ベナンでの日々〜その後〜

一年近くのベナンでの生活も終わり、日本で就活に遊びに勉強にと、時間に追われた日々を過ごしている、大学生のブログ。

バトコ

2泊3日とは即ちそれ4泊5日のこと

7月23日 曇り時々晴れ
7時半に起き野菜の点検。
枝豆の若葉がまた少し食われている。。。
殺虫剤撒かないといけないんだろうけど、ベナンのには手を出せません。
朝食(パン、ココ、オレンジ、ヨーグルト)を食べていると、山下先生から今日のダサズメ行きは中止になるかもしれないとのこと。
ポヌさんからの情報なのでかなり信用度は高い。
まぁどうなるかは外出中のゾマホンさんが帰ってくるまでわからないのでフランス語の勉強。
すると外からゾマホンさんの声が。
やはり中止。
明日になった様子。
今日は午後から中橋さんと藤波先生とポルトノボに行くことになりました(山下先生はお留守番)。
ということでcybecafeへ、インターネットをしたいという中橋さんを連れて行く。
しかし残念ながら中橋さんのパソコンのバッテリーが無いため、中橋さんは直ぐに帰る。
おれも30分だけやってジャパンハウスに。
因みに中橋さんはジャパンハウスに泊まっています。
そしてポルトノボへ。
まずは博物館へ。
ベナンの歴史でも見せてくれるのだと思い入るとなんとそこは個人の博物館。
ベナンのものはほとんど無く、古いタイプライターとか車とかカメラとか、珍しいものを集めた博物館のようで。
そして長々と紹介されるのは博物館の持ち主の父親や先祖など一族の話。
その辺は完全にみんな飽きていましたが意外と楽しかったです。
でもベナンに来てわざわざ見るほどのものかと言えるのかは疑問。
少し移動しソンガイという会社の農業をしている地区へ。
パラクでも行った会社です。
まずはレストランで腹ごしらえ。
豪勢にコースで注文。
前菜は豚肉ソテーのサラダ、メインに鶏肉とフライドポテトを注文。
しかし前菜が出てくるのに30分以上掛かり、流石のベナン人も催促していました。
ソンガイで取れたジュース(マンゴーとパイナップル)が美味しかった。
そしてぐるりとソンガイを回る。
バイオエネルギーを作っているなどかなり整備された農業をしていました。
まあバイオ以外は綺麗というだけであまりパラクのそれと変わりはありませんでした。
帰りにココナッツジュース(前回に続き今回も甘くなかった)とサトウキビを買い食べ、帰る。
ジャパンハウスに戻りフランス語の勉強。
夕食(ピザ、フルーツ)を食べシャワーを浴び、フランス語を勉強し寝ます。
それでは。


7月24日 晴れ時々雨
7時半に起き野菜に水をやりフランス語の勉強。
朝ごはん(ココ、サトウキビにレモンをしぼったもの)を食べ10時半コトヌー出発。
スクールバスは背もたれが無いので枕を持参していく。
ゾマホンさんは昨日出発したため乗らないが、隣の長屋のちょっと大きめなお姉さんと、ベロちゃんのきょうだい、中橋さん、山下先生、藤波先生、ダベデさん、トスさん、ポヌさん、ベロちゃん、運転手のイレネさん、そしておれの11人で出発。
道中は順調。
歌を歌い踊る大宴会。
気分が乗ったイレネさんはかなり飛ばしていました。
2時頃ダサズメに到着。
いつものレストランでジュースだけを飲みいつもより高い、ダチョウがいるホテル、オーベルージュ・ダサにチェックイン。
部屋はいつもより広いが、おれは藤波先生と二人で一部屋でした。
ベッドが一つで少し焦ったが、あとでマットが届く。
ただマットには蚊帳が無いってのが気がかりだが、じゃんけんで負けたおれは今日はマットで寝ることに。
女性陣はいつものアリボホテルというところに泊まる。
昼食(ウォ、鶏肉とチーズのちょっと辛いソース)をいつものレストランで食べ、今回の目的の一つであるゾマホンさんの親戚で、ブードゥーの司祭の葬式の、前日祭(ダサのブードゥーの葬式は実際に祭りのようなのだ)に参加。
市役所から楽隊を連れて行進。
最初に広場のようなところで止まり、死者の魂(なんとも形容し難いもの)が踊る。
すると晴れているのに雨が降ってくる。
天気雨のレベルの雨ではない。
本降りに近い雨が降ってくる。
この場面で雨が降ることはいいことらしい。
なんとも不思議な体験だった。
中橋さんが体調を崩したため歩いてではなく、車で目的地の家まで行く。
そこで魂から感謝と祝福を受ける。
次に魂は生きた鶏を持ってきて、首を切り、棺に向かって血を滴らせる。
その後は故人の敷地内で太鼓の演奏や踊りをひたすら見る。
ここで露骨な金銭の請求をされる。
まぁベナンに5ヶ月住んでれば、当たり前のこととわかるのだが、どうにもおれには納得いかないことのひとつなんだよな。
美徳というかそーゆーのを意識してしまう。
ただ勿論渡すつもりで居たが、その時は車の中に財布を忘れてきたため渡せなかった。
世も更けてきたため、会場を後にし、夕飯(アグン、牛・豚肉のピーナッツソース)を食べにいつものレストランへ。
ホテルに戻りシャワーを浴び、『時計じかけのオレンジ』を持ってきていたため読み、テレビでフランス語の映画がフランス語の字幕付きでやっていたため見る。
しかし速くてついていけない。
ただ1チャンネルしか見れない上に、衛星で、そのもとがロビーにあり勝手に変えられてしまうというなんとも都合の悪いテレビなのだ。
まぁあるだけいいけど。
映画に飽きて寝る。
それでは。

7月25日 多分晴れ
8時起床。
ベナンにしては珍しくエスプレッソコーヒーがあったので飲む。
小高い丘の上にあるゾマホンさんの親戚の家で朝食(パン、オムレツ、ココ、フライドポテト、フライドバナナ)を食べお葬式へ。
今日も太鼓の演奏や踊りをする。
司祭のお葬式ということで、他の宗派のブードゥー教の人たちも来ていました。
今回はばっちり財布を持ってきたので、昨日の分の気持ちもこめてお金を渡す。
そして故人の魂が歩き出す。
その裏で故人と近しい人だけに故人からのメッセージが送られているらしい。
さすがにそこまで参加できなかったがどうやら日本人の我々にもメッセージを下さったらしい。
昨日と同じように、遠いところからありがとうということと、健康、無事を祈っていただきました。
香典の布やお金を誰から貰ったか公表する。
それは3人いる奥さんに均等に分けるためにするとか。
そしてしばらくして土葬がおこなわれる。
ベナンでは一般的に産まれたところか、多くの日々を過ごしたところに埋められるらしく、この人もこの家に埋められる。
これも近しい人だけしか部屋の中に入れないのだが、そんな貴重な瞬間をゾマホンさんの力で見せていただく。
周りには泣いている人もいたのに申し訳なさ過ぎる。
ゾマホンさんの友達(学校などの椅子や机を作っている人)の家に行き昼食(パエリアみたいなの、テリボ肉とチーズのソース)を食べ、式場に戻り、踊る。
ホテルに戻り、ベナンのすごろくのようなものがあったので、日本人三人で勝手にルールを考えてやる。
テレビでサッカーを見て、例のゾマホンさんの親戚の家で夕食(パエリアみたいなの、肉とチーズのソース、テリボ、肉とチーズと野菜のソース)を食べ、ワインとアルコール度数75%のソダビという地酒をちょっとだけ飲む。
ホテルに帰るとサッカーの昔の試合、EURO2000決勝、イタリア対フランスの試合がやっていたので見る。
二人でかなり盛り上がる。
いやぁすごい試合でした。
読書をして寝る。
それでは。

7月26日 晴れ
7時半に起き、朝食(クスクス、鶏肉、オムレツ、フライドポテト、パン)を食べ、岩山に登る。
前回ゾマホンさんに連れてきていただいたときも登った山でしたが、今回はガイド付き。
前回は入れなかった山の奥に入り、ブードゥーの双子の神様、雨の神様などを拝む。
でもやっぱり山の上に登って見られる景色は素晴らしいね。
その後、今回の旅の目的のもう一つである中橋さんが寄付した井戸の開水式(?)に行くことに。
ベテクク(井上小学校があるところ)への道の途中にあるシャンカという村で、電気も通っていないし、勿論水道も無い村だ。
井戸が11年前に壊れ、隣の村まで歩いて水汲みに行っていたらしい。
歓迎の宴を催していただき、ここでも踊る。
その後ダサズメに戻りオーベルージュ・ダサをチェックアウト。
6時だが、昼食(サラダスパゲティ、アグン、牛肉のピーナッツソース)を例の家で食べ、コトヌーに戻る人たち(山下先生、長屋の姉さん、ベロちゃん、トスさん、?)とお別れし、式場に行く。
ここでゾ待ち。
ちょいちょいあるんですが、今回は2時間ほど車の中で待つ。
9時ごろ夕食(ウォ、辛いソース)をいつものレストランで食べ、アリボホテルに移る。
シャワーを浴び、本を読み、寝る。
それでは。

7月27日 曇りのち雨
俺の部屋は水漏れはするは、水道の蛇口から水は間左に出るは、トイレの水を流すための棒は抜けるはで大変だったんですが、何より大変だったのが蚊。
部屋に入ったときに3匹いて、全滅させたのだが、朝起きるとなんと蚊が増えている。
よく見てみると網戸に蚊が10匹ほどいる。
なんと網戸に穴が空いていたのだ。
用心して蚊帳をしといてよかったよ。
7時半に起床。
朝食(オムレツ、フライドポテト、パン、ココ)を例の家で食べ、一時間以上ゾ待ち。
その間に『時計じかけのオレンジ』読了。
寝不足のため点滴をうけてきたらしい。
中橋さんがゾマホンさんと再び井戸にいっている間散歩。
藤波先生のデジカメの乾電池を探す。
昨日900CFA(約\180)円の電池は新品なのにほとんど残量が無かったためだ。
300CFA(約\60)を買うが今度はデジカメの画面すら表示されない。
これくらい安いのはナイジェリアが欧米のを真似して作っているものらしく、リモコン程度にしか使えないとか。
仕方なく今度はアメリカ製の4,500CFA(約\900)の電池を買う。
今度はばっちり使えるようでした。
散歩を終え、山登り。
今回はカトリックの山で、マリア様が現れたといわれるルルドの景観に似ているらしく、8月15日には多くのカトリック教徒がその山に登るらしい。
見た目はかなり険しいのだが登るのはほんの入り口だけ。
まだシーズン前ということで無造作な感じ丸出しでした。
この山の名前はアリボ山と言い、その麓にはアリボという聖なる水がありそれを取り囲んでいる山をアリボ山というらしい。
中橋さんたちが帰ってきたので昼食(アグン、チーズと鶏肉のトマトソース)を食べ、一台のバスだけでパラクに向け出発。
ここまででガソリン代が5万円もしたために節約。
途中シアバター工場による。
ほとんどの工程を機械でやっておりシアバターは少し高めの2kgで5,000CFA(約\1,000)だそうです。
パラクでアチャデさんをピックアップし、コロボロルのたけし小学校へ。
食堂はほとんど完成していました。
続いてめいじ小学校へ。
その途中なんと偶然バトコさんに遭遇。
夕食に招待される。
めいじ小学校に着いたときは土砂降りだったため、少しだけ見てパラクにもどりホテルへ。
今回はいつも泊まっているホテル、ホテルセントラルが一杯のため、ホテルレキャナリというところにチェックイン。
夕食を食べにバトコハウスに。
相変わらず広い。
お菓子をつまみながらワインを飲み、夕食(ご飯、鶏肉、フライドポテト、トマトソース)を食べ、友達のお給仕さんと再会。
猿も元気そうでした。
バトコハウスを出てすぐホテルに戻るのかと思いきや、ゾ待ち。
彼はアチャデさんと40分ほど話す。
その間日付が変わる。
ホテルにもどりシャワーを浴びばたんきゅー。
それでは。

7月28日 曇り
6時半に起き、ホテルで朝食(オムレツ、パン)を食べ、パラクを発つ。
のかと思いきや給油のためUターン。
給油をするためだけに戻るのかと思えば、お茶(アチャイという名前だったかな)を飲み、初代大統領ユベマガさんの家に寄る。
今は警備員しか住んでいないらしい。
子供たちには住ませず、各自の稼ぎだけで生活させていたという。
立派な父親である。
今度こそ本当にパラクを出て、所ジョージ小学校とゾマホンさんの生家により、ダサズメのいつものレストランで昼食(テリボ、魚とチーズとほうれん草のソース)を食べ、車を二台に戻し帰る。
途中アラダというところでパイナップルや何やら買い、ジャパンハウスに戻る。
やっぱりここが一番ですね。
この日記を書き夕食(ご飯、フライドポテト&バナナ、野菜と魚のソース、パイナップル、フライドじゃないバナナ)を食べて朝3時まで寝る。
シャワーを浴びてフランス語を勉強し、寝ます。
それでは。

一ヶ月は長く、短い。


さらばバトコハウス。


6月13日 晴れ
朝8時に起き朝食を食べ、お給仕さんの一人と鬼ごっこ。
ライムは投げてくるは、服は引っ張るは、最初は大人しいなと思っていたのにとんだじゃじゃ馬娘だったな。
マンゴーを食べ、疲れたので寝て起きると13時。
昼食(スパゲティ)を食べ再び鬼ごっこ。
老体には堪えるぜ。
お腹が痛いままなので薬を飲む。
さて、明日でパラク生活も終り。
少し振り返って感想。
・暑い、とにかく暑い。そして朝は寒い。
・一ヶ月振り返るとやっぱり早かったが、でも一日一日は長かった。
・日本が恋しいぜ。これがホームシックってやつか。
・農作業は除草作業と移植作業しかしなかったが、いろんな村や土地を訪れることが出来たのは今のおれにはよかったと思う。
・勉強はコトヌーに居たときに比べれば全然しなかったが、色々考えられたと思う。
・人間暇つぶしの方法はいくらでも思いつく。
・日本語が喋りたい。思いっきり早口で喋りたい。
・正直ストレスはかなりたまったんじゃないか。
こんな感じかな。
お給仕さんたちと踊り写真を撮りまくる。
コロボロルへ行き給食の建物の写真を撮る。
バトコハウスに戻り、お給仕さんたちと別れを惜しみながら会話。
ダベデさんはまたマンゴーや野菜などを大量購入。
今日はホロホロ鳥まで買って満足気でした。
夕食を食べ(テリボ、ヤギ肉とチーズのソース)を食べシャワーを浴び寝ます。
それでは。

6月14日 晴れ
朝4時半に目が覚め、蚊と鶏にキレる。
最終日だというのについにやってしまった。
まだまだ未熟だ。
5時半頃に支度を終え外でボーっとする。
6時にバトコハウスを出発。
カリムさんとお給仕さん二人がお見送り。
7時にパラクを出発。
バスは御用達「Inter City Lines」のバス。
10時半頃ダサに着き、いつものホテルにチェックインして、ブランチ(ウォ、鶏肉とチーズの辛いソース)をいつもの店で取る。
ってか狭い部屋とベッドを二人で一つって。
12時にゾマホンさんのいとこと一緒にアジア村へ。
前回来たときよりも道幅が広がっていたし、広いトウモロコシ畑があり、かなり変わっていた気がする。
花畑牧場ベナン支社にも行き、井上小学校に寄る。
3つ目の校舎が作られていた。
5時頃ホテルに戻り、ロビーでテレビを見ていると、自称サッカーがC.ロナウドやカカ、メッシなんかより上手いという人に、ビジネスの話をされるが、丁重にお断り。
買い物に出かけとうもろこしとFan Milkのlaitを頂く。
夕食(アグン、鶏肉の辛いソース)を食べ、ホテルに戻り、シャワーを浴び寝ます。
そういえば今日ダサで乗ったゼミジャンは前回ダサで乗ったときの人だった。
きっと彼とは縁があるのだろう。
それでは。


6月15日 曇りのち雨
狭いベッドに二人で寝たため寝返りをする度体がぶつかり目が覚める。
しかし7時半ころ何故か良い目覚め。
8時半にチェックアウトをし大量の荷物をゼミジャンに乗せバス乗り場(ガソリンスタンド)へ。
しかしゼミジャンに先に行かせて心配じゃないのかね。日本人のおれには物が盗られるんじゃないかとか思うんだが。
そう思っている間ダベデさんはヤム芋を買う。
一体どれだけ買うんだか。
バス停で一時間ほど待っていたんだが、ここでも荷物を日向のバス停に放置して我々は少し離れた日陰へ。
心配でずっと荷物を見ていたんだが誰一人として触ろうとする人はいない。
きっと路上で寝ても心配ないと思わせてくれるぜ。
無事いつもお世話になっている「Inter City Lines」に乗り、いつものようにボイコンでパンとヨーグルトと、ダベデさんはお土産にオレンジを大量購入。
コトヌーに無事到着し、ダベデさんにオレンジとマンゴーとピーナッツを頂き、別れ、イレネさんにお迎えに来ていただき、久しぶりのジャパンハウス。
こんな部屋だったななんて感慨に浸り昼食(パン、スパゲッティ、野菜のソース)を食べる。
いやぁベロちゃんのご飯は美味しい。
バトコハウスも美味しかったんだが肉、肉、肉って勢いだったから野菜中心が懐かしい。
サラダ食いてえ。
これは菜食主義者一直線だな。
大量の洗濯物を処理し自分のパソコンを久しぶりに触る。
いやぁやっぱり何でも自分のが一番だね。
沢木耕太郎の『深夜特急1 香港・マカオ』を読む。
日本の文庫も久しぶりに目にする。
iPodに入れてある日本のラジオも久しぶりに耳にする。
日本の写真も見る。
日本万歳だな。
夕食(ウォ、野菜のソース、オレンジ)を食べ山下先生にパラクで溜めていた日本語を話しまくる。
パソコンでメールの文章を打ちシャワーを浴び寝ます。
明日はトーゴの大使館に、明後日はトーゴに行くとか。
何だか俺の知らないところで色々進んでいます。
そして、スクールバスも2台なくなっていました。
先生方もどこに行ったか知らないとか。
扇風機の風を感じながら寝れるって素晴らしー。
それでは。

6月16日 曇り時々晴れ
8時に起き朝食(パン、ココ)を食べトーゴ大使館へ。
大使館ってすげー荘厳なイメージがあったんだが日本のベナン大使館といいここといい意外と普通の建物。
日本のベナン大使館は雑居ビル。
因みに来年の元旦にベナンに日本の大使館が出来るのだ!
山下先生が昔のパスポートを持ってきてしまうハプニングがあったものの無事に手続きを済ませる。
因みに今日の秘書は、おれと一緒にパラクに居っていたダベデさんの代わりにボサさん。
ジャパンハウスに戻りパソコンをいじる。
ブログの原稿を書く。
途中本を読むなどする。
昼食(ご飯、魚と野菜のソース、マンゴー)を食べる。
今まではこの後cybercafeへ行くところだが、大雨季。
水溜りが進路を塞いでいるため、中止。
部屋でパソコンしたり本を読んだり。
『深夜特急1 香港・マカオ』を読了。『深夜特急2 マレー島・シンガポール』は明日読もうと思う。
夕食(クスクス、魚と野菜のソース、オレンジ)を食べシャワーを浴び、明日は早いので寝ます。
それでは。

今回は短いけどここまで。

ソノサン



波も乱れる後半戦。


6月3日 晴れ
9時に起きて朝食を食べコロボロルへ。
村長に挨拶をして学校の裏の給食施設の建設場所へ。
運ばれていた土からブロックを作っていました。
これが建物の壁になるわけですな。
ダベデさんやカリムさんは電話をしていましたが、私は蚊帳の外。
ということでいじけて砂をいじっていたら、子供がまねをしてきました。
因みに小学校は様々な試験のためお休み。
そこでおれの行動をどれだけの子供が真似をするのか実験をして見ました。
結果6人の子供たちがまねをして穴を掘りました。
もしコロボロルで穴掘りが流行して、徳川の埋蔵金が発見されたら俺のお陰ですね。
バトコハウスに戻り、ガイドブックを読む。
今は再びベナンについての本。
ダベデさんがアチャデさんに会いに出かけてしまったので、一人で昼食(マカロニ)を食べ、シャワーを浴び、ガイドブックを読み(ブードゥーについて読了)、マンゴーを食べ、散歩する。
夕食(ごはん、鶏肉、野菜のソース)を食べ、フランス語を勉強し寝ます。
なんだかんだで20日目。
ってか今週が早い。
後半は前半の1/10に感じるの法則がここでも適用されている。
それでは。

6月4日 晴れ時々曇り
多分8時頃に起き朝食を食べ、すぐコロボロルへ出発。
ブロックがかなり増えていましたが足りないんでしょう。
まだ作っていました。
村長と女性を乗せコロボロルの先にあるソンガイ地区へ。
ソンガイ地区は首都のポルトノボにもあり、どうやら農業学校や農業の研究をしているところのようです。
1,000CFAを払えば案内してくれるらしいので今度また来ようと思った。
今日のソンガイでの用事は、給食プロジェクトの写真撮影が明日あるので、その食料調達のため。
卵を大量に買い出発。
コロボロルで村長を降ろし(何故来たのだろうか。)パラク市内で様々な食材や料理器具を買いコロボロルへ戻り荷物と女性を降ろしてバトコハウスへ。
昼食(ごはん、牛皮とチーズのソース)を食べシャワーを浴び、ベッドで横になっているといつの間にか寝ていたようで。
起きたら6時。昨日あまり眠れなかったからかな。
フランス語を勉強し、お給仕さんたちと遊ぶ。
おれの変顔はベナンでも通用するようだ。
夕食(ギ、鶏肉、野菜とチーズのソース)を食べ、シャワーを浴び、フランス語を勉強し寝ます。
夜10時頃イスラム教のお祈りがバトコハウス本館で始まる。
アラビア語らしくさっぱりわからん。
まぁフランス語でもわからんが。
どうやら毎月一回木曜日にこの集まりがあるらしい。
明日は忙しいぞ。
それでは。

6月5日 晴れのち雨
8時半に起き、朝食を食べすぐコロボロルへ出発。
今日は写真撮影。
30人の生徒を呼び給食プロジェクトの様子を撮る。
というものでしたが、来航した生徒はなんと約100人。
ただでご飯が食べられるということもあってか、口コミで広まってしまったようです。
そして子供たちは我先にと狭い入り口に押し合い圧し合い。
少しそんな混乱もあり、最後の子供は手のひらに乗るだけのごはんしかもらえていませんでした。
本当はきちんと一人ひとりに食事は行き渡ります。
因みに今日用意した給食の献立はごはん、トマトソース、小魚煮、パン、卵、バナナ、マンゴーでした。
しかし給食を10時から10時半の間で済ませるのはかなり酷じゃないか?
まぁお昼の時間はこの時間と国が決めているらしいが。
それに給食を配る人は3人って。
日本では給食当番という素晴らしい制度があることをアドバイスしておきました。
バトコハウスに戻り、フランス語を勉強し、マンゴーを食べ、昼食(バ、魚と野菜のソース)を食べ、フランス語を勉強し4時半にcybercafeへ。
給食プロジェクトの写真をダベデさんが日本へ送るためでしたが、ついでにおれも1時間だけやることに。
ダベデさんは2時間やる予定でしたが、なんと生憎のスコールに遭遇。
停電6回起き、インターネット回線が1回切れるという残念な結果。
ダベデさんは1時間更に追加したものの、結局8時になっても最後の停電が復旧しなかったため1時間20分残してバトコハウスに戻る(クレジットなのでまた使えるが)。
夕食(テリボ、モロヘイヤのようなヘビのソース←ネヌイという名前でした、牛肉とチーズのソース)を食べ、地面の泥濘に足を滑らせコケる。
民族衣装のボンバは破け、ひざは擦りむける。
まぁそんなときもある。
シャワーをして消毒して、フランス語を勉強して寝ます。
それでは。

6月6日 曇りのち晴れ
9時前に起き、朝食を食べ、一昨日行ったソンガイへ。
1,000CFA(約200円)を払い案内してもらう。
85haの土地にアヒルや七面鳥などもいる養鶏、養豚場にあとウサギもいました。
特に養鶏場には1歳、2歳以上の鶏がそれぞれ6,000羽以上いるらしく、物凄い臭いでしたね。
他にも加工場があり、ドライマンゴーやジュースなどを作り、畑ではパパイヤ、ヘビ、トマト、バナナ、唐辛子、とうもろこし、キャッサバ、マンゴー、バオバブ、オレンジ、ヤム芋、サヤインゲンを育てていた。
池もありそこで稚魚も育てていました。
いやぁ幅広い。
また先日述べたように学生もいて、もう半年間通って今月卒業する生徒が25人、他にも28人の生徒がいるようです。
ベナンの農業のために頑張って欲しいですね。
バトコハウスに戻り、昼食(ごはん、牛皮とチーズのソース)を食べる。
どうにも牛皮の食感が口に合わない。
昼寝をして、昨日に続きcybercafeへ。
再度日本へ写真を送るためダベデさんの挑戦が始まったが、すぐインターネットが繋がらなくなる。
これでは間に合わないと感じたダベデさんはクレジットを1時間追加し、ぎりぎりで終了。
cybercafeを出てアチャデさんの家へ。
すると近所で人が集まっているのでカリムさんと2人で見に行く。
どうやらバリバ人による卒業の祝いだそうで。
ベナンはそんな季節です。
アチャデさんの家をでて、アゼケマーケットで車を止めダベデさんは電池を買い、gloのSIMカードをカリムさんと2人で買っていました。
1,000CFA(約200円)は安いみたいです。
また、IFEの生徒のイワダンさんのいとこと妹がパラクに居るらしいので待ち合わせをしていたのですが、残念ながら会うことが出来ませんでした。
バトコハウスに戻りピーナッツとガリを食べ、夕食(クスクス、牛肉と野菜のソース)を食べ、シャワーを浴び、フランス語を勉強し、寝ます。
しかし昨日に引き続き、もう一枚の民族衣装のズボンにも穴が空いた。
しかもケツって。。。
それでは。

6月7日 晴れのち雨
8時に起き、朝食を食べ、バトコさんと愉快な仲間たちと共に農園へ。
農園へ行っているときに、シアバター恐らく3kgを2000CFAでゲット。
農園では沼の除草作業をする。
流石に沼の中には飛び込めなかったが外から微力ながら協力。
途中からおれが必要なくなり、日陰で休む。
今日も暑い。
除草作業が終り、バトコさんが買ったパンを皆で食べる。
その後オレンジを食べ、機を運び、マンゴーを食べ、バトコハウスに戻る。
凄い荷物と人が乗って帰る。
16時頃にシャワーを浴び、昼食(テリボ、鶏肉とチーズのソース)を食べ、アチャデさんの家へ。
今日アチャデさんの娘さんがミサで洗礼を受けるとかで招待されてたんですが、農園で予想以上に時間がかかってしまったため、出ることが出来ず。
しかし家で歓迎を受け、昼食を食べたてすぐだったが、チキンライスをいただき、バトコハウスに戻る。
少し寝てフランス語を勉強し、夕食(卵と牛肉入りスパゲティ)を食べ、シャワーを浴びてフランス語を勉強して寝ます。
それでは。

6月8日 晴れ
7時にダベデさんに起こされる。
何かと思いついていくと、シアのカーネルを運んでいる女性がいる。
写真を撮れということか。
眠気眼で採ったのだがなかなか良い写真が撮れた。
ダベデさんと女性に感謝。
再び寝て8時半に起き、朝食を食べ出発。
まず車を修理し、イワダンさんのお母さんの家に行く。
コーラとビールとジンを頂きバトコハウスに戻る。
かなり良い気分で就寝。
14時半頃に起き、フランス語を勉強し昼食(ヤム芋煮、ヤギ肉とチーズのソース)を食べ踊り、cybercafeへ。
今日もダベデさんが写真を送るらしいのでついていくことに。
少しだけインターネットをさせてもらう。
バトコハウスに戻りフランス語を勉強し、夕食(ごはん、魚と野菜のソース)を食べフランス語を勉強して寝ます。
ベナンの電気代と水道代(一家4人のダベデ家)
電気:約15,000CFA(約3,000円)/月
水道:約25,000CFA(約5,000円)/月
それでは。

6月9日 晴れ一時雨
7時過ぎに起き散歩。
今日は休み。
ダベデさんはどこかへ行ってしまったので一人で朝食。
朝早くからフランス語の勉強なんて気持ちいいな。
なんて思っていたら左目の視野がぼやける。
きたよ。
左目のパターンもあるのかよ。
そして頭痛。
ダベデさんが帰ってきて、マンゴーを食べ、バファリンを飲み寝る。
13時頃起きるが未だ痛い。
暑いので外でベンチに腰かけ、ボーっとする。
昼食(ホロホロ鳥の卵とチーズとレバー入り炒飯)を食べ再びボーっとする。
雨が降ってきたので部屋でボーっとしているといつの間にか頭痛が治っている。
若干の違和感はあり急に体を動かすと痛みが襲うが、散歩したり、フランス語勉強したりして、夜を過ごす。
夕食(ギ、鶏肉、野菜のソース)を食べシャワーを浴び大人しく寝ます。
それでは。

6月10日 晴れのち雨
最近やたら5時頃に目が覚める。ズボンのゴムが切れるが気にせず目を閉じる。
寝すぎて9時に起き朝食を食べる。
木の植え替え作業を眺め、日陰で待ったり過ごす。
バトコさんはお葬式に出かける・
このお葬式、実はおれもイワダンさんのお母さんに誘われ行こうと思っていたのですが、運転手が来ない。
結局この日運転手は現れず、農園にいたとか。
少しフランス語を勉強し、昼食(チーズと肉入りマカロニ)を食べたあと外にいるとスコールが降ってくる。部屋に戻るとダベデさんが電気を消して寝ていたため、筋トレを少しして寝る。
起きてフランス語を勉強してリ散歩したりして、夕食(テリボ、ネヌイ、鶏肉とチーズのソース)を食べ、シャワーを浴びフランス語を勉強して寝ます。
ブードゥーは日本で言うところの仏教とか神道みたいなもんなんだろう。
習慣の一つというか、熱心でなくてもブードゥーの占いをするらしい。
お守りを買うとかそーゆー感じなんだろう。
頭痛は未だ若干残る。
それでは。

6月11日 晴れのち雨のち曇り
今日も5時に目が覚める。
原因は腹痛だ。
機能寒い中つめたいシャワーを浴びたからか。
昨日に引き続きゴムが切れる。
そして寝る。
多分9時頃に起きて朝食を食べる。
かなりメジャーな銀行のエコバンクパラク支店長がお見えになっていたので軽く挨拶。
バトコさんは10時頃カリムさんを連れて農園へ。
今日は16時にアチャデさんのところに行きアチャデさんの農園を見せてもらう予定なのだが帰ってくるだろうか。
などと心配しても仕方ないのでフランス語を勉強して、寝る。
猿とコミュニケーションを取り、昼食(クスクス、牛肉と野菜のソース)を食べバトコさんとカリムさんの帰りを待つ。
15時半無事に帰ってきたので、カリムさんには悪いがすぐにアチャデさんの家へ。
雲行きが怪しくなり、あっという間にスコール。
30分くらいで止み、アチャデさんを乗せ、雨上りの中アチャデさんの農園へ。
しかし金持ちはみんな農園を持っているのかね。
アチャデさんの農園までの道はかなりまともだったが2箇所ほど難所があり、苦戦しながら農園へ。
アチャデさんの農園は20haと、バトコさんの農園に比べれば小さく、買ってまだ10年しか経っていないため、計画中のものが沢山ありました。
因みに
 1a=100平方メートル=10m*10m
 1ha=10,000平方メートル=100m*100m
 10ha=1平方キロメートル=1km*1km
 100ha=100平方キロメートル=10km*10km
ということで
 アチャデさんの農園20ha≒1.4*1.4km
 ゾマホンさんの農園300ha≒17*17km
 バトコさんの農園400ha=20*20km
ってなるのかな。
アチャデさんの農園は、農園というより農地という感じでしたが、かなり参考になりました。
帰りにコロボロル村により、工事の進み具合を見に行くとかなり進んでました。
壁が着々と積み重ねられていました。
アチャデさんを家へ送った帰りに床屋に行きダベデさんとカリムさんは髪を刈りました。
ダベデさんは2週間に一度散髪に行くかなりのオシャレさん。
ベナンの女の子は赤ちゃんのときからピアスをしている子がいますが、これもおしゃれだとか。
子供が可愛くあって欲しい親御ごろは日本もベナンも変わりません。
バトコハウスに戻り夕食(バ、魚フライ、野菜のソース)を食べ、シャワーを浴びているとバトコさんから呼び出し。
何やら大統領に呼ばれたため、明日朝早く出発しなければならず、今日でお別れとのこと。
ということでお世話になったお礼に日本のガイドブックとお箸を渡す。
フランス語を勉強し、寝ます。

6月12日 晴れのち曇り
今日は4時半に目が覚める。
寝て8時半に起きる。
腹部に違和感だ。
腹痛が酷くなって帰ってきたらしい。
朝食を食べ、出発。
今日はイスラム教のお祈りが見れるので、てっきりモスクに入れるのかと思いきや、道端での集会のようなものに参加。
パラクのイスラム教が集まってやる週一回の集会らしい。
最初は皆雑談をしているのだが、イマームが来ると立ち上がり迎える。
イマームは名前のようなものを呼びながら赤い紙を渡しはじめる。
どうやら寄付した人に配られているらしいのですが、かなり雑に配っていたので有り難味はなさそう。
領収書的なもんなのかね。
その後人々から新しいモスクを建てるためのお金を集め、中に小麦の入った黒い袋を配り、寄付した人に有り難い説教と歌が与えられる。
そして最後は両手で顔を覆い、右手で体を触り、近くの人と握手をして終了。
何だか少しイスラム教について知りたくなったな。
因みに説教のときは笑いを交えるなどかなり和やかな雰囲気でした。
腹痛は集会のときにもやってきてはおれを苦しめてくれました。
バトコハウスに戻り就寝。
起きるがまだ腹痛がするので、何もする気が起きず、トロトロと散歩。
昼食(アグン、肉とチーズのソース)を食べ薬を飲む。
やはり何もする気が起きないので外を歩いたり、ボーっとしたりして過ごす。
それでも痛みはやってくるので違う薬を飲む。
夕食(ごはん、チーズのソース)を食べ、シャワーを浴び、また違う薬を飲み、寝ます。
それでは。


ベナンに来たい人募集中。
やっぱり実際来て見て欲しいんっすよね。

ソノニ

パラクでのたび中盤。

5月24日 晴れ時々曇り
8時半に起き朝食(いつもの、マンゴー)を食べる。
因みにアタはコトヌーは丸く鈴カステラのような形に整えられているが、パラクは特に形成されていない。
強いて言うならマクドナルドのチキンナゲットのような形か。
また唐辛子はアタに唐辛子のソースを浸けるが、パラクはアタの中に唐辛子が入っている。
ベナン内でも食の違いが見られる。
午前中は猿と戯れただけで、特に何もせず。
昼にバトコさんがコトヌーに出発。
2日目に帰ってきたときもそうだったがずいぶんな荷物で出発。
鏡を見たのだがかなり髪の長さにムラがある。
ベナンクオリティ。
昼食(ギ、牛皮の肉とチーズのソース)を食べガイドブックを読む。
今日でベナンに来て調度3ヶ月。
最近感じたことを書いていこう。
・修理代が安い=安い悪い商品を買う(高い良い品を買わない)
 品物を買い使えなくなるまで何度も修理するという世界なのかな。
・ビジネス的に面白いことを幾らか見つけられてる。
 もっとつめていこう。
・パラクは蚊が多い。
さて、バトコハウスで働く人たちとマンゴー食べ、彼らの買い物がてらの散歩に付いていくことにした。
そのとき急に右目の右端の視界がぼやける。
前にもこんなことあったなー、なんて気楽に考えながら歩いていると来ましたよ。
頭痛です。前右目の視界がおかしくなったときもそうだったな。
嫌な前兆だな。
バトコハウスに戻り、部屋でバファリンを飲み寝ようと思ったが暑いは頭は痛いはで中々眠れなかったがいつの間にか寝ている。
夕食(ごはん、チーズと魚のソース)のときに起こしてもらい、食事を口にするまで食欲がなかったが、一口食べると、お腹が空きかなりガッツリ頂きました。
頭痛も幾らかおさまり回復しそうです。
シャワーを浴び外はどこかで雷が鳴っているし、バトコハウスも小雨と強い風が吹いているが、部屋の中はパラクに来て一番快適なくらい涼しいのでよく眠れそうです。
それでは。

5月25日 曇り
7時半に起きて少し走る。
が、少し走って疲れる。
日頃の運動不足のせいだな。ってか今日夢でアルマーニが70歳になってもプールで泳いで肉体美を保っているとかいう謎なものを見たんだが、後で辞書で調べるとアルマーニ氏現在75歳(1934年生まれ)。どこかでアルマーニが出てたニュースでも見たかね。
朝食を食べ今日はナイジェリアとの国境へ向け9時に出発する予定だったが、車の問題で10時まで待ち出発。
ナイジェリアに向かえば向かうほど道はデコボコが激しくなる。
途中ドライバーの奥さんと、知らない人を乗せ、そしてパンク。知らない人に手伝わせスペアタイヤに交換し再出発。
途中知らない人を降ろし、カボという国境まで7kmの町に到着。
因みにパラクからカボまで55km。
パンクしたタイヤを修理している間、デモというボードゲームの対戦を見る。
見ているとなんとなくルールが分かって結構面白そうだった。
またバイクの組み立て現場(手作業)も見る。
部品の状態で買い、組み立てて売る商売もあるわけだ。
なんか原始的な商売が多い気がする。
そして国境へ。
軍でも居てかなりピリピリしているのかと思ったのだが、イミグレーションがあるだけ。
ただ僅か数m先に踏み込めないっていうのは日本人のおれには不思議な感じだった。
カボに戻りカリムさんが買ってくれたパンを食べ、赤い豆から作られるお酒(チュクトゥ)を飲み、パラクに戻る。
バトコハウスに帰ったのは16時半。
ということはほとんど6時間も移動していたんですな。
まぁ帰りは寝ていましたが。
シャワーを浴び、昼食(マカロニ)を食べ眠る。
起きたのは19時。
ダベデさんは21時の夕食のときに声を掛けられるまで寝ていました。
夕食(テリボ、牛肉のジュ)を食べ、シャワーを浴び寝ます。
最近夜考える悪い癖が出てきて中々眠れません。
今日部屋を掃除してもらい念願のゴザをゲット。これで昼寝も快適なはず。
それでは。

5月26日 晴れ後曇
夜中は大雨だったせいか水風船をぶつけ合う夢を見る。
8時に起き走る。
朝食を食べ寝たり百科事典を見たり、パテという小麦粉の煎餅のようなものやマンゴーを食べて過ごす。
今百科事典は企業を中心に見ているが、海外はおろか国内の企業すら知らない企業があった。
就活はどーなるのか。
昼食(ごはん、肉とチーズのソース)を食べ再び百科事典を見る。
16時ごろコロボロル村の会議へ。
着くと子供たちが押し寄せてくる。
ちょっといい気分になる。
今回の会議は前回よりも断然多く70人も来ていて、教室は人が溢れる。
会議の内容はさっぱり分かりませんでしたが、給食室の設置についてだったようで、和やかなムードのまま終了。
記念撮影までして解散。
明日から早速取り掛かるようで楽しみ。
バトコハウスに戻り、百科事典を見て、オレンジを食べて、夕食(クスクス)を食べる。
外で少しみんなと話をしする。
ベナンのケータイはSIMカードを交換して使う。
同じSIM同士なら100CFA(約20円)で約3分。
日本に掛けても1,000CFA(約200円)で15分。
固定電話より安い。
因みにSIMカードの値段は様々で安いときは1,000CFA(約200円)で買えるとか。
メールはタダ。
辞書見てガイドブック読んで寝ます。
それでは。

5月27日 曇り
8時過ぎに起きて朝食を食べオレンジを食べ農園に出発。
因みに5月末までベナンの農業はオフシーズン。
今朝バトコハウスは雨が降ったが農園は降っていなかった様子。
今回も特に農業に関する情報はあまり入ってこなかったのだが、
農園にあるとある村から、一番近い小学校のあるWINRAという村まで2時間かかるという。
この小学校には日本の国旗が校舎に書かれていた。
話は知っていたがこうやって実際に耳にするとまた重みが違う。
こうやって現地の人に情報を得られるというのは貴重なんだろう。
もっと足を動かそうと思う。
その後アチャデさんの家やコロボロルの小学校に寄ったようですがおれは半分寝ていました。
スーパーにより石鹸を買い、バトコハウスに戻る。
シャワーを浴び、昼食(ギ、チーズと野菜のソース)を食べ地所をいじりながら寝る。
起きてチャンピョンズリーグ決勝を見る。結果はご存知のよううにバルセロナがマンチェスターユナイテッドを2対0で降す。
マンUを応援していた私はバルサを応援していたダベデさんに1,000CFAをあげる。
決して賭けではないです。
夕食(ごはん、肉とチーズのソース)を食べマンゴーを食べ辞書をいじり、ガイドブックを読み寝ます。
ベナンが高官のために飛行機を買ったらしい。
内装はかなり豪華だった。
しかし目の前の相手に賭けに負けると悔しいからやらないほうがいいな。
それでは。


5月28日 晴れ時々曇り
7時に起きて体を動かし朝食を食べる。
9時過ぎても運転手のカリムさんが来ないので午前中はフランス語やデンディ語やペル語を勉強する。
カリムさんが来た、と思ったら車と一緒にどこかへ行ってしまう。
マンゴーを食べ昼食(ヤム芋煮、肉のソース)を食べ辞書を読んだり、ビジネスや農業に着いて考えたりする。
また友達に電話したがこちらの声が聞こえていなかっぽく切られてしまった。
障害はありそうだが面白そうだとか妄想。
少し寝て、ガイドブックを読みマンゴーを食べベナンの大学について教えてもらう。
私立の授業料は一年間80万CFA(約16万円)で奨学金は無く家賃の割引があるらしい。いつもパラクの大学を眺めるが寮みたいなのも見える。
国立の授業料はタダだとか。奨学金を貰うと一年間1,5000CFA(約3,000円)かかるらしい。
因みに奨学金は月8万CFA(16,000CFA)だとか。
夕食(スパゲティ)を食べガイドブックを読み寝ます。
そういえば今日でパラク二週目終了。
しかし日中は日本の東京の真夏のような暑さで朝は仙台の秋のような寒さ。
そりゃ鼻水だってくしゃみだって出るさ。
それでは。


5月29日 曇りのち雨のち曇りのち豪雨
今日でパラク前半戦終了。
8時に起き朝食を食べすぐコロボロルへ。
給食プロジェクトの進捗具合を見に行ったが進んでいる様子は無い。
どうやら材木を運ぶ車が壊れたとか。
アチャデさんの仕事場兵器ダベデさんはミーティングへ。
おれはカリムさんと車の中に残る。
途中カリムさんは鶏肉のおやつやサングラス(500CFA≒100円)を買っていました。
ダベデさんが帰ってきたので出発。
どこへ行くのかと思ったらバトコさんの家族の家へ。
最初は妹さん、次はお母様の家へ。少しお邪魔しバトコハウスに戻り、昼食(ご飯、牛肉と玉葱のソース)を食べ、マンゴーを食べフランス語を勉強しcybercafeへ。
途中ネット回線が途切れるハプニングがありながらも無事終え、牛のマーケットに行ったときに見つけた太鼓のお店へ。
小さい太鼓は9,000CFA(約1,800円)、大きい太鼓(ジェンベ)は18,000CFA(約3,600円)だったので、安いかなと思い大きいほうを買う。
何やら1,000CFA安くしてくれたらしい。
ダベデさんが出来るらしいので習おうと思う。
バトコハウスに戻り早速太鼓を少したたいて、保険の契約書に目を通しガイドブックを読む。
夕食(テリボ、モロヘイヤみたいなテビというソース、アグチという小動物のソース←淡白で美味いが、アグチという名前の動物は南米にいる別のものとか)を食べ、ガイドブックを読み寝ます。
夜中バトコさんが帰ってきたらしい。
それでは。

5月30日 曇り時々晴れ
9時起きというまさかのスロースタート。
朝食を食べバナナなどの苗木を移植する。
移植したあるバナナの木を「シマ」と名付けてもらいました。
とたんに可愛く見えてくる。
こーゆーのが農業の面白いとこの一つでもあるよね。
植え終り雑草を刈ったり水をやったりする。
その後出かける。
まずガソリンを珍しくガソリンスタンドで入れ、コロボロルの小学校へ。
その時事故現場を目撃。
バイクに乗ったお母さんの背中から子供、というか赤ちゃんが飛ぶ。
すぐ救急車がきましたが赤ちゃんは大丈夫だったのかな。
しかしパラクは事故が多い。
事故の瞬間を見たのは初めてだったが、この2週間で現場を3回見ている。
ヘルメットしないし、一つのバイクに3人4人乗るのは当たり前だし、マナー悪いし。
事故は起こるべくして起こっているとしか思えない。
小学校に到着。
土が運ばれていましたがそれ以外進展はなし。
昨日車で通ったコボコボというマーケットへ。
そこでは生きた羊や、羊、鶏などの皮、肉などが売られていた。
他は洋服がたくさんとブードゥーで使うアイテム(ワニの骸骨などもある)が売られていました。
バトコハウスに戻りマンゴーとバナナを食べ、昼食(アグン、チーズと肉のソース)を食べる。
その時現労働大臣や社長、外交官などが来ており、少し挨拶をしシャンパンを頂く。
コップの半分位だけだったがすぐ赤くなる。
相変わらず酒には弱い。
太鼓の練習、ガイドブックを読みながら酔いを醒ます。
夕食(ギ、野菜とチーズと肉のソース)を食べフランス語を勉強し寝ます。
それでは。

5月31日 晴れ
今日で5月も終りですね。
8時半に起き、体を動かし朝食を食べ、ビジネス、新しいアドレスにするなら何にするかなどと考えたりガイドブックを読むなどして過ごす。
太鼓もたたいたな。
因みに今日はパンテコット。
日本で言うところのペンテコステ。
オレンジ、バナナを食べ昼食(ごはん、肉とチーズのソース)を食べ、寝たり外で猿と遊んだり(今日はおれの体毛に興味を示す)。
お給仕さんたちと遊んだり、ガイドブックを読んだりして過ごす。
夕食(クスクス、野菜と肉のソース)を食べ外で踊る。
どうにも俺の踊りは人を笑わせるらしい。
嬉しいね。
歌と踊りはコミュニケーションツールだ。
シャワーを浴び、ガイドブックを読み寝ます。
しかしバトコハウスに遊びに来ている2,3歳の子供に顔を見られた瞬間大泣きされる。
俺の顔はそんなに罪か?
まぁ泣く子は大きくなるさ。
それでは。

6月1日 晴れ
6月突入。
日本は梅雨ですかね。
8時半に起き朝食(いつもの、オレンジ)を食べ、体を動かす。
今日はパンテコッとの振替休日。
ということで運転手お休み。
しかし今日は劇的に暑い。
日陰に居ても暑さを感じる。
萎える。
ガイドブックを読んだり、寝たりお給仕さんたちと話す。
まだまだフランス語はわからない言葉が多いが少しずつ聞き取れるようになっている気がする。
昼食(ごはん、肉のソース)を食べ、シャワーを浴び、マンゴーを食べ、ガイドブックを読み、お給仕さんたちと話す。
休日も結構有効に使えるようになってきたんじゃないかな。
夕食(バ、ステーキ、野菜のソース)を食べ、昨日に引き続きダンス。
今回はおれが日本の伝統的な踊りを教えました。
そう、変なおじさんダンスを。
楽しい時間を過ごし、ガイドブックを読んで寝ます。
今ガイドブックはゾンビについて。
それでは。

6月2日 晴れ
8時に起き朝食を食べ寝る。
が、寝付けず。
起きるとバトコさんに呼ばれる。
直々にパラクを案内してくれるらしい。
ということでいつもとは違うルノーの車で市内観光。
まずは塩や米などを取り扱うお店へ。
移動している途中路上で座り談笑。
次は動物の薬のお店へ。
お金を払うだけ。
何をしているのかと思ったらツケを払うためだとか。
しかし薬屋さんにはバトコさん専用の領収書の束が。
すげー。
続けて携帯の販売店へ。
ただプリペイドカードを買うだけでVIPルームに連れて行かれる。
何やらプロモーション活動も含まれているっぽい。
そしてトイレの会社に行きそこでもお金を払う。
小さいスーパーに寄って買い物。
内容は庶民的でした。
最初に寄ったお店で50kgを受け取りバトコハウスに戻る。
マンゴーを食べ昼食(ヤム芋煮、鶏肉のソース)を食べコロボロルへ行くのかと思いきや、通り過ぎてどこかの町へ。
そこでは豊作を願うブードゥーの祭りが。
こんなときに限ってカメラを忘れる始末。
かなり面白かったので残念すぎる。
因みにお祭りによると今年は豊作らしい。
よかったね。
町を出て次に向かったのが橋。
肺が出来るまで浮きは川が増水して渡れなかったとか。
ドイツ人に感謝。
橋の下に行くとバトコさんの農園まで流れているという川が。
何というかサバンナのような感じでとてもきれい。
全く自分自身にがっかりだよ。
バトコハウスに戻りゾマホンさんと電話。
パラクから帰るときダサに寄って一泊することになりました。
少しガイドブックを読み(最近は大学院生から貰った、政府が出している観光推進プロジェクトで日本についてのガイドブック。日英中韓の4ヶ国語が書かれているので英語の勉強に使っています)、夕食(テリボ、肉とチーズのソース、野菜とチーズのソース)を食べシャワーを浴びガイドブックを読み寝ます。
それでは。

ベナンに来たい人募集中。

やっほっほ

色々あって遅くなりました。
衝撃的過ぎて色々しょっ引いて昨日の出来事を書きたいのだが、ここは順番道理ブログを更新していきます。

コトヌーに帰ってきました。
特に問題なく帰ってきました。
いやあ快適快適。
日本人と日本語しゃべれるっていいね。
一気に1ヶ月分書いても鬱陶しいと思うので10日くらいずつ。

第一部「人喰いサルとの遭遇〜シアバターが出来るまで〜」
第二部「魔女と不思議な魔法〜給食プロジェクトの開始〜」
第三部「巨大ワニとの激闘〜パラク・ソンガイ地区の全貌〜」
第四部「怪獣の出没と街の破壊〜涙の別れ〜」

ってな感じで更新して行きます。
それでは懐かしき出発の前日からどーぞ。

※題名には事実、ブログの内容とは関係ないものがあります。



5月14日
今日中に『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」』を読んでしまわなければならないと思い朝7時半に起きてから朝ごはん(オムレツ、カンパーニュ)を食べ、7,8分親と電話する以外は本を読み続け、午後1時前に読み終える。
人間やる気になれば昨日と合わせて8時間くらいで347ページの本を読了させることが出来るのだ。
世の中には新幹線で東京から大阪に行く間に5冊の本を読める人間もいるらしいが。
まぁ私には新書1冊が精々だろう。
昼のクラスに出て洗濯ばさみを直そうとしたら破壊してしまう。
昼ごはん(シチューのようなもの)を食べcybercafeへ。
戻って屋上で油を売っていると今日の夜のクラスのファドノボさんがやってきてDVDを貸してくれました。
それは「CLIMETE CHANGE INTERNATIONAL CONFERENCE」(気候変動国際会議ってとこ?)でした。
3枚組のDVDで今日の授業が終わるまでに見なければいけなかったので、詳しくは見られなかったですがまぁ内容としてはチンハイというsupreme Masterがモニターでずっと映っていて、パネリストが出てくる。そして会議というより菜食主義者が世界を救うというようなものでした。
日本語訳もあったんで日本でも売られているのかな。
ベナンには菜食主義者が結構居るらしくベジタリアンのためのお店もあるらしい(菜食主義者談)。
夕飯(サラダ、カンパーニュ)を食べバオバブの実のジュースを飲む。
木の味はするが中々美味い。
さて、旅行の準備をして寝ます。
それでは。


ここからは旅の手記を元に書いていきます。


5月15日 晴れのち曇り
6時半に起きる。
イレネさんのお父さんに頂いたココナッツと米を揚げたお菓子がまだ残っていたので平らげる。
また日本語学校のお父さんに貰ったジンジャーのジュースも頂く。
部屋のゴミを捨て、少し片付け部屋を出る。
もうここには一ヶ月戻ってこないのだ。
7時前にジャパンハウスを出てスタジアムへ。
4月の旅と同じく「Inter City Lines」のマランビル行きのバスに乗り、イレネさんと太極拳のために一緒にスタジアムに来た鬼頭先生に見送られ出発。
ボイコンでパンとヨーグルト、貝の炒めたもの?を買いバスで食べる。
15時頃にパラクに到着し、待っていたバトコさんの家の車(お世辞にも綺麗とは言えない荷台付きのTOYOTA車)に乗り、ゾマホンさんの友達のジャーナリストのアチャデさんやゾマホンさんの会社の社員?の方に会いバトコさんの家(バトコハウス)へ。
バトコさんは今日はアボメカラビにいるらしく明日帰ってくるらしい。
やはり広い。昼食(ヤム芋煮肉とチーズのソース)を食べ、敷地内を歩く。
とても一世帯しか住んでいないようには見えない広さ。
マンゴーの木、テクの木(材木に使われる)、シアの木、パームの木(パームオイルやソラビというお酒に使われる)など様々な木があり、また動物も犬や猫や七面鳥、ホロホロ鳥、鶏、馬、サルなどがいた。前回来た時は夜と早朝だったのでよくわからなかったが家の裏にも敷地があったとは。
因みに卓球台もあった。意外と盛んなのかね。
部屋の中にはベッドと洗濯物掛けくらいしかない。
扇風機もテレビもない。
シャンプーと石鹸もないのでこれらを買いに行こうと思ったら車がパンク。
他にも2台車があるのだが(これはルノーとジープできれい)使ってはいけないようで。
そして何故かボンバ(民族衣装)のボタンが取れる。こりゃ前途洋々だな。
パンクの修理を待つ間にマンゴーを4つ頂く。美味い。
結局パンクは直らなかったのでバイクで買いに行くことに。
無事にシャンプーと石鹸をゲットしたと思ったのだが、後にシャンプーではなかったことが判明。
なんか前にもこんなことがあったな。
この日は石鹸だけで何とかすることに。
夕飯(ギ、マ)を食べ部屋に戻る。
因みに部屋は屋敷から少し離れておりダベデさんと一緒。
シャワーを浴びるが当然水のみ。
まぁこんな環境を楽しもうと思う。
ダベデさんの携帯使用料は月5,000CFA。
基本使用料みたいなのはなし。
それでは。

5月16日 晴れ
8時に起き、シャワーを浴び、朝ごはん(※ココ、アタ←豆を擂り揚げたもの)を食べ、タイヤの修理を待つ間、散歩したりフランス語を勉強したりする。
タイヤの修理が終わったのは、昼食(ヤギの肉とチーズのソース、ご飯)も食べ終わり、日陰でまったりしていた午後3時。
車に乗り、バトコさんの400haの農園へ。
途中大きな水溜りの上を、また道路の幅の半分以上を覆っている木の横を通るなど紆余曲折しながら、最初の村へ。
ここではフルフレ語という言葉が使われていて、ダベデさんも何を話しているのかわからないらしく、運転手→ダベデさん→おれという通訳リレーが行われました。
二番目、三番目、四番目の村はデンディ語が使われていて、これはダベデさんが知っている言葉らしく、あまり苦労はしませんでしたが、フランス語が通じないとは。
他にもシアバターやコットンがある倉庫を見たり、牛の群れに遭遇したりしました。
シアバターは12,3cmの直径、中央の厚さ2,3cmの円盤型で200CFA(≒40円)らしい。
帰りに昨日間違ったものを買ってしまったために入手できなかったシャンプーを買いバトコさんの家に戻る。
お給仕さん4人と話し、夕食(肉とチーズのソース、ウォ)を食べ、シャワーを浴び寝ます。
23時頃バトコさんが帰ってきました。
荷台には大量のパイナップル。そして後部座席には銃が…。
それでは。

※今後特に記述がない限り朝食はこの二つ

5月17日
今日は日曜日なので運転手が休むため、我々もバトコさんの敷地内で一日を過ごす。
6時に起き、敷地内を散歩。
朝ごはんを食べ、マンゴーを4,5個食べる。
ベナンのガイドブック(英語)を読み、ベナンの歴史について調べる。
昼食(肉とチーズと野菜のソース、ウォ)を食べダベデさんの辞書で雑学を調べる。
バトコさんがやってきてマンゴーを採りに行く。
採ったマンゴーはグレフといい普通のとは違い、品種改良がしてあるらしく、その場で食べたが、とても甘く繊維が歯に詰まることもなかった。
ただ少し温泉のもとの様なにおいがするが。
その後、バトコさんの運転するバギーでバトコハウスを一周。
やっぱり広い。
野球をしても余るくらいの敷地だ。
再びマンゴーを食べ、部屋で雑学検索をしていると、バトコさんの奥さんからとうもろこしを頂く。
とうもろこしは日本のが甘くて美味しい。
夕食(鶏肉とチーズの入ったマカロニ)を食べシャワーを浴びガイドブックを読んで寝ます。
それでは。

5月18日 晴れ
7時に起きるも一時間ほどベッドの上でボーッとする。
バトコハウスを散歩して朝ごはんを食べ、運転手が病院から帰ってくるまで本を読む。
10時過ぎにバトコハウスを出て、アチャデさんに会うために病院へ。
背中が痛くなり気持ちが悪くなるという病気を発病したらしく、唸っていました。
病院を出て、たけし小学校へ。
小学校へは日本語を教えるために週に一度行って欲しいとの要望があったため、行くことにした(結局今回きりで、教壇に立つことはなかった)。
午前中は5年生のクラスへ行き、「ありがとうございます」「こんにちは」「おはようございます」を教える。
バトコハウスに戻り昼食(クスクス、鶏肉と野菜のソース)を食べ休憩。
15時に再びたけし小学校へ。
4年生、3年生、2年生、1年生の順番で上記の三つと「さようなら」を教える。
低学年に行けば行くほど元気になるのは日本と一緒かな。
しかし中学校のときから先生になりたいと思っていたから、結構嬉しかったね。
校長先生に会い、マンゴーと愚痴を頂く。
曰く村長は悪い人らしい。
バトコハウスに戻る途中でアチャデさんの様子を見に行き、オレンジを頂く。
それほど体調は悪くなさそうで安心。
バトコハウスに戻り夕食(フライドポテト、フライドバナナ、鶏肉)が出来た10時まで暇をもてあます。
夕食を食べ、シャワーを浴び寝ます。
それでは。

5月19日 晴れ
今日はパラク観光。
8時に起きて、朝食を食べ、出発。
まずは博物館“Musée en Plein Air”へ。かなり立派な建物だったが、客は私たちと近所の子供たち。社会科見学の一環だとか。
バリバ人とペル人についての展示だった。
とても興味深いものばかりだった。
ネックレス二つを5,000CFA(約1,000円)買う。
初代大統領ユベマガの像を見て、大理石のような石の石切り場とアチャデさんの家に寄り(留守)バトコハウスに戻り昼食(ご飯、チーズと魚のソース)を食べ16時までマンゴーを食べ、シャワーを浴びるなど休憩し、バトコハウスを出発、牛のマーケットへ。牛は一頭大体20万CFA(約4万円)で売られているらしく、そのマーケットでは恐らく300頭くらい牛がいた。いつもはもっと多いとか。
牛のマーケットの隣のマーケットを散歩。
シアバターがバトコさんのよりやや小さい目で100CFA(約20円)だった。
アゼケ(前回の旅でもよったインターナショナルマーケット)にも行き、昔のパラクの王様でヨーロッパの人と戦った、ビオゲラの像のある公園で休憩。
バトコハウスに戻り夕食が出来るまで休憩。
パラクでは「ヨボ、ヨボ」よりも「シノワ」とか「ニーホン(ニーハオ)」とか言われる。
これが最近ストレスだな。
まぁ悪気がないのは分かっているので早くなれるか忍耐力をつける努力をしなければ(旅の後半は笑いになった克服済み)。
夕食(テリボ←ヤム芋のウォ、チーズと肉のソース、ヘビ←モロヘイヤみたいなののソース)を食べシャワーを浴び、ガイドブックを読んで寝ます。
それでは。

5月20日 晴れ
7時半に起きて、少し身体を動かし、朝食を食べる。
すぐにバトコハウスを出て、お給仕さんを一人送り(4人中3人は他で仕事したり、学校に通ったりしています)、アチャデさんの家へ行き(留守)、“Les Triangre”という有名?なホテルを車内から眺め、30分ほど東へ走りモノという村へ。
この村ではシアバターを主産業にしているのか精製する機械があり、実際に作るところを見せてもらった。
シアバターの製造工程は
?殻から仁を取り出し?炒り潰す?上記の機械で液状にして?水を入れペースト状になるまで混ぜる(この時出来上がったシアバターを少しいれると早く出来るとか)?お湯を少し入れて水や不純物とバターを分離させる?炒り?小皿に取り分け形を整え?乾燥させ出来上がり
という流れで実際に見たのは?〜?まで。
液体は黒いのに油だけになると白くなるってのは不思議なもんだ。
バトコハウスに戻り、昼食を(スパゲティ)を食べ、午後はお休み。
ガイドブックを読み寝て、週刊ダイヤモンドの農業特集を読み、チーズの製造工程を見て、マンゴーを食べ、夕食(キャッサバ、マ)を食べ、日記を書きシャワーを浴び、農業特集を読み寝ます。
ファミマの入場曲でお馴染みの音楽がバトコハウスでもしばしば流れる。
どうして流れるのかはわからない。
あの音楽って全世界にあるんだろうけど、曲名とか全然わからん。
明日で調度一週間だけどアセンション(昇天祭)ということでお休み。
のんびり過ごしたいと思う。
それでは。

5月21日 晴れ
8時に起き腹痛の兆候を感じて朝食を食べ、農業特集を読み腹痛が激しくなってきたので寝る。
気付けば13時。ワォ。
昼食(ヤム芋煮、肉とチーズのソース)を食べ腹痛が引いたのでガイドブックを読みマンゴーを食べ猿と戯れ寝る。
20時に起きて夕食(ごはん、ジュという魚のソース)を食べ、シャワーを浴びガイドブックを読み寝ます。
今ガイドブックはブードゥーについて
この一週間を振り返って
・扇風機もお湯シャワーもパソコンもない中でも一週間は過ごせる。
・とにかく蚊が多いので夜、迂闊に外に出れない。
・日記を書いていると漢字が如何に書けないかに気づかされる。
何気に濃い一週間だったのではないのだろうか。
マンゴー食べすぎ。
やはり人に見られないと何もしない人間だ。
そもそも農業について知るために来たのに色々なところに訪れるのは今のおれにはいい気がする。
来週もガンバロー。
それでは。

5月22日 晴れ
7時半に起きて朝食(いつもの、オレンジ)を食べガイドブックを読み寝る。
14時からたけし小学校のあるコロボロル村で給食施設の設置についての会議があると言われていたが結局17時からということになり萎える。
昼食(クスクス、肉と野菜のソース、マンゴー)を食べガイドブックを読みシャワーを浴び、電子辞書の百科事典を見ながらゴロゴロする。
17時にバトコハウスを出てコロボロルへ。
生徒たちが「ありがとう」と連呼する。そこは「こんにちは」だろ、と思いながらもなんだか嬉しい。
会議に参加するも何を言っているかわからず(恐らくバリバ語)妄想に耽る。
30分弱で会議終了。
ずいぶん早いなと思ったら校長先生がいないから話が進まないらしく、また来週の火曜日に集まるとか。
ベナン人はよくわからんな。
バトコハウスに戻り、辞書を見てガイドブックを読む。
夕食(バ←ギのウォ、ステーキ、野菜のソース、マンゴー)を食べ久しぶりにフランス語の勉強して寝ます。
それでは。

5月23日 晴れ
8時半に起きて朝食を食べバトコハウスを出る。
まずcybercafeに行き1時間インターネットをする。
久しぶりに日本と繋がる。
ただパソコンをパラクに持っていかなかったため、当然フランス語のキーボードでやるのだが、アルファベットの配置が少し違うので苦戦。
1時間400CFA(約80円)と割高では合ったもののパラクでは速いところらしい。
cybercafeを出て初代大統領の像のある広場に行くと人だかりがありました。
何やらパラク出身の大物与党議員が来るらしく歓迎のセレモニーがあるとか。
議員はデンディ人らしいがペル人も馬でかけつけていました。
その人だかりは代議士が通るとゲルマン人のごとく大移動を開始。
映画館の前の広場まで移動し、ブードゥの舞を見る。初見。
観客に勢いよく突っ込む。かなり激しい。
ナマハゲとか獅子舞の類に近いのかな。
その後関係者席と思われるところを代議士が回ると大フィーバー。
おらが町に加山雄三がきたって感じの大騒ぎ。
その後代議士の演説でもあったのでしょうが、聞いてもわからないし、疲れていたので、その場を離れる。
床屋へ行き髪を刈る。かなりのイケメン君に刈っていただきました。
散髪代は250CFA(約50円)。1000円カットもびっくりの安さだな。
ただバリカンはかなり確りしたのが二つあったのだがハサミは普通のハサミが一つだけしかなかった。
この辺はやっぱりベナンだな。
ってかベナンはイケメンが日本と同じくらい多い。可愛い女の子は日本のが多いかな。
結構男好きにはいい国かもしれませんよ。
おれは残念ながらそうではないので日本に帰って目の保養をしたいですな。
さて、バトコハウスに戻り昼食(ご飯、牛皮の肉と野菜のソース)を食べ、昨日からバトコハウスに来ている女の子と遊ぶ。
本を読んだり、剣玉をしたり、散歩したり。子供が欲しくなる。
ワンパクな男の子もいいけど女の子とまったり過ごすのもいいなーなんて思ったり。
ただ物を使って遊んだので、それを欲しがってしまって、さあ大変。
あげたいのは山々なんだけど一度貰うと癖がついてしまい、二度三度とやってくるので、きっぱり駄目といいました。
いやぁ彼女にはいい女になってほしいね。
夕飯(ウォ、カモシカ肉とチーズのソース)を食べにリビングに行くと(俺の部屋は屋敷のから離れている)バトコさんのお嬢さんの友達が。
なんとお嬢さんは医大の友達だとか。
今のうちに仲良くなっておこうかしら。
夕食を食べ終え部屋でダベデさんと熱くビジネスについて語り合う。
なんとかシアバターのビジネスを成功させたいですね。
寝ます。
それでは。


ってか誰か本気でベナンに来たい人はいないか?
果物は美味いし、食の不安は少ないし、人は暖かいし、7,8月は涼しいらしいし、よくわからない宗教にも出会えるし、日本人はめちゃめちゃ少ないし、世界遺産はあるし、奴隷貿易についても知れるし、何よりきっとどんな国より安全、安心して旅が出来ると思う。少し交通マナーは心配だけど、一人でもグループでもアフリカを旅したい人にはお勧めの国だとおれは思う。
そしてアフリカは、日本を除いてどの地域よりも魅力的だとベナンにきて思った
特に大学生は時間があるんだ。是非来てみて欲しい。というか来て欲しいっていうおれの願望なんだけど。
因みに野生の動物もブルキナファソやニジェールの国境で見れるぞ。シーズンは12〜5月。
2月に来ればおれと一緒に帰れるかもしれないという特権つき。
まぁちょっとでも興味がある人はメールとかメッセージをくれー。
プロフィール

a6n1174

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