ああChanson Cri

自分が観たいものをすぐ出すためのアーカイヴw                                                                       @COPYLEFT

ひとりごと

La mort de Georges Moustaki ムスタキの死



君の歩みが君をさらうとき、
私たちは皆、君の喪失を惜しむだろう


〜Sanfoneiro サンフォネイロ(アコーディオン弾き)〜

ジョルジュ・ムスタキ、彼の愛した5月の日に南仏ニースで去る。
数年前に大病で死にぱぐってから、海辺で余生を過ごしていたムスタキ。充分に人生を振り返っての死は幸福なものだっただろう。

人生は愛すること、愛することは欲望に忠実であること、そして自由のために闘うこと、と労働者階級の傍らで歌い続けたジョルジュ・ムスタキ。その彼はとうとう「孤独」という名の伴侶に永遠に連れ去られてしまった。自ら歌にしたように。。。

魅せてくれ、君がどのように紡ぐのか
私は自分自身をそのように愛したいのだ

〜Sanfoneiro サンフォネイロ(アコーディオン弾き)〜


二十歳過ぎにジャケ買いして以来、自分の精神世界はムスタキに支配されっぱなしだった。自分にとって「シャンソン」とはムスタキのルーツを辿り、ムスタキの影を探す旅だったのだと、その死に気づかされる。ほんとうに、ほんとうに幸福な出会いだった。

 その苦痛が彼女をストライキへと蜂起させる
 たとえ刑務所に閉じ込めてその生き様を抑圧しても
 さらに「生きる」という欲求を与えるだけだろう

〜Sans la nommer 名も付けられず〜




68年5月の日々にピケを張る労働者たちの前で歌って以来、21世紀に入っても同様にストライキのピケで歌い続けたムスタキ。
http://www.ina.fr/video/CAB91056799/renault-cleon-video.html
↑は91年。ルノー労働者のストライキの現場にて。

社会的な歌を唄い、自らを「アナーキスト」と称したムスタキは、生粋のフランス人ではないからかリアル・ポリティークから距離を置き続けた。しかし07年の大統領選決選投票ではサルコジ阻止を訴えてロワイヤルへの投票を呼びかけ、昨年の大統領選では反資本主義新党(NPA)のフィリップ・プトゥ支持を表明。

「私はフィリップ・プトゥの急進的な主張にこそ公正を見る」(ムスタキ)
彼の人生の最後の最後で、政治的な同志になったような気がする。これは死者の簒奪ではない。だって、オレをオルグしたのがムスタキなのだから。

反資本主義新党(NPA)のムスタキ追悼記事:
Le meteque nous a quitte

http://www.npa2009.org/node/37296

ほら、五月の壁で躍動する言葉たちが
いつか必ずすべてが変革されるのだと
僕たちに囁いているだろう

〜Le temps de vivre 生きる時代〜




...ムスタキは永遠に去っても、今も五月の壁の前で待っている。



 そこに残っている美しい夏は
 秋の訪れを怖れはしないのだ
 地中海では…

〜En mediterranee 地中海にて〜




この独裁批判の歌をまだフランコ時代の71年にバルセロナ公演で歌った反逆者ムスタキ。続きを読む

シャデラックス : 希望


希望・・ザ・シャデラックス 投稿者 prdlpp

あー今年ももう終わりですねー。
いろいろ忙しくでロクに更新もできませんでしたが、今年の最後に紹介するのはこの曲のこのバージョン。

年の瀬に来て安倍政権が復活するというサイアクの状況で新年を迎えるわけですが、「希望」とはどこにあるのか、どのように作るのか、この正月にもう一度よく考えたいものです。

「絶望は虚妄だ、希望がそうであるように」と語った魯迅は「希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」とも。

それはそうと、この『希望』を岸洋子でなくシャデラックスのバージョンにしたのは、三番の歌詞が微妙に違うから。

なぜか、岸のバージョンより「希望」を感じます。

それではみなさん、良いお年を。

映画"Hollywood Canteen" Sweet Dreams, Sweetheart

1944年の米軍の戦地慰問用に作られた映画"HOLLYWOOD CANTEEN"(邦題『ハリウッド玉手箱』)の挿入曲。中学生の頃ラジオで偶然エアチェックして好きだった曲だけど、YOU-TUBEで久々再発見!

Lyricsはネットでも出てこないけど、まあ大したことは歌ってないでしょうw

映画も、慰問団の女性シンガーたちと将校の恋というところのようです。戦地の兵士たちに束の間の夢を、、、というところなのでしょうが、まあ旧大ニポーン帝国軍と比較すれば、やはり余裕がありますなぁ、と。

それはともかく、この曲はいい曲です。

歌っているのは、先にJoan Leslieさん、続いてKitty Carlisleさんです。

:::::::::

↑最近になって、歌詞がアップされていました。YOU-TUBEでいくつかのバージョンもアップされていたので、訳して更新。戦争中に歌われた唄であることを思うと、切なくなる詩でした。



 佳い夢を、恋人よ

おやすみなさい、佳い夢を、明日は格別な日
それまで・・・佳い夢を、恋人よ

おやすみなさい、ぐっすり眠れますように・・・私はあなたの行く手でお目にかかるでしょう
夢の中で・・・、佳い夢を、恋人よ

たぶん天使があなたを頭上で見守って、
あなたの安寧を守ります、私の恋人よ、夜明けが訪れるまで・・・

おやすみなさい、佳い夢を、明日は格別な日
それまで・・・佳い夢を、恋人よ


(訳:ああ)

1944 Kitty Carlisle


1944 Ray Noble

SPECIAL A.K.A : Racist Friend レイシストの友達



 レイシストの友達

もし君にレイシストの友達がいるなら
今がその時だ
今がその時さ
その友情は君のために終わらせたほうがいい

もし君にレイシストの友達がいるなら
今がその時だ
今がその時さ
その友情は終わらせたほうが君のためさ

君の親父さんであろうとクソバカヤロウ(Biatch)さ
君のお母上であろうとクソバカヤロウさ
君のいとこだろうとおじさんだろうと兄弟だろうとクソバカヤロウさ

今がその時だ
今がその時さ
今がその時だ
今がその時さ
今がその時だ
今がその時さ
その友情は君のために終わらせたほうがいい
君の最高の友達だろうと他の誰であろうと クソバカヤロウさ
君のいとこだろうとおじさんだろうと恋人だろうと クソバカヤロウだよ

今がその時だ
今がその時さ
今がその時だ
今がその時さ
今がその時だ
今がその時さ
その友情は終わらせたほうが君のためさ

だから君が変えるんだ
君の友達を変えるんだ
今がその時だ
今がその時さ
そんな友情を終わらせるために

君の親父さんであろうとクソバカヤロウさ
君のお母上であろうとクソバカヤロウさ
君のいとこだろうとおじさんだろうと恋人だろうと クソバカヤロウだよ

今がその時だ
今がその時さ
今がその時だ
今がその時さ
今がその時だ
今がその時さ
君のためだ


(訳:ああ)

バリー・マクガイア Eve of Destruction 破滅の前夜


「4号機クライシス」が日常的風景となったこの世界に。


 破滅の前夜

東側の世界では、それが爆発している
暴力は燃え広がり、銃弾が装填されている
君は人を殺すには充分な歳だ、だけど投票権には達していない
君は戦争を信じていないけど、君が抱えているその銃は何だ
さらにヨルダン川では死体が浮いている

だけど…君が教えてくれ
何度も何度も繰り返し…僕の友人よ
ああ、君は信じないでくれ
僕たちは破滅の前夜にいるということを…

君は僕が言おうとしていることを理解できない
君は僕が今日感じている恐怖を感じることができないのか?
もしボタンが押されたならば、逃げる場所なんてないんだ
墓場の世界の中で救われる者などいないんだ
[少年よ、周囲を見回すんだ それは少年を脅えさせざるを得ない]

だけど…君が教えてくれ
何度も何度も繰り返し…僕の友人よ
ああ、君は信じないでくれ
僕たちは破滅の前夜にいるということを…

そう、僕の血は逆流し、固まってしまったように感じる
僕は考え込んでしまい、ここに座っている
僕は事実をねじ曲げることはできないけれど、それは規則なんて知らない
一握りの上院議員は立法を可決しない
孤独な行進は、差別の廃止をもたらすことはできない
人間の尊厳が崩壊したとき
このクレイジーな世界全体のフラストレーションは頂点に達する

だけど…君が教えてくれ
何度も何度も繰り返し…僕の友人よ
ああ、君は信じないでくれ
僕たちは破滅の前夜にいるということを…

赤い中国に存在するすべての憎しみを考える
それからアラバマ州セルマ*をぐるっと見回す
君はここを離れて四日間宇宙で過ごすこともできるだろう
だけど、君が戻ったとき、それは同じ古い場所なんだ
太鼓は打ち鳴らされる、誇りと恥辱
君は死者を埋葬することができるけれど、痕跡を残してはならない
君が隣人を憎むとしても、思いやりを言うことを忘れてはいけない

そして…もう一度、何度でも何度でも繰り返し教えてくれ…僕の友人よ
君は信じないでくれ
僕たちは破滅の前夜にいるということを…

違う、違う、君は信じてはならない
僕たちは破滅の前夜にいるということを…


(訳:ああ) 

*1965年3月にアラバマ州セルマで起こった黒人の公民権要求デモに対する凄惨な弾圧事件のこと。
参照⇒http://blogs.yahoo.co.jp/arizonapartera/34515554.html



明日なき世界 / 高石ともや&ジャックス

デヴィッド・ボウイ Five Years あと五年…




"僕たちには五年しかない...この両目に焼き付けよう
あと五年...なんと驚くべきことだ
僕たちには五年しかない...僕の頭はひどく痛み
あと五年...それが僕たちのすべてなんだ"



4月12日の14時44分、福島第一原発の4号機の使用済み燃料プールの冷却装置は停止し、引火性の高い猛毒ヒドラジンも汚染水と一緒に漏れ出していたとのこと。

東電は「72時間まで冷却が停止してもだいじょうぶ」などと発表しましたが、「1331本の使用済み燃料が溶けて燃えだしたら…」と思うと12日から13日にかけて、生きた心地はしませんでしたね。

「今日か明日で人類最後の日になるかもしれない」...人類破滅がフィクションではなくなり、いつ4号機がひっくりかえってみんな一緒にあの世に行くか分からない状況での生活。しかし、そんな日でもいつも通り出勤していつも通り働いているのは、もう悲壮感を通り越して笑えてさえくる。

この二日間は、すべてが愛しく永遠にさえ見えたというものだ。横断歩道手前で車を止めると笑顔で会釈して渡って行く人、友人とじゃれあいながら帰路に向かう中学生たちの群れ、散歩で連れられている犬が足元に寄って来て飼い主との他愛ない会話を交わし、時ならぬ突風で舞い散る思わぬ桜吹雪の中を歩く...何もかもが美しく見え、この風景が「滅び」に向かっているなんて…となんと表現していいか分からない感情に襲われる。

結局、冷却機能は25時間後に復旧しましたが、こんな綱渡りが当面続くかと思うとうんざりする。うんざりする以前に、あの廃墟のような4号機が「五年」どころかあと1年も持つとはとても思えない。

原発などという一度事故ったら取り返しのつかない施設を作った人間は、逃げることすらままならない。そして、この福島の状況でも再稼働させようという政府、それに反対しない人々。。。

愚かなことですね。もちろん自分も含めて。。。 


1978年日本公演

スキーター・デイヴィス : The End of the World この世の終わり

なんかハルマゲドンな歌が聴きたくなる昨今、我ながら自虐的なことですね。でもラジオでそんな特集したら、ちょっと楽しいのになぁ、、、などとも思ってしまう。

この歌は、チョー自己中心的なところがなかなかよくて「なんで太陽は輝いているの?」といった場合、「それどころじゃないでしょ!」「何も分かっていないから、そんな呑気なことやってられるのよ!」というヒステリックな含意があると思われます。

何事もなかったかのように平静を取り戻しているかのような東京を歩いていると、たしかにそんな思いに駆られますけどね。。



 この世の終わり

なんで太陽は輝いているの?
なんで海が岸辺を洗うの?

かれらは分かっていない もうこの世の終わりだということを
なぜなら、あなたがもはや私を愛していないということを…?

なんで鳥が歌っているの?
なんで星が頭上で輝いているの?

かれらは分かっていない もうこの世の終わりだということを
そんなものは私があなたの愛を失ったときに終わったのよ

私は朝目覚めると、思うのよ
なんで今までとおなじような日常が続いているの
私には理解できない いいえ、理解できないわ
これからどうやって生きていけばいいのよ!

なんで私の心臓は脈打っているの?
なんで私の目は泣き叫んでいるの?

分からないの もうこの世の終わりだということが?
そんなものは、あなたがさよならを言ったときに終わったのよ

分からないの もうこの世の終わりだということが?
そんなものは、あなたがさよならを言ったときに終わったのよ



(訳:ああ)



↓検索したらこんな動画がw 黒澤明の"生きものの記録"の一シーンも。。。
 

ルイ・アームストロング : What a Wonderful World この素晴らしき世界

最近、アチコチのラジオ局で、この曲がよく流れているような気がする。
ラジオの選曲なんてしている連中はそれなりに世の雰囲気に敏感だろうから、何か感じていることもあるのかもしれない。。。

中学生の頃から大好きな曲なのだが、最悪この瞬間にも終わるかもしれないこの世界(自分の生存範囲)の状況で聴くと、なんだか文字通り世界へのレクイエムのようでなんとも言えない気分になる。

まーそれでも、流れるたびに涙腺が緩くなるのだが。。。パブロフの犬だね。

今日明日死ぬとして、はたして「人生やこの世界はそれでも美しい」などと思って死ねるだろうか。誰にも、もちろんワタクシにもそう思える瞬間はあっただろう。しかし、この歌に描かれているようなささやかな生活におけるささやかな感動、人と人とのつながり、そういうものに支えられた人生たちを一瞬にして破壊しつくし奪いつくす原発、あるいは戦争。

ほんっの一握りの特権階級の連中の利益のために、ささやかな人生、感動、人とのつながりが奪われる理不尽さ。。。いまはまさに薄氷の上でかろうじて生きているが、実は今まで気付かないだけでそんな世界にずっと生きていたのだ。フクシマの事態はそれが飽和点に達して顕在化しただけだ。

「原発反対」などと口では言ってきても、この薄氷の上で生かされていることへの想像力に欠けていた自分に腹が立つ。だけど、しかし、そして、それでも、世を支配してこんな世界をつくってきた連中、人間を恐怖の底に陥れて平気の平左な連中、たとえこの世を破滅させても金儲けしたいという連中に、腹の底から怒(いか)っている。

子どもの頃から怒りを友にして生きてきたようなものだが、それでもこれほどの怒りはやはり体験したことがない。

腹の底から、腹の奥底から怒っている!このまま殺されて「それでも人生は世界は美しかった」なんて言えるわけがない。

だけど、そう言いながら死ぬために、せいぜいケジメはつけさせてもらうつもりだ。




 この素晴らしき世界

私は緑の森を見る、赤い薔薇たちも…
私とあなたのために咲き誇っているんだ
そして私は身に染みて想う…世界はなんと素晴らしいのだと…

私は青空を見る、そして白い雲を…
明るくて祝福された日、漆黒の神聖な夜
そして私は身に染みて想うのだ…世界はなんと素晴らしいのだと…

虹の色々は空に眩くて、
行き交う人々の顔もまた…
私は友人たちの握手を見る..."How do you do?"と言い、
かれらは心の底から言っている..."I love you"と…

私は赤ん坊たちの泣き声を聞く、かれらの成長を眺める
かれらは私が知っていること以上のものを学ぶのだろう
そして私は身に染みて想う…世界はなんと素晴らしいのだと…

そうだ、私は身に染みて想うのだ…世界とはなんと素晴らしいのだと…


(訳:ああ)


The CLASH : Armagideon Time ハルマゲドン・タイム

1982年 Live in TOKYO

(ステージに映し出されるヒロシマ、アウシュヴィッツ、カンボジア、エチオピアの子どもたち)

どうも今年に入ってからソ連時代の反体制歌手:ウラジーミル・ヴィソツキーの歌声、とりわけ『大地の歌』がなぜか心に響いていて、このBlogで取り上げたりしたが、今にして思うと何か一つの予感のようなものがあったのかな、なんて気がしてくる。

とりわけ3.11の震災以後はアノ声が心に響き続け重苦しい気分が抜けなかったのですが、収拾のつきそうもない原発のカタストロフィーを前に、いま頭に響いて離れないのはThe CLASHがカバーしたレゲエの名曲"Armagideon Time ハルマゲドン・タイム"。

1979年、同年起こったスリーマイル島の原発事故を一つのモチーフにしたと思われる"London Calling"のB面に収録されて発売されている。

 終末のときが来た
 だけど俺たちに逃げ場なんてない
 行動を起こせ、闘え


まさに、2011年の日本の状況じゃないか。

被災地以外の世の人々はまだ日常を取り戻しているように見えるけど、はたして福島第一原発がこのままなんとか収拾がついて、放射能被害も政府や御用学者の言うようになんとかやり過ごせるとでも思っているのだろうか。

危機を煽る気はさらさらないのですが、はっきり言います。

 や り 過 ご せ ま せ ん !

原発事故の収拾自体まだまだ長引き、次から次へと難題と放射能の漏れとそれに伴う被害と社会的影響も拡大していくのは必至だ。

いまですら万単位の原発難民は、避難地域の拡大によってさらに増えるでしょうよ。日本社会に人の立ち入れない広大な荒野と万単位の難民が生み出されたのだ。そしていずれ「風評被害」と言われてきたものが「風評」でなく、現実の深刻な人体への被害として現れるのは確実だと思っている。

すでにカタストロフィー的状況にあるのに、活断層の上に立つ浜岡原発、いつ何が起こるかわからないもんじゅ、、、ニポーンどころか、いつ世界が終了してもおかしくない。

もはや闘わなくては生き残れない。亀のように家に閉じこもって半径3mだけを守ってペットボトルの水を飲んでいれば子どもを守れる、というような状況ではない。

このCLASHのレゲエのリズムは"生存のための最後の闘い"に向かう足取りのように心に響き続けている。

"闘え!黙って殺されるな!"...そして、
"終末か、われわれの最終戦争か"...と。



原曲 Willie Williams armagideon time

ジャック・プレヴェール : L'opera de la lune つきのオペラ

kワイフが「アンタ、シャンソン好きだったわよね?」(いまだにこの程度の認識w)と「なんか"枯葉"つくった人が書いた絵本があるから借りてきた」と渡されたのが、この大衆詩人の巨人と言われるジャック・プレヴェール-Jacques Prévertの1953年作の"L'opera de la lune つきのオペラ"。

うーん、とにかく凄みと言うのかね、絵の美しさもさることながら、深さとか薀蓄とかを超えた「子どもに読み聞かせる大人にこそ考えさせる絵本」だった。最近では「大人のための絵本」というのが静かな流行?とのことだが、この本は子どもが楽しめる内容の文字通りの「子どものための絵本」であるにもかかわらず…だ。そこがスゴイ。

内容は、自分を月の住人だと思っている孤独な少年、ミシェル・モランくんが、大人に「月で見たオペラの素晴らしさ」などをとうとうと語る、というものである。優しい大人たちは、モランの話に首をかしげながらも迎合して何とか理解しようとしたり、モランのために歌を歌ったりするのだけど、モランは「歌なんてやめてよ」と「大人たちの優しさ」を拒否する。

絵本とか童話は、ともすると説教じみていたり、教訓を押し付けがちだったりするけれど、ここまで「大人」を拒否する子どもを描く絵本は衝撃的ですらある。

ラストは「月の住人は地球に遊びに来たけど、すぐに帰ってしまったんだ。海の美しさや鳥の声を愉しんだりしたけど、機械の音が嫌で帰ってしまったんだ。何もかも叩き壊す不快な音、戦争を作り出す機械の音のために」...「そして、新しい地球になったら、また遊びに来るよ、と言い残して去ったんだ」。

まず驚かされたのは、「大人は子どもの言うことを、大人の思考に当てはめて理解しようとする必要はない」とするようなメッセージだ。ワタクシも子どもを育てて分かったが、たしかに子どもには子どもの世界がある。正直、何を考えて何をしているのか分からないときもあるが、子どもにとっては合理的で完結した必然性を持って行動しているのだろう。

そして、モランの大人に対する突き放したような態度は「戦争さえなくせない大人に子どもを規範に当てはめる資格などない」と、大人(絵本を読み聞かせる側)に突きつけるかのようだ。

子どもには子どもの世界があり、大人には大人のなすべきことがある。子どもの自由な感性、幸福に生きる権利を守るために、大人がなすべきことは何なのか…? 絵本でこんなことを問いかけられてしまうフランス人は、やはり鍛えられるよなぁ。。。

小さいお子さんのいる方や、そうでない大人でも楽しめ、そして考えさせられる絵本です。ワタクシの文章ではなかなか伝わらないでしょうけれども、地上にいるときの孤独で寂しそうな表情とは対照的な、月にいるモランくんの解放感と幸福感に満ちた表情がなんとも素晴らしい。ぜひ、ご一読あれ。

「新しい地球」...このキーワードも、私の胸に新たに刻み込まれたのでした

まる
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