芸の不思議、人の不思議

大友浩による「芸」と「人」についてのブログです。予告なくネタバレを書くことがあります。

はすまる『イボイボの世界』をアップしました。(2021.6.6)
映画『同棲時代』
をアップしました。(2021.6.5)
『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』
をアップしました。(2021.5.16)
内田百痢悒離蕕筺をアップしました。(2021.5.11)
クリスティー『ひらいたトランプ』をアップしました。(2021.5.8)
大友浩還暦記念コンサートをアップしました。(2021.4.2)
還暦記念コンサート終わりました
をアップしました。(2021.3.14)
今月のリコーダー吹けるもん
をアップし、第14回「ケンタッキーの我が家(金子健治編)」の動画を公開しました。(2021.2.22)
映画『TOKYO!』
をアップしました。(2021.2.5)
邦光史郎『利休と秀吉』をアップしました。(2021.2.5)
三浦綾子『千利休とその妻たち』
をアップしました。(2021.1.30)
映画『利休にたずねよ』
をアップしました。(2021.1.24)
今月のリコーダー吹けるもん
をアップし、第13回「ルージュの伝言」の動画を公開しました。(2021.1.22)
山本兼一『利休にたずねよ』
をアップしました。(2021.1.19)
2020年に見た映画
をアップしました。(2021.1.5)
澤ふじ子『利休啾々』をアップしました。(2021.1.2)
野上弥生子『秀吉と利休』をアップしました。(2021.1.1)

2020年の更新情報はこちら

 はすまる『イボイボの世界』(エブリスタ・コミック)というマンガをネットで偶然に見つけて、全35話を一気に読んでしまった。
 イボイボフェチの作者がイボイボの魅力について語ったエッセイマンガ。

 気持ち悪いものに惹かれる心理って何なんだろうなあ。

 作者の中では「気持ち悪い」が反転して「快感」になっている。うん、たしかに「気持ち悪い」は反転しやすいような気がする。なんかわかる。もともと「気持ち悪い」は反転する要素を含んでいるような気がする。

 そもそも、「気持ち悪い」とは何なのか。何かを「気持ち悪い」と感じる心理作用は、複雑で多様なものを含んでいるのではないだろうか。色々な種類の「気持ち悪い」に、共通する要素はあるのか、それとも、それぞれ別個の理由があるのか。

 マンガはこちらで読めます。無料です。
【完結】イボイボの世界 - エブリスタ・コミック

同棲時代
 Huluで『同棲時代』(1973年、山根成之監督、日本)を見た。由美かおる、仲雅美。いうまでもなく上村一夫のマンガを原作とする。

 とても良かった。あの時代特有のこっ恥ずかしい感じ、上村一夫ならではの少々感傷的で浮ついた言葉の感じも含めて、とても良かった。

 今日子(由美かおる)と次郎(仲雅美)は同棲を始める。二人が同棲していることだけが、唯一信じられることに思えたからだ。今日子はつとめている広告会社の社長(入川保則)から結婚を申し込まれるが、次郎との同棲を選ぶ。今日子の友人が訪ねてきて、「結婚することになった」というが、実は珍しい病気で結婚できない体だということがわかる。海辺に上がった心中死体を目撃する。今日子は妊娠する。が、次郎は「子どもなんか育てられない」という。隣家の夫婦は、同棲の末に結婚した夫婦だったが、喧嘩ばかりしている。奥さん(ひし美ゆり子)は肺結核で重症だったが、告白すれば結婚生活が壊れると思い、夫には言えないでいた。彼女はまもなく死んでしまう。赤んぼは堕ろすことにしたという置手紙を見て次郎は、スナックのママ礼子(大信田礼子)と浮気をする。が礼子から「そんな時はそばにいてやるものよ」と言われて、病院に走った。病院のベッドで二人は、また一緒に暮らそうと話をするのだった。

 序盤にこんな会話がある。

今日子「いま二人がつき合ってることは事実よね。信じられるものなんか、何もないみたいだけどさ、あたしと次郎がつき合ってることは信じられるでしょ?」
次郎「うん」
今日子「だったら、好きな間だけ一緒にいて、嫌になったら、いつでも別れるがいいじゃん」
次郎「今日子、お前…」
今日子「なに?」
次郎「…進んでるゥ」

 この映画の全てを象徴する会話ではないか。
 今日子は、この世で信じられるものは何もないと感じている。「結婚」という既成の制度にも違和感がある。だから唯一、同棲しているという事実のみを確かなものとして信じたい。しかし、それも実際はなんと危なっかしくて壊れやすいものであることか。
 「嫌になったらいつでも別れる」というが、そう簡単にはいくものではない。「進んでる」生き方とは、なんと地に足のつかない生き方なのだろうか。
 この映画は、昭和40年代…高度経済成長期後半という時代の空気を見事に伝えている。

 大信田礼子の歌うテーマソング「同棲時代」(都倉俊一作曲、上村一夫作詞)のほか、「命短し恋せよ乙女」という「ゴンドラの唄」が、もう一つのテーマソングのように使われている。

 今日子の友だち淳子(岩崎和子)が次郎に、「お嫁にいけない体なんです」という。何かと思ったら「花粉病」だという。当時は花粉症はほとんど知られていなかったのだろう。次郎の反応、「知らなかったなあ。そんな奇妙な病気がこの世にあったなんて」。花粉症で結婚できないんだったら、今は結婚できない人ばっかりだ。
 とはいえ、この映画の中では笑い話として扱われているわけではないこともちろんである。

 「あたし、お嫁にいけない体なんです。…花粉病なんです。花粉があたしの体にかかると、顔中に湿疹ができて、ひどい咳が出るんです。それが何日も何日も続いて、胸が苦しくなって、いっそひと思いに……。でも、この世に花のないところなんてないでしょう。果物だって花をつけるし、野菜だって花が咲くわ。大根の花、小豆の花、韮の花。茗荷の花なんて、蘭みたいでとってもきれいよ。でもあたしにはどんな花も、怖い…。だから春って大っ嫌い。あたしがほっとできるのは冬だけ。冬の季節だけ」

 ここで述べられている花が、全て「食べられる」植物であることは偶然ではないだろう。つまり広い意味で「実を結ぶ」植物なのである。ここでは「花粉病」が「結婚できない」ことの原因となっているが、その向こうに「子どもを産めない」のだということが透けて見えている。

 ところどころに表現主義的な象徴的なショットが使われている。

kubo
 Huluで『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』(2016年、トラヴィス・ナイト監督、アメリカ)を見た。

 映像や動きなど、よくできていてとても面白かった。アニメ…ストップモーションアニメというらしい。人形を動かして撮影しているだけでなく、CGを使って動かしているのだと思う。動きがスムーズだし、顔の表情もよく変化する。
 
 祖父《月の帝》によって左目を奪われた少年クボが、サルとクワガタの侍、それに折り紙の侍ハンゾウとともに、三つの武具を集め、祖父と対峙する。

 三味線・折り紙・侍・ニホンザルなど日本的アイテム満載。三味線音楽は津軽三味線がベース。

 以下ネタバレ。

 サルは母の化身、クワガタは変身させられ記憶を消さた父だ。二本の弦は父と母を象徴している。そこへもう一本、自分を加えて三味線となり、最後に強い力を発揮した。

 目は、生や死や愛や優しさが存在するこの世界を見るもの、目を失うことによって冷たい月の世界に永遠に生きることができる、というのが月の帝の論理。本来敵同士であった男女が愛し合いクボが生まれた。つまりクボの父母は、(月の帝の論理からいえば)一種のタブーを犯したのだ。クボの欠損はこのことに由来する。冒険の末、両親は死んだが、クボの「思い出」として残った。

「物語」という語がキーワードのように使われている。月の帝の主張に対してはクボは「それはあなたの物語だ」と言う。また、両親の位牌(のようなもの)に向って、また会えたら「本当に幸せな物語だ」「物語を終えられる」と言う。この「物語」は、有限の人生を言い表している。月の帝の世界では、生や死や愛や優しさがなく、永遠に変わらない時間しかない、つまり「物語」がないのだ。

 父の象徴がクワガタと折り紙のハンゾウの二人いることなど、やや設定が整理ができていない印象がある。

ノラや
 内田百痢悒離蕕筺(中公文庫)読んだ。

 この中公文庫版は、著者が愛した二匹の猫、ノラとクルについて記した文章を集めている。解説を参照して( )内に初出の発表年月を記した。

 彼ハ猫デアル(昭31.2)
 ノラや(昭32.7)
 ノラやノラや(昭32.8)
 千丁の柳(昭32.9)
 ノラに降る村しぐれ(昭32.11)
 ノラ未だ帰らず(昭33.6)
 猫の耳の秋風(昭34.6)
 ネコロマンチシズム(昭37.5)
 クルやお前か(昭37.12)
 泣き虫(昭38.1)
 カーテル・クルツ補遺(昭38.6)
 垣隣り(昭39.11)
 クルの通ひ路(昭39.3)
 「ノラや」(昭45.5)
 解説:平山三郎

 事実を簡単にまとめると、
 家(麹町にある)で野良猫が生んだ子猫が、家に住み着くようになり、飼うでもなく飼うことになった。ノラと名づけた。
 昭和32年3月27日にノラは、ぷいと出て行ったきり帰ってこなかった。
 やがてノラと毛並みがそっくりでしっぽの短い猫が家にやってきて、二代目となった。クルツ(クル)と名づけた。
 クルは5年3か月、百鬼園夫妻に愛されて、昭和37年8月19日、体が弱って死んだ。

 ここに収められた文章の三分の二はノラに関するもの。心配し、探し、待ち、泣いたことが、日記風の記述も交えて延々と綴られている。
 後の三分の一はクルについての記述である。ここでも百鬼園夫妻は、猫を愛し、心配し、看病し、悲嘆に暮れている。

 さて、現在猫を飼っている私としては、とても面白く読んだが、感情移入はしなかった。特に前半は、大の大人がいつまでもめそめそしやがって、という印象だ。とはいえ、後半に収録のクルの思い出話には、ほだされるものがあった。

 私が一番興味深く思ったのは、筆者はなぜこんなにいつまでも泣いていられるんだろうということ。
 飼っている猫や犬に死なれて大変なショックを受けることは、私の周囲の人々を見ていてよく知っているし、わが家の猫に死なれたらたぶん私自身もそうなるだろう。けれども、普通は一週間、一か月…と経つうちに平穏な日常が回復し、気持ちの整理がつくものだ。
 それを筆者は、いつまでもいつまでも泣いている。これはなぜなのか?
 「愛情深い」というような言葉では片づけられない。
 高齢で感情の抑えが利かなくなっているのだろうか?

 もう一つ面白かったのは、後年の文章では細部が変わってきている点だ。
 例えば、ノラがいなくなったのは昭和32年3月27日なのに、昭和45年の「「ノラや」」にはこう書かれている。

> 今、この原稿を書いてゐて、三月二十九日の「ノラや」の日が近い事を思ふ。ノラは三月二十九日に出て行つたのだから(P.299)

 筆者にとって大事な日を間違えて記している。
 また、クルが内田家にいた期間は5年3か月なのに6年と書いている。

> クルは五年何ケ月、正確には五年三ケ月の間に、すつかり私共の間に溶け込み、段段に可愛くなつた。(「クルやお前か」P.264)

> クルは六年ゐたが、(「垣隣り」P.292)

 記憶は時々更新しないと、頭の中でどんどん変容していく、という良い見本だ。私もつい最近経験した。純正音程、長三度は13c低く、短三度は17c高くと記憶していたが、本当は13.7cと15.6cだった。四捨五入するなら14cと16cなのだ。

 「抱かさる」という語が何度も出てくる。

> 庭の炭俵の空俵が動き出したので家内が行つて見ると、中から炭の粉をかぶつて飛び出してきたさうで、それで人に抱かさるから、著物(着物)は堪らない。(P.16)

> ノラが抱かさつた家内の腕をすり抜け、(P.264)

 ニュアンスがつかめない。岡山の方言だろうか(著者は岡山出身)。

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●アガサ・クリスティー『ひらいたトランプ』(加島祥造訳、2003年、クリスティー文庫13)

 原書は1936年。ポアロ物の長編。

 他人の犯罪歴を人知れず調べることを趣味とする変人のシャイタナが、8人をブリッジパーティに招待する。招待客は4人ずつ2つのテーブルに分かれてブリッジをしていたとき、何者かにシャイタナが刺殺された。ポアロと同じテーブルはオリヴァ夫人、レイス大佐、バトル警視といずれも犯罪捜査に関連する職業の人間であり、彼らは協力して事件の解明に努める。容疑者はもう1つのテーブルについていた4人、アン・メレディス、ドクター・ロバーツ、ロリマー夫人、デスパード少佐以外には考えられない。彼らはいずれも過去に人を殺したことがあると、シャイタナが言っていた。

 以下、主な登場人物。ネタバレを含む。

 シャイタナ:ブリッジパーティの招待主。他人の犯罪歴を調べることを趣味とする変人。事件の被害者。
 アン・メレディス:若い女性。ブリッジ参加者。容疑者。犯人かと思われたが違った。
 ドクター・ロバーツ:医師。ブリッジ参加者。容疑者。犯人。
 ロリマー夫人:ブリッジ好きの老婦人。ブリッジ参加者。容疑者。
 デスパード少佐:探検家。ブリッジ参加者。容疑者。
 アリアドニ・オリヴァ夫人:探偵作家。ブリッジ参加者。
 レイス大佐:諜報局員。ブリッジ参加者。
 バトル:警視。ブリッジ参加者。
 ローダ・ドーズ:アンの友人。

 クリスティーの長編は、登場人物すなわち容疑者が多いことが多いのだが、この作品の容疑者ははじめから4人に限定されているので、読みやすい。
 物的証拠よりも心理を核に推理を進めるので、推理小説としては弱いが、面白いのでOK。

 『大友浩還暦記念コンサート』の動画が出来上がりました。
 いや、もうアラばっかり目立ちます。お恥ずかしい。でも、何度か聞き直して、人様からも(ヨイショで)褒められたりしているうちに、だんだん「まあ、これはこれで」と思えるようになってきました。
 どちらにしても、一生に一度のコンサートですから、人生の記録だと思って公開します。
 指導&出演してくださった平井み帆さんには、本当に、本当に、感謝しています。改めて演奏を聞いてみると、未熟ないたずら小僧が平井さんの手のひらの上で駄々を捏ねている、という印象です。
 ゲストとしてご出演くださった内藤和美さんにも、心からの感謝を捧げます。内藤さんと共演させていただけたなんて一生の思い出です。
 スタッフの皆さんの多大なる支えなしでは、このコンサートは成り立ちませんでした。調律の池末隆さん、録画録音の嶌田幹夫さん、舞台進行の田谷悠紀さん、受付のMさん、松明堂音楽ホールのKさん、本当にありがとうございました。妻と娘たちもありがとう。
 そして何よりも、雨と西武線の遅延の中、会場までお越しになり温かく聞いてくださった皆さん、ありがとうございました。もう皆さんは私にとって親戚も同様です。

『大友浩還暦記念コンサート』

 2021年3月13日(土)
 所沢市・松明堂音楽ホール
 出演:大友浩(リコーダー)
 指導&出演:平井み帆(チェンバロ)
 ゲスト:内藤和美(朗読)


1、J・S・バッハ:アンダンテ〜フルートと通奏低音のためのソナタ BWV1034
 
 チェンバロの6小節の前奏のあと、フルート(リコーダー)が pp で入ってきます。なんとも伸びやかで明るい曲。幕開けにはふさわしいのではないでしょうか。
 原調のト長調を変ロ長調に移調しています。バッハの「○○と通奏低音のためのソナタ」では、バッハはソロ楽器(ここではフルート)と通奏低音の、2段の楽譜しか書いていません。通奏低音は主にチェンバロの左手で弾きますので、右手が丸々空きます。この右手は「奏者よろしく」ってなもんで、奏者は和声をつけたり、合いの手を入れたりして、音楽を演出します。

2、J・S・バッハ:フルートと通奏低音のためのソナタ BWV1035
 
 これも2段の楽譜です。原調のホ長調をト長調に移しています。
 (1)アダージョ・マ・ノン・タント
 (2)アレグロ
 (3)シチリアーノ
 (4)アレグロ・アッサイ
 の4楽章からなります。
 1楽章はイタリア式の装飾をバッハが譜面に書いています。2楽章は底抜けに明るい2拍子の曲。3楽章はやや憂鬱な雰囲気。4楽章は縦横無尽に動き回る快活な曲です。
 途中私が片足を上げる場面があります。これは高音ファ#を出すためにやっているんです(後の曲でも出てきます)。リコーダー用楽譜の作成は私がやりました。バッハの書いた音を動かすなんて私にはできませんから、機械的に移調しただけ、ファ#が出てきてもそのままです。2楽章なんて短い時間に3回も出てきて四苦八苦していますが、まあ自業自得です。

3、ナルシス・ブースケ:グランカプリース第12番
 
 リコーダー独奏。ブースケは19世紀の作曲家で、器楽のための練習曲を多く作っています。リコーダー不毛の時代の19世紀にあって、まことにありがた〜い存在です。12曲セットの最終第12番。歌心と技巧性をあわせもった、私の大好きな曲です。モダンピッチのアルトで演奏しています。
 だいぶ前に所属していたアンサンブルの発表会で吹いたことがあります。松島孝晴先生にレッスンしていただきました。そのときの先生の教えで一番印象に残っているのは「拍子を数えるな」ということでした。これはほかの曲でも言えることですね。先生の教えは私の中で生きています。

4、W・A・モーツァルト:きらきら星変奏曲 K.265
 
 前半最後の曲は、おなじみのモーツァルトのピアノ曲。リコーダー仲間で編曲家の大和田征さんに編曲していただいたのを、さらに平井さんに手を入れていただいています。
 最初に編曲を依頼したとき「リコーダー難しくしてもいいですよ」と言ったら本気にされちゃって、マジで難しくされちゃった。聞いている分には楽しいと思います(ぼやくな)。
 平井さんは、古典派という本来のレパートリーではない曲を、かわいい弟子(私!)のために弾いてくださいました。
 この曲を吹くために、譜久島譲さんにバロックピッチのソプラノを作っていただきました。当日はまだ慣らしも済んでいない状態でした。
 途中、低音ミを p で吹かなければならないところがあって、これがとても難しいんです。f でなら簡単に出せるんですが。そこで、012345/67という替え指を開発して吹きました。が、音程がめちゃくちゃ難しい。三度出てくるんですが、まあ二勝一敗かな。

5、《コラボレーション》
 長田弘:世界は美しいと
 ロバート・カー:イタリアングラウンド上のディヴィジョン
 
 「イタリアングラウンド上のディヴィジョン」は、レ−ソ−ド−ファ−シ♭−ソ−ラ−レという8つの音を繰り返す低音に乗って、リコーダーがなんとももの哀しく美しい旋律を演奏します。
 以前から、この曲を聞くたびに思い浮かべる風景があります。それは「自分が死んでいく前に見るこの世の名残の風景」というものです。まったくの想像ですが、そのとき世界は、限りなく美しく、愛おしいものに見えるに違いありません。何の根拠もないのですが、この曲はそういう風景をうたったものだと思われて仕方がないのです。
 そこで今回、そのイメージを実際に形にしてみようと考えました。それが、詩の朗読とのコラボレーションになりました。内藤和美さんに読んでいただいた詩「世界は美しいと」は、表題通り世界の美しさをうたっています。この詩と曲に「この世の名残りの風景」というイメージを重ねて聞いていただきたいと思いました。
 このイメージに合わせて、曲の方も、平井さんにお願いして、手を加えていただいています。具体的には、8小節の前奏をつけていただき、最後にテーマが回帰する直前に16小節の長調のくだりを創作していただきました。前者は朗読とのつなぎをスムーズにするため、後者は、死に臨んで見る風景は明るいものでもあるはずだ、というイメージを表現するためです。リコーダーも、ほとんどの装飾音を省略して演奏しています。
 なお、著作権の関係で、詩の朗読は動画では省略しています。

6、J・S・バッハ:ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ BWV1017 
 美しい曲、というより、すごい曲。こんな曲、バッハ以外の誰が書けたでしょうか。
 北御門文雄さんの編曲譜を使っています(原調ハ短調をニ短調に移調)。
 「○○とチェンバロのためのソナタ」では、バッハが3段の楽譜を書いています。ソロ楽器(ヴァイオリン)・チェンバロ右手・同左手です。左手は通奏低音ですが、右手はソロ楽器と対等の関係になっています。
 (1)シチリアーノ
 (2)アレグロ
 (3)アダージョ
 (4)アレグロ
 受難曲にも通じる深い悲しみをたたえた1楽章。涙が追いつかない2楽章。リコーダーの付点音符とチェンバロの3連符が衝突する3楽章。そして4楽章は、異様な緊張感の中でめくるめく世界が展開します。
 3楽章は聞く分には簡単そうに思われるかも知れませんが、実は一番難しい。チェンバロの右手は三連符(1拍を3分割)、ところがリコーダーは付点音符なんです(1拍を4分割して3:1に分ける)。微妙にずれるんですね。チェンバロを聞きすぎるとつられてしまう、聞かないとテンポが狂う、というジレンマがあるんです。で、この楽章の平井さんのアドヴァイスは「上でフワフワ漂っててくれればいいから」(^_^;)。
 レッスンのときも本番でも、全曲の最後の一音を吹き終えたときに、スーッと現実に戻ってくる感覚にとらわれます。言い方を変えるなら、異世界へ誘う力が桁違いに強い曲ではないかと思います。

7、J・S・バッハ:サラバンド〜フランス組曲第5番 BWV816 
 チェンバロ独奏。サラバンドとは舞曲の名前。16世紀のスペインでは野卑で淫らだということで禁止されたそうです。いったいどんな曲だったのでしょうか? フランスからドイツに入ったサラバンドは、ゆったりと荘重な音楽になりました。40小節のかわいい曲ですが、人懐っこい抒情性をたたえつつ、やはりバッハはバッハという緊密な音楽になっています。ト長調。
 平井さんの演奏、本当に素敵でした。《フランス組曲》は何回も聞いて体に入ってるけど、こんな新鮮でエモーショナルな演奏あります?

8、T・A・ヴィターリ:シャコンヌト短調 
 トリの一曲です。
 基本的に(階名で)ラ−ソ−ファ−ミという低音を繰り返す上に、情熱的で技巧的な旋律が乗って、スケールの大きい世界が繰り広げられます。
 原調通りト短調で演奏します。
 何度か転調しますが、中でも150小節からは変ホ短調(♭6つ。原譜では嬰ニ短調=#6つ)という聞いたこともないような調に突然行き、また突然無理やりト短調に戻るという、とても正気とは思えない展開があったりします。
 この曲を吹くのが夢だったんです。と同時に、大変なプレッシャーでもありました。難所は数知れず、おまけに長い。でも、やらずに後悔するより、やって玉砕しようと決めました。
 面白いですね。一番の難所は意外とうまく吹けたのですが、そうでないところで音程がうまく取れなかったり、走りに走ったり…。これが本番にひそむ「魔」か。いや、ただ技術が追いついてないだけか。何はともあれ精一杯吹けたので満足です……と言いたいところだけど、もう一度吹いたらも少し上手く吹くぞ(と強がる)。

9、ジョルジオ・パッキオーニ:イタリアングラウンド 
 アンコールの1曲目です。
 作曲者のパッキオーニさんは、イタリアの作曲家で、古楽の形式を借りて素敵な曲をたくさん作っています。どうも本職は高機能のオカリナの製作家のようです。
 この曲は、カーの「イタリアングラウンド上のディヴィジョン」の低音をそのまま使って、2声のカノンを乗せた美しい曲です。一度聞くと、頭にこびりついて離れなくなります。
 私の周囲でも誰も知らないこの美しい曲を、ぜひアンコールで演奏したいと思いました。

10、アントニオ・ヴィヴァルディ:冬のラルゴ〜協奏曲《冬》第2楽章 
 協奏曲《冬》の第2楽章ラルゴは、ヴィヴァルディが書いた最も美しいメロディーの一つではないでしょうか。唯一の弱点は、短いこと。始まったかと思うと、すぐに終わっちゃうんですね。
 そこで、2小節の前奏をつけ、前後半をそれぞれ繰り返して、二度目は装飾を加えてみました。リコーダー四重奏でお聞きになった方もあるかも知れません。
 装飾部分は、「吹くたびにどこかしら一か所でも変える」ことをモットーにしています。このことは、レッスンでも本番でも、一応貫きました。
 平井さんがチェンバロの「リュートストップ」を用いて、音色を変えてくださいました。これが雨粒が窓に当たる描写にぴったり!

11、バッハ/グノー:アヴェ・マリア 
 最後の最後はこの曲で。
 ステージでは曲名を言ってません。でも、チェンバロが音を出し始めた瞬間にわかりますよね。
 グノーが、バッハの《平均律クラヴィーア曲集》第1巻第1曲の「プレリュード」に1小節足して、上に美しいメロディーを乗せた名曲。
 最後、リコーダーが出しているソの音は、実は指をどこも押さえていないんです。音程をとるのが結構難しいのですが、なぜか一生に一度のコンサートの最後の音にはそれがふさわしいような気がして…。

 なお、おしゃべりも含めた通し動画はこちらです。
▼前半
▼後半&アンコール
 使用楽器:
(リコーダー)
 アルト 譜久島譲 ブレッサン 2017年 415Hz
 アルト 譜久島譲 ステインズビーJr. 2017年 415Hz
 ソプラノ 譜久島譲 シュテンベルゲン 2020年 415Hz
 アルト 竹山木管 ブレッサン 2002年 442Hz
(チェンバロ)
 イタリアン 野神俊哉制作 2003年 調律:池末隆

▼記録
 自分の心覚えのために、少しこのコンサートを振り返っておきたいと思います。

 思い立ったのは、還暦を迎えた2018年4月23日からほどなくの時期です。何か心にもやもやしたものがありました。「俺の還暦ってこんなものなのか?」という忸怩たる思い、とでも言ったら良いのでしょうか。何か区切りになるようなものが欲しいと思いました。
 それとは別に、前後して、「自分がリコーダーという楽器を愛した、なにか証拠のようなものをこの世に残しておきたい」とも思うようになりました。写真家の森山大道はよく、自身が写真によって風景を切り取っていくことを「擦過傷」という語を使って表現しますが、この伝でいうなら、私がリコーダーを吹いたということを、この世に傷跡のように残しておきたいと思ったのです。
 この二つの動機が合わさって、やがてリコーダーリサイタルがしたいと思うようになりました。
 開くなら、きちんと自分が表現できるようなもの。曲目の選択や演奏の質において。となれば、共演者はプロに、しかも私が尊敬している方にお願いしたい。そこで、チェンバロの平井み帆さんにレッスン方々ご相談申し上げたのが、2018年12月21日のことでした。このあたりの経緯は別に書きましたので、そちらを参照してください。還暦コンサートに向けて(2018.12.24)

 曲目は、割合早い時期、たぶん2019年の4月ごろには概ね決まりました。選んだポイントは、第一に私が吹きたい曲。つまり、美しく、ある程度の技巧性もあって、吹いて楽しい曲。第二に、聞いて下さる方(古楽関係以外の知人や親戚を含む)と直接つながりたいという思いから、理が勝った曲や古楽のマニアック過ぎる曲は避ける。第三に、プロのリコーダー奏者やアマチュア愛好家があまり取り上げない曲を中心にする。ヘンデルやテレマンも大好きだけど、みんな吹いてるので俺はやらねェ…というへそ曲がり精神です。
 大きな変更は一つだけ。無伴奏曲の候補として、オットテールのプレリュードを考えていたのですが、本番3か月前の時期に小池耕平さんのレッスンを受けたところ、アプローチを根本的に作り直さなければならなくなりました(そういう意味でとても有意義なレッスンでした)。しかし、それには時間が足りないので、もう一つ自分の中で候補にしていたブースケの「グランカプリース第12番」に変更しました。これは思い出の曲でもあり、結果的には良かったと思います。

 レッスンは、2018年12月を初回として、だいたい月に一回のペースでお願いしました。が、2020年4月〜6月はコロナ禍で中止。その間、一人でみっちりと練習……するということもなく、まあ、端的に言えばサボりました(^_^;)。
 平井さんのレッスンは、楽しく、得るところがたくさんありました。リコーダーを吹く気力が衰えているときにレッスン日を迎え、音楽することの新鮮さを取り戻したことも何度かありました。
 初めの二回ぐらいは、チェンバロの音が聞けなかったんです。自分の出している音が合っているのか合っていないのか、よくわからなかった。三回目以降はだいぶ慣れました。
 もう一つ面白かったのは、「レッスンは自身の芸を語る」ということです。平井さんのレッスンを受けることで、平井さんの音楽の作り方を感じることができます。客席に座った時、今度はそれが平井さんの芸術を味わう手立てともなるわけです。
 本番間際の3月になってから二度、ゲネプロに近い形のレッスンをしていただくことができました。これはとても助かりました。

 会場選びは二転三転しました。はじめの候補は、中野某所と千駄ヶ谷某所。どちらも私の好きなスペースで、チェンバロが置いてあります。中野は終演後にデリバリーを頼んでその場で打ち上げができるので、そうしようと思っていたのですが、そのころチェンバロの調子が悪く諦めました(今は治っています)。2020年が明けてほどなく、千駄ヶ谷のスペースに予約しました。が、この年の12月になってから、「新型コロナ対策で、15人での開催を検討してほしい」との要請があり、困ってしまいました。開催時期を延ばす、二回公演を行うなど、いろいろ考えましたが、出演者・スタッフのスケジュールもあり、思い切って別会場を探すことにしました。
 新宿オペラシティ内の近江楽堂はすでに埋まっていました(費用もかさむので内心ちょっとホッとしました)。
 いろいろ調べていくうちに、所沢の松明堂音楽ホールに思い当たりました。こちらは営業をやめたと聞いていたので、候補に入れてなかったのですが、いつの間にか再開しているらしいとわかりました。そこで問い合わせをしてみると、空いている! 大きさも程よく、響きも素晴らしく、雰囲気も素敵なスペースです。チェンバロもあり、担当の方もとても親切。営業しているとわかったら、最初からここにお願いしていたと思います(結局本番で使ったチェンバロは、平井さんの楽器を運んでいただいたので、チェンバロがあるスペースという条件は無くても良かったのですが)。
 千駄ヶ谷も中野も私のお気に入りのスペースなので、機会があったらぜひ利用させていただきたいと思っています。

 松明堂音楽ホールのキャパシティが84なので、お客さまは半分弱の40名としました。私としてはちょうどいいぐらいの人数です。ご招待者のみ入場無料で開くことは、はじめから決めていました。ただ、40名とは言っても、一人一人にお声がけをしたので、大変といえば大変でした。お誘いのお声がけ、招待状送付、直前のご連絡、終演後の御礼と、お一人お一人に連絡を差し上げました。
 私の人生の一つの区切りという意味合いもあったので、今は疎遠になっている人、端的にいえば喧嘩別れのような状態になっている人にも声をかけました。3人のうちの2人はアプローチしましたが返事なし、1人は用事があって来られないとのことでした。まあ、それはそれで良いのです。私にとっては、お誘いしようと動いたことが大事な意味をもっていました。
 高校時代のクラスメートや20年来の友人など、懐かしい顔も来てくれました。
 ご招待者の内訳は、親戚、仕事等での知り合い、リコーダー関係が、それぞれ三分の一ぐらいでした。
 当日は、西武新宿線が一時止まってしまったために、開演時刻に5名がいらっしゃっていませんでした。そこで開演時刻を10分遅らせましたが、まだおいでにならないので、ステージに出て場つなぎのおしゃべりをしました。結局20分遅れで開演しました。最終的にいらっしゃらなかったのはお一人だけでした。

 「なんで入場料取らないの?」という人がありましたが、いただけませんよ、そんなもん。私はアマチュアだし、「寝床」という落語を知ってますから。そもそも私は「お誕生会」とか「芸歴〇周年パーティ」みたいなのが大っ嫌い。自分の個人的な祝い事にご祝儀もって来いという、神経がわからない。周囲がその人のために開くというのならわかるけれども、自分で開くなんてねえ。私のために貴重な時間を割いておいでいただくのだから、入場料なんてとんでもないことです。そういうわけで、コロナ禍でお客様と主催側の物のやり取りは無いほうが望ましいということもあったので、花束・ご祝儀・差入れは固くご辞退申し上げることにしました。このときばかりは音楽だけで皆さんとつながりたかったし、それだけで十分だと思いました。

 服装をどうしようかと、かなり早い時期から妻と話し合っていました。考えれば考えるほど頭の中で盛り上がってしまって、「よし、タキシード買っちゃおう!」ということになりました。近くの洋品店を折に触れて見て回っていたところ、結局2020年の冬に市内のアオキさんで注文しました(その節はお世話になりました!)。年明けに引き取りに行ったのですが、自宅で試着したのは本番前日でした。なお、映像で胸ポケットに見える白い物は、ハンカチではなく、マスクです(^_^;)。

 招待状がわりのチラシは自作しました。ラクスルを使うのも初めてなら、PDFファイルを作るのも初めて。事前に写真も撮らなければならず、文章も書かなければならないので、かなり苦労しました。ちょっとふざけて「マスクならびにパンツ着用でお願いします。全裸不可。」と書きました。皆さん返事を下さる際に「パンツ履いていきます」など乗ってくださったので、嬉しかったです。最も受けたのは平井さんからのリアクションで、いただいたメールに「全裸不可。大事なことですよね。」と書かれてありました。また、録音録画を引き受けて下さった嶌田さんは「じゃあ、上半身は裸でもいいんだね」とのたまったので、「もちろんOKです」とお答えしました。

 当日のプログラムも自作……しようかと思ったのですが、頭が煮詰まってしまったので、文章とラフを送って、嶌田さんに貼り込み&レイアウトをお願いしました。きれいにまとめて下さったので感謝しています。

 当日に向けては、スケジュールを綿密に組む必要がありました。2回の本番前レッスン、個人練習、楽器の調整、オイリング(楽器にオイルを塗る)、配布物消毒作業をうまく組み合わせなければなりません。調整には先方のスケジュールがあり、オイリングの後は乾かすのに時間がかかります、個人練習の時間はもちろん必要ですが、直前にやりすぎると楽器が疲れます。というわけで結局、3/6レッスン、3/8調整&配布物消毒(妻と)、3/11レッスン、3/12午前中練習のあとオイリング(オリーブ油)、というスケジュールになりました。3/12の午後は練習とオイリングを済ませたら、穏やかに気持ちを集中させ、夜は早く寝る……予定でしたが、すぐ戻ると言って昼前に家を出た家人が夕方まで戻らず、電話してもメールしても返事がないので、何かあったのではないかと心配になり、事故情報をいろいろ調べたりして、穏やかに集中することは完全に失敗しました。結局買い物をしていたのだが、それならたった一行メールをくれればいいだけなのに、これは今思い出しても残念です。腹を立てながら寝たので、睡眠の質もあまり良くありませんでした。2年以上かけて準備をしてきたものが、直前の過ごし方に失敗した。このことは本当に悔やまれます。演奏にもなにがしかの影響がありました。

 当日の人員配置についても考えなければなりませんでした。録音録画は嶌田さん(事後の編集も)、受付は妻と笛仲間のMさん、検温は次女、開演前のアナウンスを長女に頼みました。進行ははじめ笛仲間に頼もうと思っていましたが、どうも安心できず、前の職場の後輩の田谷さんにお願いしました。加えて、チェンバロ運搬&調律の池末さんも諸々アドヴァイスを下さり、本当に助かりました。進行表を事前に作り、ゲネプロ前にスタッフ一同で顔合わせ&打ち合わせをしました。招待者名簿には、小さな字で一言情報を添え、受付係が挨拶しやすくしました。

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 昨日、2021年3月13日、『大友浩還暦記念コンサート』無事に終了しました。所沢市・松明堂音楽ホール。

 指導&共演して下さった平井み帆さん、朗読で花を添えてくださった内藤和美さん、開催のために力を貸して下さった多くの人々と家族、素晴らしくサポートしてくださった松明堂音楽ホールさん、そして何よりも雨と西武線の遅れをかいくぐってお越しくださった皆さんに、心から御礼申し上げます。

 会の模様は改めてまとめるつもりです。動画も公開できると思います。

「還暦コンサートに向けて」(2018.12.24)


 皆さまから多くのご感想が寄せられました。
 ご承諾が得られ次第、順次紹介させていただきます(とりあえずご承諾をいただいた順。落ち着いたら五十音順に並べ替えます)。

▼平井み帆さん

 昨日のコンサート、お疲れ様でした!
 とても温かな、幸せな時間でしたね。
 こんなに素敵な企画に参加させていただけて、
 感謝の気持ちでいっぱいです。
 大友さんの人と音楽への愛情に
 沢山のことを教えていただきました。
 本当にありがとうございました。
 皆さん、良い時間を過ごしていただけたようで
 本当に嬉しいです。
 昨日は宝物のような時間だったので、
 私、今、結構ロスです。(笑)

※2018年12月に企画をご相談申し上げて、もし断られていたらこの会はありませんでした。ほかの方を探すことは全く考えていませんでしたから。この2年強、レッスンを通じて本当に多くのことを教えていただきました。リコーダーを吹く気力が衰えていたときにレッスン日になり、音楽することの新鮮さを取り戻したことも何度かありました。客席からも憧れていた平井さんに本気を出していただいて、「ロスです」なんてお言葉までいただいて、こんなに幸せなことはありません。本当にありがとうございました!

▼内藤和美さん

 お疲れさまでした。
 お世話になりました。
 リコーダー素晴らしかったです。準備から考えると、仰っていた通りゲネで終了したいのも分かるような気がしました。
 たまたま拝見したチェンバロ平井み帆さんとの稽古風景も刺激的で!
 とにかくいい感じ!
 大いに楽しませて頂きました。
 またお客様の暖かさ、ご家族の応援も素敵な雰囲気を醸し出していました。
 想像もしなかったご一緒の機会、心からお礼申し上げます。
 有難うございました。
 また様々学ばせて頂きたく思います。

※平井さんとはお互いに刺激を与え合ったようで、お二人を結びつけた私としても嬉しいです。内藤さんの朗読の、ひとことひとことのイメージの喚起力に、多くの方が感銘を受けました。私も涙をこらえて…。共演していただいて一生の思い出になります。ありがとうございました!

▼柳家小団治師匠

 あっと言う間の2時間でした。
 リコーダーの音色がこんなにいいものだとは知りませんでした。
 それにしても最高の道楽ですね。共演者、会場、プログラムその他諸々、大友さんの財力に感心した一日でした。
 御内儀様もいいお顔をして受付にいらっしゃいました。
 終演後、少し出しゃばってしまい、失礼致しました。
 昨日位、大友さんと出会って良かったなと思った事はなかったです。本当にお邪魔して良かったです。

※ありがとうございます。尊敬する小団治師匠に、おいでいただいただけでも感激なのに、望外の嬉しいお手紙までいただいて、おまけに終演後にお言葉まで頂戴してしまいました。感謝しかありません。多少の費用はかかりましたが、出演者・スタッフの多大なるご協力によって、貧しくとも少しずつ貯めたオアシで何とか開くことができました。

▼大友慎二さん

 いいコンサートでした。
 演奏もプロ級、会場がまたほどよい残響で古楽に最高の音響では?
 温かい空気感を味わえました。

※ありがとうね。年を取って兄弟ますます似てきて、客席がざわついたそうで、申し訳ない(^_^;)。

▼桂小すみさん

 昨日は素敵なコンサートにお招き頂きましてありがとうございます。
 ホールの響きが音楽にとても合っていて心地よく、演奏にも集中でき何もかも最高に楽しみました!
 み帆先生にはお話ししましたが、サラバンドを聴いていて、チェンバロと三味線は合うのではないかと想いました
 奥様にもご長女さまにもお目にかかれ、桜子お姉さんはリコーダー熱メラメラさせて、本当に濃厚な勉強させて頂きました!
 ありがとうございます。

※天才的な音楽センスの持ち主の小すみさんにそう言っていただけて嬉しいです。チェンバロは江戸中期ぐらいまで活躍している(概ね宝暦以降にピアノフォルテに替わる)ので、三味線と時期的にも重なるところが多いですね。

▼佐藤友美さん

 昨日はお招きくださいまして、ありがとうございます。とてもとても素晴らしかったです、素敵でした。
 そこはもっと病んで!っていう指示をされた話もとても面白かったです。そういう言葉を集めて、大友さんなら本が書けると思いました。いかがでしょうか?
 普段、子供たちのリコーダー演奏しかきいていないので、こんなにも豊穣な世界が、リコーダーで描けるなんて、YouTubeがアップされたら、見せようと思います。
 チェンバロは平井さんのものなのですか?チェンバロの調律師?がいるのですね。まめにチューニング?をするのは三味線みたいですね
 すさまじく凝った会だったのですね。会場もすてきだし、コラボレーションも面白いし、贅沢な会でした。ありがとうございます。

※チェンバロは平井さんのご自宅から運んでいただきました。調律をして下さった池末さんは、本当にプロ中のプロで、大変お世話になりました。チェンバロはじめ古楽器はいつも調律していますね。ほんと三味線と同じ。

▼神田桜子さん

 先日は素晴らしいコンサートに呼んでいただきありがとうございました。
 あいにくの雨でしたが、大友さんのおかげで雨のじめじめも吹き飛んでしまうくらい素晴らしいコンサートだったと思います。
 リコーダー、やはり楽器と奏者が良いと音色全然違いますね。
 初めて生のチェンバロを見て、演奏を聴けたのも感動致しました。
 コンサート中、私は中世ヨーロッパに時間旅行をしたような気分でした。
 素晴らしいお時間をくださりありがとうございました。
 大友さんはもちろんですが、素晴らしい演奏と朗読を聴かせてくださいました先生方にもお礼をお伝えいただけますと幸いです。
 パンフレットも素晴らしかったです。休憩時間のところ、中入りとかいてあるのが、演芸ぽくてクスリときました笑
 今後とも何卒宜しくお願い致します。

※あ、「中入り」何も考えないで書いていました。そうか、一般のコンサートでは「休憩」っていうんですね。コロナ禍が一段落して、リコーダーを買いに行くときは声をおかけください。いつでもつき合いますから。

▼熊澤南水さん

 此度は、誠におめでとうございました。
 私にまで、貴重な一席を賜りまして、厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。
 ファミリーを中心に、アットホームで温かい和やかな会になりましたね。いい記念になられたと思います。
 リコーダーはもちろんチェンバロを間近に拝見するのも、全て初めての体験でした。まだまだ知らない世界が沢山あるのに、自身は齢80歳にならんとしております。やはり何度も生れ変わる必要ありますね。
 勝負曲ばかり…と、平井先生おっしゃっておいででしたが、どれだけ練習なさったのか、そのご努力に頭が下がります。いつも客席から観るお立場ですから、逆に上って演じる立場の苦悩を、そして、喜びを、味わわれた事と存じます。ユーモアに満ちたトークも魅力的でした。長年培われた演芸の分野での学びが、そのまま自然体でことばとなっていた感がありました。
 私はソロで演奏なさった、グランカプリース12番が、とても心に響きました。かなり難しい指の動きが見られましたが、大友さんは難なく、楽しそうに奏でておいででした。
 どうぞ、古稀、喜寿、傘寿と、先に目標を持たれてご精進下さいませ。もし、私が元気でしたら、又、お声を掛けてくださいませ。

※お聞きくださって感激しています。南水さんの語りの、ピーンと張りつめた一本の糸のような清冽な境地には程遠い、ただの道楽芸ですが、自分なりに一生懸命やれたので満足です。南水さんにそうおっしゃられたら、少なくとも古稀まではやらなきゃいけないですね。

▼矢田部久美子さん

 本日は大変お疲れさまでした。
 美酒に酔いしれて、今頃は夢の中でしょうか?
 2年間練習を積んで育まれて来られた楽曲を、日本最高峰のチェンバロ演奏に合わせてご披露出来る喜びが、ひしひしと伝わってくる演奏会でした。
 ただ、私には高度過ぎて「素晴らしい!」「凄い!」という薄っぺらな感想しか書けないのが辛いです。
 <冬のラルゴ>は最高でした。大友さんが一番輝いて見えました。
 別世界に引き込まれたような朗読とのコラボは初体験でしたが、朗読と曲が私の感性にドンピシャ。チョット嬉しくなりました。
 綺麗なお嬢さんお二人にもお目に掛かれて、最後に「これからも宜しくお願い致します」と声を掛けられました。大友さんにしてこのお嬢さんあり。素敵なご家族に乾杯!

※ご来場ありがとうございました。私にとって生涯に二度と無い時間に立ち会っていただいて、嬉しいです。最後のヨイショのお言葉は家族にも伝えます。また一緒にリコーダーが吹ける機会があればと思います。

▼長谷川泰子さん

 昨日は、素晴らしいコンサートをありがとうございました。
 とても貴重な想いをされたのですね。
 そんな素晴らしい時を御一緒させていただき、光栄に思います。
 友達ち自慢と仰っていただき、とても幸せです。
 ぜひまた共演させて下さい。
 ご招待をいただきまして、ありがとうございました。
 心より感謝を込めて。
 長谷川泰子ホームページ

※ありがとうございます。終演後に客席がよく見えなくて、オペラをはじめ幅広い歌を歌いこなすプリマドンナである長谷川泰子さんを、皆さんに紹介し損ねてしまいました。気づいてからずっと後悔しています。「お友だち自慢」をしたかったのですが。申し訳ありません。

▼田谷悠紀さん

 昨日はお疲れさまでした。
 とても素敵な会になりましたね。
 お手伝いできて光栄です。
 今後とも宜しくお願いします。

※ありがとうございます。田谷君が進行役を引き受けてくださったので、本当に安心して演奏に集中することができました。助かりました。早起きさせてしまって悪かったねえ。

▼上島卓司さん

 いやいや、良いものを見させて、聴かせていただきました。
 相変わらずの大友節も。
 私もジャワのガムランを教わり始めて15年以上たつけど、大友のリコーダーの域にはとても達していない・・・。
 でも、楽しんでるからまあいいか、とも思う。
 エリック・ドルフィーが言った「再び捕まえることのできない」音との一期一会を大切にしたい。
 では、また。
 どこかで会おうぜ。

※嬉しいなあ。お互いにジジイになっても、高校時代の同級生に会うと、なんかいろいろ変わらないよなあ。こんなことがあるからコンサートやってよかったと思う。コロナが済んだらイッパイやろう。

▼K.N.さん

 昨日は素晴らしいコンサートに招待していただきありがとうございました。
 全て大曲ながら和やかで楽しくて、ちょっとシャイなトークでゆったりと聴かせていただいてました。
 特にイタリアングラウンド上のディヴィジョンとアンコールのカノンが良かったです♪ あと、ブースケも良かった! バッハ達はもちろん凄い聴き応えで良かった! あもう全部ですね。
 415の音空間は何ともいえませんね…あのスローなメロディーの音色は素晴らしいです。特にフレーズの終わりの音が綺麗でした。譜久島さんのリコーダーすごいすごい!

※お越しいただき嬉しかったです。だいたい私が司会をやると、すぐふざけてあんな感じになっちゃうんです。「青い風」にいたときの発表会もあんな感じでした。譜久島リコーダー、欲しくなったらいつでもご紹介しますよ。

▼山路玲子さん

 演奏会が終わりまだ余韻が残っていることでしょう。
 大友さんは松島先生との音楽的空間の一瞬を切り取り、それを土台にあんな素敵な演奏会まで広げていかれたのですね。
 さすが大友さん! 拍手喝采です。
 バッハはパユのフルートのCDでいつも聞きながら寝入っていました。大友さんの音楽や日常の中で積み重ねてきた経験をバッハの音楽と重ね合わせて、丁寧におおらかに曲を作り上げているのが垣間見られて、心に届きました。
 私も人生の晩年にさしかかり、美しさに満ちている一日一日が、神様の贈り物のように感じています。大友さんの「その時世界は、限りなく美しく、愛おしいものに見える」私もまったく共感します。
 平井さんのサラバンド素敵でした。
 平井さんと大友さんが、二年間で作り上げた音楽というファミリーの仲の良い兄と妹のように感じました。
 息があっていて、生き生きとした一曲一曲を楽しませてもらいました。
 ありがとうございました。
 また次の目標を楽しみにしております。

※松島先生とは色々あったけど、やっぱり師匠は師匠なんですよね。平井さんと兄妹は過分なお言葉で、平井さんの方が師匠で、しかもずっとお若いので…。一曲吹き終えて平井さんを見ると、ものすごく素敵な笑顔を向けてくださるんです。それで私も笑顔になるという。平井さんと名コンビの太田光子さんの笑顔の秘密もこれか、と思いました。

▼K.F.さん

 昨日は、久しぶりの独奏会を堪能したという充実感に溢れたものでした。御招待を心より感謝申し上げます。
 とても良い席でした。演奏の最初の音で、閑雅なチェンバロの音と豊かな響きのリコーダーの音で心は持って行かれました。
 良い響きのホールでした。「水のいのち」という合唱曲があって、心の友なのですが、詞が単なる水や河や海や水たまりの描写に終わっていない、深い人生そのものを歌っているのですね。
 昨日の朗読にも、それを大いに感じ、涙いたしました。音楽の力と言の葉の力を確認した演奏会でした。本当に有難う御座いました。
 それと大友さんの神経のずぶとさにも感心しました。あれだけの難しいパッセージのあとでも、額に汗一つにじまないという、その胆力にも感嘆いたしました。余計なことをごめんなさい。またチャンスがあれば、お声をかけて下さいまし。

※最初の音に感じて下さったのはとても嬉しいです。チェンバロが先行して、やがてリコーダーが pp のロングトーンで入ってくる、という始まり方は、私なりに意図したものでした。高田三郎作曲の『水のいのち』と兄弟みたいな曲『心の四季』は大学時代に歌いました。いろいろお話が合うかも知れませんね。

▼E.K.さん

 先日はすばらしいコンサートにお招きいただき、ありがとうございました。
 まるで教会のような神聖さを感じさせる会場に、チェンバロとリコーダーの美しい音色が響き渡り、心安らぐひとときを過ごすことができました。
 コロナ禍で自粛自粛の毎日。閉塞感が漂う中、久しぶりに生の音楽に触れて、なんだか心が潤ったような気がしました。
 アンコール3曲では足りないほど、もっともっと演奏を聴いていたかったです。
 70歳記念のコンサートも、ぜひ行ってくださいね!

※ありがとうございます。E.K.さんの職場とは違う種類の神聖さがあったかも知れませんね。私はそのどちらの空間も愛しています。コロナ禍の中の一時の清涼を感じてくださったことは、本当に嬉しいです。

▼吉野めぐみさん

 大友さんがあんなに本格的にリコーダーを演奏なさるとは驚きでした!
 とても素晴らしかったです!
 人手不足のせいで今仕事が忙しくて、刺々しい日々が続いている中、とても心穏やかな時間を過ごすことができました。
 素敵な記念のコンサートにお招きいただいて本当に有り難うございました。

※お忙しい中お越しいただいて本当にありがとうございます。めぐみさんの素晴らしい感性は、きっと私の芸を受け止めて下さるだろうと信じておりました(笑)。コロナ禍が落ち着いたら、また大神宮の打ち上げをやりましょう、田谷君と三人で。

▼細岡ゆきさん

 公演ご成功おめでとうございました!
 熱のこもった素晴らしい公演にお招き頂きありがとうございました!
 大友さんのリコーダーへ対する情熱、大曲揃いのプログラムに、感銘を受けました。
 私も、リコーダー奏者として、60を迎える時に、このように熱を持った演奏が出来るのか?と思いながら、演奏を楽しむのみならず、人生の中でリコーダーとどう向き合って行くのか、これからは、もっと考えながら行くことで、意味のある演奏を積み重ねて行けるのかもしれないと思いながら拝聴させて頂きました。
 そう言った意味でも伺えて良かったです!
 また、お目にかかれますこと楽しみにしています。

※第一線で縦横に活躍するリコーダー奏者・細岡さんには、レッスンでもお世話になり、今回もわざわざ足をお運びいただいて感激しています。「リコーダーを吹くこと」を「人生」との関連で受け止めていただいて、とても幸せです。このコンサートの根本には、まさにそうしたまなざしがあったからです。どうぞ今後ともよろしくご指導くださいませ。

▼小森傑さん

 本日は素晴らしいライブ、ありがとうございました。
 申し訳ありませんがこちらが勝手にイメージしていた還暦コンサートではなく、素晴らしい表現力と技術の高さにビックリ(失礼)しました。
 妻も大変感動してました。
 いつもお会いしてる時の大友さんじゃなかった・・・。
 タキシード姿だけじゃなくてね(笑)。
 本当にこんな時期だからこそ心にしみました。
 奥様にもご丁寧な挨拶を頂きまして大変恐縮しました。
 これからも楽しい音楽活動、頑張ってください。
 勿論、笑点暦も・・・(笑)。

※ひょっとして私のことを、いつもふざけてるだけのジジイだと思ってますか? 違います。いつもふざけてるリコーダーを吹くジジイです。素敵な奥様にも初めてお目にかかれて嬉しかったです。よろしくお伝えください。笑点暦のほうでもよろしくお願いします。小森さんがいないと作れないんスから…。

▼苺ママさん

 大友さんの幸せそうな姿を拝見して私も幸せでした!
 選曲も好みのものばかりでした。プログラム最後の曲はえぐい和音満載で、これはこれで聞き応えがあって良かったです。
 私は3年前から庄司先生の個人レッスンに通い出し、それなりにリコーダーを楽しんでいます。私も還暦コンサートやれたらなーって思いました。その時は友情出演でデュエットをお願いします。

※ヴィターリ訳わからないですよね。還暦コンサートの友情出演合点承知仕りました。必ず声をかけてくださいよ!

▼S.S.さん

 先日は、濃密な演奏会をありがとうございました。
 プログラムの曲目解説一つとっても、サービス精神が溢れていて、大変参考になりました。
 朗読あり、名曲の新編曲あり、とても工夫されていてみなさんに喜ばれるものを、というお気持ちが伝わってきました。
 私が一番印象的だったのは、きらきら星。Newモーツァルト、まるで三つの楽器で演奏しているようで斬新でした。
 これでリコーダーは一区切り、とおっしゃらず、さらに邁進されてください。

※ありがとうございました。もちろんリコーダーは続けます。一方でほったらかしになっている尺八(初心者です)も復活したいと思っています。古典派の「きらきら星」は本来平井さんのレパートリーではないのですが、無理にお願いして弾いていただきました。


 『TOKYO!』(2008年、ミシェル・ゴンドリー/レオス・カラックス/ポン・ジュノ監督、フランス・日本・ドイツ・韓国)、Netflixでもうすぐ配信終了ということなので慌てて見た。

 東京をテーマにした3つの短編からなるオムニバス映画。

「インテリア・デザイン」(ミシェル・ゴンドリー監督)
 藤谷文子の彼氏は売れない映画監督(加瀬亮)。二人は部屋を探すべく東京に出てきた。当面、友人・伊藤歩の部屋に泊めてもらう。藤谷は、加瀬と付き合っているが、どことなく人生観にずれを感じている。駐車違反の罰金を払うのも苦しく、伊藤からも邪魔にされ、どこにも落ちつける場所がない。あるとき不思議なことに、藤谷の体が椅子に変わってしまった。椅子としての藤谷はミュージシャンの大森南朋に拾われて、ようやく自分が自分らしくいられる居場所を見つけた。
 自分を椅子に変化させること(これが何を意味するかは多様な解釈を許すだろう)ができれば、東京は居場所を与えてくれる、という寓話(だと思う)。
 一見低予算映画風に作られているが、実力派の俳優が惜しげもなくゴロゴロ出てくるし、細かいところが丁寧に作られているので、実は結構贅沢な映画だと思う。
 余談だが、包装のアルバイトの面接のときに一緒に映っているのは谷よしのではないかな? クレジットなし。谷さんは2006年に亡くなっているので、もしそうだとしたら最晩年の出演ということになる。

「メルド」(レオス・カラックス監督)
 マンホールから現れ、人々を脅かしてマンホールに消える「下水道の怪人」(ドゥニ・ラヴァン)が東京を恐怖に陥れた。彼はあるとき地下で見つけた旧日本軍の手榴弾を群衆に向って投げ、多数の人を死傷させた。怪人は逮捕される。フランスから彼の言葉がわかる弁護士(ジャン=フランソワ・バルメール)がやってきて、通訳と弁護をする。怪人はメルド(糞)と名乗った。メルドは絞首刑になるが、死なず、どこかへ消えた。次はニューヨークか。
 都市(東京に限らない)の持つ奥行き、闇、暗部、多層性を表していると思う。とはいえ、一つの完結した作品というより、カラックス監督のもっている複数のモティーフが断片的に表れた映画ではないだろうか。
 メルドと弁護士は、共通の言語、片目が潰れている(メルドは右目、弁護士は左目)、あごひげが赤くて横に流れているという共通点を持つ。同じ世界の住人なのだろう。

「シェイキング東京」(ポン・ジュノ監督)
 香川照之は11年引きこもっている。家の中は病的に整理されている。人と目を合わせることはない。生活費は実家から送ってもらっている。毎週土曜日にはビザを注文する。ある時ピザが届いたちょうどその時に地震があり、宅配の女性・蒼井優と目が合ってしまった。衝撃を受ける香川。蒼井は気を失ったが、腕に描かれた「電源」ボタンを香川が押すと、意識が戻った。香川は、また蒼井に会いたいとピザを注文するが、あのあと彼女は引きこもったことを知る。意を決して彼は、11年ぶりに外に出た。なんと、外の世界ではみんなが引きこもっていた。ついに彼女を見つけたとき、また地震が起きた。外に出てきた蒼井に、香川は家に入るなというが、蒼井は拒む。揉み合っているうちに香川は、蒼井の腕に描かれた「love」のボタンを押した。蒼井の表情が変わった。また世界が揺れた。
 「ひきこもり」と「地震」から発想したのではないか。このキーワードはわかりやすく、凡庸でもあるけれど、生まれてきた物語は、なんと瑞々しい感性に満ちていることか。孤立して引きこもる都市の住人。しかし彼らもどこかで他者とつながりたいと思っている。
 香川照之の演技が光っている。

 ゴンドリーとカラックスはフランス人、ジュノは韓国人である。ここには三者三様の「東京」のイメージがある。言い換えれば、東京は世界の人々の多種多様な想像力の対象になっているということだ。もはや日本人が考える東京だけが東京ではない。この三つの物語は、それぞれ独自の東京観をもっているが、敢えて一言でいうとするなら、「インテリア・デザイン」は「東京の包容力」、「メルド」は「東京の闇」、「シェイキング東京」は「東京の襞(ひだ)」に着目した作品と言えるのではないか。

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 邦光史郎『利休と秀吉』(集英社文庫)を読んだ。

 単行本は1991年淡交社。

 第一章 はつはな
 第二章 黄金の茶室
 第三章 老古錐
 第四章 聚楽の春
 第五章 北野大茶湯
 第六章 淀之女房
 第七章 春雷鳴る
 第八章 太閤惑乱
 第九章 夢のまた夢
 第十章 残りの色
 利休と秀吉の背景――文庫版あとがきに代えて

 似たタイトルの野上弥生子『秀吉と利休』が、どちらかといえば利休中心に描かれているのと逆に、こちらはどちらかといえば秀吉中心。それも権力をめぐる動きに重きを置いている。全十章のうち第七章で利休は死んでしまう。

 心理描写はさほど細かくない。

 跡継ぎの実子ができない秀吉の悩みがクローズアップされる。

 割合細かく事実を拾っているが、もちろん取捨選択はなされている。例えば山上宗二処刑のくだりは完全に無視されている。

 利休と秀吉との心の乖離をうまく表しているくだりがある。ある茶会で、秀吉が利休を慌てさせようといたずら心で、茶入と茶碗の間に野菊を一茎置いておいた。が、利休はそれを無視するように平然と脇へ置いて点前を進めた。秀吉は子供扱いされたかのように感じたが、それを咎めることもできず、黙っているより仕方のない状況に追い込まれた。P.265以下。

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