March 16, 2017

3月15日

法事のため実家へ。
父の十三回忌でした。
この父というのは実父ではないのですが、私を私たらしめた父です。
私は生まれが複雑で、その上毒祖母・毒母もいる中で、
この人の存在がギリギリのところで私を精神的危機から救っていたと思う。
独特の距離感がありましたが、その時々、私が注力していることを認め、
さり気なく傘になり、亜々子という名前を作ったのもこの人。
私が幼い頃から亡くなるまで、ものを書くことを勧め続けました。
それを私の行動の原動力にしていないし、恩に着てるわけではないけど
現在書き物や短歌をやっている身としては、
きっかけの土台のような感じになっている人の亡くなった日なのでやっぱり特別。
普段は思い出すことも少なくなりましたが、法事ってシステムはいいですね。
思い出すきっかけになるし、思い出すことで記憶や思いが補強される感じ。









aako_i at 18:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)近況 

February 16, 2017

近況(第28回歌壇賞候補のことも)

今さら誠に申し上げにくいのですが、あけましておめでとうございます。
正月も立春も春節も過ぎてこれです。
なんとなく、息災に暮らしております。
本年もどうぞよろしくお願いします。

昨年について、なんといっても大きな出来事は熊本地震でした。
それなりに被災したというのに
渦中にあっては意地のように短歌を作り文章を書き、
あちこちで発表させてもらったわけですが、
今考えると持病のこともあるのに明らかにキャパ超えのことをして、よう生き残ったなあと思います。
そう言えば手術もしました。
その後は順調です。
こんな感じでいろいろあった中に、
中城ふみ子賞で佳作を、熊本県民文芸賞短歌部門の一席をいただいて、
つい先日は第28回歌壇賞の最終候補に選んでいただいたこともあります。
ほんと、盛りが良い一年でした。
なにかある、その度に色々考えましたが、総合すると、
いつなにがあってもおかしくないから好きなことは私が面白く楽しくなるように好き勝手にやる、
という考えに落ち着きました。
色々と全然満足していないので、本年も猛進いたします。


今回の歌壇賞の候補になったこと、なんか書こうと思ったんですが、何も言うこと無いな(笑)
賞が全てだなんて思ってないけど、結果が全てだとは思っています。
体調ぼろっぼろの時に数日で書いたものがここまで行ったのはありがたいことですが。
楽しみつつ精進していきたいものです。

aako_i at 10:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0)短歌 | 近況

December 29, 2016

熊本県民文芸賞授賞式のこと

先日、本年度の熊本県民文芸賞の発表がありまして、短歌部門の一席をいただきました。
去年の二席に続いての一席。
熊本で短歌をする者にとって、背筋の伸びる、励みとなる賞です。
地元紙での結果発表と各部門一席の作品の紙面掲載(顔写真も載りました)を経ての
授賞式に参加して参りました。

席。
うれしくてこの紙もらってきました。
20161212_3


このような服装で。

20161212_2

去年までは洋装でしたが今年は和装。
出来が微妙ですが、自分で着る派なのでお許しを。
ちなみに6部門中で3人和装で、その中の2人が短歌部門。お一方は俳句部門。

賞状。
20161212_1

この授賞式では部門ごとに講評があります。
短歌部門の講評でまず言われたのが、短歌部門応募者が固定化している話。
確かに私含め3席まで、去年も出してるメンツでした。
この熊本県民文芸賞、過去の一席受賞者がまた応募することがとても多く、
毎年講評で各部門、『一席受賞したら後進に道を譲って』と言われている現状です。
その中にあって短歌部門は一席取ったらもう出さない、が慣例なのですが、
ここで私、「生田さんはもう卒業するように」との最後通告をいただきました。
そんなお言葉なくてもそのつもりだったのですが^^;
講評の中で気になったのは、熊本地震の影響でどの部門も応募者が減少…したかと思いきや、
短歌部門だけが増加していたという話でした。
これはどういうことなのか。とても興味深い事実です。
評論・ノンフィクション部門はほとんど地震関連のものはなく、
発災から〆切まで間がなかったため、おそらく来年以降多くなるのではないか、とのこと。
講評で地震についてあまり触れられなかった部門はどうだったのか、
熊本の創作文芸に何をもたらしたのか。気になるところです。


上にも書きましたが一席を取ったら卒業の予定でやってきました。
その最後の年が震度7が2回も起きた熊本地震の年。
きっと強く記憶に残る…なんて濃い一年だったんだろうと思っているところです。



aako_i at 15:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0)短歌 | 近況

December 09, 2016

ネットプリント『屏風と靴の紙☆第6号』発行のお知らせ

ネットプリント『屏風と靴の紙☆第6号』発行中です。
まずは情報を。

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2016/12/16 09時頃まで

 今回は第38回熊本県民文芸賞一席となった短歌連作「足のない虹」と
旋頭歌連作「夜」を掲載してます。
短歌の方は昨年の二席に続きまして、いただきました。
熊本在住の歌人としてとてもうれしく、背筋の伸びる賞です。
また地震後の疲れからか体調が絶不調の時に作ったものなので格別です。
ちなみに震災詠ではありません。

 旋頭歌連作は私の古典和歌実作企画の一環です。
短歌の元は当然ながら古典和歌にあるのでその源流あたりを流れてみよう、
出来ればその流れの水の感じとか、感じたことを文字にしてみようか、
という個人的にわくわくする企画の。
実は今年春から、それをネットプリントにして配信する予定でした。
さあ出来た、配信しよか、というところで熊本地震が起きまして、
すっかりそれどころじゃなくなってしまって、今。
もう年末でございます。
ちなみにその時の古典和歌は長歌でした。
あまりに暢気な歌調のため地震の後、見る気がしなくてお蔵入り。
で、出直しとしまして今回は旋頭歌です。
旋頭歌とは577577の6句で一首となる古典和歌です。
577からなる片歌を2人でやり取りした、というのが元のようで、
3句目と6区目が共通であったり、
上3句と下3句で同じモチーフの呼応や対比があるのが特徴的です。
今回作ったのは5首の連作です。
57と始めたらどうしても5に行きたくなる、
数えなくても自然と31音で収めてしまう体質であることが判明しましたが
色々やってますのでどうぞご覧ください。



aako_i at 17:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)短歌 | 近況

November 18, 2016

私と短歌と祖母

今日で術後17日。
息子からうつされた風邪を数日引っ張っていますが、傷はもう全然気になりません。
今日は街に行ってきました(熊本では中心部の繁華街に行くことをこう言う)。
普通に買い回って、子らの大きなアドベントカレンダーも持ち帰れて自信がつきました。

その息子たち、普段の私の様子を見ていてちょろいと思っているらしく、
この夏も夏休みの自由研究としつつ賞品も狙いつつ、
俳句大会、短歌大会に出しているのですが、今年は下の息子が両方に入選。
去年は上の息子が短歌、下の息子が俳句でしたが、
こんなことがある度に私の実祖母は「あたしだって昔はやってたのよ」と言い出すのです。
何度となく繰り返してきたやり取りなので、あぁまただ、めんどくせえ…と流し気味に聞くわけですが、私の実家の親戚はそれぞれが勝手に始めたことでも狭いジャンルに集中しているのが特徴で、音楽と短詩型文学に人が密集しています。
元々、短歌を諳んじていたり小学生の私に百人一首の手ほどきをしたり、
そっちの方向の人だとは知っていましたが、
実は戦前、東京で軍属として働いていた頃、大学生のボーイフレンドがいて、その方は有名な歌人のところの人で、祖母もその歌人から手ほどきをうけたことがあって、グループにも入っていた、と言うのです。
この話が残念なのは、高齢のためか具体的な部分を全部本人は忘れているということです。
(認知症ではないのです。次の誕生日で90歳)
その歌人がどなたか、ボーイフレンドのお名前も、グループ(結社か?!)名も、
自分の筆名も、全部さっぱり忘れていて、覚えているのはボーイフレンドは早稲田の学生で学徒出陣したこと、国立競技場にそれを見に行ったこと、その方は戦死したこと、それぐらい。
隠すべき個人情報もないレベルの情報しかありませんが、もしかしてどなたかお分かりになるかもしれない、と思いましたので記した次第です。
ま、わからないからいいのかもしれんなーと思いつつ。

熊本はくもり。雲の厚さが冬。暗い。
地震から7ヶ月経って、今日再開した書店で買った本を読みます。



aako_i at 16:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)短歌 | 近況

November 10, 2016

虫垂を切除した話

先週、腹腔鏡手術で虫垂を切除しました。
手術も、その後の経過も順調で、日々回復を感じています。
自分が手術を受けるとなった時、ネット検索してたくさんの体験記を読んだのですが、
その中でも特に、歌人の田丸まひるさんの体験記にはかなり勇気づけられました。
ということで、私の体験記も手術を前にしたどなたかのお役に立つこともあるかもしれない…と思いましたので、書き残しておきます。

☆2016年夏
春の終わりから腹痛とお腹を下すことが長く続いて不安になり、婦人科を皮切りにあちこちの診療科を回った結果、内科の範疇での問題では、と指摘されかかりつけを受診。
持病のストレス性疾患由来の可能性を指摘され、漢方薬治療を開始するもあまり回復せず。

☆2016年9月始め
かかりつけにて上部消化器官内視鏡検査。問題なし。下部消化管内視鏡検査を勧められる。

☆2016年10月半ば
かかりつけにて下部消化管内視鏡検査。虫垂の根本に小さな腫瘍が見つかる。
判断を急ぐようなタイプのものではないが、持病の慢性虫垂炎のこれまでの経緯から切除を勧められる。


私の慢性虫垂炎歴は長く、大学受験直前に急性虫垂炎発症したのが始まり。
抗生剤で小康(いわゆる『散らした』状態)を得たものの、2012年秋に再発。
手術を予定するもなぜか炎症などの数値が下がり落ち着き、子らのバックアップのあてもつかないことから手術計画立ち消えに。
ここから2016年まで忙しくなる度に何度も再発と、もしかして再発を繰り返し、
抗生剤と民間療法の併用でごまかし続けてきていました。



腹腔鏡手術がおすすめだからとのことでそれが出来る、家の近所の大きな病院への紹介状を書いてもらう。
帰宅して入院期間の私の穴をいかに埋めるかを話し合う。結果、オットの休みが続く11月第1週ならいけるかも!と一気にやる気。
翌日、紹介状を持って受診。
血液検査、CT、エコー、心電図、肺活量などの検査の後あらためて腹腔鏡下虫垂切除術の提案。
へそと左下腹部2ヶ所の計3つの小さな穴からの手術とのこと。
希望通り11月第1週に手術を仮予約。(仮予約なのは救急がメインの病院なので病床の空きが予測できないため直前まで確約できないとのこと)
翌週、説明のためオットと受診。
かかりつけで全身麻酔に備えて喘息などの薬のコントロール開始。
ウォーキングの時間を長くして体力づくりも開始。

☆2016年10月末
入院日決定。希望の日程。実家に入院中の子らの生活のバックアップを要請。

☆入院1日目
食べられるのは朝食まで。それからは絶食。
入院予定は昼過ぎ。それまでに掃除、洗濯、衣替えを済ませて病院からの指示のため入浴。
スーツケースを引いて歩いていくかバスにするか悩み、バスで行く。すっかり旅行気分。
希望は大部屋。前の人の退院が遅れ、個室で待機。実習の看護学生さんがつくことを了承。
窓から見える範囲、室内、地震でかなり壊れていることに気づく。
夕方から液体の下剤。スポーツ飲料のような味。下部消化管内視鏡検査のときの下剤より断然美味しい。
暗くなってからようやく大部屋へ移動。旅客機とドクターヘリの離着陸が見えるごきげんな部屋の窓際。テンション上がる。
執刀の先生、麻酔の先生、手術室の看護師さんなど次々人が来る。
腫瘍の位置によっては回盲部切除(大腸の右半分を大きく切除する)の可能性や、
開腹手術への切り替えの可能性の話に暗い気持ちになる。
寝る前に違う種類の水で溶かす下剤を服用。
この日は特にやることもなく暇で終わる。夜中数回腹痛で目覚め、トイレへ。

☆入院2日目(手術当日)
手術の人は早朝から入浴という決まりに従い入浴。
当然絶食。飲水も午前8時まで。午前10時すぎに浣腸。
手術で使う服に着替え点滴ルートを確保。血栓防止の弾性ストッキングをはく。
12時半、歩いて手術室へ。たくさん並ぶオペ室に圧倒され、ここらでやっとびびる。
背中に硬膜外麻酔をつけて、マスクをつけられたところから記憶なし。
次に気がついた時はすでに終わっていて、モニターの時刻表示を見ると2時間経っていた。
いつの間にか移されていた自分のベッドで病室に帰る。
そこからは寝たり起きたり。執刀の先生から予定通り切除できたことを聞き、ほっとする。
夜、トイレに立って行くことを勧められるもだるさと痛みへの恐怖で断る。
飲水の許可が出たのでベッドのリクライニングを少し上げて飲む。
何度か痛み止めを入れてもらいつつ、twitterを見たり寝たりして過ごす。
傷も痛いが腰も痛い、仰向けで身動き取れない一夜。

☆入院3日目(術後1日)
上半身が痛い。胸・お腹の周りがひどい筋肉痛みたいで息しても痛くてベッドのリクライニングが無いと起きられない。
看護師さんに勧められて、介助で歩いてトイレへ。痛いけど歩ける。
3ヶ所の傷の経過は順調。回診に来た執刀の先生に「病院内フリー。歩かないと回復が遅いのでどんどん歩くように」と言われる。
その後トイレに立つ度に歩く距離を長くすることにチャレンジ。原人のような姿勢で点滴ポールにすがっておそろしくゆっくりと病棟内をうろつく。へその傷だけがよく痛む。
お昼から待望の食事開始。

20161102

五分粥。おかずの芙蓉蟹が美味。ほぼ完食。

☆入院4日目(術後2日)
一日中、歩く。前日よりも体を伸ばして歩ける。
病棟を歩くのに飽きて、一階のショッピングモールに点滴と硬膜外麻酔のチューブをつけたままで行く。
その姿で珈琲店のかわいいギフトセットを物色。
あまりに部屋に居ないため、全館放送を掛けられそうになる。
経過が良いため2日後の退院が決定(ただしお通じがあれば、の条件付き)。
食事は全粥に昇格。
気腹(手術の際炭酸ガスをたくさんお腹に入れる)の影響で体を傾けると激痛とともにゴボコボ体内から音がするのでなるだけ傾けないで過ごす。
午後点滴が外れ、点滴ポール卒業。硬膜外麻酔の機械を入れた袋を持って、階段を昇り降り。
痛みは痛み止めの内服と硬膜外麻酔の背中のチューブでやり過ごす。

☆入院5日目(術後3日)
予定通り退院したいため、お通じ大作戦。
朝起き抜けに自販機で冷たいお茶を買ってきて飲む。不発。
朝食について来た牛乳200ml一気飲み。不発。
主治医のオーダーの座薬を入れてやっと術後初のお通じ。退院確定。
午前の回診で硬膜外麻酔がついに外されて、シャワー許可。さっぱりする。
食事は常食(普通のご飯)に。昼に本格的な熊本名物の太平燕(タイピーエン)が出て驚く。
20161103

この日でお別れの看護学生さんとたくさんお話する。

☆退院 入院6日目(術後4日)
朝から準備して無事に昼で退院。晴れ。
気腹の影響は継続していて、上半身の痛みで寝起きが自力でできないため(朝もリクライニングで起き上がった)、助けのためのクッションをニトリに買いに行く。店内うろつく。
帰宅して体重を測って愕然。増えている。

こんな感じでした。
現在は術後10日目。
薄紙を剥ぐように出来ることが増えてきて、退院3日目ぐらいから自力で寝起きできるようになりました。
運転も再開。傷はへそのところだけがおそろしく痛痒いです。
痛み止めは8日目から飲まずにいけてます。
家事も徐々に復活。重い物を持つの以外はなんでも。
気腹のガスはまだ体内に留まっているようでズボン系が閉まらないのでワンピースばかりで過ごしています。


何年も虫垂でこわい思いをしてきました。破裂したら死んでもおかしくない。
本来ビビリの私ですが今回バイト的お仕事の契約が切れていたこと、
原稿のお約束がなかったことと、学校行事がしばらく無いこと、
普段激務のオットの夏休み的な時期だったこと、実家のサポートが得られたこと、
偶然がいくつも重なったため今しかない、と手術に踏み切りました。
手術翌日には歩いて、10日後には普段の生活にかなり戻っているなんて、
医学の進歩には感謝しかありません。
もうこれで虫垂は痛まないことと、偶然見つかった腫瘍が悪さするタイプになる前に切除できたことに安堵しています。
ちなみに体調不良は地震からの諸々で、持病のストレス性障害が再燃したのではないか、ということで現在は症状も落ち着いています。


【追記】2016-12-09
手術から1ヶ月、受診して病理の結果を聞いてきました。
結果は問題なし。当初疑われた腫瘍でもなく、悪性度が全くないものだったそうで。
だから定期的な検診も必要なく、これでおしまい。
傷の治りも問題ないそう。
ここ数年悩まされた虫垂とおさらばしただけのことになりました。
術後3週間には子供のサッカーのパス練習の相手をして、
1ヶ月後からはゆっくりランニングも再開しています。


aako_i at 14:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)近況 

October 27, 2016

梁91号発行と近況

ご無沙汰しております。
私の参加しております現代短歌・南の会の「梁」91号が出ました。


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絵が素敵。洋梨。

表紙に何もタイトルづけられていませんが
(編集された伊藤一彦さんは入れるか迷ったけれどやめた、とおっしゃってました)、
熊本地震特集です。
南九州を中心として超結社の歌人が参加している歌誌なので熊本在住者も多く、
8名が熊本地震について出詠しています。
今回私は作品と、「変わり者の地震体験記」という文章を出しています。
機会がありましたらご覧ください。

地震の後、短歌関係とそれ以外でも作品と文章の依頼をたくさんいただいて、
お断りする由はないのでその全てをお受けしました。
本震発生直後から、発表は考えず自らの記録になればと書き留めた百数首を元に、
地震後の割と早い時期に現代短歌8月号、梁91号、虹20号(長歌)の順で
3部作で編んだ連作の兇謀たる部分が今回の梁91号の連作です。
災害詠についての戸惑いと当事者としての気づきについては梧葉50号の視点・論点でも書いたのですが、現在私は歌が出てきたら作るの姿勢です。
しかしながら、もう直後の歌は書かないだろうと思っています。
と言うのも、連作として完成させるため補作したり、長い文章をいくつか書いているうちに、
大した被災はして無いつもりでも思い出すだけでダメージは積もっていく事に気づいたのです。
7月、お受けした全てを書き終わった時には体調を崩していました。
徹底的に調べた結果症状の原因となるものは見つからず、ストレスと持病のコラボ的症状とのことで、そのきっかけと思われる普段と違う何かについて考えたら、これしかないだろうというわけです。
大災害に遭遇した後、過分にしんどかった当初のことを思い出すと負担が大きいようです。
こんなかたちでも人は調子を崩しうる、ということを体験しました。皆様もご注意下さい。
ちなみに三部作にはその後もあって、これは現代短歌新聞9月号に掲載されています。
全部まとめてネットプリントにしたら読んでくれる方あるのかしら…。
まずは地震関連掲載情報をまとめます。

梁91号に話は戻りますが
エッセイとして掲載されている「変わり者の地震体験記」、
今後増補してノンフィクションとして完成することを考えています。



aako_i at 13:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)短歌 | 掲載

May 16, 2016

熊本地震から1ヶ月  〜虹19号発行いたしました〜

地震から1ヶ月が経過しました。
ここから先として考えると長い1ヶ月も、過ぎてしまえばあっという間でした。
子らと3人、25日間もあった休校の期間を淀むように過ごして、
学校再開を待ち焦がれつつもその日にちゃんと気持ちが戻るのかと思っていましたが、
授業が再開して一週間経って、学校があることに対して特別な感情も動かないようになり普通に過ごしています。
今、「日常を取り戻すのが大切」と言われてますが、
非日常がこちらの日常なので取り戻すという表現には大いに違和感があります。
新たな日常を獲得して、慣れていく。
これを繰り返しての1ヶ月だったような感じています。
不便はありますが、不自由なく暮らしております。

虹19号、発行いたしました。

20160516


発行日は平成28年4月25日。
この虹、発行所は益城町です。
地震のおかげで全国的に有名になった益城町です。震度7が2回の益城。
あの日発行人は完成品をいつもとは違う場所に置いていたそうです。
これが運を分けて、もしいつもの場所に置いていたら揺れで崩れた土壁の埃と水にまみれて、
とてもじゃないけど発行どころじゃない状態だったはず、とのこと。
その発行人、寝ているところに雪見障子が倒れて、
少しずれていたらひどい怪我をしていたはず…が無傷。
虹には益城町在住者がもう一人いますが、
こちらは最も揺れが激しい地域にありながら家屋が倒壊すること無く、
奇跡的に無事だったそうです。
他の会員も、結論から言えば大なり小なり断水や停電、
家屋の破損はあっても全員無事でした。

さて、その虹ですが、今回、私は作品が巻頭です…これは順番でそうなっただけですが。
評論「超現代短歌考察」連載第4回が掲載されております。
また、原稿の〆切が3月半ばだったため、まだどこにも地震の地の字もありません。
全員が無事だった虹ですので、きっと20号は盛大にそれぞれの地震を詠うものになるでしょう。
今号は嵐の前の静けさとも言える、春の雰囲気に満ちた誌面に仕上がっております。



aako_i at 17:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0)短歌誌「虹」 | 近況

April 28, 2016

無事でおります

熊本地震後14日目となりました。

無事でおります。
今考えるとものすごい揺れでした。
震源の近くに住んでいるせいか、揺れよりも緊急地震速報が遅く来ました。
初めての震度6強体験です。
レゴで作った町を台ごと強く揺すったらあんな感じかもしれません。
しかし不思議な揺れで、私の常にひどい本棚と机はほぼ無傷、
積んでいる本は積んだかたちのまま数センチずれているという。
食器も落ちること無くそのまま。
それなのにピアノは車輪の受け皿ごと移動、着物の大きなタンスが横に数十cm移動。
想像していた地震被害とは解離しています。
私としては2度とも夜でよかった。
二度とも家族全員在宅しており、私は子らと一緒に寝ていました。
後で分かったことなのですが子の通学路の塀が崩れているところが多く、
これが通学時間だったら…と愕然としたものです。
その後の断水も食料品不足も、前震直後に溜めた水や、
たまたまいつもより買い込んでいた食料、用意していた非常用の備蓄食料でしのぐことが出来ました。
それももう数日前のこと。
私の暮らしとしては、ほとんど平常運転に戻りました。

しかし周囲に目を向けると、子らの学校は体育館も校舎も壊れて全国に報道され、
それでも避難者は教室に運動場に、まだまだたくさん居られます。
学校も来月半ばまで休校…再開のめども立っていないようです。
あまり報じられていませんが、音楽関係者としては文化施設への被害の大きさに目が行きます。
ホールはどこも損傷が大きく、あるピアノコンクールは熊本県内の予選が全て中止になりました。
そして今はどこにも、こういうことを考えたり憂う余裕はまだありません。
熊本自体としての平常にはほど遠いというのが14日目の現状です。

直後からtwitterの方でリプライを下さったり、
私の慌てているツイートにふぁぼして下さった皆様、ありがとうございました。
皆様のアクションに元気づけられました。

今のところ、こんな感じです。
これから色々じわじわとダメージが来るのかも、と思っていますが、
肩の力を抜きつつやっていきます。
なってしまったものは戻せません。
だったらこの地震で見たこと・感じたことを短歌に絡めて記事にしていこうかと思っているところです。


aako_i at 23:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)近況 

February 18, 2016

親子で

もうすっかり、2ヶ月以上経ってしまいましたがご報告。

福岡の、ある学校主催の短歌コンクールで銀賞をいただきました。

20151205_1


実はこれには長い話があります。

私には小学生の息子が二人おります。中学年と低学年。
夏休みに虹発行人からもらっていた応募用紙を子らに見せると案外食いつく。
どうも純粋な動機ではないようなのですが(受賞していただけるものを見ていた)、
上の息子が応募したいと言い出しました。
でも、一人では出したくない、母も弟も、と言うのです。
突き放すことでもないし、大人の部もあるので一緒に出しましたらば、
私は銀賞、上の息子は百人一首賞をいただきました。
驚きました。
息子のは学校に先に一報が入り、学校からの電話で知ったのですが、
学校からの電話は基本的に事件発生の合図です。
事故?ケンカ?病気?と高まる動悸抑えて電話に出たらこの話。
一瞬で激しく心配してしまってたのか、その後半日ほど脱力しました。
また、内容は見ずに応募だけしてやったので知らせが来て息子の歌を知った次第です。


で、うかがった授賞式。
少なからず音楽に関わる者としては夢のようでした。

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その会場(主催した学校の講堂)にはパイプオルガンがあって、
授賞式のオープニングに2曲演奏されました。バッハとパッヘルベル。
思わぬ耳福でした。

狙ったわけではなく、なりゆきで今回親子でこうなったわけですが、
非常に面白く、今だけの貴重な、しみじみとありがたい体験でした。
後々まで私の記憶に残ると思います。


ところで。
この賞は上の息子です。
じゃあ下の息子はどうなったんだ?!って話ですが、
このまま終わると1人だけ哀れな印象なので後日談を。
彼は応募数日前になって、
「オレ出さない。57577の77がメンドクサイ。長すぎて作れない」
などと猛烈に言い始め、結果ボイコット。
で、夏休みの自由研究として俳句コンクールに出して、佳作をいただきました。
上の息子も出しましたが、いただいたのは下の息子だけ。
結果的に有言実行になったのが面白く、しっかり落ちがつきました、はい。
ちなみに兄弟で同時期に知らせが届いたせいか学校ではどっちが短歌か俳句か錯綜し、
しばしば入れ替わっておりました。


aako_i at 10:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0)短歌 | 掲載