初期の交響曲というのは、作曲家によって、先達の影響下にある作品になるか、いきなりその作曲家の個性満開になるかの二つのタイプに分かれるようです。前者には、ベートーヴェンやブルックナー、ドヴォルザークなど多くの偉大な交響曲作家が挙げられます。後者は、最初から圧倒的な個性を示したマーラーの《巨人》の右にでるものはなく、次いでショスタコーヴィチやシベリウスが位置づけられるのではないでしょうか。(ブラームスの第一番はキャリアの遅い時期になってリリースされたので、この区分けに適用できない)

 ショスタコーヴィチの交響曲は、基本的には西洋音楽の楽典に則った調性を有する音楽なので、そのわかり易さも手伝って、マーラーの次はショスタコーヴィチの時代が来ると言われてきました。昨今では、いよいよその時代に突入しているのではないかという話もあります。

参考記事: ショスタコーヴィチの時代が来た|on レコ芸5月号|交響曲第4番

 ショスタコーヴィチの交響曲第一番が初演された1926年は、自身まだ若干20歳の若者でした。しかし、その才気あふれる音楽を聴いたブルーノ・ワルターが絶賛し、早速ベルリン・フィルを振って演奏したことから、瞬く間にショスタコーヴィチの名前が西側にも広がることになりました。当時すでに12音技法もあったし、ストラヴィンスキーの《春の祭典》のセンセーションからも時を経ていましたが、それらの斬新さを凌駕するものでないにもかかわらず、すでに、後の交響曲群を予感させるシニカルなユーモアや打楽器の多用による大胆なリズムが随所に見られ、その独特の楽想がユニークです。感覚的には、交響曲というよりは舞台音楽に近い音楽で、バレエやオペラの管弦楽としても成り立ちそうな感じがします。

 今日、演奏会で頻繁に取り上げられる曲ではありませんが、様々な録音が存在し、その中でも、バーンスタイン/シカゴSOのCDは屈指の名演奏です。バーンスタインのショスタコーヴィチは、はニューヨーク・フィルと録音した第5から連想するとイメージとしてはかなり暴れそうなのですが、シカゴとの演奏では意外にも端正にまとめ上げていて、それがかえってこの曲の斬新な個性を現すことに成功しています。政治の世界では20世紀から延々と続くロシアとUSAの対峙ですが、ロシア音楽をアメリカンが演奏するというコラボレーションが容易く成り立っているところが芸術の良さでしょう。



◇ ショスタコーヴィチ: 交響曲第1番、第7番 バーンスタイン/シカゴSO(AD by amazon)


 第一楽章の序奏は、おどけた感じのオーボエで始まり、弦やフルートが絡みだすと、はやくも交響曲とは思えない物語性を感じさせ、室内楽的な楽想から転じて打楽器を打ち鳴らすダイナミックな展開を経て、コーダでは序奏部が再来して締めくくります。シカゴの木管陣の優れた個人技は、ショスタコーヴィチの常軌を逸したような旋律の流れをくっきりと浮かび上がらせています。

 第二楽章は、プロコフィエフを思わせるアレグロのめまぐるしいリズムを弦が刻み、ヤナーチェクを思わせるスラヴ風の主題を絡めて押しまくりますが、バーンスタインは、ここぞとばかりに豪快に鳴らしつつも、シカゴの機能美によってそれが粗野な音楽に逸脱せずに、引き締まった表情になっています。この楽章のコーダは独創的で、上の展開でしめくくったかと思いきや、ピアノの和音が打ち鳴らされて再度音楽が始まり、神秘的な弦のトレモロで消え入るように終わります。

 第三楽章は、弦楽器の音像の上にオーボエの旋律が乗って始まる、後期ロマン派風の緩徐楽章になっています。弦が徐々にクレッシェンドしていってひとしきりのクライマックスを迎え、再びオーボエが戻ってくると、いつのまにか不安をはらんだドラマティックな展開を見せはじめ、金管が高らかに鳴り響いたかと思うと、突如ピアニッシモが訪れます。その弦の微妙な音色の美しさは、ぎりぎりのバランスでなんとか保たれている均衡の上にあるような響きによってもたらされ、それがシカゴ響の見事なヴィルトゥオジティ―によって実現しています。

 終楽章は、第三楽章が消え入るように終わると同時に小太鼓の連打が湧き上がってきて始まります。ピアノも入ってきて、華々しくもダイナミックなトゥッティと不安げな弱音部にロマンティックな旋律が入り組んで、ショスタコーヴィチ一流の世界が、すでにここで確立されています。このめくるめく展開は、しかし、壮大な交響曲というよりは、劇音楽のそれに近く、ここでも第二楽章のコーダと同様の展開を見せ、激しく大音響で締めくくったかと思いきや、続いてティンパニが打ち鳴らされて、悲しげなチェロの独奏に引き継がれます。まるで、バレエの主人公が死んでしまった場面のようです。しかし、音楽はそのまま弱音では終わらず、再びクレッシェンドしていって、最後はアレグロ・モルトで大音響のトゥッティによる劇的な終焉を迎えます。バーンスタインは、ともすればグロテスクになりがちなショスタコーヴィチの音像を、シカゴの機能美を活かした清楚な音色でまとめているために、洒脱で小気味よい演奏になっています。

 
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ショスタコーヴィチ

ショスタコーヴィチ交響曲全集 
マリス・ヤンソンス/ベルリン・フィル, LSO他
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