息子に言ってほしくないセリフベスト3
1 「死○」
2 「誰のせいでこんなことになってんだよ」
3 「事故った」
… シャレにならない話ですが、記録のために書いておきます。
学校の振り替え休日で月曜日が休みだった息子が、
一泊ひとり旅ツーに出かけて行くというので、
よしよし、なかなかいいぞ と送り出した。
誰か友達誘いたいなあ…と言っていたけれど、
同級生にオートバイ(スクーターじゃなくて)を持っている友達もいないし、
バイク乗りの友達は学校だし…
と、考えているようだったので、
「バイクは一人で乗るものじゃん。一人で行ってきたら?」
と促したのは他でもない私。
仕事中に息子からLINEが入り、「事故った」の文字を目にした時は、
一瞬、動揺して血の気が引いてしまった。
…母親って…
こういう時、本当にダメですね。
母親の全てがそうじゃないと思いますが、
私はとりわけ、息子のことに関しては特に感情的になりやすくて…
ついつい取り乱しそうになってしまいました。
すぐに電話をかけると、
すぐに息子が出て、
「怪我は?」と聞くと「大丈夫」と。
ほっ…
まあ、怪我をしていないのなら、一安心。
その先は割と冷静に話を聞けました。
カーブでスピードが出すぎていて、
道路脇の溝にはまってこけた…と。
ざくっとそんな事でした。
相手もいない、怪我もない。
「事故」という中では、最もラッキーな部類だったのかもしれません。
私に連絡をしてきた時はすでにJAFと警察に連絡した後だったらしく、
JAFが到着するまでの間に、Ninjaの無残な姿の写メをその後送ってきました。
こんな感じ (かわいそうなので画像は小さめで)
ウインカーを自分でなんとかしようとしたのか、工具が転がっています。
エンジンがからなかったので、JAFを呼んだ模様。
前日の彼のルートは、
奥多摩湖を超えて、大菩薩峠から塩山に出て、そこから長野方面へ
クリスタルラインをずっと走ったとのこと。
チビッコの頃から電車で行っていた山小屋に、一人でバイクで旅することは、
彼の憧れだったらしく、一人旅を満喫して、
前日は山荘で一人で薪ストーブを焚きながらたそがれて、
いい体験をしているなぁ…と、彼のツイッターを見ながら思っていました。
けれど、
翌日にはそれが
一転して「悲しい旅」になってしまう。
事故は、勉強でもあり、貴重な体験でもあるけれど、
やはり「できることならば、避けたい」ことで、
できることならば、未然に防ぎたいこと…。
母親である私はついつい、
彼の楽しかった出来事が悲しい出来事になってしまったことを
「かわいそうだ」なんて思ってしまい、
まだ返済の終わっていないバイクを運転して(帰りは高速で)帰ってくる息子を
不憫に思ったりしていました。
でも、
帰宅した彼は、自分の失敗を悔いてはいるようでしたが、
旅そのものを悔いているような様子ではなく、
「まあ、いつか一度はこれをやることになっていたんだよ」
と言いながら、自分の運転テクがいかに未熟だったかという話を
いつもより若干大きな声で、
いつもより随分長い時間食卓にいて、話していました。
帰宅してすぐに近所のバイク屋さんに行ったら
「自分でパーツ探してから出直しな」みたいなことを言われて、ムーっとしていましたが、
「あの店には二度と行かない。明日は別の店に行ってみる」と言って翌日別のkawasakiショップに行き、いろんなことを教えてもらってきたようです。
もう事故から数日経っているので落ち着いてこんな風に思っているのですが、
痛い思いをして学ぶことはやっぱり大きくて、
今回の事故は、息子を成長させるのに、必要不可欠な出来事だったのでしょう。
(まあそれも、単独で怪我がなかったから言えること)
Ninjaは玄関で今も痛々しくそのままですが、
傷つけてしまったという彼自身の傷もきっと一緒に癒しながら、
もう一皮、剥けていくのかもしれません。
(お金がないから、冬の間は修繕費を稼ぐ!と意気込んで今日もバイト )
口を出さない。手を出さない。
見守り続ける。
私は私で、こっそりそんなことを学んでいます。
子供が大きくなってきたからといって、「親業」から逃れられるわけではなく、
親はなくても子は育つ
けど、
子供がいなかったら親は育たない。
バイクは自己責任。
一人で乗って、一人で対応するもの。
そう思っていましたが、
こと息子に関しては、
「ほっとく」という試練を間接的に請け負うことになっているようです。
ひとつずつ、一歩ずつ。
まだまだいろいろありそうです…
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1 「死○」
2 「誰のせいでこんなことになってんだよ」
3 「事故った」
… シャレにならない話ですが、記録のために書いておきます。
学校の振り替え休日で月曜日が休みだった息子が、
一泊ひとり旅ツーに出かけて行くというので、
よしよし、なかなかいいぞ と送り出した。
誰か友達誘いたいなあ…と言っていたけれど、
同級生にオートバイ(スクーターじゃなくて)を持っている友達もいないし、
バイク乗りの友達は学校だし…
と、考えているようだったので、
「バイクは一人で乗るものじゃん。一人で行ってきたら?」
と促したのは他でもない私。
仕事中に息子からLINEが入り、「事故った」の文字を目にした時は、
一瞬、動揺して血の気が引いてしまった。
…母親って…
こういう時、本当にダメですね。
母親の全てがそうじゃないと思いますが、
私はとりわけ、息子のことに関しては特に感情的になりやすくて…
ついつい取り乱しそうになってしまいました。
すぐに電話をかけると、
すぐに息子が出て、
「怪我は?」と聞くと「大丈夫」と。
ほっ…
まあ、怪我をしていないのなら、一安心。
その先は割と冷静に話を聞けました。
カーブでスピードが出すぎていて、
道路脇の溝にはまってこけた…と。
ざくっとそんな事でした。
相手もいない、怪我もない。
「事故」という中では、最もラッキーな部類だったのかもしれません。
私に連絡をしてきた時はすでにJAFと警察に連絡した後だったらしく、
JAFが到着するまでの間に、Ninjaの無残な姿の写メをその後送ってきました。
こんな感じ (かわいそうなので画像は小さめで)
ウインカーを自分でなんとかしようとしたのか、工具が転がっています。
エンジンがからなかったので、JAFを呼んだ模様。
前日の彼のルートは、
奥多摩湖を超えて、大菩薩峠から塩山に出て、そこから長野方面へ
クリスタルラインをずっと走ったとのこと。
チビッコの頃から電車で行っていた山小屋に、一人でバイクで旅することは、
彼の憧れだったらしく、一人旅を満喫して、
前日は山荘で一人で薪ストーブを焚きながらたそがれて、
いい体験をしているなぁ…と、彼のツイッターを見ながら思っていました。
けれど、
翌日にはそれが
一転して「悲しい旅」になってしまう。
事故は、勉強でもあり、貴重な体験でもあるけれど、
やはり「できることならば、避けたい」ことで、
できることならば、未然に防ぎたいこと…。
母親である私はついつい、
彼の楽しかった出来事が悲しい出来事になってしまったことを
「かわいそうだ」なんて思ってしまい、
まだ返済の終わっていないバイクを運転して(帰りは高速で)帰ってくる息子を
不憫に思ったりしていました。
でも、
帰宅した彼は、自分の失敗を悔いてはいるようでしたが、
旅そのものを悔いているような様子ではなく、
「まあ、いつか一度はこれをやることになっていたんだよ」
と言いながら、自分の運転テクがいかに未熟だったかという話を
いつもより若干大きな声で、
いつもより随分長い時間食卓にいて、話していました。
帰宅してすぐに近所のバイク屋さんに行ったら
「自分でパーツ探してから出直しな」みたいなことを言われて、ムーっとしていましたが、
「あの店には二度と行かない。明日は別の店に行ってみる」と言って翌日別のkawasakiショップに行き、いろんなことを教えてもらってきたようです。
もう事故から数日経っているので落ち着いてこんな風に思っているのですが、
痛い思いをして学ぶことはやっぱり大きくて、
今回の事故は、息子を成長させるのに、必要不可欠な出来事だったのでしょう。
(まあそれも、単独で怪我がなかったから言えること)
Ninjaは玄関で今も痛々しくそのままですが、
傷つけてしまったという彼自身の傷もきっと一緒に癒しながら、
もう一皮、剥けていくのかもしれません。
(お金がないから、冬の間は修繕費を稼ぐ!と意気込んで今日もバイト )
口を出さない。手を出さない。
見守り続ける。
私は私で、こっそりそんなことを学んでいます。
子供が大きくなってきたからといって、「親業」から逃れられるわけではなく、
親はなくても子は育つ
けど、
子供がいなかったら親は育たない。
バイクは自己責任。
一人で乗って、一人で対応するもの。
そう思っていましたが、
こと息子に関しては、
「ほっとく」という試練を間接的に請け負うことになっているようです。
ひとつずつ、一歩ずつ。
まだまだいろいろありそうです…
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