ああChanson Cri

自分が観たいものをすぐ出すためのアーカイヴw                                                                       @COPYLEFT

シャンソン

ジュリアン・クレール L'assassin assassine 殺された殺人者

以前に紹介した曲ですが、貴重なLIVE音源を発見したのでご紹介します。
この曲をフルで聴ける唯一のLIVE音源だと思います。
ジュリアンさんのピアノ弾き語り&絶唱は「これぞシャンソン!」とも言うべき名演です。

死刑の残酷さを歌い、フランスの死刑制度廃止の世論に火をつけた歴史的シャンソンの歴史的名演。
世界を変える歌とはこういうものなのでしょう。

Palmares 80 - 24/Sept/1980


 殺された殺人者 

ある日、私は家にいて
歌を作りたい気持ちだった
窓際で作りたかったのはたぶん愛の歌
私が愛し、私を愛しているひとが
ジョーノの本を読んでいた
魔法の仕事台の上にかがみ込むように
私はピアノの上に身をかがめ
言葉を私の曲に合わせようとしていた...

まさにその朝、サンテ刑務所で
一人の男が... 一人の男が処刑されていた...
私たちはといえば、こんなにも平穏なまま
町に心をときめかせ
午後の終わりに
貞節な人影が少しずつ外に出てゆき
静かに夜を織りなしてゆく
今日のように...

刑吏たちは抜き足差し足でやってきて
その男に静かな調子でこう言った
「今日が処刑の日だ... もう時間だ」
半裸の男は
顔色も変えずに刑吏たちを見た
「手紙を書きたいか?」
男は「はい」と言ったが、書くことはできなかった
ただ煙草を一本吸っただけ

私の作品の上に夜の帳がおりていた
しかし言葉は闇の中にとどまったまま
私を許してほしい
愛の歌を書くことができない日もある
だから私はピアノの蓋を閉めた
この歌詞と曲は誰のものでもない
そして私はこの卑劣漢のことを思った
舗石に流れたその男の血を死刑執行人が洗った...

私は何の代表者でもない
一介の音楽家にすぎない
それはよくわかっている
このことを言うために私はかっこうをつけることはしない
皆さん、人殺しを始めるのは殺人者です
しかし社会が人殺しをまた繰り返しているのです
死刑囚の血も人間の血...
流されるのはまた人間の血なのです
執行には手順がある、笑い事ではなく
その男に二言三言の言葉をかけ
酒を少し飲ませる
男に話しかけ、断頭台に縛りつけ、顔を布で覆う
中庭に据えられた大きな黒い天蓋にさえぎられ
男の死は人々から見えなくなる
そしてその後、首が切り落とされる時間は
一瞬で終わる

一曲の歌、たぶん愛の歌の代わりに
沈黙を歌う許しを私が皆さんに求めるのは
この思い出が頭から離れないから
刃が落ちた時
死刑に処せられた側から死刑を執行した側に罪が移った
今晩、私の記憶の中に眠るのは
殺された殺人者
殺された殺人者


(訳はhttp://www.geocities.co.jp/MusicStar/5066/1KYOKU.html から)

ジョルジュ・ムスタキ Κάπου υπάρχει η αγάπη μου どこかに私の愛がある

ムスタキさんが、ギリシャのポピュラーソングをギリシャ語で歌っています。
You-Tubeで調べたら、ナナ・ムスクーリさんをはじめ、実に多くの歌手に歌われているようです。



 どこかに私の愛がある

今は春、
そして花たちが咲く
魅惑の夜に
少年たちが囁く時…

そして夜に会うすべての人に、
私はあいさつをする
だけど私はなんと言えばいい
空(くう)に向かって囁くのだ

どこかに私の愛がある
だけど、それが誰なのか解らない
どこかに私の愛がある
だけど、どこにあるのか解らない

私は紙に書きとめて願うだろう
それを星に願うだろう
だけど私が立てた誓いを見つけたときに
私は白でドレスアップするでしょう


(訳:ああ)


ナナ・ムスクーリさん



Αννα Βισση-アンナ・ビィッシさん

ジョルジュ・ムスタキ J'aimerais la vie 私は人生を想う

51BkbEgrY-L__SS400_ ムスタキさん、2005年のアルバム"Vagabond"収録の曲。

Lyricsが出てこないので音源だけ。








レオ・フェレ : Graine d'ananar アナーキストの種粒

大逆事件のデッチアゲによって幸徳秋水らが処刑されてから今年で百年、そして処刑直後の2月1日に徳富蘆花が東京本郷の第一高等学校における弁論大会で幸徳らの処刑に激烈に抗議し、学生達に「謀反せよ!」とアジテーションした「謀叛論」演説からも百年。

一世紀を経て、反逆の種は放射能の風に乗ってやって来る。

::::::::

謀反論抜粋
(全文 http://www.aozora.gr.jp/cards/000280/files/1708_21319.html)

……かくのごとくして彼らは死んだ。死は彼らの成功である。

パラドックスのようであるが、人事の法則、負くるが勝である、死ぬるが生きるのである。彼らはたしかにその自信があった。死の宣告を受けて法廷を出る時、彼らの或者が「万歳! 万歳!」と叫んだのは、その証拠である。

彼らはかくして笑を含んで死んだ。悪僧といわるる内山愚童の死顔は平和であった。かくして十二名の無政府主義者は死んだ。

数えがたき無政府主義者の種子は蒔かれた。

彼らは立派に犠牲の死を遂げた。しかしながら犠牲を造れるものは実に禍いなるかな。

幸徳君らは時の政府の謀反人と見なされて殺された。

諸君、謀叛を恐れてはならぬ。新しいものは常に謀叛である。

「身を殺して魂を殺す能わざる者を恐るなかれ。」肉体の死は何でもない。恐るべきは霊魂の死である。

人が教えられたる信条のままに執着し、言わせらるるごとく言い、させらるるごとくふるまい、型から鋳出した人形のごとく形式的に生活の安をぬすんで、一切の自立自信、自化自発を失う時、すなわちこれ霊魂の死である。

我らは生きねばならぬ。生きるために謀反せねばならぬ。






 アナーキストの種粒

人生は私を分身にした、それも不規則に
たまたま生きているに過ぎないみすぼらしいトカゲへと、この世間の中で…
だけど世間が、首を突っ込む筋合いはない
私はアナーキストの種粒なのだ

一つ語ろうか、私は絞首台の下から生えてきたのだ
私の祖父はどこかでぶら下がって揺れていた
ネックレスと一緒に、編み麻のネックレス、それがあった
アナーキストの口には血のハンカチ

私には私のパンを食べた仲間がいた
なぜならパンは、共有させられるものだから…
それを言っているのは私ではない、イエス・キリストだ
迷えるアナーキストの鼻面でのおしゃべり…

私が若干のコインを持っていたなら、一つ訊ねる
「キミが彼らに勝利したとしてどうしようというのだ、
この世間のためにあくせく働いて過ごすことなく…?」
だけど私が何も持たないことが、彼に語るのに必要なのだ
なぜなら、
簡単なこと…アナーキストの種粒だから

人は私に完結した話をし、人がそれを言うように私はあなたにそれを話そう
そして、私が法に代わってほっておく
そして世間は、首を突っ込みたがる美しい世間は
アナーキストの種粒を放り出すのだ

忘却された絞首台、鳥はそこで巣を作る
紳士的なカラスが私の肌に渡す
おしべのように、だけどかねてから私は風に乗せているのだ
どこかに植えつけられるように…私のアナーキストの種粒を


(訳:ああ)

ジョルジュ・ムスタキ : My Heart Is There

ムスタキさん、1980年発表の曲。
珍しい英語詞曲。もちろん、ムスタキ自身の詩。

My Heart Is There by Georges Moustaki on Grooveshark

 My Heart Is There

どれだけの距離があるだろう
かつて私がいた場所から…
多くの微笑みがあったのだ
この道程において…
時々遠くに
時々近くに
私の心はあるのだ
そして私はここにいる

私はその道を選んだ
それは終着のない道
およそ誰も
理解してはくれなかった

私に途を示してくれ
君の手を差し伸べてくれ
私たちはある日到達するだろう
私たちの約束の地に
多分それは遠くて
多分それは近い
私をそこに連れて行ってくれ
もう私を見離さないでくれ


(訳:ああ)

ジョルジュ・ムスタキ : L'apolitique ノンポリ

1973年発表のアルバム"MOUSTAKI 5"(日本語タイトル『幸福宣言』)収録曲。当時の邦題は『ノンポリのすすめ』。

このアルバムのためにムスタキが寄せたメッセージ。

"ここでちょっとつけ加えたいことがあります。こうしておしゃべりすることは楽しいし、また、これから歌う10曲のシャンソンを説明もしないで運命の途に放り出すのもかわいそうで。

(略)

また、はからずも≪L'apolitique≫の最初の一節を私に生んでくれた国家元首に敬意を表します。

ユーモアは絶望の政治手段で、自分をまじめに受けとめるには、私はあまりにまじめ過ぎるということを、ここで強調したいと思います。"


L'Apolitique by Georges Moustaki on Grooveshark

 ノンポリ

軍は政治に関与してはならない
聖職者が政治を行ってはならない
大学は政治に関与してはならない
公務員は政治を行ってはならない

外国人たちよ
出稼ぎ労働者たちよ
気にとめてはならない
とりわけ面倒な政治の話には…
女性は政治に関わらないでくれ
若者が政治を行ってはならない
アーティストは政治に関わらないでくれ
最高経営責任者は政治を行ってはならない

武器商人のどちら様も
航空機メーカーのどちら様も
気にとめてはならない
とりわけ面倒な政治の話には…
軍隊も、聖職者も、女性たちも、大学も…
すべては私が忘れてしまったもの
そして、それは山ほど立場を弁明する


(訳:ああ)

ジョルジュ・ムスタキ : Sans la nommer 名も付けられず

You-Tubeに投下されていたムスタキさんの"闘うシャンソン"の代表曲"Sans la nommer"。1973年の映像ということです。



   名も付けられず

私は名もなき彼女について語ろう
忠実に仕えるものを持たない愛されるべき彼女を
生命力そのもののような彼女が起ち上がる
太陽の下で歌う日々に向けて

 それは彼女を追跡し、打ちのめしてきた軌跡
 その苦痛が彼女をストライキへと蜂起させる
 たとえ刑務所に閉じ込めてその生き様を抑圧しても
 さらに「生きる」という欲求を与えるだけだろう
 その欲求がさらに私たちを歩ませる
 まだ見ぬ先端へと、先端へと・・・


私は名もなき者にこそ魅かれる
種を蒔くために戻っていく彼に胸いっぱいの敬意を
二本の足で五月の美しい花と野生の果実の種を蒔く
それは自由への道と彼のまだ見ぬ良き日のための種

 それは彼を追跡し、打ちのめしてきた軌跡
 その苦痛が彼をストライキへと蜂起させる
 たとえ刑務所に閉じ込めてその生き様を抑圧しても
 さらに「生きる」という欲求を与えるだけだろう
 その欲求がさらに私たちを歩ませる
 まだ見ぬ先端へと、先端へと・・・

私は名もなき彼女について語ろう
愛について、愛する人の苦痛について、彼女は忠実なのだ
そして、もし君が彼らに紹介されることを望むなら
君は「永続革命」と呼ばれるだろう

 それは私たちを追跡し、打ちのめしてきた軌跡
 その苦痛が私たちをストライキへと蜂起させる
 たとえ刑務所に閉じ込めてその生き様を抑圧しても
 さらに「生きる」という欲求を与えるだけだろう
 その欲求がさらに私たちを歩ませる
 まだ見ぬ先端へと、先端へと・・・


(ああ訳)

1981


スタジオバージョン

ジョルジュ・ムスタキ : En mediterranee 地中海にて

1973年の映像



 地中海にて

このたらいの中で遊んでいる
黒い目の子どもたち
三つの大陸があり
そして、諸世紀の歴史がある
神々の預言者たちは
自らが救世主自身だ

 そこにある美しい夏は
 秋の訪れを怖れない
 地中海では…

血の臭いが漂う
海岸やその水面
そして傷つけられた国々の
たくさんのむき出しの傷口のような
鉄条網の島々
そびえたつ刑務所の壁の数々

 そこにある美しい夏は
 秋の訪れを怖れない
 地中海では…

そこにあったオリーブの木々は
爆弾の下で死んでいった
一体どこに現れたというのか
最初の鳩は…
忘れられてしまった民衆
それは戦争が刈り取っていってしまった人々

 そこにある美しい夏は
 秋の訪れを怖れない
 地中海では…

このたらいの中で、私は遊んでいた
私が子どもであった頃に…
私は水に足を浸して
私は風を吸い込んだ
私の遊び仲間たちは
大人になった

 その兄弟たちが
 世界に見棄てられてしまったのだ
 地中海では…

空は喪に服したのだ
アクロポリスを覆うように…
自由は口にされることもない
スペイン語では…
常に誰かが夢見る場所
アテネ…そしてバルセロナ…

 そこに残っている美しい夏は
 秋の訪れを怖れはしないのだ
 地中海では…


(訳:ああ)続きを読む

アニー・ジラルド et ミシェル・フュギャン : La musique et le cinema 音楽とシネマ

「私が出演しないことがフランスの映画界にとってどういうことだったかは分かりませんが、私にとって、フランス映画界が懐かしかった。狂うほどに、苦痛を感じるほどに。あなた方の言葉と愛で、私は、もしかしたらでしかないのですが、まだ完全に死んではいないのかもしれない、と思っています」

アニー・ジラルドが、10年以上のブランクの後に、1996年ルルーシュ監督の 『レ・ミゼラブル』でセザール賞助演女優賞をもらった時の壇上での挨拶。会場はスタンディングオベーション。

("パリの新聞: OVNIオヴニー"から)



2月28日、映画・舞台・ミュージカルなどで活躍したフランスの国民的女優と言われたアニー・ジラルド-Annie Girardotさんが79歳で亡くなられたとのこと。日本で有名なところでは、1967年のクロード・ルルーシュ監督の『パリのめぐり逢い』でしょうか。

映像は、1972年12月2日放送音楽番組"Top a" のミシェル・フュギャン特集にゲスト出演した際のもの。素敵な映像です。

シャルル・トレネ : Fidele 忠実に…

シャルル・トレネが1971年に発表・ヒットさせた曲。

次の2月19日は世界がトレネを失って、ちょうど十年。
「詩情を守らなければならない」と歌った彼が大事に言葉にし表現したものは、この歌でうたっているような「誰にとっても重要でない些細な事柄」でした。

「誰にとっても重要でない些細な事柄」...しかし、それは楽しいだけじゃない原始的な悲しさとか切なさとかも含めて思い出させる誰にでもある幼い日の感情を甦らせる季節の風、空の色、風景、音、花の匂い…。トレネが"守るべき詩情"と称したものは、そんな些細な事柄だったのだと思います。

ワタクシにとっては、小学校に入る前に住んでいた江東区の油臭い小工場の並ぶ町、新木場の材木を筏にして漕ぐおじさんたち、カコーンカコーンと延々と鳴り響いていたマンション建設のための掘削音、気味の悪いマネキン工場…そんな風景をふと思い出すと、保育園に友達もなく、母親はいつも一番最後に迎えに来ていた幼い日々の孤独という感情の原始的な芽生えを追体験する。

そんなものは忘れたって何の支障もなく生きていける。だけど、その些細な思い出とそのときに込み上げたであろう幼い感情を忘れた人生にどんな価値があるだろう。金を数えたり、人を出し抜いたり陥れたり、名誉だの出世だのにあくせくしたり、憎しみに凝り固まるだけの人生には、幼き日の些細な事柄など捨て去ったことすら忘れているでしょう。

ふとしたことで遠い日を思い出したときに込み上げる感情こそ、人を人として立ち返らせる。それは人生を大事にしているということだから忘れてはならないのだ…これこそトレネが歌い、訴えてきたメッセージなのではないかと思う今日この頃。




 忠実に…

忠実に、忠実に…私は忠実なままにいる
あなたにとっては重要でもなんでもないものに…
ある夏の宵の一羽のツバメが飛ぶ姿
連れ添っていた子どもの微笑を
忠実に、忠実に…私は忠実なままにいる
私を形作った些細な事柄たちに…
老いた犬…水彩画の箱…
八月のラ・ヌーヴェル港を…

忠実に、忠実に…私は忠実なままにいる
あの場所ととてもやさしい友達に
おどけたアルベールとレースで着飾った彼の妹…
リニューアルされたカスティエの城址…カニグー山…
ベジエ通り…エミリーおばさん…
ママはブダペストへ発ってしまった
樽製造所のある私の古い家…
憲兵隊本部付近を通る急行列車を…

忠実に、忠実に…私は忠実なままにいる
モントーバンでのある宵の記憶
率直な熱情が私たちの心に宿っていたことを私は覚えているのだ
かれら自身に与えられた熱情は、古いベンチに座った若者のものだった
私はバカンスの夜に出発した
夜明けの小妖精より軽やかに
だけどもいまは…いまは…それについて想うとき
私は…私はいつも…初恋に涙するのだ

忠実に、忠実に…なんのために忠実なままにいるのだろう
すべてが変化するとき、そして後悔することなく過ぎ去ればいい
橋の上に独り立っているとき
あやふやな世界が消えていくのだ
すべてのボートが見えなくなるとき
一抹の望みも持ち去られてしまったのだ
人は一つの陰にすぎないということを思い知るとき
他の影たちに永遠に忠実であり続けるだろう


(訳:ああ)

・カスティエ - カタロニア地方に隣接する都市で、この地の城の解体工事が終了したのが1930年代。この曲はそのことを歌っている。

・カニグー山 - ピレネーの2784m峰

・樽製造所 - トレネの母の実家の家業が「tonnelier=樽製造所」だった。

訳に際してのスペシャルサンクス brusqueさん!
http://brusque-no2.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/2-f27b.html




スタジオ・バージョン
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