2007年08月

2007年08月31日

金刀比羅宮展〜応挙の虎

 ずっと見たいと思っていた「金刀比羅宮」展に、ようやく行くことができた。上野にある東京芸大の美術館である。金刀比羅宮とは、あの香川県の金毘羅さんのことだ。
 江戸時代、金刀比羅宮は関西の信仰の中心の一つで、庶民の間では金刀比羅宮詣でが盛んに行われていた。金刀比羅宮の書院にある各部屋の襖や壁には、当時の有名な絵師が競って大掛かりな絵を描いている。このことからも、その人気のほどが分かるだろう。
 今回の展覧会には、絵師たちの描いた実物の襖や、精巧にカラーコピーされた実物大の模写が展示されているという。四国の「こんぴらさん」になど、いつ行けるか分からないし、また、行ったとしても書院の奥の部屋は見られないかもしれない。今回の「金刀比羅宮」展はどうしても見逃したくなかったのである。

 この展覧会の目玉は、なんといっても円山応挙だ。円山応挙は、江戸時代中頃の京都で最も人気のあった絵師で、私も大好きな絵描きの一人である。 

 応挙は貧しい農家の出である。苦労して絵を勉強したこともあり、「宮廷絵師」の狩野派などと違って、庶民の間で絶大な支持があった。なにしろ、最初は眼鏡絵(レンズを通して箱の中の絵を見る、からくりのおもちゃのようなもの)などを描いていた人である。応挙の絵は晩年に至るまで、楽しさ、いろいろな仕掛け、素朴さなど、庶民的感覚を失わなかった。

 応挙の作品の魅力は、本当に微細な部分に至るまでの正確な描写と、それとは対照的な奔放なラインにある。実に細かく描かれた動物や花の絵の背景に、豪快な一筆で描かれた、流れ落ちる滝や聳え立つ崖が描かれている。その対照の妙の見事さには、ただただ感心するばかりである。


応挙のトラ

 さて、その応挙の虎が、これである。もう、見た途端に、私のお気に入りの一つになってしまった。脱帽である。でもこれって、猫だよねえ(笑)
 虎が水を飲むさまは、まるで行灯の油を舐めている化け猫に見える(笑)






応挙の虎2
 こちらの絵の方が良く分かるかな。実に猫である(笑)
 応挙という人は、実物を見て、それを正確に写すということに、たいへんに腐心した人だ。実物どおりに描けないと不満で、花でも鳥でも、近くに本物を置いて、飽きるほど観察しては、絵にしていったそうである。
 龍のような空想の生き物でさえ、何かを写して(例えば、背中は鯉の鱗を模した)描いたらしい。
 この虎たちは、果たしてどうやって描いたんだろうなあ。応挙は虎の実物を見たことがあったのだろうか。



 中国から入ってきた絵には、虎を描いたものはたくさんあっただろう。当時は動物の見世物もあり、象などを見ることはできたらしいので、応挙も実物の虎を見たことがあったのかもしれない。
 もしかしたら、近くにいた猫がよほど可愛くて、どうしてもその猫をモデルに虎を描きたかったのかもしれない。あの応挙なら、そんな突飛なことも考えつきかねない。

 目を凝らして、生きとし生けるものを見続けてきた応挙。応挙にとっては、猫でも猛獣でも、あるいは花でも鳥でも、みんな同じ、愛すべき存在だったんだろうね。ある意味、それは仏の信仰にも通じるものなのかもしれない。
 だからなのだろうか。「金刀比羅宮」の奥の間に、庶民派絵師の代表である円山応挙は、こんなにもユーモラスで愛くるしい虎たちを描いて見せた。
 


 


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2007年08月26日

代々木公園〜原宿〜表参道 よさこい巡り

 原宿の近辺で、大々的によさこい祭りを開催するというので、例によってカメラを担いで行ってきた。
 よさこいは、もちろん高知の踊りである。しかし今や、全国どこででも行われている。あっちでもこっちでも、よさこい祭りをやるというポスターを見かけるような気がするのだ。札幌のよさこいソーランあたりがブームの火付け役かもしれない。

 相変わらずの猛暑が続いている。強烈な日差しが否応なく肌を刺してくる。むき出しの腕の表面がチリチリと焼けていくようである。
 少し時間が早いので、代々木公園をぐるりと回ってみる。池の周りでは、海水パンツ一丁だけの年配の男性がチラホラ。肌の色は、まさにこんがりといった感じで、焼けた肌の層が幾重にも重なっているかのようだ。今日の日差しは日光浴というレベルを遥かに超えていると思うのだが、この裸のオヤジたちは大丈夫なんだろうか?

 公園のあちらこちらに、よさこい踊りの練習をしているグループがいた。思い思いのカラフルな衣装に身を包み、音楽に合わせて踊っているのだが、みな表情は真剣そのものだ。



よさこい1
 公園の入口に戻ると、すでによさこい踊りの演技が始まっていた。路上にロープが張り渡されているだけのステージである。ロープのまわりにはたくさんの観客が詰め掛けていた。
 私は端っこの方に陣取った。何組ものグループが、私の目の前で踊りを披露していく。みんな汗ビッショリである。
 踊り手は若者の姿が目立つ。小学生と思しき子どもも何人かいた。踊りに合わせてカメラのシャッターを押すのだが、動きが激しくてなかなか踊り手がファインダーに収まらない。

 「よさこい」というのは、決まった振り付けはあるのだろうか。目の前で繰り広げられているのは、半分ヒップホップのような感じもある。「よさこい」という冠の付いた新しいダンススタイルと思った方がいいのかもしれない。



よさこい2
 原宿駅の近くに移動する。ここには特設のステージが造られていた。観客の数も多い。こちらでも演技はすでに始まっていた。
 ステージの上も熱いが、見ている方もアツイ。観客の方は日傘を差したり、団扇でバタバタあおいだりしている。それでも汗は次から次へと噴き出してくるようだ。
 さすがにここは原宿駅前、祭りの出演者たちが行きかう中に、コスプレをしたギャルたちの姿があった。よさこいの踊り手たちもカラフルな恰好をしているが、コスプレギャルたちもまた、これに負けないほど奇抜ないでたちである。

 これは面白いと思ってカメラを向けたら、ギャルの一人にジロリと睨まれてしまった。




よさこい3
 原宿駅から坂を下り、明治通りへとやってくる。明治通りから表参道へ向かう道がよさこいパレードのために通行止めになっていた。こちらも歩道は見物の人でいっぱいだ。前の人が邪魔になって、とても写真どころではない。あきらめて後ろの方から踊りを眺めることにする。
 大音量に合わせて、パレードが行われている。こちらは踊り手に年配の人が多いように思うのだが。みんな元気だなあ。元気なニッポンはこんなところにあるのかもしれない。


 祭りは、見ているより参加する方がよほど楽しい。「踊る阿呆に見る阿呆」と唄うのは徳島の阿波踊りか。「同じ阿呆なら〜」といきたいところだが・・・。こんなに暑けりゃ、ついつい、町内会でやる夜の盆踊りにしておいたほうが身のためかと考えてしまうよなあ。



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2007年08月21日

円空〜なんなんだ、これは?

円空1
 先週の土曜日、テレビ東京の『美の巨人たち』で円空が取り上げられていた。円空は、江戸時代前期の僧侶で、全国を旅して布教する“遊行僧”(ゆぎょうそう)であった。しかし、一般的には僧としてよりも仏師としての方が遥かに有名である。
 円空の彫った仏像を見たときの衝撃は、いまだに忘れられない。正直言うと、そんなに仏像というものに興味があったわけではない。旅先で神社仏閣を訪ねるのが好きなので、そこに祭られている仏像を見る機会はある。京都の三十三間堂に並んでいる像などを見ると、確かに壮観だなあとは感じるのだが、特別に思い入れができるわけではなかった。
 

円空2
 一年ほど前、上野にある国立博物館で「一木彫り」の仏像の展覧会が開かれた。全国各地から、一本の木に彫られた仏像の名品が集められたのだ。たまたま券が手に入ったので、私はその展覧会へ行くことにした。
 会場に入る。飾られた仏像を眺めていると、やはりいいものだなあと思う。国宝に指定されたものなどは、さすがに素晴らしい造りだ。
 そうして順路も半ばを過ぎるた頃、円空の作品が集められたスペースにたどり着いた。入口にあった円空の作品を見たとき、唖然となった。「なんだこれは?」大袈裟でなく、背筋が寒くなったのである。

 

円空3

 仏師が仏像を彫る場合は、あらかじめ何を彫るかを決め、使う木も吟味するだろう。しかし、円空の場合は違うのだ。その辺りに打ち捨てられた木や、削った木のカスにさえも仏像を彫ってしまうのである。木が曲がっていようが裂けていようがお構いなしだ。そして、円空が彫ると、湾曲や、裂け目も、重要な作品の一部に変貌する。廃木たちは、まるで生命を与えられたかのように笑い、怒り、そして言葉を喋り始める。
 ひどく捩れて不恰好な仏像たち。しかし私は、その場所を去るのが惜しくて、何度も何度も円空仏のまわりを回っていた。

 私が円空の中に感じたのは、時代やジャンルを超えた天才の閃きの存在である。ダヴィンチやピカソや、日本でいうと北斎あたりに感じる、飛び抜けた感覚。誰にも真似のできない発想。ポールマッカートニーの作るメロディや美空ひばりの歌にも通じるといったら分かりやすいだろうか。(余計分かりにくいかな?)
 円空はそんな稀有な感性を、実に軽々と具現化してしまっている。

 まだまだこんな人と出会えるのだ。これは嬉しい驚きでもあった。まだまだ、私なんぞの知らないことは山ほどあるのだ。すると、これからもこんな出会いがまだまだあるのかもしれない。
 江戸の始め、ロクに道もないような山の奥深くに、薄汚れた僧衣をまとった世界的な天才がいた。なんて素敵な話なんだろう。


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2007年08月17日

荒崎にて

 なんとなく夏を実感したくなって海へ行くことにした。海といっても、海水浴をするわけではない。うんざりするほど人がいる浜辺ではなく、岩場に波が弾けるような光景を見たくなったのだ。

荒崎海岸1
  京浜急行の終点である三崎口まで行き、そこからさらに20分ほどバスに揺られて、荒崎海岸に辿り着いた。カンカン照りだ。暑い。アツイのアの字に「゛」を付けたいくらいである。

 バスの終点から荒崎公園へ入っていくとすぐに海に出る。ゴツゴツとした岩が海岸を形作っている。このあたりは遥か昔は海底だったそうだ。それが地殻の変動で隆起して、現在のような地形を成したらしい。こんなところにも、生きている地球の脈動を感じるなあ。


 家族連れが、岩の間にできた水場で海水浴を楽しんでいた。子どもたちは水中眼鏡をつけて、盛んに岩の隙間を探っている。一緒になって覗き込むと、小さなカニや魚やフナ虫がゾロゾロと蠢いていた。




荒崎海岸2
  そこから先は、「潮騒の道」と名付けられたウォーキングコースである。ウォーキングコースといってもほとんどは岩場に砂地で、歩きにくいことこの上ない。しかも、こんな暑い日にウォーキングをする者など、他に見当たらない。
 岩場を登り降りし、洞窟のようなところを抜け、人気の途切れた辺りにくる。
 私が一歩踏み出すと、それに連れて岩の上でフナ虫が右往左往している。フナ虫の方でも人が来ないので油断していたに違いない。逃げ遅れた奴を何匹かは踏み潰しているはずだ。ゴメンよ。


 岩の陰で休むことにする。潮風に吹かれると、また汗が噴き出してくる。
 トンビが二羽、頭上で舞っていた。それがたまに、低空飛行で私に近づいてくる。まるでこちらの様子を探るようだ。弁当でも出すのを待っているのであろうか。砂地の上をトンビの影が掠めていく。思わず首をすくめる。

 
ひまわり
 休み休み1時間ほど歩いて、ようやく砂地の海水浴場に着く。和田長浜海岸だ。ここは海水浴客も多い。人の姿を見るとホッとする。
 無性に水に浸かりたくなってきた。靴下を脱いでズボンの裾を膝まで上げて、足を海に浸す。さすがに気持ちが良い。
 「海に来たぞ〜」と叫びたくなった。くるぶしの深さしかない海ではあるけどね(笑)




 帰りのバス停に向かう途中、畑に満開のひまわりが咲いていた。ここにも夏があったか。
 ひまわりの花は、先がほんの少しだけ萎みかけているような気がする。葉も若干、黄ばんできているようだ。そろそろ盛りを過ぎつつあるのかもしれない。こんなところにひょっこりと、夏の終わりの気配が顔を覗かせている。

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2007年08月15日

泣ける本

 猛暑と呼ぶのもまだ手ぬるいような強烈な暑さが続いている。
 冷房付けっぱなしの生活をしているせいか、久しぶりに風邪を引いて何日か寝込んでしまった。そのお陰もあって?ようやく北方謙三の水滸伝19巻を読み終わった。3ヶ月かかったかな。
 「水滸伝」、壮大な作品ではあるのだが、なにしろ表現もストーリーも荒っぽい。いろいろな意味でハードボイルドなもので、あまり人には薦められない。
 とそこで、今年読んだ本で薦められるのは何だろうと考えた。
 もともと、「感動の」とか「泣ける」などという謳い文句にはほとんど魅かれない方である。本を読む醍醐味は「あっと驚くラストのどんでん返し」にあると思っているので、読む本のほとんどが推理小説かミステリー、捕物帳といった類だ。
 それでも最近、「泣ける」本に何冊か出会ったので、ここに紹介したいと思う。

車椅子
 ラジオのニッポン放送で午前中にやっている「うえやなぎまさひこのサプライズ」という番組の中の、『10時のちょっといい話』というコーナーで、毎日1話ずつ「ちょっといい話」を紹介している。そのコーナーで紹介されたものの中から何篇かを選りすぐってまとめたのがこの本である。
 うえちゃん(うえやなぎ氏は番組の中でそう呼ばれている)の番組は、私も大好きで、よく聞いている。ただ、私は「感動」が苦手なので、10時になると音楽に切り替えてしまう。うえちゃんのナレーションで『10時のちょっといい話』を聞くと、非常にマズいことになる。目頭にジンとくるのだ。これは本当にマズイ。
 午前中から泣いててはまずいだろうと思うので、このコーナーはなるべく聞かないようにしている。
 この本を読んでいても、そのマズイ状況が甦ってくる。トシだから涙もろくて、などと変な言い訳をしてみるのだが。
 内容は全て実話である。だから余計泣けるのかも。

いけちゃん
 何ヶ月か前のフジテレビ「ザ・ベストハウス123」という番組で紹介されていた。さる編集者が選ぶ「絶対泣ける本」のベスト1に選ばれていたのである。それが頭にあって、この本を探しに本屋をずいぶん回ったのだが、結局見つからなかったところ、アマゾンで売っていたので購入した次第である。
 内容であるが、さすがに号泣とまではいかないが、やはり泣けた。大上段に「泣け〜」と言われると白けるが、こうしてなにげなく迫られと妙にグッとくる。その距離感というか、なにげなさが昔の萩尾望都や大島弓子あたりの感覚に近い気がするなあ。
 こういう絵も好きだ。「にしはらりえこかあ」と言って笑われた・・・。
 これが面白いと思った人は、萩尾望都の「モトちゃん」もどうぞ。




平四郎
 最後はこれ。今年初めて読んだのではなく、何回目かの再読である。友人にはまた藤沢周平かよと言われそうだが。
藤沢周平は、もう十年以上前、私よりよほど読書に堪能な友人から教えてもらった。その頃はあまり本を読まなくなっていた私は、すぐに嵌ってしまい、それからほとんどの藤沢作品を読んでしまっている。
 最近、時代小説やら捕物帳やらがブームなのだそうである。新しい作家もずいぶん出てきているし、いくつか映画化やドラマ化をされたりもしている。私もそういった作品を何冊か読んでみたのだが・・・これが実につまらない。
 なんで、最近の作家は文章表現があんなに稚拙なんだろう。人物もロクに描けないし、情景描写も下手。ストーリーもひどく薄っぺらく、とても読んでいられたもんじゃない。それで結局、藤沢作品の再読ということになってしまう。
 藤沢周平の場合は、とにかく文章が上手い。個人的には日本の近代文学でいうと、川端康成や三島由紀夫と肩を並べると思っているのだが。これは、藤沢周平独特の暗さの中に軽妙さが加わった後期の作品。泣けるのは保証ツキ。これが面白ければ「用心棒シリーズ」や「獄医立花登シリーズ」もぜひ。

 


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2007年08月09日

阿久悠〜音楽の中の詞について思うこと

 先日、作詞家の阿久悠さんが亡くなった。生涯に作詞した曲数はなんと5000曲にも上るそうである。まさに不世出の作詞家といえるのだろう。
 と書き出したものの、実は「阿久悠作品」と言われてもすぐには浮かんでこなかった。阿久悠さん逝去のニュースで、ピンクレディや沢田研二の「勝手にしやがれ」等の映像を流していて、あれもそうか、これもそうかと、今さらながら認識を新たにした次第である。

 私は、音楽を聴くときにほとんど歌詞を意識していないようなのだ。実は、歌詞全体を読んで、この詞は素晴らしい、などと思った覚えがない。歌詞で好きになったのは、かぐや姫の「神田川」くらいではないかなあ。
 せいぜい意識に残るのは、歌い始めとサビの部分か。それも、一つの単語か一センテンスを「音」や「響き」として聴いているだけのような気がする。
 前述の阿久悠さんの代表作、沢田研二の「勝手にしやがれ」の場合は、「カッコつけさせてくれ〜」と「ワンマンショーで〜」という部分が印象的で、カッコイイな〜と思うが、それは歌詞全体の文脈の中で捉えているのではなく、ただ単にそのワンセンテンスが独りでに浮き出ているだけである。
 「あの人の詞が良い」という声は良く聞く。『松本隆の詞について』などという題では、一大論文が書ける人もいるだろう。これはもう感覚の問題で、私には歌詞の内容まで行き着くだけの感性が足りない気がする。

 そのあたりを逆手に取ったのが、サザンの桑田だ。彼の場合、歌詞を「音」として割り切ってしまった。内容などいい加減、カッコ良く聴こえれば勝ちだろうというので、意味のあるような無いような英単語を挟み込み、ストーリーなど度外視して曲に疾走感を与えることに成功した。ある意味、ラップの先駆といっていいかもしれない。
 私はそんな桑田の確信犯的な部分が好きである。だから、一般的に人気のある「いとしのエリー」や「ツナミ」は、あまりにフツーに近いので、大して面白いとは思わない。これももちろん、私の感性の中での話である。

 ボブディランという人がいる。ポピュラー音楽の詞の世界を180度変えてしまった人である。「風に吹かれて」や「時代は変る」の作者といった方が通りがいいか。
 それまでは、愛だの恋だのばかりだった歌詞に、哲学、思想、スキャンダラスな現実等を持ち込み、人間の深層心理に訴えかけるような詞を書いた。それにより、一つの曲の持つ重要性、影響力が格段に増したのである。ジョンレノンも、ポールサイモンも、彼がいなければもっと別の歌を歌っていただろう。
 しかし、ディランの詞はホンとに分からない。日本語の訳詩を読むと、比喩的なもの、寓話的なものが多いが、それが何を表現しているかが良く理解できないのだ。欧米の人には、土台あるいは前提になっているものがあるのかもしれないのだが。
 しかも、ディランの歌詞はダブルミーニング=本来の歌詞の裏にもう一つの意味がある=などといわれている。ディランの詞も世界中に研究者がいるのだから、私などが理解をしようと思う方が無理があるのかもしれない。
 だから私は、ディランのシャガレ声を音として味わうことにしている。

鳥の歌
 阿久悠さんの話からだいぶ逸れてしまった。
 阿久悠作品がウチにないかと思って探したら、唯一あったのがこれである。邦楽のアルバムやシングルはそんなに持っていないのだが、一曲だけとは意外だった。私の持っている松田聖子のアルバムにも、阿久さん作詞の曲は無かった。それにしても、何でこのシングル盤を買ったんだろうなあ。杉田かおるも、今では別の世界に行ってしまったし(笑)


 なんだかやけに、ずらずらとまとまりの無いことを書いてしまった。
 こんなブログを立ち上げると、いかに駄文でも、構成やら言葉の選び方やらでひどく気を使う。どうやったら自分の感じたこと、考えたことが伝わるだろうかと、結構悩んでいるのである。
 歌の詞は、遥かに限られた字数の中で、一つの世界、あるいは一つの物語を作り上げなければならない。それが5000曲である。改めて信じられないような才能というしかない。
 阿久悠さんが本格的に活動を始めたのが1960年代後半、いわゆる団塊の世代が青春真っ只中だった頃だ。激動の時代のバックミュージックに、いつも阿久さんの歌が流れていたということなのかもしれない。
 「戦争を知らない世代」の物語を5000あまりも残して、阿久さんは旅立っていった。 合掌 
 


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2007年08月04日

アキバでメイドが水を撒き

 とにかく暑い。うだるような暑さで、日陰にいても汗が吹き出してくる。梅雨が明けた途端に猛暑が襲いかかってきたような感じである。
 夏を涼しくしようと、各地で打ち水のキャンペーンなどが行われている、その打ち水が秋葉原でも行われるという。アキバらしく打ち水をするのはメイドさんたちらしい。
 私は、オタクの気は大いにあるのだが、残念ながらアキバ系にはほとんど興味がない。それでもアキバに行く気になったのは、面白い写真が撮れるかもと思ったからだ。
 私は10人ちょっとの小さな写真の同好会に入っている。講師が某新聞社のカメラマンで、新聞系からなのか、風景や花の写真よりも、人の表情や時節柄タイムリーなものの方が上位に評価される。
 月一回の会合に会員が写真を持ち寄るのだが、そこで1位になると某新聞の都民版に掲載されたりするので、写真を撮るのは結構必死である。
 アキバでメイドがウチミズ、格好の時事ネタかもという期待で出かけてみたのだが。
 
 アキバりお
  駅前の広場で、イベントのスタッフが忙しそうに準備をしている。たらいや桶はもう並べられていた。すでに観客はずいぶんと集まっている。
 私も渡されたロープの前に陣取った。それにしてもアツイ!
 まだイベントが始まる前だが、ピンクの浴衣を着た女の子が、マスコミ関係と思しきカメラマンの前でポーズを取っている。「髪を短くしたんだぁ」とか「今日は少し化粧を濃くしてるな」などという声が、私の回りから聞こえてくる。
 誰!?どこかのアイドル?
 撮影会がひと段落すると、その女の子は見物人に名刺を配り始めた。私も声をかけて、名刺を一枚もらう。なんだかめちゃくちゃ照れる。
 名刺には、「初音りお」とある。知らないなあ。なにしろ、長澤まさみの顔をやっと覚えた私だ。自慢じゃないがエビちゃんも、モエも未だに判別できない。
 初音りおちゃん、今年の「うち水娘公式イメージガール」なんだそうだ。



 
アキバ打ち水3
アキバ打ち水1






アキバ打ち水2







 いよいよメイドさんたちの登場だ。聞けば、秋葉原のメイドカフェから選ばれた本物のメイドたちであるらしい。同じ制服を着た女性たちが5,6人、それが7,8組はいるであろうか。総勢40人ほど、結構な賑わいである。
 「○○ちゃ〜ん」と観客から声がかかる。
 「あれがどこそこの△△ちゃんで、その隣りが▲▲ちゃん・・・」などと後ろで誰かが解説している。
 みなさん、常連さん!?  
 メイドさんたちが水を撒き始める。夢中でシャッターを押す。行き来するスタッフ、前にいる観客の頭や手がファインダーに入ってしまう。どいてくれ〜と心の中で叫ぶ。
 そうやって、なんとか撮れた写真がこれである。これを見て、少しは涼しくなっていただけただろうか?それとも萌えていただけるかな?
 私は、強い日差しと人の熱気で汗ビッショリなので、生ビールで涼をとることにしよう。


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