November 21, 2009

自分の中で完結するタイプ

rever  何かを好きになると、それを理解したと思えるまで追求するタイプである。例えば古伊万里に惹かれたとする。そうすると、その成り立ちからどのような経過を辿っていったのかまでとことん知りたくなって、骨董屋を巡っては現物を手に取ったり、店主の薀蓄を聞いたり、自分で使ってみたりする。そして十分に分かったと思った途端にモノ自体には執着がなくなる。必要な情報は全てアタマの中に収めたからである。それで折角集めたものをオークションで売ってしまって、次の課題へと移るのである。そうやって色々なものを研究してはアタマの中で1人遊びを楽しむのは、元々そういうタイプであるということもあるけど、習慣で身に付いた癖のようなものでもある。

 私は子どもの頃から人に何かを求めることはしない。何かをしてもらいたいと思ったこともあるかもしれないけど、幸か不幸か今に至るまでそういう環境になかったから、何でも自分で考えて行動する癖が付いている。外に向かって何かを求めても、それは叶えられないことが多いものだし、期待してガッカリするよりも自分の中に何かを求める方がずっと簡単なことだからである。それで、自然と課題を作っては1人で遊ぶ自分が出来上がってしまった。だから友だちといることも好きだけど、1人でいるのも大好きで、どんなに長いこと1人でいても退屈することはない。むしろ誰かに邪魔されることの方が辛いのである。こんな私でなかったら、殺人的に忙しい夫との家庭生活はとっくに崩壊していたに違いない。誰にも干渉されずにこんな風に自由気ままに暮らしていられるのは、今となってはラッキーだったとしか言いようがない。

 この5ヶ月の間没頭していたMJ研究も、自伝まで読んだところで完結した。やるべきことは全部やったという感があって、彼が何者であったか十分に納得したのだ。さて、次の課題は語学研究である。初めは軽い気持ちで始めたことだったのだが、2つの外国語を同時に習い始めたことで、意外にも日本語の中に面白い発見があった。2つ同時にというのは本当に良い方法だった。その日本語の発見について色々調べてみたくなったのだが、こいつは奥が深いからちょっとやそっとでは終わりそうにない。でも、骨董などと違ってモノを伴わないから、いくら没頭してもお金がかからなくて経済的である。

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November 20, 2009

元気の出るショール

felt 寒がりの私にとって、ショールは冬になくてはならないアイテムである。首に巻くものはマフラーから大判のショールまで色々と持っているけど、一番好きなのはフェルトワークのショールである。ウールの原毛を染めて圧縮したフェルトワークは暖かいことはもちろん、発色がキレイな上に先っぽを丸めたり尖らせたり、自由自在に細工できるところが魅力である。比較的簡単なテクニックなのだが、使い易くて垢抜けた薄さに仕上げられるかどうかは作家さんの腕次第。そして色のセンスも作り手次第ということになる。フェルトワークの第一人者の坂田ルツコさんの作品は最高にステキで、いつかまた出会いたいと思うのだが、フィンランド在住の上、関東地区での展示会は殆どないために中々お目にかかれない。

 長野で活動をしているカンダ・ミホさんもステキな作品を作られる。色のセンスも抜群なのだが、何よりも造形が面白い。海に浮かぶ昆布みたいなモシャモシャのものや輪っかが連なったようなデザインやイソギンチャクを連想させるものなど、実に個性的なデザインなのである。それでいて決して派手過ぎることはなく、ショールというよりもアクセサリー感覚。首にくるっと巻くのに丁度良い比較的小さなものが多くて、コートの襟元に覗かせれば苦手な冬も楽しいものに変わる。最近出会ったのは宇多真砂子さんという作家さんである。坂田ルツコさんと似た感じの作風が気に入ったのだが、色使いやデザインも中々素敵だ。ショールの他にバッグや帽子や携帯ケースなどの小物やアクセサリーなどもあって、器用な人だと感心した。丸めたフェルトを使ったイヤリングやネックレスは実にカラフルで可愛い。宇多さんは子育てから開放されてようやく本格的な活動ができるようになったとのことで、来月国立で個展を開く予定だという。国立だったらよく行く場所だから、個展に合わせて訪ねてみよう。

 ショールの類も洋服も自然と好きな色に偏ってしまうが、同系色でも素材感が違うとそれだけでお洒落な感じになる。それで、グリーンにはグリーン、ブルーにはブルーを合わせることがマイブームなのだが、黒いセーターに合わせるならどんな色を持ってきても素敵な挿し色になる。フェルトワークのマットな質感は、明る目の色でも悪目立ちしないから好きだ。小物フェチの私は、ダル系の色ばかりいくつも揃ったショールを並べてはうっとりする。一瞬デジャヴのような感覚に襲われて、どこかで見た光景だと思ったら、それは何10色も並んだ帯揚げのグラデーションを見てほくそ笑む自分の姿だった。

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November 19, 2009

♪音楽に恋してる♪

junko yamamoto 用事があってたまプラーザ東急へ行った。1階を歩いていたら、何処からともなく歌声が聞こえて来る。どうやらエントランスでミニコンサートをやっているらしい。聞き覚えのある声に誘われて音のする方向へ歩いて行くと、人だかりの向こうにステージが見えた。特設ステージの上で歌う透き通る声の主は山本潤子だった。ハイファイセットの頃はよく聞いたけど、彼女の歌声は久しぶりである。私は昔から彼女の声が好きだ。思わず立ち止まって人だかりに混じった。新しいアルバムの発表を兼ねたミニコンサートで、新譜のコンセプトは「オーガニックな音楽」。なるほど、これは確かにオーガニックな雰囲気だ。2台のアコースティックギターとエレピだけのシンプルな音、そして清涼感のある歌声に包まれて、マイナスイオンいっぱいの滝に打たれたような感覚になる。

 私は思いがけず感動した。なんて素敵な歌声なのだろう。観客も私と同じ思いを抱いているようで、皆うっとりとした表情で聴いている。ニューアルバムの中から数曲を歌った後、彼女が言った。「それでは、この辺で皆さんがよくご存知の曲を1曲やろうと思います。ハイファイセットのデビュー曲ですが、皆さんお分かりになりますか?」。 あ、『卒業写真』だ!言わずと知れた荒井由実の名曲だが、私はハイファイセット・バージョンも大好きなのだ。あれを生で聴けるなんて嬉しい。観客も大喜びだ。曲が始まると、客席にいる昔の少女たちは目を輝かせながら一緒に口ずさむ。皆、若かりし頃の自分に戻って音楽を楽しんでいる。モチロン私も学生時代の自分に戻ったような気分でその透明な声に聴き入った。音楽とは不思議なものだ。それを耳にしただけで、一気に何十年もの時をタイムスリップしてしまう。一緒に歌った友だちの顔まで浮かんでくる。

 30分程のコンサートは素晴らしく楽しいものだった。彼女の歌声がまるでミネラルウォーターのように身体に沁み込んで、久しぶりに心底リフレッシュした。そして音楽の底力を見せ付けられたような気持ちになった。偶然通りがかってラッキーだったね。たまにはこういう音楽もいいなと思ってCDを買った。帰りのクルマの中で早速聴いた。『♪音楽に恋してる♪』というタイトルのCDは、ベテランミュージシャンの音楽に対する思いのこもった素敵なアルバムだった。

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November 18, 2009

朝のヨガ

india 週1度のヨガはいつも夜のクラスに行く。そのクラスはレベル1の上に夜ということもあって、交感神経を刺激し過ぎないような緩やかな動きが中心なのだ。初心者の私にはそれが丁度合っていて気に入っていたのだが、事情が変わって行けなくなった。仕方がないから朝9時からのクラスに振り替えた。朝のヨガも気持ち良さそうだし、同じ先生だからそんなにきつくないだろう。そう思って出かけてみると、受付で待っていたのは別の先生だった。以前夜のクラスを担当していたチヒロ先生である。今の先生よりちょっとハードなのだが、それはそれで気持ちが良くて好きだった。「あれ、今日はチヒロ先生なんですね」と言うと、「そうなんです、カヨコさんが体調不良で急遽私が代理になりました」。

 朝のクラスは人数が多い。決して広いとは言えないスタジオに12人もいて、ギチギチの状態である。夜だと5、6人しかいなくて、ゆったりしているんだけどな。チヒロ先生はついこの間まで2ヶ月間インドへ修行に行っていた。すっかり日焼けして真っ黒な上に痩せて筋肉質になって、何だか雰囲気まで変わっている。何かインスピレーションを受けたのだろうか。さて、レッスンはいつものように呼吸法から始まった。ヨガの基本に太陽礼拝という一連のポーズがあるのだが、ヨガにも色々な流派があって、今日はインド式の太陽礼拝をするという。いつもよりも動きが大きい。先生の動きを真似して体を動かしているうちに、何だか気分が悪くなってきた。あ、まずい。この感じは貧血を起こす一歩手前の状態だ。おまけに右足の筋肉まで攣りそう。こんな時に限って、私は先生の目の前に陣取っているのである。でも、そんなことを言っていられないので、ポーズをやめてヨガマットの上に座り込んだ。倒れてしまう程酷い状態ではないから、少し休めば治りそうだ。

 マットの上に座って右足をさすりながら少し休憩した。途中で先生が心配そうに「大丈夫ですか」と声を掛けてくれたけど、「大丈夫です」と言いながら落ち着くのを待った。そういえば私は超低血圧だったのだ。すっかり忘れていたけど、昔気功に挑戦したときも貧血を起こしたっけ。そういう人は朝の運動はダメなんだ。少し休んで体調が整ったところで、また続きに参加した。チヒロ先生のレッスンはやっぱり刺激的で、筋肉がブルブルする場面もある。また気持ち悪くなったらどうしようと思いながら、何とか終わりまで持ち堪えた。最後のシャバアサナが何と待ち遠しかったか。帰りがけに先生が生徒全員にお土産をくれた。いかにもインドらしい絵の付いた小さなメモ帳だった。

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November 17, 2009

研究会は大好きです

manjusyage 毎月第3火曜日には書の研究会がある。私の先生の社中のオリジナルの勉強会で、毎回出される課題はある時は漢字、ある時は近代詩文、ある時は和歌というように多岐に渡る。普段のお稽古では隷書、行草、かなを等満遍なく練習するので、それを基に夫々が思い思いの表現で書いて行くのだが、お稽古と違ってお手本がある訳ではないので、ものすごく個性が出る。紙の形や大きさも様々で、同じ文字なのに人によってまるで違う捉え方をしているのを見るのは面白い。自分では思いも寄らないような表現を目にすると、それが今までとは違う発想のヒントになる。お互いに批評し合うのも刺激になる。子どもの頃は宿題なんて大キライだったのに、研究会が始まってみると課題を与えられることが好きな自分にも気づいた。

 もう15年以上前のことだが、「川崎市民劇場」という観劇の会に入っていたことがある。会費は月2000円で、お芝居は近くの市民センターのホールで2ヶ月に1度の割合で行われる。演目は事務局で決められているから、興味のあるものもないものもあるのだが、歌舞伎あり、シェークスピアあり、ミュージカルありとバラエティに富んでいた。この会の1番良かったことは、自分では絶対に選ばないような演劇が観てみると意外と面白かったことである。人が選んだものに身を任せるのも案外悪くないものだと思った。書の研究会もそれと似たような面白さがある。自分の技量では絶対に選ばないような課題が強制的に与えられて、仕方なく書いてみたら面白くてどんどん書いてしまったりする。苦手だと思っていたことが得意だったり、得意だと思っていたことが全然ダメだったり、そういう発見に自分でも驚く。

 宿題好きの私は課題をもらうとすぐに書く。最初の課題は無駄に100枚も書いてしまったのだが、作品でもないのに紙が勿体無いからそれは止めた。次の課題は10枚程度でまあまあ納得のいくものが出来た。でも、終わってしまったらもっと書きたくなって、その次の課題をフライングして教えてもらった。うふふ、今度はうーんと古い文字で書くわよ。『五體字類』という書体の辞書を開いてどういう文字があるかを調べたり、それを試し書きするのも楽しい。展覧会の為の作品を書くのは大変だけど、これは私にとって一種のレクリエーションなのでる。ああ、楽しいな。

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November 16, 2009

無謀な計画

window2 若い子たちは身軽だから、ちょっとその辺へ行くような軽い気持ちで海外へ出かけていく。でも、私たちの世代は足かせが多くて、海外に限らず国内旅行でも行動に移すのは結構勇気が要る。留守をするとなると家の中の段取りを整えなくてはならないし、家族を置いて自分だけ出かけることに変な罪悪感を持ったりもする。友だちと2人でパリへ行ったのは、もう8年も前のことである。彼女とは当時同じ会社に勤めていて、仕事を辞める前に記念に旅行をしようということになったのだ。思い立ったのが出発の2週間前位で、ツアーに申し込んだ後で慌ててパスポートを取った。その頃はまだ、お互いに子どもが高校生と中学生で、私にはアレックスまでいるから、妙に肩身の狭い思いをしながら出発したものだが、それは楽しい旅行だった。

 その時に取った10年のパスポートが切れる前に、もう一度どこかへ行こうということになった。初めは近場の韓国とか台湾とかいう話をしていたのが、いつの間にか「もう一度パリへ行こう」という話になった。3日間通うと決めたルーブル美術館も1日しか見られなかったし、他にも見たかった美術館がある。行きたい都市はヨーロッパの中にもたくさんあるけど、1箇所だけ選べと言われたら、やっぱりパリ。何かやり残した感じがあるのだ。ついでにリヨンへも行ってみたい。本当は今年の冬に行く予定にしていたのが、色々と事情があって来年に延期になった。でも、1年先延ばしになった分だけ準備も整えられるというものである。それで、ついにフランス語を習うことにした。英会話の先生はフランス人だから、英語でフランス語を教えてもらえば一石二鳥。1年間習ったら旅先で簡単な会話くらいは出来るようになるかな〜なんて。

 ところが、始めてみたらこれが結構無謀な試みだということが分かった。第二外国語がフランス語だったなんて、もはや恥ずかしくて口に出来ない。ごく簡単な単語もみーんな忘れているし、その上全然覚えられない。覚えるきっかけが掴めない。元の形が分からないから辞書も引けない。まいった。辞書を開いたら、現在・半過去・単純過去・単純未来という文字が目に入る。ああ、そういえばそんなものがあった。何だか絶望的な気持ちになったが、こうなったら覚悟を決めて1から学ぶしかない。赤ちゃんになったつもりで少しずつ勉強しよう。新たな課題が出来たことは脳に刺激を求めるタイプの私には嬉しいことだが、そんなワケで友だちとの旅行に間に合う保証は全くありません。

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November 15, 2009

太古の記憶を失う時

335bca27.jpg ららぽーとのエントランスは早くも華やかなイルミネーションで溢れている。青色発光ダイオードが発明されてからは圧倒的にブルーのイルミネーションが増えたが、冬にあの冷たい青は少々寒々しい。灯りというのは本来人の心を暖かくするものである。やはり白熱灯のようなオレンジ色の灯りが冬の夜には相応しいように思うが、エコロジーを考えれば寒い青も我慢しなくてはならない。白熱灯といえば、2012年の生産中止まであと数年に迫った。蛍光灯の中に白熱灯色というのがあるけど、あれは似て非なるものである。冬の夜道を歩く時に目に映る、いかにも暖かそうな白熱灯の光。湯気の立った温かいスープや家族の団欒さえ思い起こさせる優しい灯りである。木枯らしの中家路を急ぐ私たちは、マッチ売りの少女のような気持ちでその灯りを見つめる。

 フランスのリヨンで毎年12月8日に光の祭典が行われることを教えてくれたのは英会話の先生である。この祭典は14世紀半ばにペストが流行した際に、フェルヴィエールの丘にあるノートルダム聖堂のマリア像に祈りを捧げたところペストが治まったという逸話に由来している。この日の夜はリヨンの街中にロウソクの光が溢れ、建物や道路はイルミネーションで飾られる。ノートルダム聖堂もライトアップされ、それはそれは幻想的な光景だ。次にフランスへ行くのも多分12月になるはずだから、そのときにはぜひこれを見たいと思った。ロウソクの炎というのは洋の東西を問わず宗教的な意味合いを持つ。きっと天へと通じる光なのだろう。それに、炎をもって何かを讃えようとするのは、火の存在がもっと大きな意味を持っていた太古の記憶がDNAに刷り込まれているからなのだと思う。

 ゆらゆらと不規則に揺れるロウソクの炎は人の心に安らぎを与えてくれる。α派を誘う「f分の1のゆらぎ」のためである。文明の発達とともに炎は白熱灯に取って代わり、それも間もなく消えようとしている。いずれ私たちの前に残されるのは、冷たく輝く人工的な光のみである。α派の出ない光の中で大量の磁気に晒されて生きる人間は、一体どんな風に変貌するのだろう。頭の中に浮かぶのは、無機質で感情のない銀色の宇宙服を着た人間の姿。太古の記憶を失った未来の地球人の姿である。

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November 14, 2009

今どきの派手婚

tiffany 娘が中学校の同級生の結婚式に呼ばれた。ホテルニューオータニで100人程の客を招いての派手婚である。少し前に呼ばれた結婚式も超派手婚だったし、どうやら結婚産業に不景気は関係ないようだ。挙式はニューオータニの敷地内のチャペルで執り行われる。12時の挙式に合わせて、ドレスアップした娘はいそいそと出かけて行く。自分でセットした髪に紫色のドレスが似合っていて、我が娘ながら中々ゴージャスである。同級生は何人も呼ばれているから、きっと盛り上がるだろう。新郎新婦は某大手広告代理店の同期で、いわゆる社内結婚。従って、招待客の半分はその広告代理店関係者。あの業界はちょいと軽薄なところがあるからなぁ。どんな披露宴になるのだろう。

 夕方、娘が帰ってくるなり、「もう、酷かったよ!」とひと言。傍らに置かれたニューオータニの紙袋の中にはティファニーの引き出物やBON’CINQのお菓子、ニューオータニのブライダルケーキ、それに広告代理店の先輩に強要されてこの日の為に新郎が執筆したというエッセイが入っている。2人の出会いについて書かれた本である。10万字ものボリュームは流石広告代理店というべきか。それにしても、派手な引き出物だ。ところで、何が酷かったのかというと、新郎の酒癖の悪さである。自分の披露宴だというのにへべれけに酔っ払って、あちこちで醜態を晒し、終いには花嫁の友だちに抱きつく始末。当然、友だちは皆シラッとして、そこにはひゅ〜っと寒い風が吹く。更に新郎の父まで酔っ払って、フラフラになりながらテーブルを回っている。似たもの親子である。そして挙句の果てに、新郎の叔母さんが会場で倒れて心配停止状態になり、AEDが登場するアクシデントまであって、もうワケの分からない披露宴だったらしい。唯一の救いは新郎の泥酔ぶりに気を取られて、叔母さんが運ばれていくのに気づく人が少なかったこと。叔母さんは大丈夫だったのだろうか。その後、新郎は完全にろれつの回らない状態にまで酔っぱらって、最後の挨拶は支離滅裂だったそうな。新婦はカンカン、新婦の親族は唖然である。そりゃ、そうでしょう。

 一流ホテルでゴージャスな料理と立派な引き出物を用意しても、これでは何もならない。というか、立派な舞台だっただけに、余計恥ずかしい。写真を見せてもらったら、まるで芸能人のような背の高いケーキに入刀している二人の姿。お嫁さんはフランス人形のような可愛いドレスを着ている。指輪もこれまた芸能人のようなピッカピカに光る大きなダイヤである。こんなに完璧に用意されていたのに、お嫁さん可哀想だな。一生に1度の結婚式の思い出をメチャクチャにされたんだから、この汚点は後々禍根を残すことになるだろう。同期入社ということは2年半位の付き合いか。その間に酒癖の悪さに気づかなかったのだろうか。分別がないと言うのは本当に程恥ずかしいことである。

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November 13, 2009

仕事をください

izumi 去年の暮れに勤めていた会社を辞めてから決まった仕事をしていない。仕事をする気は満々なのだが、このご時世だ。若い人でも仕事を探すのが大変なのだから、まして私の年齢では難しいのだと身につまされる。今までは何だかんだと言っても、その気になればすぐに仕事は見つかったのだ。そのつもりで、上司のやり方が気に入らないからと辞めてしまったのは、今思えば性急だったかもしれない。失業保険をもらう為にハローワークへ行ってみると、様々な年齢の人が職を求めてひしめきあっている。ハローワークはいつでも混んでいるらしいけど、何しろ有効求人倍率は0.43倍だ。職に就けるのが2人に1人以下なのだから、思い通りの仕事なんて見つかるわけないさ。お陰で時間だけはたっぷりある。

 今日、漆作家の泉泰代さんの個展を見に行ってきた。泉さんとはもう7、8年のお付き合いになるが、初めて会った時から何となく気が合って、会えば親しくお話させていただく。木肌を活かした拭き漆を中心に制作されていて、初めて泉さんの作品に触れた頃はぽってりした厚手の作品が多かったのが、最近はまるで紙のように薄い作品を作られている。あの華奢な体でどうやってこの硬い木を削るのだろうと不思議に思う。漆器というと畏まったものが多いけど、泉さんの作品はモダンで現代生活にすっと馴染む雰囲気を持っている。お正月を意識して重箱がいくつかあったが、今年初めて描いたという蒔絵の松がとても都会的で、センスの良さに流石と感心した。同じ松が描かれたL字型の重箱は盛り付けが楽そうで、実用としてとても優れている。また、ゆらゆらとランダムに削られた長方皿はどんな風にでも使える素敵な造形で、縁の辺りに1箇所銀のラインが入っている。最近凝っているらしい片口は、漆のイメージを超えたシャープなデザイン。美大を出た後、グラフィックデザイをしていたというのが頷ける。どの作品も伝統工芸とは違う現代的な魅力に溢れたものだった。

 ギャラリーの女性を交えて1時間程お話をした。テキパキと働く女性たちと話して、久しぶりに良い刺激を受けた。仕事もしないで家にいると、世の中から乖離してしまう。ストレスを感じることもなく、緊張することもなく、好きなことだけして暮らしている自分が何だかバカになったような気がして焦りを感じる。ライフワークは別物だから置いておくとして、元々半径3メーター以内で生きていける私のようなタイプは、社会と繋がっていないと危険である。そろそろ現実世界へ戻らなくては、本物の浦島太郎になってしまうぞ。それにしても、進化し続ける泉さんは本当にスゴイ。私も本気で仕事が欲しくなった。

泉泰代作品展は銀座5-5-13「エポカ ザ ショップ銀座B1 日々」にて17日(火)まで 

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November 12, 2009

パンチの利いた料理

pasta2  訳あって最近は香辛料の利いた料理を作っていない。たまには思いっきり辛い中華とかカレーとかを食べたいのだけど、いつも優しい味付けの和食ばかりである。かといって、私は外食が好きではない。世間の人のように外で美味しいものを食べたいという欲求もないし、第一お店では何だか寛げない。そりゃ、友だちと昼間に会えばランチをすることもあるけど、基本的には家で食べるのが好きなのである。数日前、用事があって外出した。お昼前に目的地に着いて、用事が終わったのが2時過ぎだったので、お腹が空いてしまった。迷った挙句外食をすることにした。丁度目に留まったカフェでランチを食べることにする。ランチメニューはオリジナルハンバーグと2種類のパスタランチでどれも1000円。こうなると私の場合、「季節野菜のベジパスタ」という文字に惹かれてしまうんだな。

autumn ランチには巨大なボウルに入っているグリーンサラダが付いていた。普段は温野菜ばかりで生野菜をあまり食べることがないから、たっぷりのサラダが美味しい。食べ終わった頃に運ばれてきたのは色とりどりの野菜が入ったパスタである。この見た目は私の食欲をそそる。ひと口食べた。すると、ピリッと唐辛子の辛さが口の中に広がった。途端にパンチの利いたものを食べたかったことを思い出した。野菜が大きめに切ってあるから、全体としては優しい味なのだが、イタリアンだからニンニクと唐辛子が利いていてパンチがある。全然期待していなかったのに、思いがけず食べたいものに出会えた。やっぱり、こうでなくちゃね。食後のコーヒーも私好みの少々苦めの味だった。満足、満足。たまには外食も悪くないと思ったりして。

 帰り道、晩秋の街はすっかり秋色に染まっていた。イチョウ並木は黄色に、ケヤキ並木は赤茶色に。こういう季節の移ろいは好きだけど、もうすぐ苦手な冬がやって来るのかと思うと体が縮こまる。今日の最高気温は14度。12月の気温だったという。明日あたり、ファンヒーターを出して冬支度をしよう。灯油も買ってこなくちゃ。本格的な冬が来て冬眠したくなる前に、もう少し活動しておかなくてはならない。

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November 11, 2009

お金持ちになりたいと思った瞬間

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MJ2

 

 

 

 六本木ヒルズで9日から12日までの4日間、マイケル・ジャクソンの遺品展「MJ46 JAPAN TOUR」が開催されている。NYで21日に行われるジュリアンズ・オークションに出品される46点の遺品を展示したもので、目玉は「モータウン25周年記念コンサート」で初めて「ビリー・ジーン」のパフォーマンスを披露した時に着けていたキラキラのグローブとソックス。ムーンウォークに誰もが度肝を抜かれた、あの伝説的なパフォーマンスのグローブとソックスが間近で見られるなんて、絶対に行かなくちゃ!たった4日間だけのイベントのせいか、雨にも拘らず入り口は長蛇の列。当日券を買うのに20分、会場に入るのに更に20分程並んだ。オークションの落札予想総額は2億円とも言われている。

 会場に入った。展示されている品物の中にはビデオクリップで見慣れたデンジャラスやバッドの衣装もある。トレードマークの帽子もある。キラキラのグローブはモータウン25周年の時のもの以外にも2種類あって、人々は見入っている。でも、私が何より驚いたのは、直筆の絵やイラストである。それは素人の落書きとは程遠い素晴らしい作品だった。特に絵の具で描かれたチャップリンの絵は見事で、「欲しい!!」と思ってしまった。バッドの衣装を着たミッキーマウスのイラストも、前髪や頭の後ろにチョロチョトッとマイケルみたいな毛が生えていてカワイイ。そういえば、何かに書いてあった。まだうんと若い頃、マイケルがツアーに行くと、妹のジャネットのところに箱いっぱいの絵が送られてきたって。二人でよく絵を描いたとも書いてあった。きっと忙しかった子ども時代、マイケルは外へ遊びに行けない代わりに家で、或いは待ち時間の楽屋でいつも絵を描いていたのだろう。何だか切ない。それにしても、神様は一体どれだけの才能を1人の人間に与えたのだろう。

 オークションは来週である。誰でも入札できるから、その気になれば私だって入札できる。絵は全部で8点あった。生まれて初めてお金持ちになりたいと思った。もしお金があったら、どんなに高くても全部買い占めるよ。キラキラブローブは落札予想価格500万円だというから、これも落札しちゃおう。家に帰って何気なくメールを開いたら、「ついに出ました。BIG6億円」という宣伝メールが届いていた。私が買った時にはダメだったのに。ああ、6億円あったら46点全部買えるけど、全部でなくていいんです。あの絵とグローブだけで…。貧乏な私はオークションのカタログを眺めながらただ嘆息をつくばかりである。

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November 10, 2009

大人も褒めて育てよう

michael3 自分の素質というものは案外自分では気づかないものである。だから、その素質を伸ばせるかどうかは、周囲の力によるところが大きい。妹は高校を卒業後、服飾のデザイナーになりたくて専門学校に通っていた。ところが、妹は小さい頃から絵が苦手なのである。頭の中にはデザインが溢れているのに、それを上手く表現することができない。それで、ついにはデザイン画の先生に、「お前は絵が下手だからデザイナーにはなれない」と言われて挫折してしまった。今だったらデザイン画の上手い下手よりもデザイン力が優先されるはずだけど、当時は決まった型のデザイン画しか許されなかったのだ。今、妹は自分のブランドを持って、ジュエリーをデザインしている。あの時先生がもっと柔らかい頭を持っていたら、今頃有名なデザイナーになっていた可能性だってあるのだ。

 私は反対に小さい頃から絵を描くことが苦ではなかった。でも、それを取り立てて褒めてくれる人がいなかった。自分でも絵は得意な方だとは思っていたし、小学生の頃は大人になったら漫画家になりたいと思っていたくらいなのだけど、なまじピアノを長く習っていて、上手にピアノを弾くと周りの大人に褒められるものだから、自分は音楽に向いているのだと思っていた。でも、実は音楽の才能なんて全然なかったのだ。そして、ピアノをやめたいと言ってもやめさせてもらえなかったのは、ピアノを習いたかった母の身代わりだったからなのですね。親が果たせなかった自分の夢を子どもに託すことはよくある。でも、そういう大人の思い入れのせいで、本当の素質を見逃すことがある。私の場合はむしろ絵が上手いと褒めてもらいたかったな。そうすれば、イラストレーターぐらいにはなっていたかもしれない。

 先日亡くなった墨絵の先生は褒めるのがとても上手だった。妹も一緒に習っていたのだが、先生は妹が描く変てこな絵を本気で褒めてくれた。「あなたは絵の才能がある」と生まれて初めて言われて、妹は長年のトラウマから解放された。それで今では絵を描くことをが楽しみになった。子どもを褒めて育てろというけど、大人だって同じだ。「才能がある」と言われれば、もっと頑張ろうという気持ちになる。反対に、ダメ出しばかりされていたのでは気持ちは萎えてしまう。妹も私も今頃になってようやく自分のことが分かってきたのだが、何かを始めるのに遅すぎることはない。“Never too late”である。

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November 09, 2009

嫌いな家事ナンバーワン

shokki 何十年も主婦をやっていて、いい加減慣れてもよさそうなものなのに、どうしても好きになれない家事がある。それは食器洗いである。何が嫌いなのか聞かれても答えられないのだが、兎に角嫌いなものは仕方がない。でも、これは私だけのことではなく、友だちに聞いても同じ意見の人が多いから、アンケートを取ったら堂々第1位に輝くことは間違いない。嫌いだから、ついつい後回しにしようとする。それで次の食事の支度をする段になって、「あーあ」と思いながら仕方なくやるという感じ。ちゃんと片付けておけば、食事の時間が15分や20分は早くなるというものだ。食洗機を買うことも考えたけど、ウチのキッチンはビルトインに出来ないから諦めた。食洗機を持っている人が心底羨ましーい。

 できるだけ洗い物を少なくしたいから、私は食事の支度をする時に何かを使ったらすぐさま洗う。だから、支度が終わった時にはシンクの中には何もない状態。ベテラン主婦はきっと皆そうしているのだろうけど、我が娘は違うんですね。ボウルやバットの類、フードプロセッサなどの道具をあれこれいくつも使っては全部シンクの中に積み上げて、道具だらけにする。だから食事の支度が済んだ時にはすでにシンクはいっぱいである。大体、私はボウルなどというものは余程のことがなければ使わないよね。調味料を混ぜ合わせるような時でも、水切りカゴの中にあるお椀か何かでチョチョッと混ぜてすぐに洗ってしまう。フードプロセッサだって、使ったらすぐに洗うさ。これも多分、ベテラン主婦は皆そうしている。そして更に悪いことに、娘も私と同様後片付けが嫌いなのである。従って、山と積まれた道具プラス使った食器は放置される。それで私は後で泣く泣く洗うわけです、嫌いなのに。

 食器洗いは嫌いだけど、洗ったものを食器棚に入れるのは好きである。モノが定位置にきちんと納まっている様子を見ると何だかスッキリするのである。びっしりと並ぶ食器を見て収集癖が満足するのかもしれない。それにしても、食器が多いなぁ。少し前に随分友だちに貰ってもらったのだが、減らしても減らしてもちっとも食器棚にスペースができないのは何故だろう。ま、いいか。そのうち娘がお嫁に行くときにでも持たせればよいだろう。さて、洗い物は済んだことだし、そろそろ夕ご飯の支度でもしましょうか。

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November 08, 2009

七五三はカワイイ!

nene 11月に入ると、休日の神社は七五三のお参りに来た可愛い着物姿のちびっこで賑わう。おしゃまな7歳の女の子も凛々しい羽織袴の5歳の男の子も可愛いけど、何と言っても愛らしいのはお被布姿の3歳の子どもたちだ。ようやく赤ちゃんから抜け出して子どもらしくなったばかりのおチビさんなのに、髪をきちんと結ってお化粧をしてもらっている。きれいなおべべを着て大喜びの子もいるが、着慣れない着物に緊張して硬くなっている子もいる。子どもにとっては着物を着ていることなど関係ないから、いつものように座りこんでは玉砂利で遊んで袖を汚したり、お菓子を食べた手を着物で拭いたりして、両親やおじいちゃん・おばあちゃんはあたふたとしている。しかし、それがまた微笑ましい。元気に3歳を迎えられてよかったね。

 七五三というのは両親にとっては嬉しいものだが、おじいちゃん・おばあちゃんにとっても気合の入る行事である。妹のところには小学6年生の娘がいるが、旦那さまのご両親にとっては初孫であり、たった1人の孫である。京都と東京で離れているということもあって、生まれた時から何かと立派なものを買い与えてくれる。その大事な孫の七五三ともなれば、思いっ切り気張ることになるのですね。それで、3歳の七五三の時には京都の呉服屋さんで素晴らしい着物とお被布の一式を買ってくれたのだが、それがなんと100万円もしたそうな。草履とバッグのセットも3万円だか5万円だかのものらしい。確かにどっしりとした良質の縮緬に手書きの模様が入っている上等なものではある。小さな長襦袢に付いている半襟も綺麗な刺繍がしてあって、それだけでも高そうだが、あんなに小さいのに100万円もするのか?大人だってそんな高級な着物を持っている人は少ないのにね。

 私は簪フェチなので、娘たちの七五三の時には結構凝った簪を探した。つまみ簪の職人さんのところへ直接見に行ったりもした。でも、子ども用の簪だからどんなに高くても15000円程度。3歳の時の簪は7歳の時にも大丈夫そうだったけど敢えて使わず、新しくちょっと立派なものを買った。それが成人式の時にも使えた。着物と同じで、上等な簪は写真に写った時に全然違うのだ。2人の娘が使った後は、友だちのお嬢さんの成人式の時にも貸してあげたから元は十分に取れている。大事にしているから新品同様。まだまだ使えるぞ。さて、神社の七五三では色んなお着物を着ている子どもたちがいる。上等な着物の子もいればそうでない子もいるけど、どの子も皆可愛い。結局のところ、子どもというのは何を着ても可愛いのだ。

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November 07, 2009

映画『2012』はちと大袈裟?

sea2 映画館では本編の前に長い予告編というものがある。次から次へと流れる予告編に時にはうんざりすることもあるが、それが興味のある映画なら楽しめるし、次はこれを観ようという気持ちにもなる。今映画館へ行くとやっているのが今月21日封切りの『2012』という映画である。マヤが予言した世界の終末を題材にしたSFパニック大作で、『インディペンデンス・デイ』や『デイ・アフター・トゥモロー』の監督ローランド・エメリッヒが製作している。予告編ではある日突然カリフォルニアが海に沈んだり、バチカンの大聖堂がどおっと倒れたり、火山が噴火したり、世界中で同時にとんでもない大災害が起こる。映像技術の賜物といえる凄さだけど、これじゃ誰も生き残れません。でも、この監督は何か分かっているような気もするなぁ。

 2012年問題については巷でも色々と言われているけど、私の推測ではその日にいきなり何かが起こるということではなく、かといって何も起こらないわけではない。多分地震ぐらいはその近辺に起こるだろうが、それもある日同時に起こるということではないだろう。映画のように地球がメチャクチャになったり、人類が滅亡するというわけではない。マヤの古文書には2012年の12月21日をもってこの世が滅亡するとはどこにも書かれていない。書かれているのは今の世界が終わるということだけなのだ。思うに、何か今までの価値観が通用しない世界に生まれ変わるのだ。何が起こるのかは分からないけどね。それよりもむしろ、既に始まっていることにあまり人は気づいていない。よーく考えてみると、ここ数年善と悪が目に見える形で表に出てきている。悪は恐らく淘汰される。それに草食系男子という言葉に象徴されるように人間の生殖能力が衰えてきている。人間の質が変化しつつあるのだ。新しい世の中は今よりもピュアな世界なのだと思う。地球の傷を癒し、地上の全ての生き物が共存できる世界。その妨げになる者は淘汰されることになっているんですね、多分。

 地球は56億年も生きている。その歴史の中では様々な地殻の変動や環境の変化があったはずだし、色々な生物が生まれては消えていったはずである。生き残った生物は地球環境に合わせて変異していったのだろう。その中で人間だけが同じ姿形のまま永遠に続くと思う方が不自然である。アマゾンでは両性具有の魚がたくさん生息しているという。人間もいずれそうなる運命なのかもしれない。なんだかSF的だけど、そもそもがSFの世界の中に生きているようなものなのだ。さて、映画『2012』は少々オーバーだと思うけど、どんな出来栄えなのか一応チェックしておこうかな。

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November 06, 2009

肩書きが人を作る

card1 名刺というのは相手に自分が何者であるかを知らせるためのツールだけど、同時に自分の立場を自覚することにも大変役立つ。今まで仕事が変わる度に新しい名刺を持ったし、今も何かの時のために持ち歩いているライターの名刺があるが、この肩書きは現在開店休業状態になっているので実像とはそぐわなくなった。でも、これは私の大のお気に入りのデザインなのである。知り合いのデザイナーに頼んで作ってもらったもので、「肩書きの部分は鉛筆でwriterと書いているみたいなデザインにしてね」とお願いした。依頼したデザイナーは一級建築士でもある若い女性なのだがとてもセンスが良くて、指定した部分がイメージ通りだった上に、偶然にも私の好きなグリーンをベースにした素敵な名刺が出来上がった。

 いくら好きなデザインでも現実と合わなくては仕方がないので、最近また新しいものを作ってもらうことにした。今度は肩書きの代わりに「墨絵と書」という文字を入れてもらって、鉛筆の代わりに筆のイラストを入れてもらう。背景もグリーンの代わりに同じデザインのモノトーンにして、ライターの名刺と並べた時に同じ人物のもう1つの顔ということが伝わるようにして欲しいとお願いした。ライターだって仕事があればやるつもりだから、これはこれで使うつもり。でも、墨絵の方は展覧会に来てくださった方に渡したり、お稽古に興味を持ってくださる方に渡したりしたいのである。そして何より、今後は墨のことにもっと力を入れていくという決意を自分自身に表明する意味合いがある。自分をその気にさせるためにも名刺を持つ必要があるのだ。

 個性的な名刺を持っていると、初対面の人と名刺交換する時に「お、素敵な名刺ですね」などと言われて、その後の会話がスムーズに進んだりする。案外気の小さい私には、それは大きな助けになるのだ。最近はパソコンを使って自分で名刺を作る人も多い。私も以前は自分で作ったりしたけど、プロが作ったものはやはり全然違う。どうせ持つなら垢抜けた名刺の方がいいもんね。今日デザイナーの女性からデザインが出来上がったというメールが来た。来週会って見せてもらうことになった。どんな風に出来上がっているのか楽しみだ。

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November 05, 2009

同級生

ship 同級生というのは楽しいものである。実は夫と私は中学校の同級生。言ってみれば毎日が同窓会のようなものなのだが、小学校も同じだったから友だちは全員共通の知人である。中には幼稚園から一緒という友だちまでいて、こうなると人間関係の説明というものは全く必要なくなる。練馬に住んでいた頃には、やはり同級生の男友だちが、夫がいないのに毎晩ウチでご飯を食べていたこともある。まったく遠慮も何もあったものではないが、そういう全然気を使わない相手というのは人見知りの私としては気楽でよい。それに、そうやって気安く来てくれることは結構嬉しくもある。子供の頃からの成長の過程をお互いに知っているのだから、格好を付ける必要もないし、まあ全員が兄弟姉妹のようなものですね。

 この前、仲良しのシー様と映画へ行く約束をして家まで迎えに行った。ところがひょんな事からご主人の同級生が持っているクルーザーに乗りに行くことになった。訳の分からぬままご主人の車で横浜のベイサイドへ行って、生まれて初めてクルーザーというものに乗ったのである。ご主人の友だちは美人の奥様と愛犬レディと一緒に来ていた。船の中はまるでホテルのよう。ゴージャス!ご主人同士は中学高校の同級生とのことだが、この2人の様子が実に面白い。ウィークデーには夫々立派な会社の社長さんなのに、まるで友だちの家で過ごす大きな中学生みたいで、一緒にテレビを見ているかと思えば、1人が上で昼寝をしていたり、もう1人はせっせと窓を拭いていたり別々のことをしている。そしてまたソファに集まっては、ずっと食べることばかり話している。その掛け合いがまるで漫才みたい。でも、そんな風にしながら一緒に過ごす時間がとても楽しそうで、見ていてとても微笑ましいのである。

 少し前に大学時代の友だちと久しぶりに会った。総勢15人の団体様である。こちらもまた若い頃一緒に踊りに行ったり、旅行に行ったり、遊んだりと楽しい時間を過ごしたお仲間である。今では夫々立派な社会的地位を持っていて、中には大会社の次期社長と目されている人もいるのだが、ヤツの学生時代の女性遍歴などやんちゃをしていた事実を皆知っている。ここでは気取っても無駄である。それにしても、三つ子の魂百までとは言うが、何十年経っても人って変わらないのよね。とまあ、様々な過去がバレていることが気楽な理由なのだろう。楽しい同級生の集まりが終わって翌日になれば、また皆立派な社会人に戻って真面目に仕事をする。それが大人というものである。

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November 04, 2009

墨絵の先生のこと

sunset3 墨絵の先生のお宅はとても素敵である。先生は美的センスが抜群で、おまけにきれい好きだから、いつも一分の隙もなくきちんと片付いている。玄関には多分昭和初期であろうランプシェードが下がっていて、そこには先生の作品が掛けてある。それは毎月のように違うものに掛け替えられるから、「今日はどんな作品かな」と思いながら玄関を入るのがお稽古の楽しみでもある。お部屋がきれいなのはもちろんのこと、トイレの中はまるでホテルのバスルームのようだ。いつもきちんと畳まれたセンスの良いハンドタオルが3枚、少しずらして重ねられているのが何とも素敵。お稽古が終わると、自分の道具をキッチンのシンクで洗わせていただくのだが、先生のキッチンはシンクも調理台もいつもピカピカだ。お料理好きなのにこの状態を保っていられるなんて、とても1人暮らしの93歳とは思えない。

 1階は広いLDKで、お稽古の時はそこに置かれた大きなテーブルで描く。リビングにも先生の素敵な絵が飾られている。1枚は墨絵、もう1枚は先生がもう何十年も通っている水彩の作品である。先生は墨絵では色を決して使わないが、水彩を見ると色彩感覚が抜群だということが分かる。そこには墨絵とはまた一味違う魅力がある。先生は絵が本当にお好きだから、私たちを教えてくださるときは夢中になってしまう。3人を同時に教えることは私でも疲れるくらいエネルギーを使うことだ。だからお稽古が終わると先生はもうくたくたになる。でも、その後に皆でお茶をいただきながらお喋りをするのが、先生にとっても私たちにとっても楽しみなのだ。そこで聞かせていただく先生の昔話はまるで小説のような世界。関東大震災の話も東洋英和に通っていた少女時代の話もビックリするようなことばかりで、つい話に夢中になっていつも帰りが遅くなってしまう。

 先生はとてもお洒落である。真っ白な髪に薄い紫色のマニキュアをしていて、それがとても上品で色白のお顔にお似合いだ。元々日本人離れした美しい顔立ちの上にご自分をよくご存知だから、身に付けるアクセサリーも洋服も完全に先生にマッチしている。そして、長年ヨガに通っていらっしゃるためか姿勢がとても良いのである。鮮やかなブルーや真っ赤なスーツがよくお似合いで、あんなに美しい日本人のお年寄りは他に見たことがない。誰もが「あんな風に年を取りたい」と思う理想の女性である。今日、1月のお稽古以来、10ヶ月振りに先生のお宅へ伺った。20年間毎月通ったお宅である。いつもお稽古をしていたリビングで、先生はたくさんの花に囲まれて眠っていた。そこに置かれた先生の写真は、私たちがよく知っている美しいお顔だった。

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November 03, 2009

頭の中のスイッチ

nigaoe 誰でもきっと頭の中には色々なチャンネルがあるのだと思う。私の中にもそういうものがあって、忘れていたチャンネルのスイッチがある時何かのきっかけでオンになると、またそれが突如稼動し始めたりするのだ。この頃それを顕著に感じることが多いのだが、例えば外国語のチャンネルがそうである。私は8月から毎週英会話のレッスンに通っているのだが、ある日はスムーズにスイッチが入って、「私って英語ペラペラ?」と錯覚するくらいスラスラと言葉が出てくる。そうかと思えば、別の日にはそのチャンネルに全然チューニングできなくて、ごく簡単なフレーズが出てこなくてイライラする。そんな日は「私って語学のセンスがないのね」とガッカリしたりする。

 それに引き換え、最近スイッチが入りっ放しなのが似顔絵のチャンネルである。このスイッチが一旦入ると、誰の顔を見ても描ける気がしてしまう。もう15年以上前のこと、その年は湾岸戦争があったり、オウム真理教の事件があったりと世の中がとても騒がしかった。オウムの事件は初めの頃はただの変わった集団という扱いで、誰もあんな凶悪事件を起こしているとは知らなかった。その初期の頃、テレビをつけるとワイドショーではオウムのことをやっていて、毎日同じ顔が出てくるのを見ているうちに私の似顔絵スイッチが入ってしまった。それで、色々な似顔絵を描いては友だちに見せて、それを友だちがまた友だちに見せたりして、私の周りではちょっとしたブームになっていたのだ。でも、徐々に事件の全貌が見えてくるに連れて描くのを止めた。最近、その絵を知っているある友だちが「あの絵をもう一度見てみたい」と言うので、封印していた原画を探した。そうしたら、ありました、ありました。早速友だちに見せたら「似てるよねぇ」と大喜び。あの頃は、同時にブッシュやフセインやNHKのアナウンサーの顔も描いていたのだが、そちらは何処かへいってしまった。

 この前中学校の同級生会ってその話をしたら、「だって、さる子さん中学生の時から似顔絵上手かったじゃない。ジミー・ペイジなんかの顔をバインダーに描いてたよね」と言われて俄かに思い出した。そうだった。あの頃、愛用していたバインダーの教科毎の中表紙に好きなミュージシャンの顔を描いていたのだった。点描で描いた今思ってもイケてるイラストだった。そうかぁ、私の似顔絵の原点は中学生時代だったんだ。あの頃にそれに気づいていたら、今頃それで成功していたかもしれない。…が、既に手遅れである。気付くのに何十年も掛かるなんて、スイッチが入るのが遅いにも程があるというものだ。

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November 02, 2009

犬と会話ができる人だって

alex14 友だちのお姉さんの家にはウチと同じ黒ラブがいる。その子もアレックスと同じくらいの歳だから、最近足腰が弱くなって階段の上り下りが辛そうになってきた。アレックスも時々足を踏み外しているなぁ。お姉さんの家は2階が居住空間で、家族は皆2階に集まる。一緒にいた方が良いに決まっているけど、お姉さんは階段を上りたがらないその子を上へ連れて行くよりも1階に心地よい場所を作って上げた方が良いのではないかと思い始めていた。ある日、近くに動物の心が読める人がいるという話を聞いて、興味半分で見てもらいに行った。本人(本犬?)を連れて行くのが一番よいらしいけど、写真だけでも分かるという。相談内容は1階に居住空間を作ってあげた方が良いかどうかである。

 動物と会話ができるという人は写真を見て、「ああ、この子は可愛がってもらって満足しているわね。でも、もう階段を上がるのはイヤだって言っているわよ」と言う。1階の誰も使っていない部屋をその子の部屋にしようと思っていると話すと、「その部屋よりも階段の下に何か暖かいものを敷いてくれればそれでいいんですって。階段の下なら皆の声が聞こえるから」。そして、その子が一番嬉しいのは自分の食事の時間で、時々台所でもらえるキャベツが楽しみなのだと言われた。動物というのは人間と違って喜びも悲しみもその場限りのことだから、そんなに気にする必要はないということらしい。確かにね、アレックスもご飯とお散歩が一番嬉しくて、それ以外は時々思いついて甘えに来るくらいだ。でも、それって占い師に聞かなくても見ていれば分かることだ。その人は犬と会話ができるというが、私だってその程度の会話ならできるぞ。ていうか、動物を飼っている人なら多分、誰でも自分の家の動物と話はできるのだと思う。

 その人は動物だけでなく人間のことも分かるという霊能者らしいけど、少なくとも犬の気持ちは私にも分かる。それは心を読むというような複雑なことではなく、態度や習性から分かるものである。犬は賢い動物だけど、そんなに難しいことを考えられる程知能が高くはない。褒められれば嬉しいし、叱られればシュンとするけど、感情は常に一時的なもので持続しない。ご飯やおやつを貰う時が一番嬉しいのは、どの犬にも共通している。霊能者の相談料は1万円位するらしい。友だちのお姉さんは特別な期間に行ったから半額位だったみたいだけど、それにしても結構なお値段だ。いい商売だよね。アレックスは今、ご飯を貰ったばかり。私にお尻を向けたままトラの敷物のような格好でぺたっと寝ている。「ご飯美味しかった?」と聞くと寝たまま尻尾だけ動かして返事をする。こんな会話なら私もできるんですけど。

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November 01, 2009

To my best friend

lotus4 もし大切な人を亡くしたら、どうやってその悲しみから立ち直ったらよいのだろう。そのとてつもない喪失感から抜け出すのには、同じようにとてつもない時間が必要だ。最初は呆然として悲しみすら感じないだろう。少し時間が経てば、亡くした人と共有できなかった時間を埋めようと、自分が知らなかったその人の部分を遺された物の中に探すだろう。その人が生きた証は膨大である。それを1つ1つ拾いながら、自分の中に収めていく。その人のすべてを知ろうと、納得がいくまでその作業は続く。思いがけない素顔に驚いたり感動したりしながら、その人の思い出を吸収していくだろう。決して忘れたくないから、目を瞑ればいつでも思い出せるように、その人の隅々まで自分のものにしようとするのだ。

 何でもない日常の瞬間に、ふと思い出して涙を流すこともあるだろう。なぜ逝ってしまったのだろうと怒りを感じることもあるかもしれない。夢であって欲しいと現実から逃げたくなることもあるだろうし、もし元に戻せるのなら何でもしたいという気持ちにもなるに違いない。そういう様々を乗り越えるには時間が必要だ。悲しみをこらえる必要はないのです。思い切り、気が済むまで悲しまなくては自分を癒すことはできないのだと思う。そして悲しいことに、時間というものはいつか全てを忘れさせてくれるのである。この現実感を決して忘れないと心に決めても、時間と共に次第に薄れていってしまう。だからこそ、その人のリアルな存在感を思い出せる間は、夢中で追いかけていればよいのだと思う。今でもすぐそこにいると思える間の方がしあわせとも言えるのだから。

 いつか、離ればなれで暮らしていたことが当たり前だった時のように、どこかで自分を見守っていてくれると思える日が来るのだと思う。そしてそんな日が来たら、一緒に旅をしましょう。その日が来るまで、私は一緒に果たせなかったあなたの夢の穴を埋めるために絵を描き続けます。今はまだ亡き人の面影を求めて苦しい日々を送っているあなたへ。

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October 31, 2009

学園祭で若さに酔う

gakuensai 文化の日が近づくと、どの大学も学園祭シーズンを迎える。友だちのお嬢さんが一橋大学の学園祭で踊るというので一緒に見学に行った。こういうダンスは私たちが若い頃にはなかったジャンルだと思うけど、最近の若者は皆踊ることが好きだ。そういえば、ウチの長女もずっとダンスを続けているなぁ。ハウス系とかヒップホップとか色々あるみたいだけど、私にはその違いが全然わからないんだな。学園祭では他の大学のサークルも参加していて、数人ずつのグループが次々出てきては色々なパフォーマンスをする。8ビートが染み付いている私たちの世代では絶対に踊れないようなキレの良いダンスだ。上手な子もそうでない子も、皆ハツラツとして楽しそう。

 大学などという所に久しぶりに足を踏み入れてみると、すごく不思議な感覚になる。ついこの間自分たちが大学生だった気がするのに、いつの間にか子供が学生になっているのだ。人生というのは本当に瞬く間に過ぎていく。ダンスを見た後ブラブラと学内を歩いていると、楽器の音が聞こえてきた。ライブなんて懐かしい。つい中に入ったのだが、うっかりアンプの傍に座ってしまった。ライブが始まると、凄い音量で死にそうになる。全然馴染みのない音楽が耳元でガンガンに鳴るのに辟易して、そそくさとその場から逃げ出した。これが知っている曲なら乗れるのかもしれないけど、アップテンポのリズムばかりが先行する音楽はオバサンたちには無理です。他の部屋からはもう少しメロディアスな曲が聞こえてくる。あっちにすればよかった。でも、もうライブはいいや。

 外に出た。ずらっと並んだテントではおしるこやタコヤキや焼きそばなどのニオイが交じり合って漂っている。お祭りのニオイだ。こういうのには何だかそそられるんだな。ちょっと寒かったこともあって、おしるこを買って食べた。発砲スチロールの大きめのお椀にたっぷり注がれたおしるこに白玉が3個入って200円。量は多いのだが小豆が殆ど入っていない。「これじゃ小豆汁だね」と私が言うと、友だちが「よそい方が悪いのよ。鍋の下の方からすくわないと駄目なのに知らないんだね。教えてあげようかしら」と言う。オバサンたちはよそい方にうるさい。大学なんだから当たり前だけど、どこもかしこも若い子でいっぱいで目が回った。普段馴染みのない光景に少し酔ったみたいだ。

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October 30, 2009

手仕事をする人

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 20年来の友人でバッグを作っている人がいる。元々洋裁学校の先生をしていた人だから手先が器用で、洋服を縫うことはもちろんビーズワークや織物など何でもこなすのだが、ある時バッグ作りに目覚めて今は主にその道を進んでいる。初めての個展をたまプラのギャラリーでやって以来、毎年展覧会で作品を発表していて、今回は中目黒の「さくらギャラリー」での二人展である。二人展の相手が織りの先生ということもあって、今回の作品は自分で織った布で作ったバッグだった。自作の織物で作ったジャケットや帽子もある。洋裁のプロだから、織ったものを思い通りの形に作れるのは強みである。決めたことを続けている彼女は偉い。

 以前、私が持っていたアフリカのクバ族の布を彼女に頼んでバッグに作って貰ったことがある。クバの布は貴重だから簡単には手に入らないのだが、彼女はそれと同じような模様を自分でパッチワークしてそれをバッグに作った。それが中々素敵で、前回の展覧会ではそれをテーマにして発表した。その後、彼女が知人の展覧会を見に伊東のギャラリーへ行った時に、偶々そのバッグを持っていたのがオーナーの目に留まって、来年の5月に予定されている人形作家の展覧会にぜひ一緒に出して欲しいと頼まれた。人形はアジアっぽい雰囲気のものらしくて、アフリカの雰囲気のバッグに合うという訳である。私の好きな世界だから都合を付けて見に行ってみようと思った。今回の展覧会が終わったら、伊東に向けてまた作品作りが始まる。

 物づくりというのは割りの合わない仕事である。彼女のバッグは布を織るところから始まっているのだから1つの作品に費やす時間は相当なものだと思う。でも、だからといってそう高い値段を付けられるものではなく、どれも2万円台と手頃である。時々自分が何をやっているのか疑問に思うこともあるらしいけど、それでも作ることは楽しいから止められないのだという。私の墨絵と同じだ。何かを表現することは楽しくも辛いことである。

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October 29, 2009

土ものの原体験

mishima 私の器好きの原点とも言える1組の汲み出しがある。グレーの地に葉っぱのような幾何学模様の柄が付いていて、見込みに刷毛目模様のある三島の汲み出しである。私がまだ3歳位の時に父が買ってきたものらしいのだが、私はこの渋い器が子供の頃から何故か好きだった。自分たちが使うのは夫々違う筒型の湯のみ茶碗だったから、これはお客様用だ。随分長い間使われていたけど、いつの間にか5客のうち3客の縁が欠けてしまって、いつか食器棚の奥に仕舞い込まれた。母は渋い土ものよりも華やかな磁器の方が好きだったから、それ以来お客様用は香蘭社の薄手の器に代わって、三島の汲み出しはそれっきり何十年も忘れ去られていた。

 母が練馬から横浜に越して来ることが決まった時、納戸代わりに使われていた部屋の茶箪笥の中から、眠っていた三島の汲み出しを救出してきた。他にも好きだったアールデコっぽいティーカップがあったはずなのに、それはいくら探しても見つからなかった。どうやら前の引越しの時に捨てられたらしい。大事に持って帰った三島は欠けた縁を自分で金直しした。渋い土ものには金直しが似合う。お化粧をして蘇った器は再び我が家でお客様用の地位を獲得した。原体験というのは不思議なほど強烈なもので、三島というものに私は妙に惹かれる。忘れもしない、遥か昔に「陶遊」さんで初めて買った器も三島の大鉢だった。唐津の太郎衛門の三島の中鉢も大好きな器だったけど、これは訳があって手元から離れて行った。今でも三島を見るとつい見入ってしまうのは、この汲み出しのせいである。

 小さい子どもが渋いものを好むなんて、普通に考えたらちょっと変だ。でも、「陶遊」さんも子どもの頃からものすごく渋い益子の器が好きだったというし、同じ環境で育っても妹はもう少しキレイなものが好きなところをみると、こういう好みはある程度生まれつきなのかもしれないと思う。妹と好みがバッティングしなかったのはラッキーだった。お陰で三島の器が私のところに来たのだからね。そういえばウチにも娘が2人いるけど、長女は器には全く無頓着で、次女はこだわりがある。だからこの2人も喧嘩にならない。平和なケースでよかった、よかった。

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October 28, 2009

“THIS IS IT”に涙

THIS IS IT マイケル・ジャクソンの“THIS IS IT”を観た。幻のロンドン公演の膨大なリハーサルフィルムをまとめて映画化したもので、世界同時に今日から2週間限定の公開である。ひと言で言って凄かった。長い間沈黙を守ってきたマイケルだが、スクリーンの中の彼は以前と変わらずスタイリッシュで、ダンスも歌も何もかもが私たちが知っているマイケルそのものだった。今まで目にすることのなかったダンサーのオーディションやスタッフとのやりとり、リハーサルの様子からマイケルの素顔を垣間見ることができるのは、ファンにとってもそうでない人にとっても興味深いことだ。マイケルは死の直前まで、ロンドン公演に向けて精力的にリハーサルに取り組んでいたのだ。本当に直前まで。

 ロンドン公演では皆が期待するすべての曲が聴けるはずだった。そして、どの曲も今までとは全く違う驚くべき演出でファンを楽しませるはずだった。私が好きな“THE EARTH SONG”もその中に入っていた。破壊されていく地球環境を歌ったメッセージソングで、アメリカでは不評だったがイギリスでは6週連続でヒットチャートの1位を飾った曲だ。今までステージで演奏されたことがなかったので楽しみにしていたのだが、映像とセットを巧みに使った凄い演出だった。マイケルは大勢の素晴らしいスタッフに囲まれていたが、音楽についてもダンスについても演出の全てにイニシャティブを握っていたのはマイケル自身で、それはアレンジやギターソロにまで及んでいる。しかも、完全主義者でありながらスタッフに対していつも謙虚で優しく、高い人間性を持った人物だったということが分かる。そして、舞台用のメイクをしていない素顔の彼はとても美しかった。やっぱり彼は色々な意味で特別な人だったのだ。

 スクリーンの中のマイケルがあまりにも生き生きとしているので、まだこの世にいるような錯覚をしてしまうくらいだ。ロンドン公演がもし実現していたら、どんなに高い評価を受けたことだろう。もし、あのステージを観ることができるなら何でもしたいという気持ちになった。マイケルが逝ってからもう4ヶ月が過ぎた。不思議な喪失感からようやく立ち直ったところだったが、この映画を観てまた思い出してしまった。映画のエンディングに流れるのは今日発売された新曲の“THIS IS IT”だ。若い頃に録音されていた未発表の曲に兄弟がコーラスを付けたもので、優しい素敵な曲である。少しうるっとした。マイケルはもういないけど、この曲はきっとヒットするだろう。

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October 27, 2009

月のはなし

moon3 アポロ11号が月面着陸に成功したのは1969年のことである。人類が初めて月に降り立ったその時の映像を、世界中の人々が食い入るように見つめた。私もテレビの前に釘付けになってその様子を見ながら、地上から見る月の姿と全然違う月面の殺伐とした様子に驚きを感じたものだった。あれから40年。実際にはたった38万キロしか離れていない地球と月との距離は意外と近づいていない。無人探査船から送られる画像や観測データから色々な事実が分かってきてはいるが、それでも未だに謎は多い。月に水があったかどうかを調べたり、洞穴らしい影を見つけたというニュースに沸いたりと、まだまだ調査すべきことはたくさんあるらしい。

 NASAでは月に基地を作る計画が本格化して、便利な移動式の居住スペースや一瞬で身に着けることができる宇宙服などが紹介されている。技術の進歩は著しくて、この調子でいくと宇宙旅行も夢ではないような気がしてくる。月ならそんなに遠くないし、ジェットコースター好きの私だったら打ち上げの時のGにも耐えられるかもしれないなどと思ったりもするけど、他所の星というのは色々と勝手が違うのだということをテレビ番組で見た。小さな隕石が落ちただけでも、欠片が猛スピードで四方八方に飛び散り危険だということ、そういうことが頻繁に起こること、地震が起きればずっと揺れ続けること、日食が3時間も続くこと。無重力状態でピョンピョン飛び跳ねるのは楽しそうだけど、他にはあまり良いことはなさそうだ。すぐそこにある月でさえこれからなのだから、火星への移住計画なんていうのは映画『トータルリコール』の中だけの話だね。

 そんなことを思ったのは台風が過ぎ去った後の夜空があまりにもきれいだったからだ。余分な物が飛ばされてすっかりクリアになった空には見事な半月が輝いていた。その傍には大きく光る金星が寄り添っている。未知のものを探求したくなるのは人間の本能だけど、やっぱり天体というのは遠くから眺めるのが一番よい。それに、私のアタマが古いからなのかもしれないけど、他所の星に侵出するのは何かいけないことのような気がしてしまうのである。

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伊勢海老がやって来た

iseebi 突然、天から生きた伊勢エビが降ってきた。娘のボーイフレンドところにお父さんから送ってきたものなのだが、娘たちはどう調理してよいか分からなくて我が家へ回って来たのである。全部ウチで食べていいんだって。ラッキー!箱を開けたら、おが屑の中でエビは元気にもぞもぞ動いている。そっと出してみた。立派な伊勢エビが2匹入っている。1匹は何やらジージーと音まで立てているぞ。狭い箱の中に閉じ込められていたから怒っているのかしらん。私はエビ・カニの類に目がない。お正月でもないのに伊勢海老が食べられるなんて、うふふ…幸せ。明日の夕ご飯はゴージャスになりそうだ。さて、これをどうやって食べようかな。色々な伊勢エビ料理が頭に浮かぶ。

 頭は4分の1くらいに割って味噌汁にしよう。伊勢エビは良い出汁が出るから他の出汁は必要ない。代わりにタマネギを入れると甘さが引き立って美味しいのよね。身の部分はエビチリにするか、鬼殻焼きにするか、活きが良いからお刺身でもいいね。結婚披露宴などのコース料理でよく出るアレはわざわざ家で作る程美味しいと思わないし、他に何か良い食べ方がないかとレシピを調べたら、甲羅焼きというメチャクチャ美味しそうな料理を見つけた。それは、エビの味噌を卵黄・白味噌・みりん・酒と一緒に湯せんにかけて「玉味噌」というものを作り、それを2つに割った伊勢エビの切り口にまんべんなく塗ってオーブンで焼くという料理。オーブンを使う料理は普段は殆ど作らないんだけど、高級食材なんだからこれくらいは手をかけなくてはバチが当たるというものである。あくまでも和風に食べたい私としては、これが一番ピンと来た。よし、明日のメインディッシュは伊勢エビの甲羅焼きでございます。

 再び発砲スチロールの箱の中に閉じ込めた。入りきれずに箱から飛び出しているヒゲをいじりながら、伊勢エビのプリッとした感触を想像する。ああ、楽しみだなぁ。それにしても、このヒゲはどうやって入っていたのだろう。ヒゲはうんと長いし、曲がる方向が決まっていて、どうしても箱に収めることができなかったのだ。ま、そんなことはどうでもいいけど。そのはみ出したヒゲに向かって「明日までいい子にしていてね、ちゃんと美味しく食べてあげるから」と話しかける私は、結構残酷である。

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Posted by a_basic at 00:00Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!グルメ 

October 25, 2009

元気なのはユニクロだけ?

uniqlo 急に寒くなったから、着るものがなくて凍えてしまった。進化したヒートテックの話は色々な人から聞いているけど、私はまだ入手していない。これからの季節、寒がりの私にはハイネックが絶対に必要だ。というわけで、ユニクロへ向かった。週末だから混んでいるとは思ったけど、夕飯時だというのにスゴイ人で驚いた。駐車場に入るのも10台待ちという盛況ぶりである。店内の商品構成はすっかり冬物に変わって、カラフルなフリースが陳列棚いっぱいに並んでいる。真っ先にお目当てのヒートテックの売り場へ行った。今年のヒートテックはタンクトップ、丸襟、ハイネックなど数種類あって、色も豊富である。きれいな色をあれこれ手に取ったけど、結局黒を1枚選んだ。

 ヒートテックをカゴに入れて、ブラブラした。ハイネックのカットソーが週末だけの特価で690円だ。こちらもきれいな色が揃っている。カラシ色もいいし、ダル系のブルーもある。どれにしようかとあれこれ鏡の前で合わせてみたけど、結局それはやめて白黒のボーダーを1枚買うことにした。さらにブラブラする。お客さんが試着している特売のフリースに心引かれて、私もちょっと羽織ってみたけど、これはひと目でユニクロって分かるなぁ。やーめた。それにしても、1日中お客さんで混み合っていたせいか、どの陳列棚も雑然としている。きっと直すそばからまたかき回されてしまうのだろう。あ、フェイクレザーのジャケットが3990円だって。安いし、結構暖かそう。でも、これも羽織っただけで元に戻した。もう少し寒くなったらフリースを1枚買おうと思いながら、ヒートテックとボーダーのハイネックを持ってレジに並んだ。しかし、ユニクロは元気だなぁ。

 先週たまプラの駅前に東急の新しいショッピングモールがオープンした。チラッと見たけど、私のような年齢の人が興味を持つような店は殆どなくてがっかりした。オープンしたてだから人はそれなりにいたけど、多分物見遊山で集まった人が多いのだろう、買い物袋を持つ人はあまりいないように見えた。その点、ユニクロは買う気で来た人ばかりだから、店内もいっぱい、レジも混雑。やっぱりこのご時世、手頃な値段のものしか売れないのかもしれない。普段着だったらユニクロで十分だもんね。

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Posted by a_basic at 23:54Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!日々のこと 

October 24, 2009

日本語の原点

yamto 日本人は約2000年前、弥生時代中期に中国との外交の必要性から漢字を受け入れるまでは文字を持っていなかった。文字を必要としなかったのは、口から発せられる言葉の音自体が重要な意味を持っていたからである。つまり、書き表すことよりも言霊そのものの方を大切にしていたのである。今日、数秘学の研究者の岡野猛先生のお話を聞く会へ行った。岡野先生の会に参加するのは今日で3回目。先生は数秘学の他に色や絵画の研究家としても知られる方で、いつもチョット不思議な興味深い話をしてくださる。今日は私たちの名前の音が持つ宿命のような話で、それを歴史上の人物の名前を例に出しながら解説してくださった。

 数秘学の話は聞けば聞く程神秘的なのだけど、それを抜きにしても言霊というものは日本人にとって本当に身近であり大切なものだったのだと再認識する。今では当たり前のように使いこなしている漢字も、元々は日本語の意味にしっくりくるものを当てただけのものである。『万葉集』などを見ると、漢字が正に当て字だったと分かる使い方がされているが、『万葉集』を読むと実に奇妙な心地よさを感じるのは、その音の持つ不思議な響きのためである。巻第一の最初の「こもよ みこみち ふくしもよ みぶくしもち このをかに なつますこ…」という歌など、初めて聞いた時には何か呪術的な雰囲気を感じたし、藤原不比等などの名前の音にも何か特別なものを感じたものだ。その名前が数秘学に見ると特別な意味を持つものであるとを聞くと、卑弥呼を中心としたシャーマンの集団は言霊のもつ力を知っていたとしか思えないという話に繋がる。

 『古事記』の中には有名な「大和は国のまほろばたたなづく青垣山隠れる大和しうるはし」という倭建命の歌がある。この美しい文章が私は好きなのだが、この時代の日本語には多分何か不思議な力があったのだろう。それを口に出す、或いは耳にするだけで力のある言葉というものがたくさん存在していたのだろうと思う。そう思ったら、この時代の書物に俄然興味が沸いてきた。幸い資料はそろっている。書の題材を選ぶのは当分の間この時代にしてみよう。

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Posted by a_basic at 23:51Comments(4)TrackBack(0)この記事をクリップ!さる子薀蓄を語る 

October 23, 2009

秋の野は楽しい

kusabana4 秋の野原は枯れ草が目立つけど、足元を見ると意外と色々な花が咲いているものである。アカマンマ、レンゲ、セイタカアワダチソウ、白や黄色の小さなキクに似た花、それからネコジャラシやススキのような穂のある草もふわふわと風に揺れている。お散歩をしながらそういう花を摘むのは楽しい。1つ1つは目立たない小さな草花も、少しずつ摘んで集めると実に秋の風情いっぱいの花束になる。野の花は優しくて心が休まる。自然の色合いそのももの草花は、時に花屋さんで売られているゴージャスな花よりもずっとキレイだったりする。こういう花には素朴な焼きしめの器が合うなぁ。小さな器にちょっと入れて飾ったら、きっと素敵な雰囲気になるだろう。

karasuuri001 お散歩の途中で見つけると嬉しくなるのはカラスウリである。楚々とした草花とは違って、林の中でパッと赤く目立っている。このオレンジ色が秋の色そのものという感じがしてとても好きなのである。枯れた葉っぱごとずるずると引っ張って取って来た。これは壁に掛けたフランスの古い小さな扉に飾ろう。カラスウリの近くにはドングリもたくさん落ちている。これも拾って飾ることにしよう。何だか集めるべきものが色々あって楽しいなぁ。秋はこれだから好きなのだ。家に帰ると早速飾った。野の草花は水上げが悪そうに見えるけど、案外簡単に上がる。こうして見ると結構ゴージャスだ。カラスウリも予定通りの場所にピタッと収まった。よし、秋の野のしつらえの出来上がり。

 秋は彩りの季節である。赤や黄色に色づき始めた街路樹。そこに生る赤い木の実。でも、何と言っても一番際立っているのは夕焼けの美しさだ。毎日違う空を眺めるのはこの季節のお楽しみ。薄いピンク色から徐々にオレンジ色に熟れていく夕日を見ていると、今日1日のご褒美をもらったような気持ちになる。そして長い夜。虫の声もすっかり聞こえなくなった静かな長い夜である。さて、こういう落ち着いた夜にはゆっくりと読書でもすることにいたしましょう。

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Posted by a_basic at 20:24Comments(3)TrackBack(0)この記事をクリップ!花・ガーデニング