2018年08月

2018年08月26日

ヤン富田さんの原美術館での公演『PERFORMING ART OF YANN TOMITA AT 原美術館』、両日、に触れて。

2018年08月25日

ヤン富田さんの原美術館での公演『PERFORMING ART OF YANN TOMITA AT 原美術館』、初日、に触れて。

 ヤン富田さんは、かつて、YIN & YANG TOMITAという名義で、作品をリリースされたことがありましたが、ふと、そんなことを思い出す、なんとも言えない、且つ、笑えたりもする、とても楽しい公演でした。


 よく世の中で話題になる、「過激なもの」は、大概、保守的な人が喜ぶタイプの「過激なもの」、である場合が多い、と、よく感じます。
 でもしかし、今日のヤンさんの公演は、心休まるような優しい音楽も多かったのに、その、成り立ち自体が、過激、なもの、にも、感じられました。
 

 それは、当然、過激、と、保守、のどちらが偉いか? と、いうような問題、ではなく、自分のことを、どちらかというと「過激」だと思ってらっしゃるタイプの方も、どちらかというと「保守的」だと思ってらっしゃるタイプの方も、また、そのどちらでもないし、そんなことはそう簡単には決められない、と思ってらっしゃるタイプ、そのような方も、そして、誰も彼も(彼女も!)、今日の公演に触れた方々は、皆、ヤンさんの、その、絶妙なバランス、を体験してしまった、ということが、とても、ピース、なことに感じました。


 DOOPEES、や、ASTRO AGE STEEL ORCHESTRAの演奏や、「宇宙を旅する曲」を聴きながら、今夜、ふと見上げた夜空には、月、は、見当たりませんでしたが、もし視えていた、としたら、陰陽、TAOの模様に視えたのではないか? ふと、そんなことを思いました。


 過激、とか、保守的、とか、そんなような、一言、では片付けられない(敢えて、前世紀的な表現をすれば)ヤンさんの絶妙なMIX、に触れることが出来ましたが、やはり、そんな、MIX、というような(その良さも健在、ではあるものの、それはここでは、さておき)狭い価値観で測れない、とてもフレッシュでピースな、バランス、を感じ、この日の原美術館の中庭、だけ、そこだけが、他のどこにもない、とても素晴らしい、平和な場所、になっていたのでした。



2018年8月25日土曜日 A.K.I. (倫理B-BOY RECORDS / A.K.I.PRODUCTIONS) 



https://twitter.com/RINRIBBOY1/status/1032115631410241536 


2018年08月22日

『J・ディラと《ドーナツ》のビート革命』ジョーダン・ファーガソン著(DU BOOKS)、に触れて。

『J・ディラと《ドーナツ》のビート革命』ジョーダン・ファーガソン著(DU BOOKS)、に触れて。
 


 ティム・ローレンスさんの御本にもあった哲学を感じ、とても楽しく読めました。

 そして、ジョーダン・ファーガソンさんが、もし、もう一つの「ドーナツ」をご存知だったら? と、思いつつ、改めて、これ https://twitter.com/RINRIBBOY1/status/1029020912601915392 を読み直しました。




2018年08月14日

山口小夜子さんの命日に〜A.K.I.PRODUCTIONSの2018年夏の日記帳から(KOOL HERCからBUCHLAまで)。

 写真は、昨年の山口小夜子さんの命日の前日に行われた、『A.K.I.PRODUCTIONSライヴ! A.K.I. Plays Buchla〜ラップとトークとエレクトロニクス Vol.4』@神田TETOKA(’17/08/13)の模様から。(PHOTO = Great The Kabukicho)

 尚、この日のライヴ写真やセットリストなどは、こちら https://twitter.com/RINRIBBOY1/status/900729450949562368 にUPしております。

 また、次回の、神田TETOKA、での、『A.K.I.PRODUCTIONSライヴ! A.K.I. Plays Buchla〜ラップとトークとエレクトロニクス Vol.7』は、2019年1月以降を予定しております。

 最新情報は、こちら 倫理B-BOY info https://twitter.com/RINRIBBOY1 で。

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  山口小夜子さんの命日に〜A.K.I.PRODUCTIONSの2018年夏の日記帳から(KOOL HERCからBUCHLAまで)。



2018年7月30日月曜日

 この間の、ヤン富田さんの『A.S.L. REPORT』で、はざま、についてのお話を、ずっと笑いながら拝聴し、急に視界が広がりました。
 これが、意識の拡大、ということなのかもしれません。

 自分が何度も繰り返しても飽きないことをずっとしていると、次第にグルーヴが生まれ、また時折、そのグルーヴの腰を折られるような出来事も、当然、起こり、しかし、それ、を、なんとか収めると、また、新たな、フレッシュなグルーヴ、が生まれます。

 ナカゴー『まだ出会っていないだけ』.や、ジョンソン&ジャクソン『ニューレッスン』を拝見して、(ある時期の)マイルス・デイヴィスを思い出しました。
 でも、それは、それぞれが、同じ、だから、ではないのでした。 

 BACK TO THE OLD SCHOOL、とは、柄谷行人さんがよく引かれる、フロイトの「抑圧されたものの回帰」のこと、と、考えると、自分にはピンとくるものがあります。
 ただ、その多くは、交換様式Aへの回帰である場合が多く、D、を含む例は、ヤン富田さんくらいしか、即座には思いつきません。
 とはいえ、自分のライヴ活動は、そこ、D、を主に目指しております。
 ただ、あまりにも具体的に、目指す、と、決め付けると、無心になれないので、あくまでも、統制的理念として、ではあります。

 ヤンさんの話された、はざま、とは、柄谷さんのおっしゃる、D、だとも、思えました。
 マイルスも、所謂「電化マイルス」の時代は、そこ、D、を目指していたのだろうと、思えます。
 勿論、それを言えば、ある種の電子音楽は、もっと強く、それ、D、を志向していたのだと、思われます。
 鈴木大拙の論考から引いた「絶対の孤独」を唱え、それをさらに、ポップに展開した、坂口安吾もまた、そうだったのでしょう。


 (ここで云う意味での)BACK TO THE OLD SCHOOL、とは、創造的反復、のことで、後ろ向き、なこと、ではありません。
 懐かしむこと、を指すのであれば、それは、マクルーハンの言う、バックミラー、を視ていることなので、BACK TO THE OLD SCHOOL、を、時代が違う、と揶揄する人は、その人ご自身が、バックミラーを視る発想しかないのかな? と、いう気がします(これは、自分にも、時たまあること、時に、陥ってしまいかけること、なので、油断は出来ませんし、決して、他人事、では、ございません!)。
 なので、自分は、そういう発想をする方々を、論破、するのではなく、そうしたこだわり、が、バカバカしくなるような、そんなこと、が出来れば良いな、と感じるので、たまに何か新しいアイディアが浮かんで、それをライヴでやって、笑っていただけたりすると、また、頑張ろう! と思えたりもします。 

 

 型通りの「デタラメ」、ではなく、多くの素人さんから視ると「デタラメ」にしか視えない場合が多い、ということ。ブレイクスルー、という意味での、デタラメ。


 グルーヴ、と、ブレイクスルーの関係。



 自分の思い通りにいかないことに出会いつつも、その時々の状況に対して、適切に判断していくと、何か笑えるような、可笑しなこと、に、なってきて楽しいのですけれども、そうしたヒューモアは、常日頃、何に触れ、どう考えているか、などの普段の準備の結果、ということになると思います。だけれども、ヒューモア、そこ、に、どこか、可愛げ、を感じる、可笑しさ、があれば、OK、という場合が多い、という気がします。

 つんく♂さんの作品が、ずっと好きなので、僕は「オタク」にはなれませんでした。モーニング娘。の新しいシングル曲が出る、となると、必ず、その前にリリースされた曲と、全く違う曲調の作品になる、という場合が多いので、それ故、物事の前提が変わる、ということは、時に、不安だけれども、前提、が、変わると、気持ちが、かなりリフレッシュされることが多い、ということに気づけたからです。
 それは、2000年代の初頭の頃からの話でしたが、1998年にヤン富田さんの『MUSIC FOR LIVING SOUND』を体験した時、既に(逆説的に、ですが)その感覚の21世紀版を味わうことが出来ていたのでした。
 その後、世の中の趨勢としては、それに反し、実際の21世紀は、物事の前提が変わらないことを好む人達が目立ったり、もする世の中になりましたが、その一方、ヤン富田さんの『アシッドテスト』を始め、ヒューモア、を感じさせる場面に出会うこともまた、時たま、ではあっても確かにあり、僕は、それがとても嬉しいです。

 前提が変わらないことの良さ、が一方にあり、その一方で、前提が変わることの良さがあり、そのバランスが取れた世界が、時折、実現される、と、楽しい、という統制的理念、的な思い、これを捨象しなければ、多分、おそらく、大体のことは、大丈夫、と、自分では思っております。

 いろいろな人達や、いろいろな物事に触れると、自分の盲点に気づけます。
 自分の盲点に気づくことが、「みんなが一斉に、何かに騙されていること」に気づけるチャンスだったりもします。
 世界を旅して、その国独自の習慣(無意識に前提にしていること)を知る人が、いろいろなことに気づくのは、そういうことか、と、改めて思います(特に、小沢健二さんの文章を拝読すると、そんなことを、よく思います)。

 とにかく、いろいろな考え方に触れて、自分が無意識に前提としていることの「たまたま」さに気づくと、リフレッシュ出来るようなことが、また、笑えるようなことが、多いのです。
 

 今年は、いいこと、に、関しても、悪いこと、に、関しても、それら以外のこと、に、関しても、「体育会系」の話題が多い、という気がします。
 (そういえば、今年の夏は、熱中症で運ばれてしまった人々にもまた、スポーツ関係のイベント、に、参加している方が多かったりしました)。

 僕が、90年代初頭に書いた「素晴らしき日本野球」や「お前も今日から大衆だ」と言ったリリックも、(勿論、当時からそうでしたが)、より、ごくごく平凡でさえあるような、テーマになった気がしています。


 余計なことを言わない、そのための修行。


 グルーヴは、繰り返しから生まれる、飽きないもの、ですが、よく落語で、「飽きない」と「商い」を掛けて、怠け者(?)を諭す、という下りを耳にします。
 ある時期からグルーヴ重視のループ感のある音楽が、商業的な音楽の殆どを占めた理由は、そのことと関係があるのではないか、と思います(これには、とても、ヘーゲル的、な展開を感じます)。
 最初の頃のHIP HOPは、グルーヴもあるけれども、(根本的な意味での)ブレイクスルーの瞬間もまた多くあり、そして、つい忘れがちですが、その当時は、複数のターンテーブルでグルーヴを生み出すこと自体が、ブレイクスルーでもあったのでした。
 針飛びがあるからこそ、生まれるグルーヴ、というものがDJ機器のデジタル化により、やや、少なくなっていきましたが、JAZZY JAYさんのように、デジタル機器でDJをするのならば、アナログのDJでは出来なかったことをやれるよ、と、後輩を鼓舞する先輩もいらっしゃいました。
 KOOL HERCさんの、メリーゴーラウンド、と言われるスタイルのDJは、素人目には「単に下手なDJ」、に、聴こえる可能性、もあるかと思われますが、僕には、スゴくスリリングなDJに聴こえました。でも、そう思われる方々も大勢居る一方、そうではない人々、も、また、多く存在するのだと思われます。
 
 比喩として、ですが、大抵のブレイクスルーは、大概、均されていき、ある種のグルーヴに落とし込まれることが多いと、思います。いつの間にか、それは、繰り返しの決まりごと、習慣、に、収束してしまうのです。
 それは、(ある意味で)物事が便利になる一方、KOOL HERCさんのメリーゴーランドのようなスリリングな表現をする人達が根絶されてしまう、という傾向を生む、という側面もまた、あります。

 グルーヴは、飽きない、だから(?)、商い、になりやすいです。
 ダンディ坂野さんの「ゲッツ!」は、当初(ある意味では)「ブレイクスルー」でしたが、その後、繰り返し、の、習慣、になり、多くのテレビCMなどに取り上げられた、ということを思い出しました。
 ジョン・リー・フッカーもジェイムズ・ブラウンも、そして、ヤン富田さんも、大きな企業のテレビCMに抜擢されたことがあった、ということも、ふと思い出します。
 ワン・アンド・オンリーな方々は、グルーヴ、と、ブレイクスルー、を行き来します。
 ただ、やはり、大方、商業的な場面、で求められるものは、ブレイクスルーそのもの、ではなく、そこから派生した、グルーヴのみ、ということになっている場合が多いようです。

 グルーヴも大事、ブレイクスルーも大事。
 でも、都合よく、グルーヴだけ、を、持って行かれて、ブレイクスルーそのものは抑圧される、と、なると、はざま、D、ヒューモア、もまた消え失せ、楽器屋さんに行っても、プリセットの音色しか使えないタイプのシンセしか売っていない、というような世の中になってしまいます。
 世の中の趨勢として、モジュラー・シンセが盛り上がってきている、というお話も耳にしますが、グルーヴだけの世の中になってしまっては、例えBuchlaを使っていても、プリセットの音色しか使っていないような音楽しか、生まれなくなってしまう気がします。
 それでは、勿体ない、ので、というわけでもございませんが、僕の場合は、それだけ、ではなく、Buchla Music Easelとは、デタラメ、もっと正確に言うと、笑えたりもするブレイクスルー、を呼び込む楽器、になるような方向でも、お付き合いさせていただいております。


2018年7月31日火曜日

 BACK TO THE OLD SCHOOL、が、柄谷行人さんのおっしゃる、D、を示す感じで実現出来た時、それを自分の音楽に盛り込めると、自分の場合、それを、STAP FUNK、と呼ぶことがあります。

 ピンチはチャンス、とよく言われますが、その、ピンチ、とは、ずっと続いてきた習慣や前提や思い込みが壊される時だと思います。つまり環境の変化、ということなので、新しい楽器を手に入れた時も、自分の場合、チャンスになります。

 マイルス・デイヴィスは、トランペットだけではなく、オルガンを弾くこともありました。

 「エロい意味」でも、人は「繰り返し」が好きです(そう、勿論「ブレイクスルー」も!)。
 
 差異と反復、マクルーハンは、それをずっとやってきたのでしょう。

 不機嫌な時、あるいは失敗しかけた時、など、は、チャンスです。それは、ブレイクスルーの予兆だからです。でも、ブレイクスルーして、その後、それにしがみつくと、停滞してしまうと思います。でも、それが、フレッシュなグルーヴ、として、続いていく場合があります。でも、その場合でも、やっぱり、たまに、不機嫌になるようなこと、失敗しかけること、あるいは、失敗してしまうこと、が、起こるのです。

 物事が上手くいってる、そんな時にこそ、よく、邪魔、が入ります(そんな歌詞の歌が、’10年代初頭のモーニング娘。にありました)。そんな時、僕は、リアル、を感じます。そして、それを上手くやり過ごしたりしている内に、あるいは、咄嗟の判断で絶妙にリアクションした時、などに、思わぬ展開が起こって、それで全てが好転してしまう時があります。そこに、僕は、また、さらに、リアル、を感じます。

 とにかく、何もやりようが無い、そんな時にリアルを感じます。そんな中、それでもリラックス出来れば、本当にリアルだなぁ、と思える、ブレイクスルー、に、出会えます。
 つまり、システムとか決まりごとを意識せずに、一般的であったりなかったりもしつつも、圧倒的に普遍的である時に、リアルだ、と、感じるのです。
 だから、リラックス、と言っても、システムに頼る、という意味ではなく、自律的にリラックスしている、ということが、リアル、ということなのでしょう。
 これが、おそらく、はざま、ということなのだと思われます。
 僕は、2005年前後の頃、当時モーニング娘。のメンバーだった新垣里沙さん、ガキさん、のご出演されていた、何となく見ていたテレビ番組から、このことに、近いようなこと(無心、に、まつわるようなことを)を、感じ取り、衝撃を受けました。電子音楽(例えば、ヤン富田さん)や文学(例えば、夏目漱石や柄谷行人さん)で、そうしたことを感じたことはありましたが、日常的に目にする、テレビ番組で、それが(それなりに薄められてはいる、とはいえ)行われていて、とても楽しかったのでした。その当時の、ガキさんとテレビのスタッフさんの関係、を思い出しながら、現在、萩本欽一さんのドキュメンタリー映画を観たり、また、その「欽ちゃん」の御本を拝読すると、すごく面白く感じられます。
 「欽ちゃん」は、近年、「仏教」に接近してらっしゃいますが、僕が「ガキさんへの手紙’08(ハロプロ禅)」という曲を作ったのも、全くの的外れでもなかったのかな、という気がします。
 そういえば、その曲を収録した、A.K.I.PRODUCTIONSのセカンド・アルバム『DO MY BEST』に収めた44Pのブックレットには、「ガキさん」に絡めた「欽ちゃん」に関する考察も載せていたのでした。
 また、まだ「30部だけ」しかこの世に存在していない、A.K.I.PRODUCTIONS著・天然文庫『ガキさん大好き♡ Keep it Real!』にも、そうした記述がたくさんありますし、A.K.I.PRODUCTIONSのサード・アルバム『小説「我輩はガキである・パレーシアとネオテニー」』の44Pのブックレット、ガキ・アカデミーへの報告日記、は、事実上、その、発展的な続編、になります。
 そして、それらの論考の、2016年版、が、DO THE MONKEYの渡辺祐さんのご依頼で、『いとうせいこうを探せ!』、という、ムック本、に、書かせていただいた、1万字超えの文、に、なっております。


 僕自身は、「仏教者」でも「禅者」でもありません。所謂「宗教」からは縁遠い、とさえ言えるようなタイプの人間です。また、自分は、HIP HOP、をやっていますが、おそらく日本で「HIP HOP」を「統括」している方々からは、おそらく自分は「HIP HOP」の人間だと思われてはいないような気もしますし、まず存在自体が知られてもいないのではないだろうか、という気さえします。僕は、STAP FUNK、としてのHIP HOPや禅や仏教が好きで、それは、そうしたものを「統括している人達」からすると、もしかしたら「迷惑」なのかもしれないな、と思うことがあるので、無理に自分のしていることを、「HIP HOP」や「禅」や「仏教」だ、と強く主張することはございません。ただ、そのエッセンスだけは、捉えよう、としております。僕の場合は、ある意味では、伝統を継承、するのですが、それは、変化を伴う継承、なのです。これは、朝日新聞での、柄谷行人さんの、ある御本の書評を読んで知った言葉です。
 そういったことからも、ブレイクスルー、と、グルーヴ、の関係を考えたりもします。


 突然ですが、単なる繰り返し、だと、(ナイスな)グルーヴが生まれない場合が、多々あります。

 バンバータの「DEATH MIX」やRUN DMCの「HERE WE GO」での、2枚使い、では、ビートがズレる部分があり、一聴した時、素人目には、これはミスなのではないか? と、片付けられそうな部分にこそ、実は、グルーヴの秘密、が、あるのだと思います。
 ミスがミスにならない柔軟性。これがなくなると、グルーヴの維持の及第点、それ自体はキープ出来ても、圧倒的なスリリングな解放感は、かなりの割合で閉じられてしまいます。

 自分のことに置き換えてみても、いつもの自分、の、ペース、を、乱すような出来事(それは、良いことであったり、悪いことであったり、一見、何でもないようなことでもあったりもしますが)、それ、があった時に、新たな自分のグルーヴが生まれます。それは、必ず、ある、ブレイクスルーの後に、生まれるのです。
 それが面白いので、たまに、自分に、変わった「エサ」を与えてみるのですが、意外と、グルーヴの気持ちよさ、に浸ってしまい、つい「同じようなエサ」ばかり、自分に、与えてしまう傾向があります。勿論、それも全くの無駄ではありませんが、バランスを失ってしまうと、(悪い意味での)「オタク」になってしまうので、その流れに、自分で気付き、ストップさせることが出来ると、いつもホッとするのです。

 ジャンル、というものは、まず、物事の前提、ルールを把握した上で、自由なことをする、ということを強制してきます。その、楽しさ、も嫌いではありませんが、「ジャンルが確立」する前の、事の発端、からの歴史を知っていたり、その、そもそもの発端、に、身を置いていると、「ジャンル」の不自由さ、の好きではない部分がたくさん視えてきたりもします。
 なので、僕は、HIP HOPのルール、が、まだ確立していない頃、つまり、現在の、グルーヴ中心、ではなく、グルーヴ、と、ブレイクスルー、の両方が活発で、そのバランスが、絶妙、だった頃を、強烈な体験、として知っているので、商業化の進んだ、飽きない(商い?)グルーヴだけ、と思えるHIP HOP以外は、最早、世の中から消え失せてしまったのかな? というような状況の中、ヤン富田さんのライヴに伺うと、変化を伴う継承、という意味での、BACK TO THE OLD SCHOOLを目の当たりに出来て、いつも大いに感激します。

 柄谷行人さんの、『Dの研究』、から、『日本近代文学の起源』、などなど、とにかく柄谷さんの御本では、よく、こうしたことが語られているので、OLD SCHOOLのHIP HOP(その、可能性の中心)が大好きな僕は、漱石や安吾やマルクスやエンゲルスやフロイトやカントや柳田やソクラテスを、ヤン富田さんに置き換えて読んで、楽しんでいます。というか、柄谷さんの御本を読んでも腑に落ちなければ、あるいは、マクルーハンやベイトソンを読んでもピンとこなければ、あるいは、何を読んでも理解出来るけれども、その実例はないのではないか? と、思うのならば、ヤン富田さんのライヴに足を運べば、その問題は、全て解決してしまいます。
 その、解決、というのは、いつも、問い、つまり、はざま、なのです。


2018年8月1日水曜日

 何かに触れると、それによって引き出されてくるものがあります。

 今、改めてバンバータの『DEATH MIX』を聴いています。

 「世の中の歯車になる」という表現がありますが、良いグルーヴを持ったレコードは、DJによってピックアップされることが多いです。そして、そのDJの「歯車」になります。思えば、2枚使いのビートの循環も、レコードが回転すること自体も、「歯車」を連想させます。
 『DEATH MIX』のMCの声にかかるディレイも、「反復」するので、これもまた「歯車」を連想します。


 また、当然、その流れで、「The Adventures of Grandmaster Flash on the Wheels of Steel」、という、タイトル、もまた、ふと、思い起こしました。

 
 YMOの「ファイアー・クラッカー」自体は、HIP HOPだ、とは、僕は、思いませんが、かつてのバンバータのように、そのレコードを2枚使いしたりすると、HIP HOPになる、と思います(それには、それ以外の無数のやり方がある、と思われますが、それは、さて置き)。と、僕は、思うのですが、YMO自体がHIP HOPだ、と、おっしゃる方々も存在する、と聞いたことがあります。ピートロックやドクタードレがプロデューサーとしてヒットを飛ばすようになってきた時期、90年代の初めくらいから、HIP HOPは、ブレイクスルー、よりも、グルーヴのみ、が、重視されるようになったので、そうした観点、からすれば、YMO自体がHIP HOPの元祖、というのも、ある程度は、ですが、頷けます。と、なると、グルーヴ中心の音楽は、全てHIP HOP、と、いうこと、にも、なりかねません(それはまた、「PLANET ROCK」の画期的なブレイクスルー、をも、隠蔽、しかねません)。でも、僕は、そのことを、別段、頭ごなしに否定する気は毛頭ありません。とはいえ、自分としては、HIP HOP、を、例えば、最近では、ヤン富田さんの、BUCHLAを用いた、「ラジオ」の演目、などに、より、強く感じます。そして、それは「HIP HOP」ではないと思います。ただ、変化を伴う継承、という意味では、HIP HOPそのもの、だと思うので、ヤンさんは、やはり、HIP HOP、だと思うのです。



 ヤンさんのおっしゃる、電子音楽と電気音楽の違い(それは、そのどちらか一方が、ただ、そうであるだけで、偉い、とか、優れている、いうことではなく、という意味も含めて)。 



2018年8月13日月曜日

 昨夜、IKKOさんがゲストの『おしゃれイズム』を観ました。
 IKKOさんのモノマネでブレイクしたチョコレート・プラネットの松尾さんとの、ネタ合わせ済み、と思しき、絶妙な絡み、が、最高、でした。
 司会のくりぃむしちゅーの上田さんが、「本当は、面白いコントもたくさん作ってるんだよな!」と、フォローの言葉をパスし、それを受けて、チョコプラの相方の長田さんが、「モノマネはお金になるけれども、コントはお金になりません!」と、返し、笑いが起こっていました。



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