芸の不思議、人の不思議

大友浩による「芸」と「人」についてのブログです。予告なくネタバレを書くことがあります。

●アガサ・クリスティー『メソポタミヤの殺人』(石田善彦訳、2003年、クリスティー文庫12)

 原書は1936年。ポアロ物の長編。

 イラクの遺跡発掘現場が舞台。看護婦のエイミー・レザランは、ルイーズ・ライドナーの世話をするよう依頼されて、イラクの遺跡調査隊に合流する。ルイーズは調査隊の隊長エリック・ライドナーの妻で、美しく聡明な女性だった。エリックとの結婚は二度目だった。最初の夫フレデリック・ボスナーはスパイとして逮捕され、二十年前に死んでいた。ルイーズは何かに怯えていた。彼女のもとにたびたび脅迫状が届いていたからだった。それは死んだフレデリックからだと思われた。レザラン看護婦が世話をするようになってルイーズの状態が落ち着いたかに思われたが、あるときルイーズは頭を鈍器のようなもので殴られて殺された。たまたま近くにいたポアロは捜査を依頼された。

 以下主な登場人物。ネタバレ含む。

エイミー・レザラン:看護婦。ルイーズ・ライドナーの世話を依頼される。この事件の記述者でもある。
エリック・ライドナー:考古学者。遺跡調査隊の隊員たちみんなから信頼されている隊長。だが実は、ルイーズの前夫フレデリックその人であった。彼は本当は死んでいなかった。長い時間をかけて考古学者になりすまし、成功を手にして、愛するルイーズと二度目の血痕をしたのだった。だが、ルイーズが隊員のリチャード・ケアリーと恋に落ちたことを知り、宿舎の屋上から石臼をルイーズの頭に落として殺害した。
ルイーズ・ライドナー:エリックの妻。エリックとは二度目の結婚。中年だが男を虜にする魅力を持つ。
フレデリック・ボスナー:エリックの最初の夫。スパイとして逮捕され、20年前に死んでいる。
アン・ジョンソン:遺跡調査隊隊員。二人目の被害者。塩酸を飲まされて死ぬ。
リチャード・ケアリー:遺跡調査隊隊員。ルイーズと恋に落ちた。
ラヴィニ神父:遺跡調査隊に加わっている。実はフランスの盗賊。トルコ人を手下に使っていた。
ジョーゼフ・マーカド:遺跡調査隊隊員。
マリー・マーカド:ジョーゼフの妻。ルイーズ・ライドナーを良く思っていない。
ライリー医師:遺跡調査隊の医師。
シーラ・ライリー:ライリー医師の娘。わがまま。

 中沢啓治『はだしのゲン(全7巻)』(中公文庫コミック版)を読んだ。

 昭和48年(1973)から62年(1987)まで、断続的に『少年ジャンプ』『市民』『文化評論』『教育評論』に書き継がれて完成した大作マンガだ。広島に落とされた原子爆弾によって人生を翻弄された少年ゲンとその周辺を描いている。

 あまりに悲惨な場面を描いていて子ども向けでないとか、差別を描いていてけしからんとか、学校の図書館に置くべきだとか置くべきでないとか、いろいろ論争を呼んだ本でもある。

 以前から興味津々だったのだが、全編を通して読む機会がなかった。この度ようやくその機会に恵まれたわけである。

 感想は、うーん、それほど面白くなかった。この物語は、幼少期に作者に騙されながら読んでこそ、物語にのめり込めるのではないかと思う。

 呉智英さんは解説(第7巻に収録)で、政治的イデオロギーで読むことの不毛を述べている。この解説がなければ私は最後まで読めなった。頻出する「稚拙な政治的言葉」(呉智英)に嫌気がさしてしまうのだ。出来の良くないプロレタリア文学と受け止めてしまいがちになるのを、呉さんの解説で必死に進路変更しながら読み進める、という私にとっては苦しい読書だった。

 第二に、ネーム、顔の表情(=人物心理)、そしてコマの運びが、はっきり言うと下手だ。例えばちばてつやなんかと比べるとよくわかる。

 第三に、人間の描き方が浅い。主人公ゲンおよびゲンが共感を寄せる人々は、常に被害者として登場し、良い運命は何らかの原因で潰されるというパターンが繰り返される。逆に、原爆、アメリカ、軍国主義、天皇に否定的でない人々は、まごうかたなき悪人として描かれ、ごくわずかの例外をのぞき、例えば戦争に至る経緯の説明や彼らの葛藤などが描かれることはない。

 ただ、『はだしのゲン』には良いところもある。一つは、原爆の悲惨さを体験の裏づけをもって描いたことであり、もう一つは、戦中戦後の広島のある姿を確実に伝えているだろう点だ。

 Netflix、Hulu、Amazon Primeに加入して、映画やドラマの見方が変わった。なにしろパソコンで見られる、テレビで見られる、スマホでも見られるのだから。かつて月10本の映画を見ることを目標にしたことがあったが、達成できなかった。しかし、環境が変わった今年、それを上回るペースで見ることができている。

 数えてみたら、今年前半に見た映画は71本だった。以下に、その一覧とメモを記しておく。見た順。

■2019年に見た映画

『銀河鉄道999』(1979年、りんたろう監督 、日本)
『新宿スワン』(2015年、園子温監督 、日本)
『新宿スワンII』(2017年、園子温監督 、日本)
『冷たい熱帯魚』(2010年、園子温監督 、日本)
『ある愛の詩』(1970年、アーサー・ヒラー監督、アメリカ)
『チャーリング・クロス街84番地』(1987年、デヴィッド・ジョーンズ監督、アメリカ)
『自殺サークル』(2002年、園子温監督 、日本)
『奇妙なサーカス』(2005年、園子温監督 、日本)
『アスペルガーザらス』(2016年、アレックス・レーマン監督、アメリカ)
『二百三高地』(1980年、舛田利雄監督 、日本)
『気球クラブ、その後』(2006年、園子温監督 、日本)
『彼女と彼女の猫 -Everything Flows-』(2016年、坂本一也監督 、日本)
『シャイニング』(1980年、キューブリック監督、アメリカ)
『コント55号とミーコの絶体絶命』(1971年、野村芳太郎監督 、日本)
『悲しき口笛』(1949年、家城巳代治監督 、日本)
『ヒッチコック/トリュフォー』(2015年、ケント・ジョーンズ監督、フランス・アメリカ)
『野火』(2014年、塚本晋也監督 、日本)
『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』(1932年、小津安二郎監督 、日本)
『晩春』(1949年、小津安二郎監督 、日本)
『レッド・ドラゴン』(2002年、ブレット・ラトナー監督、アメリカ)
『羊たちの沈黙』(1991年、ジョナサン・デミ監督、アメリカ)
『イレイザーヘッド』(1977年、デヴィッド・リンチ監督、アメリカ)
『アメリカン・ヒストリーX』(1998年、トニー・ケイ監督、アメリカ)
『お嬢さん乾杯』(1949年、木下恵介監督 、日本)
『地球、最後の男』(2011年、ウィリアム・ユーバンク監督、アメリカ)
『ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間』(1992年、デヴィッド・リンチ監督、アメリカ)
『ハンニバル』(2001年、リドリー・スコット監督、アメリカ)
『不死鳥』(1947年、木下恵介監督、日本)
『トリック劇場版』(2002年、堤幸彦監督、日本)
『トリック劇場版2』(2006年、堤幸彦監督、日本)
『劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル』(2010年、堤幸彦監督、日本)
『陸軍』(1944年、木下恵介監督、日本)
『トリック劇場版 ラストステージ』(2014年、堤幸彦監督、日本)
『新感染 ファイナル・エクスプレス』(2016年、ヨン・サンホ監督、韓国)
『新釈四谷怪談』(1949年、木下恵介監督、日本)
『バトル・ロワイアル』(2000年、深作欣二監督、日本)
『short cut』(2011年、三谷幸喜監督、日本)
『エクステ』(2007年、園子温監督、日本)
『園子温という生きもの』(2016年、大島新監督、日本)
『破れ太鼓』(1949年、木下恵介監督、日本)
『肖像』(1948年、木下恵介監督、日本)
『愛のむきだし』(2009年、園子温監督、日本)
『バトル・ロワイアルII【鎮魂歌】』(2003年、深作欣二監督、日本)
『日本百年』(1974年、山田洋造監督、日本)
『ちゃんと伝える』(2009年、園子温監督、日本)
『北斎漫画』(1981年、新藤兼人監督、日本)
『風の中の牝鷄』(1948年、小津安二郎監督、日本)
『小さなスナック』(1968年、斎藤耕一監督、日本)
『ミッション:インポッシブル/ローグネイション』(2015年、クリストファー・マッカリー監督、アメリカ)
『虹の中のレモン』(1968年、斎藤耕一監督、日本)
『落葉とくちづけ』(1969年、斎藤耕一監督、日本)
『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』(2018年、クリストファー・マッカリー監督、アメリカ)
『恋の罪』(2011年、園子温監督、日本)
『ゴジラ』(1954年、本多猪四郎監督、日本)
『花咲く港』(1943年、木下恵介監督、日本)
『秘密工作員:敵地の行動規範』(1943年、ジョン・フォード監督、アメリカ)
『映画 日本刀〜刀剣の世界〜』(2016年、大内達夫監督、日本)
『ドクトル・ジバゴ』(1965年、デヴィッド・リーン監督、アメリカ・イタリア)
『奥様は魔女』(1942年、ルネ・クレール監督、アメリカ)
『ゴジラの逆襲』(1955年、小田基義監督、日本)
『リング』(1998年、中田秀夫監督、日本)
『父親たちの星条旗』(2006年、クリント・イーストウッド監督、アメリカ)
『雪の轍』(2014年、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督、トルコ)
『カメラを止めるな!』(2018年、上田慎一郎監督、日本)
『ウエスト・サイド物語』(1961年、ロバート・ワイズ&シェローム・ロビンス監督、アメリカ)
『残菊物語 〈デジタル修復版〉』(1939年、溝口健二監督、日本)
『GODZILLA ゴジラ』(2014年、ギャレス・エドワーズ監督、アメリカ)
『探偵はBARにいる3』(2017年、吉田照幸監督、日本)
『極道めし』(2011年、前田哲監督、日本)
『グランド・ホテル』(1932年、エドマンド・グールディング監督、アメリカ)
『ミスティック・リバー』(2003年、クリント・イーストウッド監督、アメリカ)

■メモ

 園子温監督作品については、当ブログの別のエントリーと記述がダブっている。

●『銀河鉄道999』(1979年、りんたろう監督 、日本)
 劇場用第一作だそう。実は999を見たのはこれが初めて。40年近く前のアニメなんだなあ。とても面白かった。母性をめぐるファンタジーといったところか。

●『新宿スワン』(2015年、園子温監督 、日本)
 純然たるエンターテインメントで、面白かった。原作はマンガ。主演の綾野剛は、歌舞伎町で活動するキャバクラ、風俗などのスカウト。女性との関係、他社との縄張り争いなどが描かれる。必ずしも歌舞伎町のリアルではないと見るべきだろう。『さよなら歌舞伎町』(2015年、廣木隆一監督)のほうが歌舞伎町の現実に近いと思う。混沌とした生のエネルギーが渦巻くハレの場として歌舞伎町をうまく使っている。その全体が一編の「詩」であると言えば言えるかも知れない。

●『新宿スワンII』(2017年、園子温監督 、日本)
 ごく普通の面白さ。前作と違い、単なるやくざ(形式上はスカウト会社)の抗争劇になってしまった。根本的な原因は、歌舞伎町から出てしまったことにあるのではないか。舞台は横浜と歌舞伎町を往復する。つまり外に出ることで、歌舞伎町という閉じたハレ空間に風穴が開き、場の魔法が使えなくなったことにあるのだと思う。

●『冷たい熱帯魚』(2010年、園子温監督 、日本)

 面白かった。実際に起きた凶悪な殺人事件(埼玉愛犬家連続殺人事件)をベースにしているという。このことはたぶん重要で、園監督は、「殺人」という非日常ないしは狂気の世界に、可能な限り近づこうとしたのだと思う。主人公である吹越満は、殺人鬼でんでんの狂気に否応なく巻き込まれ、自らも狂気の世界に取り込まれる。その「現場感覚」が詳細に描写される。
 見た後の感覚はとても悪く、ともすると鬱への引き金が引かれそうな、嫌な気分が数日間続いた。それだけこの映画に力があるということだろうが、年をとるとあまり深く付き合いたくない世界ではある。

●『ある愛の詩』(1970年、アーサー・ヒラー監督、アメリカ)

 やっぱり古い映画はいいなあ。今となってはありきたりのプロットだけど、細かいところよくできてる。音楽がフランシス・レイなので何となくフランス映画の印象があったがアメリカ映画だったんだな。テーマ曲の様々な編曲が聞ける。

●『チャーリング・クロス街84番地』(1987年、デヴィッド・ジョーンズ監督、アメリカ)

 ニューヨークの売れない脚本家とロンドンの古書店との心温まる交流を描く。アン・バンクロフト、アンソニー・ホプキンス。誰も悪人が出てこない。年をとるとこういう物語が心に沁みる。

●『自殺サークル』(2002年、園子温監督 、日本)

 54人の女子高生が新宿駅のホームから電車に飛び込んで集団自殺する場面から始まる。その後、全国のあちこちで自殺者が現れブームのようになる。多くの集団自殺の現場に残されていたのは白いバッグ。それには、人間の皮膚をつないだバームクーヘンのような物が入っていた。裏で誰かが糸を引いているのか。子どもの歌手グループ「デザート」との関係は? 様々な謎を提示しておきながら、解答は示されない。編集が杜撰な駄作なのか。複数のイメージを緩い脈絡で繋ぎ合わせることで、ショットとショットとの対立拮抗を生じさせることをもくろんだ詩的映画と見るほうが良いのではないか。「あなたはあなたの関係者ですか?」という言葉が印象に残る。この言葉は、はじめの「あなた」と後の「あなた」との間にずれがあることで成立している。つまり、私と私との間にずれがある。だから私は何かのはずみで簡単に私を殺してしまうことができるのではないだろうか。

●『奇妙なサーカス』(2005年、園子温監督 、日本)
 父親にセックスを強要された12歳の少女は、精神を病んでいく。父は娘をチェロケースに閉じ込め、母とのセックスを目撃させる。少女の中で自分と母との境界が曖昧になっていく。現実と虚構(幻想、小説内世界)とを幾重にも交錯させ、相対化している。一人の狂人(父)が他人(母)を狂気の領域に巻き込み、巻き込まれた者は被害者から加害者に変貌して、さらに他人(娘)を巻き込む、という構図は『冷たい熱帯魚』と共通している。また、自分と他人との境界が曖昧になるというのは『自殺サークル』と同じモティーフだ。

●『アスペルガーザらス』(2016年、アレックス・レーマン監督、アメリカ)

 アスペルガー症候群と診断された四人の若者がつくったコメディグループ。彼らの最後の公演に向けての歩みを追ったドキュメンタリー。面白かった。過度に盛り上げたり感動を強制したりせず、淡々と明るく描いている。アスペルガーザらスはコメディグループの名。Aspergers are us。

●『二百三高地』(1980年、舛田利雄監督 、日本)
 日露戦争を描いた映画。前半つまらない映画だと思ったが、後半物語が動き出した。博愛主義の人から敵を憎む兵士へと変化するあおい輝彦、ほとんどの場面で現実の物に焦点を合わさず宙を見ている仲代達也がいい。さだまさしの主題歌は勘弁してほしい。

●『気球クラブ、その後』(2006年、園子温監督 、日本)
 極めてまっとうな(定型通りの、ということでもある)青春映画。代表が交通事故死したことをきっかけに、かつて気球クラブに集った若者たちが再び集まる。そこにはさまざまな青春の人間模様があった。そして彼らは気球クラブに別れを告げることで、それぞれの人生を歩み出した。とりわけピックアップされるのは代表と恋人関係にあった永作博美だ。気球のことばかり考えている彼への切ない思いを、永作が見事に表現している。

●『彼女と彼女の猫 -Everything Flows-』(2016年、坂本一也監督 、日本)
 アニメーション。良かった。新海誠原作。悩みを抱える若い女性と飼い猫との心の交流。女性は母子家庭。いわば日常の細部を描きながら、時に宇宙レベルにカメラが引かれる。輪廻。猫はもう少し擬人化を廃して描いた方が良いと思う(独白はそのままで)。

●『シャイニング』(1980年、キューブリック監督、アメリカ)

 Amazon Primeの119分版ではなくHuluの144分版。冬の間世間から隔絶された展望ホテルの管理を任された一家を、幻想と恐怖と狂気が襲う。素晴らしい。個々のショットがもう冴えに冴えている。
 おそらく映画『シャイニング』とスティーヴン・キングの原作との関係は、『2001年宇宙の旅』における映画と原作小説との関係と同じだろう。小説家はどうしても脈絡をつけたがるが、キューブリックの意図は脈絡とは別のところにある。だから映画は完全に「キューブリックの作品」なのだ。
 バルトークとペンデレツキとリゲティの音楽が使われていた。

●『コント55号とミーコの絶体絶命』(1971年、野村芳太郎監督 、日本)
 野村芳太郎こんなのも撮るんだ。コント55号の演技は下手だし、脚本も演出も弛い。昔の映画は何見ても面白いけど、傑作か駄作かといわれたら駄作。好きか嫌いかといわれたら好き。ミーコとは由美かおる。医者役になかにし礼。

●『悲しき口笛』(1949年、家城巳代治監督 、日本)
 戦後混乱期の横浜が舞台。戦争で生き別れになった幼い美空ひばりと作曲家の兄が「悲しき口笛」をきっかけに再会する、という大枠に、ギャングや戦後の酒場(野毛?)の風俗等がからむ。幼いひばりの、上手いがスレた歌い方には賛否を同時に感じる。

●『ヒッチコック/トリュフォー』(2015年、ケント・ジョーンズ監督、フランス・アメリカ)
 トリュフォーがヒッチコックに行ったロングインタビューをまとめた『ヒッチコック/トリュフォー』が、いかに大きな影響力を持っているか、現代の映画監督たちの証言も交えて述べている。面白かった。

●『野火』(2014年、塚本晋也監督 、日本)

 監督自身が主演をつとめている。うーん、あちこちにちぐはぐな印象。台詞の音量が低すぎる。主演が監督の顔をしている。いろいろとリアリティに欠ける。意欲作だとは思う。大岡昇平の原作は随分前に読んでいるが、人間の描き方こんなんだったかなあ。

●『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』(1932年、小津安二郎監督 、日本)

 これがHuluで見られるなんてありがたいことだ。無声映画。面白かった。最後はほろりと心温まる。サラリーマン社会になるにつれて「父の威厳」なるものが崩壊していく。これが戦後ではなくもう昭和一桁には始まっていたんだな。

●『晩春』(1949年、小津安二郎監督 、日本)
 これぞ小津映画という一編。父のもとを離れたくないという娘(原節子)。嫁に出さなくてはと思う裏で寂しさも感じている父(笠智衆)。いいねえ。偶然だが、私の娘の結婚式の直前に見た。

●『レッド・ドラゴン』(2002年、ブレット・ラトナー監督、アメリカ)
 トマス・ハリスの原作小説ではシリーズ第1作。物語上の時間順でいえば『羊たちの沈黙』(1991年)の前に当たる。もう、怖いなあ。二度落ちはやめてくれ~。二度は見なくてもいいけど一度は見ておこうと思ったので。

●『羊たちの沈黙』(1991年、ジョナサン・デミ監督、アメリカ)
 再見。サスペンス映画としてとてもよくできている。『レッド・ドラゴン』の比ではない。重要なところでゴルトベルクのアリアが使われている。

●『イレイザーヘッド』(1977年、デヴィッド・リンチ監督、アメリカ)
 ものすごく面白かった。純然たるシュールレアリスム映画と見てよいと思う。全ては闇の中にぽっかりと浮かぶ。闇=死。生の不安、性、懐かしさ、フリークス、不気味さ…。モノクロのグラデーションが美しい。

●『アメリカン・ヒストリーX』(1998年、トニー・ケイ監督、アメリカ)
 兄ダレクは黒人を殺して刑務所に服役後、復帰。弟は白人至上主義に染まっていた。刑務所での経験から人種差別の虚しさに気づいたダレクだったが…。結末は予想できた。なぜなら現実に問題は解決していないから。

●『お嬢さん乾杯』(1949年、木下恵介監督 、日本)
 没落貴族の令嬢(原節子)と自動車修理工場を営む男(佐野周二)との恋愛話。脚本は新藤兼人。プロットといい、ワルツ風のテーマソングといい、浅草軽演劇のような話だが、きちんと面白く見せてくれる。原節子「惚れておりますわ」決まった!

●『地球、最後の男』(2011年、ウィリアム・ユーバンク監督、アメリカ)
 交信が途絶え孤立した人工衛星の乗組員の心理を描いた映画、かと思ったら、滅亡した人類の「記憶」を集めるスーパーコンピュータの話だった。発想レベルから個々のショット迄『2001年宇宙の旅』の強い影響下にある。

●『ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間』(1992年、デヴィッド・リンチ監督、アメリカ)
 テレビドラマ『ツイン・ピークス』の前段にあたる部分で、テレビドラマより後に作られている。謎が謎のままに終わっているところがあり、釈然としない。リンチ監督独特のリズム感。

●『ハンニバル』(2001年、リドリー・スコット監督、アメリカ)

 『羊たちの沈黙』の続編。だが、いかに奇抜で残酷な絵を描くか、というアイディア映画になってしまっている。バッハのゴルトベルク変奏曲が使われている。

●『不死鳥』(1947年、木下恵介監督、日本)

 面白かった。田中絹代と佐田啓二。舞台は戦時中なのに上流階級の優雅な生活を描く(もちろん戦争が暗い影を落としているのだが)。家庭内の言葉がですます調。台詞や演技が初期の新劇のよう。

●『トリック劇場版』(2002年、堤幸彦監督、日本)
 テレビドラマも全部見てる。ツッコミ所も多々あり、悪ふざけが過ぎるところもあるが、うるさいことを言わずに楽しめる。奇術が通奏低音になっていることと、阿部寛・仲間由紀恵の魅力が大きい。貧乳ネタは今ならダメだろうなあ。

●『トリック劇場版2』(2006年、堤幸彦監督、日本)

 ゲストスターは片平なぎさ。まことに安定した魅力。コントユートピアのギャグが色んな形で使われている(本人も出演者)。選挙ポスターの中で、怪物ランドの赤星やらミスター梅介やらが登場して懐かしい。

●『劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル』(2010年、堤幸彦監督、日本)

 ゲストスターは松平健。『暴れん坊将軍』のネタが随所に。が、キャラクター作りをはじめ全体的にはあまり弾けていない感じ。

●『陸軍』(1944年、木下恵介監督、日本)
 滅茶苦茶面白かった。小倉を舞台に、幕末から日中戦争までの期間、軍隊と関わって来た三世代を描く。戦意高揚映画なのか反戦映画なのかわからない。まあ太平洋戦争真っただ中の時期にあからさまな反戦映画は撮れるはずもないが。
 ラストシーン。息子を戦地へ送りだした母(田中絹代)は、見送りに行かず家で呆然とする(この表情が良い)。だが、進軍ラッパの音に矢も楯もたまらず走り出す。やっと息子を発見して追いかけ続けるカメラの溌剌としていること。
 戦地へ行った息子の安否を心配する東野英治郎に、上原謙「貴公の息子の一人ぐらい、死のうが生きてろうが何でもない! もっと男らしくせい!」。これ悪人の台詞じゃないからね。

●『トリック劇場版 ラストステージ』(2014年、堤幸彦監督、日本)
 ゲストスターは東山紀之。東南アジアの架空の国が舞台。ダチョウ倶楽部のネタが頻出。エンディングロールの後の真のラストシーンは涙を誘う。本当にこれが最後なのか?

●『新感染 ファイナル・エクスプレス』(2016年、ヨン・サンホ監督、韓国)
 ソウルからプサン行きの新幹線を舞台とするゾンビ映画。ほぼ全編生き残るための闘いを描く、いわば純度の高い映画。少数の生存者がプサンに辿り着くが、考えてみたら何も解決してないの。

●『新釈四谷怪談』(1949年、木下恵介監督、日本)
 悪党直助(滝沢修)に悪の道に引きずり込まれた伊右衛門(上原謙)の、煩悶と錯乱を中心に描く。色々脈絡がつけてある。幽霊は出てこない(全て伊右衛門の錯乱である)。田中絹代が岩とその妹袖の二役。

●『バトル・ロワイアル』(2000年、深作欣二監督、日本)
 極めてテクニカルに作られた物語だと思う。作品内でルールを設定してその中で筋を紡ぐ。本質はゲームである。それ以上の思想や社会的意味を読むことは不要ではないか。まあ、面白かったが、好きかどうかと言われると好きではない。

●『short cut』(2011年、三谷幸喜監督、日本)
 面白かった。中井貴一と鈴木京香の夫婦が、葬式の帰り、車が故障し山道を歩く。夫婦仲は冷めていたが、一緒に山道を歩くことで互いを再発見していく。10分頃からワンショットで撮っていることに気づき、以後カメラの動きにも注目して見る。これはすごい。

●『エクステ』(2007年、園子温監督、日本)
 売買のために臓器を切り取られて惨殺された少女の髪が、増殖し、人を襲う。媒介者は髪に異常な執着を持つ男(大杉漣)だが、最後には彼も襲われる。主人公は、美容師見習いの女(栗山千明)と、その姪で母に虐待されている少女。二人は美しい髪を持つ。
 惨殺された少女の怨みが、髪に面妖な力を与えたと見ることもできるが、そこはあまり強調されていない。シンプルに、増殖する髪の不気味なイメージを描きたかったと見るべきだと思う。『ウルトラQ』みたいだ。
 髪は、身体の一部でありながら、勝手に伸びるし、切っても痛くない。その意味で身体の内部と外部の両義性をもつ。さらに、動物/植物という点でも両義的だ。髪の不気味さの本質はそこにある。この映画はそうした不気味さを十分に表現した、というところまでは行っていない。
 『エクステ』の音楽は、たぶん意識的にクラシックが使われていた。有名な曲が多かったが、一曲、有名というほどではない曲が印象的に使われていた。シューベルトの、三大歌曲集には入っていないリート。

●『園子温という生きもの』(2016年、大島新監督、日本)
 園子温を描いたドキュメンタリー映画。取材が2014年から15年にかけて行われているので、その時期の園の状況はよくわかる。それまでの仕事の全貌をまとめたものではない。

●『破れ太鼓』(1949年、木下恵介監督、日本)

 叩き上げで財をなした土建屋の社長(阪東妻三郎)は、家庭でも暴君で、妻や六人の子どもを思い通りに動かそうとするが…。「父の権威」を柱とする家制度とその崩壊を描いているが、木下監督はそれをただ批判するのではなく、優しい目で見ている。前半の、阪妻が帰宅するのを全員で出迎える場面、まるで落語「かんしゃく」の場面のようだ。

●『肖像』(1948年、木下恵介監督、日本)
 不動産ブローカーの妾(井川邦子)は、貧しいながらも穏やかに生活する画家の一家の、清らかさにほだされて、煩悶する。芸術・人間的・清らか(A)と、利益優先・非人間的・汚れ(B)の二つの世界が図式的ではある。脚本を黒澤明が担当。

●『愛のむきだし』(2009年、園子温監督、日本)
 四時間弱の大作。親子関係の不在、聖と俗、キリスト教およびキリスト教系の新興宗教、盗撮、勃起といったキーワードを展開させた奇妙な物語。大河ドラマの趣きすらある。全体的なトーンはコミカルで、喜劇と言ってもよい。ベートーヴェンの交響曲第7番第2楽章が重要な場面で使われている。

●『バトル・ロワイアルII【鎮魂歌】』(2003年、深作欣二監督、日本)

 続編なので一応見た。子どもvs大人という図式はじめ論理は滅茶苦茶。不自然なルールを作ることで、残酷な人殺しをエンターテインメントとして見せた嫌な映画。

●『日本百年』(1974年、山田洋造監督、日本)
 日清戦争から高度経済成長の行き詰まり、公害問題までの歩みをざっと辿ったドキュメンタリー。74年の時点から見た近代日本史の素描だ。太平洋戦争に多くの時間を割いている。貴重な映像。

●『ちゃんと伝える』(2009年、園子温監督、日本)
 良かった。高校サッカー部の鬼コーチだった父(奥田瑛二)が癌になる。息子史郎(AKIRA)は退院したら一緒に釣りに行く約束をするが、自身も癌であったことが判明する。父の死後、史郎は婚約者(伊藤歩)にそのことを告げる決心をする。

●『北斎漫画』(1981年、新藤兼人監督、日本)
 葛飾北斎(緒形拳)を描く。北斎と曲亭馬琴(西田敏行)は、芸と生活をめぐり対照的な生き方をしている。芸と生活のバランスをとろうとする馬琴に対して、北斎は生活をかえりみず芸にのみ生きようとする。娘お栄に田中裕子、魔性の女お直に樋口可南子。

●『風の中の牝鷄』(1948年、小津安二郎監督、日本)
 夫(佐野周二)が外地へ赴いている間、子どもの入院費に困窮した妻(田中絹代)は、一度だけ体を売る。帰って来た夫はそのことを知り、妻をなじる。小津にしては珍しく劇的な筋立てがある。色々異論はあるが、最後はほろっとさせる。

●『小さなスナック』(1968年、斎藤耕一監督、日本)
 藤岡弘と尾崎奈々の青春恋愛映画であるとともに、パープルシャドウズをフィーチャーしたGSアイドル映画でもある。おセンチなテイストは過去の自分を見ているようで気恥ずかしい。面白かった。(ネタバレ)最後は尾崎奈々が自殺し、やるせない結末。

●『ミッション:インポッシブル/ローグネイション』(2015年、クリストファー・マッカリー監督、アメリカ)
 トム・クルーズによるミッション・インポッシブルシリーズの第5作目。やっぱり面白いなあ。

●『虹の中のレモン』(1968年、斎藤耕一監督、日本)
 ヴィレッジ・シンガーズをフィーチャーした映画。物語部分の主役は尾崎奈々と竹脇無我。断絶していた父(加藤大介)との関係が修復されてメデタシ。トリオスカイラインとかケロヨンとか、当時の流行りものも出演。面白かった。

●『落葉とくちづけ』(1969年、斎藤耕一監督、日本)
 ヴィレッジ・シンガーズをフィーチャーした映画。主役は尾崎奈々と藤岡弘。ツッコミ所いろいろあるが、面白い。オックス、香山美子、早瀬久美、芸人枠(?)でてんや・わんやが出てる。尾崎奈々好きになって来ちゃったなあ。劇中で重要な役割を果たすマンガを仲倉眉子が担当。主題歌「落葉とくちづけ」はすぎやまこういち。

●『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』(2018年、クリストファー・マッカリー監督、アメリカ)
 シリーズ第6作。いつもよりハラハラドキドキシーンが長い印象。最後なんか引っ張りに引っ張って…。まあよく考えると思う。面白かった。

●『恋の罪』(2011年、園子温監督、日本)
 渋谷円山町の廃屋で、バラバラにされ人形と組み合わされた死体の一部が発見される。水野美紀が捜査を担当。一方、作家の妻神楽坂恵は、夫の言いなりになって貞淑な妻を演じていた。だが大学教授で売春婦の冨樫真に導かれるまま、自らも売春婦に堕ちていく。
 言葉、セックス、売春、雨、日常、闇といったアイテムをキーにして構成された詩的映画。マレのトンボー(ヴィオラ・ダ・ガンバ)、ヴィセのトンボー(リュート)、それにマーラーの交響曲第5番のアダージェットが、物語のベースとなる気分を形作っている。

●『ゴジラ』(1954年、本多猪四郎監督、日本)
 ゴジラ映画の第一作。怪獣同士の戦いを主眼とした二作目以降と比べて優れた所がある。ゴジラ登場場面の多くは夜で特撮技術の弱点を補っている。被害者をきちんと描いている。少しだが死に臨む人の姿も描いている。宝田明、河内桃子、志村喬、平田昭彦。
 200万年前のジュラ紀の恐竜が…というようなことを言っていたが、200万年前に恐竜がいるかよ。ジュラ紀は2億〜1.5億年前。恐竜が絶滅したのは6500万年前。

●『花咲く港』(1943年、木下惠介監督、日本)
 これは見事な一作。木下惠介の監督デビュー作。二人のペテン師(小沢栄太郎、上原謙)が南九州のとある小島にやってきて、造船所を作ると嘘をついて金を集める。が、あまりにも人を疑うことを知らない島の人々の純粋さに、逆にひるんでしまう。逃げようと思うもタイミングが合わず、逃げられない。造船が進捗する中、日本は米英相手に開戦。結局船は完成するが、進水式に二人の姿はなかった。
 戦意高揚に反対はしていないが、それを前面に出してもいない。眼目はあくまでも、人間の情と滑稽さを描いた明るいコメディである。脇役もそれぞれ膨らみをもって描けている。昭和18年にこうした映画を作ることができたというのは、お見事というほかない。水戸光子、東山千栄子、笠智衆、東野英治郎、坂本武、半沢洋介、村瀬幸子。

●『秘密工作員:敵地の行動規範』(1943年、ジョン・フォード監督、アメリカ)

 第二次大戦中の諜報部員のためのトレーニング映画だそうだ。貴重な映像というだけでなく、とても面白い。例えば整髪料からスパイだとバレることもあるという。しかも監督はジョン・フォード。

●『映画 日本刀〜刀剣の世界〜』(2016年、大内達夫監督、日本)
 すこぶる面白かった。65分のドキュメンタリー映画。日本刀の製作過程、歴史、砥師の世界など、日本刀の世界の概略についてレポートしている。本などではわかりにくいことでも映像だとよくわかる。刀工:月山貞利・月山貞伸、刀剣研磨:本阿弥光洲・本阿弥雅夫、柳心照智流:矢作訓一。なお、Amazon Primeには2018年とあるが、公開年は2016年が正しいようだ。

●『ドクトル・ジバゴ』(1965年、デヴィッド・リーン監督、アメリカ・イタリア)
 第一次大戦前からロシア革命を経てスターリンの時代まで、時代に翻弄されながら生きた一人の医師の愛と生活を描く。197分。超大作。名作。動乱の中の生を描いたという点で『風と共に去りぬ』に印象が似ている。デジタルリマスタリングをしているのか、発色がとても鮮やかで、風景が美しい。

●『奥様は魔女』(1942年、ルネ・クレール監督、アメリカ)
 魔法使いの親子が、昔の恨みを晴らすため、州知事候補(フレドリック・マーチ)を不幸にさせようと目論む。娘(ヴェロニカ・レイク)は美女に変身し、惚れ薬を飲ませようとするが、誤って自分が飲んでしまう。ロマンチック・ドタバタ喜劇。肉体を得る前の魔法使いの親子は、湯気で表現される。この映画で駆使される特撮は、今からみれば素朴なものだろうが、気が利いていて、効果的で、新鮮だ。監督はフランス人だが、アメリカで制作され、英語が使われている。

●『ゴジラの逆襲』(1955年、小田基義監督、日本)
 シリーズ2作目にしてもう陳腐化。ゴジラとアンギラスとの闘いの後、人間がゴジラを雪崩で封じる場面が描かれる。一作目より特撮が安っぽい。まあ、面白く見たけど。ゴジラ物は、あと一作、2014年ハリウッドのものを見ておしまいにするつもり。あとはマニアの皆さんにお任せする。

●『リング』(1998年、中田秀夫監督、日本)
 原作も読んでいるが、随分違う印象。「呪い」を素直に肯定したシンプルなホラーになっている。BGMを多用せず静かな画面が多い点は良い。松嶋菜々子がもう少し内面を表現してくれると良かったのだが。

●『父親たちの星条旗』(2006年、クリント・イーストウッド監督、アメリカ)
 良かった。硫黄島での戦いは米軍にとっても過酷なものだった。六人が摺鉢山の山頂に星条旗を立てた写真が有名になり、生き残った三人は本土に呼び戻され、英雄として戦争国債の宣伝役をやらされることに。だが…。映像が溌剌として冴えている。音も。プロットの作り方がまことに上手い。

●『雪の轍』(2014年、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督、トルコ)

 とても良かった。元俳優で物書きでもあるアイドゥン(ハルク・ビルギネル)は、カッパドキアでホテルを経営する初老の男。同居している妹は批判的なことばかり言い、若い妻はアイドゥンに秘密で慈善事業の集まりに加わっていた。おまけに彼の家作に住み家賃を滞納している男とその息子からは深く恨まれている。…チェーホフの短編をヒントにしているからか、堂々たる台詞劇。妹や妻との罵り合いを聞いているだけで、絶望的な気持ちになってくる。それだけ映画に力があるということだ。音楽は残響の長いピアノが主。

●『カメラを止めるな!』(2018年、上田慎一郎監督、日本)
 とても楽しかった! 最後はちょっと感動。カタルシスを感じた。(ややネタバレ)ワンカット30分生放送のゾンビ映画とそのメイキング、という構成。各登場人物のキャラクターもよく描かれている。監督役の主演・濱津隆之さん特に良かった。

●『ウエスト・サイド物語』(1961年、ロバート・ワイズ&シェローム・ロビンス監督、アメリカ)
 昔何十回も見たので流し見るつもりだったのだが、とんでもない。グイグイ引き込まれて、やっぱり感動の嵐。群舞、音楽、カメラワーク、プロット…これは完璧な映画。題材も極めてアクチュアル。

●『残菊物語 〈デジタル修復版〉』(1939年、溝口健二監督、日本)
再見。二代目尾上菊之助(花柳章太郎)の芸の開眼と、彼に献身的に尽くした女・お徳(森赫子)との愛を描く。ワンショットが比較的長く、俳優に十分に演技させている。素晴らしい。詳しいあらすじや感想は以前にブログに書いた。http://blog.livedoor.jp/a30a988/archives/50598369.html

●『GODZILLA ゴジラ』(2014年、ギャレス・エドワーズ監督、アメリカ)
 ハリウッドの方法論ばかりが空回り。渡辺謙の役柄も全く生きていない。

●『探偵はBARにいる3』(2017年、吉田照幸監督、日本)
 大泉洋主演。このシリーズ家族で見るのにちょうどいい。残酷な場面や深刻すぎる場面が出てこなくて、楽しく、ほどほどに笑わせてくれる。松田龍平、北川景子。

●『極道めし』(2011年、前田哲監督、日本)
 思いがけず良かった。正月のお節料理の一品を賭けて、美味しかった料理の思い出を語り合う。各人物の思い出は、家族関係の欠落に由来するものが多く、ホロッとさせられる。永岡佑、麿赤児、勝村政信、落合モトキ、ぎたろー。木村文乃良かった。

●『グランド・ホテル』(1932年、エドマンド・グールディング監督、アメリカ)
 グランドホテルに来合わせた人々の人間模様。バレリーナにグレタ・ガルボ、美貌のタイピストにジョーン・クロフォード、男爵にジョン・バリモア、余命短い経理係にライオネル・バリモア、企業の社長にウォレス・ビアリー。台詞回しが全体に芝居の歌い調子だが、特にグレタ・ガルボはそう。グランドホテルはベルリンにあるのだが、アメリカの映画なので台詞は全て英語。いわゆる「グランドホテル形式」の元になった映画。

●『ミスティック・リバー』(2003年、クリント・イーストウッド監督、アメリカ)
 子供のころ道路でホッケーをして遊んだ三人が、大人になって、娘を殺された父親、容疑者、刑事となって再び出会う。容疑者となった男は、子供時代、小児性愛者の犠牲となったことがトラウマになっている。

 園子温監督の映画を少しずつ見てきて十作になったので、メモを記しておこう。

 見た順番ではなく、公開順。
 十作見てきてうっすらわかってきたことは、園のベースにあるのは詩的言語ではないかということ。散文的に脈絡を追うのではなく、イメージ(詩でいえば言葉)とイメージとのぶつかり合いによって何かを伝えようとしているのではないかと。もちろん『新宿スワン』のように主として脈絡を追ったものあるけれど。

●『自殺サークル』(2002年)
 54人の女子高生が新宿駅のホームから電車に飛び込んで集団自殺する場面から始まる。その後、全国のあちこちで自殺者が現れブームのようになる。多くの集団自殺の現場に残されていたのは白いバッグ。それには、人間の皮膚をつないだバームクーヘンのような物が入っていた。裏で誰かが糸を引いているのか。子どもの歌手グループ「デザート」との関係は? 様々な謎を提示しておきながら、解答は示されない。編集が杜撰な駄作なのか。複数のイメージを緩い脈絡で繋ぎ合わせることで、ショットとショットとの対立拮抗を生じさせることをもくろんだ詩的映画と見るほうが良いのではないか。「あなたはあなたの関係者ですか?」という言葉が印象に残る。この言葉は、はじめの「あなた」と後の「あなた」との間にずれがあることで成立している。つまり、私と私との間にずれがある。だから私は何かのはずみで簡単に私を殺してしまうことができるのではないだろうか。
 
●『奇妙なサーカス』(2005年)
 父親にセックスを強要された12歳の少女は、精神を病んでいく。父は娘をチェロケースに閉じ込め、母とのセックスを目撃させる。少女の中で自分と母との境界が曖昧になっていく。現実と虚構(幻想、小説内世界)とを幾重にも交錯させ、相対化している。一人の狂人(父)が他人(母)を狂気の領域に巻き込み、巻き込まれた者は被害者から加害者に変貌して、さらに他人(娘)を巻き込む、という構図は『冷たい熱帯魚』と共通している。また、自分と他人との境界が曖昧になるというのは『自殺サークル』と同じモティーフだ。

●『気球クラブ、その後』(2006年)

 極めてまっとうな(定型通りの、ということでもある)青春映画。代表が交通事故死したことをきっかけに、かつて気球クラブに集った若者たちが再び集まる。そこにはさまざまな青春の人間模様があった。そして彼らは気球クラブに別れを告げることで、それぞれの人生を歩み出した。とりわけピックアップされるのは代表と恋人関係にあった永作博美だ。気球のことばかり考えている彼への切ない思いを、永作が見事に表現している。

●『エクステ』(2007年)
 売買のために臓器を切り取られて惨殺された少女の髪が、増殖し、人を襲う。媒介者は髪に異常な執着を持つ男(大杉漣)だが、最後には彼も襲われる。主人公は、美容師見習いの女(栗山千明)と、その姪で母に虐待されている少女。二人は美しい髪を持つ。
 惨殺された少女の怨みが、髪に面妖な力を与えたと見ることもできるが、そこはあまり強調されていない。シンプルに、増殖する髪の不気味なイメージを描きたかったと見るべきだと思う。『ウルトラQ』みたいだ。
 髪は、身体の一部でありながら、勝手に伸びるし、切っても痛くない。その意味で身体の内部と外部の両義性をもつ。さらに、動物/植物という点でも両義的だ。髪の不気味さの本質はそこにある。この映画はそうした不気味さを十分に表現した、というところまでは行っていない。

●『愛のむきだし』(2008年)
 四時間弱の大作。親子関係の不在、聖と俗、キリスト教およびキリスト教系の新興宗教、盗撮、勃起といったキーワードを展開させた奇妙な物語。大河ドラマの趣きすらある。全体的なトーンはコミカルで、喜劇と言ってもよい。ベートーヴェンの交響曲第7番第2楽章が重要な場面で使われている。

●『ちゃんと伝える』(2009年)
 良かった。高校サッカー部の鬼コーチだった父(奥田瑛二)が癌になる。息子史郎(AKIRA)は退院したら一緒に釣りに行く約束をするが、自身も癌であったことが判明する。父の死後、史郎は婚約者(伊藤歩)にそのことを告げる決心をする。

●『冷たい熱帯魚』(2010年)
 面白かった。実際に起きた凶悪な殺人事件(埼玉愛犬家連続殺人事件)をベースにしているという。このことはたぶん重要で、園監督は、「殺人」という非日常ないしは狂気の世界に、可能な限り近づこうとしたのだと思う。主人公である吹越満は、殺人鬼でんでんの狂気に否応なく巻き込まれ、自らも狂気の世界に取り込まれる。その「現場感覚」が詳細に描写される。
 見た後の感覚はとても悪く、ともすると鬱への引き金が引かれそうな、嫌な気分が数日間続いた。それだけこの映画に力があるということだろうが、年をとるとあまり深く付き合いたくない世界ではある。

●『恋の罪』(2011年)

 渋谷円山町の廃屋で、バラバラにされ人形と組み合わされた死体の一部が発見される。吉田和子(水野美紀)が捜査を担当。彼女は夫に隠れて夫の後輩の男(児嶋一哉)の性の虜になっていた。一方、作家菊池由紀夫(津田寛治)の妻いずみ(神楽坂恵)は、夫の言いなりになって貞淑な妻を演じていた。だがいずみは、尾沢美津子(冨樫真)に導かれるまま、自らも売春婦に堕ちていく。美津子は、昼は大学で詩を教えながら、夜は売春婦をしていた。彼女の母(大方斐紗子)は良家の出で、夫とその子である美津子には下劣な血がながれていると考えていた。
 言葉、「言葉の体」、セックス、売春、雨、日常、闇といったアイテムをキーにして構成された詩的映画。「言葉なんて覚えるんじゃなかった」という田村隆一の詩が印象に残る。
 マレのトンボー(ヴィオラ・ダ・ガンバ)、ヴィセのトンボー(リュート)、それにマーラーの交響曲第5番のアダージェットが、物語のベースとなる気分を作っている。

●『新宿スワン』(2015年)

 純然たるエンターテインメントで、面白かった。原作はマンガ。主演の綾野剛は、歌舞伎町で活動するキャバクラ、風俗などのスカウト。女性との関係、他社との縄張り争いなどが描かれる。必ずしも歌舞伎町のリアルではないと見るべきだろう。『さよなら歌舞伎町』(2015年、廣木隆一監督)のほうが歌舞伎町の現実に近いと思う。混沌とした生のエネルギーが渦巻くハレの場として歌舞伎町をうまく使っている。その全体が一編の「詩」であると言えば言えるかも知れない。

●『新宿スワンII』(2017年)
 ごく普通の面白さ。前作と違い、単なるやくざ(形式上はスカウト会社)の抗争劇になってしまった。根本的な原因は、歌舞伎町から出てしまったことにあるのではないか。舞台は横浜と歌舞伎町を往復する。つまり外に出ることで、歌舞伎町という閉じたハレ空間に風穴が開き、場の魔法が使えなくなったことにあるのだと思う。

 以上。

 私はAmazon Prime、Netflix、Hulu に入っているので、ここで見られる園子温映画を気づいた限りでリストアップしてみた。配信は変化するので(未見の『紀子の食卓』がNetflixで配信中止になったので泣いてる)今現在の、ということで参考にしていただければ。○未見、●既見。

○『部屋』(1993年)
○『うつしみ』(2000年)
●『自殺サークル』(2002年)Netflix
○『HAZARD』(2002年)
○『夢の中へ』(2003年)
●『奇妙なサーカス』(2005年)Netflix
○『紀子の食卓』(2006年)
●『気球クラブ、その後』(2006年)Prime
●『エクステ』(2007年)Hulu
●『愛のむきだし』(2008年)Prime、Netflix、Hulu
●『ちゃんと伝える』(2009年)Netflix
●『冷たい熱帯魚』(2010年)Netflix、Hulu
●『恋の罪』(2011年)Netflix、Hulu
○『BAD FILM』(2012年)
○『ヒミズ』(2012年)Netflix
○『希望の国』(2012年)Hulu
○『地獄でなぜ悪い』(2013年)Netflix
○『Tokyo Tribe』(2014年)Netflix、Prime、Hulu
○『ラブ&ピース』(2015年)Netflix
○『リアル鬼ごっこ』(2015年)Netflix、Prime
○『みんな!エスパーだよ!』(2015年)Prime、Netflix、Hulu
●『新宿スワン』(2015年)Prime、Netflix
○『ひそひそ星』(2016年)Hulu
●『新宿スワンII』(2017年)Prime、Netflix
○『愛のむきだし 最長版 THE TV-SHOW』(2017年)Prime
○『TOKYO VAMPIRE HOTEL』(2017年)Prime
○『アンチポルノ』(2017年)
○『クソ野郎と美しき世界(競作)』(2018年)Prime

 『北斎漫画』(1981年、新藤兼人監督、日本)を見た。
 
 葛飾北斎(緒形拳)を描く。重要な人物は三人。一人は曲亭馬琴(西田敏行)。二人は、芸と生活をめぐって対照的な生き方をしている。芸と生活のバランスをとろうとする馬琴に対して、北斎は生活をかえりみず芸にのみ生きようとする。
 
 二人目は謎の女お直(樋口可南子)。男を狂わせる魔性の女。お直への情欲によって、一時は芸への情熱を掻き立てられるが、最後の最後には枯れてしまう。樋口可南子は、北斎壮年期に登場する魔性の女お直と、晩年に登場する彼女とそっくりな若い女お直との二役を演ずる。
 
 三人目は娘お栄(田中裕子)。北斎の身の回りの世話をして独身を貫く女。実は堅実な馬琴に惚れていたことが老年になってからわかる。
 
 「老い」の問題が後半は重要なモティーフになっている。
 
 所々斬新な、「攻めた」演出が使われている。北斎の父(フランキー堺)が、魔性の女お直に翻弄される場面など。
 
 特殊メイク(老年になった北斎・馬琴・お栄の皺など)や小道具(蛸など)は、作り物めいてリアリティに欠ける。その時代の技術の限界なのか、わざとそうしているのか、興味がないのか、単に下手なのか、よくわからない。
 
 十返舎一九を宍戸錠が、式亭三馬を大村崑を、歌麿を愛川欽也が演じている。三馬が関西弁なのには強い違和感がある。ミスキャストだろう。
 
 題字は中川一政。音楽は林光。冒頭のクレジットの出演者の文字が、それぞれ書体を変えながらの手書き文字で、見事。中川一政ではないと思うが、誰が書いたのだろう?

 三遊亭金遊師匠が亡くなった。大好きな師匠だった。

 何年前のことになるだろうか、文藝春秋から出された落語ムックのアンケートコーナーで、三人の噺家を挙げろと言われて、その一人に金遊師匠を挙げた。ちなみに、ほかの二人は柳家小団治師匠と八光亭春輔師匠。喬太郎さんも一之輔さんもいいけど、こういう人をもっと評価してほしいものだ。だって、聞いていて楽しいもの。

 ネットニュースの紹介文がなかなか的確だな、と思ったら、落語芸術協会が流した記事の一部をそのまま写したものだった。引用する。

> 淡々と語る、力の入ることのない整然とした口調で聴かせる本格派の演者でした。
持ちネタは多く多岐にわたり、得意演目は「心眼」「文七元結」「小言念仏」「子ほめ」「錦の袈裟」「寝床」「時そば」ほか
高座にも映し出される、無頼派として群れることない立ち振る舞いは、仲間内から熱く支持を受け、後輩からも広く慕われる存在でした。

 さすが芸協(誰が書いているのかなあ)。

 つけ加えるとするなら、東京弁の美しさだろうか。全く粘りのないさらりとした東京弁。時に小三治師のようにも、圓生師のようにも聞こえることがある。出身は言葉の荒い千葉県だが、幼少のころから言葉には敏感だった、とご本人が言ったことがある。

 言葉は人なりで、お人柄も全く粘りがない。まあ、これは良いことか悪いことかわからないが。でも私たちは金遊師匠のそんなところも好きだった。

 屈折していて、皮肉な物言いも少なくない。だが、他人に対して攻撃的ではなく、皮肉の矛先は最終的には自身に対して向けられていた。いつもある種の「諦念」とともにある人だった。

 諦念と脱力の中にあっても、中心には温かいものをいつも持っていた。

 2008年03月13日に mixi に金遊師匠のことを書いているので、それを転載する。「コミカレ」とは、池袋にあるカルチャースクール「コミュニティ・カレッジ」の落語講座のこと。圓遊は四代目で金遊の師匠。正蔵は先代(八代目)で後の彦六。

>
昨日のコミカレは、ゲストに三遊亭金遊師をお迎えしました。3回ごとにゲストを迎えるのですが、生の噺家さんに直接ふれあえるということで、受講者の皆さんは、とても楽しみにしているんです。

金遊師は、四代目三遊亭圓遊師に師事した方で、落語芸術協会の本格古典派として重要な地位を占めています。小生は金遊師の芸と飾らない人柄が大好きで、親しくさせていただいています。

金遊師のことは、あちこちで何度か書かせていただいていますが、「今もっともきれいな東京弁をしゃべる噺家」というような紹介の仕方をすることが多いです。訛りのない、粘りのない、幾分か軽めの東京弁で、フレーズとフレーズをつなぐ音程とリズムが、聞いていてまことに快いのです。

講座では十八番にしている「宿屋の仇討」の実演を中心にして、前後にいろいろお話をうかがいました。内弟子生活のこと、尊敬していた八代目林家正蔵師(彦六)のこと、落語の手法について……。

一つ素敵なエピソードを伺いましたのでメモ代わりに記しておきます。

前座時代、飛騨高山で圓遊・正蔵の二人会があり、金遊も鞄持ちでついていった。正蔵は弟子ではなく、おかみさんが一緒に来た。宿では、圓遊・金遊が同じ部屋、正蔵夫妻が同じ部屋だった。翌日、目を覚ました圓遊は金遊に言った「俺のことはいいから、正蔵さんのところへ行って、身の回りの世話をしてこい」と。圓遊は自分より先輩の正蔵を気遣ったのだった。

金遊が正蔵の部屋へ行くと、正蔵は風景を眺めながら、誰に言うともなく、かといって独り言という風でもなく、思いつくままに良い話をいろいろしてくれた。正蔵は随談の名手として名高い人である。その正蔵が自分一人のために随談を語ってくれていることに、金遊はすっかり感激した。それ以来、すっかり正蔵に惚れて、正蔵のところに入り浸るようになった。

二ツ目になるとき、お世話になった人には手拭いと手土産をもって挨拶に行き、お返しにご祝儀をいただくのが通常の形だが、協会の違う正蔵のところには敢えて挨拶に行かなかった。余計な負担をかけてはいけないと考えたのだ。その後、あるところで正蔵と会った。

「お前さん、なんでうちに挨拶に来ないんだい?」
「すいません……」

正蔵のほうからご祝儀をいただいてしまった。その上、こう言われた。

「いいかい、わざわざお返しに来たりしちゃいけないよ」

正蔵のほうでは何でもお見通しなのである。その上、さらにお返しをしないようにと気遣ったのだ。

金遊は圓遊にそのことを報告した。

「正蔵師匠から先にご祝儀をいただいてしまいました」
「それじゃあ、稲荷町へお返しにいかなきゃいけないな」
「でも、お返しには来るなと正蔵師匠に言われたんです」
「ばかやろう、手拭いは師匠に、手土産はおかみさんに、と言って持っていくんだ。そうすれば受け取らないわけはないから」

明治生まれの噺家の知恵に金遊はすっかり感心した。
日を改めて金遊は稲荷町の正蔵宅へ。

「師匠、先日はありがとうございました。これはほんのお返しで……」
「お返しにくるなと言ったじゃねえか」
「いえ、これ(手拭い)は師匠に、これ(菓子折)はおかみさんにでございます」
「そうかい、それはありがとうよ」

受け取ってくれた。そして、

「ちょっと待ってなよ」

といって二階へ上がっていった。やがて、手にご祝儀をもって降りてきた。差し出そうとするので、

「いえいえ、師匠、これは受け取れません」
「これはうちのかみさんからだよ」

 言わずと知れたクリスティーの代表作の一つ。

●アガサ・クリスティー『ABC殺人事件』(堀内静子訳、2003年、クリスティー文庫11)

 原書は1936年。ポアロ物。

 以下ネタバレ。

 ポアロのもとに殺人の予告状が届く。はたして予告通りに殺人が起きた。はじめは、アンドーヴァーでアリス・アッシャーが殺された。死体の近くにはABCと称する時刻表が置かれていた。次は、ベクスヒルでエリザベス・バーナードが殺された。第三の殺人は、チャーストンでカーマイケル・クラーク卿をターゲットに実行された。第三の殺人予告は誤配により遅れてポアロの元に届いた。第四の殺人はドンカスターの映画館で予告通り行われたが、被害者はジョージ・アースフィールドだった。彼の近くにはロジャー・エマニュエル・ダウンズが座っていたので、犯人がターゲットを間違えたものと思われた。

 アレグザンダー・ボナパート・カストという男は、ストッキングの行商をしていたが、殺人現場の近くにいた。頭文字はABCであり、犯人と思われた。

 しかし、真犯人がクラーク卿の弟のフランクリン・クラークであることをポアロは見破った。フランクリンはクラーク卿の殺害を隠すために、意識を失うことのあるカストを利用して、アルファベット順の殺人を起こしたのだった。

 この作品のミステリ史における意義を説いた法月綸太郎の解説もなかなか良かった。

 かなり前に読んで、内容もほとんど忘れてしまったが、一応記録しておかないと次を読みづらいので。

●アガサ・クリスティー『雲をつかむ死』(加島祥造訳、2004年、クリスティー文庫)

 原書は1935年。ポアロ物。

 パリ発クロイドン行の旅客機の中で起こった殺人事件。

 解説は紀田順一郎で、いつもながら気の利いた文章。

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 《ブラック・ミラー》を見たら久しぶりにSFが読みたくなって引っ張り出してきた。

●フィリップ・K・ディック『流れよ我が涙、と警官は言った』(友枝康子訳、1981年、サンリオSF文庫)

 今はなき懐かしいサンリオSF文庫(その後ハヤカワSF文庫から出版されている)。原作の出版は1974年。

 タイトルは、イギリス・ルネサンスの作曲家であるジョン・ダウランドの有名な曲に由来している。「流れよ、わが涙」別名「涙のパヴァーヌ」。この曲については149ページに直接の言及がある。

 ジェイスン・タヴァナーは三千万人の視聴者をもつテレビ番組のパーソナリティだが、あるとき目覚めると、タヴァナーのことは誰も知らない世界に変わっていた。世界は何も変わっておらず、ただタヴァナーだけがこの世にいないことになっているのだった。

 「意識」を扱うディックの世界。文章はタヴァナーの意識に映った世界を述べていくので、はじめややわかりにくい。

 世界が変わってしまったのは、薬物によるものだとの説明は、まあシンプルだがわかりやすい。ところが、薬物を使用したのはタヴァナーではなく、警察本部長フェリックス・バックマンの双子の妹のアリス・バックマンであり、世界はアリスの意識に引きずられていた、という説明は、なんだかよくわからない。

 そのアリスとフェリックスとは、双子でありながら、近親相姦の関係にもあり、子どもまでいる、という設定。こういう設定が何を意味するのか、これまたよくわからない。

 タヴァナーが、ガソリンスタンドで出会った黒人の男に、ハートマークを書いて渡すと、二人の間の緊張関係はなくなって心を寄せ合うようになる、という場面もよくわからない。この黒人男性はこの場面だけしか出てこない。

 フェリックスが、自分でも知らないうちに涙を流している場面が二度出て来る。

 タイトルとも相まって、悲しみについて述べたくだりが何ヶ所か出てくる。
 
> 悲しみは自分自身を解き放つことができるの。自分の窮屈な皮膚の外に踏み出すのよ。(P.163)

 という台詞もある。

> 一人ひとりの登場人物に寄せる共感の深さが、ディックのとほうもない世界を、我々とは無縁のものと感じさせない。

 と、森下一仁は解説で書いている。

 なお、余談だが、「マティーニ」「マーティニ」両方の表記が出て来るページがある。P.134-135。
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 紀田順一郎さんの本で知ってからずっと興味を持っていたヘレーン・ハンフ『チャリング・クロス街84番地』。本はずっと前に買ってあるのだが、まだ読めていない。Netflix に映画があったので、こちらのほうを先に見てしまった。

●『チャーリング・クロス街84番地』(1986年、デヴィッド・ヒュー・ジョーンズ監督、アメリカ)


 とても良い映画だった。《ブラック・ミラー》シリーズとか、『冷たい熱帯魚』などの園子温作品とか、最近私の中で殺伐としたものが続いたので、こういう物語を見るとほっとする。

 ニューヨークに住む売れない脚本家ヘレーン・ハンフと、ロンドンにある古書店マークス社との心温まる交流を描く。原作の著者はヘレーン・ハンフ。つまり著者の実体験を綴った小説をもとにしている。ヘレーン役にはアン・バンクロフト、マークス社の店員フランク・ドエル役にアンソニー・ホプキンス。

 映画は、ヘレーンがチャリング・クロス街84番地にあるマークス社を訪ねるところから始まる。1969年のことである。ここに来る途中、タクシーの中から過ぎ行く風景を目を輝かして眺めた理由は、映画を見ているうちに明らかになる。1949年に、ヘレーンとフランクとの交流は始まった。欲しいイギリス文学の古書がニューヨークでは安く買えず、マークス社に手紙を出したのがきっかけだった。以来、フランクだけでなくマークス社の社員たち、フランクの家族などとも人間的な交流が始まることになる。やりとりは手紙だけ。余裕のないヘレーンはロンドンに行きたくても行くことができないのだった。

 バンクロフト、ホプキンスはじめ各俳優たちの演技も、気持ちがよく伝わってきて素敵だ。

 物語の全体が、本への、イギリス文学への憧憬に満ちている。紀田さんの文章もたしかそういう文脈の紹介ではなかったかと思う。本、特に古本を愛する者は見るべし。

 もう一つ、1949年から1969年までの、イギリスとアメリカの世相が活写されている。例えば、第二次大戦後のイギリスでは物資が配給制で、肉などは滅多に食べられなかったこと。ビートルズの登場で若者文化が勃興して、大人たちは眉をしかめたこと。アメリカでの学生運動など。

 悪人が一人も出てこない。年をとるとこういう物語が心に沁みる。

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