雨男の徒然日記

日々の雑感などを徒然なるままに書くブログ

今週から雪景色。
これまで降らなかった分を取り戻すかのような積雪量。

友人からは「ナイタースキーに行きましょう!」と誘われていますが、そういうときに限って会議があるんですね。この雪はしばらくあるでしょうから、またタイミングをみてスキーにいきたいと思います。


ところで、この前は「苦手意識」というものについてふれてみました。

この「苦手意識くん」という人は実におもしろい存在で、その存在から逃げないでじっくり見つめていくと、色々なことが見えてきます。


例えば、私は子どものころ病弱で、小学校のプールの授業をよく休んでいました。
生まれつき心臓に問題があり、虚弱体質で病気がちだったのです。

ですから、私はクロールや平泳ぎといった「泳ぎ方」を授業でほとんど教わることができませんでした。

こうなると、知らず知らずのうちに、私の心の中には「自分は水泳が苦手だ」という気持ちが芽生えてきます。
そして、たまに参加するプールの授業で、「泳げない子」のグループ練習というものに参加させられることで、さらに「自分は水泳が苦手だ」という気持ちが大きくなっていくのです。

私はこの「泳ぎ方」を知らない、つまりまともに泳げないという「苦手意識くん」から、かなり長い間逃げてきたように思います。


その「苦手意識くん」と真正面から向き合うようになったのは、この仕事を始めてからですね。
子どもたちと接していくとき、自分だけ「苦手意識くん」から逃げておいて、子どもにだけ「苦手意識くんと真正面から向き合っていけ!!」とは言えませんからね。

そこで私は、泳ぎ方の教則本や、ビデオ等を購入し、ひとりで泳ぎ方を勉強しました。

市民プールの空いている時間帯に通って、本やビデオで得た知識をたしかめながら、コツコツと練習しました。時折、上手な人が泳いでいるのを横目で見ながら観察したりもしました。

そうしたら、クロールや平泳ぎなどが次第にできるようになってきました。

「なんだ、できるじゃん。自分が想像していたほどはむずかしくはないぞ」

その段階まできたところで、知人に泳ぎのフォームをみてもらいましたが、「違和感ないね」ということだったので、これで自分の中では「合格」としたのでした。


このとき、私の心の内面ではどのような変化があったのか?


そのことを書き始めると、またちょっと長くなりそうですので、今日はこのあたりにしておきます。


今回の画像はクリスマスカードのお礼に書いたものです。
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こんにちは、三沢です。
今年もよろしくお願い致します。

さて、2016年最初のひとりごと。
それは、このところ社会人の方のご入会が増えてきているということです。

「むかし学校の授業で、割合が完全に理解できなかった。
 今でも完全に理解できているか不安だ」

とか、

「算数については、ずっと苦手意識があって、今でも苦手。この苦手意識を克服したい」

とか、

「小学生のころ算数ができないことを親にバカにされた。そのときからずっと算数が嫌い。これまではそのことから逃げてきたけど、そろそろ逃げるのをやめて、嫌いという意識を変えていきたい」

というように、みなさん色々な思いがあって、でき太くんの算数クラブに入会されます。


私は、社会人の方のご入会は歓迎しています。
できれば私が全員の方を担当したいくらいです。

というのも、私もかつて算数が大キライで苦手な人だったからです。
だから、社会人になってから学習をし直したいという人の気持ちがよくわかります。


苦手だったことに勇気をだしてちょっとだけ向き合ってみる。
そうすると、「あ、そういうこと!」というような感じで、ちょっとだけわかるようになる。

ちょっとだけわかると、もう少しわかるようになるんじゃないかと思って、もうちょっと勉強してみる。そうすると、ますますわかるようになる。

そして、苦手だったことがどんどん「できる!」ようになってくる。


苦手意識があった人が「できる!」ようになったときは、苦手意識がなかった人が「できる!」ようになったとき以上に、自分に自信が持てるようになるんですよね。(ちょっと理屈っぽいかな)


むかし苦手だった算数が、できるようになるというのは、苦手意識がなかった人からみると、あまり大したことのようには思えるかもしれませんね。

だって、ただ算数ができるようなっただけですものね。

極端な話、「100円の10パーセント引きはいくら?」という問題が、自信を持って回答できるようになって、何の変化があるのでしょうという感じですよね。


でも、たったそれだけのことが、苦手意識があった人にとっては大きな違いなんですよね。

これまで背中を丸めて歩いていた人が、背筋をのばして、胸を張って歩けるようになるくらいの違いがあるんです。


日常仕事をしながら、でき太の学習を継続するというのは、とても大変だと思います。
それでも継続できて
いる方がいるのは、自分の中にある苦手意識が、ひとつ一つ解消され、それが自信となっている実感があるのでしょうね。

このようにして自信を回復して、生き生きと過ごせるようになった方々が、どこかで自信を失くしている人を見かけたとき、「あなたも自分のスタートラインから学習すれば、必ず自信が持てるようになるよ、大丈夫!」と励ましてあげられるようになったら、私は本当にうれしく思います。

では、また。


帰省した際に撮ったもの。

その1
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その2
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その3
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その4
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こんにちは、三沢です。

今回は前回の「自然さとは その2」の続きとなります。
今回で「自然さとは」は最終回です。


「自然さとは その3」


それから数日、眠れない日が続きました。

「どう考えても俺は悪くない。絶対に悪くない。悪いのはSちゃんだ」

そういう意識からなかなか抜け出せません。
とても自分の心(意識)など冷静に見つめる余裕すらありません。

しかし、そういう感情が何度も何度も心の中に出てくると、さすがに疲れてきます。

完全に疲れきったときからでしょうか、ようやく自分の内面にあるSちゃんへの意識を見つめられるようになってきました。

そして、冷静になればなるほど、自分はSちゃんに対して、何て酷いことをしていたのかという自責の念に襲われたのです。

もし私が誰かに、心の中で「扱いにくい子どもだ!ダメな子だ!」と思われながら、口では「がんばれ!君ならできるよ!」と言われたら、私はどういう態度をとるだろう?

きっとSちゃんのように反抗的な態度をとると思います。
私だったら、「心の中では、俺のことを否定しているくせに、よく口ではそんなことが言えるな!この嘘つきが!!!」と言って、教室から出て行くかもしれないと思いました。

私はそれと全く同じようなことをSちゃんにしていたのです。
Sちゃんの反抗的な態度、大人をバカにしたような態度は、私の心(意識)の声を聴いた彼女の素直な反応だったのです。

このことに私が少し気づいたことで、その当時のSちゃんとの関係は改善の方向に進んでいきました。
私は自分の心を見つめ、自分が心の中でSちゃんにしてきたことを悔いたことで、Sちゃんを許せるようになってきていたのです。

不思議なことに、私の中でSちゃんを許せるようになってくると、次第にSちゃんが私に心を開いてくれるようになってきました。

心を開いてくると、Sちゃんの中にはそれまで私が気づかなかったような素直さや、すばらしい感性があったのです。

そういう相手の良い部分に気づいてくると、それまで以上に相手を受け入れられるようになってきます。すると、さらにSちゃんとの関係は好転していったのです。

そして、彼女が中学を卒業するころには、私のことを「兄ちゃん」というくらいにまで、心を開いてくれました。



ここまで、私とSちゃんとの間には、目に見えるやり取りは一切ありません。
ただ、私の内面にある心(意識)の状態が、本来あるべき「自然」な状態に変わっただけです。

私は、釈迦やキリストではありませんから、今でも自分の心(意識)が「自然」でない方向に傾くことがあります。

そのとき、必ず自分の心(意識)を素直に見つめるのです。

自分の心を見つめるというのは、時にはとても辛いことがあります。

それでも、見つめていくのです。

そうすれば、私がSちゃんとの間で経験したように、必ず心は「自然さ」を取り戻し、問題は解決していくのです。
この原稿を書いている今日も、私は自分の心(意識)を見つめています。

(完)


子ども自然哲学塾の帰り道。
きれいな夕焼け

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こんにちは、三沢です。

前回の「自然さ」とはの続きになります。
以前アップしてから、ちょっと時間がたってしまったので、お時間のある人は、前回の話を読み直してから今回の内容を読んでみてください。


「自然さ」とは その2


私がこの仕事を始めたばかりのころ、Sちゃんという女のお子さんを担当することになりました。私がまだ18歳くらいのころです。

そのSちゃんは、いつも塾を休みがちで、反抗的な態度でちょっと大人をバカにしているようなところがありました。若い私にとってはとても扱いにくい生徒でした。

ですが私は、そんな「扱いにくい」とか「生意気だな」という内面の気持ちは一切表に出さずに、「よくきたね!今日もがんばろう!」とか、「宿題は忘れても大丈夫!教室でまたがんばればいいよ!」と、心とは逆の声かけをしていました。

その言葉に対して、Sちゃんは一向に反応しません。
むしろこちらの話を聞いているのか、いないのか、投げやりな態度で勉強しています。

その態度を見て、私の心の中には「なんだこの態度は?こちらが優しく声かけしているのに、こういう態度をとるなんて最低だな!まったく扱いにくいな〜この子は!」という思いが、さらに膨らんでくるのでした。

そういう気持ちが私の心の中でさらに膨らんできてからは、授業中にこちらがSちゃんに話かけても、Sちゃんと目が合うこともありません。完全に私の存在を無視したかのような態度です。

若かった私は、この大人をバカにしたような態度に、心の中ではSちゃんに対するマイナス的な感情がとめどもなく湧いてくるのでした。

まだこの仕事を始めたばかりの私にとって、このSちゃんとの問題は、私ひとりで解決できるような問題ではありませんでした。
私とSちゃんとの目に見えない心での会話は、すでにクラス全体の雰囲気にも影響を与えはじめていたからです。

そこで私は塾長にSちゃんのことを相談しました。

「塾長が面談して入塾させた、あのSちゃん。ちょっと態度が悪すぎます。塾は休みがちですし、たまに来たかと思えば、大人をバカにしたような態度で、授業はまともに聞かないし、勉強する気があるんだか、ないんだか・・・。いっそのこと、塾をやめるように言ったほうがいいんじゃないんですか? こちらががんばろうといっても、全くがんばる気がないようですし・・・塾長はどう考えますか?」

すると塾長は、「まず私は、Sちゃんをやめさせるつもりは全くありません。そして、今回の問題の原因はSちゃんではなく、あなたの中にありますね」と言いました。

「は?? 塾長、何を言っているのですか? 私は何も悪いことはしていませんよ。彼女が塾を2週間もさぼって、久々に来たときには、"よく来たね!がんばろう!”と声かけしてましたし、むしろ彼女を応援していました。そんな私に、彼女との関係を拗らす要因があるとは思えませんけど!!」

「それが問題なのですよ。あなたがいまだに”悪いことはしていない”と思っていることが問題なのです。あなたは心の中でSちゃんに対して、”扱いにくい、生意気だ、自分をバカにしている”というような意識を持っていますね。その意識が、Sちゃんにしっかり伝わっているのです。あなたは悪いことはしていないといいますが、Sちゃんに対して、”おまえは私の意にそぐわない人間だ。やる気がないならやめてしまえ!”ということと同じことを心で伝えているのです。そういう負の感情を相手に伝えておきながら、”悪いことはしていない”とよく平気で言えますね。いわゆる世の中で不良少年、問題児と言われているお子さんたちは、そういう意識を社会から、大人から浴びせられているです。だから、”反抗”するのですよ。自分を否定されて、素直になれる人などこの世の中にはいないのです」

この塾長の話は、当時の私にとっては、受け入れがたい話でした。

当時の私としては、塾長に「君の気持ちはわかるよ。確かにSちゃんは扱いにくいものな。場合によってはSちゃんにはやめてもらうしかないかもしれないね」という話を期待していたのですから・・・
それに、目に見えない自分の心(意識)が相手に伝わるなんて、さらに受け入れがたい話です。

世の中では、いくら相手に対する不平不満があっても、問題を起こさないように言葉を装い、表面的な関係を続けていくというのはよくあることです。
影で上司の悪口を言い、いつも不満を持ちながらも、問題を起こさないように、普段の会話や態度ではそういう面は一切出さないようにしているというケースはどこにもである話です。

塾長は、そうやっていくら表面を装っても、心(意識)はしっかり相手に伝わっていると言うのです。

そこで私は、「では、どうしたらいいのですか?!」と塾長に尋ねました。

すると塾長は、「それにはまず、あなたの心(意識)をしっかり見つめなさい。あなたは本当はSちゃんに対してどう思っていますか?たくさんの負の感情がありますよね。自分の思い通りにならない苛立ち、自分の尺度に合わない態度に対する憎悪、様々な思いがありますね。それをまずひとつ一つ見つめなさい。そして、そのひとつ一つがすべて伝わっていたとしたら、自分はどう思うのかを想像してみることです。そうした上で、Sちゃんに対してこれからどうしていくのか、方向性が決まったら、また来てください」とのことでした。

次回へつづく。


今回アップされている画像は明星山の岩壁です。
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こんにちは、三沢です。

ちょっとした読み物を書いてみました。
みなさんお時間のあるときに読んでみてください。


「自然さ」とは

私は、環境問題や、今地球上で起こさっている様々な問題を考え、その問題に対して何か行動をしようとするとき、自分の内面にある心(意識)を、「自然」な状態にしておくことが、とても大切だと考えています。そうしないと、冷静で研ぎ澄まされた客観性を失い、問題は解決せず、いつも問題に悩まさせるという現実から解放されないと思うからです。

私は仕事柄、多くの子どもたちと接しています。
その際にも、いつも意識していることは、自分の内面にある心(意識)を常に「自然」な状態にしておくことです。

自分の内面にある心(意識)を「自然」な状態にしておくというのは、どういうことかといいますと、簡単に言えば、偏見や思い込みという「色眼鏡」で子どもを見ないようにするということです。この「色眼鏡」が心(意識)にあると、自然さがなくなり、子どもとの関係は絶対にうまくいきません。

なぜ、相手には見えることがない自分の心(意識)を、自然な状態にしていなければ、子どもとの関係がうまくいかないのでしょうか?

それは、私たちは心(意識)で会話をしているからです。

言葉巧みに、「こんなに算数ができる子みたことがないよ!!すごいね!」とか、「そんなに昆虫のことを知っているなんてすごいね!大人もびっくりだよ!」というように、子どものことを褒めて、褒めて、褒めまくっていれば、子どもとの関係はうまくいきそうですが、それだけでは子どもとの関係はうまくはいきません。

私たちは心(意識)で会話をしていて、心(意識)は、言葉以上に力があるということを自覚しておく必要があるのです。

先ほど書いた子どもへの褒め言葉も、本当に心の底からそう思っていれば、子どもとの関係はどんどん良好になり、子どもは益々やる気になっていくのです。

仕事で毎日忙しく、なかなか子どもと接することができないお母さんでも、子どもに対するあふれんばかりの愛情があり、成長を本当に喜んでいる心があれば、言葉少なに、「すごいね」と言うだけでも、子どもはどんどんやる気になり、自分の存在にすら自信が持てるようになってきます。心には言葉以上に力があるのです。

逆に、心(意識)の中で、「専門家が子どもを徹底して褒めれば、やる気になると言っていたから、とりあえず褒めてみるか」とか、「昆虫なんて将来の役にも立たないことに興味を持つよりも、算数の勉強をしてくれないかな、まったく!」と思って、同じ言葉を言えば、子どもはその心(意識)のメッセージを受け取ります。ですから、同じ褒め言葉でも全く効果が出てきません。

効果が出ない現実を見て多くの方は、「他の子には効果があったようだけど、うちの子には効果がなかった」として結論づけてしまい、効果が出ない現実に隠されている本当に大切なことに気づくことができません。

この現実に隠されている本当に大切なことに気づかない人の多くは、こう思っているかもしれません。

「目に見えない心(意識)は、絶対に相手にはわからない。だから、心でどんな嫌なイメージを持っていても、言葉でうまく装っておけば、相手との関係が崩れることはない」

かくいう私も、実はそう思っていた一人でした。
目に見えない心(意識)が、まさか相手に伝わるはずなどないと思っていました。

ですが、子どもと接するというこの仕事を始めたことによって、心(意識)は相手に伝わっているという、大切なことに気づくことができたのです。


次回につづく


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最近、細字というものも始めてみました。
こういうの好きだな。

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師匠、たまにしか稽古にいけなくてすみません・・・

こんにちは、三沢です。

先週の4月12日。
このところお世話になっているスポーツ店が企画している「栂池ツアー」に参加してきました。

このスポーツ店の店長の方が、とても良い方で、私のような初心者にも、いつも丁寧に対応してくれます。
今回もその店長から、「初心者だと大変なところもあるけど、それも経験だから参加してみたら」とお誘いを受け、参加してみることにしました。


今回アップされている写真を見てもお分かりいただけるかと思いますが、とても良い景色です。
バックカントリーというのは、危険もありますが、このようなきれいで雄大な景色を見ると、「また来たいな〜」と思ってしまうものです。


危険といえば、今回も私は見事に転んでしまい、ちょっとだけ膝の靭帯を痛めてしまいました。
この時期の雪面は、ボコボコしているところもあり、私のような初心者だと、スキーの板がとんでもない方向にもっていかれてしまいます。

いや〜今回も痛かった・・・

でも、来年もまた行くんだろうな〜

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前から2番目の赤いシャツを着ているのが私です。
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こんにちは、三沢です。

少し前の話になりますが、3月21日、22日に、私は人生初となるバックカントリーに出かけました。今回アップされている写真はその際に撮ったものです。

今回バックカントリーに出かけたのは、神楽ヶ峰。

「神楽ヶ峰」で検索されるとわかるかと思いますが、ここは山スキーの入門コースとのこと。
その割には、ちょっとこわいところなど数多くありましたが、ちょっとこわいと感じるのは、私のスキーの技術がまだまだだからだと思います。
ある程度経験のある方にとっては、ゆとりをもって楽しめるコースなのでしょう。

来年は楽しめるくらいの技術を身につけていきたいですね。

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(この画像は天気が良いときのナイターのものです)

こんにちは、三沢です。

最近私は「テレマークスキー」にはまってしまい、時間を見つけては練習に通っております。
昨日の日曜日も「子ども自然哲学塾」が終わったあと、白樺湖までナイタースキーに行ってきました。

昨日は風もあり、気温もマイナス8度。
しかも、ゲレンデの状態もあまり良くなかったので、すぐに帰ることにしました。


ス〜イ、ス〜イ、ガリガリガリガリ〜


そんな音をたてながら、車の置いてある方向に滑っておりましたら・・・・


わ〜〜〜!!


まさかの大転倒〜


自分の足が、今ままで見たこともない方向に曲がっていく〜!!


「うわ〜!!」


板が時計のようにまわりました・・・・



回転が収まって、まず確認したこと。


足が動くかどうか。
これ大切です。


左足を動かしてみる。


「あ!!ちゃんと動く〜!ありがたい〜!」


右足を動かしてみる。


「あ!何ともな〜い!!」



こうして、昨日はお家に帰りました。



今日、ちょっと足首のあたりが痛みますが、大事に至らなくてよかったです。
明日も練習に行こうと思っていましたが、無理をしてもいけませんので、明日はお休みします。


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昨日大回転した板。
私の大切な板。


【追記】
会員の皆様へ
昨日大回転しましたが、仕事には全く支障はありませんので、その点についてはご安心ください。

三沢です。
2015年、最初の日記になりますね。

今年は1月に祖父が亡くなるという悲しい出来事がありました。
子どもの頃、よく遊んでもらい、ルービックキューブを教えてくれたのも祖父でした。

親戚の話では、祖父は書が好きだったとのこと。
私も書は理屈抜きで好きなものですから、私はもしかすると祖父の流れを受け継いているのかもしれません。


さて、その書の世界には「雅号」というものがあります。
「雅号」とは、簡単に言うと、本名以外の書の世界で使う名前のようなものです。

先だって、私はこの雅号を授かることができました。

40になって始めた書の世界において、雅号までいただけるとは思ってもいませんでしたが、この年になって別の名前を尊敬する先生からいただけるというのは、本当にうれしいものです。


雅号をいただく前には、雅号を考えるための個人的なインタビューがあり、ほんの数分でしたが、私が考えていること、仕事の内容、これからの目標などをお伝えしました。

ほんの数分でしたので、思うところを十分にお伝えできなかったという印象があったのですが、先生は私の生き方、目標にピッタリ合った雅号を授けてくださいました。


その「雅号」の公開については、また次回。









というようなことを書いたら、この日記の読者からかなりクレームがきますね。


『ただでさえ更新回数が少ない日記を見に来ているのに、「また次回」って・・・』

『その次回っていつですか? 来月(笑)?』

とか言われそうです。


さて、今回書の先生から授かった雅号は、「童輝」(どうき)といいます。


これから私が子供たちと一緒に輝いた人生をおくれますように・・・という願いを込めて授けてくれました。

嬉しい限りです・・・

まさに私が目標としていることそのものです。

私がこれから困ったとき、辛くて逃げ出しそうになってしまうとき、きっとこの雅号が私の支えとなってくれることでしょう。


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テレマークスキーレッスンの際の写真です。


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初めて行った富士見パノラマスキー場


今年から私は「テレマークスキー」にも挑戦することにしました。
これからも、いろいろなことに挑戦していきます。

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