次のゴロを10回、早口で音読してください。
そして、10回暗唱してください。
暗唱を繰り返すことで、その聴覚刺激により、脳の奥にある海馬の中で
長期増強が行われ、深い記憶が刻み込まれます。

 

<日清戦争からポーツマス条約までの流れ>

人は給食後、鬼、押し、怒る!

西さん風呂問い、煮え煮ろ坊主。

 

ひとはきゅうしょくご、おに、おし、おこる!

にしさんふろとい、にえにろぼうず。

 

ゴロが長い!ですが、日清戦争からポーツマス条約までの、この10年間の流れは受験勉強の上でも外交史を学ぶ上でも重要です。とっても、マジメなところなのです。しかし!ゴロだけはきょうも脳天気フル・スロットルだ!(笑)

ひとはきゅうしょ1894

くご(18)95

おに(19)02

おし(19)04

おこ(19)05

にし=にっしん=日清戦争

=しものせき=下関条約

さん=さんごく=三国干渉

ふろとい=ふ・ろ・とい=ふ・ろ・どい=フランス・ロシア・ドイツ

にえ=にちえい=日英同盟

にろ=にちろ=日露戦争

ぼうず=ポーズ=ポーツ=ポーツマス条約(笑)

 

◆年表形式で流れを追います。(ゴロへのリンク付きです)

1894年 日清戦争始まる

1895年 下関条約調印および三国干渉

1902年 日英同盟締結

1904年 日露戦争始まる

1905年 ポーツマス条約調印

 

◆内容をさらにくわしく見ていきましょう。

<甲午農民戦争(1894・3)〜下関条約(1895・4)>

1894年、民間信仰をもとにした朝鮮の宗教(東学)を信仰する団体
を中心とした農民反乱が朝鮮南部一帯に起こります。これを
甲午農民戦
といいます。朝鮮政府の依頼で清国が援軍を派遣すると、日本も居
留民保護を名目として出兵しました。反乱は鎮圧されますが、その後の
処理をめぐって日清両国の間に緊張が高まり、8月、日本は清国に宣戦
布告し、日清戦争が開始されます。

戦いは日本軍の圧倒的な勝利に終わり、1895年4月、日本全権の伊
藤博文・陸奥宗光(むつむねみつ)と清国全権の李鴻章(りこうしょう)
との間に下関条約が調印されます。

この条約で、清は朝鮮の独立を認め、日本に賠償金2億両(日本円で約3
億円)を支払い,遼東(リヤオトン)半島・台湾・ポンフー諸島を日本
にゆずることなどが決められました。

<三国干渉(1895・4)>

 

1895年4月、下関条約の調印後、南満州進出をねらうロシアがドイツ
・フランス
とともに、日本に遼東(リヤオトン)半島の領有権を清に返還す
ることを要求してきます。

日本は三国の武力をおそれ、やむなく従いましたが、これ以後、ロシアに
対する国民の反感が強まっていきました。

 

<日英同盟(1902・1)>

1902年1月、南下政策をすすめるロシアに対抗するため、中国に最大の利権をもつイギリスと朝鮮支配をめざす日本が互いに接近をはかり、日英同盟が結ばれました。日本はのちにこの同盟を理由に、連合国側に立って第一次世界大戦に参加することになります。

 

<日露戦争(1904・1)〜ポーツマス条約(1905・9)>

朝鮮・満州支配をめぐる対立から、1904年、仁川沖(じんせんおき)、旅順港(りょじゅんこう)への日本海軍の奇襲攻撃から日露戦争が開始されました。

その後旅順の陥落、奉天(ほうてん)の戦いを経て、日本海海戦での日本軍の勝利が続きましたが、日本は兵器や人員の補充が困難となりました。

一方、ロシア側でも革命運動の始まりで、日本と戦う余裕が無くなり、結局、アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの仲介で戦争が終わり、1905年ポーツマス条約が結ばれました。

ポーツマス条約で、日本はロシアに対し、韓国における日本の優越権を認めさせ、旅順・大連をふくむ関東州の租借権、東清鉄道の一部、樺太の南半分などを譲り受けます。しかし、戦争に対する賠償金を獲得できなかったので、国民の不満が高まり、日比谷焼き打ち事件などが起こりました。


◆日清戦争からポーツマス条約に至る外交・内政の流れが詳細に解説されています。「クロニクル 日清・日露戦争」

 

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