ニールセン最後の交響曲となったこの曲は、他の5曲とは若干趣が異なり、終楽章が変奏曲になっていることもあって、全体的な構成としては交響曲というよりは管弦楽曲のようです。限られた小規模編成で演奏される部分も多く、室内楽的でもあります。但し、フルオーケストラでは、ニールセンらしい豪快さも健在です。

 弦楽器が刻む少々おどけたフレーズで始まる第一楽章は、最初は牧歌的に流れ、徐々にニールセンらしい交響的で雄大な展開を見せます。そして、最後にはティンパニの強打が入る独特の戦闘的な楽想が現れる、それ以前の交響曲の流れをくむ楽章です。
 弦楽器がまったく沈黙したままの第二楽章は、新古典主義的な楽想で、小太鼓は第5番に登場した軍隊風のリズムを継承していますが、木管や金管のおどけた旋律が入ることで、ここでは滑稽さを感じさせます。この風変わりな楽想は、当時の楽壇における評論家諸氏の不毛の議論をもじっているとも言われています。
 第三楽章は、弦楽器による美しいフレーズがフーガ風に折り重なって開始されます。この楽章も一部の楽器しか登場せず、弦楽器の旋律は徐々に北方の大地を感じさせるような寂寥とした音楽になっていきます。その根底には、後のバルトークの管弦楽曲を思わせるような、暗く不安な要素をも含んでいます。
 上記した、第二、第三楽章の室内楽的なユニークさもさることながら、この曲を一層特徴づけているのは、第四楽章です。まず、木管群による前奏が唐突に開始され、次にファゴットが基となる主題を奏し、その後に変奏が始まります。この主題は、難解で覚えにくい旋律です。





 各変奏は、さほど長くはなく、入れ代わり立ち代わり楽想が変化していきます。

第一変奏:オーボエが担当する変奏
第二変奏:ホルンによる断片的な変奏。
第三変奏:弱音器を付けたヴァイオリンによる短い変奏。
第四変奏:ヴィオラとヴァイオリンによる変奏。
第五変奏:金管と弦による変奏
第六変奏:ワルツ風の変奏
第七変奏:ポリフォニックな変奏
第八変奏:哀歌風の変奏
第九変奏:木琴とファゴットにより始まる風変わりな変奏

 オーボエがおどけた第一変奏を担当し、次のホルンによる断片的な第二変奏は、木管や弦楽器により邪魔されながら弱音器を付けたヴァイオリンの第三変奏に引き継がれます。そして、その直ぐ後に、ヴィオラとヴァイオリンの第四変奏が力強い旋律を奏でます。続く第五変奏では、さらに音量を上げて弦の16分音符と金管で展開される緊張した盛り上がりを見せ、その流れが遠ざかると、第六変奏では一転してワルツに移行して、がらりと明るい雰囲気にかわります。
 しかし、その安定感は長続きせず、第七変奏ではワルツの三3拍子にトロンボーンの二拍子が加わってポリリズムを構成し、部分的にポリフォニックな音楽を展開します。
 ポリフォニックな騒ぎが一通り静まると、今度は弦による悲しげなメロディーの第八変奏が始まりますが、その流れも直ぐに終わってしまいます。
 続いて小太鼓が再登場してリズムを刻み、木琴(シロフォン)とファゴット、チューバによる風変わりな第九変奏に移行します。ほどなくして、いきなり金管のファンファーレが登場するので、これで勇壮に終わるのかと思わせますが、最後にまた小太鼓が復活してティンパニと小太鼓の連打の後に、やや滑稽な感じで締めくくります。しかし、素直には終わらず、最後にファゴットのフェルマータがついた低音を引きずる異様な終わり方になっています。

 全曲の構成といい、入れ替わり立ち代わり現れる、統一感のない奇天烈な楽想といい、それ以前の音楽からは逸脱していて、細部のオーケストレーションに技巧を凝らした現代音楽としての斬新さを主張する意図が見える曲です。表題の「素朴な」、という表現とのギャップに戸惑わされる人も少なくないと思われます。

 ネーメ・ヤルヴィ/イエーテボリ交響楽団は、この曲をありのままに演奏しており、従来のニールセンの姿があちこちに垣間見えて、散漫さが目立ちます。しかし、これが楽譜に忠実で、正当な演奏なのかもしれません。

 コリン・デイヴィス/ロンドン交響楽団は、この曲ならではのオケの洗練された機能美を楽しむことができます。第二楽章における弦の透明な響きと木管の瑞々しい音色は特筆に値します。デイヴィスは、この曲の特異な部分を必要以上に強調することのない上品な表現に徹しています。LSOの精密な音作りが全曲に統一感を与えており、ヤルヴィ盤よりすんなりと耳に入ってきます。








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