クラシック音楽とアート

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吉田博とフェルディナン・ロワイアン・デュ・ピュイゴドー|日の光

 1920年(大正9年)以降、吉田博は木版画への進出という大きな転換点を迎えます。「吉田博展」では、第4章で木版画へ進出した頃の作品を多数展示していましたが、しかし、同じ頃に油彩を描かなかったわけではなく、木版画と一緒に油彩画も展示されていました。中でも、山頂からの太陽を描いた《雲海に入る日》は、前方の山の稜線から立ち上る湯気のような雲が山々の雄大さを感じさせ、さらに、その遥か彼方の雲の向こうに隠れゆく太陽の光の眩さは、大自然の壮大さを力強く表現しています。登山愛好家だった吉田ならではの題材で、写実的でダイナミックな画面には、健康的で健全ともいえる大自然への畏怖が込められているかのようです。


吉田博 雲海に入る日
◇ 吉田博 雲海に入る日 1922年 油彩、カンヴァス 130.3×97.0cm


 一方、月と太陽の画家・フェルディナン・ロワイアン・デュ・ピュイゴドー(1864-1930年)は、吉田とは異なり、海岸の夕日を描いています。吉田より10歳以上年上のこのフランスの画家は、あまり名は知られていないものの、月や太陽の光をモチーフにした絵画を多数残している画家です。


ピュイゴドー 海岸の日没
◇ フェルディナン・ロワイアン・デュ・ピュイゴドー 海岸の日没 制作年不明 油彩、カンヴァス

ピュイゴドー ブルターニュ海岸の日没
◇ フェルディナン・ロワイアン・デュ・ピュイゴドー ブルターニュ海岸の日没 制作年不明 油彩、カンヴァス

参照記事: ゴーギャンとポン=タヴァンの画家たちPart5 @パナソニック汐留ミュージアム 藁ぶき家のある風景
参考記事: フェルディナン・ロワイヤン・デュ・ピュイゴドー:月下の彫像|フランスの風景 -樹をめぐる物語

 ピュイゴドーの夕日は、燃えるような太陽の色が印象的で、幻想的な雰囲気を漂わせ、鮮やかな色彩を用いていながら憂いすら感じさせる抒情溢れる情景になっています。山と海の違いもありますが、精細でありながら豪快ともいえる吉田の写実とは対照的な表現で、吉田が男性的ならば、ピュイゴドーのそれは女性的です。


画像出典: wikimedia commons


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吉田博

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バリー・コスキーの《魔笛》が来日|ベルリン・コーミッシェ・オーパー|指揮は山田一樹(広島公演)

 ベルリン・コーミッシェ・オーパーが、来年の4月に来日します。同歌劇場は、ベルリン国立歌劇場(シュターツオーパー)、ベルリン・ドイツ・オペラと並ぶベルリンを拠点とする三大公立歌劇場で、コーミッシェ・オーパーは、ウィーンで言えばフォルクスオーパーに相当します。90年代に三度来日して以来、20年のブランクを経ての来日引っ越し公演となり、東京、神戸、広島を巡回します。
 演目は、気鋭の演出家バリー・コスキーによる《魔笛》で、コスキーは、今年のバイロイトのプレミエを飾った《マイスタージンガー》を担当した、今、最も注目される演出家の一人です。

関連記事: バイロイト2017: 楽劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》|隠匿されたレジーテアター

 《マイスタージンガー》では、舞台や衣装に奇をてらわない常識的な演出ながら、作者への批判も込められたシニカルな演出でしたが、この《魔笛》では、アニメーション動画と実在の歌手が連動しながら舞台が進行するという、CG映像を活かした視覚効果で話題をさらい、欧州各地で上演されてきたものです。この歌劇の冒険物語的な要素に着目して、舞台をメルヘンチックでスペクタクルな世界に転換するという、現代の技術ならではの演出が大好評を博しているといい、期待が膨らみます。CGの活用は、引っ越し公演に伴う大規模な舞台装置の移動なども軽減できる利点もあり、費用も削減できるものと思われます。反面、CGならば、なにも劇場に行かなくても良いのではないかと考える向きもありますが、奥行きのある舞台で、実寸大の大画面が観れ、かつ肉声とオーケストラの音もピュアに伝わってくる劇場での体感は、4K+スーパーオーディオを持ってしても家庭環境では得られないでしょう。





◇ ベルリン・コーミッシェ・オーパー来日公演PV (日本公演WebPageのYouTubeにリンク)

ベルリン・コーミッシェ・オーパー来日公演WebPage

 広島での公演は、指揮を山田一樹が担当するということで、これもまた見逃せない話題です。今年の2月に《カルメン》でオペラ・デヴューを果たした期待の和製指揮者は、この秋にも、日生劇場でドヴォルザークの《ルサルカ》を振る予定で、オペラ指揮者としての実績を足早に築きつつあります。これを足掛かりに、欧州の歌劇場への進出も予想され、世界的な活躍が期待されます。山田は、昨年より、あのロヴロ・フォン・マタチッチが率いたモンテカルロ・フィルの音楽監督兼芸術監督を務めており、この楽団がモンテカルロ歌劇場の管弦楽団としても活動することから、将来的にモンテカルロでのヨーロッパ・オペラデビューとなる公算が高くなりました。今回は、残念ながら広島公演だけですが、山田の手腕にも期待が集まります。



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モーツァルト 魔笛

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渡辺省亭の月|月に葛花図 月下五位鷺図 秋草図

 9月も下旬に入ると夜も長くなって月見を楽しむ季節となりますが、今年の中秋の名月は10月4日だそうです。昨年は9月15日で、あまり良い天候に恵まれませんでしたが、今年は秋雨の時期を外れているので清澄な月夜が期待できそうです。
 月明かりは、秋の澄んだ大気の向こうで煌々と輝いていても、人の心に神秘を感じさせる何かを持っています。故に、古今東西、月明かりを題材にした物語、絵画、音楽が創られてきたのでしょう。個人的には、音楽ではドビュッシーの《月の光》と、シェーンベルクの《浄夜》が双璧だと思っていますが、いざ絵画となるとその数は膨大であり、枚挙に暇がありません。
 そこで、今年が渡辺省亭の百回忌に当たることから、省亭の作品に注目してみました。渡辺省亭は、黒田清輝や吉田博よりも先んじて、絵の研鑚のために渡欧した日本画家で、その名前はしばらく忘れられていましたが、最近になって再評価されています。

前回記事: 渡辺省亭の美人画|美人図 桜花美人図
関連記事: 花鳥画比較 渡辺省亭vs酒井抱一|牡丹、燕子花、花菖蒲



渡辺省亭 秋草図
◇ 秋草図 絹本淡彩 111×40cm

 《秋草図》は、タイトルが示すモチーフの背後に月を配置しただけの構図ですが、前面の葉の部分は精緻でありながら、一方で背後の茎などは立て付けを用いて一気に描いており、ただならぬ技巧とデッサン力に、欧州の専門家たちが省亭が描くのを見て舌を巻いたという逸話も頷けます。


渡辺省亭 月下五位鷺図
◇ 月下五位鷺図 絹本彩色 120×50cm


 五位鷺(ゴイサギ)は珍しい夜行性の鳥で、以前、夜空を飛ぶ姿を見たときは、怪獣のような異様さを感じました。横から見る姿は背が丸く、その造形に奇怪な様相を感じさせます。省亭は、樹の葉と同化しそうな五位鷺の姿を、斜め下方からの月の光によってその造形が浮き上がるように描いており、月明かりの神秘性と共に、この不思議な鳥の雰囲気を効果的に表しています。


渡辺省亭 月に葛花図
◇ 月に葛花図 絹本淡彩 122.5×50.7cm


 そして、満月に薄や藤袴、秋菊、葛を配した《月に葛花図》は、良く見ると葉に蝗がとまっていて、まさしく中秋の名月の夜を思わせます。煌々と輝く月に薄っすらとかかる雲、その月の輪郭に沿って薄の穂をなぞらせる構図の趣きに、清澄な秋の夜の叙情が漂います。洋画に学んだ絵師の日本画が、ドビュッシーのピアノが奏でる静謐な空気を運んでくるかのようです。


A statue in the moonlight night (月夜の彫像)|ドビュッシーと共に


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渡辺省亭: 花鳥画の孤高なる輝き
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田中彩子、ゲポポを歌う|コロラトゥーラの芸術とは何か|リゲティ《ル・グラン・マカーブル》より

 ウィーン在住のソプラノ歌手・田中彩子さんは、日本でも何度かメディアに登場しており、確か昨年だったと記憶していますが、TV番組で、どうしてもソプラノ歌手になりたくて独りで欧州に渡って勉強を始めたというエピソードや、ウィーンでの日常が紹介されていました。その努力とコロラトゥーラという特殊な才能のおかげで、22歳の若さでオペラ・デビューを飾り、その後、ウィーン・フォルクスオーパーのツアー公演で3期に渡って《魔笛》の夜の女王役を務めました。また、ロイヤル・フィル、ソフィア交響楽団などのコンサート定期公演にも登場するなど、欧州での活躍が目立ち、先に二枚目のアルバムがリリースされました。



(Amazon web pageにリンク:収録曲が見れます)

 コロラトゥーラというと、その声だけに頼り、時として、芸術性に乏しいと評価されることがあります。あのグルベローヴァでさえも、そういった評価が下されることがありました。確かに、サーカスを観るのと同じような心理的な影響、つまり、悪く言えば見世物的な刺激を聴衆に与える面があるのは否めなく、「楽器のような」という形容句は、無意識のうちにそういった一面を表しているのかも知れません。しかし、個人的には、高い声が出て何処が悪いのかと言いたいところです。音楽、声楽は、読んで字の如く、音や声を楽しむものだから、美しい高域の声を聴いて楽しむのは音楽の原点であり、単純に楽しめば、とりあえずそれで良いのです。ちなみに、全盛時のグルベローヴァは、曲の特徴を良くとらえて、ただ単に高い声を出すのではない豊かな表現力に富んでいました。

関連記事: グリエール: コロラトゥーラ・ソプラノのための協奏曲|ネトレプコ vs グルベローヴァ

 田中さんのドキュメンタリ番組では、自分の持つ声の特長を活かすために、高域を駆使するような曲を求めて楽譜を捜し歩く場面が紹介されていました。そういった努力は並大抵のものでは無いと思われ、モーツァルトから現代音楽まで、幅広いジャンルを勉強して歌っているようです。TVで話をしている時の声は、それほど魅力的ではないのに、歌っているときは艶があり、歪の少ない綺麗な声で、かつ、強さをも併せ持っています。



リゲティ:  オペラ《ル・グラン・マカーブル》よりゲポポのアリア

 アルバムでは、J.シュトラウスⅡに代表されるウィーンの伝統的な曲がメインですが、ここでの田中さんは、リゲティが作曲した唯一のオペラ《ル・グラン・マカーブル》に登場するゲポポを歌っています。ゲポポは、第三場に登場する秘密警察官であり、その名前から容易に想像できるように、ゲシュタポをもじったものです。作曲者自身がアンチ・アンチ・オペラと称したこのオペラは、淫靡かつコミカルであり、起承転結がありません。その支離滅裂に展開する物語の中にあって、この秘密警察官も例に漏れず意味不明な歌を聴かせます。ここでは、ほんの一部を抽出してピアノ伴奏で歌っていますが、美声を活かして整然とまとめいて、優れた歌唱力が伺えます。しかし、これは作曲者が言及しているようにコンベンショナルなオペラ以上にオペラ的であり、舞台での演技が重要な要素になる、いわばインスタレーション・アート的な作品なので、是非その演技も観てみたいものです。シュールでコミカルでエロティックな役柄は、エレガントな田中さんの容姿には相反するところもあり、それをどうこなすのかを観てみたいところです。この役柄の場合は、そこが芸術性として問われるところなのかもしれません。リゲティでなくても良いので、映像も観れるメディアに登場して欲しいものです。


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田中彩子

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土沢の色彩|萬鉄五郎 土沢風景 池

 萬が海外画壇の動向に反応し、当時の前衛を消化吸収していったスピードには、誰にも真似できない鬼気たるものを感じます。初期の印象派風に始まって、フォービズムや表現主義風に至り、とりあえずやりつくした後にふと振り返ると、当時の日本の画家達が西欧を追随しながらも単なる模擬に終わっていくのを目の当たりにして、自分も同じ轍を踏むのではないかと焦燥感を抱いたのは想像に難くありません。
 1914年、東京での画壇の雑音や様々な雑事を避けて、萬は一家を連れて生まれ故郷の土沢(現在の岩手県花巻市東和町土沢)に移ります。そこで、画業に集中しようという心意気の下、土沢の風景を描き、1年4ヶ月に及ぶ土沢での充電期間を経て再び上京して生まれだしたのが、セザンヌ風の静物やピカソやブラックのキュビズム風の作品です。この頃の作品には、土沢の赤い土や樹木の緑色が反映されているという指摘もあり(日曜美術館:最先端を走った鉄人~萬鉄五郎の格闘~、2017年7月2日放送)、日本でも最初期のキュビズム作品とされる《もたれて立つ人》は、赤土色に染まった人体が、まるで操り人形のように各パーツに分解され、女性を象徴する乳房と腹部、左脚の太腿にエロティシズムを集約しています。


萬鉄五郎 筆立てのある静物
◇ 筆立てのある静物 1917年 油彩、カンヴァス 68.0×57.7cm

萬鉄五郎 もたれて立つ人
◇ もたれて立つ人  1917年 油彩、カンヴァス 162.5×112.5cm


 この土沢の土と緑は、同地で描いた下絵を基に東京で続々と完成された風景画にも反映され、フォービズムと表現主義風を掛け合わせて土沢の色で融合したオリジナリティーを獲得しています。《土沢風景》も《池》も赤土と緑の樹木の補色を基調として、ムンクを思わせるような曲線の造形で構成されていますが、タイトルを読まなければ何が描いてあるのか判別できないほどに抽象化されています。


萬鉄五郎 土沢風景 -だんだん畑のある-
◇ 土沢風景 -だんだん畑のある- 1915(大正4)年 油彩、カンヴァス 53.5×41.0cm

萬鉄五郎 池
◇ 池 1916(大正5)年 油彩、カンヴァス 45.8×31.0cm


 これらの色は、補色関係を用いてはいても、鮮やかさは無く一様に沈殿するような暗い色調であり、そこにはあらゆる可能性に挑戦し、探究し続けた画家が疲弊していく予兆すら感じさせます。


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萬鉄五郎

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ミレー: 編み物の稽古 洋梨|ボストン美術館のフランス絵画

 ボストン美術館は、日本美術の豊富なコレクションで知られ、今回の至宝展でも、先の英一蝶や曽我蕭白の日本画が注目されています。同時代の円山応挙に対してライバル意識を燃やしていた蕭白は、「芸術的な絵を望むなら自分に、実用的な絵を求るなら円山応挙に頼め。」と言ったそうです。応挙の写実を揶揄したもので、確かに今回展示されている蕭白の《風仙図屏風》は写実から一線を隔した空想世界を描いていますが、その言葉の正否は、人それぞれに異なる「芸術」の定義によるところでもあり、写実に芸術性が希薄だとは言いきれないように思います。ただ、同じ日本美術として展示されている司馬江漢の《秋景芦雁図》は、日本で早くから西洋画に学んだという写実的な描写が、まるで鳥類図鑑を見ているようで、この作品を観て蕭白の言葉を思い出した次第です。

曽我蕭白 風仙図屏風
◇ 曽我蕭白 風仙図屏風 1764年頃 六曲一隻 紙本墨画 155.8×364.0cm
 

司馬江漢 秋景芦雁図
◇ 司馬江漢 秋景芦雁図 18世紀後期-19世紀初期頃 絹本着色 121.6×53.0cm


 東京都美術館の展覧会は、話題となりそうな目玉作品をピックアップして大々的にアピールして人々を惹きつけます。そのため、何時行っても館内は満員電車状態の込み様で、今回も、英一蝶や曽我蕭白が取り上げられた日本美術コーナーには人が充満していましたが、何故かフランス絵画はそれほどではありませんでした。しかし、日本美術だけに気を取られ、フランス絵画を忘れては展覧会に訪れた意味が半減してしまいます。ボストン美術館のフランス絵画のコレクションは、質が高いものばかりです。

 ミレーは、働く農民の姿を描いたものが良く知られていますが、以前も何度か書いたように、個人的には、その手の作品に共感を覚えません。

参照記事: ミレー 羊飼いの少女 on 美の巨人たち

 ミレーがボードレールの批判にさらされるような極端な意図を持っていたわけではないにせよ、個人的には、働く農民を描いたものより今回ボストンから来日した二枚の作品の方に好感を持ちます。

 《編み物の稽古》には、ミレーの優しさが現れています。母親の愛情あふれる柔らかな表情が微笑ましく、その母親から編み物の手ほどきを受ける娘の真剣な表情には、まだあどけなさが残っていて、集中して顎を胸に埋め込ませている様子が、なんとも可愛らしい。フェルメールを意識した構図と、窓から差し込む淡い光の中に、平凡な農村の母娘が紡ぐ日常の一場面をほのぼのと描いています。もしかしたら、この小さな女の子の少し成長した姿が、《羊飼いの少女》なのかもしれません。穏やかな画面が心に染み入る傑作です。


ミレー 編み物の稽古
◇ ミレー 編み物の稽古 1854年頃 油彩、カンヴァス 47.0×38.1cm

 一方、《洋梨》は、暗い色面がミレー独特の空気を漂わせる静物画ですが、実は、ミレーが生涯で静物を描いたのは、この作品を含めて全部で三点しかないそうで、中々珍しい作品だそうです。ミレーは、ここでも洋梨という平凡な果物をシンプルな構図の中に収め、美しい色彩や造形を持たないモチーフが秘めている、いわば隠れた美を見出そうとしているかのようです。つましいものの中に何かを見出そうというミレーの一貫した姿勢が、静物画に於いてもにじみ出ています。


ミレー 洋梨
◇ ミレー 洋梨 1862 -66年頃 油彩、カンヴァス 18.4×25.4cm


画像出典: ボストン美術館(Web pageにリンク)

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ジャン=フランソワ・ミレー

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大正の洋画家が描いた日本画|吉田博と萬鉄五郎

 意外なことに、吉田博は日本画を残しています。洋画では精緻な写実を追求した吉田だから、若冲なみの精細な日本画を描いたのかと思いきや、まるでデッサンのように素早く描いた墨画が多く、それも意外です。洋画における訴求ポイントと日本画でのそれを異なるところに求めたというよりは、洋画で精力を尽くす一方で、もしかしたら、その余力で自由奔放に描くことを楽しみたかったのかもしれません。
 というのも、その画風は必ずしも一定しておらず、《登山図》では、登山人の姿や斜め横に吹き付ける風の勢いが広重風ですが、《雪雲》では一転して遠近法を明確にした静謐な水墨画で、筆のタッチは初期の水彩画に近いものです。日本画を真面目に学んで取り組むというよりは、日本画に使用する筆と絵具あるいは墨を用いて気ままに描いている感じがします。


吉田博 登山図
◇ 吉田博 登山図 制作年不詳(大正期?) 紙本墨画淡彩

吉田博 雪雲
◇ 吉田博 雪雲 制作年不詳(大正期?) 紙本墨画


 描いた対象は日本画風に拘らず、《帆船》では、海に浮かぶ船の帆が水面に映り込む影を自身が「甘い」と評したモネ風に描いています。制作年は不明ながら、これらの日本画は、後に版画に取り組むようになる前のものだそうで、帆船を描いた版画の傑作への布石がすでにここに見られるのは興味深いところです。いずれにせよ、これらからは吉田のデッサンの上手さが伝わってきます。


吉田博 帆船
◇ 吉田博 帆船 制作年不詳(大正期?) 紙本墨画


 一方、同じような時期に様々な画風の探求に奔走していた萬鉄五郎も、奇しくも日本画に取り組んでいます。萬も風景を描いており、《松島》では、左手に配置した急峻な岸壁が左端で切れている構図に浮世絵の風を感じますが、その岸壁の表面のうねるような線は吉田の穏やかな写実とは異なるスペクタクルを追求しています。また、《山頂の松》に至っては、縦長の画面を活かした山と空の配置から成る意味ありげな構図や、楕円形の稜線と異様に横に長い松の枝等に、萬が追及していたアヴァンギャルドを見て取れます。一見ユーモラスに見えますが、そこには吉田の日本画にある洒落た遊び心や余裕のようなものは感じられず、新しい表現を探求するぴりぴりとした真剣さがあります。


萬鉄五郎 松島
◇ 萬鉄五郎 松島 1917-18年(大正6-7年) 紙本彩色

萬鉄五郎 山頂の松
◇ 萬鉄五郎 山頂の松 1917-18年(大正6-7年) 紙本彩色


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吉田博

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R.シュトラウス: サロメ|オランダ国立歌劇場公演

 先日BSプレミアムで放映されたオランダ国立歌劇場の公演は、R.シュトラウスの《サロメ》でした。昨年の秋にロイヤルコンセルトヘボウのシェフに就任したダニエレ・ガッティの指揮とマリン・ビストレムのサロメ、 エフゲーニ・ニキーチンのヨカナーン、イヴォ・ヴァン・ホーヴェの演出等、話題満載の公演でした。


リヒャルト・シュトラウス: 楽劇《サロメ》

ヘロデ(ユダヤの領主): ランス・ライアン(T)
ヘロディアス(領主の妻): ドリス・ゾッフェル(Ms)
サロメ(ヘロディアスの娘): マリン・ビストレム(S)
ヨカナーン(予言者): エフゲーニ・ニキーチン(Bs・Br)他

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
ダニエレ・ガッティ(Cond)

演出: イヴォ・ヴァン・ホーヴェ
(2017年6月12・27日 ミュージックシアター)


 まず特筆すべきは、タイトル・ロールを歌ったマリン・ビストレムです。この楽劇でのサロメは、可憐でかつエロティック、そして異常な愛欲における強靭さをも歌わなければならず、妖艶なサロメ・ダンスもあり、ダンサーを立てるにしても、その容姿は恰幅の良いソプラノ歌手では務まりません。歌手にとっては非情に難しい曲で、これを歌える人はその時代毎に限られてしまうとも思えるほどです。今回のマリン・ビストレムは歌唱の質といい、やや大柄ながらその容姿もサロメ役にうってつけです。歌唱は、多少暗めの声質で、可憐さや細かいニュアンスには欠けますが、強靭で安定しており、妖艶さも上手く表現しています。伝説となったヒルデガルト・ベーレンスのサロメには及ばないものの、現代のサロメ歌いと言えるでしょう。一方、エフゲーニ・ニキーチンのヨカナーンは、トレードマークのタトゥー丸出しの風貌といい、上手いけれども剛健過ぎる歌唱といい、預言者には不釣り合いで、あまり感心しませんでした。ヨカナーンには、計り知れない底深さを求めたいところです。


マリン・ビストレム
◇ マリン・ビストレム

 ダニエレ・ガッティ/コンセルトヘボウは、この曲が持つ官能美を余すところなく表現し、ただ、それだけにとどまらず、登場人物の性格に合わせたバックアップが見事で、例えば、ヘロディアス(ドリス・ゾッフェル)が登場する場面でのクラリネットの強靭な音色などは、この姦淫の女性の強欲さを表す象徴的な表現として挙げられるし、サロメの狂気を強調するエンディングでの管弦楽は極めて劇的な効果をもたらしていました。

 一方、余計な装飾を排除したミニマルな舞台は、原作のシチュエーションとは全く異なるものの、オスカー・ワイルドが描く歪んだ官能の物語の核心を変えてしまうほどではなく、むしろその世界を象徴しているとも言えます。衣装は、時代設定を無視しており、ヘロデは現代風のスーツを纏っていて、おそらくヴァン・ホーヴェは、この物語の主題がサロメのネクロフィリアとも言える異常な愛欲にあり、時代や地域の設定とは無関係な普遍性を持たせようとしたのでしょう。物語の内容からして、その思想は多くの観者に受容可能なものであると思われ、ミニマルな舞台と共に一定以上の成功を収めていると言って良いでしょう。


オランダ国立歌劇場 サロメ


 ただ、死んだヨカナーンに口づけする場面は、その首が銀の盆に乗っているのではなく、血だらけのヨカナーンの死体にサロメが覆いかぶさるという設定で、確かにネクロフィリア的性愛をリアルに描いてはいるのですが、官能というよりはおぞましく、少しやり過ぎのようにも思えました。あまりにもリアルな表現は、象徴的な要素を奪ってしまっているように思います。全体的に、悪くない演出ではありますが、個人的には、ギュスターヴ・モローの絵画のようにタトゥーはヨカナーンではなくサロメ自身に施して欲しいし、エンディングは盆に乗った首だけの方がより効果的だと思います。


ギュスターヴ・モロー  (刺青の)サロメ
◇ ギュスターヴ・モロー  (刺青の)サロメ 1876年 油彩、カンヴァス

ギュスターヴ・モロー  出現
◇ ギュスターヴ・モロー  出現  1875年 油彩、カンヴァス



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ギュスターヴ・モロー  出現

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N響 ザ・レジェンド~あなたの記憶に残る名演奏~|on クラシック音楽館

  昨日のクラシック音楽館は、FMで放送されているというN響の名演奏を巡る企画で、池辺晋一郎と壇ふみさんが登場して20年前の「N響アワー」の様でした。

ブルックナー: 交響曲第8番 第4楽章
ロヴロ・フォン・マタチッチ
(1984年3月7日 NHKホール)

ワーグナー: ニュルンベルクのマイスタージンガー前奏曲
ウォルフガング・サヴァリッシュ
(1973年6月23日 NHKホール)

モーツァルト: 交響曲第40番 第2楽章
オットマール・スウィトナー
(1984年1月11日 NHKホール)

ワーグナー: 《さまよえるオランダ人》より水夫の合唱《見張りをやめろ かじとりよ》
ホルスト・シュタイン
(1983年3月9日 NHKホール)

シベリウス: 交響曲第2番 第4楽章
ヘルベルト・ブロムシュテット
(1991年3月14日 NHKホール)

ラヴェル: ラ・ヴァルス
シャルル・デュトワ
(1999年4月2日 NHKホール)

ブルックナー: 交響曲第5番 第1楽章
ギュンター・ヴァント
(1979年11月14日 NHKホール)

ドヴォルザーク: 交響曲第9番《新世界》
ヴァーツラフ・ノイマン
(1986年11月7日 NHKホール)

ラヴェル: ボレロ
ロリン・マゼール
(2012年10月24日 サントリーホール)

チャイコフスキー: 交響曲第5番 第2楽章
エフゲーニ・スヴェトラーノフ
(1997年9月6日 NHKホール)

ベルリオーズ: 幻想交響曲 第5楽章「ワルプルギスの夜の夢」(ベルリオーズ)
ミヒャエル・ギーレン
(1977年4月22日 NHKホール)

ベートーヴェン: 交響曲第9番 第4楽章
ズービン・メータ
(2011年4月10日 東京文化会館)


 マタチッチによる伝説のブルックナー第八は、今聴くとその後のN響がどれだけ進歩したかわかるのですが、マタチッチという指揮者が紡ぐ音楽の強靭な造形が、演奏技術を越えたところにあることを改めて認識させられます。その後、N響には数多の名指揮者が登場していますが、マタチッチのブルックナーは、レジェンドと言うにふさわしい名演だと思います。この名演は、DENONレーベルでCDが入手可能です。その約9年前の1975年の録音もあり、こちらはAltusレーベルでのCDがあります。
 小ベームと言われたサヴァリッシュは、74年当時はまだ若く、その優れたバトンテクニックにただならぬものを感じさせ、広大なおでこが印象的な割には一聴して特色のないホルストシュタインは、しかし、オペラハウスで鍛え上げたダイナミックな音楽造りで魅了しています。大分以前なのでうろ覚えですが、ホルストシュタインは一度だけ生で聴いたことがあり、その圧倒的な音量はフェドセーエフ等に代表されるロシアの指揮者も霞むほどの大迫力でした。
 今とさほど変わらない91年のブロムシュテットのシベリウスも感動的でしたが、その後のデュトワあたりから、映像もHDになって、我々の世代にも馴染み深くなっていきます。このデュトワ時代のあたりからN響に限らず世界のオーケストラの近代化、グローバル化が始まり、目覚ましく技量が進歩して、以前はベルリン・フィルでしか聞けなかったヴィルトゥオジティを聴くことが出来るようになっていったように思います。
 一方、ヴァントやノイマンにも懐かしさを感じましたが、再度古い時代に戻ってカラヤンの逸話とイタリア歌劇団で、なんと、マリオ・デル・モナコの歌唱が紹介されました。この時代は、歌手だけ来日して、N響が担当していたようです。そして、極め付きのレジェンドは、ストラヴィンスキー。作曲家自身の指揮による《火の鳥》のフィナーレは、スタッカートが強調されており、その何年も後にマタチッチが演奏した同曲のそれと似ているのに驚かされました。今回は取り上げられていませんが、あのマタチッチの《火の鳥》も歴史的名演奏だと思います。
 2012年、当時の大御所マゼールの登場には、さすがN響と感じさせます。何度も来日していつでも聴けるような気がしていたのに、突如世を去ってしまったのは残念です。そして、檀さんお勧めのスヴェトラーノフも、お馴染みの大上段に振りかぶったチャイコフスキーながら、ここまであからさまにやられると、もう楽しんでしまうしかありません。弱音の弦の美しさは、今のN響を予感させるものがあり、中々の名演奏でした。次の池辺先生おすすめのミヒャエル・ギーレンは玄人好みかと思いきや、意外と色彩豊かなベルリオーズで、誰にでも分かり易く音楽を解説する池辺流儀らしい選択でした。
 そして、締め括りはズービン・メータの第九。2011年のフィレンツェ歌劇場との来日中に東日本大震災が発生し、団員の安全を優先したイタリア政府の指示によって帰国を止む無くされましたが、その後単身で再来日して日本のために音楽家として出来るチャリティー・コンサートを開催したのです。このメータの演奏は、苦境に立ち向かう人の姿をベートーヴェンの不屈の精神に見出してその楽想に投影するだけでなく、メータの楽園性の中にある優しさも込められた希望の音楽として心に響いたものです。

 マタチッチに始まってメータに至るまで、N響に登場した名指揮者と共にめぐるザ・レジェンド。ぶつ切りで聴くのは物足りないところもありますが、時代の流れと共にN響の名演奏を堪能できました。


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マタチッチ ブルックナー

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