シアメリカで「強盗殺人」の罪を着せられ、1921年に処刑されたイタリア移民でアナキストのニコラ・サッコと魚行商人バルトロメオ・バンゼッティをムスタキが歌った"Marche de Sacco et Vanzetti サッコとヴァンゼッティの行進曲"。

エンニオ・モリコーネのメロディに英詩をジョーン・バエズ、仏詩をムスタキがつけています。

少し検索したところ、このサッコさんとヴァンゼッティさんの最後のメッセージに言いようもない衝撃もしくは感動…を受けた次第。

http://www.hm.h555.net/~hajinoue/jinbutu/sakkovanzetti.htm のサイトから

「もし、こういう事態でなかったら、私は町の片隅で人間を軽蔑するような言動をしながら、天寿を完うしたかも知れません」(ハワード・ファスト著『ぼくらは無罪だ!サッコとヴァンゼッティの受難』、松本正雄・藤川健夫訳、新評論社)
 もし迫害されなかったら、一生、街角に立って、通行人をうらやみ、世間を恨み、人の悪口ばかり言って、人生を終わったかもしれない、と。「寛容、正義、人間の理解などに対する仕事をすることを望むことは決してできなかったでしょう」(同)しかし、迫害のおかげで、そういう立派な仕事ができた、と。
 
 彼らこそ勝利者
 迫害されなければ「わたしは、だれにも認められず、人生の敗残者として、死んでいったことだろう。ところが、おれたちは今では敗残者ではない。おれたちには、素晴らしい生涯が与えられ、おれたちは、勝利をおさめた。こんな大事業は一生かかったつで、できやしない」(フィル・ストング著「サッコ=ヴァンゼッティの最後」

 俺たちは、失敗者ではない。俺たちは「大勝利者」なんだ。人類に権力の悪辣さを教え、人類の相互理解に役立って死んでいける。何という幸せ者だろう─と。
 
 冤罪の死刑囚「信念を貫けて幸福だ」「もう一度生きても同じ人生を!」
 そして、ヴァンゼッティは、こう言い切る。「私は自分が正しいということを十分確信していますから、あなたがもう一度私を死刑にすることができるとして、私はもう一度生まれることができるとしたら、今までやってきた事をもう一度やるでしょう」(ファスト著、前掲書)自分は正しい。何も罪を犯していない。だから、再び処刑されるとしても、この次の人生も同じように生きるつもりだというのである。何と堂々たる"勝利者"の叫びであろうか。


ロシアから波及してくる革命に、世界中の権力者が戦々恐々としていた時代に生け贄とされた二人。世界的な救援運動も空しく処刑台の露と消えたが、このような作り出された「犠牲」の教訓から死刑制度は歴史のなかで過去の遺物として葬り去られていく。

日本政府は、異様なまでに死刑制度の存置に固執し、死刑執行を乱発する昨今、「被害者感情」に依拠するムードによる「死刑制度支持世論」に与する人々は、「まさか冤罪で死刑なんて…」などと思っていることでしょう。

しかし、現存の死刑制度に加えて、新たに捜査機関側の恣意的な解釈で「罪」を拡大することが可能な共謀罪が成立したら…? 21世紀の"サッコとヴァンゼッティ"がこの日本で生み出されないという保障など、どこにもないのだ。

そういうこと以前に、誰をも幸福にすることのない死刑制度なんていらない!



 サッコとヴァンゼッティの行進曲

いまも、ニコラスとバルトロメオよ
あなたたちは私たちの心の奥底で眠っているのだ
あなたたちは独りで死んでいった
けれど、あなたたちは孤立を乗り越えていくだろう!

いまも、ニコラスとバルトロメオよ
あなたたちは私たちの心の奥底で眠っているのだ
あなたたちは独りで死んでいった
けれど、あなたたちは孤立を乗り越えていくだろう!

いまも、ニコラスとバルトロメオよ
あなたたちは私たちの心の奥底で眠っているのだ
あなたたちは独りで死んでいった
けれど、あなたたちは孤立を乗り越えていくだろう!

いまも、ニコラスとバルトロメオよ
あなたたちは私たちの心の奥底で眠っているのだ
あなたたちは独りで死んでいった
けれど、あなたたちは孤立を乗り越えていくだろう!


(訳:ああ)
映画『死刑台のメロディ』サントラ-ジョーン・バエズ


サッコとヴァンゼッティを救おうという運動は、世界で大きく燃え上がったが、日本でもアナーキストを中心にそれなりの運動となっていたようです。そう言えば、同時期には日本でも大杉栄が虐殺されていますね。

http://members2.jcom.home.ne.jp/anarchism/sacco-vanzetti.html のサイトから

…「サツコとヴアンセツチを救へ」の世界的モツトーの下に、九州、関西、中部、東海、関東、北海道等全国に黒旗を掲ぐる我が黒色青年連盟は、凡ゆる機会凡ゆる場所に火の如き運動を続けて来た。

 本年二月、始めて米国の同志より飛報に接し事件の真相を知り、同月十三日抗議文を携へた連盟員十数名は折柄の風雪を衝いて米国大使館に至り、大使に面会を要求したが不在の為要領を得ず引返した、日を置いて三月十六日、前回にあきたらざりし同志十数名は再挙同大使館に殺到し、急報に依り駆けつけた日比谷署員の為、遂に検束騒ぎ迄も惹起するに至った。

国際的抗議運動の行われた七月三十一日には東京市外碑文谷に於いて、又、八月十一日夜は神田基督教会館に於いて両君の釈放要求演説会を開催し、その間、ビラに、ポスターに、又凡ゆる会合に全国各地に散在する我等黒色青年の抗争は、死刑の日の近づくに従ひ、犬供の圧迫が峻厳になればなる程益々猛烈に続けられて来た。

而して世界的に高まり来つた死刑反対の声にヘキエキした米国特権者共が延期に延期を重ねた最後の日、八月二十一日夜我が黒色青年聯盟他十余団体主催、国際弾圧防衛委員会の名の下に、築地小劇場に於て最後の大演説会が開かれた。

 開会前より殺到した聴衆は正七時司会者が開会の辞を述ぶる頃には既に、場の内外に溢れ、此の勢ひに狼狽した官憲共は、後から後から押し寄せる群衆を追ひ返すに汗だくとなり附近住民の哄笑と反感を買つてゐた。殺気は会堂に満ち、弁士の熱弁と聴衆の意気は火の如く燃え、中止に次ぐ中止、その度毎に演壇横の大道具部屋に犬共の上づつたざわめき。鉄拳は唸り、箱は飛び、黒色の渦は巻く。遂には聴衆席よりも数名の検束者を出すに至つた。

 六十名の予定弁士の中未だ二十名も余してゐたが、弥が上にも高まり行く場内の気勢に逆上した臨官が解散を命ずるらしく見へた刹那、早くも司会者は壇上に飛びあがり「俺達の運動は此の小さい場内のみに終るべきでない、街頭へ…」と叫びながら群がる警官隊に取囲まれるや、熱狂した七百の聴衆は総立ちとなり内外より起る万歳の声と共に「大使館へ、アメリカ大使館へ」と連呼しつつ怒涛の如く溢れ出づるに、血迷つた犬共は逆上自失の末、会場出口に於いて抜剣してマゴマゴする様な醜態をさへも演ずるに至つた。此の夜、昨春の銀座事件にコリゴリした官憲は物々しくも武装せる犬共をもつて銀座街頭を固め、為に一流のカフー商店等は驚愕の余り、未だ宵の九時過ぎなのに大戸を下してさへしたといふ。尚、大使館に押し寄せた一群中からは日比谷書に十数名会場及び場外よりは築地署に二十五名の検束者を出した。……