『部材という<もの>はある<場>における構造物の製作時に設置されるのが一般的であり、廃棄時に設置されるというのは特殊な事例である』(第2考古学より)

 

〇 この指摘は否定できないだろう。そもそも、部材という定義は完成品に一部であるという意味がある。構造物の一部だから部材なのであり、それは全体という視点の中で、初めて部材となる。

〇 したがって、完成した何かを廃絶する時に、全体に組み入れられたとしたら、常識的には特異な例ではあろう。

〇 だが、それが石棒=部材という仮説を完全に否定する根拠にはならない。「石棒を加えて完成された『何か』」が廃絶されることで意義をもつ可能性だってある。不謹慎だが、鬼界への旅装束はまさにその例であろう。

〇 しかし、完成された『何か』が敷石住居なるものであったかどうかは検討しなければならない。

〇 例えば、「敷石住居の完成→使用→床の石や炉を取り除く→石棒を設置する→使用→廃絶する」というプロセスが想定されるのであれば、石棒=部材説は成立する可能性がある。「廃棄時に設置されるというのは特殊な事例である」をもって、石棒=部材説を完全否定することは少し乱暴だと思う。一方、その逆も成立すると思う。

〇 竪穴住居址は(1)完成、(2使用、(3)廃棄、(4)埋没、(5)発見という段階的過程を想定している。おそらく、これは「斎一性理論」の適応できる考え方で良いのだろう。しかし、この想定は、ウサギの掘った巣穴にも適応できるかも知れない。考古学の議論にとっては少し乱暴に過ぎるのではないかと思う。

〇 遺跡における竪穴住居址という痕跡をどのように解釈すれば良いのか。どんな情報が読み取れるのか。

〇 竪穴住居覆土内の遺物等の三次元的記録化が重要である。が、その観察は「竪穴住居址への廃棄という視座」に拘泥されすぎてきたのではないだろうか。竪穴住居址を中心とした遺跡内の遺物分布パターンの局所性として、分析的観察の領域を広めに考えることが必要ではないだろうか。古い観察事例であるが、東京都貫井南遺跡で記録された「表土から竪穴住居址まで」の遺物分布の三次元記録は重要であり、示唆的である。

〇 竪穴住居址への遺物の堆積がかなり複雑な過程を経ているものと想像される。もちろん、このような問題は「新地平編年」を標榜される皆さんによって詳しく検討されているものだと思う。

〇 緑川東遺跡の石棒をめぐる議論は 発掘調査で「我々は何を発見しているのか?」、「そして、何を読み取るのか?」を改めて、問いかけているように思う。

 

〇 発掘調査における分析的観察単位を遺構の覆土から、その周辺を含めた局所性の把握に努めなければならないのではないだろうか。遺構をもう一度、遺跡というコンテクストの中に、遺跡が誕生して、営まれて、人々が活動し、思考し、埋没して、発掘されるまでの過程の中に戻すための、仮説の構築とその検証が必要なのかもしれない。

〇 それがビンフォードのいう「凍り付いた活動の記録」から文化のシステム、そして、シファーのいう「ビヘービアル・アーケオロジー」に日本考古学が立ち向う術になるかもしれない。

〇 遺跡における三次元分布の記録については旧石器時代遺跡における膨大な蓄積がある。分析もかなり進んでいる。私は、ブロック(ユニット)の遺物分布と竪穴住居の遺物分布の類似性に驚く。両者の研究の相互乗り入れが可能であれば、二つの時代に共通する「遺跡なるもの」を見つめ直すことができる可能性があるだろうと思っている。