ああChanson Cri

自分が観たいものをすぐ出すためのアーカイヴw                                                                       @COPYLEFT

ジュリエット・グレコ Mon fils chante 我が息子よ、歌いなさい

ジュリエット・グレコが1972年に発表した当時のギリシャ軍政に抵抗する人々に寄せたシャンソン。

「自由を勝ち取る」というのはこれほどに熾烈なものなのか、と思わせるけれど、決して暗くない。そして、抵抗の手段として「歌え」と謳う。どこか楽観的とすら言える。

人間への大いなる信頼の歌。



 我が息子よ、歌いなさい

その人生を省みず
大いなる希望の名において
ダンスに加わる人々のために
我が息子よ、歌いなさい

人生をかけて奮闘する人々のために
自らの人生を武器とするしかない人々のために
永くかれらが生き続けるために
我が息子よ、歌いなさい

夜に闘う人々のために
太陽が照り輝くときのために
すべての人々のために
我が息子よ、歌いなさい

銃眼の下で
さくらんぼの実る明け方に
シャツのまま死んでいく人々のために
我が息子よ、歌いなさい

 我が息子よ、あなたが我が息子なのだ
 我が息子は生み出されるのだ
 自由が死ぬかぎりにおいて...
 自由のために
 この世界のどこであっても
 それが謳われるために必要である私の息子よ

理想の名において
歴史の狭い扉で
絶望に駆られる人々のために
我が息子よ、歌いなさい

拷問部屋から
最後の通路の土の上で
暗黒に引きずり込まれる人々のために
我が息子よ、歌いなさい

ピレウス港で
もはや五月の赤い太陽を
見ることの出来ない人々のために
我が息子よ、歌いなさい

死してなお
再び生きる人々のために
生きる人々のために
我が息子よ、歌いなさい

 我が息子よ、あなたが我が息子なのだ
 我が息子は生み出されるのだ
 自由が死ぬかぎりにおいて...
 自由のために
 この世界のどこであっても
 それが謳われるために必要である私の息子よ


(訳:ああ)

*ピレウス港 - 、紀元前86年にローマの攻撃をうけてほぼ壊滅。その後はローマ帝国に支配された。
1040年には、東ローマ帝国ブルガリア で起こったPeter Delyanの反乱に呼応し、反乱を起こしている。(wiki)

スタジオ盤

バンジャマン・ビオレ Fidele 忠実に…

昨年2015年に、しばらくプロデューサー業に徹していたバンジャマン・ビオレさんが5年ぶりに出したアルバムは、シャルル・トレネのカバーアルバム。

You-Tubeでほとんどの曲が聴けますが、これがどれもなんとも言えずイイ!
「シャンソン=フランス歌謡の歴史と未来を背負ってやる」という静かな決意が伝わる名演揃いです。



 忠実に…

忠実に、忠実に…私は忠実なままにいる
あなたにとっては重要でもなんでもないものに…
ある夏の宵の一羽のツバメが飛ぶ姿
連れ添っていた子どもの微笑を
忠実に、忠実に…私は忠実なままにいる
私を形作った些細な事柄たちに…
老いた犬…水彩画の箱…
八月のラ・ヌーヴェル港を…

忠実に、忠実に…私は忠実なままにいる
あの場所ととてもやさしい友達に
おどけたアルベールとレースで着飾った彼の妹…
リニューアルされたカスティエの城址…カニグー山…
ベジエ通り…エミリーおばさん…
ママはブダペストへ発ってしまった
樽製造所のある私の古い家…
憲兵隊本部付近を通る急行列車を…

忠実に、忠実に…私は忠実なままにいる
モントーバンでのある宵の記憶
率直な熱情が私たちの心に宿っていたことを私は覚えているのだ
かれら自身に与えられた熱情は、古いベンチに座った若者のものだった
私はバカンスの夜に出発した
夜明けの小妖精より軽やかに
だけどもいまは…いまは…それについて想うとき
私は…私はいつも…初恋に涙するのだ

忠実に、忠実に…なんのために忠実なままにいるのだろう
すべてが変化するとき、そして後悔することなく過ぎ去ればいい
橋の上に独り立っているとき
あやふやな世界が消えていくのだ
すべてのボートが見えなくなるとき
一抹の望みも持ち去られてしまったのだ
人は一つの陰にすぎないということを思い知るとき
他の影たちに永遠に忠実であり続けるだろう


(訳:ああ)

・カスティエ - カタロニア地方に隣接する都市で、この地の城の解体工事が終了したのが1930年代。この曲はそのことを歌っている。

・カニグー山 - ピレネーの2784m峰

・樽製造所 - トレネの母の実家の家業が「tonnelier=樽製造所」だった。


『詩人の魂』...先人の魂を受け継ぐ価値。

ジャック・ブレル Quand on n'a que l'amour 愛しかないとき

2015年ももう終わりに近づいていますが、1月のシャルリエブド社へのテロそして11月のパリ同時大規模テロ。言うまでもなく、「イスラム国」の残虐な暴力が吹き荒れ、一方でこれまでの戦争で「イスラム国」が生み出した米英仏ら帝国主義の報復と民間人の巻き添えを意に介さない空爆の激化。そして、各国の極右排外主義勢力の伸長。今も地中海に浮かぶ難民たち。

私たちの思い描いた21世紀はこんなはずではなかったのに、まさに19世紀の暴力の時代に逆行している感さえあります。

「異質」の人々を排除して、蔑み、銃を構え暴力で守られる安寧なんて幻想だと誰もが気づいているはずなのに、「未知」を恐れる心が人を頑なにするのでしょうか。

今の世界もまた、人々が移動した果てに存在しているし、移動してきた人々が持ち込んだ言葉・文化・を取り入れ享受し、運ばれた種から糧を得ているということを忘れて生きていくのは、どこか寂しいし、おかしい。

「国」や「権力」や「暴力」などではなく、人を信じて生きていきたい。
閣僚の数を男女同数にした理由を訊かれて「もう2015年なのだから」と答えたカナダの新首相ジャスティン・トルドーさんのように、「もう21世紀なのだから」「もう2016年なのだから」を2016年の合言葉に!

このシャンソンは2015年を象徴する歌の感もありますが、2016年にこそ響き渡るべき歌のような気がします。

1956


 愛しかないとき

私たちが愛しか持たないとき
分かち合うことを試みる
大いなる旅立ちの日に
私たちの大いなる愛を...

私たちが愛しか持たないとき
私の愛は、あなたと私で
歓喜を炸裂させるだろう
何時のときも、あくる日も...

 私たちが愛しか持たないとき
 私たちの約束に生きるだろう
 富のためなどではなく
 常に信じるもののために...

 私たちが愛しか持たないとき
 驚嘆すべきものとしてある
 そして、太陽に覆われるだろう
 町外れにある醜悪が...

 私たちが愛しか持たないとき
 唯一つの理由
 唯一つの歌
 唯一つの救いとして...

私たちが愛しか持たないとき
この朝に着飾るだろう
貧しき人々と追いはぎが、
ベルベットのコートを...

私たちが愛しか持たないとき 
まるで祈りのように捧げる
この世界の苦痛に、
ありがちな吟遊詩人のように

 私たちが愛しか持たないとき 
 それを得るために
 唯一つの闘いとは、
 それを昼夜模索すること

 私たちが愛しか持たないとき
 その方途を探す
 そして、運命の流れを変えるのだ
 すべての岐路において...

 私たちが愛しか持たないとき
 銃に語りかけるだろう
 そして、ある歌が
 鼓手を説得するだろう

故に、何も持たない
愛を強さにしよう
私たちは手にするだろう
友よ、この世界のすべてを..


(訳:ああ)

1972

ジュリアン・ドレ J’aime les filles 女の子たちが好きなのさ

今年4月にFRANCE2で放映された「ジャック・デュトロン生誕72年パーティー」で、デュトロンの"J’aime les filles"を歌ったのは、フランスで「いま最もセクシーな男」と言われているジュリアン・ドレ-Julien Dore さん。

「フランスの新旧イケメンの邂逅」というかんじですが、なんともイイ雰囲気の歌・映像になっています。



 女の子たちが好きなのさ

僕は女の子たちが好きなのさ、マンションにいる彼女が…
僕は女の子たちが好きなのさ、レジナ(注1)にいる彼女が…
僕は女の子たちが好きなのさ、"Elle"(注2)に出ている彼女が…
僕は女の子たちが好きなのさ、雑誌に出ている彼女が…
僕は女の子たちが好きなのさ、ルノーに乗っている彼女が…
僕は女の子たちが好きなのさ、シトロエンに乗っている彼女も…
僕は女の子たちが好きなのさ、溶鉱炉にいる彼女が…
僕は女の子たちが好きなのさ、組み立てラインで働く彼女も…

 もし君が当てはまるなら、僕に電話してくれ
 もし君がそこにいるなら、僕に電話すればいい

僕は女の子たちが好きなのさ、とりとめもなく話す彼女が…
僕は女の子たちが好きなのさ、パパのいる彼女が…
僕は女の子たちが好きなのさ、不思議ちゃんな彼女が…
僕は女の子たちが好きなのさ、パパのいない彼女だって…
僕は女の子たちが好きなのさ、ムジェーヴ(注3)にいる彼女だって…
僕は女の子たちが好きなのさ、サントロペ(注4)にいる彼女だって…
僕は女の子たちが好きなのさ、ストライキ中の彼女だって…
僕は女の子たちが好きなのさ、キャンプに向かう彼女だって…

 もし君が当てはまるなら、僕に電話してくれ
 もし君がそこにいるなら、僕に電話すればいい

僕は女の子たちが好きなのさ、ラ・ロシェル(注5)の彼女が…
僕は女の子たちが好きなのさ、カマレ(注6)にいる彼女も…
僕は女の子たちが好きなのさ、知的な彼女が…
僕は女の子たちが好きなのさ、僕を笑わせる彼女だって…
僕は女の子たちが好きなのさ、フランスの古風な彼女も…
僕は女の子たちが好きなのさ、シネマに出ている彼女が…
僕は女の子たちが好きなのさ、ボランティアをしている彼女が…
僕は女の子たちが好きなのさ、僕を困らせる彼女だって…

 もし君が当てはまるなら、僕に電話してくれ
 もし君がそこにいるなら、僕に電話すればいい


(訳:ああ)

(注1)パリのコンコルド広場とシャンゼリゼ通りがある、オルセー美術館など芸術及び歴史地区の中心にあるホテル。(のことだと思う…)

(注2)ファッション雑誌

(注3)フランスのスキーの観光地

(注4)フランス南部PACA ヴァール県にある保養地

(注5))フランス西部、シャラント=マリティーム県の県庁所在地

(注6)フランス北西部に突き出たブルターニュ半島にあるフィニステール県の海水浴場

1967年11月16日放送 "Palmarès des chansons"

バンジャマン・ビオレ Un ete sur la cote 或る海岸の夏

hqdefault バンジャマン・ビオレ-Benjamin Biolay さんの2001年発表のアルバム"Rose Kennedy"収録の一曲。

最近知った素敵な歌い手さんですが、最近はプロデューサー業のほうが多忙のようです。
大先輩アンリ・サルヴァドールの後年のアルバムもプロデュースして大ヒットさせるというフランス音楽界の手練のようです。



↓3:20から


 或る海岸の夏

午後遅くに涼しくなる
あずま屋の下で
この見たことのない空気
人生とは素敵なものだ
波は巻き立つ
傘には風
私は水に足を漬けながら告白する
人生とは素敵なものだ
彼女とかくあれかし

 ある海岸の夏
 常にどちらかが他方に寄り添っている
 1930年代の雰囲気で...
 ある海岸の夏
 ボートや、ヨットでさえも、
 海よ
 波は倦むことなく寄せるのだ

砂の上の口づけ
言い表しようのない愛
それは朽ち果てやすいもの
彼はすでに決めている
嵐を忘れるために
美しきものをリプレイさせる
そして、たとえそれが残念なものであるとしても、
彼女とかくあれかし
都会とは素敵なものだ

 ある海岸の夏
 常にどちらかが他方に寄り添っている
 1930年代の雰囲気で...
 ある海岸の夏
 ボートや、ヨットでさえも、
 海よ
 波は倦むことなく寄せるのだ


(訳:ああ)

↓アルバムバージョン

ビーア Sous le vent du monde 世界の風の下で

Bia(ビーア)もしくはBia Krieger(ビーア・クリーガー)さんの2000年発表のアルバム"Sources"収録の一曲。

ムスタキと似た匂いを放つ人だなと思っていたのですが、ビーアさんは軍事政権だった当時のブラジルから政治亡命してフランスにたどり着いた両親を持つ「亡命者の子」であることなどを思うと納得できるものもあるか。

この詩を読み、ある人はディアスポラのユダヤ人を思うだろうし、ある人はナクバのパレスチナ人を思うだろうし、「ジプシー」と呼ばれた人々を思う人もいれば、クルドの人々を思う人もいるでしょう。

「世界の風の下で」生きている人々を、私たちはどれだけ知っているだろうか。



 世界の風の下で

私たちは世界の風の下を歩いてきました
私たちの足の出血がわかりますか
私たちは長い峡谷を経て
空の水が作った石のどこかで
私たちは隠された遠くへと落ちていった
まるで流砂のように...
そして、私たちの長老たちに深い皺が刻まれる
寒さが到来するそのときに

私たちは水の囁きを知っていた
大きな太陽のなかで日長は駆け抜ける
群れはおかしな競争に放り込まれた
そして、大きな鳥たちの白い離陸
肌をゆっくり滑る手によって
やがて、肌は覚醒する
それはかつて遠くにあり、そこにあったもの
寒さの前に...

その女性は髪に雪をつけたまま
あるとき、私たちに語った
彼女が夢に見たイメージを
そして、誰が見えない場所で生きていたのかを...
彼女は、まだそれらすべての名前を知っていた
そしてその人は前を歩いていく
私たちを残して去っていく
寒さが到来するそのときに

沈黙の白い山腹に立ち
私たちは長い時間を歩いた
そして、火の魂を吹き込んだ人は
石の間で彼を生き返らせた
私たちは、後ろの歩みに目配せして、
そして、帰るべき先を見据える
私たちの見た光...私たちの見た炎...
私にはそれが希望であったように思えるのです


(訳:ああ)

アンナ・マリー La France ラ・フランス

無題 Le chant des partisans パルチザン詠唱(パルチザンの歌)の作者であるアンナ・マリー-Anna Marlyさんの曲。
おそらく、反ナチレジスタンス運動下か終戦直後に歌われた曲と思われますが、詳細不明。

アンナ・マリーさんは、1917年10月にロシアに生まれましたが、貴族だった父親はボルシェヴィキに殺され、一家でフランスに亡命していたということです。

文字通り「愛国歌」と言うべきジャンルなのでしょうが、マリーさんの歌は自由への熱情に満ちていて胸を打つものがあります。また、読みようによっては「フランスは故国に過ぎず、我々が見ているのは世界である」というレジスタンス戦士たちの当時の想いを歌っているのかもしれません。



 ラ・フランス

誰にも故郷があり、
誰もが故郷の丘を抱いている
街や山
水辺の曲がり角
しかし、それがすべてではない
世界...
誰がこの言葉に酔うことができるだろうか
フランスよ、私の祖国よ
フランスは私の揺りかご

 フランス 白
 頂上の霧、雪崩
 サヴォワ地方から冬はやってくる
 フランス 緑
 あなたの小道の窪みで
 朝露が草を覆っている
 フランス 赤
 燃える太陽
 フランス 華やかな
 プロヴァンスの青

誰にも自分の村があり、
街路や小道を抱いている
とても親愛なる風景が
それぞれの心に眠っている
しかし、それがすべてではない
世界...
誰がこの言葉に酔うことができるだろうか
フランスよ、私の祖国よ
フランスは私の揺りかご

 フランス 茶色
 春は去りゆく
 波打つ砂丘
 風の愛撫の下で...
 フランス 紫
 それは美しい夜の帳(とばり)
 誰が逃げ去っていく
 故郷の地平線を...
 フランス 薔薇色
 城は静まった
 薄く瞼を閉じれば
 忘却の彼方に...


(訳:ああ)

アール・グラント At the End of the Rainbow 虹の終着にて

1958年発表のアール・グラント-Earl Grantさんという人が歌った曲。決して、ナット・キング・コールと言ってはいけませんw

You-Tubeでもこの曲をナット・キング・コールのものと表記している動画がいくつもアップされ(中にはご丁寧にナット・キング・コールが歌っている映像をかぶせていたり)、海外の歌詞サイトもナットの曲として紹介している所がいくつもあったり。そもそもナット・キング・コールはこの曲を歌ったことはないと思われます。

まあ、、、あまりに似せすぎでしょう、アールさん。



 虹の終着にて

虹の終着にて、
あなたはたくさんの黄金を見つけるでしょう
ある物語の終着で、
あなたは、すべてが語られたことを知るでしょう

たけども、私たちの愛には宝がある
私たちの心は必ずしも費やすことができない
そして、そこには終着のない物語がある

河の終着にて、
水はそこで止まる
ハイウェイの終着で
もはや進むべき場所もなく...

だけども、あなたが私に愛を囁けば、
あなたは私だけのものであり、
私たちの愛はまた歩んでいくでしょう...時間の終着まで...

...時間の終着まで...


(訳:ああ)

ジュリエット・グレコ Accordeon アコーディオン

1962年にセルジュ・ゲンズブールが作った曲。



 アコーディオン

神よ、人生とは残酷なものだ
とりわけ、裏町の音楽屋にとっては...
彼の友、彼の相棒、
それはアコーディオンだ
誰に彼の命を助けられるだろう
彼が酔っ払って座っている時に
君か、私か、いいや違う
それはアコーディオンだけなのだ

 お恵みを、施しを、お情けを、それから
 あの曲たちに投げ銭を
 アコーディオンの奏でるあの曲に

彼らは一つの莢の二粒のえんどう豆
また、私たちがそれらを言葉で表す場合
そこにバイオリンも伴う
彼のアコーディオンによって
彼は平穏な夜を過ごす
それから朝には習慣として
アコーディオンに空気を充填する

 お恵みを、施しを、お情けを、それから
 あの曲たちに投げ銭を
 アコーディオンの奏でるあの曲に

彼は時々お釈迦にしてしまう
相棒のパールボタンを...
その時彼はジャケットを下に敷く
アコーディオンのために...
または彼はズボンがずり落ちそうになれば
アコーディオンから締金を借りて固定する

 お恵みを、施しを、お情けを、それから
 あの曲たちに投げ銭を
 アコーディオンの奏でるあの曲に

しかし、彼は疲れきってしまい、
彼は本当の孤独に身を落とす
地平線にある彼の姿と
側らにあるアコーディオン
彼は蚤の市で50ペニーでアコーディオンを売り払う
そして、私たちはさらなる憐れみをアコーディオンに...

 お恵みを、施しを、お情けを、それから
 あの曲たちに投げ銭を
 アコーディオンの奏でるあの曲に


(訳:ああ)

ゲンズブールとフィリップ・クレイ

Serge Gainsbourg et Philippe Clay "L'accordéon... 投稿者 ina

マヒル・ザイン: Palestine Will Be Free

2009年、同年に一時停止したイスラエルによるガザ攻撃の直後に、レバノンの歌手:マヒル・ザイン- Maher Zainさんによって発表された曲。

歌もPVのアニメーションも胸を打つ作品。



 パレスチナは自由を得るだろう

あくる日も私たちは互いに囁き合う
それは今日で終わるだろう、と
そして明日、私たちが皆故郷に帰り自由を得るだろう
そして、終わりを迎えるだろう、と
パレスチナは明日、自由を得るだろう

私の涙を拭うお母さんもお父さんもいない
だから私は泣かない
私は恐怖を感じても、だけど恐れたりはしない
私は私の頭を高く保つ
私の心の奥深くで、私は何の疑いも持っていない
パレスチナは明日、自由を得るだろう

私にはそれらのロケットや爆弾が空に輝いて見えた
太陽の光の中での雨の滴のように
私の心の親愛なる人々皆を連れ去り、
瞬く間に私の夢を破壊していく
私たちの人権はどうなったの?
命の尊厳に何が起こったの??
そして、それがすべて嘘だとでも???
私は知っている 私はただの子どもだということを
だけども、あなたの良心はまだ生きているということも...

私は素手で撫でるでしょう
砂のすべての貴重な種を
すべての石とすべての木を
なぜなら、彼らが何をするかに関係なく
彼らはあなたを傷つけることはないでしょう
あなたの魂は常に自由になるのだから...

パレスチナは明日、自由を得るだろう



(訳:ああ)
カテゴリ別アーカイブ
記事検索
Recent Comments
  • ライブドアブログ
債務整理タイ・バンコク情報