2015年01月06日
『トランスクリティカルHIP HOPショーVol.2〜SISTER』@神田TETOKA('14/12/20)の写真、そして、、
(PHOTO = Great The Kabukicho)
『実践。』
『実践。』
「夢を売る商売」というのは、「不慣れな環境でこそリラックスして、フレッシュなバランスを示す」という「商売」のことだ思っております。
だから、どれだけ環境を把握しても(「プロ」になっても)、不慣れな場所に出て行かなければ、「現状維持」になってしまいます。
とはいえ、その「現状維持」すらなかなかに難しいことだったりもするのです。
なので、これは「食って寝る」という「日常のループ」を闇雲に否定したい、という意味では当然ありません。
そうではなく、その「日常のループ」に、実は(言わずもがな)含まれている、四足歩行のロボットが時折転げ落ちそうになりながらも、なんとか、何度もしなやかに態勢を立て直しながら、山道を進んで行くかのような、時にデコボコ道に振り回されつつも、フレッシュなグルーヴを維持していくかのような、そんな状態。そんな気持ち。
こうした、ある意味ではすべての人の人生とも直結するかのようなグルーヴ感を、僕の場合、自分の音楽、表現にも持ち込まないと、退屈してしまうのです。
だからこそ僕は、「不慣れな場所で爆発したい」といつも思いますし、逆に、そこにしかリアルはないと思うのです。
あるいは逆に、すっかり慣れ切ってしまいフレッシュさを感じられない状況の中、その状態を一度忘れ、初期化したり、あるいは再起動させて、フレッシュさを取り戻すことが好きなのです。
だから、「夢を売る商売」とは、「これまでは、それはあり得ないはず、と思われていたことを実現/体現してみせて、それを売る商売」、つまり「リアルを売る商売」なのだと気付きました。
しかし。自己採点を(極端に)甘くすれば、A.K.I.PRODUCTIONSのアルバム『小説「我輩はガキである・パレーシアとネオテニー」』や『DO MY BEST』といった、事前にいくらでもやり直しのきく「録音物」では、それがある程度は、いくらかは、出来ていた気がするのですけれども、「ライヴ」となると、これがなかなか、また、さらに、さらに、難しいのです。
演奏自体はそこそこに出来ても、それを「顔面蒼白」でやっていては、減点がかさんでしまいます。
しかも、「人前でリラックス出来ればフレッシュ!」といった内容の曲を、「ガチガチ」で「必死の形相」で演奏しては元も子もありません。
とはいえ、それらの表現を「面白いと感じるか? 嫌いだと感じるか?」などといったことに関しての判断は、(当然)いつでも「お客様のジャッジ」次第なので、逆に「顔面蒼白」や「必死の形相」自体がエンターテインメントになる場合すらあるのでしょうし、逆にどれだけこちらが納得のいく表現をしても「これは好きではない」という、ジャッジを言い渡される場合もまた、よくあることなのですから、尚更手に負えません。
結局、残されたことは、「お客様のジャッジうんぬん」などというような(ある意味での)邪心を忘れ、誠心誠意、精一杯、ライヴの現場で、必死にギリギリのバランスを示すために、火事場のクソ力で応える、ということ以外出来ることはないのです。
で、これを「不慣れな状況」の中で実現で出来るか? ということ。
あるいは、時に陥る「慣れきってしまった状態」を一旦バラして、フレッシュに立ち上げ直すことが出来るのか? ということ。
そういった、不意に、どこからか(あるいは「自分自身」から)パスされる(回される)「フリ」、あるいは「無茶ブリ」に、リアルタイムの状況判断で、パスする(合格する)ことが一番大事なことだと、僕は思うのです。
また、結局、本当に大事なのは、いつもこうして「文章で分析していること」を、ライヴの現場で、生で爆発させること、そして、それを日常の中にも還元していくこと、だと思うのです。
つまり、実践、です。
こうした「修行のドキュメント」とでもいうべきのものは、A.K.I.PRODUCTIONSのエンターテインメントの、大事なテーマの一つだと思っております。
さてしかし。これは、「一生のテーマ」なのか? それとも「2015年のテーマ」なのか? はたまた「3日坊主」や「言うだけ」に終わるのか? あるいは、そのまた先に「新たなテーマ」はあるのか?
それは、「やった後気付いたり」「やった後分かったり」なのであります。
おそらく「答え」は、ヒューモア、という「問い」なのですが、これは言葉ではなく、実践、でしか示せないのです。
つまり、こうした「分析をすること」自体は、「ヒューモア=夢=リアル」ではない、ということになります。
しかし、こうした「分析の積み重ねの果て」に、「ポロッと産まれたもの」が、『小説「我輩はガキである・パレーシアとネオテニー」』や『DO MY BEST』という、(僕なりの)「ヒューモア=夢=リアル」であったりもするのですが。
追いつめられた時。
後がない時。
そんな時に、自分の視点を軽やかにズラして、その困難を乗り切る、サーフィン。
そんなブレイクスルーの瞬間を、リアルタイムで示している瞬間は、(ある意味で)誰もが、束の間、つい笑ってしまい、ハッピーになってしまう、と思うのですが、いかがでしょうか?
とはいえ。これは逆説的になりますが、もし「それ」が、最初から簡単に出来ていたとしたら、逆に「出来なかった作品」もまたたくさんあったはずですし、「出会えなかった人」もまたたくさんいたのだなぁ、とも思うのでした(でも、大事なのは、下品に開き直らず、無心でいること。精進あるのみ、です!)。
時折、こうしたことを書き綴って発表することが出来たり、「ライヴ」などの「実践」の機会を与えていただけるのも、ひとえに応援してくださる皆様方、ご協力してくださる皆様方のお陰だと、常々思っております。
皆様、いつもありがとうございます!
A.K.I.PRODUCTIONS、本年も何卒宜しく御願い致します!
2015年1月1日(木曜日) A.K.I.(倫理B-BOY RECORDS / A.K.I.PRODUCTIONS / G&A.K.I.PRODUCTIONS)
追記
そんな「実践」を、みんながし始めたら音楽革命が起きると思います。
しかし、それが起きないようにしようと、「今の世の中の音楽の価値観が自分にとって都合の良いタイプの人達」の内の、「さらに、ある一定数の人達」が、こうした思考を、時に「罵倒」「威嚇」「嘲笑」することさえ有り得ます。それは、相手の立場を考えると「まぁ、そうだろうなぁ」と思うので、そう不思議なことではありません。
ずっと世の中、「(ある意味)ボナパルティズム」ですし。
とはいえ。その考え方が一方にあり、またその一方では、その「音楽の世界やアート全般の世界でのボナパルティズム」を逆手に取ってこそ、「音楽界/アート界のイソノミア」を現前させられる場合もあります(実は、ごく初期のヒップホップこそが、それでした)。
出口は、実は、いたるところにあります。
「生まれながらに誰からも支持される平均的な優等生」もいれば、「スロースターターながら、サーフィンに目覚めるフリークス達」もいる、ということ。
子供の頃から捕らわれている「無意味な固定観念」や「変なクセ」を、自分自身で笑えるようになるのには、なかなか時間が掛かるものなのです。
そして、「誰もが、ある意味で皆フリークス」であれば、「実は、フリークスなどこの世に1人も居ない」ということにも、ゆっくりと、あるいは突然、気付いていくようなのです。
理屈を実践するには失敗が付き物です。
でも、大事なのは、「ミスがミスにならない」柔軟性。
でも、大事なのは、「ミスがミスにならない」柔軟性。
だからといって、開き直らないこと。
笑われても、笑い、笑わせて、急がずに、且つ、急いで前進。
まずは、「自分自身」こそが、自分の「お客様」でもあること。
そして、結局は、それらは「言葉でいえないこと」なのです。
だからこそ、死ぬまでやることがたくさんある、ということのようです。
元旦からインフルエンザにかかっている間、ボーっとした頭でずっとそんなふうなことを考えていたのでした。
2015年1月6日(火曜日) A.K.I.(倫理B-BOY RECORDS / A.K.I.PRODUCTIONS / G&A.K.I.PRODUCTIONS) https://twitter.com/RINRIBBOY1
尚、次回の「新作発表会」、あるいは新シリーズのライヴなどの告知は、TETOKAさんのツイッターで、チェックのほど、よろしくお願い致します!
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https://ja-jp.facebook.com/pages/手と花tetoka/143093319212953
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皆様によるA.K.I.PRODUCTIONSに関する文。
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