感じたまま

日々感じたこと。 外歩きや、見学をしたことを記録しています。

毎月恒例のシニアの料理を作って楽しむ会、ウイング。

今日は
照り焼きチキン ヘルシー春雨サラダ、もやしの中華スープです

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食材の用意が出来ました。
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筋を切り脂身を取る。
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たれ、味がしみ込みやすいようフォーク状の物か
包丁の先で細かい切れ目を入れておく、これが大事です。
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春雨サラダの春雨は、柔らかくなるのに時間がかかるので早めにゆでておく。
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サラダのきゅうり、千切りにします。
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万能ねぎも細かく切ります。
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茹で上がった乾燥春雨。
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サラダ用のハムも切っていきます。
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どうですこの上手なきり方、何処に出しても恥ずかしくないね。
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サラダ用の調味料を作っていきましょう。
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肉にダシがしみ込んだところで焼きます。
油をフライパンにマンベン無く敷きます。
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先ず強火で皮のほうを焼きます。
焦げ目をつけるためです、おいしそうに見えます。
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こんな風に焦げ目がついたら、ひっくり返して裏側を弱火でゆっくり焼きます。
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焼くと言うより蒸します。
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蒸し焼きにしたものを食べ易いように切り分けます。
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サラダは食材を混ぜ合わせ、たれをしみこませれば出来上がり。
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中華スープのもやしをゆでます。
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鶏ガラダシを適宜入れます。
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調味料を入れた溶き卵に片栗粉を入れよく溶いて固まらないように
鍋にゆっくり入れていきます、ここが難しい。
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ゆっくりとね。
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温めれば出来上がりです。
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デザートのキウイ。
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今日のものはよくできました。
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皆様お疲れさまでした、よくできましたね。
実にいい趣味ですね。



この先生お話はとても面白くテレビなどでよくお聞きしています。

この本は近代日本が行った戦争の背景を高校生と
「それでも二本は戦争を選んだ」の姉妹編。

最近の世界情勢はめまぐるしく変わり国民と国家の関係が大きく動いている、私たちはわずかな偶然が、世界のありようを大きく変えてしまうかもしれない激変期にいると思えてならない。そんな時期だからこそ加藤教授はあえて太平洋戦争の三つの交渉、1932年リットン報告書、40年の日独伊三国軍事同盟、そして開戦前の日米交渉について考証してみ見たのが本書です。


いずれも世界が日本に対して「どちらを選ぶのか」と真剣に問いかけてきた出来事です。

改めてそれらを正確に読み描くことで日本が選んだ道は決して必然でなかったことが良く解かる。

例えばリットン報告書には満州などでの日本の権益を認めるなど国際連盟からの脱退をさせまいとの工夫が見られ中国側に立ったものではなかった。

それでも日本は「満州国は解体させられる」連盟を脱退し。また日米交渉でも衝突回避に向け双方が真剣に議論を交わしていた、つまりアメリカが日本の先制攻撃を待っていたわけでもなく日本が一直線で太平洋戦争に突き進んだわけでもないと解説されています。今後他国との関係が悪化したときに「どうせあの国は・・・」と選択肢を絞らずに柔軟に考え抜くことが大切だと示しています。

最後に真珠湾攻撃の通告遅れ 大使館の怠慢説の神話の章には驚くと同時になぜ反論しないのか不思議です。

 

 

99P歴史が生まれるの章

1945年に日本が戦争に負けた翌年当時の関係閣僚を呼んで皇居で茶話会が催された。

天皇がまずこういう話を始めた。

戦争に負けて申し訳なかった。みんなに苦労させて。けれども日本が戦争に負けたのは初めてではない。昔663年白村江の戦いで朝鮮に兵を出し敗北した。そこで改新が行われ、これが日本御文化の発展に大きい転機になった。これを考えれば日本の進むべき道もおのずからわかると思う、と。

私は日本は戦争に一度も負けたことが無い国だと思っていたが昭和天王の意識には二回目だと聞いてびっくりしました。

 

141そこで何が起きているかの章

財閥のトップが、白昼堂々と狙撃されるような国が、中国のことを不統一の混乱した国だと非難できるのか。

 

475P講義の終わりに

1945年3月10日東京大空襲を行った米軍は1923年(大正12年)の関東大震災直後の東京でいかに大火災が発生したのか、風向きなどについても入念に調査を行いそのうえで、23年後に爆撃を実施したことがわかっています。・・・略・・・この火災を予想した人がいました大震災の翌年陸相に就任した、昭和期の陸軍の重鎮宇垣一成は日記にこう書いています。

口語文に直します、「大震災の、後の惨状を実際目にすると、これは、将来日本が敵国の航空機によって爆撃された後の情景そのものだ、それを考えるとぞっとする」と。

 

講義の終わりに442P

総体としてみると、アメリカは1941年4月の段階にも、資源を共有しませんか、船舶を貸与してくれませんか、資金援助してあげますよ、と日本側に呼び掛けていた。一緒に共産主義に対抗していきませんか、中国との戦争をやめませんかと言って世界の道を日本の了解案として示していました。日本はアメリカの申し出に背を向けますが・・・略・・日本が選んだ道は失敗に帰します

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三保の松原三回目で最後です。

羽車神社。
二代目の羽衣の松の隣にあり美穂神社の離宮。
創建年は不詳だが、羽車に乗って三保の浦に降臨した神を国土和平のために
御穂神社に鎮座し、離宮として羽車神社が設けられたと伝えられ、江戸時代には
羽車磯田社と呼ばれていたという。
羽衣の松に降臨した神は、「神の道」を通って御穂神社へ渡るのだという。

実際此の「羽車」、神様の乗りですが、画像が少なく「御羽車」と言うもののイメージが
わきませんが、以前アニメの「かぐや姫」を見たときに羽の生えた輿に
乗ってかぐや姫が月の世界に帰っていたシーンがありました。

また辞典によれば
神社で御霊代(みたましろ)の遷座に用いる神輿に似た神具。
宮中では賢所を移す時に用いるとあります。
ヒノキの白木造で,5m余の長柄をもち,白羽二重,錦(にしき)でおおった方形のもの。
という表記もあります。
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海岸です、ワイドで撮ってみました。
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富士山アップで撮りました。
普段見慣れている富士山と違って宝永山が右端に来ています。
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青空ではないが晴れてよかった、右方向に見えるのが伊豆半島です。
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海岸にあったハマゴウ(浜栲)
は地面を這い、半ば砂に埋もれて伸びる。
花期は7-9月。
枝先に円錐花序をつけ、芳香のある青紫色のをつける。
よく、こんな砂に埋もれても負けずに伸びるのですね。
R-P4187403ハマゴウ

これが図鑑からお借りした写真です。
一目見てこの花のファンになりました。
無題

スミレと言う名のスミレ。
私は普通スミレという名前をスミレ属の総称として使っています。
私は何何スミレということはあっても、スミレ属の中に「スミレ」と
いう花が存在することはベテランの詳しいかたから教わりました。
R-P4187404菫と言う名のすみれ

やたら地説明版の多い所です。
文字はかすれて読めませんが内容はほぼ同じでしょう。
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松の木にクスノキが付いています。
たくましいね。
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此処にも記念碑が。
ここ三保の松原も世界遺産になったのですね。
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日本の能楽に傾倒したフランスの舞踏家エレーヌ・ジュグラリスは、「羽衣」に心を
惹かれ、フランスに日本の大使館や領事館のない時代に能の調査・研究を重ね、
自らの追及する「羽衣」を創り上げました。

1949年のパリ・ギメ美術館での初演は大成功を納め、各地で精力的に上演を続け
ましたが、1951年、憧れの地・三保松原を見ぬまま、35才という若さでこの世を
去りました。


夫のマルセル氏は、「私の魂は日本の三保に愛着している。
私を三保に連れていってほしい」というエレーヌの遺志を果たすため、
同年の11月、彼女の遺髪を携え三保を訪れました。これを機に、
1952年11月、夫人の遺徳を偲んで記念碑が建立されました。
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この松の木からも何かの木が出てきてます。
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松に着く害虫が抜け出した穴。
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黒松の大きいほうが雄花、下の小さいほうが雌花。
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三保の松原を後にします。
清水市のマンホ-ル。
図案は富士山と三保の松原。
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帰りに寄った商業施設の寿司屋。
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港のあるポール、なぜあるのかはわかりません。
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商業施設の観覧車。
此処で皆さん思い思いにお土産を買って帰りました。
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帰りの高速道路から見えた富士山。
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これで三保の松原を終わります。
今日の散策は一日中富士山を眺めて過ごせました。
良い所をに案内してくれた先生、幹事の皆さん、同行のお仲間の皆さま
大変お世話になりました。



三保の松原続きます、二回目です。


美穂神社境内内散策続きます。

色の濃いモミジがありました。

濃紫(のむら)モミジ。
ノムラモミジ(カエデ科カエデ属)野村紅葉 別名 猩々もみじ 武蔵野
オオモミジ系の変異種で葉の色合いが濃紫(のうむら)であることからノウムラモミジと
呼ばれ、それが転じてノムラモミジと言われるようになった。江戸時代には、武蔵野と
呼ばれていた。
R-P4187358濃紫(ノムラ)モミジ

本殿を別方向から見てみました。
創建は不詳。『駿河雑志』では、日本武尊が勅により官幣を奉じ社領を寄進したとも、
出雲国の御穂埼(現・島根県松江市美保関町)から遷座した神であるとも伝えるが
明らかではない。

神社所有のの文化財の一部として
羽衣の裂
羽衣伝説に見える羽衣の一片と伝える裂(きれ)。
1,200年以上前の比礼・裳の一片と推測されており、
織物の文様から大陸に由来するとも推測される。
羽衣の笛
羽衣の舞の際に吹奏された笛。
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灯篭。
明治二十五年三月と言う銘がありました。
灯篭の先に鳥居がその先が参道です。
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参道の松並木、神の道と呼ばれます。
前方から神様がこちらの神社にお渡りになります。
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松グミ、茱萸ではありませんが赤い実が付きます。
寄生性の樹木の一つ。マツなどの針葉樹を宿主とする。
こういうものは素人には見つけられません、専門家の説明がないと
わかりませんね。
R-P4187372松グミ

参道、神の道の海岸側、写真の前方が神社です。
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郷土の誇りなのでしょうね。
やたらと多い説明版。
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三保の松原に入りました。
こういう風に素直に成長する松もありますが。
みぎしたの吾妻屋の隣の松は次の写真です。
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上の写真の隣にある松です。
海岸の風雨にさらされこういう形になります。
此の松に守られて上の写真の様に素直に成長したのでしょう。
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此の松も風雨にさらされていますが、前方の若い松は真っ直ぐ伸びています。
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これが羽衣の松。
三代目だそうです。
羽衣の松は御穂神社の神体で、祭神の三穂津彦命(大国主命)・三穂津姫命が
降臨する際の依り代とされる。
初代「羽衣の松」は1707年(宝永4年)の宝永大噴火の際に海に沈んだと
伝えらています。

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羽衣の松。
見える柵の外側私の立っている付近尾も、にもう一つ柵がありそこから
この写真は撮りました。
大切にされているのがわかりますめ。
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上にも記しましたが三代目です。
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その隣に四代目が控えています。
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羽衣の松の説明版があります。
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上の写真を引いていきますと二代目の枯れた松が見えます。
説明版の右奥に支えのある太い切株が二代目の羽衣の松です。
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そばに寄ってみました、二代目の羽衣の松。
切り口に腐食しないように銅の蓋がしてあります。

二代目「羽衣の松」は高さ約10m、外周5m、樹齢650年]のクロマツで、
立ち枯れが進んだため、平成22年(2010年)10月に近くにある別の松を
三代目の「羽衣の松」に認定して世代交代し、平成25年(2013年)7月3日に
先代「羽衣の松」は約3mの幹を残して伐採された。

記憶にはないが子供のころ、此処に来ましたがこの松を見たことになる理屈です

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正面から見ました、説明の碑が右側に半分見えます。
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三保の松原二回目終わります。
この後三保海岸に出ます。

三保の松原に行ってきました。
写真は3回に分けて貼ります。


三保の松原に行くための駐車場に着きバスを降りたら大きなこの写真が
飾ってありました。
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初めに、美穂神社に行きます。
道路案内図が三保松原➡と出ています。
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県社美穂神社と出ています。
県社とは神社の格を表す言い方で明治維新以降、『延喜式』に倣って、
神社を等級化しました。
第二次世界大戦
後に廃止されたが、今日でも「旧社格」などの名称で神社の格を
表す目安とされる
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神社の境内を見て歩きます。

桜関山。

学名にはセキヤマという名で登録されている。

サトザクラの園芸品種。

明治時代の初めに巣鴨の植木屋が荒川堤に植えたのが始まり。

花は濃いピンク色で、茶色味のある若葉が同時に開きます。

八重咲き桜の代表種で、花弁は20枚以上、枚多い場合は50枚を超える。

樹木として、虫や病害等に強く、非常に育てやすいので、

街路樹や公園の植木などとして植えられていることが多い。

開花の時期はソメオヨシノが咲き終わった後に咲き始めます。

ちょうど今(4月中旬頃)が見頃です。

また花は塩漬けにして、桜湯の原料とされます。
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光線のあたり具合で色が変わりますね。
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桜松月。
松月桜(しょうげつざくら)や野田大桜(のだのおおざくら)と呼ばれることもある。
サトザクラ類に分類される。
大輪の花を咲かせ、花はある程度の集まりをつくり、下に向かって垂れて咲く。
八重咲きで、花びらは薄い紅色で、花の端が赤く中心は白くなる。
ソメイヨシノ
よりも遅れて咲き始め、花の時期に葉が出始める。
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立派な蘇鉄。
何故神社やお寺に蘇鉄の木が多いのでしょうか。
そういえば銀杏の木もおおいね。
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桜紅豊。
北海道の松前で、松前早咲き(マツマエハヤザキ)と
龍雲院紅八重(リュウウンインベニヤエ)を交配させて作出された。
葉の展開と同時に花を咲かせる。
花径は5センチくらいある大輪で、八重咲きである。
花の色は濃い紅色で、花弁数は15枚から20枚くらいある。
花弁は縁が色濃く、また脈が色濃い。

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桜普賢像。
室町時代から京都地方にある有名な桜で,花の中から葉化した二つの雌しべが
突き出し,その先端が屈曲します。
その状態が,普賢菩薩の乗る象の鼻に似ているところから,
この名が付けられたそうです。
花は淡紅色であるが、開花が進むにつれ白色となり、花弁数は20~40枚あります。
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こんな看板がありました。
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安永2年(1773年)の駿府大火で静岡浅間神社の神馬2頭が御穂神社へと逃れ、
1頭は御穂神社に残り、1頭はもとに戻ったという伝説が残されている。
もとは左甚五郎作といわれる木製のものだったという。
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立派な本殿。

美穂神社は三保の松原の「羽衣の松」に関係する神社として知られる。

神社境内と参道(神の道)は、世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の
構成資産の1つ「三保の松原」の範囲に含まれる。

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桜鬱金。
サトザクラの栽培品種。
花は淡黄緑色の八重咲きで大輪。
名前は花の色が、ショウガ科のウコンの根茎で染めた色に似ていることから。
ただし花はピークを過ぎた頃には紅色をおびる。
葉は開花と同じころに展開する。
葉の縁には鋸歯があり先端は尖る。花期は4月中旬~下旬
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摂社子安神社。
祭神:須佐之男命、稲田姫命。
名前の通り、安産、子育ての神。
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三保の松原一回目を終わります。

アップする順序を間違えてしまいました。
すいません。m(__)m


登呂遺跡 二回目です、これで終わりです。



弥生時代には鋸は未だ無かったので板を作るのには苦労したようです。
このようにくさびを入れて割ったようです。
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一回目の写真で出しました木製の高坏、このように組立になっています。
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一階に降りて屋外に出ます。
東側(海方向)居住区域を見渡しています。

4つの住居と2つ高床倉庫、1つの祭殿が復元されています。
一見、地味な感じですがやはり実物大に復元された住居などをみると圧巻
この実物大の建物には心を奪われること必定。
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全体像が分かる看板。
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登呂遺跡「1号住居」
昭和22年に発見され再整備計画によって平成12年委再調査された住居。
住居内部の平面積は、約45㎡。
長軸7.5m、短軸約6.5mの楕円形。
周囲は盛り土によって周堤が築かれている。

この建物の中で炉を使用しての土器炊飯をはじめ各種の体験ができる建物に
するために、消防上の観点から此の萱の屋根はコンクリート、モルタル作りです。
後方に2号住居の茅葺き屋根を比べると色が違うのがわかります。
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竪穴式住居は中に入ることもでき、造りを屋内からも観察可能です。
実際に入ってみると、なかなか広く感じます、高さもあります。
中央部には炉が設けられています。
中央に炉があります。
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住居の内部は羽目板をめぐらしてあります。
炉の真上には燻製でも作るのでしょうか吊り棚があります。
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2号住居の手前の池状のものは「廃絶後の状況を示す住居跡」です
住むことを止め梁や羽目板、屋根などの構造物を取りさった住居跡です。
周堤と土留めの板材、元の床面には抜き去った柱の後を復元したいますが
前日の雨で水がたまり池になってみる事が出来ません。
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登呂遺跡「祭殿」
登呂遺跡の再整備計画に伴う平成11年の再発掘調査により、新たに発見された
大型の掘っ立て柱の建物。
正面のが馬は7m、奥行き4m。
この建物の前には広場が設けられ周囲の溝によって居住区とは区別された特別の
区域であったと考えられる。
祭殿の南側の際したくぼみ上遺構から占いに用いられた「卜骨」(ぼっこつが)出土
しており、そのことを裏付けている。
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正面の出入り口か。
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棟木を建物本体で支える棟持ち柱特徴です。
村全来の儀式や重要な話し合いが行われたと考えられている。
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ムラの前には、日本で初めて発見されたという弥生の水田も復元されています。
秋にはきれいな黄金色の稲が見られるでしょう。
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西側住居区域に行ってみました。
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弥生時代の、何時頃の物か聞き落としてしまいましたが、内部のはめ板を支えるのに
竹が使われていました。
弥生時代にこのような竹があったことに、驚きです。
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縄文人の器用さにただただ、驚きです。
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こんな像がありました、火おこしの像。
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用水の流れから東居住区を見ました。
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隣接して芹沢銈介美術館」があります。
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ちょっと庭に入ってみました。
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入口。
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芹沢銈介さんをたたえる碑。
静岡県の出身です。
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芹沢 銈介博物館全景。
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これで登呂遺跡の見学を終わります。

此処に昔、昔、大昔、来たという記憶があるのですが何を見学したかの
記憶が全くにありません。

今回はとても面白く見学させていただきました。
博物館のボランティアガイドの先生、丁寧な解り易い解説ありがとうございました。


登呂遺跡の見学に行ってきました。

写真は二回に分けて貼ります。


登呂遺跡(とろいせき)は、静岡県静岡市駿河区登呂五丁目にある、
弥生時代の集落・水田遺跡。
国の特別史跡に指定されている。

弥生時代後期に属し、1世紀ごろの集落と推定される。
「登呂」はこの地域の小字(1973年、住居表示実施により町名にも採
用)。

博物館入り口、特別展をやっていました。
石の刃物から鉄の刃物へ道具の変化がもたらした影響と言うコンセプト。
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博物館全景。
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展示品を解説付きで見て回りました。
鉄の剣と右上の金色のものは「漢倭奴国王」の金印。
いずれも模型です。
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銅鐸と銅鏡。
これも模型です。
銅鐸(どうたく)は、弥生時代に製造された釣鐘型の青銅器である。
紀元前2世紀から2世紀の約400年間にわたって製作、使用された。
何に使われたのかまだハッキリとわからないが、宗教上の物らしい。
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竪穴式住居の模型、
地面を円形や方形に掘り窪め、その中に複数の柱を建て、
梁や垂木をつなぎあわせて家の骨組みを作り、その上から土、
葦などの植物で屋根を葺いた建物のことをいう
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出土した様々木製の道具いずれも重要文化財です。
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石の錘(すい)錘だと思いますが、釣りのときに使ったと思われる。
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当時の人が食べていただろうと思われる。
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まーこんな生活をしていただろうという絵」
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土器。
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木製の高坏(たかつき)
食物を盛る、高い足つきの小さな台。

古くは主に土器であったが、のちには木で作り、漆塗りなどを施すようになった。
縄文時代の木製の高坏は非常に珍しいそうです、ボランティアガイドさんが
我が事のように自慢していました。
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下から2900年前、弥生時代後期の水田耕作土(登呂)層、洪水層、古墳時代中期、
江戸時代水田の耕作土。
一番下から江戸時代まで5m~6mです
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解説説明していただいたボランティアガイド方。
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出土品を見学後屋上に出てみました、左に富士山が見えます。
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真下に復元されて田圃と竪穴住居が見えます。
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1階の弥生時代体験室に行きました。
水路の模型。
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おそらくこんな景色だったんでしょうね。
良く作ってありました。
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当時の機織りの様子。
子どもの見学が多いためやたらに「上るな、入るな、触るな」の注意書きがあります
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竪穴住居の模型。
入り口に鶏がいるのがご愛嬌。
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中の様子、赤いものは炉で火がある様子を表しています。
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登呂遺跡見学一回目終わります。

カタクリの里 3/3回目、最後です。


姫こぶし。
R-P4156845ひめこぶし

初めて見た「くろもじ」の新芽。
R-P4156848くろもじ

ミヤマシキミ(深山樒)
R-P4156850ミヤマしきみ

色々な桜があり名前がわかりません。
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これは木瓜です。
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日向ミズキ。
R-P4156860日向水木

花イチゲ。
イチゲと名の付く花はたくさんあり、区別がつきません。
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黄花カタクリの群生。
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玄海ツツジ。
R-P4156874玄海躑躅

逆光で見た黄花カタクリ。
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白根葵もたくさん咲いていました。
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R-P4156885白根葵

ヒメコブシ。
R-P4156889姫こぶし

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白根葵。
R-P4156904シラネアオイ

クロツバキ。
R-P4156915クロツバキ

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これも日向水木。
R-P4156917日向ミズキ

優雅な名前の、クジャク椿。
R-P4156919クジャクツバキ

此処からはカタクリの里から出ました。
水仙の一種だと思います。
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通りがかりのお宅に咲いていた枝垂れ桜。
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畑に咲いていた豆の花。
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これでカタクリの里 3回シリーズを終わります。
此処カタクリの里もカタクリは4月の上旬に見ごろを迎え、かたくりの花の寿命は
開花してから約1週間です。
その後10日ほどで黄花かたくりが満開、見頃を迎えます。
それを狙って行ったのが、かえって正解だったかなと思います。

花の名前については私も、同行の友人も素人で正確かどうかわかりません。
間違っていたらご指摘いただければうれしいです。


カタクリの里 2/3目です。


マムシグサ。
有毒植物。
R-P4156759マムシグサ

アツモリソウ(敦盛草)。
R-P4156763アツモリソウ

チャルメラ草。
R-P4156766チャルメラ草

これも雪割草かな。
R-P4156771

バイカオウレン。
R-P4156772バイカオウレン

又も出てきた、イカリソウ。
純白が何とも言えないほどきれいです
R-P4156776いかりそう

ホウキモモ、ヤシオツツジ。
R-P4156777

ホウキモモ、盛りは過ぎたとは言ってもきれいですね
R-P4156785

黄花カタクリの群生。
R-P4156788

この花も名前がわからず。
R-P4156789

モクレンか。
R-P4156793

ヤシオツツジ。
R-P4156796

ホウキモモと手前の黄色い花は山吹。
R-P4156804

桜、御衣黄。
R-P4156806

御衣黄
R-P4156809

やしお躑躅とホウキモモ。
R-P4156812

御殿場桜が満開。
R-P4156819

御殿場桜とホウキモモ。
R-P4156822

真ん中の黄色い葉は何でしょう。
R-P4156826

台湾ドウダンツツジ。
R-P4156829台湾ドウダンつつじ

上の躑躅を拡大。
R-P4156830

こう云うところを散策しました。
R-P4156834

御殿場桜だと思いますが??
R-P4156836御殿場桜

以下コメントなし。
R-P4156839

R-P4156841


カタクリの里 2/3目終わります。


カタクリの里 城山に行ってきました。

カタクリは盛りを過ぎていますが黄花カタクリが
満開と聞いていってきました。

同じような写真ばかりですいません、がみんな綺麗なので
つい貼ってしまいました。
3回に分けて貼ります。


最寄り駅、JR横浜線 橋本駅。
JRと京王線三路線が入っています。
R-P4156691

バスを降りて歩きだしたら道端に咲いていました。
名前は分りません。
R-P4156693黄花すみれ

この花も道の端に咲いていました。
レンゲかな。
R-P4156694すみれ。

歩道のマンホールのふた。

城山町(しろやままち)は、津久井郡に属していた町。

2007年3月11日に相模原市に編入されて住所表示は
相模原市城山町(しろやま
ちょう)となりました。
R-P4156695

深っ堀の碑。
深い堀のような道がこの付近にあったと記されていました。
R-P4156696

立派な神社が見えてきました。
R-P4156698

よく見たら道標でした、「左つくいみち」と読めました。
R-P4156699左津久井道

時間が無いのでここから参拝。
R-P4156700

立派な社号標。
下の写真の木は正面に見える太い幹の木です。
R-P4156701

川尻八幡の巨木。
幹回り5.5m 樹高20,0m 樹齢300年以上。
R-P4156703ウラジロガシ

神社の向かい側にある道祖神と欅の巨木。
R-P4156704シイノキ

マンホールのふた、これは「さがみはら」と書いてありました。
R-P4156712

竹本仲儀太夫の碑。
立派なものですが、誰の事なんかまったくわかりません。
教育委員会に問い合わせてみます。
R-P4156714

又も出てきたすみれ。
R-P4156727

此処からカタクリの里の中です。
大イワウチワ。
R-P4156733大イワウチワ

あちらこちらで群棲していました。
R-P4156736

イカリソウ。
漢方薬になるそうです。
R-P4156737イカリソウ

バイモ、網傘百合ともいう。
R-P4156739バイモ

花の内側が編み笠状の模様がある。
R-P4156740

前に出てきた大岩うちわ、これは岩うちわ。
R-P4156745イワウチワ

雪割草。
R-P4156746雪割草

名前がわかりませんが雪割草かな。
R-P4156749

至る所、やしお躑躅が万開。
R-P4156750

これも名前わかりません。
R-P4156756リュウキンカ

ウラシマソウ。
R-P4156758ウラシマソウ

カタクリの里 1/3を終わります。


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