2006年07月09日

労働者社会学

<序章>
 リーン生産方式(トヨタ生産方式)はJIT(ジャスト・イン・タイム)と号口管理の仕組みを機嫌とし、戦後から高度成長期にかけてまとめあげられてきた。1970年代には海外からも関心を持たれるようになるが、日本という文化においてのみ可能であると考えられていたため海外には移転しなかった。その後、この方式は、文化的違いはなく、生産性・品質水準が他の方式の向上よりも高いことから世界中に導入されている。
 そしてリーン生産方式については、種々の争点がある。それは以下のようなものである。
1、 リーン生産方式は本当にフレキシブルで効率的な生産方法なのか
2、 リーン生産方式の海外への移転可能性
3、 リーン生産方式はフォード・システム(大量生産方式)にかわる新しいパラダイムか否か
4、 リーン生産方式が労働、労働組織、技能形成のあり方にどのような影響をあたえるか

<第1章:徹底したムダの排除>
 リーン生産方式の基本思想:徹底したムダの排除(徹底した原価低減)、ジャスト・イン・タイム(JIT)と自動化

■徹底したムダの排除
 
  ,弔りすぎのムダ
        ⊆蟷ちのムダ
        1身造離爛
「7つのムダ」 げ湛そのもののムダ
        ズ澹砲離爛
        ζ虻遒離爛
        不良をつくるムダ  
            

このムダを徹底排除し、原価低減をはかる

この7つのムダだけでなく、「在庫量の削減」(=物的ムダ)と「作業者数の削減」(=人的ムダ)の徹底排除による原価低減によって生産効率を追求する。

■リーン生産方式の2本柱:JITと自働化

JIT:必要なものを、必要なときに、必要なだけ生産・調達する原則
自働化:異常が発生したら自動停止する仕組みを機会につけること

JITによって在庫のムダが排除されることにより、過剰設備を排除、更に在庫量を最小化することで問題を顕著化し、改善活動を促進することができる。また、自働化によって監視作業のムダが排除され、正味作業の割合を高め、労働者に多くの機械を受け持てるようになる。リーン生産方式は、この2つの仕組みにより、在庫を抑えながら労働者を効率的に働かせることを追求し、徹底したムダの排除を行っている。

■物的ムダ・人的ムダの排除
 リーン生産方式にとって、人的ムダの排除は不可欠なものである。そして一見物的ムダを排除するためのJITは、それと大きく関わっている。JITに不可欠なものとして、限られた生産量の中で、どれだけ原価低減するかという限量生産の考え方がある。作りすぎのムダが生じてしまうため、高性能の機械を導入したり、稼働率を上げて生産向上させたりはしない。よって、JIT(限量生産)では人的ムダの排除が生産向上の主要手段となっている。
 そして人的ムダに大きく関わっている施策として、自働化、少人化生産量の変化に応じ、労働者の受け持ち機械・工程、作業上の定員数を柔軟に変化させること)、省人化(改善を通じ、人を減らすこと)、目で見る管理(かんばん、アンドン、標準作業表)である。これにより厳しい働き方が労働者に求められる。

<第2章:リーン生産方式の人的活用の特徴・「肯定派」の見解を中心にして>
■ジョブ・ローテーション、ローテーション、多能工化:技能の拡大?

ローテーション:数週間あるいは数ヶ月を単位に作業集団内の仕事を順番に覚えていくこと
ジョブ・ローテーション:数日あるいは数時間を単位に作業集団内で各自の仕事を規則的に交代すること
多能工化:ローテーションにより複数の職務を担当できるようになること 

このような仕組みについて
【肯定派】
(ローテーション、多能工化)
・作業に関する知識・経験・技能の拡大
・製品構造、工程編成に対する知識・技能(改善能力)の向上
(ジョブ・ローテーション)
・肉体疲労・労働災害の軽減
【否定派】
(ローテーション、多能工化)
・低位多能工にすぎない
(ジョブ・ローテーション)
・リーン生産方式でもあまりおこなわれていない

■改善活動:QC、提案制度
 QCや提案制度はリーン生産方式だけに見られる特徴とは言えないが、生産嬢の問題をいちはやく発見し、その再発を防ぐのが不可欠となっているため、重要な構成要素となっている。

このような仕組みについて
【肯定派】
・構想と実行の再結合=労働者の生産参加
・生産性、品質水準の著しい向上
【否定派】
・直接生産労働者が改善にかかわる程度は小さい
・直接生産労働者による改善活動生産性、品質水準におよぼす影響は小さい

■ふだんと違った作業:問題と変化への対応

【肯定派】
・ふだんと違った作業を遂行することで、直接生産労働者に高い知識、技能(=知的熟練)が産み出されている
【否定派】
・高い知識、技能を必要とする作業は、直接生産労働者にゆだねられていない
■チーム制
 チーム制も、リーン生産方式だけの特徴とは言えないが、少人数でチームを編成し、メンバー相互を深く関係づける仕組みを発展させている。

【肯定派】
・チームへの権限委譲=チームの自立性の増大
・労働者の助け合い、情報の共有化の促進
・非権威主義的な管理構造
【否定派】
・重要な事項についてチームには毛定見限が与えられていない
・バッファーがないため、自立性は小さくなっている
・労働者の相互監視(ストレスによる管理・水平コントロール・同僚の圧力)
・人員配置などに関し管理者の権限、恣意性がむしろ増大

<第3章:X自動車の事例・相互監視と暗黙の職場規制>

 筆者がX社で行った参与観察に基づいての分析を解説。

・直接生産労働者に、生産品種の頻繁な変化、不良品、設備異常などへの対処が求められている
  多品種、不良品、設備以上などへの対応に関してP1-T区の労働者に高い技能が必要とされていると認めることは出来ない
・小規模集団活動が行われている
  小集団活動を通じて、直接生産労働者の生産関与の度合いが高まっている、労働者に高い技能が形成されているという事実は認められない
・多能工化によって職務のヨコへの拡大が行われている
  ジョブ・ローテーションや多能工化には、単調労働に変化をもたらすことをみとめることができるが、その工程で専門知識を学習する機会はほとんどない

○チーム制のあり方について
・大きな権限が付与されている
  チームリーダーは人員配置や人員育成になど、一定の決定権限が与えられているが、構成員は一定の影響力は持っているが、その力は弱い。チーム自体に大きな権限があたえられているわけでもない。
・職場集団内で労働者の自発的な助け合いが促進されている
  P1-T区では助け合いが行われていたが、その多くは自発的なものでなく、強制し、監視しあうといった意味が含まれている
・非権威主義的な管理構造が実現されている
  人員配置、人員育成、人事査定などに監視、リーン生産方式の職場管理者の権限はフォード・システムのものより大きくなっている

以上のようなことが挙げられた。実際には、労働は単調で過酷なものであり、そうしたものに順応させるために様々な試み(ぼう)が行われていた。またそのような不満から、職場では暗黙の職場規制のようなものまで行われていた。肯定派とは逆のことが起こっている。

※感想※
 リーン生産方式は、徹底したムダの排除を行っている。JITや自働化といったものによって、物的ムダを排除し、さらにそこから人的ムダへの排除の手助けをし、原価低減を実現させているシステムがよくわかった。また、現在リーン生産方式は世界中で追うようされているが、X社の参与観察によって労働者にとっては厳しい現状にあることが言え、フォード・システムで問題になっていた単調労働での肉体疲労についても、あまり改善されたとは言い難く、さらにそれに順応させるための試みが行われているというのには驚いた。しかし、やはり徹底したムダを排除し、生産効率をあげ、人員を削減していることで利益をあげているのには変わりなく、そこは評価すべき点だと感じた。
そして労働者自身が企業に参加しているか、という点はやはり参与観察の結果だけでは否と答えるほか無いところが、企業側と労働者の力関係を表しているのか、と考えた。


  
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2006年06月30日

うわさについて

うわさ:1 そこにいない人を話題にしてあれこれ話すこと。また、その話。「同僚の交遊関係を―する」

2 世間で言いふらされている明確でない話。風評。「変な―が立つ」
(大辞泉)

噂とは、新聞等のマスメディアから出された明確な情報ではなく、人と人とのコミュニケーションや、現代では電子ネットワークの中で生まれるものである。
会話の中での噂は、噂を発信する者から受け手へ情報が伝染する。その情報を受け、信じる信じないではなく頭の片隅に置かれる。そのまま忘れていくこともあれば、強烈なイメージ、もしくは話のネタとして受け手が発信者になることもある。もし、その噂を受けた人が大多数になればそのことは受け手個人、もしくは集団の中だけでも’事実’となる。力をもった噂は、急速な勢いで広がることとなる。

ネットワークの中での噂は、匿名性によって、不確定な情報を流すことも容易となり、受け手自身もその匿名性によってその情報を受け入れやすくも、受け入れにくくもなる。ネットワークにアクセスする場合、そのアクセス者はその問題に関してある程度興味のある分野であることが多いだろうから、一般的に受け入れやすいのかもしれない。そして、その受け手はまた発信者となり得るのである。この人数が増えれば、人と人とのコミュニケーションの中でも発せられるであろうし、そこからその話題が広がっていくこともある。そして上記したように、’事実’となっていく。

  
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2006年05月09日

現代社会理論 SP

<ポジティブフィードバックとネガティブフィードバックについて>

ネガティブフィードバック・・・初期状態からのずれを打ち消すようなフィードバック
ポジティブフィードバック・・・初期状態からのずれを増幅させるフィードバック

例1)少女Aが、ピアノを始めた。張り切って練習したAはピアノの先生に褒められ、次の課題を出された。このとき、
Aはその後、先生に褒められたことに甘んじて、次の課題をやらなかった。
Aはその後、先生に褒められたことを喜び、更に練習を重ねるようになった。

この2つの場合が考えられる。

この少女Aは、ピアノを始める前は当然弾いていなかったため、,楼柄阿里茲Δ肪討なくなってしまうのだから、ネガティブフィードバックと言える。反対に、△里茲Δ法∨められたことで更にピアノを弾くようになったのだから、これはポジティブフィードバックと言える。

例2)若者Bが、初めてスロットを打った。そのときしばらく打った後、結局Aは彼にとっては大きな金額である2万円を損してしまった。このとき、
Bがその後、そのことを反省してスロットを打たなくなった。
Bがその後、その損を取り返すため、又は今度は当たるかもしれないとまたスロットを打つようになった。

この2つの場合が考えられる。

元来Bは、スロットを打っていなかったため、結局,任楼柄阿里茲Δ縫好蹈奪箸鬚擦困棒験茲靴討い襪里世ら、ネガティブフィードバックと言える。反対に、△里茲Δ縫好蹈奪箸帽圓ようになってしまうのは、それ以前の生活との違い(ズレ)があるため、ポジティブフィードバックと言える。


 客観的善悪でポジティブ/ネガティブと間違えがちだが、例1のように、少女Aが「頑張って」弾くようになったからポジティブフィードバックで、「怠けて」弾かないようになったからネガティブフィードバックになったというわけでなく、あくまで初期状態に戻った、又は増幅したのかがポジティブ/ネガティブを決める要因である。その違いを表したのが例2である。こちらは、若者Bが結局スロットに行かなくなること(客観的善)はネガティブフィードバック、反対にスロットに行くようになること(客観的悪)はポジティブフィードバックである。
  
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2006年01月30日

ふぅん。へぇ。

私が悪うございました。
すみませんね。



事前に言っておいたのに連絡入れるまで忘れてる。→・・・ふうん

んでもってその後のことも忘れてる。→・・・ムカ

言ったら「あぁ。」→はぁ

場所にはついたけど、会場がどこかわからなくて「事前に調べとけよ。」→ピクッ

後になって「別に来たいわけじゃなかったし。」→はぁ?じゃあ先にいえよ。

「これでも付き合ってやってんだよ?」→そんな思いで付き合っていただかなくて結構です。その上から目線むかつく。

んでもって「もう帰るよね?」(PM6:00前)→あぁそうですか、帰れと。帰りたいと。

黙ると「なんだよ。」→こっちがいいてえよ。

「まだおなかすいてないよね?」「まぁすいたけど帰るんでしょ?ならいくとこあるから」「なんだよ機嫌悪くなるからこっちが・・・」→機嫌直しにご飯ですか。なめられたもんですね。

そのまま帰る。

いいよ。もうあんたと二度と自分の行きたいところ一緒に行ってなんて言わないから。不愉快な思いさせてすみませんね。




あくまで私からの見解。
確かにちゃんと調べてなかったし?行きたいっていったのはこっちだし?行動がむかつくみたいだし?
どうせ私が悪いんですよね。すみませんでした。  
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2006年01月18日

うん。

人と出会うって正直人見知りの私にはある程度恐れを抱くモノ。大学入ってしばらくは人が怖くてたまらない時期もあった。でも、出会って、言葉交わして、笑い合う、関わりを持った人ってやっぱり好きで、好きで、苦手な人でも好きになっちゃったりして。
楽しくなっちゃうんだよなあ。
みんな大事な人だから。
嫌われたとしても。うざがれたとしても(笑)

だから別れって寂しい。誰でも寂しい事だろうけど。
小学校から高校まで同じ学校にいて、友達の顔ぶれも中学で受験で入ってきた子くらいしか変わらなかった。だから、ずっと一緒っていうのが当たり前で、このまんまずっと一緒で・・・別れるってことを高3の最後の最後まで実感できなくて、会えなくなった今、なんだか繋がりが薄くなっちゃった気がして。だけどまだ実感がない。たまに連絡取り合うし、遊んだりするし、んでおしゃべりするとどんどんその子が遠く感じて。私にも新しい出会いがあったりしてこうやってどんどん変わっていくんだなって。

人との別れは、同時に諦めの感情も入り交じる。

最近、ああ、この人とはいつ会えなくなるんだろうって思うことが多い。当たり前にそこにいるから、当たり前のようにいつか消えていく人。逆に私が当たり前のようにいなくなること。

今そこにいないからその人との関わりが消えるわけじゃない。消えるわけじゃないけど、嫌。そんなの私のわがままだろうけど、嫌。どうしても。
まだ、だだをこねてる子どもみたいな自分。そのままでいれたら楽だとも思うし、いい加減にしろって思いもある。

人の痛いところをついてばかりいると、いつか本当に痛いことがなんなのか忘れていく。どうしてそんなことばっかり言っちゃうんだろう。
痛いって、なんなんだろう。




人には自分の気持ちをぶつけないで自分の中でどす黒くなるまで育ててしまう。私が我慢すればあの子は嫌な思いをしなくてすむ、ならいくらでも引き受ける。あの子が嫌なことはき出せる、ならいくらでも私が受け口になる。それを捨てるなんてもったいないこと、私には出来ない。
そんなことして、自分が「マシ」なんだってことを確認する。
それがどうしようもなく、うざい。


最初から期待しない方がいい。そう思ってるのに。

何を未だ諦められないんだろう。
  
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結局

一人なのかな。
私の周りにはすごくいい友達とか先輩とか仲間とかいて、すごい幸せなんだろうとおもう。
本音をいえないのも、相手のためとかいって結局自分のためだってこと、いっぱいあるし。
そんな愚痴を一番きいてほしい人にどうして言えないんだろう。

人が怖い。感情が怖い。自分が怖い。

腕をきらなくなった。不眠症でもなくなった。かわりに話をしなくなった。胸がギシギシっていう。そんな音が感じられる。

ちょっとした不安。そのうちまたあの生活に逆戻りはしたくない。
けど、ちょっと先にそんなるんじゃないかって。


やっぱり最初から期待なんかするもんじゃない。



いつも諦めてる。


でも本当は諦められないんだ。  
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2006年01月17日

共生社会論 レポ

<社会モデル>
 障害者に対する社会的アプローチの方法。社会には、”基準”が存在する。その”基準”は、ある人には当てはまり、それ以外の特定の個人を除外することになる。つまり「あてはまらない人」は社会的に例外であり、生活していく上で配慮されるべき人ではない、というメッセージと受け取れる。逆に社会の対応の仕方が変われば、「あてはまらないこと」であったことが「あてはまる」ようになることもあるし、それ自体問題とされることすらなくなるかもしれない。
 
※日常生活における例※
 ̄悗箜甲罎燃段しか無い場所
 ∧眛擦良がせまい、車道との境界のない道
 E聖ブロックや点字表記が無い場所 
 ぅ謄譽咾離縫紂璽垢覆匹如⊆袁辰篁が出ることが少ない
 ァ崗祿下圓六笋燭舛箸楼磴Α廖屐鰭當未凌諭匹茲衫瑤襦廚箸いκ亳
 Ω共の場における、障害者への介護に対する偏見(「こんな夜更けにバナナかよ」より)

では、車いすや松葉杖を使用している人に対しての配慮がされていない。
足を使って階段を上り下りできる人だけの場所となっている。
△眛瑛佑法⊆屬い垢箴祥嫋鵑鮖藩僂靴討い訖佑紡个靴討稜枸犬なされていない。車が通る道のすぐ横を歩くのは、私たちでさえ危険を感じるものである。
→ ↓△呂海里茲Δ幣祿下圓世韻任覆、年配の方に対しても厳しいものである。このようなことから、バリアフリーを進めていくことはどんな人にも生活しやすい環境になる、ということでもある。
では、目の見えない人に対しての配慮がなされていない。字がよめず、どこに物があるのかわからない人にとって、道しるべになる点字ブロックや、行動を決定するのに必要な点字表記がないのは、外出するのさえ躊躇われることである。
い任蓮聴覚に障害を持つ人に対する配慮がされていない。これでは世間一般のことを知るのにTVは使えず、新聞だけに頼ることとなる。ニュースだけでなく、ドラマをみて楽しむことや、日本映画や吹き替えされた映画も見ることは出来ない。このような娯楽を彼らから奪い取る結果となっている。
イ蓮↓ 銑い里茲Δ頁啾湘な社会がこのような結果をもたらしているのではないかと考える。「私たちはこの社会でやっていける、できないのは障害を持っているから」というような意識に繋がる。このような意識をなくしていくにはどのような人に対しても「できる」「やっていける」社会、障害者の事を私たち自身で理解していきやすい社会を作っていくことが重要ではないかと考える。
Δ蓮喫茶店で鹿野の人工呼吸器が鳴り、痰を吸引していると店長から「他のお客様に迷惑ですので・・・」と言われ出て行かざるを得なかったエピソードである。たしかに音が鳴るのはうるさいし、痰を吸引するというのは見ていて気持ちいいものではないだろう。しかし、それを禁止されてしまうと命に関わってしまい、またそのような障害を持つ人は喫茶店(だけでなく他の店でも)に入るなということになる。これはまだまだ私たちが障害を持つ人に対して理解していない現状をあらわしたものであると感じた。

このような社会的背景により、除外されている人がいる。しかし、社会を構成していく上である程度の基準が必要となる。どのような社会でも全く同じ能力をもつ人間はおらず、劣っているところも優れているところもある。その中でより多くの人が社会で生きやすいようにしていくのは当然の義務であり、私たちに与えられた権利でもある。

<文化モデル>
 障害を持つことを個性とみなし、それを肯定していくこと。この個性を文化とみなす。世間には色々な文化(方言を使うなど)がある。それと同様に車いすを使う文化、手話を使う文化として見方を変えていき、(これらの文化はマイノリティなものだが)それを主張していくことで社会に適応しやすいよう訴えていく。

※文化モデルの例※
 ー袁辰鮖箸κ顕
 見えない文化
 車いすを使う文化
 ぅ痢璽肇謄ぅー

 ,諒顕修蓮聴覚障害で言葉を聞くこと、話すことができない人の文化である。テレビ等で手話や文字を表示しないというのは、手話を使って話す文化の人たちを排除していることとなる。
 △諒顕修蓮∋覲仂祿欧妊皀里鮓ることができない人の文化である。彼らにとって点字は色々な知識を知る手段として重要とされるが、未だに点字の書物が一般的に置かれることは少ない。
 の文化は、何らかの事情で立って歩くことの出来ない人が移動手段として車いすを使用している文化である。道路がせまい、道がでこぼこである、段差がある、斜面が急である等は車いすで生活する人にとってとても不都合である。このような道がたくさんあること自体、彼らの文化を視野に入れていないと考えられる。
 い蓮¬椶慮えない、耳の聞こえないなどの理由でノートを取ることの難しい学生に対して、ボランティアの学生がノートを代理で取るという配慮である。これをされないと、彼らのような障害者は授業を受けることが難しい。ノートテイカーを配置する、というのは当然の学生としての権利である。

 このように、1つ1つが文化であり、この文化の集まりが社会となる。それにも関わらず、この文化を無視した社会を作り上げていくのは彼らの存在を否定することとなる。彼らのようなマイノリティな文化は、声を大きく活動していかない限り、排除されていく。社会のありようを変えていくにはこのような活動が必要となる。
 一方で、このように行動を起こしていっても、やはり健常者社会に押しつぶされてしまう現実がある。主張して受け入れるか受け入れられないかはやはり”一般の人”が決めることであり、受け入れられることがなかなか難しい。このような文化があるということを私たち自身把握し、理解していかねばならない。障害者が「引け目」を感じない社会へしていくことが大事だと考える。

<障害者自身の参画>
 障害者運動がされた初期は、障害者の親が活動している場合がほとんどであった。しかし、最近では親だけでなく、障害者自身が運動に参加し、彼らが生活しやすい社会にしていこうという意志のもとに、活動を行っていることが増えてきた。

※参画の例※
 ]働へのアプローチ
 教育へのアプローチ
 自立生活
 
 ,蓮△泙世泙西祿下圓働くには難しい社会である。雇用されにくいということ、また賃金が低いという事などがあげられる。障害者というだけで雇用されにくい、このことが表すのは、障害者は働いて収入を得ることができないのだから、社会に出てくるな、自宅や施設の中での生活していろ、もしくは特別支援で与えられたお金で生活していろ、障害者の自立なんて考えるなというメッセージのように取れる。このようなことを障害者自身が打ち破り、政府や社会に対して訴えかけていかないとこのような社会の策略を克服することが出来ないであろう。そもそも、障害があるからといって本当に働くことができないのであろうか。たしかに仕事をするのに困難な人もいるであろうが、そうでない人もいるのも確かなのではないだろうか。障害をもっているからといって全てできないわけではないだろう。例えば車いすの人であるなら、パソコンを使ったりすることができる。社会側も障害者だからといって雇用しない、という風潮を取り払っていかなければ、共同生活をしていく中で支障がでるであろう。
△蓮近代文化において、教育はすべての人、子どもに対しての権利とされている。しかし、障害者にはそれが難しいのが現状である。例としてろう学校をみてみる。ろう学校では、聴力障害者に対して普通教育を施し、特に必要な会話能力を身につけさせる場所である。このような学校があるが、一方で普通学校に就学させる運動もある。他の子どもと同じ場所で授業を受けるわけである。しかしここで問題なのは、耳の不自由な子どもに対する教育制度が、普通学校で確立されるか、またそのような子どもには不可能な授業(たとえば歌を歌う等)ではどうするのか。
私は、その人ができるものを、できるだけ伸ばしていく事が大事だと考える。教育の場でもこのような問題が生じるのは仕方ない。スポーツをするでも、障害を持った子どもには難しい場面が多々あるだろう。それにも関わらず押しつける形での教育は、障害者にとっても気持ちの良いものでは決してないだろう。
このようなことをどうしていくかというのも障害者の声が重要となってくる。そして、それに応えていって、誰にでも教育を受けられる権利を保護していかねばならない。
では、「障害者の自立」とはどのようなものか、また、それを支援していくにはどうするべきか考えていくべきである。障害者の自己決定というのは、周りの人や社会に邪魔されやすい。「あなたじゃできないから」といったような状況を作り出しているためである。障害者の自立とはどのようなものなのか。
障害者は、自分一人で経済的に自立するというのは難しい。また重度の障害を持つ人であるなら、間違いなく介助する人が必要である。だからといって彼らが自立できないのか。
障害者にとっての自立は、自己の意志に基づくものであり、その意志に沿った社会的システム(バリアフリー、社会保障など)を取り入れていなければならない。障害者であるからといって”生きたいように生きる”ことが制限されてはならない。むしろ共存していく上でそれを支援していかなければならないのではないか。

障害者は現代社会において厳しい立場にいる。そして、私たち自身彼らと共生しているのにも関わらず、それを意図的に無視し、排除しようとしてきた。障害者だけでなく私たちが理解し、社会に訴えていかなければ生きていくのに不安を感じてしまうだろう。障害者・非障害者共通で社会をつくっていかなければならない。
  
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2006年01月16日

課題

The Old Man and the Sea

Ernest Hemingway

<Summary>
There was an old man who name is Santiago, such as fisherman in Cuba. He got a boat by oneself though a long non-fish of 84 days not to give up, and sailed only one.

The First Day・・・It took a huge spearfish which was beyond imagination though a little bait.
The Second Day・・・He fought desperately, but power of a huge spearfish didn’t weaken at all. He ate row tuna and drank unboiled water. Night of that day, he had a lion dream.
The Third Day・・・He exhausted himself desperate fight. The spearfish rose to the surface. Thereafter, he stuck spearfish with a lance, and he overcame a fight. However, sharks flocked for smell of blood. And it was eaten a spearfish by sharks.
The Fourth Day・・・In the morning, the ship reached at shore. There was little fish.

<Opinion>
This story, the old man who is fisherman caught a great spearfish after deadly combat, and that has been almost bite by shark when he took it. And I felt that there was a deeper meaning there. His effort seems to have all gone down the drain, and there is nothingness after all. However, it was the fact that he fought with all his force, it left a feeling of a sense of fulfillment of victory for him. It is hard to exchange it with anything else. It is important weather he applied himself with every effort and fight, I thought that it knew true victory.
As for the sentence of this book, description of a scene is very clear. Like the old man with loneliness and dignity, the comparison felt it interestingly.
His eyes full of life and a color of the same sea. I think that because, even if he was old, he did not forget a pride as a fisherman. Eyes show it. I think that a lion is symbolic of his pride and dignity. Therefore, he intended to dream of a lion, when he was trying.
I felt loneliness and loneliness in his way of life, but it was not “loneliness”, it was “aloof”.

  
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2006年01月12日

DVについて

                 06/01/12
ドメスティックバイオレンスについて
                                 
                                 0

☆ドメスティックバイオレンス・・・「家庭内暴力」、「親密」関係における(内縁の夫や、恋人も含む)男性から女性への暴力

<ドメスティックバイオレンスの種類>

 身体的暴力に限らず、ことばによる暴力、心理的暴力、経済的な暴力、性的暴力なども含む






         ドメスティック・バイオレンス「新版」
         p17 図








 この図は、身体的暴力と非身体的暴力がどのように関連しているか、またそれらがたがいに強め愛ながら女性の生活を支配していることを象徴的に表している。車輪の中央にあり、全体を支えている「パワーとコントロール」とは、「力(社会的影響力・経済力・体力など)」と「支配(男性による女性支配)」である。
 だれにでも分かりやすいのが身体的暴力であり、それが一番外側にあることでその実態をよく表している。その影に心理的暴力、経済的暴力、性的暴力、社会的隔離などがある。この存在によって身体的暴力が更に強化されていく。

<ドメスティックバイオレンスが起こる社会的側面>

○社会的地位制度○
▲性別による役割の強制と規定▲
 男性→公的な場で、誠治や賃金を支払われる労働の担い手になることが期待される。決断力、実行力、積極性、理論性、攻撃性を「男らしさ」として求められる。
 女性→家庭などの私的な場、賃金を支払われない労働(無償労働)を担うこと、公的な場では労働といっても、補助的な部分の担い手になることが期待される。配慮、共感、素直、従順、やさしさを「女性らしさ」として求められる。


 女性は生きていくために労働して「お金を得ることの出来る他人=夫」への経済的依存を余儀なくされる。結果、力の強弱の関係となり、支配する/される関係となる。

▲経済的自立の困難▲
 1970年代後半以降、外で働く女性が大幅に増加し、2000年における雇用労働者全体に占める女性は約4割、平均年齢は高くなり続け、勤務年数も伸びている。しかし男女雇用機会均等法が施行されて20年たった現在でも、男女の賃金差は縮まっておらず、パートタイマーを含めた女性の平均に賃金は男性のおよそ半分である。(パートタイマーの平均賃金は女性正社員の7割未満)
 また、不況や合理化のあおりを最初に受け、中高年の女性パートは嫌がらせやいじめなどが横行している。(保育園等の送迎不可能になるような職場への配転など)
→女性の経済的自立をはかるのに厳しい状況
→ 夫へ依存する生き方を余儀なくされる
○結婚制度○
▲法律婚の奨励▲
・結婚により、「種」の存続を奨励する働きも、今や少子化などで、子どもを大切にすることではない。もし子どもを大事にするのであれば、子どもを持つカップルや、シングルマザーを直接優遇すれば良いのに、現実にはそれをしない。ではなぜ法律婚を奨励するのか。
→国家は結婚の優遇策を取り、法律婚を基準とし、個人単位に権利を保障することを否定し、家族を社会の最小単位とみなそうとしている現れであり、個人を無視するものとなっている。

々餡箸砲茲覺浜・・・国家からすると、法律婚は、戸籍や国民の管理が容易になる。その上、性的関係という私的なものを、結婚制度の中に怖じ込めていくことで、性的秩序を人々に強制させることができる。この場合、女性の生殖に重点をおいており、男性支配社会では性的な事柄に関して女性の意思を尊重するより、男性の意思を尊重するように作られている。
→  結婚すると男性が妻に対して絶対的権利をもつかのように考える基礎がここにある

∈覆鷲廚飽預・・・女性の生活保障は結婚した男性にあり、社会は女性が独立して生活できる術を免責させている。これによって、女性の独立はし難く、離婚する状況も困難である。
→  男女間の支配・被支配関係を強める原因

▽結婚をすると、男女間の性関係が社会的・法的に正当化される。これは、未婚であるカップルの中絶や、またはできちゃった婚などで象徴される。このため、望まない性行為であっても女性は耐えるしかない状況がつくられている。

▲離婚の困難▲
・社会的意味として「人生の再出発」というのと同時に「結婚の失敗」というレッテルを貼られる。
・子どもがいると、子どものために離婚をしない。たとえば就職や入試であり、某有名幼稚園の入試では、両親の面接が行われるなどである。
・離婚するにも、離婚費用や手続きという障害があり、しにくい。
・家庭裁判所の調停委員や調査官が女性に対する固定的な性別役割分業を押しつける、という場合もある。
→  女性が安全に生活できる、また自分の生き方を選択できるような社会ではない

▽被害を受けている女性に対し、「なぜ逃げないのか」と一方的に女性を責め、また逆に逃げると「我慢が足りない」と非難される
→女性の自己決定権を保障していない社会のしくみ


結婚しなくても生きていくことの出来る社会を!

<DV防止法による成果>

※DV防止法が制定される前では、警察は加害者に対してなかなか刑事事件として対応しなかった

◎2001年10月、DV防止法が施行。それによる成果はなんだったか。
・ドメスティックバイオレンスが犯罪であることを明確にする。これにより警察の対応が大きく変化(DV被害者の相談、加害者から逃れる時のエスコートなど)
・家庭裁判所でのDVによる離婚調停の申し立てについて、それまで以上に配慮がされるようになる。
・周囲の被害者に対する目の変化、加害者に対する非難が強まる。

▲DV防止法の実態▲
‖仂櫃鮓饗Г箸靴董崘朸者」による「身体的暴力」と、DVとして認識されてきた事柄の一部に限定
  保護命令親切のためのような法律的側面があるが、その適応が限定されている
例:離婚後の元配偶者の暴力から被害者を守ることができない

∧欷醋仁瓩梁仂櫃被害者である「配偶者」に限定
→  子どもがいる場合、離婚後の親権獲得や、暴力夫のところへ子どもを置いておけないという実際的配慮の結果、多くの女性は実家に子どもを連れて行くが、実際、子ども、実家の家族は保護命令の対象ではない。
→実家が危険にさらされることが予想し、別居を諦める人も出てしまう

J欷醋仁瓩砲茲蟶枷十蠅ら命じられる行為が不十分(自宅からの2週間の立ち退き)
→  被害者に現実に起きていることを無視し、妻の保護には不十分であり、本質を理解されない
<今後の課題>

以上のことから、男性優位的意識が残り、社会的背景も相まって女性は弱者としての立場であり続ける結果となっている。このような社会的に低くみられる女性の地位を向上していくことを目標としていかなければならない。
また、DV防止法は、今起きている暴力から女性を守るために必要なごく一部にしか触れてない(保護命令や刑事処罰も、まだまだ足りないところがある)

※暴力をなくすための方策を具体的に講ずる
・被害を経験している女性が、暴力から逃れて安全に暮らせる状況の手だて
・女性が男性に頼らずに生活できる社会をつくる(男女共同参画の男女間での再配分を実現していく)
・男性が女性を暴力で支配することを許さない社会をつくる
・DV防止法の限定的要素をなくしていく
・性差別を撤廃していく、男女平等意識の向上


<参考文献>

・「性差別と暴力 続・性の法律学」 角田由紀子 著
2001 有斐閣選書

・「ジェンダー白書1 女性に対する暴力」 三原佳子、江原由美子、戒能民江、角田由紀子、鹿嶋敬、中村正、篠原正美、野中ともよ
2003 北九州市立男女共同参画センター“ムーブ”編 明石書店

・「ドメスティック・バイオレンス【新版】」 
2002 「夫(恋人)からの暴力」調査研究会 著 
  
Posted by a_will_for_xx at 07:37Comments(6)TrackBack(0)

2005年12月23日

英クラの課題(完成)

I went to Cambodia this summer. Because I was interested in the study tour that a student group of BOS (Bridge of Smile). I had not been abroad, and my parents (particular my mother) was little worried about the tour because an abduction incident occured in Cambodia. But, I said that "I am all right" lightly. The Cambodia which I went to it seemed to be interesting, all was a shock to me.
Cambodia was dry and hot. The vast expanse of the sky. There had a smell all its own. Fruit was delicious. There were a beggar and a person without hands and feet all over that place.
I went to various places somehow. For example an orphan home, a vocational training institution for a handicapped person, mine Museum, Angkor Vat, etc...
I want to introduce the Tuol Sleng Genocide museum which won through up to an impression most in that.

Tuol Sleng (Another name S21 asylum).Originally what was a school building of a senior high school was used as a prison in the Pol Pot times. It is recorded that 20,000 people were accommodated, an intellectual took torture and execution here. It was only six people that survived in that.
I felt tense since before having been to there, because I was interested in this museum most. Get on a bus on the road which is not paved for approximately 30 minutes from past 15:00. Because I was weak in a vehicle, I came to completely feel sick, but I went out with by all my might. Begging approached at once. In the days of a beginning, I was shocked whenever I looked, but this day was tour the third day, I was already used to looking. I didn’t deal with them to it is good.
Pass by them and went to an entrance. By the appearance, it was an ordinary building where was done a terrible massacre of people I don’t believe. I paid entrance charges, and entered. I advanced and looked the signboard which was written explanation. The reason would be carsickness, I walked heavily. A grave stood in a place such as a courtyard. This grave was set up for killed people by soldiers of Pol Pot. And I just advance to a left building where people were put to torture. There ware the bed which was made of iron, a chain and a sword. A grate was fitted in a window, and a line such as the wire which a high-voltage current run. I shuddered. I got gooseflesh. In a split second. Above all, I felt weirdly with lukewarm air. I did such an experience for the first time. I thought many time “Here that is risky.” But, I felt an irresistible impulse to try to feel done reality here. Once went out, and entered a different room. As soon as I entered in there, air was heavy after all. I felt dizzy. I felt something that not reason which ventilation was bad. Somebody said, “It seem to have smelled of blood several years ago”
Next, I entered in the center of building. There0 were photographs which was taken that killed person displayed here. It was various to a person, advanced age to really small children. They had eyes to have given it up and indifference. Many people have been killed. Many many people. With it, photographs of the soldier whom I tortured and executed were displayed. They looked like only a child of a younger than me. I was paralyzed, because it was too unbalanced that the smile to be left of childish.
When I advanced, there were exhibited that the pictures and the photographs which situation of torture was drawn on, the shelf which were in a large of skulls, the Cambodian map which was made of the skulls. Really, I suspected whether it was not an ordinary model, cause too many skulls.
In another building, photographs were exhibited, but I took a break outside for a while to tired from an excessive shock and a heavy atmosphere. At that time, my face looked too pale, I was worried by other members. I had a heartbeat. I was not able to bring myself to go out, although not to bear that there was in this air. I must see everything.

I think that I was really good that such an experience. If it is possible, I want to try to feel other countries. Surely, new experience and thought should be born again. There is an opportunity going to foreign countries a lot from now on. I want to make the most of this. In addition, I was able to meet a lot of people through this tour and to hear an opinion of various people. Such a wonderful trip, it cost only 150000 yen, very very cheap…(wry smile…)
  
Posted by a_will_for_xx at 20:54Comments(1)TrackBack(0)diary