1890年に拳銃自殺した(実際には不明な点が多い)と言われているゴッホは、その年にも多くの作品を残しています。

前回記事: ゴッホ: 渓谷|「深まるジャポニズム」より @ゴッホ展

 今回の展覧会「ゴッホ展(巡りゆく日本の夢)」では、この年の作品として《ポプラ林の中の二人》が展示されていました。ポプラとは言っても、樹木の全容が描かれているわけではなく、画面上で見ることができるのは林立する幹だけであり、樹の上の方はトリミングされ、下部は鬱蒼と生い茂る雑木によって遮られています。この大胆な構図は、展覧会の副題となっている「巡りゆく日本の夢」に由来する広重の浮世絵的なものでしょう。そして、ポプラの幹の彩色に通常ではあり得ないピンク色や青、水色が用いられるという大胆さは、ポール・セリュジエらによるナビ派的な要素も入っている反面、一面を覆う雑木の葉の筆致は印象派のそれであり、当時流行していた様々な絵画様式を融合していることがうかがえます。しかしながら、この画とほぼ同時期に描かれたセリュジエの《タリスマン》やモネの《つみ藁》に見られる抽象化には今一歩到達しておらず、むしろタイトルにも登場する二人の男女の姿が、この作品を特徴づけています。明るく彩られた雑木の葉や、ポプラの幹に対して、背後でポプラの幹の間から見える空間は暗い緑で塗られており、前面の明るさと対照を成して、それが、そこはかとない不穏な空気を生み出しています。果たして、この二人の男女は誰なのか、デフォルメされているために年齢も身分も不明であり、仲睦まじく腕を絡ませているように見えるものの、いったいどのような境遇なのか、といった疑問や憶測を呼びます。この感覚は、むしろ象徴主義的なものに近く、突き詰めて言えば、形而上絵画に存在する、謎や困惑、幻惑、静謐や不安といった感覚へも通ずるものがあるように思います。
 短い生涯の中で集中的に多くの名画を生んだゴッホが、夭折せずにその後も描き続けたとしたら、いったい何処へいったのだろうかと、様々な憶測や想像を駆り立てるような作品です。


ゴッホ ポプラ林の中の二人
◇ ポプラ林の中の二人 1890年 油彩、カンヴァス 99.7×49.5cm

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ゴッホ

ゴッホと〈聖なるもの〉 – 2017/5/25
正田倫顕

壁掛け絵画 フィンセント・ファン・ゴッホ: 夜のカフェテラス
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