February 20, 2012

アレックスの傍らで



 アレックスは逝ってしまった。驚異的な生命力で今日まで頑張ったけど、とうとういなくなってしまった。この1週間、確実に死に向かってはいたが、息使いも穏やかでまるで昼寝をしているように横たわっていた。時々目を覚ましては擦れた小さな声で「ヒャン」と鳴く。少し体を動かしてあげて口を拭いてあげるとまた静かに寝てしまう。どうして生きているのか不思議なくらいだが、アレックスはどんどん小さくなりながらまだ頑張っていた。昨日の昼間、私はその傍らで書を書いていた。お手本を取り出して、一枚ずつ書いていく。こんな時によく書けるものだと自分でも思ったが、書いた字も落ち着いている。伯母はいつも私が書いたものを見て、「あなた、今体調がいいでしょ」とか、「何だか気持ちがざわざわしているみたいね」などと心理分析をするが、これを見せたらどういうコメントをするのだろう。

 一昨日の朝、娘と喧嘩した。私が仕事に行くと言ったら、こんな時に出かけるなんて冷たいというのである。でも、私はたった2週間しかない仕事を既に1日半休んでいる。普通の仕事なら休んだかもしれないが、私は季節労働者みたいなものだ。入稿前の2週間だけの助っ人なのである。理由があってその期間に来てほしいと言われているのだから、そうそう休むわけにはいかない。私だって出来ることなら休みたい。休んでずっとアレックスの側にいたいのだ。「できるだけ早く帰るから」と言って出掛けたが、午後の取材を終えると会社の人が私を気遣って、「今日はもう帰っていいですよ」と言ってくれた。私が「犬のことで度々すみません」と言うと、「犬も家族ですから」と温かい言葉をかけてくれた。

 今日のお昼頃、アレックスはいよいよ最期の時を迎えていた。もう殆ど反応することがなくなって、ただ口呼吸をしている。娘はそのアレックスを置いて約束していた友だちの家へ行ってしまった。「何時頃帰るの?」と聞くと、「6時頃かな」と言った。その1時間後にアレックスは息を引き取った。私はアレックスの顔をきれいに拭いてやり、体をきれいにしてやり、動物霊苑に火葬の申し込みの電話をした。娘に「アレックスが死んじゃった」と電話すると、「そうか、よく頑張ったね」と言ったが、すぐに帰れる状況じゃないから火葬には立ち会えないと言われた。私はアレックスを1人で抱っこして車に乗せ、動物霊苑に向かった。箱の中に納められたアレックスはまだ生きているようにきれいな顔をしていた。その周りをランやガーベラやカサブランカなど色とりどりの花で飾った。

 私はたった1人でアレックスのお骨上げをした。老犬だったのに骨はしっかりしていて、尻尾の骨が可愛かった。私は全ての骨を手で拾って骨壷の中に入れた。ああ、アレックスはとうとうこんなに可愛い骨になってしまったんだね。アレックスは私が側にいて看取ることができ、これ以上仕事を休まずに済むギリギリのタイミングで逝った。何もかもちゃんと分かっていたみたいだ。最期まで本当にいい子だったね。15歳と2カ月と2日。アレックスはいつでも私のことを愛してくれて、いつでも私のことを待っていてくれた。寂しくなるなぁ。でも、また来世に会えるよね。  
Posted by a_basic at 13:45Comments(2)TrackBack(0)clip!愛犬のはなし 

February 18, 2012

アレックスは頑張っている

 

 アレックスは私の傍らで静かな寝息を立てている。まだ頑張っているのだ。口の中を湿らせてやる程度でもう4日飲まず食わずなのに、まだ静かに生きている。なんていい子なんだろう。時々擦れた声で「ママ!」と呼ぶ。明らかに私を呼んでいるのが分かる。アレックスはマザコン犬だ。私がいなくては生きていけない。昨日は次女がアレックスに会いに来た。弱りきった姿を見てさめざめと泣いていたが、そのうち「アレックスってやっぱり男だよね」という。「何で?」と聞くと、「だって1人じゃ死ねないんだもん。男っていうのは家族に囲まれて手を握られたり声を掛けられたりしないと死ねないんだって。女は1人でも死ねるけど」。確かに。

 そのアレックスと夕べは久しぶりにベッドで一緒に寝た。はじめはベッドの下に布団を敷いて寝かせていたのだが、あまり度々「ママ!」と呼ぶので、私の布団の中に入れてやったのだ。ずっと体に触れていたら安心したのか落ち着いて寝ている。やはりマザコンである。今日は午前中だけ休みをもらった。アレックスは小康状態だし、午後どうしても外せない取材があった。それで、アレックスの世話を娘に任せて仕事に行った。本当はずっと側についていたい。でも、いい子だからきっと待っていてくれるだろう。

 私がいない間アレックスがどうしていたかといえば、1時間に1度くらい目を覚ましては「ママ!」と呼んでいたらしい。その度に娘はアレックスを宥め、口を湿らせてあげる。私は予定が入っていたホテルの取材を終えて事務所に戻り、早速原稿を書き始めるが、もう丸2日殆ど寝ていないから半分朦朧としている。一瞬でも目を瞑ったらそのまま深い眠りの底へ落ちてしまいそうだ。6時になって事務所を出ると、娘から電話が入った。一瞬どきっとしたが、彼女は「今どこ?アレックスがママを呼んでるから早く帰ってきて」。ああ、まだ生きていた。よかった。

 甲州街道の信号を走って渡った。速足で駅へ向かうと、ちょうど来た山の手線に飛び乗った。渋谷でも小走りで乗り換えた。早く、早く。気持ちが逸る。ようやくたまプラーザに着くと、バス停までまた走った。バスはまだ来ていなかった。苛立ちながらバスを待ち、空いている座席に座った。その途端睡魔が襲ってきたが、何とか堪えて最寄のバス停で下りた。また走って家に辿り着いた。玄関のドアを開けて「ただいま!」とリビングへ急いだ。アレックスは覚醒していた。「ただいま。よく待っていてくれたね」と顔を覗き込むと、見えているのかいないのか分からない白い瞳で私を見つめた。まだ何とか持ちそうだ。

  
Posted by a_basic at 09:59Comments(0)TrackBack(0)clip!愛犬のはなし 

February 16, 2012

死にゆくアレックス



 アレックスが旅立とうとしている。月曜日の朝はいつものように食欲があって、私の後を「ご飯、ご飯」と着いて歩いてガツガツ食べたのに、夜仕事から帰ったら倒れていた。もうダメかと思ったけど、その後奇跡的に復活して少しだけご飯も食べた。でも今日は朝から何も食べないし水も受け付けない。とうとう最期の時を迎えてようとしている。ただ横になって、呼びかけると少し足を動かすだけ。アレックスはとても細くなった。毛皮の上から肋骨が見えるし、足腰はもう殆ど骨格見本のようだ。顔の骨格まで分かるようになった。ずっと変わらない量のご飯を食べていたのに体がどんどん細くなるのは、栄養を殆ど吸収できなくなったからなのだろう。

 アレックスがウチに来たのはちょうど15年前、この家を買って2カ月経った頃だった。私は子供の頃からいつでも犬がいる生活をしていたから、自分の家を持ったら絶対に大型犬を飼おうと決めていた。アレックスとは近くの小さなペットショップで出会ったのだが、まだお腹がピンク色の小さな子犬のくせに何だかオヤジ臭い顔をしていたのが可笑しかった。店主に「抱っこしてみる?」と言われて抱いたのが運の尽き、そのまま家に連れて帰った。以来15年、アレックスはいつでも私の傍らにいた。どんな時でも私を待っていてくれたし、少し前まではいつも一緒に寝ていた。冬場は布団の中に潜り込んで来るので、私は窮屈でいつも腰痛に悩まされた。でも、階段を上れなくなってからは1人でリビングに寝るようになった。

 アレックスは大きな病気をしたことがない。病院にかかったのはお腹を壊した数回だけ。心配をかけないとてもいい子だった。イケメンの上にスタイルも良くて、黒々とした毛艶の良さが自慢だった。あまり艶が良いので人に褒められるが、実はそんなに頻繁にシャンプーしているわけではなかった。若い頃は近所の遊水地へ毎日遊びに連れて行った。仕事の途中に抜け出して、アレックスのお楽しみの時間を一緒に楽しんだ。アマちゃんという不細工なメス犬が好きでいつもお尻を追いかけ回していたっけ。秋には落葉の上をカサカサ歩くのが好きだった。最近は裏山へ1人でお散歩に行くのだが、時々友だちに会うと嬉しそうにしていた。この子がいて私はどれだけ慰められたことだろう。

 歳を取っても白髪が殆どなくて、いつまでも若々しかった。今でも顔も体も殆ど黒い。体重は28キロあったから、病気になって歩けなくなったら私1人では抱えられないだろうと心配した。でも今、体重はうんと減って私1人でも抱っこできそうだ。いつかこういう日が来ることは分かっていた。アレックスがいなくなったらきっと生きていけないだろうと思っていた。でも私は今とても静かな気持ちだ。アレックスは天寿を全うするのだ。もうご飯もお水も必要ない。もう生きないから要らないと言っている。そうか、逝ってしまうんだね。いいよ、ずっといい子だったもんね。いつでも逝っていいよ。

 

  
Posted by a_basic at 10:15Comments(0)TrackBack(0)clip!愛犬のはなし 

March 22, 2011

変わりつつある世界

bouquet 子どもの頃からいつも不思議に思っていたのは、高度に栄えた古代文明が何故突然滅びたかということであった。特にアトランティス大陸のように一夜にして消えてしまったというのがどういうことなのか、今ひとつ理解できなかった。でも、今回の地震と津波を見て、「こういうことだったのか」と大いに納得した。アトランティスについては哲学者プラトンも著書の中で記述しているが、大陸と呼べるほどの大きさを持つ島とそこに繁栄した王国をさす。アトランティスは強大な軍事力を背景に世界の覇権を握ろうとしたが、ゼウスの怒りに触れて海中に沈められたとされる。1つの文明が滅びるとしたら天変地異しかないのだ。石原都知事はそれを天誅と言ったが、そんなものではない。

 それは単に地球の新陳代謝の話。地球が活動期に入っているだけのことである。そして人間もその一部として新陳代謝しているだけのことなのだ。どんなものでも、行き着くところまで行くとパチンと弾けて元に戻る。お肌だって28日でターンオーバーするのだ。人間は愚かだ。日本でこんな大災害が起きている最中に、米英仏はリビアを空爆した。見た目は変わらず価値観がすっかり変わるようなことがあるとしたら、それは戦争しかないのかと思っていた。隣の国のおかしな人が核爆弾のスイッチを押してしまうのかもしれないと思っていたけど、やっぱり天変地異だったんだとある意味ホッとした。人間は自然の力には適わないのだ。例え核兵器で地上の生物が死に絶えても、地球はまた何万年もかけて地上を再生し、そこに新たな生物が生まれる。そんな風にして地上の生物は何度も現れては消えることを繰り返してきたのだ。地球の46億年の歴史からみたら、人間の歴史なんてくしゃみ程度のものでしかない。

 今思えば、2年前の6月から何かが変わり始めた。私がつい最近までずっとハイな状態でいたのは、地球内部の動きにシンクロしていたからだったと今は分かる。見た目は変わらないけど、もう私たちは違う世界の中にいる。でもそれは決して悲観するようなものではなく、むしろより良い世界であると思う。ブログを始めたのは2005年の夏。今日で1856回目の更新である。よく書いたと思う。私はこれからも面白おかしく暮らしていくだろうけど、もう書くことは何もなくなってしまった。それに多分忙しくなる。だから、これでおしまい。 いつも読んでくださったみなさま、ありがとうございました。

ポチっとお願いします。人気ブログランキングへ♪

  

March 20, 2011

必要なのは主婦目線よ

20110320155629

 「被災地のこどもを救う会」には連日温かい支援物資が届く。紙オムツ・おしり拭き・粉ミルクもあるけど、殆どが衣類である。支援物資の受け入れ先が決まったので、今日は午前中から衣類の仕分けだ。ボランティアの人が15人程集まったが、サイトを見て「お手伝いさせてください」と名乗り出てくれた人も多い。仕分けのために荷物を広げると、どれもきれいで可愛いデザインのものばかり。きっと自分の家の次の子どものために取っておいたものを供出してくれたのだ。そして現役のお母さんたちだから何かと気が利いている。バザーをしたら、きっとすぐに売れてしまうだろう。現地でもきっと喜んでもらえるに違いない。皆服を手にとってはいちいち「カワイイ」と言いながら、
男女別・サイズ別に分けて箱に入れていく。

 ところが、公の発表では支援物資は新品でなければならないという。そんなことを言う国は日本だけだと思う。ここに来るタオルは新品ばかりだけど、本当はタオルだって自分の家で使うときに洗わない人はいない。新しいものは糊が付いているみたいにゴワゴワしているし吸水性が悪い。ベビー服などは特に何度も洗って柔らかくなったものの方が肌への刺激が少なくてよいのだ。そんなことは主婦なら誰だって知っている。古着といっても本当に程度の良いものだけを提供してもらっているのだ。なぜ新品に拘るのか。それは行政を取り仕切っているのが男性だからである。生活感覚のない人たちが考えたってダメなんだよね。私たちの会ではある人の伝で現地の県会議員ともコンタクトを取り、程度の良い古着ならということで受け付けてもらう段取りをつけた。こういうとき必要なのは主婦感覚なのだと思う。

 そこで思った。被災地に女性が中心となってネットワークができればいいなって。今はまだ余裕がないだろうけど、少し落ち着いたら地域毎に必要なものを取りまとめてもらう。お互いのキャッチボールを基に必要なものを支援できたら、行政を通さずに何かができるのにねえ。道路とか家とかの心配は男性に任せて、こういうことは女性が担当した方が絶対にうまくいく。だって、若いお母さんたちの反応の速さったら本当に見事なんだもん。支援の輪も若いママから広がっているみたい。そんなことを皆で話しながら仕分け作業をした。ダンボール35箱分の荷物ができた。まだ物資はあるけど、もう箱がないので第一便はここまで。

こちらも見てね!「被災地のこどもを救う会」

ポチっとお願いします。人気ブログランキングへ♪ 人気ブログランキング

  
Posted by a_basic at 23:57Comments(0)TrackBack(0)clip!さる子薀蓄を語る 

March 19, 2011

満月の夜に兎が跳ねる

cr01 暖かい1日だった。この週末がどんなに待ち遠しかったことか。何しろ仕事をしていると平日に買い物ができない。計画停電で店の営業時間が大幅に短くなっているからである。先週末に買った生鮮品があるから食べるのには困らないけど、我が家のトイレットペーパーは残り少ない。石油ファンヒーターに使う灯油もそろそろ底を突く。アレックスのドッグフードも買わなくちゃいけないし。水や非常食まで買い込む気はないけど、当面使うものがないと困っちゃうもんね。それで近所のドラッグストアへ行った。思いのほか人が少なかったので、もしやと思い売り場へ行ったけど、トイレットペーパーの棚は空っぽ。やっぱりダメか。お店の人に聞いたらいつ入荷するか分からないという。

 この店は食料品も置いてある。どんな商品が売り場にあるのか調査するために、節電でいつもより暗くなった店を一周した。意外なことに、スーパーにはなかったお米がたくさん積んである。でもウチにはまだお米があるから素通り。乳製品などが置いてある場所へ行くと、こちらは殆ど何もない状態。照明の暗さといい、まるで昔テレビで見た旧ソ連のスーパーみたいだ。皆一体何を買い占めたのだろう。牛乳は入れ物のパックが作れないから品薄になっていると聞いた。私は普段牛乳を飲まないから影響はない。そうそう、洗剤がなくなりかけていたから買っておこう。この類はたくさんある。やっぱ消えたのは食料か。ドッグフードは普通にあったのでホッとした。何しろ老犬だから、ちょっとしたことでお腹を壊すのだ。こんなときに病気になったら大変。ガソリンもないのに28キロもある犬を担いで病院へは行けない。

 次は灯油だ。ガソリンであんなに並んでいるのだから灯油もダメかなと思ったけど、こちらは人気がない様子で案外あっさり買えた。しかし、スタンドの人たちはガソリンを入れる長蛇の列の対応に追われているから、ポリタンクに給油するのが精一杯。スタンドの中にはクルマを止めさせてくれる場所はなく、私のクルマは50メートルほど離れた場所に止めてある。私は20リットル入りのポリタンク2個を「ヨイショ」と持ち上げて、クルマまで自力で運んだ。およそ40キロの灯油を一気に運んだのである。凄い力持ち。日頃から力には自信があったけど、これならサバイバルできるね。夜になって空を見上げると真ん丸い月が浮かんでいた。明日は満月か。人間の営みとは関係なく春はやって来て、花々が咲き始めたことが何だか悲しい。

こちらも見てね!「被災地のこどもを救う会」

人気ブログランキング ポチっとお願いします。人気ブログランキングへ♪

  
Posted by a_basic at 23:51Comments(0)TrackBack(0)clip!

March 18, 2011

停電も案外悪くないね

hug01 都心がガラガラなのは当番停電の影響である。朝の通勤電車は気が抜けるほど空いているし、昼休みの飲食店もガラガラ。電通も博報堂も自宅待機らしいけど、この状況では仕事にならないからね。私が書いているフリーペーパーもホテルの出稿が取り消しになって、社長はその対応に追われている。どうやら編集記事に差替えられるようだ。今日も私のところには2本しか原稿が来ていない。この調子なら来なくても大丈夫だったかも。仕事がなくて皆暇だから、ネットで色々な情報を見ている。私もつい関東地方に関係ある地震の情報を調べたくなるけど、やっぱりやめたと思い直した。不安になるような情報をわざわざ探す必要はない。

 昼休みに「HAITI」に入った。いつもは狭い2人掛けのテーブルにお客さんがギュウギュウ詰めなのに、今日はすべて4人掛けにセットされていて、「お好きな席へどうぞ」と言われる。お客さんは4組ほどいるだけだ。椅子に座って気づいたけど、暖房が消えている。トイレの電気も消してあって、入るときに点けるようになっていた。おまけにトイレの中の電球のワット数が下げてあるし、いつもは便座が温かかったウォシュレットのスイッチもオフに。家ではトイレから出たら電気を消すのは当たり前のことなのに、外では常に点いているものだという感覚になっていた。こうなって初めて気づいたけど、お店のトイレの電気は消しておくべきである。「HAITI」の節電は当たり前だけどエライ。駅もいつもより暗かったけど別段問題はなく、今まで必要以上に電気を浪費していたと反省してしまう。私はこうなる前から家の中では最小限のエネルギーしか使わないように気を付けてきたけど、駅やお店のことまではあまり気にしていなかったからね。

 仕事帰りに用事があって陶遊さんに寄った。ちょうど計画停電の最中で、あざみ野一帯は真っ暗だ。でも、その真っ暗闇の中で見ると夜空がとても明るいことに驚く。へえ、月明かりってこんなに明るいんだ。昔の人はこんな風に月明かりを頼りに夜道を歩いていたんだね。陶遊さんの家ももちろん真っ暗で、テーブルの上にろうそくの灯りが点いていた。ほわっと明るいろうそくはとても温かい。その明るさは何かをするのにそれ程不自由なものでもない。今頃この一帯の家はどこも家族が1つの部屋に集まってろうそくの前で団欒していることだろう。お父さんも今日は帰りが早いはず。テレビもないしパソコンもない中で、きっと家族は一緒に食事をし、おしゃべりしている。ずっと失われていた日本の風景が戻っている。そう思うと、案外停電も悪くないと思う。

こちらも見てね!「被災地のこどもを救う会」

ポチッとお願いします。人気ブログランキングへ♪

  
Posted by a_basic at 21:46Comments(0)TrackBack(0)clip!さる子薀蓄を語る 

March 17, 2011

「ガンバレ、ニッポン」だよね

20110315155804

 日本全国で被災地の人たちを助けようという動きが活溌になっている。世界中からもエールが届く。戦後最悪の国難に日本人は誰でも何かしなくてはという思いを抱く。そういうとき、どこからか「ガンバレ、ニッポン」という声が聞こえると「そうだ、頑張らなくちゃ!」という気持ちになる。不思議な力が沸いて来るんだな。スポーツの国際試合では昔から「頑張れ、日本」と応援していたけど、カタカナで書く「ガンバレ、ニッポン」は、確かサッカーのワールドカップで皆が熱狂して応援したのが最初だった。老いも若きも夢中で応援したあの時から、「ガンバレ、ニッポン」は日本人の士気を鼓舞する最強のコトバになった。そう言われると自動的にスイッチが入ってしまうもんね。

  陶遊さん母娘を発起人に13日に立ち上げた「被災地のこどもを救う会」で、私はサイトの管理を担当している。日中は仕事があってお手伝いできないので、夜各地区からメールで届けられた街頭募金の活動報告やお知らせなどをブログに更新する。私のPCは古いから何もかも遅く、苛立ちながらの更新である。そのうち壊れそうで怖いなぁ。募金の目標額は2週間で100万円だったけど、活動開始から3日目の昨日は1日で80万円以上の義援金が集まり目標額を軽く超えた。皆、何かしたいと思っているのだ。毎日街頭に立って募金活動をしてくれているボランティアの人たちには頭が下がる。陶遊さんの娘さんも、昨日、一昨日と仕事が終わった後に街頭で募金活動をしてくれた。私も家の中で作業をするだけでは申し訳ない気持ちになって、今日は仕事帰りに市ケ尾駅に立つことにした。

  被災地から「オムツやおしり拭きがない」「ミルクが足りない」という声が聞こえてくると、一刻も早く届けたいという気持ちになる。事務局になっている陶遊さんにも問合せの電話やメールがたくさん入るそうだ。現地の受け入れ体制はまだ整っていないけど、とりあえず子供服や紙オムツなどすぐに必要と思われるものを集めて仕分けをしておくことになった。ボランティアもどんどん増えている。凄いなぁ。1人1人の小さな力を合わせるとこんなことができるのだと毎日感激してしまう。日本人はまだまだ捨てたものじゃない。日本人のモラルの高さと取り乱さない態度を世界中が賞賛するけど、私たちにとってはごく当たり前のこと。「ふん、どんなもんだい!」と思わず胸を張ったりして。被災地の人たちはもちろん、それを支えようとする人たちも「ガンバレ、ニッポン」である。

こちらも見てね!「被災地のこどもを救う会」 

ポチっとお願いします。人気ブログランキングへ♪

  
Posted by a_basic at 23:54Comments(2)TrackBack(0)clip!

March 16, 2011

シャキッとしなくちゃ!

buildings01 今起こっていることがあまりにも現実離れしているために、ときどき夢の中にいるような感覚になる。計画停電で信号機が止まった街をクルマで走るとき、スーパーの陳列棚が空っぽになっているのを見るとき、ガソリンスタンドにできた長蛇の列を見るとき、「こんなの本当じゃない」と思ってしまう。つい何日か前までは日本中のどこにも今と全然違う普通の生活があったのだ。皆不安に駆られているから焦って日用品や非常食料や水や色々なものを買占めに走るけど、その一方で仕事を持っている人たちは生活があるから電車に乗って普段通り職場へ行く。電車も殆ど支障なく動くようになった。仕事をしていると時々揺れるけど、余震にもすっかり慣れて多少の揺れには動揺しない。

 仕事を終えて新宿から山手線に乗ると、ついこの間華々しくデビューしたばかりの東北新幹線「はやぶさ」の中吊りが目に入った。「MADE IN DREAM.」というキャッチフレーズが空しい。はやぶさに一番乗りした人たちが嬉しそうにしていた様子を思い出して、「こんなの本当じゃない」とまた思う。7時にたまプラーザ駅に着く。去年完成したばかりの駅ビルも向かいの東急も閉館していて、まるで夜10時のような雰囲気である。でも、考えてみたら私が子供の頃はデパートの閉店時間は6時だった。24時間営業のコンビニもなかったけど、何の不自由もなかったのだ。駅のエスカレーターも止まっているけど、あれくらいの階段ははじめから上ればよかった。閉店後のデパートのショーウィンドーだって、あんなに煌々と点けていないで消すべきだった。近い将来これまでの価値観がガラッと変わるようなことが起こると知っていたけど、こんな形で現れるとは思わなかった。買い占めに走ることもなく、ガソリンを入れることもしないで、私はちょっと放心している。

 本当はこんな気持ちで多摩川を越えて通勤なんてしたくないのだ。また電車が止まったらと思うと気が気ではない。きっと皆同じ思いで通勤しているのだと思う。会社によっては自宅で作業をさせるところも多い。今は出勤しなくてもPCさえあれば仕事ができるのだからね。ホテルの広告も差し替えられた。今作っているのは4月6日号だから、お花見やゴールデンウィークに向けた広告を書いていたけど、こんなことになって楽し気なものは控えられた。「こんなの本当じゃない」と思いながら街に出ると、新宿駅前で数人の若者が声を枯らして募金を訴えていた。そうだ、ぼーっとしている場合ではない。私ももっとシャキッとしなくては。

こちらも見てね!「被災地のこどもを救う会」

ポチっとお願いします。人気ブログランキングへ♪

  
Posted by a_basic at 22:02Comments(0)TrackBack(0)clip!

March 15, 2011

何度でも立ち直ってみせるよ

fuji 月曜日の朝は輪番停電の影響で鉄道のダイヤが大幅に乱れていた。田園都市線も途中のろのろ運転になったり、駅で止まったきり何分も停車したり、渋谷まで通常25分のところが1時間以上かかった。当然車内は肋骨が折れるかと思う程のすし詰め状態である。こんなに混んだ電車に乗ったのは20代の頃の西武線以来。普段はこれ程混まないから、ホームで電車を待つ乗客は諦めが早い。西武線の時などは、駅に着いてドアが開いた途端に詰め込まれていた乗客が膨らんで押し出される。そこに更にその駅から人が乗って来るのだから「人間って柔らかい!」と驚いたものだけど、久々にそれに近いものを味わった。

 それにしても、日本人は何かあったときに統率が取れているなぁと感心する。地震のあった日、駅に溢れた帰宅難民は誰も文句を言わずおとなしく駅で待機していた。あるいは諦めて会社へ戻った人も多かったと思う。私もその1人だ。コンビニに買い物に行っても、既にガラガラになっている陳列棚を見て慌てて買い占めようとする人はいないし、整然とレジに並んでいる。日曜日のドラッグストアもそうだった。半分パニックになっているから水や食糧の買い出しに来ているんだけど、広い店内をぐるっと一周するほど並んだレジ待ちの列に苛立つ様子もなく並んでいる。ヘタをすればレジに1時間近くかかりそうなのにである。これが外国なら略奪が横行してもおかしくない状況。日本人はパニックになっても整然と静かである。今度の災害を見て思うのは、この島国に暮らす以上地震、台風、津波といった災害を覚悟しなくてはいけないのだということ。日本人は何千年も前からこんな風に絶望的な災害に遭ってはまた1からやり直す歴史を繰り返してきたのだ。だから、良い意味で諦めることを知っている。

  海外では日本に在住する自国民に対して、希望があればすぐに出国できる準備があることをいち早く通達している。地震に加えて原発事故まで起こったのだから、外国人は逃げ出したくなって当然である。知人の外国人もどうしようか迷っていた。でも、私たちはこの地震だらけの島国にこれからもずっと暮らしていかなければならない。東京直下型地震や東南海地震が来ることが分かっていても逃げ出すことはできない。どんな苦難も乗り越えて、また1からやり直さなくてはならないのだ。何度壊されてもまた積み直す積み木のようなものだ。でも、何度だってやり直してみせるさ。日本人の遺伝子には何もなくなったところから復興するパワーが刷り込まれているからね。

こちらも見てね!「被災地のこどもを救う会」

ポチッとお願いします。人気ブログランキングへ♪

  
Posted by a_basic at 20:17Comments(2)TrackBack(0)clip!さる子薀蓄を語る 

March 14, 2011

被災地の子供を救う会

  実態が明らかになるにつれ、今回の巨大地震が想像を遥かに超える未曾有の災害だったことを知り呆然としてしまう。ライフラインが寸断され、家族の安否もわからないまま寒くて暗い夜を過ごす被災地の方たちはどんなに不安だろう。特に小さな子どもや赤ちゃんを連れた人を見ると、何か少しでも手助けをしたいという気持ちになる。そんな思いでニュースを見ていると、陶遊さんから電話がかかってきた。「被災地の人たちに何かできることはないかと藤崎さんに相談したら、それなら今すぐ支援を始めましょうということになったの。藤崎さんも来てるんだけど、ちょっと来られない?」。藤崎さんというのは、みんなの党の若手で以前から陶遊さんと親交がある。「行きます」と返事をしてクルマに飛び乗った。

  陶遊さんと娘さん、その友人、そして藤崎さんが待っていた。藤崎さんはあらかじめ物流のことや募金先の日本赤十字社のことを調べてくれていた。さすがにフットワークが軽い。発起人が陶遊さん母娘だから、目線は女性・母親のものになる。それで、特に子どもたちに必要なものを今すぐ届けようということになった。物品では赤ちゃんのオムツや哺乳瓶、子供服、毛布、タオル、衛生用品、マフラーやコート、靴下、下着、カイロ等。子どもと直接関係ないけど、阪神淡路大震災のときにはポリ袋やラップ、生理用品などが役立ったということも聞いている。そういう物資と同時に街頭で募金を集め、日本赤十字社を通して被災地に寄付する。街頭で配るチラシの作成は陶遊の娘さんが担当し、私はサイトを作ることになった。期間は3月14日(月)〜27日(日)の2週間。チラシの原稿をもらったら、今日中にサイトを完成させなければならない。

 夜遅く、メールで原稿が届き、それを基に早速サイトを作った。14日(月)朝からは田園都市線沿線の駅前で藤崎さんのお仲間がビラ配りと募金をしてくれる。目標額は100万円だ。未曾有の災害に、私たちはこれが決して他人事ではないのだと実感させられた。1人ひとりにできることは小さいけど、皆で力を合わせれば大きな力になる。着の身着のままで非難生活を贈っている被災者に、今すぐ必要だと思うものを届けましょう。ぜひご協力をお願いします。詳細はサイトで。

 

「被災地のこどもを救う会」

ご協力いただいた物資と募金は日本赤十字を通じて被災地に寄付されます。

後援:江田けんじ(衆議院議員)、加藤敬二(劇団四季)、紺野美沙子(女優)<五十音純>

 

ポチッとお願いします。人気ブログランキングへ♪

 

  
Posted by a_basic at 14:06Comments(2)TrackBack(0)clip!日々のこと 

March 11, 2011

地震!やっぱりね

 変な1日だった昨日、あのチグハグな感じはただ事ではないと実は思っていたのだ。何かがずれている感じがして気持ち悪くてたまらなかった。そうしたら地震が来た。社長が早めに帰るように言ってくれたが、交通機関が止まってしまったので身動きが取れず、今は新宿で足止めを食っている。多分深夜まで復旧はしないだろう。ここにいればネットで情報を得ることはできるけど、電話もメールもなかなか通じないことに苛立ちを感じる。4時半頃に一旦駅に向かったものの、新宿駅は帰宅難民で溢れかえっている。エアポートリムジンで羽田まで行って、たまプラ行きのリムジンで帰ろうと思ったけど、高速は閉鎖されリムジンも止まっていた。アレックスはどうしているかな。怖がっていないかな。物が落ちて来て怪我をしていないかな…。

  それにしても凄い揺れだった。地震で物が落ちるのを初めて見た。震度5であの揺れなのだから、震度7がどれだけすごいか。この地震はマグニチュード8.8、国内最大規模だという。その規模も怖いけど、この一連の地震のうち2回目に来た大きな揺れの震源が茨城県沖だったことも気になる。なんか近づいて来た感じがするな。こうしてPCに向かっていると、5分おきに揺れているのがわかる。この調子じゃ線路の点検もはかどらないだろう。どうやら今日中の鉄道の復旧は絶望的。日頃から「大地震が来たら多摩川を渡れないね」と言っていたのが本当になってしまった。都内に勤めていて保育園に子供を預けているお母さんは気が気じゃないだろうね、電話も通じないし。

  何だか急に家に帰りたくなった。早く帰らないといけないような。携帯の電源も切れてしまった。充電器を携帯する習慣を付けた方がよいかもしれない。長い夜になりそうだな。

ポチッとお願いします。人気ブログランキングへ♪

  
Posted by a_basic at 20:33Comments(2)TrackBack(0)clip!日々のこと 

March 10, 2011

チグハグな1日

coffee こんな日もあるのだと思った。今日はホテルの取材が入っていて、アポの時間は2時だった。一緒に行く社長との待ち合わせを確認するために朝イチで社員のライターさんにメールすると、「あれ、今日からいつも通り10時に来ていただけると思っていました」との返事。私はてっきり取材だけだと思い込んでいたのだ。先週電話で話したのに、意思の疎通ができていなかったらしい。原稿があればこれから出社しますと言ったが、取材の後に事務所に来てくれればよいという。取材は結局現地に直行ということになった。この予定は1週間も前から聞いていて、手帳にはちゃんとそのホテルの名前と時間が書いてあった。それなのに、それなのに、私はなんと違うホテルへ行ってしまったのだ。

 どこでホテルが入れ違ってしまったのか、自分がこんなことをするなんて信じられない。社長からの電話で場所が違う事に気づいて「すみません!」。今更間に合わないから会社で待つように言われてトボトボと事務所に向かった。事務所の扉を開けると、取材に行っているはずの私がひょっこり現れたので皆ビックリ。事情を話すと営業部長が慰めてくれた。「今日は朝から社長の予定が二転三転して定まらなくてね。なんだかチグハグな日なんですよ」。でも、出社の時間も取材の場所も間違えるなんて、一番チグハグなのは私だ。PCを立ち上げてメールチェックをしながら、何て情けないんだろうと落ち込んだ。いくらなんでも場所を間違えるなんて。ライターさんとは何度もメールのやり取りをしていて、その都度ホテルの名前は書いてあったのに、思い込みって怖い。

 メールチェックを終えたところで携帯にメールが届いた。わかやぎさんからだった。「すみません、急用で帰れないので休みます」。ん? 墨絵のお稽古のことかしら。わかやぎさんは私のお弟子さんである。どうやら今日がお稽古日だと勘違いしているらしい。「今日じゃないですよ。25日の午後ですよ」と返事を打ちながら、わかやぎさんまでこんな風に勘違いするなんて、今日は何だか変な日だと思った。そもそも社長も朝からチグハグだったという。それから私、そしてわかやぎさん。時空がずれているのかしら、なんて思ったりして。地震もやたらと起こるしね。時空は関係ないかもしれないけど、何だか狐につままれたような変な日だった。

ポチッとお願いします。人気ブログランキングへ♪

  
Posted by a_basic at 22:58Comments(0)TrackBack(0)clip!日々のこと 

March 09, 2011

泣きたくなっちゃう歌

 ユーミンの曲には季節の情景がありありと浮かぶものが多い。夏だったらサーフィン、冬だったらスキーというようにズバリ季節の風物詩がテーマになっているものもあるし、歌詞の中に季節を感じることができるものまで色々である。私はデビューアルバム「ひこうき雲」が一番好きなのだが、これは春に聞きたいアルバム。ユーミンが歌詞と曲のどちらから先に作るのか知らないが、どの曲も歌詞とメロディーが見事に響きあっているからすごい。すごく単純な言葉でも彼女のメロディーに乗った途端に情感たっぷりの切ない歌になってしまう。天才の天才たる所以だと思う。日本のミュージシャンで日本語を操る天才だと思うのはユーミンと桑田佳祐の2人だな。桑田クンも復活して本当に良かった。

 音楽と記憶は強く結びつくから、何かの曲を聴くとある情景や誰かの顔が思い浮かぶということがある。でも、そういうのとは関係なく、いつ聴いても切なくて泣きたくなってしまうような曲というのもある。私にとってはアルバム「ひこうき雲」の中の「雨の街を」がそうである。多分サビの部分の歌詞と曲があまりにもピッタリはまっているからだと思う。「誰か優しく私の肩を抱いてくれたら どこまでも遠くへ歩いていけそう」という部分を聴くと、その度に切なくて胸がキュンとする。この曲はユーミン自身も一番好きな曲だと言っていたけど、「夜明けの雨はミルク色」で始まる歌詞は情感的でとても美しい。ストーリーに余韻があるところもよい。あと、アルバム「紅雀」の中の「ハルジョオン・ヒメジョオン」も切なくて好きな歌。心の琴線に触れるってこういうことだと思う。

 歌というのはメロディーに乗って歌詞が聞こえてこなくては人を感動させることはできない。世代を超えて記憶に残る名曲とはそういうものだ。最近の曲はメロディーよりもリズムが先に立つものが多い。そういう曲は記憶に留まらず、一時期流行ってもすぐに忘れ去られてしまう。ユーミンの曲は娘たちも好きだ。そして彼女たちもやっぱり「ひこうき雲」が彼女のアルバムの中で一番好きだと言う。まだ若くて初々しいミュージシャンの感性が人を感動させるのかもしれない。

ポチッとお願いします。人気ブログランキングへ♪

  

March 08, 2011

独り言

dictionnaire マズイことに、この頃独り言が多くなった。大きな理由はフランス語である。フランス語には発音が難しい単語が多いから、それを練習するために声に出すことが習慣になってしまったのだ。テキストの中のセンテンスを暗唱しているうちはまだよかった。ところがこの頃は日常会話のフレーズを自分のものにしようと、誰もいない部屋で架空の相手に話しかけたり、自分の身の回りで起こったことを説明してみたり、色々な場面を想像しながら口に出している。他人から見れば相当クレイジーな光景である。そして最近気づいたのだが、独り言というのはどうやらクセになるらしい。練習しようと意識していないときにも、気づくと1人でブツブツ言っている。

 時々は英語の独り言もある。例えば墨絵のレッスン。この前引き受けた英語でのレッスンが頭にあるから、食事の支度をしながら、またはアレックスの散歩をしながら、無意識に架空の相手に向かって手ほどきをしている私がいる。ホント、自分でもコワイ。この頃困るのは、私の言語中枢が混線して、時々英語より先にフランス語の単語が出てくること。一旦混線するとなかなか英単語が出てこないのだが、それが中学生でも知っているようなごく簡単なものだったりするから本当に困る。おまけに、フランス語では最後に “e” が付く単語が多いので、英文を書くときに要らぬ “e” を付けるのがクセになってしまった。何ケ国語も話す人たちの脳ミソはどうなっているのか、頭を開けて見てみたい。こんなに語学センスがなかったかとガッカリしてしまうが、そんな私が言語中枢を酷使しているわけだから、きっと脳は相当疲れているのだ。独り言もそのせいかも。

 しかし、それもこれも1人でいる時間が多くなったからである。元々想像力はたくましいから架空の相手はすぐに目の前に現れる。終いには相手が話すことまで想像して幽霊との会話は弾む。ふと自分が老人になった時の姿が目に浮かんだ。娘たちもアレックスもいなくなった家で、たった1人テレビに向かって話しかけたり笑ったりする。あるいは花に向かって、部屋の中のオブジェに向かって話しかける。いやだー、そんな老人にはなりたくなーい。今のうちに友だちをたくさん作っておくか、さもなければそうなる前にこの世とおさらばしたいものだね。

ポチッとお願いします。人気ブログランキングへ♪

  
Posted by a_basic at 21:27Comments(0)TrackBack(0)clip!日々のこと 

March 07, 2011

絶好調のときには

roses3 運の良い人というのがいるけど、くじ運のようなものに関していえば私はそういうものはまったく持ち合わせていない。ただ1つ仕事運だけは良くて、何だかんだ言いながら今まで仕事にあぶれたことはない。どの年齢のときにも自分が望む仕事があったし、その時々で結構イイ思いもしている。今だってこんなご時世にも拘らず自分の好きな仕事ができるというのは本当にありがたいことである。宝くじが当たるようなことはなくても仕事には恵まれるのだから、もしかしたらくじ運が良いことよりもずっと得なことなのかもしれない。どの道神様は私に楽をさせてくれるつもりはなく、真面目に働けと言っているのである。はい、わかりました。そうさせていただきます。

 誰にでもバイオリズムのような好不調の波があるものだが、私はこの2年ほどずっと絶好調である。何が絶好調かと聞かれると具体的には言えないのだが、自分の中にいつも最高のイメージを持っていられる状態なのだ。良いイメージというのは運を掴む源である。良いことばかりを考えていると、自然と良い方に向いていく。何とかなるさと能天気でいると、本当に何とかなるものである。こんな風に思っちゃうのは私がB型だからかもしれないけど、私は少しくらい嫌なことがあっても一晩寝ると忘れてしまうしね。毎日「今日はどんなイイ事があるかな」と楽しみにしながら過ごしていると、本当にどんどん良いことが起こるから不思議なのである。でも、昨日ふと思った。この絶好調をただ喜んでいていいのかな。だって、私はこれを何かのご褒美と思えるほど良いことをまだしていない。多少は人様のお役に立つようなことをしていたとしても、こんなに調子が良いのはでき過ぎである。

 とすると、私はおつりの分を何かで返さなくてはいけない。それが何かわからないけど、何か人の役に立つことをもっとしなくてはいけないのだと思う。人の役に立つなんて言うと大袈裟だけど、誰かが喜んでくれることをもっとしなくてはいけないような…。何でもバランスが大切なのだ。私が受けている大きなプラスは誰かのマイナスになっているかもしれず、均してゼロにするくらいの気持ちでいなくてはきっとバランスが崩れる。私のモットーはずっと前から「自分の持っているものは惜しみなく誰かに与える」ということだった。もちろん物質的なことではない。労力とか時間とか自分の能力とかの問題。サービス精神が旺盛だから、頼まれたことは何でも引き受けて期待以上のことをやっちゃうけど、そんなのでは足りないのかな。自己満足の域を出ないうちは、きっと足りていないんだろうな。

ポチッとお願いします。人気ブログランキングへ♪

  
Posted by a_basic at 23:46Comments(0)TrackBack(0)clip!さる子薀蓄を語る 

March 06, 2011

面白いオファー part.2

sumie2 墨絵のホームページから面白い問い合わせがあって、秘書の女性と会うことになった。千葉からはるばる面会に来てくれるということで、お試しレッスンもしたいという。つまり、私がどんな人物で、どんな風に教えるのか偵察に来るのである。何だか益々面白くなってきた。待ち合わせの時間に駅へ迎えに行くと、メールのやりとりでイメージした通りの女性が立っていた。いかにも外国人の秘書という感じの、シャキッとしたとても感じの良い人である。メールでは詳しい話はしなかったのだが、聞いてみてビックリ。教える相手は彼女のボスのガールフレンドで、そのボスという人が世界を股に掛けて活躍する大金持ちの実業家だったのである。しかもニューヨークの5番街にギャラリーまで持っている。

 教える相手はロシア人の女性。元々絵が好きで他の画材は使ったことがあるが、墨絵はやったことがないのでトライしてみたいということ。彼女の希望は屋外でのレッスンである。でも、私は屋外で描いたことはないし、墨絵は和紙に描くから風で飛んだらおしまいである。第一、テーブルがなければ掛けない。それを伝えると、大金持ちの彼は必要ならテーブルでも椅子でも買えばいいという。屋外がダメなら増上寺を借りてそこで描けるように手配しろという。たった2日間のレッスンのために、できることは何でもするということなのである。彼には不可能の文字はないのだ。いや〜、こんな話は初めて。はじめは墨絵を外で描くなんてと思ったけど、こうなったらできるだけ相手の希望に添えるよう私も頑張ろうという気になった。外で描くなんて考えたこともないけど、工夫すればできないことはない。外国人が墨絵に触れてみたいということなら、それに見合ったレッスンをすればよいのだ。

 秘書の女性はバラを一輪持ってきた。それを基に1枚の絵を描き上げた。絵心がないと自信なさ気だったけど、とても素敵な絵が出来上がった。本人も満足した様子で、私たちはすっかり意気投合した。それにしても、海外の金持ちは桁が違う。そういう人と接点ができたことが信じられないけど、これも何かの縁。一昨年から自分の意志とは関係なく私の向かう方向が大きく転換した気がしていたけど、やっぱりそれは何か海外に関係があるのだ。この調子でいくと何か思いがけない展開がありそうな予感がするなぁ。今日は久しぶりに墨絵を描いた。思うように仕上がらなかったけど、今年の展覧会に出す作品のテーマは大体決まった。私ももっと真面目に描かなくちゃね。

ポチッとお願いします。人気ブログランキングへ♪

  
Posted by a_basic at 22:57Comments(0)TrackBack(0)clip!日々のこと 

March 05, 2011

目指せ美魔女?

make up 巷では「美魔女」というのが流行っているらしい。とてもその年齢には見えないような美しい人のことを指す。「美story」という雑誌が火付け役で、「美魔女コンテスト」には予想を超える数の応募があったという。確かに最近は40歳を過ぎても美しい女性が多いが、私にとって元祖美魔女は墨絵の先生。90歳を過ぎてもいつも髪をきちんとセットし、きれいにお化粧をし、よく似合う素敵な洋服を身に付けていらした。初めてお会いしてから20年以上、まったく変わらぬ美しさを保っていて、本当に魔女ではないかと思うくらいだった。あんなに美しい日本人の老婦人を私は未だかつて他に見たことはないが、ああいう美しさは品性が伴っていなければ出ないものなのだと思う。

 成熟した社会では女性が美容に時間もお金もかける余裕がある。というか、成熟し過ぎて欲しいものが既にないという世の中だから、もはや自分を磨く以外することがなくなったのだ。不況、不況と言いながら美容関係の需要は伸びているし、実際女性たちはそこにお金をかけている。「美魔女」なんて言葉が世間の話題になるのはチョットばかばかしいと思う反面、今まであまりにも若い子ばかりがもてはやされていたのが、これで少しは正常化すると安心もする。日本は急速に高齢化が進んでいるのだから、若い子にばかり焦点を当てていたら経済が成り立たなくなるもんね。それに、ただ若いというだけでチヤホヤしていたのでは、若者が図に乗る。今ターゲットになっている美魔女たちはバブルの頃に遊んでいた世代で、いい思いをした経験があるから色々なことに積極的なのだそうな。

 でも、なんだかんだ言って、女性が若さを保ちながら生き生きと暮らそうとするのは、本人だけではなく社会にとっても良いことである。だって女性が美を追求する意欲が強ければ、それだけ色々な需要が増えてお金が回る。塾女がターゲットなら使う金額も若い子よりは多いでしょ。第一、経済を抜きにして考えても、キレイな人がたくさんいた方が楽しいじゃない。少し前までは高齢化社会というとくだびれた老人が背中を丸めて歩いているようなイメージだったけど、本当は年齢不詳の魔女たちが街を闊歩する世の中だったのだ。案外いいかもね、美魔女って。

ポチッとお願いします。人気ブログランキングへ♪

  
Posted by a_basic at 23:46Comments(0)TrackBack(0)clip!日々のこと 

March 04, 2011

お行儀の悪い人

takenokogohan よく娘とも話すのだが、食事のマナーの良し悪しは男性を評価するときの大きなポイントになる。きれいにものを食べる人はちゃんとした家に育った人だという感じがして気持ちがいいけど、反対にどんなに素敵な人でも一緒に食事をしたときにお行儀が悪いと一気に興醒めする。別に特別上等なマナーを求めているわけではないが、音を立てて食べるとか、食べ物を掻きこむとかいうのは同じテーブルで食べているこちらが恥ずかしくなる。ましてビールを飲んで平気でゲップをするような人とは絶対に一緒にいたくないと思ってしまう。そういうことは子供のころからの躾の問題だから、必要な時期に親に教わらなければ後からではなかなか身に付かないものである。

 この前従兄弟がビールを片手に遊びに来た。おつまみにミックスナッツや燻製などの乾き物を何種類か持ってきたのだが、彼はビールを飲んでは盛大にゲップをし、飲んでいる間中一時も休まずおつまみを口に運び続けた。仲良しの従兄弟だけど、私はとても不快だった。マナーというのは食事に限らず他者に対して必要なものである。相手に不快な思いをさせないためという最低限のルールであるから、そこはぜひ守っていただきたい。従兄弟はちゃんとした家の子供であるにも拘らず、幼少の大事な時期に事情があって母親と離れていたために必要な教育を受けることができなかったのだ。だから、それがお行儀の悪いことだと知らない。相手が子供だったら注意することもできるけど、いい歳をした大人に対してはそんなことできないよね。だから辛い。私はただ「次からはビールを飲ませるのはやめよう」と密かに決意するのみである。

 子供の頃に身に付いたことは忘れないものである。子供に歯磨きを習慣づけるときも、初めは嫌がって泣いても無理やり続けているうちに爽快感を覚えて、いずれ歯を磨かずにいられなくなる。食事のマナーもそれと同じで、小さいときから繰り返し教えられなければ感覚が身に付かないのだ。当たり前のことが普通にできるということは大事なことである。食事というのは生きる上でもっとも大事な要素の1つである。だから気持ちよくご飯を食べられる相手とは、それが友達でも恋人でも良い関係が築けるし、逆にそれが原因で破綻することもある。

ポチッとお願いします。人気ブログランキングへ♪

  
Posted by a_basic at 23:54Comments(0)TrackBack(0)clip!さる子薀蓄を語る 

March 02, 2011

面白いオファー

sumi6 墨絵を教えると決めたときにホームページを作った。今は素人でも簡単に作れるソフトがあるから、自分の思い通りのサイトを作ることができる。ホームページを作ったからっといって誰かがそこに辿り着く確率はそう高くないと思っていたのだが、予想に反して時々問い合わせが来る。インターネットの力ってスゴイと思うが、今教えているお弟子さんの1人もホームページがきっかけだった。おととし突然英会話を習おうと思い立ったとき、先生に最初に聞かれたことが「目的は何か」ということだった。私はそれに「墨絵を外国人にも教えたいから」と答えたのだが、その瞬間までそんなことは考えたこともなかったのだ。でも口に出した後に、なるほどその手もあったと気づいてホームページの中に英語のページを作ったのだった。

 今日面白いオファーがあった。「英語で墨絵をおしえてくれる先生を探しています」。2〜3日続けて教える短期のレッスンで、都内への出張レッスンである。詳しい内容はこれからなのだが、こういう問い合わせは初めてのこと。放ったらかしにしているホームページが私の知らないところで働いていると思うと不思議である。先方の希望する日程がちょうど空いていたのでオーケーの返事をした。返事をした後、レッスンのことを想像した。まずは自己紹介。そして墨を磨る間に墨絵の魅力と特徴について話す。墨絵はユニークで他の画材と違ってコントロールが難しいこと、そのために偶然できる滲みや色の具合が独特の味わいになること、紙と墨と水が作り出す芸術であること。初日は花を、次の日は風景を画題にしよう。風景は写真を持参してもらうとして、花は何を選ぼう。描き易くて見栄えのする花がいいな。

 英語で教えたことなんてないけど、流暢でなくてもまあ何とかなるだろう。今まで漠然としていたものが具体的にイメージできたことが嬉しい。昨日フランス語の先生と将来の夢の話をした。私は「本当のところ未だによくわからないのよね」と言ったのだが、昨日の今日でこういうオファーが来るなんて何かのサインかなと思ったりして。レッスンについてはまだどうなるかわからないのだが、将来の何かに繋がるヒントをもらった気がした。そうか、こうして自分が思いついたことを1つずつ実行していくと、自然と行くべき方向へ進んでいくことになるんだな。

ポチッとお願いします。人気ブログランキングへ♪

  
Posted by a_basic at 23:58Comments(0)TrackBack(0)clip!日々のこと 

March 01, 2011

雅叙園の百段ひなまつり

hinadall 目黒雅叙園の百段階段では毎年旧家の雛人形を展示する。そのチケットを2枚手に入れた。趣向を凝らした7つの部屋に江戸時代から伝わる古い人形たちが一堂に会するのだからそれはもう迫力がある。雛人形は私にとって永遠のテーマ。それなのに古い人形を見る機会はこれまであまりなかったのだ。誰と行こうか考えたけど、こういうものは外国人が喜ぶでしょう。それでフランス語の先生を誘うことにした。雅叙園では月替わりで様々な展示をしているが、これが結構人気があるようで、今日も平日にも拘らず混んでいる。もちろんお客さんは殆どが女性で、しかも年配が多い。雛人形はいくつになっても女性の心を魅了するらしい。

 百段階段を上りながら1部屋ずつ見学していく。最初の「十畝の間」は「二木屋のお雛さま」をテーマに多彩な時代雛が展示されている。雛人形のルーツは平安時代の紙で作った折り紙のような人形で、災いを除けるための人形(ひとがた)として川に流したのが始まりである。そこに当時流行っていた「ひいな(雛)遊び」が結びついて今の形の原型となったのだが、親王飾りや段飾りができたのは江戸時代。だから、この部屋に飾られている次郎左衛門雛がこの手の人形としては最も古い。二木家の次郎左衛門雛は顔も美しく衣装もあまり傷んでいなくて、何百年も前のものとは思えないほどの保存状態だった。その隣にある享保雛も本でよく見た人形だ。へぇ、実物はこんな感じなのね。なにせ雛人形で卒論を書こうと思った私である。どの人形も初対面なのによく知った顔ばかり。本や何かで散々お目にかかっているからね。

 百段階段にある座敷はそれぞれに趣向が凝らされていてゴージャスである。私にはちょっと派手過ぎる部屋ばかりだが、雛人形の展示にはぴったりだ。私も広い和室があったら雛人形と道具類を全部並べたいところだけど、そういうスペースはない。こういうところに飾られる人形は幸せだ。一通り見学してお土産屋さんまで冷やかして雅叙園を出た。駅前でコーヒーを飲みながら先生とちょっとおしゃべりをして、それからあざみ野まで一緒に帰った。先生はその後藤沢までフランス語を教えに行く。電車の中でフランス語交じりの英語でおしゃべりしている私ってステキと悦に入りながら、今見てきた古い人形を思い浮かべた。今年は訳あって雛人形を出すことができなかった。今頃押入れの中で泣いているかな。

ポチッとお願いします。人気ブログランキングへ♪

  
Posted by a_basic at 20:00Comments(0)TrackBack(0)clip!日々のこと 

February 28, 2011

王様の耳はロバの耳

bierre 10年日記というのが結構人気があるようで、付けているという人を何人か知っている。あれはほんの1行程度の箇条書きのようなものだけど、去年の今日、一昨年の今日と並べてみると、何か発見があったりして面白いらしい。私もかれこれ5年半の間ほぼ毎日ブログを書いているが、日記を書くこととブログを書くことはちょっと違う。日記は人に見られないことを前提として自分の内側のことを正直に吐き出すもの。でも、ブログはそれとは反対に人に読んでもらうことを前提にして書くのだから、いつも本当のことを表現しているわけではない。時には嘘や脚色で本当に書きたいことを隠すことになる。というか、本当に言いたいことは絶対に書けないのである。

 書くことが好きだからブログをやめられないのだが、時々もっと正直に本当のことを書きたいという衝動に駆られる。でもそんなことをしたら恥ずかしくて街を歩けなくなる。まるで「王様の耳はロバの耳」の床屋の心境である。毎日ブログを書いても一番書きたいことが書けないのは結構ストレスになる。それに日々の暮らしの中で感じたすごくちっぽけな喜びや、今この瞬間が終わると消えてしまうかもしれない心情をこっそり綴っておかなければ勿体無いような気がする。こうなったら密かに日記でも付けたい気持ちになる。日記を付けるということは、誰かに秘密を話すのと同じだ。そのときの自分の気持ちを誰かに聞いてもらいたいけど、その相手がいなかったり誰にも言えなかったりするから書くのである。従って、もし突然自分が死んじゃったりして誰かに見られるようなことがあっては困る。昔のように日記帳なんてものには絶対に書けない。

 子供の頃は夏休みの絵日記も苦手だった。いつも8月の終わりになって慌てて間を埋めていたくらい。それが中学生の頃のある一時期日記を付けることにハマッた。日記にはその年頃の恥ずかしい心境が綴られていて、日記帳は鍵が掛けられるようになっていた。ところが、ある日突然人に見られる恐怖を感じて燃やしてしまった。今は色々な形でネット上で日記を付けることができる。人知れず別のブログを立ち上げて書くことだってできる。私もホラに向かって「王様の耳はロバの耳」と叫びたいのである。

ポチッとお願いします。人気ブログランキングへ♪

  
Posted by a_basic at 23:59Comments(0)TrackBack(0)clip!日々のこと 

February 27, 2011

秘密兵器の顛末

usagi 睫毛が伸びる美容液を買ったのは昨日の出来事である。新しいものを買うと早く使ってみたくてうずうずする私は、お風呂に入ってさっぱりすると早速ぱっちりお目々を夢見ながら手鏡を片手に美容液を塗り始めた。根元に付けなければ意味がないから、なるべく目の縁ギリギリのところに塗るのだが、睫毛の生え際に塗るのは結構難しい。下手をすると目の中に入るし、説明書には「目に入ったらすぐに洗い流してください」と書いてあるけど、特にしみないので入っているのか入っていないのかよくわからない。でも、たくさん塗った方が早く効くような気がして何度も繰り返し塗ってみた。明日の朝いつもより濃くなった睫毛を想像しながら。

 朝起きて鏡を見ると、目がウサギみたいに真っ赤になっている。炎症を起こしているのだから目の周りも腫れている。しかし、マヌケな私は夕べ塗った美容液のせいだとすぐには気付かなかった。ちょうど今は花粉症の季節。私はスギ花粉症ではないのに、そのせいで目がこんなことになったと思ってしまったのである。それにしては痒くないな、と思いながら更に鏡の中を覗き込んでいるうちに、俄かに美容液のことを思い出した。あれ、もしかしたら、あの毛生え薬のせい? 私は痛みに対して鈍感である。そのせいか目は痛くも痒くもない。ただ赤く腫れているだけである。でも思えば、美容液を勧めてくれたSさんも最初に付けたとき目が腫れて、一度は買った店に返したと言っていた。ああ、やっぱりアレのせいだ。

 きれいになろうと思って使った美容液のせいで目は真っ赤になり、目の下にはひどいクマまでできてしまった。すごく悲しい。多分使い方が悪かったのだと思うけど、後から説明書をよく読んだら、刷毛に付け過ぎると目に入りやすいので注意するようにと書いてある。私は刷毛にたっぷり付けた上に何度も繰り返し塗ってしまったのである。気が短いとこういうことになるのだと後悔したけど、もう後の祭りである。昼間会った友だちにも「その目、本当に酷いね」と同情され、明日眼科に行くように勧められた。明後日は大事な用事があるからそれまでに直しておかなくてはいけないし、やっぱり朝一番で眼科に行こう。目の周りに付けるものには気を付けなくてはいけないね。

ポチッとお願いします。人気ブログランキングへ♪

  
Posted by a_basic at 23:59Comments(0)TrackBack(0)clip!日々のこと 

February 26, 2011

睫毛の秘密兵器

beautylash 2ヶ月ぶりにボワットへ遊びに行ったら、オーナーのSさんの目元が何だか違っている。何が違うのかよーく見たら、睫毛が長くなっているのだ。そういえば3、4ヶ月前に睫毛が伸びる美容液を買ったと言っていた。この前会ったときはそれ程分からなかったけど、今日は明らかに長くなっているのが分かる。本当に伸びるんだ、睫毛。私のは長いけど数が少ない。それに下の睫毛は殆どないに等しい。Sさんは今までなかった下睫毛もちゃんと伸びていて、何だか目がぱっちりしている。やっぱ目元の印象って大事よね。Sさんの話によれば、その美容液を使った人は軒並みお目々が可愛くなっちゃってるという。それなら私も試してみなくちゃいけないでしょ。

 というわけで、私も真似して買ってみた。美容液はマスカラの先が細い筆になったような形状で、寝る前に睫毛の生え際に塗る。1週間で効果があったという人もいるみたいだから楽しみだけど、私みたいに派手な顔の人がやったら余計派手になって変かしらん。派手な顔といえば、長女が今日メイクするのを見ていたら、いつになく目の上に薄いピンクのパールのシャドーを塗っていた。彼女も目が大きくて派手っぽい顔だから、普段はあまり目の上に色を付けないのだ。青いシャドーなんて塗った日にはまるでおバカさんみたいに見えてしまう。同様の理由で私もブラウン系のシャドーしか付けたことがないのだが、娘のピンクが春らしくてなかなか良かったものだから、調子に乗って貸してもらった。ピンクといってもハイライトのようなものだから、顔が明るくなる程度。たまにはこんなのも楽しいじゃない。

 最近のメイクはバチッと濃く長い睫毛がトレンドだ。エクステをしている人も多いけど、あれはメンテにお金がかかるし面倒くさい。睫毛が目立たなかった人がある日突然「銀河鉄道999」のメーテルみたいな睫毛になったりするから驚いちゃうけど、顔の印象というのは眉毛と睫毛で決まると言っても過言ではない。私みたいに睫毛が長いとパーマをかけるだけで全然違うのだが、睫毛自体が太く濃くなればもっとよろしい。せっかく秘密兵器を手に入れたからには、毎日せっせと塗るわよ。そのうち私もメーテルになっちゃうかも。目の周りが毛深くなっても笑わないでください。

ポチっとお願いします。人気ブログランキングへ♪

  
Posted by a_basic at 00:58Comments(0)TrackBack(0)clip!ファッション 

February 24, 2011

プロポーズ

bouquet ついに娘が結婚を決めたらしい。彼がプロポーズしたからだ。これまで結婚するとかしないとか散々大騒ぎしていたが、決断しなかった理由は「私はちゃんと結婚を申し込まれなければイヤなの」ということだったようだ。娘はそういうことにとても拘りがある。でも確かに、物事の始まりというのは大事なのだ。特に結婚というのは。「プロポーズされたから結婚することにした」と言った娘の顔は輝いていた。プロポーズかぁ。イメージとしては素敵なレストランで食事をした後、徐に男性が膝まづいて指輪を取り出し “Will you marry me?” そんなプロポーズされてみたい。娘のはそんなのではなかったようだけど、結婚というのは相手に申し込まれてするべきだと思う。本当に、最初が肝心なのだ。

 最近周りが結婚ブームである。従兄弟の子も同棲中の彼女と入籍するし、陶遊さんの息子さんも近々結婚する。おめでたい話は周りの人をシアワセにする。思えば去年一昨年は周囲に不幸続きだったけど、一転してハッピーなスパイラルに入った感じ。幸せな人が増えれば世の中も幸せになるというものだ。最近の結婚のトレンドはバブルの頃のような超ド派手な披露宴か入籍のみの地味なものかのどちらか。娘は色々な事情で来月入籍して引っ越す。急に静かになるね。陶遊さんの話を聞いていて思うのは、お嫁さんをもらうということは娘が1人増えるのと同じことだということ。ご主人を亡くしてからずっと塞ぎ込んでいた陶遊さんが、若くて可愛いお嫁さんとの関わりの中ですごく元気になった。新しい風が入るというのは本当に良いことである。

 私はというと、息子ができるという感覚は全然ない。ああ、娘が出て行くんだなと思うだけ。母が亡くなり娘が結婚して、私が今の場所に停留するために下ろしていた碇を1つずつ上げていく感じがする。寂しいような気もするけど、むしろ解き放たれていく感じの方が大きい。そして、それはこの先の私の船出のための準備のような気がしてならないのだ。だって色々なことが私の望み通りに進んでいるから。だから私はこの状況に感謝しこう祈るのである。周りの皆が幸せになりますように。誰も傷つかずに万事上手くいきますように。

ポチッとお願いします。人気ブログランキングへ♪

  
Posted by a_basic at 23:59Comments(2)TrackBack(0)clip!日々のこと 

February 23, 2011

恋のチカラ

record フィギュアーの四大陸大会で安藤美姫が優勝した。モロゾフコーチ以前は何だか力まかせでガサツな感じだったのに、このところメキメキと演技に磨きがかかってきた。何と言っても女らしさが際立っている。これは明らかに恋の力だね。ニコライ・モロゾフ コーチは教え子キラーのバツ3。以前から噂にはなっているけど、キス・アンド・クライなどでのツーショットはどう見ても恋人同士だ。恋をすると誰だって相手に気に入られたい、褒められたいと思って頑張る。ミキティの場合はフィギュアスケートという共通の目標があるのだから、それはもう全力で頑張れるわけだ。フィギュアスケートという純粋な動機に不純な動機が加わるわけだから強くならないわけないよね。

 恋をすることで力を発揮するのは女性だけではない。ピカソや池田満寿夫のような画家は女性と出会う度にインスピレーションを受けて画風を変化させた。池田満寿夫は生涯に4人の女性と巡り会った。19歳で結婚し最後まで戸籍上の妻だった女性。彼を画家として成功へ導いた2番目の女性。3番目の女性との暮らしの中では『エーゲ海に捧ぐ』を執筆し芥川賞作家として華々しくデビュー。そして最後の女性である佐藤陽子との出会い。彼女とは3メートル以上離れたことがなかったというほど仲が良く、その穏やかな暮らしの中で彼は才能を成熟させた。芸術家というのはそういうものなのだろう。画家だけではなく音楽家でも役者でも、インスピレーションを必要とする人たちは男女に拘らずそういう傾向があるのだと思う。芸術家って魅力的だからモテるしね。

 モテるといえば、ある番組に山路徹氏が出ていた。危険と背中合わせの職業というのも、そのアブナイ感じが魅力なのかもしれない。一緒に出演していたミッツ・マングローブが「ちょっと手を見せてください」と彼の手を取り、「これは致し方ありません」と意味深なコメントしていたが、手のどこでそれが分かるのか気になる。ある統計によると、不倫をする女性の平均年齢は27歳なのだそうだ。つまり、その年齢が女性として一番魅力的だということ。その不倫相手の平均年齢は確か45歳くらいだった。でも、それはその年齢の男性が魅力的ということとはチョット違うような気がする。男性だって若い方がいいに決まっている。だからマドンナはいつも若い男性をはべらせて彼らと恋をし、彼らの生き血を吸って若さを保っているのだ。

ポチッとお願いします。人気ブログランキングへ♪

  
Posted by a_basic at 20:11Comments(0)TrackBack(0)clip!日々のこと 

February 22, 2011

日本社会がヤバイ

cr5 日本人の未婚率の上昇が止まらないことが問題になっている。試算によれば2030年には男性29%、女性22%にも及び、これが更に進むと日本社会の存続さえ危ぶまれるという。結婚する気があるのに相手が見つからない若者の多くは非正規雇用者。年収380万円以下の人たちだ。男女ともに結婚を焦り始めるのは30代が多いが、女性が男性に求める年収と現実とのギャップが益々結婚を遠ざける。民間やボランティア団体が様々な出会いの場を提供するが、そこで理想の相手に巡り会うチャンスはあまり高くない。そんな中、各地の自治体では男女が共に働き、収入も家事も2人で分担するという夫婦のスタイルを提唱し、未婚化を食い止めようとしている。

 一方で、保育園の待機児童数は一向に減らず、日本で2番目に待機児童が多いお隣りの都筑区のことが話題になる。保育園に入れない子どもがいるために資格を持ちながらフルタイムで働くことができず、フルタイムでないことが理由で保育園の選考の優先順位が低くなるという悪循環に苦しむ母親がいる。共働きしたくても思うように働けない社会なのだ。男性が育児休暇を取れるという制度はできても、実際に使う人は少ない。だって仕事がそれを許してくれないもん。どうしてこんなに余裕のない社会になってしまったのか嘆かわしいが、未婚率を下げるにはまず日本全体の価値観を変えていかなくてはならない。この問題はもちろん少子化ともリンクしているわけで、日本社会を崩壊させないためには社会全体で子どもを育てるという意識が定着しなければ無理だ。

 横浜市青葉区は住む人が日本で一番均一の価値観を持つ街なのだそうだ。ベンツとBMWが日本一売れている場所でもあり、日本一塾が過密している街でもある。その気持ち悪い街で育った娘は、結婚して今の自分の生活レベルを落とすのはイヤだとのたまう。私たちの時代はそんなこと言う人いなかったよね。若い頃なんて皆貧乏が当たり前だし、それでも皆結婚してそこそこシアワセに暮らしていた。でも、今の若い子にはそういう気はさらさらない。ウチの娘はブランド品をチャラチャラ身に着けるタイプではないけど、それでもお肌のお手入れやお洒落を我慢しなければならない経済力の人は「ムリ!」と言う。それが日本の女子の平均的な価値観だとしたら、結婚する相手なんているわけない。社会が変わり若者の意識が変わらなければ、日本人は地上から消える運命にある。

ポチッとお願いします。人気ブログランキングへ♪

  
Posted by a_basic at 19:45Comments(0)TrackBack(0)clip!さる子薀蓄を語る 

February 21, 2011

パンダ日和

panda 中国からパンダがやって来た。今回上野動物園に来たビーリーとシィエンニュは絶世の美女とイケメンカップルらしい。そう言われると確かに可愛い顔をしているけど、パンダはどんな顔をしていてもパンダというだけで可愛らしい。黒柳徹子でなくても、皆パンダが大好き。上野動物園からパンダがいなくなって3年、日中国交の架け橋ということもあって、今日は朝からこのニュースで持ちきりである。NHKの9時のニュースでは成田空港に到着したばかりの飛行機からパンダが搬出されるところを中継している。檻の中で動くパンダを見て興奮する女性アナウンサーのコメントが可笑しい。「あ、何かが動いています!パンダでしょうか!?」。あははは、何かがって、パンダに決まってるじゃない。

 パンダはいつでもムシャムシャ竹を食べている。その食いしん坊の食費が1頭につき1日15,000円かかるんだって。でも可愛いから許す。年間8,000万円を10年間中国に支払うというのを聞いて目くじらを立てる人もいるけど、ささくれ立った日本人の気持ちを癒してくれるんだから、そのくらいの出費はいいんじゃない? 浅草ではパンダバスが走るし、上野界隈のイタ飯屋ではパンダピザが売られる。パンダのぬいぐるみも人気が出そうだな。経済効果もあるだろう。こういうニュースが9時のトップ項目なのだから、日本は本当に平和だ。リビアが大変なことになっているし、中東全体に嵐が吹き荒れているというのに、そのニュースは後回し。平和ボケと言われても仕方ないけど、きっとこの平和に感謝しなくてはいけないんだろうね。

 今日はパンダじゃなくてもいい日和。私もチョットいいことがあった。待てば海路の日よりありって感じ。何かを成し遂げようと思ったら忍耐が必要なのだと教えられたような気がした。流れに任せていれば行くべき方向に進んでいくといつも思ってるのに、時々それを見失いそうになる。すると、何かがちゃんと私に教えてくれるのね。何だか守られてる感じがするなぁ。スイセンやウメの香りが風に乗ってやって来る。暖かくなったら上野動物園にパンダを見に行ってみよう。

ポチっとお願いします。人気ブログランキングへ♪

  
Posted by a_basic at 23:58Comments(0)TrackBack(0)clip!日々のこと 

February 20, 2011

フランス語のメール

notebook 明日はフランス語のレッスン。2週間も間があったのに、いつものように前日に慌てて宿題をする私である。簡単なようで難しい宿題に手をこまねいていたら、携帯のメールが鳴った。開けてみたら先生からだった。そこには「友だちの女の子が卒業式か何かでキモノを着なくてはならないんだけど、君の友だちのキモノ屋さんは着付けのサービスをしてるのかな。そうだとしたら値段はどのくらい?場所はどこだっけ?駅からは近いの?」などと書かれていた。友だちのキモノ屋さんとは「わかやぎ」さんのことである。わかやぎさんとは何度か会ったことがあるからね。メールはもちろんフランス語。この頃は英語ではなく、当たり前のようにフランス語で書いてくる。

 宿題を中断してメールの返事を打ち始めた。「わかやぎさんは藤が丘の駅から歩いて3分くらい。着付けは頼めるけど値段はわからないなぁ。直接聞いてみたら?私が聞いてもいいけど、キモノの種類によって値段が違うから、着付けをする日にちとどんなキモノを着るのかを教えて。その友だちと話せると一番いいんだけど」ってなことをフランス語で書いた。宿題には苦労していたのに、なぜかこういうのはスルスルと書けちゃう自分がいて驚く。きっと間違っているところもあると思うけど、とにかく言いたいことを表現できるようになっているんだから我ながらエライと思う。うふふ、1年経つとこんなに進歩するのね。継続は力なり。語学も大人になってから始めたって何とかなるものだ。早くもっと上手になりたいなー。

 それにしても、日本人の女の子がキモノを着ようとするときに、どうしたらいいのか分からなくてフランス人に相談するなんて何だか変な話。訪問着ぐらいまでなら着せてあげられるけど、多分着るのは振袖だよね。わかやぎさんに聞いておいて明日レッスンのときに教えてあげよう。キモノ部の部長としては、成人式や卒業式をきっかけに若い子がキモノに興味を持ってくれるといいと思うんだけど。

ポチッとお願いします。人気ブログランキングへ♪ 

  
Posted by a_basic at 18:49Comments(0)TrackBack(0)clip!日々のこと 

February 19, 2011

懐かしの「イカ天」

 89年2月から90年12月までの間、「三宅裕司のいかすバンド天国」という番組があった。司会は三宅裕司と相原勇。審査員に萩原健太、中島啓江、吉田建、伊藤銀次、湯川れい子などを迎え、毎週10組の素人バンドが演奏を競い、5週連続チャンピオンになるとメジャーデビューが約束される。演奏中に審査員が「もう聞きたくない」と赤ボタンを押すと「ワイプ」となり画面が小さくなる。1度ワイプになっても、もっと聞きたいと青ボタンを押すとまた画面が大きくなる。完奏できたりできなかったり、そういうのが面白かったし、審査員のざっくばらんなコメントも楽しかった。ああいう「イカす」番組って今はないよね。

 イカ天からは多くのミュージシャンがデビューしたが、印象に残っているのは癒し系の「BEGIN」と「たま」。その「BEGIN」は今年デビュー20周年になるという。イカ天で初めて「恋しくて」を聴いたときには「才能があるなぁ」と思ったし、彼らの沖縄独特の雰囲気がとても新鮮だったけど、本人たちがその魅力に気づくまでには10年程の時間がかかったらしい。自分たちの音楽は空気のようにカラダに染み込んでいる島唄の中にあると気づき、沖縄路線をまっしぐらに進み始める。その後「涙そうそう」のヒット。今や全国区になった島唄も、皆が注目するようになったのはあの曲がきっかけだったもんね。私も沖縄の音楽をあのとき初めて聴いたような気がする。 「イカ天」は当時の「新語・流行語大賞」にも選ばれるほどの人気番組だったが、その命は意外と短くて2年も経たずに終わってしまった。思えばあれが最後のオーディション番組だったのかもしれないね。

 オ−ディション番組といえば「スター誕生!」というのがあった 。あの番組から出てきた歌手は男女を問わず歌唱力はそれは酷いものだった。でも、そういうことは別にしても芸能人と素人との間にはハッキリとした一線があって、彼らは確かに私たちとは違う世界の人だった。今はもしかしたらもっと簡単に歌手になったり芸能界に入ることができるのかもしれないけど、芸能人自体が素人の延長みたいなところを売りにしているし、素人の女子たちが皆キレイになっちゃったから、スターの存在価値がなくなった。スターなんかにならなくても、彼女たちは既に何でも手に入れているからね。オーディション番組は、夢を見ることができる時代の賜物だったのだ。もう一度あの手の番組を見てみたい気もするけどね。

ポチッとお願いします。人気ブログランキングへ♪

  
Posted by a_basic at 23:56Comments(0)TrackBack(0)clip!日々のこと