ああChanson Cri

自分が観たいものをすぐ出すためのアーカイヴw                                                                       @COPYLEFT

バンジャマン・ビオレ Fidele 忠実に…

昨年2015年に、しばらくプロデューサー業に徹していたバンジャマン・ビオレさんが5年ぶりに出したアルバムは、シャルル・トレネのカバーアルバム。

You-Tubeでほとんどの曲が聴けますが、これがどれもなんとも言えずイイ!
「シャンソン=フランス歌謡の歴史と未来を背負ってやる」という静かな決意が伝わる名演揃いです。



 忠実に…

忠実に、忠実に…私は忠実なままにいる
あなたにとっては重要でもなんでもないものに…
ある夏の宵の一羽のツバメが飛ぶ姿
連れ添っていた子どもの微笑を
忠実に、忠実に…私は忠実なままにいる
私を形作った些細な事柄たちに…
老いた犬…水彩画の箱…
八月のラ・ヌーヴェル港を…

忠実に、忠実に…私は忠実なままにいる
あの場所ととてもやさしい友達に
おどけたアルベールとレースで着飾った彼の妹…
リニューアルされたカスティエの城址…カニグー山…
ベジエ通り…エミリーおばさん…
ママはブダペストへ発ってしまった
樽製造所のある私の古い家…
憲兵隊本部付近を通る急行列車を…

忠実に、忠実に…私は忠実なままにいる
モントーバンでのある宵の記憶
率直な熱情が私たちの心に宿っていたことを私は覚えているのだ
かれら自身に与えられた熱情は、古いベンチに座った若者のものだった
私はバカンスの夜に出発した
夜明けの小妖精より軽やかに
だけどもいまは…いまは…それについて想うとき
私は…私はいつも…初恋に涙するのだ

忠実に、忠実に…なんのために忠実なままにいるのだろう
すべてが変化するとき、そして後悔することなく過ぎ去ればいい
橋の上に独り立っているとき
あやふやな世界が消えていくのだ
すべてのボートが見えなくなるとき
一抹の望みも持ち去られてしまったのだ
人は一つの陰にすぎないということを思い知るとき
他の影たちに永遠に忠実であり続けるだろう


(訳:ああ)

・カスティエ - カタロニア地方に隣接する都市で、この地の城の解体工事が終了したのが1930年代。この曲はそのことを歌っている。

・カニグー山 - ピレネーの2784m峰

・樽製造所 - トレネの母の実家の家業が「tonnelier=樽製造所」だった。


『詩人の魂』...先人の魂を受け継ぐ価値。

ジュリアン・ドレ J’aime les filles 女の子が好きなのさ

今年4月にFRANCE2で放映された「ジャック・デュトロン生誕72年パーティー」で、デュトロンの"J’aime les filles"を歌ったのは、フランスで「いま最もセクシーな男」と言われているジュリアン・ドレ-Julien Dore さん。

「フランスの新旧イケメンの邂逅」というかんじですが、なんともイイ雰囲気の歌・映像になっています。



 女の子が好きなのさ

僕は女の子が好きなのさ、マンションにいる彼女が…
僕は女の子が好きなのさ、レジナ(注1)にいる彼女が…
僕は女の子が好きなのさ、"Elle"(注2)に出ている彼女が…
僕は女の子が好きなのさ、雑誌に出ている彼女が…
僕は女の子が好きなのさ、ルノーに乗っている彼女が…
僕は女の子が好きなのさ、シトロエンに乗っている彼女も…
僕は女の子が好きなのさ、溶鉱炉にいる彼女が…
僕は女の子たmが好きなのさ、組み立てラインで働く彼女も…

 もし君が当てはまるなら、僕に電話してくれ
 もし君がそこにいるなら、僕に電話すればいい

僕は女の子が好きなのさ、とりとめもなく話す彼女が…
僕は女の子が好きなのさ、パパのいる彼女が…
僕は女の子が好きなのさ、不思議ちゃんな彼女が…
僕は女の子が好きなのさ、パパのいない彼女だって…
僕は女の子が好きなのさ、ムジェーヴ(注3)にいる彼女だって…
僕は女の子が好きなのさ、サントロペ(注4)にいる彼女だって…
僕は女の子が好きなのさ、ストライキ中の彼女だって…
僕は女の子が好きなのさ、キャンプに向かう彼女だって…

 もし君が当てはまるなら、僕に電話してくれ
 もし君がそこにいるなら、僕に電話すればいい

僕は女の子が好きなのさ、ラ・ロシェル(注5)の彼女が…
僕は女の子が好きなのさ、カマレ(注6)にいる彼女も…
僕は女の子が好きなのさ、知的な彼女が…
僕は女の子が好きなのさ、僕を笑わせる彼女だって…
僕は女の子が好きなのさ、フランスの古風な彼女も…
僕は女の子が好きなのさ、シネマに出ている彼女が…
僕は女の子が好きなのさ、ボランティアをしている彼女が…
僕は女の子が好きなのさ、僕を困らせる彼女だって…

 もし君が当てはまるなら、僕に電話してくれ
 もし君がそこにいるなら、僕に電話すればいい


(訳:ああ)

(注1)パリのコンコルド広場とシャンゼリゼ通りがある、オルセー美術館など芸術及び歴史地区の中心にあるホテル。(のことだと思う…)

(注2)ファッション雑誌

(注3)フランスのスキーの観光地

(注4)フランス南部PACA ヴァール県にある保養地

(注5))フランス西部、シャラント=マリティーム県の県庁所在地

(注6)フランス北西部に突き出たブルターニュ半島にあるフィニステール県の海水浴場

1967年11月16日放送 "Palmarès des chansons"

バンジャマン・ビオレ Un ete sur la cote 或る海岸の夏

hqdefault バンジャマン・ビオレ-Benjamin Biolay さんの2001年発表のアルバム"Rose Kennedy"収録の一曲。

最近知った素敵な歌い手さんですが、最近はプロデューサー業のほうが多忙のようです。
大先輩アンリ・サルヴァドールの後年のアルバムもプロデュースして大ヒットさせるというフランス音楽界の手練のようです。



↓3:20から


 或る海岸の夏

午後遅くに涼しくなる
あずま屋の下で
この見たことのない空気
人生とは素敵なものだ
波は巻き立つ
傘には風
私は水に足を漬けながら告白する
人生とは素敵なものだ
彼女とかくあれかし

 ある海岸の夏
 常にどちらかが他方に寄り添っている
 1930年代の雰囲気で...
 ある海岸の夏
 ボートや、ヨットでさえも、
 海よ
 波は倦むことなく寄せるのだ

砂の上の口づけ
言い表しようのない愛
それは朽ち果てやすいもの
彼はすでに決めている
嵐を忘れるために
美しきものをリプレイさせる
そして、たとえそれが残念なものであるとしても、
彼女とかくあれかし
都会とは素敵なものだ

 ある海岸の夏
 常にどちらかが他方に寄り添っている
 1930年代の雰囲気で...
 ある海岸の夏
 ボートや、ヨットでさえも、
 海よ
 波は倦むことなく寄せるのだ


(訳:ああ)

↓アルバムバージョン

ビーア Sous le vent du monde 世界の風の下で

Bia(ビーア)もしくはBia Krieger(ビーア・クリーガー)さんの2000年発表のアルバム"Sources"収録の一曲。

ムスタキと似た匂いを放つ人だなと思っていたのですが、ビーアさんは軍事政権だった当時のブラジルから政治亡命してフランスにたどり着いた両親を持つ「亡命者の子」であることなどを思うと納得できるものもあるか。

この詩を読み、ある人はディアスポラのユダヤ人を思うだろうし、ある人はナクバのパレスチナ人を思うだろうし、「ジプシー」と呼ばれた人々を思う人もいれば、クルドの人々を思う人もいるでしょう。

「世界の風の下で」生きている人々を、私たちはどれだけ知っているだろうか。



 世界の風の下で

私たちは世界の風の下を歩いてきました
私たちの足の出血がわかりますか
私たちは長い峡谷を経て
空の水が作った石のどこかで
私たちは隠された遠くへと落ちていった
まるで流砂のように...
そして、私たちの長老たちに深い皺が刻まれる
寒さが到来するそのときに

私たちは水の囁きを知っていた
大きな太陽のなかで日長は駆け抜ける
群れはおかしな競争に放り込まれた
そして、大きな鳥たちの白い離陸
肌をゆっくり滑る手によって
やがて、肌は覚醒する
それはかつて遠くにあり、そこにあったもの
寒さの前に...

その女性は髪に雪をつけたまま
あるとき、私たちに語った
彼女が夢に見たイメージを
そして、誰が見えない場所で生きていたのかを...
彼女は、まだそれらすべての名前を知っていた
そしてその人は前を歩いていく
私たちを残して去っていく
寒さが到来するそのときに

沈黙の白い山腹に立ち
私たちは長い時間を歩いた
そして、火の魂を吹き込んだ人は
石の間で彼を生き返らせた
私たちは、後ろの歩みに目配せして、
そして、帰るべき先を見据える
私たちの見た光...私たちの見た炎...
私にはそれが希望であったように思えるのです


(訳:ああ)

アール・グラント At the End of the Rainbow 虹の終着にて

1958年発表のアール・グラント-Earl Grantさんという人が歌った曲。決して、ナット・キング・コールと言ってはいけませんw

You-Tubeでもこの曲をナット・キング・コールのものと表記している動画がいくつもアップされ(中にはご丁寧にナット・キング・コールが歌っている映像をかぶせていたり)、海外の歌詞サイトもナットの曲として紹介している所がいくつもあったり。そもそもナット・キング・コールはこの曲を歌ったことはないと思われます。

まあ、、、あまりに似せすぎでしょう、アールさん。



 虹の終着にて

虹の終着にて、
あなたはたくさんの黄金を見つけるでしょう
ある物語の終着で、
あなたは、すべてが語られたことを知るでしょう

たけども、私たちの愛には宝がある
私たちの心は必ずしも費やすことができない
そして、そこには終着のない物語がある

河の終着にて、
水はそこで止まる
ハイウェイの終着で
もはや進むべき場所もなく...

だけども、あなたが私に愛を囁けば、
あなたは私だけのものであり、
私たちの愛はまた歩んでいくでしょう...時間の終着まで...

...時間の終着まで...


(訳:ああ)

ジュリエット・グレコ Accordeon アコーディオン

1962年にセルジュ・ゲンズブールが作った曲。



 アコーディオン

神よ、人生とは残酷なものだ
とりわけ、裏町の音楽屋にとっては...
彼の友、彼の相棒、
それはアコーディオンだ
誰に彼の命を助けられるだろう
彼が酔っ払って座っている時に
君か、私か、いいや違う
それはアコーディオンだけなのだ

 お恵みを、施しを、お情けを、それから
 あの曲たちに投げ銭を
 アコーディオンの奏でるあの曲に

彼らは一つの莢の二粒のえんどう豆
また、私たちがそれらを言葉で表す場合
そこにバイオリンも伴う
彼のアコーディオンによって
彼は平穏な夜を過ごす
それから朝には習慣として
アコーディオンに空気を充填する

 お恵みを、施しを、お情けを、それから
 あの曲たちに投げ銭を
 アコーディオンの奏でるあの曲に

彼は時々お釈迦にしてしまう
相棒のパールボタンを...
その時彼はジャケットを下に敷く
アコーディオンのために...
または彼はズボンがずり落ちそうになれば
アコーディオンから締金を借りて固定する

 お恵みを、施しを、お情けを、それから
 あの曲たちに投げ銭を
 アコーディオンの奏でるあの曲に

しかし、彼は疲れきってしまい、
彼は本当の孤独に身を落とす
地平線にある彼の姿と
側らにあるアコーディオン
彼は蚤の市で50ペニーでアコーディオンを売り払う
そして、私たちはさらなる憐れみをアコーディオンに...

 お恵みを、施しを、お情けを、それから
 あの曲たちに投げ銭を
 アコーディオンの奏でるあの曲に


(訳:ああ)

ゲンズブールとフィリップ・クレイ

Serge Gainsbourg et Philippe Clay "L'accordéon... 投稿者 ina

ジョルジュ・ムスタキ L'homme au cœur blesse 傷心の男

無題 ムスタキとミキス・テオドラキスの共作。言わば、亡命者の子(ムスタキ)と亡命者(テオドラキス)の共作。

加藤登紀子によると、ムスタキの初来日時(1973年)にムスタキにあった際に、ムスタキに「私の夫は政治犯として囚われている」と言うと、ひどく同情してくれたという。

そして、「わたしはあなたの"L'homme au cœur blesse"を日本語の詩をつけて歌っている」と伝えると、ムスタキは「もし、あなたがギリシャに行くことがあるならば、この曲は歌わないほうがいい。この曲は、人々の軍事独裁の悲しみと深く結びついている。この曲は歌わないほうが無難だ」と言った、とラジオ番組で回想していました。

80年代の終わりごろに加藤がムスタキと再会した際、「旦那さんはまだ獄中に?」と聞かれ、とっくに出ていたのに少し可笑しかったとも。「ムスタキさんは、素晴らしい人格の人でした」と。



 傷心の男

日に日を接いで、その日々には
見棄てられた人生が残されるのみ

傷ついた男が庭に佇む
草は焼かれ、花もない
木は死に、もはや伸びることもなく
彼の苦痛の果実があるのみ

 彼の家の四つの壁さえ
 唯一の避難所ではない
 仲間たちはどこへ消えたのか
 かれらの笑いと歌とともに...?
 仲間たちはどこへ消えたのか
 かれらの笑いと歌とともに...?

時に涙が流れる
草は思い出に燃えてしまった
だけど、彼を暖めることができるのはどんな太陽だろうか
はたして、そんな日々は来るのか...?

 彼の家の四つの壁さえ
 唯一の避難所ではない
 仲間たちはどこへ消えたのか
 かれらの笑いと歌とともに...?
 仲間たちはどこへ消えたのか
 かれらの笑いと歌とともに...?


(訳:ああ)



ムスタキとテオドラキスの"L'homme au cœur blesse"制作風景

アンリ・サルバドール Juanita Banana ファニータ・バナナ

映像はともに1964年。



 ファニータ・バナナ

あるハバナの村に
可愛いファニータは住んでいた
彼女の父親はバナナを栽培していたから
彼らは彼女を"ファニータ・バナナ"と呼んでいた
彼女は美しい声を持っていた
そして、オペラを歌うことを夢見ていた
だけど彼女の父親は音楽を理解していなかった
「ワシの娘は変な声だな」と言った

Ahhhh ah ah ah ah ...
ファニータ・バナナ...
Ahhhh ah ah ah ah ...

ある日彼女は逃げ去った
キューバ行の汽車に乗って
二ヵ月後、彼女は紹介された
偉大なオペラの歌姫だと
誰かが素っ頓狂な声で父親に伝えた時、
彼女は何百万人を魅了していた
父親は村へと走って
自分用の中古ギターを買った
歌い叫ぶ"悪魔のバナナよ...
私もまた歌に身をささげる"と
そして...

Laaaa... la la la la...
Ahhhh ah ah ah ah...


(訳:ああ)

ドン・マクリーン Vincent (Starry, Starry Night) フィンセント(星降る、星明かりの夜)

201101231933537dd 久々に感銘を受けた曲と出会ったので、久々の更新。

ドン・マクリーンがフィンセント・ファン・ゴッホ - Vincent van Gogh の伝記に感銘を受けて作ったという1972年発表の曲。

歌い出しの"Starry, Starry Night..."とは、ゴッホが1889年、フランスサン=レミ=ド=プロヴァンスのサン=ポール・ド・モゾル修道院の精神病院で療養中に描かれた『星月夜』(ほしづきよ、フランス語: La nuit etoilee、オランダ語: De sterrennacht、英語: The starry night)からインスピレーションを受けたとのこと。




 フィンセント(星降る、星明かりの夜)

星降る、星明かりの夜
あなたはパレットに青とグレーをのせる
夏の日に外を見る
私の魂の闇を知っている目で

丘の上の影
森や水仙をスケッチして
風と冬の寒気を掴まえる
雪の亜麻糸の大地の色のなかで

今、私は理解する
あなたは私に何を言おうしたのかを
そして、あなたはあなたの正気のためにどのように苦しんで
そして、あなたはかれらをどのように自由にしようとしたのかを

かれらは聞いていないでしょう、かれらは方法を知りませんでした
おそらく、かれらは聞くでしょう、いま・・・

星降る、星明かりの夜
燃えるような花、その明るい炎
紫霞で渦巻く雲を
チャイナブルーのフィンセントの目に反映させる

色は、色彩を変える
琥珀粒の朝の野原
痛みに彫られた風化した顔を
芸術家の愛情の込もった手によって和らげる

今、私は理解する
あなたは私に何を言おうしたのかを
そして、あなたはあなたの正気のためにどのように苦しんで
そして、あなたはかれらをどのように自由にしようとしたのかを

かれらは聞いていないでしょう、かれらは方法を知りませんでした
おそらく、彼らは聞くでしょう、いまこの時に・・・

彼らはあなたを愛することができなかったために、
しかし、まだあなたの愛は真実であり続けた
そして、希望が失われ風景を去っていったときに
その星降る、星明かりの夜に・・・

あなたはあなたの生を絶った...愛する人々がしばしそうするように
だけど、私は、フィンセントよ、あなたに言っていたかもしれない
この世界は決してそうではなかったんだ、と・・・
それは、あなたのように美しいものではなかったんだ、と・・・

星降る、星明かりの夜
肖像画は空の講堂に掛けられる
名もなきの壁の額のない頭部(こうべ)が
世界を眺める、忘れることができないその目で

あなたが出会った見知らぬ人のように
ぼろぼろの服を着たみすぼらしいの男が
血まみれのバラの銀の棘が
新雪の上で虚偽を打ち砕く

今、私は知るのだと思う
あなたは私に何を言おうしたのかを
そして、あなたはあなたの正気のためにどのように苦しんで
そして、あなたはかれらをどのように自由にしようとしたのかを

かれらは聞こうとしない、未だ聞いていないだろう
おそらく、かれらは決して聞くことはない...


(訳:ああ)

La mort de Georges Moustaki ムスタキの死



君の歩みが君をさらうとき、
私たちは皆、君の喪失を惜しむだろう


〜Sanfoneiro サンフォネイロ(アコーディオン弾き)〜

ジョルジュ・ムスタキ、彼の愛した5月の日に南仏ニースで去る。
数年前に大病で死にぱぐってから、海辺で余生を過ごしていたムスタキ。充分に人生を振り返っての死は幸福なものだっただろう。

人生は愛すること、愛することは欲望に忠実であること、そして自由のために闘うこと、と労働者階級の傍らで歌い続けたジョルジュ・ムスタキ。その彼はとうとう「孤独」という名の伴侶に永遠に連れ去られてしまった。自ら歌にしたように。。。

魅せてくれ、君がどのように紡ぐのか
私は自分自身をそのように愛したいのだ

〜Sanfoneiro サンフォネイロ(アコーディオン弾き)〜


二十歳過ぎにジャケ買いして以来、自分の精神世界はムスタキに支配されっぱなしだった。自分にとって「シャンソン」とはムスタキのルーツを辿り、ムスタキの影を探す旅だったのだと、その死に気づかされる。ほんとうに、ほんとうに幸福な出会いだった。

 その苦痛が彼女をストライキへと蜂起させる
 たとえ刑務所に閉じ込めてその生き様を抑圧しても
 さらに「生きる」という欲求を与えるだけだろう

〜Sans la nommer 名も付けられず〜




68年5月の日々にピケを張る労働者たちの前で歌って以来、21世紀に入っても同様にストライキのピケで歌い続けたムスタキ。
http://www.ina.fr/video/CAB91056799/renault-cleon-video.html
↑は91年。ルノー労働者のストライキの現場にて。

社会的な歌を唄い、自らを「アナーキスト」と称したムスタキは、生粋のフランス人ではないからかリアル・ポリティークから距離を置き続けた。しかし07年の大統領選決選投票ではサルコジ阻止を訴えてロワイヤルへの投票を呼びかけ、昨年の大統領選では反資本主義新党(NPA)のフィリップ・プトゥ支持を表明。

「私はフィリップ・プトゥの急進的な主張にこそ公正を見る」(ムスタキ)
彼の人生の最後の最後で、政治的な同志になったような気がする。これは死者の簒奪ではない。だって、オレをオルグしたのがムスタキなのだから。

反資本主義新党(NPA)のムスタキ追悼記事:
Le meteque nous a quitte

http://www.npa2009.org/node/37296

ほら、五月の壁で躍動する言葉たちが
いつか必ずすべてが変革されるのだと
僕たちに囁いているだろう

〜Le temps de vivre 生きる時代〜




...ムスタキは永遠に去っても、今も五月の壁の前で待っている。



 そこに残っている美しい夏は
 秋の訪れを怖れはしないのだ
 地中海では…

〜En mediterranee 地中海にて〜




この独裁批判の歌をまだフランコ時代の71年にバルセロナ公演で歌った反逆者ムスタキ。続きを読む
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