芸の不思議、人の不思議

大友浩による「芸」と「人」についてのブログです。予告なくネタバレを書くことがあります。

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 『名作挿絵全集(全10巻)』(1979-1981年、平凡社)を買った。嬉しい!
 明治から昭和戦後までの挿絵の名作を集大成したもの。昭和54年から56年にかけて出版された。
 パラパラと頁をめくっているだけでも楽しい。時間を忘れる。
 全10巻の内容は次の通り。

 1 明治篇
 2 大正・時代小説篇
 3 大正・現代小説篇
 4 昭和戦前・少年少女篇
 5 昭和戦前・時代小説篇
 6 昭和戦前・現代小説篇
 7 昭和戦前・戦争小説篇
 8 昭和戦後・時代小説篇
 9 昭和戦後・現代小説篇

 いつ頃からだろうか、挿絵がイラストという語に代わって、ほとんど重視されなくなったのは。しかし、少なくとも昭和のある時期までの小説等にとって、挿絵は重要な役割を果たしていた。例えば、永井荷風『東奇譚』において木村荘八の挿絵が果たした役割はとても大きかったはずだ。

 綺羅星のごとくいた挿絵画家たちは、腕達者が多く、また個性が光っていた。伊藤彦造の怪しい魅力、蕗谷紅児の大正モダニズム的抒情、高畠華宵の写実的抒情、少年小説の世界を彩った斎藤五百枝、竹中英太郎の幻想世界、まだまだ…。

 吉川英治の作品のほとんどは文庫本で読めるが、つい置き場所に困る箱入りの『吉川英治全集』(講談社)で欲しくなってしまうのは、挿絵が入っているからだ。ある作品が大規模な文学全集の一巻として収録されると、挿絵はカットされてしまうことが多い。例えば、先ほどの『濹東奇譚』は各社の文学全集に収録されているものには挿絵がない。岩波文庫版には収録されているから、どうしても岩波文庫で読むことになる。

 なろうことなら、もう一度挿絵の魅力について考え直したいものだ。近いうちに、この全集を通読するのをとても楽しみにしている。

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第一巻明治篇より鏑木清方の頁

 ネタを割ってます。

●アガサ・クリスティー『七つの時計』(深町真理子訳、2004年、クリスティー文庫)

 原書は1929年。『チムニーズ館の秘密』の続編で、バトル警視、ケイタラム卿、バンドル、ジョージ・ロマックス、ビル・エヴァズレーなど同じ人物が登場する。

 鉄鋼王のサー・オズワルド・クートは、ロンドン郊外のチムニーズ館を、所有者であるケイタラム卿から借りて住んでいた。もうすぐ貸借期間も終わりになろうという頃、泊まりに来ていた若い外交官のジェリー・ウェイドが死んだ。クロラール(睡眠薬)の飲み過ぎにも見えたが、不審な点もあった。ウェイドが死んだベッドのそばには、仲間たちがいたずらで仕掛けた八つの目覚まし時計があったはずだが、なぜかそれが暖炉の上に並べられ、しかも一つ少ない七つになっていた。しばらくしてやはり若い外交官であるロニー・デヴァルーが銃で撃たれて殺された。明らかに他殺だった。若い四人、ジミー・セシジャー、ビル・エヴァズレー、バンドル、ロレーン・ウェイドは、「セブン・ダイヤルズ」という組織を追って探索を始める。

 ケイタラム卿:侯爵。チムニーズ館の所有者。
 バンドル(アイリーン・ブレント):ケイタラム卿の娘。最後にはビル・エヴァズレーと結婚することになる。
 サー・オズワルド・クート:鉄鋼王で、物語の冒頭、チムニーズ館を借りて住んでいる。
 マライア・クート:オズワルドの妻。
 ルーパート・ベイトマン(ポンゴ):オズワルドの有能な秘書。ビル・エヴァズレーとは幼なじみ。セブン・ダイヤルズの謎の男ナンバー7ではないかと疑われるが、違った。
 ジミー・セシジャー:チムニーズ館の客。セブン・ダイヤルズを追う四人のうちの一人。だが実は、犯罪者で、ヘル・エーベルハルトの発明した公式を盗もうとし、ジェリー・ウェイドらを殺した犯人であった。
 ビル・エヴァズレー:若い外交官。実はセブン・ダイヤルズのメンバー。最後にバンドルと結婚することに。
 ロニー・デヴァルー:若い外交官。射殺される。
 ジェリー・ウェイド:若い外交官。物語の初期に殺される。
 ロレーン・ウェイド:ジェリー・ウェイドの腹違いの妹。ジミー・セシジャーに惚れて悪事に加担する。
 ジョージ・ロマックス:外務次官。
 サー・スタンリー・ディグビー:航空大臣。
 テレンス・オルーク:秘書官。
 ヘル・エーベルハルト:発明家。国家の運命に大きな影響をもたらす公式を発明する。
 アンナ・ラツキー:伯爵夫人。実は女優のベーブ・シーモア。バンドルによってセブン・ダイヤルズの一員であることが見抜かれるが、実はセブン・ダイヤルズという組織は犯罪者集団ではなく正義の集まりだった。
 モスゴロフスキー:セブン・ダイヤルズ・クラブの経営者。
 バトル警視:ロンドン警視庁の警視。セブン・ダイヤルズのナンバー7。

 「すべからく」の誤用あり。

 ネタを割ってます。

●アガサ・クリスティー『青列車の秘密』(青木久恵訳、2004年、クリスティー文庫)

 ポアロ物長編ミステリ。クリスティーの気分が乗らず、食うために嫌々書いた作品らしいが、面白かった。ヘイスティングズは出てこない。
 
 豪華列車ブルー・トレインの中で、富豪の娘ルース・ケタリングが殺され、〈火の心臓〉と呼ばれるルビーが盗まれた。

 ルーファス・ヴァン・オールディン:アメリカの富豪。愛する娘ルースに〈火の心臓〉をプレゼントする。またルースに離婚をさせようとしている。
 ルース・ケタリング:ヴァン・オールディンの娘。夫デリク・ケタリングとは愛し合っていない。ブルー・トレインの中で殺害される。
 デリク・ケタリング:ルースの夫。浪費家。ミレーユというダンサーを愛人にしている。ヴァン・オールディンからルースとの離婚を迫られている。ルースが死ぬことで大金を相続した。ルース殺害の嫌疑がかけられる。
 ナイトン少佐:ヴァン・オールディンの有能な秘書。キャサリン・グレーに惚れてしまう。実は侯爵(ル・マルキ)と呼ばれる大泥棒。手下のエイダ・メイスンと宝石を盗みルースを殺害する。
 アルマン・ド・ラ・ローシュ伯爵:ルースの愛人。ルース殺害の嫌疑をかけられる。
 ミレーユ:ダンサー。デリクの愛人。
 キャサリン・グレー:ハーフィールド夫人の世話係をつとめていたが、夫人がなくなり遺産を相続した。無欲で、浮つかず、冷静にものを見る目を持っている。
 レディ・タンプリン:キャサリンのいとこ。利益に預かろうとキャサリンを家に招待する。
 レノックス・タンプリン:レディ・タンプリンの娘。キャサリンに同情的。
 エイダ・メイスン:ルースのメイド。実は侯爵の手下で、宝石を盗み、ルースを殺害する。
 ディミトリアス・パポポラス:ギリシャの骨董商。裏物も扱う。

 ネタを割ってます。

●アガサ・クリスティー『ビッグ4』(中村妙子訳、2004年、クリスティー文庫)

 原著は1927年。ポアロ物にして冒険物というか国際謀略物でもある。
 
 ポアロとヘイスティングズが「ビッグ4」と名乗る一大犯罪組織と戦う。

 12の短編をつなげて長編にしたもの、と聞くと納得できるような構成。連作短編集のような。
 
 ビッグ4の、ナンバー1はリー・チャン・イェンという中国人。ナンバー2はエイブ・ライランドというアメリカの富豪。ナンバー3はマダム・オリヴィエというフランスの科学者。変装の名人であり殺し屋でもあるナンバー4は、クロード・ダレルというイギリス人の俳優である。
 
 後半でポアロの双子の兄が登場する。兄の存在はヘイスティングズも知らなかった。だが、どうも兄自身がポアロの創作であるらしい。
 
 ロサコフ伯爵夫人が敵方として登場する。ロサコフ伯爵夫人は他の作品にも登場。どうやらポアロは伯爵夫人に惚れているらしい。

 ネタを割ってます。

●アガサ・クリスティー『アクロイド殺し』(羽田詩津子訳、2003年、クリスティー文庫)

 原著は2006年出版。クリスティーの代表作の一つにして、問題作。

 舞台はキングズ・アボット村。小説全体が、この村に住む医師ジェームズ・シェパードの手記という形になっている。キングズ・アボット村に住む裕福な未亡人フェラーズ夫人が、ヴェロナールを飲んで自殺した。村のもう一人の富豪であるロジャー・アクロイドは、フェラーズ夫人との結婚が噂されていたが、そのアクロイドもまた刺殺された。たまたま村に引っ越してきていたエルキュール・ポアロが捜査に乗り出す。

 ロジャー・アクロイド:キングズ・アボット村の富豪。ファンリー・パークに住む。
 ラルフ・ペイトン:ロジャーの義理の息子(亡妻の連れ子)。フローラ・アクロイドと婚約する。が、実はアクロイド家の小間使いのアーシュラと結婚していた。
 セシル・アクロイド夫人:ロジャーの義妹(弟の妻)。
 フローラ・アクロイド:セシルの娘。ラルフ・ペイトンと婚約するが、実はヘクター・ブラント少佐を愛している。
 ジェフリー・レイモンド:ロジャーの秘書。
 ジョン・パーカー:ロジャーの執事。
 ミス・ラッセル:アクロイド家の家政婦。一時期ロジャーと結婚するのではないかといわれていた。がセシル・アクロイド夫人がやってくることでその可能性はなくなった。ロジャー殺害当日、ファンリー・パークにいたらしい謎の男チャールズ・ケントの母。
 アーシュラ・ボーン:アクロイド家の小間使い。ラルフ・ペイトンと愛し合い、秘かに結婚していた。
 ヘクター・ブラント少佐:ロジャーの旧友。秘かにフローラ・アクロイドを愛している。
 ジェームズ・シェパード:キングズ・アボット村に住む医師。アクロイド殺しの犯人。手記を書き終え、ヴェロナールを飲んで自殺することを暗示して、物語は終わる。
 キャロライン:シェパードの姉。

 とても面白かった。
 語り手が犯人であるということで、この小説は賛否両論の大議論を巻き起こした。反則ではないかというのである。

> 第一次大戦後、とりわけ一九二〇年代は、探偵小説の形式化がラディカルに推し進められた時代である。(P.442)

 と解説の笠井潔は述べている。つまり、形式が整いつつある時期にもうすでに反則的作品が生まれているのである。こういうことはどのジャンルでもあるような気がする。
 この手法を批判するとしても、いずれこういう作品は出てきたはずである。それをたまたまアガサが書いたということにすぎないのではないか。しかも傑作を書いたのだから、これでいいのだと思う。
 見方を変えて、形式化はなぜ起きたのか、という論点のほうが興味深い。どうもそこには歴史的、思想的な意味がありそうである。

 ネタを割ってます。

●アガサ・クリスティー『チムニーズ館の秘密』(高橋豊訳、2004年、クリスティー文庫)

 原著は1925年出版。
 登場人物が多くて、前半やや読みにくかったが、半ばほどからは面白さが発酵してきた。
 読み終えてからすでに時間が経ってしまったので、細かいところはほとんど忘れた(笑)。人物や設定を全部把握した上でもう一度読み直したいものだ。
 
 今はキャッスル旅行者に勤めているアンソニー・ケイドは、アフリカはジンバブエのブラワーヨで久しぶりに会った友人のジェイムズ・マグラスから意外なことを頼まれる。ヘルツォスロバキアのスティルプティッチ伯爵が書いた回顧録を、十月十三日までにロンドンのある出版社に届ければ、一千ポンドという大金をくれるというのだ。ケイドはマグラスになりすましてロンドンへ向かう。
 
 アンソニー・ケイド:キャッスル旅行者の社員。友人のマグラスから、スティルプティッチ伯爵の回顧録をロンドンの出版社まで届けるように頼まれる。最後の最後で、ケイドがヘルツォスロバキアの王位継承者ニコラス・オボロヴィッチだということが明かされる。
 ジェイムズ・マグラス:ケイドの友人。
 ケイタラム卿:チムニーズ館の所有者。
 アイリーン(バンドル):ケイタラム卿の娘。
 ブラン:ケイタラム家の家庭教師。
 スティルプティッチ伯爵:ヘルツォスロバキアの元首相。暗殺された。回顧録を執筆。
 ミカエル・オボロヴィッチ:ヘルツォスロバキアの王子。
 ボリス・アンチューコフ:ミカエル王子の付き人。
 アンドラーシ大尉:ミカエル王子の侍従武官。
 ロロプレッティジル男爵:ヘルツォスロバキアの王政擁護派の代表。
 ジョージ・ロマックス;イギリス外務省の高官。
 ヴァージニア・レヴェル:ロマックスのいとこで美貌の女性。最後にはケイドと結婚する。
 ビル・エヴァズレー:ロマックスの秘書。
 ハーマン・アイザックスタイン:全英シンジケートの代表。
 ハイラム・P・フィッシュ:チムニーズ館の客。
 キング・ヴィクター:フランスの宝石泥棒。正体不明。実はルモワーヌになりすましていた。
 バトル:ロンドン警視庁の警視。
 ルモワーヌ:パリ警視庁の刑事。

●アガサ・クリスティー『ポアロ登場』(真崎義博訳、2004年、クリスティー文庫)
●アガサ・クリスティー『ポワロの事件簿1』(厚木淳訳、1980年、創元推理文庫)

 ポアロ物の短編集。両者は同じ原作の翻訳。ただし、『ポワロの事件簿1』は1924年にイギリスで出版されたもの、『ポアロ登場』は1925年にアメリカで出版されたもので、後者のほうが三編多く収録されている。
 
 私は二冊を同時平行的に読んだ。寝床で『ポアロ登場』を、電車の中などで『ポワロの事件簿1』を読んだのだ。作品によって『ポアロ登場』を先に読んだものもあれば、『ポワロの事件簿1』を先に読んだものもある。いずれにしても完全に全ページを読み直した。
 
 異なる翻訳で二度読むことで、はじめに読んだときに意味があいまいだったところがはっきりしたり、翻訳の違いに気づいたりもして、なかなか面白い体験だった。
 
 このほか
●『ポアロ登場』(小倉多加志訳、1978年、ハヤカワ・ミステリ文庫)
も持っているが、今回は目を通していない。
 
 両者のタイトルを併記しておこう。

『ポワロの事件簿1』
 1.西洋の星の事件
 2.マースドン荘園の悲劇
 3.安いマンションの事件
 4.ハンター荘の謎
 5.百万ドル公債の盗難
 6.エジプト王の墳墓の事件
 7.グランド・メトロポリタンの宝石盗難事件
 8.誘拐された総理大臣
 9.ダヴンハイム氏の失踪
 10.イタリア貴族の事件
 11.遺言書の謎

『ポアロ登場』 
 1.<西洋の星>盗難事件
 2.マースドン荘の悲劇
 3.安アパート事件
 4.狩人荘の怪事件
 5.百万ドル債券盗難事件
 6.エジプト墳墓の謎
 7.グランド・メトロポリタンの宝石盗難事件
 8.首相誘拐事件
 9.ミスタ・ダヴンハイムの失踪
 10.イタリア貴族殺害事件
 11.謎の遺言書
 12.ヴェールをかけた女
 13.消えた廃坑
 14.チョコレートの箱

 12〜14が『ポアロ登場』にのみ収録されている。

 以下、気分によって粗密があるが、簡単なメモ。ネタバレあり。表題はクリスティー文庫版によった。
 
1.<西洋の星>盗難事件
  メアリー・マーヴェル:女優
  グレゴリー・ロルフ:俳優。メアリーとグレゴリーは夫婦。宝石「西洋の星」を所有。
  ヤードリー卿:宝石「東洋の星」を所有。
  ヤードリー夫人:ヤードリー卿の妻。
 二つのダイヤは中国のある神像の右目と左目であった。満月の夜に二つのダイヤを盗むという予告があった。
 真相は…。グレゴリーは三年前、ヤードリー夫人と良い仲になったことがあり、ヤードリー卿のもつダイヤを偽物にすり替えさせた。最近になってヤードリー卿は金に困り、ダイヤを売ろうと考えるようになった。事が露見することを恐れたグレゴリーは、ヤードリー夫人にダイヤ(東)が盗まれた芝居をさせ、自らも中国人に扮してダイヤ(西)を盗んだ。真実を見破ったポアロは、グレゴリーからダイヤを取り戻し、ヤードリー卿に渡した。
 余談。ヤードリー卿が金に困り自分の所有地を映画撮影のために貸すという話が出ているが、本音をいえば貸したくないという理由を述べる場面。真崎訳ではこうなっている。

> 本当は嫌なんです──大勢の映画関係の人間が猟場をうろうろするかと思うとゾッとします──でも、仕方がないのかもしれません。(P.29)

 この部分、厚木訳ではこうなっている。

> わしは、それを受けたくない──自分の猟場の中に、河原乞食が群がってくるなどとは、考えるだけでもまっぴらだ──だが、そうしなければならぬかもしれぬ、(P.26)

 真崎訳をはじめに読んだときには普通に読み流したのだが、後で厚木訳を読んだときに、意識に引っかかって来たのだ。厚木訳では「河原乞食」という語を使って映画関係者に対する差別的意識が読み取れるが、真崎訳では感じられない。ついでに小倉多加志訳も調べてみた。

> わたしはそうしたくない……あの猟場を映画関係のものが大勢してうろちょろするのかと思うといやになる……が、仕方がないのかもしれん。(P.26)

 真崎訳に近い。わかりやすさでいえば、厚木訳のほうがわかりやすく、スッと胸に落ちてくる。当時のイギリス(「<西洋の星>盗難事件」の初出は1923年)で、映画人に対する河原者(=差別)意識があったのかどうか、とても興味深い。

2.マースドン荘の悲劇
 マルトラヴァーズが死亡するが、妻を受取人として多額の保険金がかけられていた。保険会社からの依頼でポアロが調べることに。医師は内出血だという。しかし、ポアロは真実を見抜いた。カラス用ライフルを口につっこんで発射すると弾丸が突き抜けず頭部にとどまり、内出血だと誤診される。そのことを聞き及んだマルトラヴァーズ夫人は、夫に「形だけでもしてみせて」と言い、隙をみて引き金を引いたのだった。
 ポアロがブラック大尉に自由連想法を試す場面がある。
 真崎訳では「マースドン荘」、厚木訳では「マースドン荘園」。荘と荘園ではずいぶん印象が違う。

3.安アパート事件
 ロビンスン夫妻が、格安のマンションに入ることができた、という話から、ポアロは国際的な謀略を発見していく。
 半年前、ルイジ・ヴァルダルノが海軍の機密書類を盗んだが、後に死体で発見された。時を同じくしてヴァルダルノと親しくしていた歌手、実は国際スパイのミス・エルザ・ハートが姿を消した。
 逃亡したエルザはロビンスン夫妻としてマンションに移り住んだ。彼女はヴァルダーノの組織から命を狙われていることを知り、同じロビンスンという名の夫婦にマンションを又貸しして身代わりにしようとしたのだった。

4.狩人荘の怪事件
 ダービシャーにある狩人荘で、ロジャー・ヘイヴァリングの叔父が殺された。狩人荘へ来てほしいというヘイヴァリングの依頼だったが、ポアロはインフルエンザで動くことはできなかった。そこで、ヘイスティングズを派遣し、彼からの報告だけで事件を解決する。
 ロジャーとその妻ゾーイが叔父の財産を狙って拳銃で撃ったのだった。アリバイを証明した家政婦はゾーイの変装だった。

 うーん。読んでから少し時間が経ってしまったので、簡単なメモを書くだけでも読み直すのに近い作業が必要になってしまう。なので以下省略。やっぱり一編か二編読んだ時点でメモをしておかないとダメだなあ。

 ネタを割ってます。

●アガサ・クリスティー『茶色の服の男』(原著1924年→2011年、クリスティー文庫72)

 面白かった。ミステリ(推理小説)ではなく、謎解き冒険物。シリーズに属していない単発の作品。

 プロローグ。マダム・ナーディナと謎の男の会話。ナーディナはロシア人の舞踊家ということになっているが、実は<大佐>の下で働く犯罪組織の一員だった。<大佐>は組織の中では絶対的な権力を誇っているが、彼女は男に<大佐>を裏切って弱みを握っていると打ち明ける。キンバリーでの鉱山をめぐる事件。<大佐>はデビアス社のダイヤの一部を別の物にすり替えさせた。その頃たまたま、二人の若い鉱山師(ジョンとルーカス)が南米で試掘したサンプルをもって売り込もうとしていた。<大佐>は、二人をすり替えの犯人に仕立て上げた。一方、ナーディナはその南米三のダイヤの一部をこっそり隠しておいた。これがあれば、いざというときに<大佐>が真の犯人だということを証明できるからだ。
 本題。主人公の少女アン・ベディングフェルドと下院議員のサー・ユースタス・ペドラーの手記が交互に置かれることで物語が進行する。
 アン・ベディングフェルドは、地下鉄での死亡事故に出くわした。カートンという男が何者かに驚いてホームから転落したのだ。茶色の服を着た医者らしき男が介抱していたが、その後どこかに消えてしまった。アンはその男が落としたメモを拾った。そこには「17.1 22 キルモーデン・キャッスル」と書かれていた。
 さらに新たな事件が発生する。ロンドン近郊マーロウのミル・ハウスという家で、若い女性の絞殺死体が発見されたのだ。調べていくと、どうやら茶色の服の男が地下鉄事故の現場からミル・ハウスに向かった、そして、男が出てきた直後には女は死んでいたことがわかった。

 主な登場人物。
 アン・ベディングフェルド:主人公。考古学者の父が亡くなって天涯孤独となったが、冒険を通じて明るく積極的に自らの人生を切り拓いていこうとする。地下鉄の駅で不審な死亡事故に出くわしたところから、大きな謀略に首をつっこむことになる。
 ネズビー卿:《デイリー・パジェット》新聞の社主。アンは記者として使ってくれと売り込む。ネズビー卿は、地下鉄とミル・ハウスの事件について特ダネを書くことができたら採用する、と言う。
 マダム・ナーディナ:ロシア人の人気舞踊家。本当は<大佐>の下で働く犯罪組織の一員。ミル・ハウスの死体は実はナーディナであった。
 L・B・カートン:地下鉄で死んだ男。実はナーディナの亭主で、デビアス社のダイヤ鑑定技師。
 サー・ユースタス・ペドラー:下院議員で、ミル・ハウスの所有者。手記の書き手。<大佐>の正体。
 ガイ・バジェット:ユースタスに八年仕えている秘書。まじめ一方の堅物。敵の組織の一員ではないかと疑われるが、実はただまじめ一方の男だった。
 ハリー・レイバーン:ユースタス一行がキルモーデン・キャッスル(船の名)でアフリカに向かう際に、ユースタスの秘書として加わる。敵の一員ではないかと疑われるが、実は南米で鉱山を発見した二人の男の一人ハリー・ルーカスであった。と思いきや、二人の男のもう一人のほうジョン・ハロルド・アーズリーであった。父は南アフリカの鉱山王サー・ローレンス・アーズリー。
 シューザン・ブレア夫人:社交界の花形。キルモーデン・キャッスルでアンと知り合い、アンの冒険に力を貸す。
 レース大佐:キルモーデン・キャッスルでアンと知り合う。一時はアンに結婚を申し込む。<大佐>ではないかと疑われるが、そうではなかった。
 チチェスター:キルモーデン・キャッスルに宣教師として乗っていた。実は<大佐>の部下でアーサー・ミンクス。変装がうまく、アフリカ行の際にユースタスに雇われる女性秘書ミス・ペティグルーもこの人。最後の最後にはユースタスを裏切る。
 <大佐>:犯罪組織の首領。

 ラスト。愛し合うようになったアンとハリー・レイバーンことジョン・アーズリーは、父アーズリーの莫大な遺産で優雅に暮らす道を選ばず、アフリカ・ローデシアの島で暮らすことを選択する。

 この作品を書く少し前に、アガサ・クリスティーは二人目の夫と実際にアフリカを旅している。ここでの描写の数々はその体験を基にしたと言われている。また、アンの造型にしても、アガサ自身の人間性が濃厚に投影されているものと見られる。アガサ自身が実際に冒険的かどうかは知らないが、彼女が思い描く理想の女性像に近いのではないかという気がする。そして、恋への憧れ。

 <大佐>であるサー・ユースタス・ペドラーは、捕まった後に逃亡してしまうという結末。また、アンは自分の命を狙ったユースタスを心の中で許している、という心理描写。これらは謎解き冒険物語の定型からいえば「不純物」であり、ここにアガサの何らかの「主張」ないしは「思い」が込められているものと考えられる。例えばディーン・R・クーンツであれば、こんなことは書かないはずである。

 物語の語り手は二人。アン・ベディングフェルドとサー・ユースタス・ペドラーである。そのうちの一方、サー・ユースタスが実は<大佐>であったというトリック。語り手が犯人という仕掛けは、その後アガサが『アクロイド殺し』でやって賛否両論を巻き起こした。

 以前からアガサ・クリスティーをまとめて読みたいと思っていた。少し調べてみると、読むなら早川書房から出ている《クリスティー文庫》以外にないことがすぐにわかった。《クリスティー文庫》は、アガサ・クリスティーの作品をほとんど全て収録している。一部の詩集と書簡や日記の類などは収録されていないようだが、堂々たる全集と言ってよい。 

 《クリスティー文庫》を買い始めたのは最近のことなのだが、買ってみておかしなことに気づいた。同じタイトルで二つの版がある巻があるのだ。例えば、第8巻の『オリエント急行の殺人』は、中村能三訳のものと山本やよい訳のものとがある。これでは買いそろえるときに迷うではないか。

 中村訳は2003年の出版、山本訳は2011年の出版である。そして早川書房のサイトには、中村訳は掲載されていない。どうやらいくつかの作品について、新訳に差し替えられており、新訳が出ると旧訳は絶版になることがわかった。

 《クリスティー文庫》は、2003年から2004年にかけて全100巻が刊行された。その後、2010年に第101巻と102巻が加わり、さらに2015年に未発表の中編が刊行されて、全103巻となった。はじめに刊行されたときは、ハヤカワミステリ文庫やノヴェルズ文庫で出ているものは、ここからの移行を原則としていたようだ。その後、少しずつ新訳に置き換えているということらしい。

 気になって早川書房に電話で問い合わせた。新訳の刊行は今後も適宜続けていくつもりだが、いつになるかは未定。当面今年中の刊行は無いそうだ。

 現時点で二つの版があるものは10冊である(数字は巻数)。
 
 『ゴルフ場殺人事件』2
 『邪悪の家』6
 『オリエント急行の殺人』8
 『五匹の子豚』21
 『カーテン』33
 『牧師館の殺人』35
 『秘密機関』47
 『茶色の服の男』72
 『そして誰もいなくなった』80
 『終りなき夜に生れつく』95

 このほか、ハヤカワミステリ文庫の訳者と異なるものが17冊ある。つまり《クリスティー文庫》を刊行するときに"いきなり新訳"になったわけである。

 要するに、《クリスティー文庫》は、今後も少しずつ期限を定めずに更新されていくことになる。「これで完結!」という形はないわけだ。

 私は新訳の出版には賛成だ。変化していないようでも日本語は変化し続けているから、同時代の訳者による翻訳で読むことは、作品を今によみがえらせることにつながる。それに、最近の若い訳者はこなれた日本語にするのが上手な人が多い。
 しかし、他方で、古い翻訳も入手可能な状態にしておいてほしいと思う。旧訳は旧訳で、翻訳された当時の時代を背負っているのだから、その当時の言語状況を知ることができ、クリスティーならクリスティーがどのように受容されたかもうかがえる良い資料となる。また、田村隆一の訳業をはじめとして、翻訳作品はそれ自体にも価値があると考えられる。それに、なんといっても古い訳は懐かしい。
 とはいえ、昨今の出版事情を考えると無理な相談かも知れない。リストに二つ並んでいては購入者も混乱するだろうし。それに、今なら旧訳を古書店で入手することは難しくない。だからまあ、旧訳を絶版にしても許容することにしよう(^_^;)。

 私はいろいろ考えて、新訳旧訳両方を入手することにした。原則として新訳のあるものは新訳で読むが、旧訳も手元に置いておきたい。さらに、"いきなり新訳"のものについてはミステリ文庫版も買うことにした。例えば第1巻『スタイルズ荘の怪事件』は、ミステリ文庫から田村隆一訳が出ていたが、《クリスティー文庫》ではいきなり矢沢聖子の新訳が刊行されている。これは両方買うと。

 ということで、《クリスティー文庫》のリストを作ってみた。新訳旧訳を併記してある。"いきなり新訳"のものについては、※でハヤカワミステリ文庫(HM)版もあげておいた。

 リストを作るについては次の資料を参考にした。ありがとうございます。
 
 ハヤカワオンライン(http://www.hayakawa-online.co.jp/)
 Aga-search.com(http://www.aga-search.com/)内の「早川書房 クリスティー文庫(全102巻)」
 ハヤカワ文庫解説目録

 いざ、アガサ・クリスティーの旅へ!

《クリスティー文庫》全103巻リスト

【1】スタイルズ荘の怪事件(1920)
  矢沢聖子訳(2003)
 ※田村隆一訳(1982)HM
 
【2】ゴルフ場殺人事件(1923)
  田村義雄訳(2011)新
  田村隆一訳(2004)旧

【3】アクロイド殺し(1926)
  羽田詩津子訳(2003)
 ※田村隆一訳(1979)HM

【4】ビッグ4(1927)
  中村妙子訳(2004)
 ※田村隆一訳(1984)HM

【5】青列車の秘密(1928)
  青木久恵訳(2004)
 ※田村隆一訳(1982)HM

【6】邪悪の家(1932)
  真崎義博訳(2011)新
  田村隆一訳(2004)旧

【7】エッジウェア卿の死(1933)
  福島正実訳(2004)

【8】オリエント急行の殺人(1934)
  山本やよい訳(2011)新
  中村能三訳(2003)旧

【9】三幕の殺人(1935)
  長野きよみ訳(2003)
 ※田村隆一訳(1988)HM

【10】雲をつかむ死(1935)
  加島祥造訳(2004)

【11】ABC殺人事件(1935)
  堀内静子訳(2003)
 ※田村隆一訳(1987)HM

【12】メソポタミヤの殺人(1936)
  石田義彦訳(2003)
 ※高橋豊訳(1976)HM

【13】ひらいたトランプ(1936)
  加島祥造訳(2003)

【14】もの言えぬ証人(1937)
  加島祥造訳(2003)

【15】ナイルに死す(1937)
  加島祥造(2003)

【16】死との約束(1938)
  高橋豊(2004)

【17】ポアロのクリスマス(1938)
  村上啓夫訳(2003)
  
【18】杉の柩(1940)
  恩地三保子訳(2004)

【19】愛国殺人(1940)
  加島祥造訳(2004)

【20】白昼の悪魔(1941)
  鳴海四郎訳(2003)

【21】五匹の子豚(1943)
  山本やよい訳(2010)新
  桑原千恵子訳(2003)旧

【22】ホロー荘の殺人(1946)
  中村能三訳(2003)

【23】満潮に乗って(1948)
  恩地三保子訳(2004)

【24】マギンティ夫人は死んだ(1952)
  田村隆一訳(2003)

【25】葬儀を終えて(1953)
  加島祥造訳(2003)

【26】ヒッコリー・ロードの殺人(1955)
  高橋豊訳(2004)

【27】死者のあやまち(1956)
  田村隆一訳(2003)

【28】鳩のなかの猫(1959)
  橋本福夫訳(2004)

【29】複数の時計(1963)
  橋本福夫訳(2003)

【30】第三の女(1966)
  小尾芙佐訳(2004)

【31】ハロウィーン・パーティ(1969)
  中村能三訳(2003)

【32】象は忘れない(1972)
  中村能三訳(2003)

【33】カーテン(1975)
  田口俊樹訳(2011)新
  中村能三訳(2004)旧

【34】ブラック・コーヒー[小説版](1930,1997)
  中村妙子訳(2004)

【35】牧師館の殺人(1930)
  羽田詩津子訳(2011)新
  田村隆一訳(2003)旧

【36】書斎の死体(1942)
  山本やよい訳(2004)
 ※高橋豊訳(1976)HM  

【37】動く指(1943)
  高橋豊訳(2004)

【38】予告殺人(1950)
  田村隆一訳(2003)

【39】魔術の殺人(1952)
  田村隆一訳(2004)

【40】ポケットにライ麦を(1953)
  宇野利泰訳(2003)

【41】パディントン発4時50分(1957)
  松下祥子訳(2003)
 ※大門一男訳(1976)HM

【42】鏡は横にひび割れて(1962)
  橋本福夫訳(2004)

【43】カリブ海の秘密(1964)
  永井淳訳(2003)

【44】バートラム・ホテルにて(1965)
  乾信一郎訳(2004)

【45】復讐の女神(1971)
  乾信一郎訳(2004)

【46】スリーピング・マーダー(1976)
  綾川梓訳(2004)

【47】秘密機関(1922)
  嵯峨静江訳(2011)新
  田村隆一訳(2003)旧

【48】NかMか(1941)
  深町真理子訳(2004)

【49】親指のうずき(1968)
  深町真理子訳(2004)
  
【50】運命の裏木戸(1973)
  中村能三訳(2004)

【51】ポアロ登場(1924)
  真崎義博訳(2004)
 ※小倉多加志訳(1978)HM

【52】おしどり探偵(1929)
  坂口玲子訳(2004)
 ※橋本福夫訳(1978)HM

【53】謎のクィン氏(1930)
  嵯峨静江訳(2004)
 ※石田英士訳(1978)HM

【54】火曜クラブ(1932)
  中村妙子訳(2003)

【55】死の猟犬(1933)
  小倉多加志訳(2004)

【56】リスタデール卿の謎(1934)
  田村隆一訳(2003)

【57】パーカー・パイン登場(1934)
  乾信一郎訳(2004)

【58】死人の鏡(1937)
  小倉多加志訳(2004)

【59】黄色いアイリス(1939)
  中村妙子訳(2004)

【60】ヘラクレスの冒険(1947)
  田中一江訳(2004)
 ※高橋豊訳(1976)HM

【61】愛の探偵たち(1950)
  宇佐川晶子訳(2004)
 ※小倉多加志訳(1980)HM

【62】教会で死んだ男(1951)
  宇野輝雄訳(2003)

【63】クリスマス・プディングの冒険(1960)
  橋本福夫・小尾芙佐・小倉多加志・宇野利泰・小笠原豊樹・福島正実訳(2004)

【64】マン島の黄金(1997)
  中村妙子・深町真理子・小倉多加志訳(2004)

【65】ブラック・コーヒー(1930)
  麻田実訳(2004)

【66】ねずみとり(1952)
  鳴海四郎訳(2004)

【67】検察側の証人(1953)
  加藤恭平訳(2004)

【68】蜘蛛の巣(1954)
  加藤恭平訳(2004)

【69】招かれざる客(1958)
  深町真理子訳(2004)

【70】海浜の午後(1962)
  深町真理子訳(2004)

【71】アクナーテン(1973)
  中村妙子訳(2004)

【72】茶色の服の男(1924)
  深町真理子訳(2011)新
  中村能三訳(2004)旧

【73】チムニーズ館の秘密(1925)
  高橋豊訳(2004)

【74】七つの時計(1929)
  深町真理子訳(2004)

【75】愛の旋律(1930)
  中村妙子訳(2004)

【76】シタフォードの秘密(1931)
  田村隆一訳(2004)

【77】未完の肖像(1934)
  中村妙子訳(2004)

【78】なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?(1934)
  田村隆一訳(2004)

【79】殺人は容易だ(1939)
  高橋豊訳(2004)

【80】そして誰もいなくなった(1939)
  青木久恵訳(2010)新
  清水俊二訳(2003)旧

【81】春にして君を離れ(1944)
  中村妙子訳(2004)

【82】ゼロ時間へ(1944)
  三川基好訳(2004)
 ※田村隆一訳(1976)HM

【83】死が最後にやってくる(1945)
  加島祥造訳(2004)

【84】忘られぬ死(1945)
  中村能三訳(2004)

【85】さあ、あなたの暮らしぶりを話して(1946)
  深町真理子訳(2004)

【86】暗い抱擁(1947)
  中村妙子訳(2004)

【87】ねじれた家(1949)
  田村隆一訳(2004)

【88】バグダッドの秘密(1951)
  中村妙子訳(2004)

【89】娘は娘(1952)
  中村妙子訳(2004)

【90】死への旅(1955)
  奥村章子訳(2004)
 ※高橋豊訳(1977)HM

【91】愛の重さ(1956)
  中村妙子訳(2004)

【92】無実はさいなむ(1958)
  小笠原豊樹訳(2004)

【93】蒼ざめた馬(1961)
  高橋恭美子訳(2004)
 ※橋本福夫訳(1979)HM

【94】ベツレヘムの星(1965)
  中村能三訳(2003)

【95】終りなき夜に生れつく(1967)
  矢沢聖子訳(2011)新
  乾信一郎訳(2004)旧

【96】フランクフルトへの乗客(1970)
  永井淳訳(2004)

【97】アガサ・クリスティー自伝(上)(1977)
  乾信一郎訳(2004)

【98】アガサ・クリスティー自伝(下)(1977)
  乾信一郎訳(2004)

【99】アガサ・クリスティー99の謎(2004)

【100】アガサ・クリスティー百科事典(2004)

【101】アガサ・クリスティーの秘密ノート(上)(2009)
  山本やよい・羽田詩津子訳(2010)

【102】アガサ・クリスティーの秘密ノート(下)(2009)
  山本やよい・羽田詩津子訳(2010)

【103】ポアロとグリーンショアの阿房宮(2015)
  羽田詩津子訳(2015)

●アガサ・クリスティー『ゴルフ場殺人事件』(田村義進訳、原著1923年→2011年、クリスティー文庫2)

 クリスティーの三冊目の単行本にして、ポアロ物長編の第二作。
 ネタバレを含む。

 主な登場人物。

 ポール・ルノー:南米の富豪。フランスのメルランヴィルにあるジュヌヴィエーヴ荘の主人。「命が狙われている。助けてほしい」とポアロに手紙を出すが、ポアロが到着したときには殺されている。
 エロイーズ・ルノー:ポールの妻。
 ジャック・ルノー:ポールの息子。
 マダム・ドーブルーユ:ジュヌヴィエーヴ荘の隣にあるマルグリット荘の女主人。
 マルト・ドーブルーユ:マダム・ドーブルーユの娘。若い美人。
 ジャンヌ・ベロルディ:アルノルド・ベロルディの美貌の妻。20年前、夫のアルノルド・ベロルディが殺された(「ベロルディ事件」)。
 ジョルジュ・コンノー:ベロルディ事件の犯人と目される若い弁護士。逃亡して行方知れず。
 ベラ・デュヴィーン:殺されたポール・ルノーのコートのポケットに、ベラ・デュヴィーンからのラブレターが入っていた。実は、軽業・ダンス・歌をこなすダルシーベラ・シスターズの姉のほう。
 ダルシー・デュヴィーン:ダルシーベラ・シスターズの妹のほう。物語の冒頭で、ヘイスティングズと電車で乗り合わせ、「シンデレラ」と名乗る。

 ポアロは、南米の富豪ポール・ルノーから「命を狙われている。助けてほしい」との手紙を受け取り、ヘイスティングズとともにフランスのメルランヴィルにあるジュヌヴィエーヴ荘に向かう。ジュヌヴィエーヴ荘に着いたところ、既にルノーは殺されていた。ルノーのコートには「ベラ・デュヴィーン」からのラブレターが入っていた。
 ポアロに敵意をもつパリ警察のジロー刑事も現れ、ポアロと犯人逮捕に鎬を削る。ヘイスティングズは列車で一緒になった「シンデレラ」に思いを寄せる一方、マルグリット荘に住む若い美人マルト・ドーブルーユの美しさにも魅せられる。
 やがて第二の殺人が起きてしまう。ポールを刺したのと同じナイフが刺さった状態でホームレスが死んでいたのだ。
 ジャックは、ジュヌヴィエーヴ荘に越してきて以来、マルトと愛し合うようになっていたが、父ポールに強く反対されていた。他方、ジャックは以前にベラ・デュヴィーンと愛し合っていたことが次第に明らかになる。
 どうやら事件は20年前の「ベロルディ事件」と深いつながりがあるらしい。アルノルド・ベロルディが殺された事件だが、美貌の妻ジャンヌ・ベロルディに疑いがかかり、ジャンヌの愛人であったジョルジュ・コンノーが犯人であると目された。
 はたしてマダム・ドーブルーユは、ジャンヌ・ベロルディであった。他方、ポール・ルノーは、ジョルジュ・コンノーその人であった。事件後、南米にわたり事業に成功して富豪になっていたのだ。メルランヴィルに引っ越してきたところ、マダム・ドーブルーユと名を変えたジャンヌが隣に住んでいたのであった。そのためポールはマダム・ドーブルーユから恐喝され大金をとられていた。
 ポールを殺したのは息子のジャックであった。と思いきや、ジャックを愛したベラ・デュヴィーンであった。いやそうではなかった。ジャックはベラが犯人だと思い、ベラはジャックだと思い、互いにかばっていたのだった。
 真犯人はマルト・ドーブルーユであった。マルトはジャックを騙して結婚し、ポールの財産を相続させてわがものにしようとしていたのだった。

 いやあ、面白い。謎が次から次へと提示され、一つ解明されたと思ったら、さらに深い真実が…という連続で、最後までひきつけられてしまう。
 
 私が読んだのは《クリスティー文庫》の新訳(田村義進訳)。物語の序盤で、メイドのドニーズが「フランス訛りの強い英語」をオート予審判事に証言として伝える場面がある。それを訳者は、

> 「"わかっちゃ、わかっちゃ。頼むから、ひょうのところふぁ帰ってふれ"」

 と訳していて面白いと思った。すぐ後に、オート判事の言葉として「"わかった、わかった。頼むから、今日のところは帰ってくれ"だね」と繰り返しているので、意味はきちんと読者に伝わるようになっている。
 この場面、同じ《クリスティー文庫》旧訳(田村隆一訳)はどう処理しているか、調べてみた。新旧訳を前後を含めて比べてみる。

田村義進訳(新訳)
> ドニーズはここで言葉を切り、それからその言葉をフランス訛りの強い英語で再現した。「"わかっちゃ、わかっちゃ。頼むから、ひょうのところふぁ帰ってふれ"」
 オート判事が繰りかえした。
「"わかった、わかった。頼むから、今日のところは帰ってくれ"だね」(P.47)

田村隆一訳(旧訳)
> 彼女はここでひと息ついた。それから注意深く苦心さんたんしながら、フランスなまりで英語の口まねをしてみせた──「そうです、そうです、ですが後生だから、いまはお帰りになってください!」
「そうです、そうです、ですが後生だから、いまはお帰りになってください、か」判事がそれをくりかえした。(P.52)

 旧訳では「フランス訛りの英語」を日本語に置き換えることはしていない。このあたり、訳者の個性の違いなのか、訳文に対する考え方が時代により変わってきているのか、よくわからないが、面白い。

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