「港区郷土資料館」があ有りましたので寄ってみました。
エレベーターを降りるといきなり、この様に見えます。
ドアはありません。
江戸の古地図が展示してあります。
上の写真の一部です。
右側には外桜田門、掘りの沿って少し進むと彦根、藩井伊家の
上屋敷と成っています。
先日井伊家の屋敷跡を見る散策に行ってきましたので、興味が有り
目が行ってしまいました。
この巨大な貝塚、貝層にはびっくりですね。
此れだけ大きいものはあまりないと思います。
此れも先日消防博物館で見た火事模型が有り、消防の係りの方から
説明が有りました。
この明暦の火災による被害は延焼面積・死者共に江戸時代最大で、
江戸の三大火の筆頭としても挙げられる。外堀以内のほぼ全域、
天守閣を含む江戸城や多数の大名屋敷、市街地の大半を焼失した。
死者は諸説あるが3万から10万人と記録されている。
江戸城天守はこれ以後、再建されなかった。
火災としては東京大空襲、関東大震災などの戦禍・震災を除けば、
日本史上最大のものである。
日本ではこれを、ロンドン大火、ローマ大火と並ぶ世界三大大火の一つに数えることもある。
この火災の特記すべき点は火元が1箇所ではなく、本郷・小石川・麹町の
3箇所から連続的に発生したもので、ひとつ目の火災が終息しようと
しているところへ次の火災が発生し、結果的に江戸市街の6割、
家康開府以来から続く古い密集した市街地においては
そのすべてが焼き尽くされた点にある。このことはのちに
語られる2つの放火説の有力な根拠のひとつとなっている。
むさしあぶみ、と言うかな草子にある明暦の大火の一図。
講談で有名な「十八か条申し開き実録」
建設当時の新橋駅の写真と錦絵。
この付近にも古墳が有りこういう土器が出ました。
明治初期の卒業証書。
左の地図、赤く塗ってある部分が
空襲で焼失した港区の個所。
昭和30年代の家庭の様子。
この道具類は触れるように、展示されています。
関内の全景。
入り口の有った「タツノ式ガソリン計量機」
昭和4年(1929年)製造のガソリン・スタンドです。
都内に残された数少ないものの一つで、旧赤坂区役所で
使用されていたものだそうです。