ってってきた本物のミュージシャンが出演し、生き生きと演奏している。これだけでも見る価値がある。
 もちろんシカゴでのギャングとの関係等、描かれていないこともある。それは仕方のないことだ。それと、最後のシンフォニーホールの場面、ステージに登場するジャズメンはハーマンはじめ全員白人なのだ。物語上の重要度から考えても当然サッチモはそこにいなければならない。だが、ジャズが人々に受け入れられたといっても、まだ時代はそこまで行ってなかったのだ。映画のせいではない。時代の限界だったのだな。
 映画が公開された1947年はビバップの全盛期だ。マイルスやコルトレーンが活躍していた。つまり、ジャズはその時点ですでに振り返るべき「歴史」を持っていたことになる。

『黒の奔流』(1972年、渡辺祐介監督、日本)
 山崎努、岡田茉莉子。松本清張原作だが、設定が色々変わっているらしい。のしあがろうとする若い弁護士と、殺人事件の被告の女との欲望がぶつかり合う。

『ゴルゴ13』(1973年、佐藤純彌監督、日本)
 高倉健。すがすがしいほどの駄作で、却って面白かった。全編海外ロケだそうな(ほとんどがイランと思われる。イラン革命前のパーレヴィ国王の時代のイラン)。出演者も主役以外は全員外国人。でも、テイストはベタベタの日本映画。

『ゴルゴ13 九竜の首』(1977年、野田幸男監督、日本)
 千葉真一。だから当然アクション映画。駄作ではないが凡作。撮影地は日本と、まだイギリスの植民地だった香港。音楽がどうしても《必殺》シリーズと同じテイストに聞こえてしまうので平尾昌晃かと思ったら、伊部晴美という人だった。
 駄作だとか凡作だとか勝手なことを言っているが、こういう映画が見られる状態にあること自体が、とてもありがたい。それに、駄作も凡作も、楽しく見てる。Huluには感謝してます。

『HOUSE』(1977年、大林宣彦監督、日本)
 大林宣彦の劇場映画デビュー作。ファンタジック・コミカル・ホラー。池上季実子、神保美喜、大場久美子ら7人の少女が、夏休みに田舎の家に泊まりに行くが、そこで一人ずつ消えていく。大林の少女趣味美学をこっぱずかしく思いながらも、面白かった。特撮、編集の技を駆使して、観客の目と耳を引きつけていく。その密度がすごい。ホラーでありながら、あくまでも明るく陽気に語る。編集が前に出過ぎることもあり、ときどきモンティパイソンかとも思う。
 以下ネタバレあり。
 家が人を食うというアイディアについて、大林は、当時12歳の娘の思いつきだというが、水木しげるの作品(「古道具屋の怪」1966年)に既に書かれている。たしかこの水木作品も、欧米の怪奇小説の原作があるんじゃなかったか…。
 教師役の尾崎紀世彦は、どうしても志村けんにしか見えない。
 池上季実子の父の再婚相手の鰐淵晴子は、宝飾デザイナーの超美人で、鰐淵のところには必ず風が吹いていて、長いスカーフがなびいている。

『黒線地帯』(1960年、石井輝男監督、日本)
 《地帯》シリーズ第二弾。天地茂、三原葉子。トップ屋の天地が目を覚ましたら、隣で踊り子が絞殺されていた。天地は自らの潔白を証明すべく、麻薬密売・売春組織と対決する。フィルム・ノワール。テンポが速く、ショット、演技、音楽がスタイリッシュ。舞台は新宿と横浜の繁華街。音楽はジャズで、とりわけドラムスが活躍(ドラムスだけの時間がかなりある)。極上のエンターテインメント。

『RANMARU 神の舌を持つ男』(2016年、堤幸彦監督、日本)
 ドラマ『神の舌を持つ男』を見た後で見た。向井理、木村文乃、佐藤二朗。どちらもご飯食べながら見るのに邪魔にならない面白さ。堤監督は『トリック』の監督。やっぱり作り方が似てる。安定の面白さ。

『黄線地帯』(1960年、石井輝男監督、日本)
 《地帯》シリーズ第三弾。面白かった。天知茂、三原葉子、吉田輝雄。天地茂は悪い奴しか殺さない殺し屋。騙されて悪くない税関長を殺し、追われる羽目に。なりゆきで踊子の三原葉子を道連れに、警察から逃げつつ騙した組織を追い、三原の婚約者で新聞記者の吉田輝雄は三原を追う。

『キートンの大列車追跡』(1926年、バスター・キートン監督、アメリカ)
 Primeに上がってたから久しぶりに見たけど、やっぱりキートンは最高だね。躍動する身体ここにあり。
 南北戦争で、出征志願しなかったために彼女からフラれそうになるキートン。だが、ひょんなことから大活躍する。
 この映画、私は『大列車強盗』というタイトルで録画を持っている。両方あるみたいだ。
 サイレントだから、編集で音楽が乗せられている。「オールド・ブラック・ジョー」「スワニー河」「峠の我が家」など、南北戦争当時を思わせる曲が使われていて素敵だ。フォスターって南北戦争中に亡くなってるんだね。
 キートンは南軍に所属している。『風と共に去りぬ』でも南軍側が描かれていた。私の大雑把な認識では、奴隷解放を訴えたのは北軍だから、正しいのは北軍…? でも、戦争の局面局面ではそんなこと言ってられないんだね。それに「敗者の美学」((C)神田愛山)というのもある。この事情は、幕末から明治初期を描いた大衆文学の多くが、薩長でなく徳川側に視点を置いているのと似ている気がする。そこには、敗者の美学のほかに、「今までの暮らしを壊すなよ」というネオフォビアがあると思う。

『十六文からす堂 千人悲願』(1951年、萩原章監督、日本)
 黒川弥太郎、大友柳太朗、市川春代。原作は山手樹一郎。いかにも山手らしい人物配置。展開がスピーディで飽きさせない。南部藩と津軽藩との争いに乗じて、将軍のお庭番が南部藩の取り潰しを画策。が、からす堂の活躍で失敗に終わる。
 道化役で横山エンタツと二代目桂春團治が出ている。レコード会社との提携だろう、所々で登場人物が歌い出す(節物の強さをこんなところにも感じる)。なお、Primeでのタイトルは単に『千人悲願』となっているが『十六文からす堂 千人悲願』が正しい。

『ザ・スパイダースの大騒動』(1968年、森永健次郎監督、日本)
 日活。ザ・スパイダースのアイドル映画。内容はまあ、くだらないと言って間違いはない(好きだけど)。堺正章と井上順が奈美悦子に惚れる。さらにもう一人嫌な男(川口恒)が現れてライバルになる。
 由利徹が掃除婦(夫じゃなくて婦)の役で出て結構活躍するほか、お賑やかしに獅子てんや・瀬戸わんや、青空はるお・あきおが出演している。

『必殺仕掛人』(1973年、渡邊祐介監督、日本)
 テレビシリーズを受けての劇場版第一弾。藤枝梅庵はテレビとは異なり田宮二郎が演じている。元締は山村聡。

『必殺仕掛人 梅庵蟻地獄』(1973年、渡邊祐介監督、日本)
 シリーズ第二弾。梅庵はテレビと同じ緒形拳。ほかに林与一、山村聡。悪役に佐藤慶、小池朝雄。

『必殺仕掛人 春雪仕掛針』(1974年、貞永方久監督、日本)
 シリーズ第三弾。緒形拳、林与一、山村聡。盗賊団の首領役に岩下志麻。仕掛人の緒形拳が命を狙われるくだりがある。三作の中では一番面白かった。地井武男が盗賊団の一人として登場するが、早めに殺されちゃう。

『オペラ座の怪人』(2004年、ジョエル・シュマッカー監督、アメリカ)
 再見。

『鑑定士と顔のない依頼人』(2013年、ジュゼッペ・トルナトーレ監督、イタリア)
 とても良かった。権威的な鑑定士ヴァージル(ジェフリー・ラッシュ)は、姿を現さない奇妙な依頼人に癇癪を起こしながらも、結局は引き受ける。やがて二人は愛し合うように。まあ映画の作り方がうまい。ミステリ仕立てで、客の興味をグイグイ引っ張っていきながら、なおかつ人生の機微を醸し出す。しかも(いくつかの要素で)「特殊」を扱いながら「普遍」を感じさせるのだ。『ニュー・シネマ・パラダイス』に似た雰囲気というかリズム感も。

『セクシー地帯』(1961年、石井輝男監督、日本)
 《地帯》シリーズ第四弾。三原葉子、吉田輝雄。会社重役や金持ちを相手に高級娼婦を派遣する組織を扱う。舞台は銀座。会社員の吉田輝雄は、スリの三原葉子から上司の書類(実は会員証)を掏られたために、事件に巻き込まれていく。とても面白かった。
 銀座に川があり、ボートを漕ぐ場面がある。ラストシーンも川だ。調べてみると銀座界隈には、外濠川、三十間堀川、築地川、京橋川、汐留川があり、ほぼ1960年頃までに埋め立てられている。残っているのは築地川か。今となっては貴重な映像だが、夜の場面なのが少し残念だ。
 所々に手持ちのカメラを用い、ぶれによって都会の混沌とした雰囲気を伝えている。ちょっとヌーヴェルバーグみたい。

『チャーリーとチョコレート工場』(2005年、ティム・バートン監督、アメリカ)
 ジョニー・デップ主演。貧しい家の子どもチャーリーが、金持ちでわがままな子どもたち4人とともに不思議なチョコレート工場に招待される。よくできたファンタジー。群舞というかマス・ゲームが見事。
 雪の降る風景に対する偏愛や、変わり者の主人公が抱える孤独感など、『シザーハンズ』と共通するものがある。
 原作は名作『あなたに似た人』のロアルド・ダール。

『火線地帯』(1961年、武部弘道監督、日本)
 《地帯》シリーズ最終第五弾。石井輝男は監督ではなく脚本で参加。天地茂、吉田輝雄、三原葉子。拳銃の売買をする闇組織とその上前をはねようとする男達。登場人物のほとんどが悪い奴。1967年に東京で死んだジャズ歌手ビリー・バンクスの歌が聞ける。

『ギターを持った渡り鳥』(1959年、齋藤武市監督、日本)
 小林旭、浅丘ルリ子、金子信雄、宍戸錠。ご存知《渡り鳥》シリーズ第一作。函館の歓楽街が舞台。内容は、まあ、つまり、そういうことである。

『なにはなくとも全員集合!!』(1967年、渡邊祐介監督、日本)
 ザ・ドリフターズ主演映画第一作。
 草津では、草津高原電鉄と一週間後に開通する西武バスとが対立関係にある。そんな中、草津駅に新しい駅長(三木のり平)が赴任してきて騒動が巻き起こる。ドリフの演技はコントの延長上。
 ドリフは荒井注の時代。中尾ミエが駅長の美しい娘という役で出演。この娘をバス運転手の古今亭志ん朝と駅員の加藤茶が争う。駅長夫人に丹阿弥谷津子、料理屋のマダムに水谷八重子(当時良重)、このお二人まことにお美しい。若水ヤエ子がいかりやの妻役で出演。若水ヤエ子好きだったので嬉しい。
 古今亭志ん朝は当時29歳。若々しい姿は志ん朝ファン必見。クレジットに「古今亭志ん朝(東宝)」とある。東宝の専属だったのだろう。映画は松竹の制作。
 草津高原電鉄は架空の鉄道だが、西武バスはもちろん実在する。調べてみると、軽井沢・草津間では東急と西武が張り合っていた由。実際の東急線の名称は草軽電気鉄道。1962年廃止、つまり映画制作時点では廃止されていた。
 監督の名前どこかで見たと思ったら、少し前に見た『必殺仕掛人』の監督だった。

『グーニーズ』(1985年、リチャード・ドナー監督、アメリカ)
 いたずら小僧たちが、海賊が隠した財宝を探しに出るが、ギャングのフラテリー一家から追われる羽目に。子供版インディ・ジョーンズ。子どもたちが宝探しに行く動機は、借金取りに家を取られるのを防ぐため。

『鬼滅の刃 無限列車編』(2020年、外崎春雄監督、日本)
 立川・東宝シネマズで見てきた。IMAXの迫力ある音響映像もさることながら、内容が良かった。ちょっとフィリップ・K・ディックを思わせるアイディアがすごいし、架空の物語ながら登場人物たちの「感情」は実はとてもリアル(現実的)だ。ちゃんと現代人が感情移入しやすく作られている。
 特典第三弾の初日ということで、小冊子をもらった。グッズを集める趣味はないが、声優さんたちの座談会・対談が載っていて興味深い。

『清須会議』(2013年、三谷幸喜監督、日本)
 大泉洋、役所広司、小日向文世。まあまあ面白かった。秀吉役が大泉洋なので、あまり野心に満ちた感じはしないな。

『利休』(1989年、勅使河原宏監督、日本)
 再見。原作を読み、利休のことを色々知ってから見ると、やはり見えてくるものがある。わかったことの一つは、この映画はワンショットワンショット全く無駄がないということ。
 以前にNHKで放送されたものを見たときには、冒頭に北野大茶会の様子をパンしていく場面があったのだが、これには無かった。波立つ花生けのショットも何か違うような。調べてみると、Hulu版は134分、NHK版は146分(解説込みかも。今すぐには確認できない)だった。編集の異なる版が存在するようだ。

『ペット・セメタリー』(1989年、メアリー・ランバート監督、アメリカ)
 一種のゾンビ映画。スティーヴン・キングらしいプロットのうまさはあるが、なんだかあまり目が惹きつけられなかった。原作の方が面白いのかな。

『寄生獣』(2014年、山崎貴監督、日本)
 原作のマンガを読んでいたので見たかった。なかなか面白い。人間に寄生し、支配する生物との戦い。というアイディアはよくあるものだが、プロットが良くできているのと、頭部が変形して化け物になるというヴィジュアルにインパクトがある。染谷将太。

『寄生獣 完結編』(2015年、山崎貴監督、日本)
 いよいよ本格的な戦いに。プロットがうまく、まあ面白かったけど、文句もある。その一。「生物全体のことを考えない人間が一番悪い」というようなことを寄生生物に言わせるのは陳腐。だって、その人間に寄生しなければ生きられないんだから。人間を悪者にしておけばよいというこういう設定は、安易なイデオロギー的環境論に通じて、子供騙しである。その二。凶悪犯・新井浩文との戦いに勝って染谷と橋本愛が幸せそうに抱き合って終わるが、この場面は杜撰すぎる。近くには新井と新井に喉を切られた被害者が倒れているのだ。新井に再び襲われる危険があり(あの一撃だけで死んだとは思えない)、二人の生死を問わず救急車を呼ぶ必要がある。
 余談だが、新井浩文、ピエール瀧、東出昌大、豊原功雄と、近年世間を騒がせた人たちが出演している。地上波では放送されないだろう。

▼特に印象深かった映画(再見含む11作)

『翔んで埼玉』
『しとやかな獣』
『ニノチカ』
『ニューオリンズ』
『HOUSE』
『キートンの大列車追跡』
『十六文からす堂 千人悲願』
『鑑定士と顔のない依頼人』
『チャーリーとチョコレート工場』
『鬼滅の刃 無限列車編』
『利休』

▼おまけ:2020年に見たテレビドラマ(抜粋)

『最後の晩餐 刑事・遠野一行と七人の容疑者』と『陽はまた昇る』
 Primeで『ドラマスペシャル 最後の晩餐 刑事・遠野一行と七人の容疑者』(2011年、秋山純監督、テレビ朝日)を見た。ドラマ『陽はまた昇る』を放映時に楽しく見たが、こらはその前段にあたる2時間ドラマ。設定に弱いところはあるが、運びがうまいのと、やはり佐藤浩市の魅力で面白く見た。
 で、続編の『陽はまた昇る(全9回)』(2011年、秋山純監督、テレビ朝日)を一気に再見してしまった。最初に見たときと同じように惹き込まれたし、ウルウルした。井上由美子の脚本がいい。伏線の張り方など構成が巧緻で、台詞に力がある。それを佐藤浩市を中心とする俳優陣がよく支えていた。
 「拳銃」と題された第3回では、初めて拳銃を持つことに対するプレッシャーが描かれる。人を殺すことのできる道具を常に身に着ける。そのことに対する「おそれ」(「恐れ」でなく「畏れ」だろう)を克服して初めて警察官になれるのだと。想像もしたことがなかったが、なるほどと思った。
 井上由美子の脚本に力があるというのは、このことが「成長」への「通過儀礼」として描かれていることだ。つまり、この物語は「成長」の物語としても味わうことができる。いちいち取り上げないが、小さな台詞一つとっても、そうした奥行きを随所に感じることができる。
 ただ、全体にいくらかの弱点、説得力不足を感じた点もあった。それについては、最初に見たときにブログに書いた。今回見ても感想はほとんど変わらなかったので、そちらにリンクしておこう。
『陽はまた昇る』#9(最終回)(2011.9.15)

『釣りバカ日誌』シーズン1&2
 Primeでテレビドラマ『釣りバカ日誌』シーズン1&2を見た。
 濱田岳、西田敏行、広瀬アリス。楽しかった! 映画は第一作しか見ていないが、映画とは違った楽しさが出て沸騰している。
 濱田岳は前から好きだったが、演技力の高さに改めて舌を巻いた。西田敏行という芸達者が、濱田の良さを引き出している。濱田岳の、心理を的確に伝えながらそれを笑いにつなげるセンスは、はっきり言って渥美清クラス。『釣りバカ日誌』は現在の代表作だろうが、今後はまり役に出会えば、ものすごい存在になると思う。
 一つ心配は西田敏行の体調だ。このドラマで西田の代わりをつとめられる人は、ちょっと思いつかない。
 ほかに、シーズン0というものと、単発のスペシャル版が2作あるのだが、有料なのでまた見ていない。いずれにしてもシーズン3を切望する。それが無理なら不定期でのスペシャル版をぜひ!

『惡の華』
 Netflixで『惡の華』(2019年、井口昇監督、日本)を見た。
 面白かった。伊藤健太郎、玉城ティナ、秋田汐梨、飯豊まりえ。
 思春期における世界との齟齬を描く。プロットが技巧的でうまい。「現実社会の閉塞感に自己認識を見出せず、遣る瀬無い自我を抱える3人の中学生のアイデンティティは互いに交錯し、儚い逸脱へと向かっていく。」というWikipediaの説明が、簡にして要を得ている。原作は押見修造によるマンガ。
 しかし、こんないわゆる純文学みたいな内容のものが、マンガとして商業ベースに乗っているというのは、今の若者の感性は大したものだと思う。それだけ切実さがあるということか。

 澤田ふじ子『利休啾々』(2003年、徳間文庫)を読んだ。

 単行本は1977年、講談社。
 6つの時代物短編を収めている。全体に面白かった。
 以下内容のメモ。結末を割っている場合があります。

1、無明の宿
 赤穂義士・間瀬久太夫の子息・定八は、国許で父らが本懐を遂げたことを知り、喜んだ。が、幕府の沙汰は切腹で、定八もそのあおりで島送りとなった。許嫁の伊勢は、仕送りをしようと、江戸に出て吉原に身を売った。が、定八は程なく死んでしまう。伊豆七島支配代官所与力の平岡伝蔵は、伊勢を騙して仕送りの金を着服する。
 忠臣蔵にリンクした短編。

2、暗闇心中
 機織職人の岩太は、隣家の心優しいおそでと夫婦になるつもりだった。が、おそでの母・お艶はあばずれで、家を出て悪い男・百松とくっついていた。お艶を連れ戻そうとする岩太だったが、百松に教われて逆上し、お艶を殺し自害した。傍目には無理心中に見えた。
 なかなかやるせない。

3、冬の虹
 おけいは宗助と夫婦になったが、宗助はその後やくざ者になり、人を殺めて島送りになった。おけいは貧しい浪人で、八重という女の子を抱える真壁源一郎と出会う。源一郎は敵を持つ身だったが、仇討ちは内心諦めていた。刀を捨てても良いとおけいに言って間もなく、源一郎は敵を見つけた。敵は討ち果たしたが、自身も傷を追って死んでしまう。
 「ロミオとジュリエット」的な、タイミングをめぐる技術的小説。

4、弥助の首
 昭和三年、斎藤辰三郎教授のもとに持ち込まれた頭蓋骨は、黒人の大男のものだった。信長に拾われ仕えた弥助ことエステバニコの首だと考えると辻褄が合うのだが…。エステバニコの生涯に思いを馳せた。
 弥助について(おそらく)少しの資料と想像力で膨らませていて面白い。

5、狐蕪村
 草薙清兵衛は、福山藩の祐筆だったが、本当は徘徊師になりたかった。妻の梅野は短歌に造詣が深く俳諧を見下していた。最近梅野は浮気をしているらしい。血を見るのが嫌な清兵衛は、芭蕉でなく蕪村風の一計を案じた。梅野が狐に騙されたという体でひと芝居打ったのだった。落ち着いた頃梅野を離縁。しばらくして清兵衛も脱藩した。
 芭蕉的な思想と蕪村的な思想の違いがややわかりにくいが、妙に印象に残る一編。

6、利休啾々
 利休像を彫った康正の一人称で書かれている。利休が切腹を命じられた一番の理由は、大陸への出兵は無謀であり、秀吉を井の中の蛙と言ったことにある、という解釈である。野上弥生子『秀吉と利休』と比べると記述が軽いが、それは仕方のないことだろう。
 茶の湯論に関して、「わし個人の好みを言えば、(略)わびの背後に確かな経済力のあることが我慢ならぬ。」と康正に言わせているが、なるほどと思った。


野上弥生子_秀吉と利休2_edited
 野上弥生子『秀吉と利休/野上彌生子全集 第十三巻 小説十三』(1982年、岩波書店)を読んだ。

 こりゃすごい。利休を描いた作品としてまず最初に読むべきものだと思った。資料をどれだけ読み込めばこれだけの描写ができるのか。利休と秀吉だけでなく、周囲の人間の心理等もまことに細かく描かれている。

 利休の自刃の原因については、利休と秀吉の心理の綾の結果だという書き方になっている。いかにも小説らしい。ちょっと『ロミオとジュリエット』のような。ただ、史実としてどうだったのかを考えると、桑田忠親が書いているほうが説得力がある。

 『中央公論』に昭和37年から38年にかけて連載された。著者は明治18年生まれ。書いた当時は77〜78歳。すごい筆力だ。その後昭和60年、99歳まで生きたので、全然晩年ではないが。明確には言えないが、小説にはその時代の刻印も感じられる。

 地の文の文体はもちろん現代語で、漢語が多く、特に前半は長いセンテンスも少なくない。台詞も、あからさまな現代語は避けている風でもあるが、やはり現代語である。

 台詞の中で「お父さん/お母さん」を多用するのには違和感がある。この語が使われるようになったのは明治末以降である(「山本一力『まねき通り十二景』」2017.9.19)。ことによると、両親を呼ぶスタンダードな呼び方として一般に定着したのは、戦後のことではないだろうか。この小説の初出は高度経済成長の真っただ中であり、「お父さん/お母さん」という言い方が、新しい時代のものであるということを忘れて、あたかも古くからあるスタンダードな語だと認識された時代だったとすれば、これも一つの時代の刻印だと言えるだろう。
野上弥生子_秀吉と利休_お父さん

 地の文に「宗二に、利休のひだの多い考へ方を飲みこませるのはむづかしい」というフレーズがあり(16頁)、「ひだの多い考え方」という言い回しが素敵だなと思っていたら、映画『利休』(1989年、勅使河原宏監督)の中で、宗二の台詞として使われていた。

 黄金の茶室を待庵との関係でどう考えるかについて、

> 極限的に豊かなものと、極限的に乏しいものとの対比のあひだに、双方のいづれにもひかれる自らのこころを、どう位置づけるか(16頁)

> 宗二の想像のごとく、迎合や、妥協や、あるひは媚びで利休はそれを建てたのではさらさらない。
 妙喜庵内の待庵によつて、いつぽう無にまで圧しつくした美の想像に悦びを見いだしたに劣らない意欲を、他方、黄金の茶座敷にもそそいだまでであつた。火焔に消滅したことで、いつそ活き活きと眼に残る安土の七重の天守閣、それの再現にほかならぬ大阪城のけんらん、華麗が象徴する限りなく豊満で、過剰な、美の時代感覚を、畳三ひらの黄金の空間に横溢させて見ようとした試みでもあつた。はなはだしく異質なる建物も、それ故に別種のものではなく、利休の利休らしい独創が、たまたま極の両端に表現されただけで、その意味からは、二つは一つのものに過ぎなかった。(17頁)

 という指摘は大変面白い。

 これは古い日本語なのか、著者の出身地大分の言葉なのか、私にとっては違和感のある言葉遣いがあった。いずれも複数回登場する。
 「欠ける」を「欠げる」と濁る。
 「みじん」を「も」を入れず、そのまま副詞として使う。
 「中途半端」を「中はんぱ」と言う。
 「云々」を「うん、うん」と書く。
 「のほほん」を名詞または形容動詞語幹として使う。
野上弥生子_秀吉と利休_言葉遣い

 「〜〜である理由は、〜〜ばかりではなかった」やこれに類する言い回しが多い。一種の書きぐせだろう。

今月の「リコーダー吹けるもん」を更新し、第12回「まきびと羊を」の動画を公開しました。(2020.12.12)
ブースケ《12のグラン・カプリース》全曲
を更新し、第6番の動画を公開しました。(2020.11.23)
今月の「リコーダー吹けるもん」
を更新し、第11回「トップ・オブ・ザ・ワールド」の動画を公開しました。(2020.11.22)
今月の「リコーダー吹けるもん」
を更新し、第10回「四月は愛しき人の顔に」の動画を差し替えました。(2020.11.22)
《ローマ帝国》シリーズ
をアップしました。(2020.10.20)
ブースケ《12のグラン・カプリース》全曲を更新し、第5番の動画を公開しました。(2020.10.18)
今月の「リコーダー吹けるもん」
を更新し、第10回「四月は愛しき人の顔に」の動画を公開しました。(2020.10.18)
カズオ・イシグロ『日の名残り』小説と朗読劇をアップしました。(2020.10.4)
ブースケ《6つのレクリエーション》全曲を更新し、第5番第6番の動画を公開しました。(2020.9.26)
ブースケ《12のグラン・カプリース》全曲
を更新し、第4番の動画を公開しました。(2020.9.26)
今月の「リコーダー吹けるもん」
を更新し、第9回「おいらは鳥さし」の動画を公開しました。(2020.9.26)
ブースケ《6つのレクリエーション》全曲
を更新し、第3番第4番の動画を公開しました。(2020.9.5)
ブースケ《12のグラン・カプリース》全曲
を更新し、第3番の動画を公開しました。(2020.9.5)
今月の「リコーダー吹けるもん」
を更新し、第8回「夕やけこやけ」の動画を公開しました。(2020.9.5)
ブースケ《6つのレクリエーション》全曲
をアップし、第1番第2番の動画を公開しました。(2020.8.9)
ブースケ《12のグラン・カプリース》全曲を更新し、第2番の動画を公開しました。(2020.8.8)

 Netflixで《ローマ帝国》シリーズ全3シーズンと、その続編と思しき《オスマン帝国》全1シーズンを見た。とても面白かった。
 ドラマだが、ところどころに研究者の解説が入るという、ドキュメンタリー的要素もある作り方。解説はドラマを全く邪魔していない。

▼『ローマ帝国 コモドゥス:血塗られた統治』(2016年)

 《ローマ帝国》第1シーズン。全6回。
 コモドゥスはマルクス・アウレリウスの息子で、全くやる気の無い二世皇帝であった。皇帝の座についた途端に、周囲の反対を押し切って北方ゲルマンとの戦争をやめた。
 180年から192年までの12年間の在位中戦争はなかったが、次第に独裁的になり、ローマを混乱に陥らせ、ローマ帝国衰亡のきっかけとなった。
 側近の裏切り、元老院との確執、自ら剣闘士としてコロセウムに立ったことなどが描かれる。

▼『ローマ帝国 ユリウス・カエサル:ローマ支配』(2018年)

 《ローマ帝国》第2シーズン。全5回。
 クラッススと共にスパルタクスらを打ち破ったカエサルは、ローマに凱旋しようとするところ、ポンペイウスが手柄を横取りする。
 ローマに帰ったカエサルは、クラッススとポンペイウスにうまく話をつけ、自分が執政官に就くことに成功する(三頭政治)。
 やがて二人からローマを追い出されたカエサルは、ガリアを攻め落とし、大きな戦功を上げる。クラッススは戦争で死に、権力はポンペイウスとカエサルの争いに。ポンペイウスは権力を奪われるのを恐れ、ローマに帰る途中のカエサルの指揮権を剥奪する。
 しかしカエサルは、兵を率いてローマ市の境界であるルビコン川を渡った(ローマとの内戦状態に)。不利を悟ったポンペイウスはエジプトに逃げる。追いかけるカエサルがエジプトに着いたとき、ポンペイウスは既にエジプトの若き王・プトレマイオスに殺されていた。カエサルはそこでプトレマイオス(弟)と王の座を争っているクレオパトラ(姉)と恋に落ちる。
 ローマに返ってきたカエサルは、混乱していたローマ立て直しのために奔走。権力はますます強大に。そこへクレオパトラが、カエサルの子の赤ん坊を連れて訪ねてくる。後継者の地位を脅かされると考えたブルータス(カエサルと愛人との子で、カエサルに可愛がられていた)は、他の元老院の人間と諮り、カエサルを暗殺する。

 やはりユリウス・カエサル(英語読みでジュリアス・シーザー)の物語は特別の面白さがある。「ルビコン川を渡る」という故事のもとになったエピソードがあり、シェイクスピアの戯曲『シーザーとクレオパトラ』の中の台詞「ブルータスお前もか」が頭に思い浮かぶ。
 ローマが共和制の時代。紀元前80年頃からカエサルの死(前44年)までが描かれている。キリスト教はまだ無かった。この時代の信仰がどうだったのかも興味深い。『ローマ帝国衰亡史』を読むときはその辺のことにも注意を払ってみよう。

▼『ローマ帝国 カリグラ:狂気の皇帝』

 《ローマ帝国》第3シーズン。全4回。
 ローマ帝国第二代皇帝のティベリウスは、評判の悪い皇帝だった。反対に、カリグラの父ゲルマニクスは、人々から人気の高い戦士であった。ティベリウスは、ゲルマニクスが自分の地位を脅かすと考え、彼を殺し、その家族も殺したり追放したりした。
 追放されていたカリグラだったが、ティベリウスに呼び寄せられ、一緒に暮らすことになった。彼はティベリウスの孫のゲメッルスと共に、後継者候補とされた。ティベリウスは死の間際、二人を共同皇帝として指名するが、カリグラはゲメッルスを殺して第三代皇帝になる。
 はじめのうちは評判の良かったカリグラだったが、「脳炎」で倒れてから狂気にとりつかれるようになる。命を狙われていると疑心暗鬼になり、周囲の者を次々に殺す。後継者に悩み、三人の妹たちと性的関係を結ぶ。妹たちは逆にカリグラの命を狙うが、失敗に終わる。
 財政が破綻しそうになり、元老院の人間を反逆罪として処断し、その財産を奪うことで穴を埋めようとする。さらに、ブリタニアへ戦争をしかけに遠征するが、何もできずに帰ってきてしまう。
 ついに、周囲の人たちが諮って狂気の皇帝を暗殺する。次に皇帝になったのは、叔父にあたるクラウディウスだった。

 カリグラが生きたのは西暦12年から41年。28歳で殺されている。在位は4年弱。人を裏切り陥れ殺して皇帝になったはいいが、今度は裏切られ命を狙われるのではないかと疑心暗鬼になり、最後は本当に殺されてしまう。ローマ帝国の歴史ってこのパターンの繰り返しなのか。

 このようにローマ帝国史について部分的に知ると、本を読みたくなる。いつか読もうと思って、ギボンの『ローマ帝国衰亡史(全10巻)』(ちくま学芸文庫)は発売時に買ってある。その前に入門書を一冊か二冊読んでからだなあ。

 そういえば、アイザック・アシモフの壮大な《銀河帝国の興亡史(ファウンデーション)》シリーズは、『ローマ帝国衰亡史』をヒントに構想されたんだった。いずれは《銀河帝国》のほうも時系列順に読んでみたい。

▼『オスマン帝国 皇帝たちの夜明け』(2020年)

 《オスマン帝国》シリーズと呼んでいいのかどうかわからないが、実質的に《ローマ帝国》シリーズの続編だと思う。研究者の解説が入る形式など、作り方が全く同じ。ローマ帝国が滅びる瞬間を扱っているから、内容的にもそうだ。
 全6回。
 難攻不落の東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを、オスマンの若き皇帝メフメト2世が落とす過程を描く。1453年5月29日、ローマ帝国は滅亡し、ヨーロッパ中世も終わった。

 実際に見たのは、この《オスマン帝国》が一番最初。これが面白かったので《ローマ帝国》シリーズも見たという次第。
 史実としては、カエサルの時代が最も早く、共和制ローマの最後の時代。カエサルの後間もなくローマは帝国となる。次が、カリグラの時代で、カエサルの少し後。ドラマは二代目と三代目の皇帝(ティベリウスとカリグラ)を扱っている。コモドゥスの時代はさらに100年少し後だ。コモドゥスの時代までがローマ帝国の最盛期で、この後帝国は衰退期に入っていく。『オスマン帝国 皇帝たちの夜明け』で描かれているのは、コモドゥスの時代から1200年以上後だ。この間ローマ帝国は、西と東に分かれ、神聖ローマ帝国ができたりして、西は滅び、東ローマ帝国だけが残っている状態。

 それにしても、権力者の周辺は殺し合いばかり。権力の座を狙って殺し、権力を守ろうと殺し、やがて彼は誰かに殺される。この一連のドラマを見てきて思うのは、「おごれる人も久しからず」「たけき者も遂にはほろびぬ」という権力者の末路だ。全部『平家物語』じゃねえか。

 朗読劇『日の名残り』を見ることになったので、予習を兼ねてカズオ・イシグロ『日の名残り』(土屋政雄訳、2001年、ハヤカワepi文庫)を読んだ。本は以前に買ってあった。
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 1956年7月、ダーリントン・ホールでダーリントン卿に執事として仕えていたスティーブンスは、ホールの新しい所有者でアメリカ人のファラディにも引き続き雇われていた。ファラディは、自分がアメリカへ帰る五週間のあいだ、車でイギリスを旅してくるようスティーブンスに勧めた。はじめは乗り気でなかったスティーブンスだが、かつてホールで一緒に働いていたミス・ケントン(現在はベン夫人)を訪ねることにしようと、旅に出ることに決めた。ホールでは現在、スタッフが不足しており、できればミス・ケントンに復帰を勧めようと考えたのだ。
 スティーブンスは主のフォードで西に向かった。さまざまな風景を見、いろんな人と出会いながら、かつてダーリントン卿のもとで働いていたときのことを思い出していた。ミス・ケントンとの関係についても。

 小説はスティーブンスの一人称で書かれている。一種のロードムーヴィーである(小説だからロードノヴェルか)。時は1956年。思い出す事柄は第一次大戦と第二次大戦の間の時期、概ね1920年代から30年代だろう。

 第一次大戦で敗戦したドイツは、戦勝国のイギリスやフランスから莫大な賠償金を負わされることになり、そのプレッシャーがナチスを生みだす背景となった。このことは直接小説には書かれていないが、これを知っていると話がぐっとわかりやすくなる。

 というのは、ダーリントン卿は、第二次大戦前における親ドイツ派であり、それゆえに第二次大戦後にさんざん苦しむことになるからだ。スティーブンスは物語の途中、「主が間違っていたら執事はどうすべきか?」という問いを突きつけられるが、「尊敬する主の見識を信じる」と答える。執事とはそういうものだという認識が彼にはある。

 そう。この小説は一貫して「執事とは何か」を述べている。

 スティーブンスの美学では、執事は、主の用件を完璧にこなさなければならず、常に冷静で取り乱してはならず、けっして私的事情を持ち込んではならない。執事としての「品格」「偉大さ」とはつまりそういうことである。

 思い出す事柄には、こうした「執事の美学」を全うしたエピソードが複数含まれる。例えば、重要な国際会議の最中に父が臨終になり、仕事を優先した話。同じく、重要な会議中に、ミス・ケントンの訳ありな事情が発生し、仕事を優先した話など。

 スティーブンスは、自身の「執事の美学」に半生を捧げてきた。しかしそれが今、変わりつつある。ダーリントン・ホールの主は、気さくなアメリカ人になった。ファラディはスティーブンスに、かつてのような完璧な仕事を要求してはいないようだ。その代わりに求められているのは何か? 「ジョーク」ではないのか、とスティーブンスは考えるに至る。

 そう見てくると、この物語はセルバンテスの『ドン・キホーテ』と同じ形をしていることがわかる。キホーテは「騎士道の美学」を全うしようとしてスペイン中を旅するが、彼が追い求めた「騎士道」はすでに時代遅れのものとなっていたのだ。

 『日の名残り』のもう一つの柱は、ミス・ケントンとの「恋」である。ミス・ケントンとスティーブンスは、時には対立することもあったが、プロとして力を合わせてダーリントン・ホールを切り盛りしてきた。ミス・ケントンに好意を寄せる男性が現れ、彼女の心が揺れたとき、スティーブンスはあくまで「執事の美学」で応対した。つまり仕事を優先させた。ミス・ケントンは自身の思いを拒絶されたように感じたことだろう。

 物語の終盤、旅の果てにスティーブンスはミス・ケントンと会うことができた。ベン夫人となったミス・ケントンには、もうすぐ孫ができるという。ここでの二人の会話が、物語のクライマックスになっている。内容は書かないでおこう。

▼朗読劇『日の名残り』
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 2020年10月3日、18:00、池袋・あうるすぽっと。
 眞島秀和、小島聖、マキノノゾミ、桂やまと。台本・演出は村井雄。

 先に述べたように、原作小説は、スティーブンスの一人称で書かれている。これを眞島が担当、ほかの三人は話の中に出てくるスティーブンス以外の人の台詞を担当。したがって全体の7〜8割は眞島がしゃべる。眞島は一人称のナレーションと会話体の台詞、三人は会話体の台詞のみである。
 眞島は発声、エロキューション等で高い技術を見せてくれた(ただ、執事としてはやや声が二枚目過ぎるかも)。
 小島はミス・ケントン一役、マキノはダーリントン卿、スティーブンス・シニア、桟橋の男の三役で、その他の登場人物をやまとが一手に引き受けている(十四役とか)。やまとはそれらを破綻なく、切れ味良く演じ分けた。村の男三人を高速で演じ分けるという見せ場もあり(演出家による創出だろう)、光っていた。噺家の特質を活かした形だが、悪い意味での噺家くささは全く出さず、他の出演者と溶け合っていた。
 台本は、原作を巧みに抜粋して全体を2時間にまとめている。見事な台本だが、一冊分の小説をまとめるのだから、どこかにわかりにくさが残るのは致し方のないところだ。例えば「ココア会議」といきなり言われても何のことかわかりづらい(旧ダーリントン・ホールにおける、スティーブンスとミス・ケントンの、定期的な打合せのこと)。
 舞台は、椅子が4つ並べられ、そこに各出演者が腰かける。後方には燭台が置かれるというシンプルなもの。照明と効果音も必要最小限で、好感を持った(原作の良さを殺す演出過剰な舞台朗読がとても多い)。
 なお、小島聖は大空ゆうひとの、桂やまとはラサール石井とのダブルキャスト。

第5番第6番の動画を公開しました。(2020.9.26)
第3番第4番の動画を公開しました。(2020.9.5)

───
 ナルシス・ブースケ(Narcisse Bousquet)作曲の《6つのレクリエーション》を全曲演奏することにしました。『レクリエーションとエチュード』という楽譜集の前半が《6つのレクリエーション》になっています。
 ブースケの作品の中でも、《36のエチュード》や《12のグラン・カプリース》よりも幾分か難易度の低い、けれども吹いてとても楽しい曲たちです。

▼レクリエーション第1番 ムーヴマン・ド・マルシェ ハ長調

2020.8.7、小平市・しみず亭

 第1番は Mouvement de marche と記されています。行進曲のテンポで、という意味です。
 ハ長調、4分の4拍子。明快な明るさをもった曲。付点音符と三連符が混在しているので、付点は付点で吹くか、三連符にならすかという選択が必要になります。

▼レクリエーション第2番 アレグレット イ短調

2020.8.7、小平市・しみず亭

 イ短調、4分の2拍子。短調で始まり短調で終わりますが、実際には長調の部分が多く、全体的には明るい印象があります。

▼レクリエーション第3番 モデラート 変ロ長調

2020.9.4、小平市・しみず亭

 6/8拍子。モデラートなので、十六分音符が速くならないように気をつけました。
 エンディングの分散和音は少しいじって、8分音符を16分音符に分けてみました。

▼レクリエーション第4番 アレグレット・モデラート ト短調

2020.9.4、小平市・しみず亭

 アレグレット・モデラート、ト短調、3/4拍子。
 中間に展開部のような部分があって、なかなか面白い曲です。

▼レクリエーション第5番 ムーヴマン・ド・ヴァルス ヘ長調

2020.9.25、小平市・しみず亭

 ムーヴマン・ド・ヴァルスはワルツのテンポで。8分の3拍子。
 曲想がどんどん変化して、吹いてても面白い曲です。

▼レクリエーション第6番 アレグレット 二短調

2020.9.25、小平市・しみず亭

 アレグレット、二短調、8分の6拍子。
 ブースケの曲の中でも一番好きかも知れません。けっして大っぴらに表に出すことをしない、胸に秘めた哀しみ……とでもいうような愁いを感じます。

 《6つのレクリエーション》は、これで完結です。

 金子健治さんの《リコーダー四重奏で楽しむ》シリーズ、現時点で発行されているものが全て揃った。

 全13冊のうち4冊はすでに紹介してある(「金子健治編曲のリコーダー四重奏曲集」2018.6.10)ので、残り9冊について収録曲を記しておこう。なお、発行は全音楽譜出版社。

●リコーダー四重奏で楽しむ日本のうた
金子健治_日本のうた
 故郷
 朧月夜
 早春賦
 みかんの花咲く丘
 浜辺の歌
 椰子の実
 赤とんぼ
 村祭
 ちいさい秋みつけた

●リコーダー四重奏で楽しむ映画音楽
金子健治_映画音楽
 虹の彼方に
 ニュー・シネマ・パラダイス
 鳩に餌を
 いつか王子様が
 ALWAYS 三丁目の夕日 オープニングタイトル
 アマポーラ
 スカボロー・フェア
 ノクターン Op.9-2

●リコーダー四重奏で楽しむスタジオジブリ
金子健治_スタジオジブリ
 風のとおり道
 海の見える街
 君をのせて
 いのちの名前
 風の伝説
 鳥の人
 世界の約束
 Arritty's Song

●リコーダー四重奏で楽しむフォスターの名曲
金子健治_フォスター
 スワニー川
 夢路より
 ケンタッキーの我が家
 オールド・ブラック・ジョー
 草競馬
 金髪のジェニー
 おお スザンナ
 ラリーのお別れ
 主人は冷たい土の中に

●リコーダー四重奏で楽しむJAZZ
金子健治_JAZZ
 ムーンライト・セレナーデ
 テイク・ファイブ
 イン・ザ・ムード
 ルパン三世のテーマ'78
 二人でお茶を
 茶色の小瓶
 誰かが私を見つめてる
 いつか王子様が

●リコーダー四重奏で楽しむラテン
金子健治_ラテン
 マンボ No.5
 リベルタンゴ
 エストレリータ
 ラ・クンパルシータ
 ラ・バンバ
 エル・クンバンチェロ
 ブラジル
 ピーナッツ・ベンダー(南京豆売り)

●リコーダー四重奏で楽しむ映画音楽2
金子健治_映画音楽2
 ボヘミアン・ラプソディ
 彼こそが海賊
 アイ・ガット・リズム
 雨にぬれても
 時を超えて
 THE GIFT
 パガニーニの主題による狂詩曲
 エンターテイナー

●リコーダー四重奏で楽しむロシア民謡
金子健治_ロシア民謡
 一週間
 カチューシャ
 黒い瞳
 ステンカ・ラージン
 カリンカ
 トロイカ
 ヴォルガの舟歌
 ポーリシュカ・ポーレ

●リコーダー四重奏で楽しむアニメソング
金子健治_アニメソング
 鉄腕アトム
 サザエさん
 ゲゲゲの鬼太郎
 夢をかなえてドラえもん
 魔法使いサリー
 おどるポンポコリン
 打上花火

 喜納昌吉さん作詞作曲による「花 〜すべての人の心に花を〜」を、YouTubeで聞きまくった。いろいろ聞いた結果、私が「素敵だなあ」と思ったものを、メモ代わりに挙げておこう。
 本当はこの三倍ぐらい聞いてる。有名な歌手のものもあったが、私の眼鏡に適わないものは取り上げていない。
 いろいろ聞くと、曲に対する姿勢や歌いまわしなどの違いがわかってきて、とても面白いし勉強になる。
 なお、各見出しはYouTube動画にリンクしている。

1、喜納昌吉
 かなり若い頃のもの。私たちのイメージ通りという意味で、スタンダードな歌唱。テレビの特集か何かか、途中で別の機会に歌った映像が挿入されるが、調が違うのでちょっと違和感がある。

2、喜納昌吉
 ライブでの演奏。喜納さんは、良いおじさんになっている。かなりパワフルな歌唱で、くずし方も大きい。最後の一節、オクターヴ張り上げるのなら、もっと伸ばして欲しかったな。

3、喜納昌吉
 2012年の映像だそうだ。初老の喜納さんは、三線の弾き語り。伴奏は久保田麻琴さんのギターのみ。歌はワンコーラス。しっとりとしていいなあ。

4、喜納友子
 この喜納友子さんの歌唱がオリジナル? かなり好き。歌唱は小節が感じられて沖縄の雰囲気を出しているが、アレンジそのものは普通のフォークソングで、実は全然沖縄らしくない。

5、夏川りみ
 ゆっくりしたテンポで、しっとりと丁寧に、情緒豊かに歌っている。歌声も優しく美しい。私の中のベスト。振りは手話だろうか。

6、石嶺聡子
 1995年の歌唱だそうだ。スタンダードな歌唱で、安心して聞ける。素敵。石嶺さんもこの曲の代表的歌手の一人だろう。

7、おおたか静流
 個性的な歌唱。小節の頭にある休符を無しにして、強拍に音をぶつけることが多い。独特の歌いまわしとヴィブラート無しの歌唱から、奄美大島の歌手かと思ったが、調べたら違っていた。かなり好き。

8、城南海
 とても上手だと思う。演歌歌手的なうまさ。ヴィブラートが深いのが個人的には気になる。だがうまい。もちろんこういう歌唱があってもいい。

※沖縄の歌は基本的にヴィブラートをかけない。特に伝統音楽ではかけない。ポップミュージックではかける人もいるが、沖縄の香りを出そうと思ったら、こういうヴィブラートでないほうがよい。例えば下のBEGINの歌唱参照。

9、RICO
 8ビートにかっちり乗せての歌唱。こういう歌唱があってもよい。「花を咲かそうよー」の「よー」がフランス語の鼻母音みたいでかわいい。

10、BEGIN
 最も沖縄を感じさせてくれる歌唱。小節が独特。遅めのテンポで、じっくりと、しかし情熱的に歌う。好きだ。

11、手嶌葵&泉谷しげる
 ハスキーな声で囁くように歌う。ちょっと森田童子を連想した。鼻濁音ができないのが気になるなあ。泉谷しげるさんが途中一節だけ歌うが、要る?

12、新垣勉
 クラシック声楽による「花」。こういう歌唱でも成立してしまうのが、曲のもっている懐の深さだろう。

 以下は、器楽による演奏。

13、桑畑泰
 チェロとピアノ(生野宏美)による演奏。しっとり。

14、北の四重奏とその仲間たち
 サックス四重奏。アレンジが素晴らしい。演奏も歌心を感じる。

15、パンチャ・ラマ
 インドなどで使われている竹製の横笛・バンスリによる演奏。パンチャ・ラマはネパールのバンスリ奏者。メロディーのくずし方がまことにユニーク。気持ち良い。

16、曹雪晶
 二胡による演奏。全然違和感なし。

 以下はおまけ。リコーダーによる演奏。

17、(金子健治)
 金子健治さんの編曲譜による、楽譜に忠実な演奏。演奏者不明だが、たぶん金子さんゆかりの人たちだろう。

18、Paskel
 リコーダーの多重録音を行っているPaskelさんの演奏。編曲からしているところがすごい。

19、リコーダー吹けるもん
 最後はおまけのおまけ。私たちの演奏。金子健治さんの編曲譜を使っていますが、少しいじっています。詳しくはこちらまで。

 ここに挙げたものをまとめて聞こうという人には、再生リストを作ってあるので、ご利用ください。限定公開です。
「花 〜すべての人の心に花を〜」再生リスト

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