2005年07月13日

Happy Birthday さゆみん♪

究極のナルシスト娘。

とりあえず、あまり深く考えないで道重さゆみという娘になにがしかの形容を与えようとすると、そんんなカンジになってしまう。

6期メンバーとしてハロモニ。辺りで露出が増え始めた頃の彼女の「自分はかわいい」という類の発言は事の他目を引くものであったわけであるが、
彼女のこの自己愛は、例えばかつての松浦亜弥に代表されるような所謂「自分大好き」とは微妙にラインを異にしていると思われる。

ピンクが好きで髪飾りが好きでちっちゃいコが好きでうさちゃんが好きで…
つまりは「かわいいもの」が好きという感受。その嗜好性が自分の容姿をカワイイと認識することで、自分を「かわいい」と称える行動がそこに成立しているのが彼女、道重さゆみの「自己愛」のしくみのようである。

であるとするならば、もし仮に、かわいいと思えない自分であったなら、彼女は容赦なく自分を嫌ってしまうのかもしれない。そんな危険性はそこにはらんでいるとも言えるのだが、
だからこそ、彼女はきっと、「かわいい自分」である事には貪欲であるハズである。
それは俗世間的に「かわいこぶる」のではなく、真意的に「かわいくある」ことを目指してそこに作用していく意識として、つまりは誰かに「かわいい」と言われる為にかわいさを演出するのではなく、自分で自分をかわいいと認める為に真にかわいい自分であろうとするという、あくまで自己に厳しい向上心としての欲求。

だから、そんな彼女が自分を「かわいい」と評するのは、そんな自分への御褒美なのかもしれない。
自分をかわいいと賛美するのは、単純に自分の酔いしれているのではなく、今日もかわいくあれた自分を誉めてあげているのであろう。

そんな一見して危うい感受が真意的部分で強靭に保護される自己防衛力こそがは、実は彼女の持つ最大の武器でもある。

それは当人が「空想好き」などと表現したこともあるその性分の一端で、例えば「白馬に乗った王子様を待つお姫様」な自分を冗談ではなく想定できている純粋性においても、それでも単なる妄想障害に陥らないで成立し得ているのは、もう一方に存在する彼女の良識派な部分や知性派な部分においてバランスが保たれているからだと言えるのだ。

何気に毒舌家な面も覗かせる彼女であるが、それはつまり、本質に敏感である部分と、何より言葉を知っているバックボーンがあって成立している感がある。

事ほど作用に、道重さゆみというヒトは数奇なバランスで自己を確立せしめている人物と思われる。
ただし、それは全てが偶然の産物ではなく、多分に、彼女自身の自己育成の結果であるとも思える。

とはいえ
オーディション時に衝撃を走らせた「歌唱力」が飛躍的に向上した彼女の今があるように、まだまだ彼女は発展途上であるのだから、偶発的成長が絶妙のバランスで自己を引き上げていっているのかもしれないのではあるが、
いずれにしても、結果として彼女は最終的期待を裏切らない娘であるとも信じられる。

折りしも7期メンバー久住小春嬢の教育係となったらしい彼女。
無人島に持っていきたいほどお姉ちゃんが大好きな「妹」の彼女ではあっても、意外と姉御肌(石川梨華・談)でもあるらしい彼女が、この「教育係」という経験値の中から、どんな自分を育て上げていくのか。
そこには無限の期待を抱く事が可能である。

かわいい妹を得て、かわいくもステキなお姉さんとしての成長を遂げてくれるであろうその未来に希望を込めて

さゆ

 
 道重さゆみさん


 16歳のお誕生日


 おめでとうございます♪
  
  
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2005年07月11日

繋がる瞬間 目醒める永遠 待ち焦がれる

ワニブックスより冊子小包

遅れていた『モーニング娘。5&6期メンバーファーストソロ写真集シリーズ 応募者全員プレゼント「オリジナルメッセージカード6枚セット」』が本日到着。

公約通りの未公開写真に裏側に購入者への直筆メッセージ(の印刷)という仕様。
流石に昔の「SPECIAL EDITION」から比べれば安い印象は否めないが、それぞれに、なかなかに見応えもあり、読み応えもあるモノになっているとは言える。

まずは「紺野あさ美」わにぜんぷれこんこんわにこん裏














やや水着の衝撃に隠れた感のある「デコ出し」からの一枚。
自室でくつろいでいるかのようなラフなスタイルで提示される彼女生来の茶目っ気溢れるシチュエーション。直球勝負の感が強かった写真集の中で、こうした趣きある彼女らしい風景が決して疎かにされていたわけではないことを示す為に選択したかとさえ思わされる一枚。
コメントは彼女特有の「絵文字多用のメールを手書きした」ような雰囲気。
折りしも2冊目の写真集発売が公となったばかりであるが、このファーストソロ写真集が彼女の望む通り大事にされる1冊となり得たからこそ、次なる機会も生まれたのであろう。

次は「新垣里沙」わにぜんぷれがきさん
わにがき裏
 













かの写真集の中では、もっとも平常の新垣里沙のイメージから離れた提示だったシチュエーションからの一枚。
ただ、こういった和テイストの中で異国感が醸し出される熱帯性こそが新垣里沙の外装としては標準であるのかもしれない。
コメントは全面にオリジナルな「マメ」がとびかいながらも文章的にはキッチリとまとめられているのが特徴。
ここで特筆すべきは最後の一文「みなさんの期待に応えられるようにガキさんがんばります」。彼女たちの立場で、ファンから「応援されている」ことを感じ取ることは良くあるコトであろう中で、ファンから「期待されている」ことを実感できている彼女の感受のすばらしさ。そしてそれに「応える」ことを目指すスタイルの尊さ。
「ガキさん」の将来に対してはホントにいろいろな期待をかけても損はないようだと思わずにはいられない。

そして「道重さゆみ」

わにぜんぷれさゆわにさゆ裏













本編写真集でも、ずば抜けた美少女感を多面的に拡散させていたさゆであるが、
ここでの提示は制服というアイテムが齎す清楚感から発する静の中にポイント的に収められた動なる左手の表現するカワイラシサが道重さゆみを象徴するかのような、ある意味最も適切な選択の一枚。
コメントは彼女らしいまとまりの中で、「可愛い」がキーワードでありつづける予定範囲な全体像。「見てもらえて幸せ」というのが、彼女の偽らざる本心であることは十分に信じられるから、そんな「可愛い」道重さゆみはもっともっと見てみたい対象であることは認めざるを得ないであろう。

次に「田中れいな」
わにぜんぷれれいなわにれいな裏













写真集本編では、あえてヤンキーイメージにも逆らわないベクトルで表現された田中れいなではあったが、その意味では生来のかわいらしさをアピールさせた一枚。
漫画的イラストとしての達者さとデザインセンスが光るメッセージ面は、将来的展望に「色っぽくセクシーに」と入れてしまうれいな所以のかわいらしさが空気を和らげながらも、いつもの「文章書いても博多弁」ではない部分には一抹の寂しさも漂う点は隠せない部分は否定できない。

続くは「亀井絵里」

わにぜんぷれかめわにかめ裏













写真集が提示した正統的美少女感を的確に凝縮した一枚を選出。
ノスタルジーと倒錯の道すら提示した1冊から考えればいささか普通な一枚にも見受けられるが、やや暗めの色で守られた世界観はやはり逸脱の範疇には及んではいない。
メッセージは余白多め故か非常にスッキリまとまった印象。実際は絵心のなさが影響しているのは間違いないのだが、多分に結果オーライといえるだろう。ラストメッセージの「毎日見てくださいネ」こそが亀井絵里の真骨頂であろうから、毎日見てもいいかもしれないと思わされてもそれを罪だとは思わない。

最後に「小川麻琴」

わにぜんぷれまことわにまこと裏













結局として写真集を象徴してしまう「牛」をここでもチョイス。それが今現在の「小川麻琴」のキャクターを凝縮し象徴しているのであるとするならば、ソレもまた妥当な提示なのだろう。
コメントもまた、麻琴らしくその「牛」がお気に入りとして語られる展開。こちらも「何回も見てあげて下さいね」とアピールしている中で、それが「見てあげて」である部分に、被写体としてではありながらも、ひとつのものを作り上げた作り手意識がそこに潜んでいることが窺えて、その感覚を持てる麻琴である部分には非常に好感も持てるし期待も込めるコトが出きる。


全てを眺め見て

全般としていささか物足りなさを禁じえないのは贅沢であるから、
ひとつひとつが十分に素晴らしい提示であった事実を正当に受けとめて、

後は「抽選」の方にかすかな期待を込めてみたいものでもあるが、

こちらはどう考えても、自分には縁遠いまま時間がすぎてしまう事もまた想像に難くないのだから、
夢や希望は捨てはしないが、過度に高めることもまた敬遠をするスタンスで、

とりあえずは果たされた約束がこころに齎した温度に従順に、すべての写真集本編を、今一度じっくり見直してみたい気分に誘われている今である。


 

  
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2005年06月25日

さみしい日

 
6/25 松浦くんの誕生日の今日
長年続けてきたHP「モモモモモーニング娘。」を整理した。
 
もともと更新の頻度は低いスタンスで運営してきたサイトではあったけれど、特に今年に入ってからというもの、まったく更新が出来ない状況に陥ってしまい、
さらには、サイトのアチコチに修正を必要とする状況が発生したにも係わらずそれもままならない日々が続いてしまい、
このままあの醜態を晒しつづけることは自分にとってもかなりツライ状況であったので
今日、この日、サイトに一応の区切りをつけること決意した次第。
 
勿論、潔く「閉鎖」という選択肢も用意はしたのではあるが、モーニング娘。がホントの新体制としてスタートしようとしているこの時期に、「モーニング娘。の応援サイトを閉鎖する」という行為を行う事への抵抗感が大きくも有り、
かつ、なによりも、2000年初頭より続けてきたこのHPを完全に捨て去る事が出来ない自分の弱さはそれはそれでイトオシクもある実状を併せ、
今回は「整理」という方法で落ち着かせて頂いた。
 
 
1999年9月発売のモーニング娘。の「LOVEマシーン」という楽曲がオリコン1位を獲得したのを契機として、ASAYAN公式HPにオープンした「ASAYANモーニング娘。応援掲示板」 (通称ASA板)。
偶然その開設1ページに参加することが出来た自分は、そのままASA板の住人となっていった。
 
当時東京在住だった自分は、古いPCを熊本の実家に残しての東京生活で、なかなか高価なPCを購入に踏み切れず、Windows CEのハンドヘルドPCにてネットをしていたが、その状態で自分でHPを作ろうなどとは思いもしなかった。
その意識が変革されるのがこのASA板住人になった事実。最初期のASA板住人が次々と発生板や発生HPを立ち上げていく姿を横目に見ながら、自分もまた、自分の中のモーニング娘。への情愛を具現し得る「自分の応援HP」を持ちたい願望が膨らんでいった。
 
その想いをカタチにしたく足掻く中で、「Yahoo! ジオシティーズ」のシステムならば、Windows CEでもHP作りが可能であることがわかり、即座にHP開設を決意。
2000年の初頭には稚拙ながらも体裁も整い、そこに自分の「モーニング娘。応援HP」=「モモモモモーニング娘。」が完成した。
 
ちなみにこのHPタイトルはASA板の中での自身の書き込みに起因している。
タイトルそのものにはとりたてて意味もないのだが、ASA板での自分の発言から引用することで、地味にASA板へのリスペクトの想いを込めていた。
 
HPそのものは自己満足でいいと思っていたので、特にお客さんの集まる人気サイトにしたい欲求もなく、当初はあくまで地味に存在するだけのサイトではあったが、
やがて本格的PCを購入することになり、スキャナーなども合わせ購入したことで、それまで出来なかった写真やキャプ画の掲載を中心にHPのパワーアップに勤しみはじめ、
複数の無料サーバーで大量の画像を上げ始め、その「写真」目当てのお客がソコソコ流れてくるサイトになっていた時期もある。
 
そうこうしているうちに、大量の画像使用が元でジオシティーズから追い出されることになり、それを契機に有料サーバーを契約。所謂「.com」の仲間入りをすることになって、今に至るのである。
 
しかるに、そうして安定する中で、その画像の多さは、ひとえにそれをUPするまでの作業に楽しみを感じられたが故だったのであるが、その結果、一方で小難しい捻くれた文章書きの面を持つ自分にはイマイチ肌の合わないお客さんを呼び寄せる事態も結構つきまとってしまい、やがて自分とHPの関係そのものが微妙なラインに陥っていく。
 
一方、熊本にも戻って生活も安定した頃、急に遠征を中心として現場活動が増殖した自分は、HPの更新をする暇を急速に失っていく中、
もう一方で、ASA板とも疎遠になってしまった自分はこのHPの掲示板を日記的に使用して現場の感想などを書き連ねることが主となっていった。
 
やがて、「素人が簡単にHPを持つ時代」はさらに進化し、世は「ブログ」全盛の時代に突入。
文章のやり場に困っていた自分も、遅ればせながらとコチラのブログを始めることになり、やがて更には、もっと軽く羽目をはずしてこころを開放できる場所を求めて、もう一方の「日記」を始めることになる。
 
結局、自分が行き着く場所はあの「紺ヲタ日記」だったのかもしれない。
 
かねてから、アホアホなヲタになることに憧れていたのが自分だったから。
 
今はホントに、あの「紺ヲタ日記」を書くことで平日の帰宅から就寝までの時間は消費され尽くしてしまう毎日が続いている。
 
しかし、その生活は思いの他楽しい。
遠い昔、HPを開設したあの頃にも味わえなかった、満足感がそこにある。
 
ただひとつ、自分がこころに抱いていた「モーニング娘。を応援したい」とい気持ちが、現状どれほど効力をもってそこに存在できているのか、それが不安な部分でもあり、だからこそ、HPをなんとか維持したい自分も存在していたのだが、
不本意なものを晒しつづけることは何より本意ではないし、それでは想いもそこには育たないことは明白であったから
 
「モモモモモーニング娘。」は一応の区切りを迎えさせる決断に至った。
 
結果、その紺ヲタ日記とこちらのブログ(日記)、他HP時代のコンテンツ中の残しておきたかったページへのリンクのみでそのTOPページのみ残すこととした。
 
このカタチでも、まだまだ未練が断ち切れていないだけとも言える中では、最終的にドコへ向うのかは自分でもわからない。
 
ただ、今は
 
長く傍らにあったものを自らの手で集束させることの難しさと物悲しさというものが胸に渦巻いている。
 
それは前に進む為の儀式であったとしても
それはことのほか重労働でもあるものだ。
 
もうすでに、
自分とモーニング娘。は体力勝負の域に突入しているのかもしれない。
 
 
  
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2005年06月17日

Happy Birthday 辻ちゃん♪

 
 
無限の可能性を感じる頼りない少女

出逢った頃の辻 希美という少女の印象はそんな感じだった。


モーニング娘。加入当初から、「辻加護」としての特異性がことさらに強調される中で、それに見合う暴走も演じてみせていた彼女ではあったが、
当時の環境の中では相棒と切り離された露出もままあって、その時の彼女の「頼りなさ」ときたら、ホントにただの子供がTVに出ているようにすら感じるほどのものであった。
 
ただ不思議と、そんな彼女の「頼りなさ」は不快に感じる種類のものではなくって、
むしろそこに投影される純粋性の心地よさが甘美なまでの暖かさを形骸し、それは全てにおいての癒しになっていた。
 
時の流れの中で、相棒の器用さの陰に隠れることもあった彼女の潜在力は、ホントに潜在的に醸し出されるレベルになりかけた部分もあったものの、一方で、その純粋性に守られた個性はより奇跡を生み出す土壌へと移行していくことになり、華と技巧を感じさせる相方とは一風違った、より天然性の辻希美へと住み分けていくことになる。
 
後は全て、時が解決してくれたようだ。
勿論、そこには彼女の日々精進があったはずだが、それは当然のレベルでそこに裏打ちとして蒸着して、ご多分に漏れず負けん気も強い彼女でもあったから、心強い相棒を同時にライバルとして見定める事で、スキルアップは敢行されていったのであろうとも思われ、
いつしか彼女はその潜在能力に忠実に「歌える人」になっていた。
 
それこそが、昔感じた可能性の方向性。
 
モーニング娘。の辻加護の役割の中で、なかなか注目度があがらない「歌える」部分。
 
卒業を前後してのW(ダブルユー)も1年の時を越えてきた今、
ユニットとしての役割と、その構成要素たる辻希美の役割は、なかなかに大きく変容はし得ないものなのかもしれないけれど、
それでも、
着実に、「歌っている時」がイチバン輝いて見える辻希美になりつつあることは最近の確認事項でもあるとして断言できるから
 
嫌が上にも「大人」になっていくこれからのなかで
その「大人」にナチュラルに対峙し形骸することを許されるようになった時、今よりもう一歩、大きな転換が待っていることは想像に難くない。
 
しかしながら、培ってきた純粋性が生み出す奇跡は、
それとは別の次元で永遠であってこれることもまた、矛盾もなく信じられるのが「辻ちゃん」だ。
 
無限の奇跡を生み出す頼れる辻ちゃん
 
そんな貴方に出会える日も、そう遠くはないと期待しつつ…

のん18

 
 辻 希美さん


 18歳のお誕生日


 おめでとうございます♪
  
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2005年04月17日

涙の数だけ強くなれるよ



それは真実ではあると思う

思うけど

流さないまま時が流れ過ぎてしまっても、それはそれでなんら問題はなかったはずである涙ってのもあると思うし

自分の愛する人たちがそんな涙を流してしまった事実は身を引き裂かれる想いだし

その涙の根源を作った暴力には殺意を覚える


好奇心は必要だが踏み込む資格のないものがその領域に踏み込むことは罪だと思うし、そんなものはジャーナリズムではない。

心のない記事と命のない写真

そんなもんで飯を食ってる人間が切欠を作った事実には腸が煮え繰り返る

そんな連中に限って

自分の「スクープ」が世間を騒がせた事実を誇らしげにホクソエンデいるに違いない

氏ね




と、

こんな文章を書かずにはいられない自分の醜さが一番の嫌悪対象であるってのが実際のところ。


ただただ

「がんばれ」って書くだけでいいんだよね、本当は。



いい加減大人になれよ、オレ。

  
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2005年04月12日

Happy Birthday よっすぃ〜♪


天才的にかわいい

4期…という表現もまだ存在しなかった時代に、そのモーニング娘。4期メンバーオーディションに登場した吉澤ひとみ。
すっかり懐かしさの対象となってしまったASAYANのオーディションで、今以上に遊び半分の空気を装っていたつんくの口から飛び出した「天才的にかわいい」というこの形容は、
その時点で与えられた情報からは、その完成度の高い美少女感をダイレクトに口語化したものとしか受け取りようはなかったが、それでもそのコトバには特に異論を感じないレベルで、提示される「吉澤ひとみ」はかわいい美少女だった。

結果的には最後のASAYAN出身モーニング娘。となる「新メンバー」として選ばれた4人。
辻加護というある意味反則の2人はほっといてもキャラクターが先を走り、「天才的にかわいい」よりももっと正統的に美少女であった石川梨華は、マイナス要因が見えやすい部分がその美少女感を補完しながら、偶然か必然化は判らないが、それに対してぶつかってもがいている空気を対外化することで独自にキャラが浮き立つことになるが、その中で、どうしてもキャラが見え難い存在になってしまったのが吉澤ひとみその人であった。
しかも、本人がその事態に対してあせりのようなものを感じている空気をあまり感じさせないある種のマイペースさを貫いていたこともあって、なんらかの切欠で、彼女に注目する視線を持ち合わせていない人間には、なかなかな吉澤ひとみという存在のポジションが見えてこない時間が結構長く続く事になる。

それでも、プッチモニという場を得、そのユニットそのものの多面性に合せてクールだったり女の子だったりという面を小出ししながら、同時にラジオで個人を出す機会などにも恵まれるなかで、次第にその独特の人間性は醸し出され、ほんとにゆっくりではあるけれど、確実に彼女は吉澤ひとみという存在そのものを、自分のいるスペースとして刻み付けていった感もある。

時の流れの中で、自然に自分であることを貫いた結果に、他人の感受が彷徨ってしまったことはあっても、それは本人とは無関係な遠回りだったのかもしれない。気付けば吉澤ひとみはモーニング娘。イチの男前としてその地盤を確立していた。
勿論それも、自然体の彼女の表層の形骸に過ぎないのであることは明白ではあって、だからこそ、現状の「男前」の地位は、かつての「天才的にかわいい」を否定するベクトルで成立するものでは決してない。
吉澤ひとみの「天才的にかわいい」はその後つんく♂自身によって「外見的な作りのことだけではなく、本質的庶民性も含んで」と補完されている。勿論、後付けである可能性も高いのだが、その意味において、「庶民的」かどうかは別にしても、良し悪し以上にナチュラルに自分でいられる彼女の本質は、人という種の内面性質感としては、実に「かわいらしい」ものだと言えることは認められるのだ。
 
とはいえ、自然体でいたいが故に、ここまでの時間連鎖の中で、彼女自身のモチベーションが失速しかけた時期があったことは、自身の告白を待つまでもなく明白である。
しかし、それもまた彼女が自分に正直であったが故の対外であって、だからこそ、復活を遂げた時の輝きもまたヒトシオであったわけであり、今現在の吉澤ひとみが、何よりもナチュラルに輝いている現実に結実しているんだろう。

だが同時に、自分が自分であることを貫く人は、他人に対して無関心にもなりやすい。
他人が自分を貫く事に関与しないで見過ごしてしまう傾向とでも言うか、他人と自分の間にきちんと線引きをする事く、その点は実際彼女のスタンスにも垣間見える時があった。
しかしそれも、フットサルという集団スポーツでキャプテンを担うことで、自身に無理をかけずに、自然に軌道修正されてきているようでもある。

そうなれば、吉澤ひとみは無敵だ。
そして、そんな彼女がモーニング娘。という集団のサブリーダーに在する事実は、何にも増して心強い。

そんな今、このとき、
「天才的にかわいい男前」のサブリーダーに万感の期待を込めて、

よしこ






 吉澤ひとみさん


 20歳のお誕生日


 おめでとうございます♪

  
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2005年03月27日

いいも わるいも リモコンしだい

すっかり疎遠となってしまったコチラのBlog。
「livedoor」って見るだけでホリエモンの顔が浮かんできて、文章書く気力も失せるってのが、言い訳ではない次元で自分の中で成立している。
かと言って、どっかのブログみたいに楽天に乗り換えるのもシャクだし、どこかイイカンジのブログはないものだろうか?

今のところもう一方のヲタ日記が書いてて楽しい状態で、どうかするとコチラの存在すら忘れている状態なので、なきゃないでもイイカンジではあるんだが、気まぐれな自分のコトなので、トーンが違う感じで書ける場所は確保しておきたい。


ということで、「紺野ヲタ日記」とは違うトーンで書いてみたいことを、久しぶりにコチラに書く。
それはつまり、昨日3/26に観てきた映画「鉄人28号」の感想だ。

モーヲタ界隈でも、中澤裕子出演映画として情報の隅に記載され続けてきたこの「鉄人28号」。自分的には「中澤裕子」という視点はむしろ葬りたいベクトルで、製作決定の段階から「観たい」と思っていた映画だった。
それは、「鉄人28号」という漫画に対する自分の思い入れに100%依存した欲求であり、そうした想いはえてしてこの手の映画を観るには障害にしかならないのは経験則としては判ってはいたのだが、それでも「期待」を高めてしまうことを止められなかった自分がいて、結果論から言えば、案の定、その「想い」が、高く険しい障壁となって自分の前に立ちはだかることになるのだった。

自分も結構な年齢ではあるが、それでも原作漫画が「少年」に掲載されていたころも、白黒アニメがTV放送されていたころも、まだ生まれてはいなかった。
その自分の中で、この「太陽の使者」ではない「鉄人28号」に対する思い入れが生まれた切欠は定かではないのだが、それでも今現在の自分はかなりの原作版鉄人フリーク化しているのが現実となっていた。

であるから、実際は公開より随分と遡った、あらすじ的なことが出てきた時点でかなり懐疑的になっていたのも事実ではある。


■ストーリー

鉄人28号 大都市・東京で、突然、サイバーテロが発生した。さらには巨大破壊ロボット「ブラックオックス」が飛来し、街を次々と破壊していく。首謀者「ゼロ」の目的は、自らが開発したバイオコンピュータで理想郷をつくりあげることだった。日本中はパニックに陥った。金田正太郎は、母・陽子と二人暮らしの小学生。そんな正太郎の元に見知らぬ老人・綾部から一本の電話が入る。「あなたのお父さんのことでお話があります」それは、亡き父・正一郎が遺した「鉄人28号」の存在だった。綾部は、正一郎の遺言と正太郎のリモコン操作の適正を説き、鉄人28号を操縦してブラックオックスと戦うよう正太郎を説得する。正太郎は、とまどいながらもリモコンを手に取り、ブラックオックスに立ち向かう決心をしたのだった。父の遺言、母の愛情、友達の勇気、そして、天才科学者・立花真美による鉄人28号のパワーアップ。あらゆる期待を一身に背負い、正太郎は鉄人28号とともに悪に立ち向かう!




1本の作品としてシェイプされたストーリーで、そこそこまとまっているようにも感じるのだが、やはり安易に「現代」に置き換えられている点が気になった。
そしてそれに伴う金田正太郎少年の設定アレンジ…「少年探偵金田正太郎」の消滅。これはいただけない。
かてて加えて、予告編などで目に入ってきたCGのお粗末感
実際問題、今回劇場に足を運ぶのも気が進まないレベルまで「期待」は消失していたのが本当のところだった。
それが、「公開されているのに気付かなかった」自分に現れている。

さて、
それで、実際「観て」どうだったのか?

結果から言えば、やはり事前に気に入らなかった事柄がそのまま障壁となってしまって、とても「楽しめる」ものとは言えなかった。

よく出来た少年の成長物語ではあったと思える。少年金田正太郎の成長物語としては、そこそこよく出来た物語であったのかもしれない。
しかし、自分は「鉄人28号」で、そんなありきたりな「少年の成長物語」なんか見せられても嬉しくないのでいかんともしがたい。
やはり、自分の中での金田正太郎は「少年探偵金田正太郎」であり、小学生のクセにオープンカーを運転している大人顔負けの頭脳明晰名探偵な「正太郎君」であって欲しいかったのである。
役者の少年には罪は無い。作品が求めた「正太郎」を、彼は実に的確に演じていたと思う。だがしかし、自分としては、あれを「金田正太郎」として認めることはできない。

設定が、安易に「現代」に置き換えられている部分というのは、先にリメイクされたTVアニメ版が「戦後日本」に徹底的に拘ったものであり、その拘りが恐ろしく深みのある「鉄人」を成立させていたことに心を捕われた自分があった反動である部分が窺えて、ある意味フェアな判定ではないのは認めよう。
勿論、あのTVアニメ版も正しい「鉄人28号」ではないとは言える。しかし、原作の正しい壊し方の見本といえる作品ではあった。その意味で言えば、今回の実写映画「鉄人28号」は間違った壊し方をしてしまった例と言えるのかもしれない。

そして、イチバン厄介なのがCGだ。
事前情報で見たCGのチープさ。これに関しては、劇場サイズで見れば印象も変わるモノかと期待を捨ててはいなかったのだが、大きいサイズで見ると、尚更チープであった。
それだけに、おそらくこの安っぽいCGはきっと「狙い」なんだろうという想像は出来る。
いくらなんでも、劇場公開映画のCGを任される人間が、何の狙いも意図もなく、こんな安っぽい、質感もなにもない、ぎこちなくしか動けないロボットCGしか作れないわけがない。いくら制作費が安かったとしても。
ブリキのおもちゃを立体化したような姿の鉄人。塗り絵のような質感の鉄人。これはきっと、最先端CG技術でカッコよく描くことより、それに逆行することで、レトロな味わいを持たせて「鉄人っぽさ」を演出したかったのだと思う。
それはそれで、狙いとしては理解できるが、そのレトロ感はむしろストーリーとかそちらで醸し出して欲しい事柄であって、「デザイン」はともかく、鉄の質感とか、ロボット同士の肉弾戦とか、その辺は「今の時代に描く意味」を重視してもらいたかった。技術が追いつかなかった時代には再現できなかった映像の提示。それを期待していたのは自分だけではないと思えるから。

「鉄人28号」という素材をもって、「レトロ感」としてチープなCGで演出し、少年の成長物語に置き換えることで「親子で楽しめる映画」に仕上げようとしたのが、おそらくこの映画「鉄人28号」だったものと思われる。
その意味では、上で「原作を壊している」とは言っているけれど、中途半端に原作の「要素」をなぞっているとも言えて、だからどうも、「原作好き」の視点を捨て去って「コレはコレ」で楽しむことも出来ないで不満だけが募っていく。
それはやはり、残念で仕方が無い。


このところ相次いでいる古き良き漫画やアニメの実写リメイクが悉く駄作糞作の評価に追いやられてしまう要因は、決して同一ではない。
作り手の一方的な思い入れが暴走して観客を置き去りにしたり、作り手が原作の消化を充分にできていなかったり、要因はそれぞれであろう。
それでも轍を踏むことをやめないのは、近来のCG技術の発達が、映画の企画・製作現場に漫画・アニメの実写化の夢を持たせる要因となっているからであることは明白だ。そして、かつての古き良き漫画やアニメで育った世代が戦力の中心として働いているのが今の現場なのだろうから、その夢が生まれ、現実にビジネスラインに乗せられてしまうことも増えているのだと思われる。

しかし、難しいのは、一つのもが多くの人間の中に染み入った後に、それぞれの感受に生成する「想い」は、決してすべてが共通の姿になるとは限らないという現実。
つまり、ビジネスラインに乗せる上においては、最大公約数的部分の抽出とその的確な形骸方が要求されるのであり、それはつまり、作り手の想いのベクトルが、原作品を支える想いの大部分に共感か納得か、あるいは容認を取り付けるものであることが必要とされるということであろう。

その意味において、この実写映画「鉄人28号」は
少年まんが「鉄人28号」のファンとして、「これこそが鉄人28号だ」と共感も納得もできず、かといって「これはこれでアリだな」と容認するにも踏み切れない、中途半端な位置付けで成立してしまった作品だったということが言える。

重ねて言うが、残念である。

またいつか、もっと的確なベクトルでこの頑固な「鉄人フリーク」に挑んでくる実写映画「鉄人28号」と出会えることを祈りたいものだ。

  
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2005年03月06日

願いよかなえ いつの日か そうなるように生きてゆけ

 
もう一方の日記「紺野推し萌えヲタ仕様」にしたのは、こちらの日記と差別化が図れれば、と言う単純な思惑だったのだが、
ことここに至って、
軽めのベクトルで「紺ちゃん紺ちゃん」言いまくるコトが思いのほか楽しかったり、またページそのものを紺野仕様にしていく作業が楽しかったりで、
気付けばこちらの日記どころか、サイトの方すらほたらかしになりかけている現状に至ってしまっている。
それはやはりマズイと思うのも事実ではあるのだが、それはつまり、自分が紺野あさ美という娘をそれだけ好きだからであり、だから彼女の事を考えながら文章を綴ったり作業をすることがそれだけ「楽しい」わけであり、
とどのつまり、何かをなそうとする時にその何かを【好きであること】がいかに大切であるか、というものが骨身に染みているというのもまた現状である。


自分は「娘。ドキュメント2005」という番組を観ていない。
勿論今のご時世、所謂「ごにょごにょ」すれば、観れない環境に住んでいる自分でも観れないことはないはずだが、
別に意固地になっているわけでもなく、それでもある種意識的にスルーしているカンジがある。

そんな自分であるのだが、ちょっとネット徘徊をしていた中で拾った画像に気になるものがあった。

歌が好き1歌が好き2


 でも歌が大好き!




これに関しても、動画を「ごにょごにょ」はしていないので、脈絡的部分は想像するしかないのだが、その自分の想像の正解不正解は別にして彼女の口からこの言葉が出ている事実は喜びに値する。

勿論、プロの世界は「好き」だけでは成立しないのは認める。
だが、根底に「好き」が存在しないところでは、人が何かを生み出し育てる事もまた成立し得ないはずである。

精神論ですべてが罷り通るのは夢物語であるのかもしれないが、その夢を成立させてこその「モーニング娘。」であったはずである。
「音楽」が何なのか、ということ以前の問題で、「モーニング娘。」が成立させるべきものは何なのか、それはそのだったはずである。
だからモーニング娘。の歌は全てを越えて「音楽」になり得ていたはずである。

すべては追い求めることからはじまる。

これから先も、自分は積極的にこの「娘。ドキュメント」という番組を観る事はしないしないつもりではいるが、
それは、彼女の、彼女たちの「追い求めるこころ」は、彼女たちが「歌うことが好き」だから歌っている限りは、番組ロケの次元ではない部分で常に息吹いていると思っているからであり、

それこそが、自分が今も尚「モーニング娘。」を好きでいられる原動であると断言できるからである。

その意味でも、彼女達の「歌が大好き」というこころだけは守りたいというのが
今の自分の願いである。
  
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2005年03月02日

君の中で踊りたい


最近少し、「ライブドア」を利用することに気が引ける自分がいる(苦笑)

そんな中、俗称「青封筒」が2通やってくる。縦長と横長1通ずつ。

横長は後浦なつみ京都の払い込み用紙。送金締切3月8日。1週間しかないってのは短いと感じてしまうが、当落発表の時点で支払う用意をしておくのがスジだといわれればそれまでだ。
一応自分は今まで故意にしろ過失にしろチケ代金を送金しなかったことはない。
その意味では結構優良会員だと思っているのだが、それにしてはチケ運は悪い。当選率も、席運も。
特に席運。とりあえず、最前なんて引いたことは一度もなければ、一桁列がくる事も年に1公演あるかないかだ。
席は抽選とか言ってるが、実は先着順なんじゃないか、って疑って、払込用紙が到着すると即払い込んだこともあるが、それでもたいしていい席はこなかった。
まぁ、用紙の到着そのものがタイムラグで遅れてるので、そこで先着順が繰り下がってることも考えられるのだけれど、実際のところはどうなんだろうか?結構いい席を引くひとは偏っているって噂もきかないでもないし。

物理的距離が近ければ良席ってわけでもないと言えないこともないが、遠いより近いに越した事がないのも事実だ。
対象に近接すれば擬似的にではあれ相互を感受する確立は跳ね上がる。
その意味で、できるだけ「列」を表す数字は少ない方が「良い」と感じる。

まぁ、それはともかく。明日にはFLASHもこちらのコンビニにも並ぶだろうから、購入ついでに払い込んでおこう。


で、縦長封筒。今から先のチケ代を払おうかって時にもう次のチケの申込み案内。
 
 Hello!Project 2005 SUMMER 〜タイトル未定〜
 7/10(日) 大阪城ホール 13:00/14:00 17:00/18:00
 7/16(土) 名古屋レインボーホール 13:00/14:00 17:00/18:00
 7/23日(土) 代々木第一体育館 13:00/14:00 17:00/18:00
 7/24日(日) 代々木第一体育館 13:00/14:00 17:00/18:00

 地球温暖化防止キャンペーン「熱っちい地球を冷ますんだっ!」安倍なつみ
 歌とトークのふれあいコンサート
 6/11(土) 木更津市民会館 13:30/14:30 17:00/18:00
 6/12(日) 伊勢原市民文化会館 13:30/14:30 17:00/18:00
 6/18(土) 飯能市市民会館 (埼玉) 13:30/14:30 17:00/18:00
 6/19(日) 太田市民会館(群馬) 13:30/14:30 17:00/18/00
 6/26(日) 浜松市教育文化会館はまホール 13:30/14:30 17:00/18:00

 美勇伝 ファーストコンサートツアー2005 春 〜美勇伝説〜
 5/29(日) 東京厚生年金会館 14:30/15:30 18
:00/19:00
 6/4(土) 大阪厚生年金会館大ホール 18:00/19:00
 6/11(土) 名古屋市民会館 18:00/19:00

 Berryz工房 ライブツアー2005「タイトル未定」
 6/4(土) Zepp Nagoya 17:30/18:30
 6/5(日) Zepp Osaka 17:30/18:30
 
6/19(日) Zepp Tokyo 14:00/15:00 17:30/18:30

いつも言う事だが、3月あたまに7月の予定なんかわかったもんじゃないのが普通だと思うのだが…。
とりあえず、ハロプロ大阪は申し込むのが当り前状態として、安倍さんは回避の方向で…。
で、問題は残りの2つ。

美勇伝。ここ最近の「ハロプロやねん!」辺りにおそろしく単純に影響されて、ますます「チーム」として興味が湧いてきている矢先なだけに、やはり大阪申込みは必須と思われる。
モーニング娘。の石川梨華ではない、美勇伝の石川梨華にも勿論興味があるし、それ以上に、三好&岡田の両名にも興味がある。さらにはその3人での「美勇伝」そのものにも興味津々状態でもある。

となると、そのまま一泊して翌日同じく大阪でBerryz工房というのが効率としては一番いい。一泊分の宿泊費を加えても、他の会場で2往復するよりは遥かに安上がりだ。
しかし、やはり大阪で1階スタンディングってのには恐怖心がある。かといって、2階もファミリーにされてしまうとツライ。Berryz相手に振りをトレースする自信はないが、それでもやはり着席しての観覧は自分の対ライブスタンスでは難しいものがある。
それ以前に、ファミリー席の競争率は高そうな気もするし…
ここは申込み締め切りギリギリまで吟味する必要がありそうだ


FC通販はネットの方で注文するとして…
まぁポストカードホルダー&生写真23枚セットのBを1セットってとこかな…
紺ちゃん写真だけオクって方が安いのか?とも思うが、
矢口・吉澤・高橋・紺野・小川・新垣・藤本・亀井・道重・田中・辻・加護・あさみ・里田・みうな・清水・石村・熊井・須藤・菅谷・夏焼・徳永・嗣永
って、このメンツなら持っていてもいいかな、と思えないこともない。
まぁ、いらないものは誰かに売り渡すのも手ではあるが(苦笑)


それにしても
会報使用写真って紺ちゃんがあまり写ってないんだよな、いつも

  
Posted by a33konno at 23:55Comments(0)TrackBack(0)

2005年02月27日

色つきの女でいてくれよ


約6ヶ月、
それぞれのカタチで幸せを運んできてくれた「モーニング娘。5期&6期メンバーファーストソロ写真集シリーズ」も、先日の麻琴をもって完結。

写真集

6冊全てを購入するに当たって

そこにコレクター的感覚が全くなかったとは
決して言い切れない部分は

こうして6冊並べて見たときの気持ちよさが
図らずも立証してしまっているのは認める。

それでも

当たって下さい。
6冊購入特典目当てでの収集ではなかったということは
決して嘘偽りの無い自分の真実であるということだけは

今こうして応募券をハガキに貼り付けながらでも

天地神明に誓うことができる。



それにつけても、今回の6冊。
発売前の本人たちのコメントで異口同音に語られたのが「素の自分」というものだったが、
確かに撮影時点においてはそのベクトルであったのは窺い知れるものの、
1冊の写真集として完成したそれぞれは、それぞれのコンセプトをもってそこに1冊の方向性を示すカタチで、
必ずしも「素」オンリーでは成立していなかったと思える部分は避けられない。

シリーズ初っ端に相応しいインパクトを持って登場した「紺野あさ美」は、
良し悪しではないレベルで、その水着のオンパレード的内容では、必ずしも「紺野あさ美」の全ては凝縮し得なかったことは否めない。
勿論、それは承知の上で、切り取られた魅力の凝縮体としての責務は十分に果たす完成形ではあった部分では、萌えベクトルも含んで絶賛に値するし、なによりそこにいる紺野あさ美は紛れもない紺野あさ美であったのも真実である。その頑張りも含めて。
ただそれ故に、莫大な未公開部分への欲求は大きく募るものでもあり、その部分は、早く3月になれ、と願う気持ちに強く変化している今がある。

続いて登場した「新垣里沙」は、
その意味キャラクターを裏切らない刺激控え目さも相まって、実に的確に、新垣里沙という少女を切り取った1冊に落ち着いていた。
彼女が重ねてきた少女としての成長の時間軸をイメージさせられるかのごときその不自然な程のナチュラル連鎖は、写真には真実が写るという幻想を信じてみたくなる輝きの連鎖でもあった。

そして「道重さゆみ」
扉を開くことでスタートする「道重さゆみ」という世界への旅。
時に美しく、時に可愛らしく。シリーズ随一のフォトジェニック性を全面に開放して倒錯してくそのコンセプチュアルな1冊は、旅人は彼女なのか我々なのか、その起点すら曖昧にしてしまう無作為と作為の相互作用で、多面的過ぎる少女の魅力をやや強引に凝縮することにギリギリのラインで成立した作品と言える。
それほどまでに、今この時の「道重さゆみ」のもつ魅力はパラレルなものなのかもしれない。

やや切迫したスケジュールで続くバースデー発売の「田中れいな」
こちらは逆に、表層を作り上げることで本質を醸し出した1冊。
シリーズ一のアップの表紙は彼女の眼力を最大限に放ち、ヤンキー中学生風だったりかわいい妹系だったりしながら、イメージは出来ても具体化したのは初めてかもしれない部分を連鎖させて、「田中れいな」が補完されていく。
その意味において、必要以上に大人びないで貫かれた14歳の田中れいなであり、だからこそ尚、ここを起点に広がっていく田中れいなを夢想しえる教科書的提示でもあった。

更にバースデー発売として続く「亀井絵里」
圧倒的美少女感と、普通にカワイイ少女感。懐かしい風景を取り込んで蒸着する温もりに後押しされて広がる清涼感と背徳感。それらが積み重ねられた最後に解き放たれる開放感。
形骸するのではなく演出することで、真実ではなく本質を画にするかのような方法論で、まさに15歳の「亀井絵里」を凝縮せしめた佳作となりえていたと言って差し支えはない。

そしてオオトリとなる「小川麻琴」
人の魅力というものが一面的ではない事実は罪ではないから、その意味において、「元気」と「笑顔」の小川麻琴を主軸として濃縮する選択は、その作品が放つ鮮度の強靭性において間違いではないことは立証されている。
彼女の全てが魅力として凝縮されるのが理想ではあるのかもしれないが、アピールされてしかるべき「魅力」が最大限に前面化されることは、それはそれで当然の攻撃方針だと思われるから、その意味において、この「小川麻琴」は、彼女が届け得る「幸せ」を詰込んだ最大級の「小川麻琴」という1冊であったと言い切れる。


人の持つ魅力はベクトル起点では凝縮し得ない部分がある。
時として180度違う魅力をアンビバレンツした一己である場合もあるし、むしろ真逆であればまた一緒くたにし得るかもしれない中で、その180度の先に更に枝分かれしたりするのもまた一己であることが普通でもあるから、
ある程度見定めて、限定的に凝縮するのは方法論としては正論であり正当である。

その意味において、今回のシリーズ6冊は、
全てが「ファースト写真集」として及第点はクリアし得た6作品だと称えられる。
そして、だからこそ
それぞれがこの「ファースト」を起点にした「セカンド」を具現化してくれることを切に希望したい。

そこに発生する時間軸の波及する正統的変容を併せ持って尚
そのセカンドが実現し得た時に改めてこのファースト達を見返した自分に宿る想いというものが
今の自分が最も興味があるものである。

  
Posted by a33konno at 23:12Comments(2)TrackBack(0)