コレは、ステージ5赤ビのオーナー様の代物
ギョサン発祥の地は小笠原だった!
ここ数年で急速に注目を浴びるようになってきたギョサン。
実はギョサン発祥の地はここ、小笠原なのです!
日本の最果て・小笠原から、どうして全国へと広がる人気サンダルとなっていったのか、その歴史を見てみましょう。
小笠原諸島返還直後から、漁師の必需品
第2次世界後にアメリカの統治下とされていた小笠原諸島は、1968年(昭和43年)に日本に返還されました。
これにより、戦前に住んでいた方々が続々と帰島を果たします。
返還3年後の5月に小笠原諸島・父島へ帰島した漁師さん曰く
『漁師仲間がみんな履いていたから、自分も小笠原へ帰った2日後には買ったよ。』
とのこと。
『なにより、磯で滑らないのがいい。
それまでのサンダルは、岩場のノロで滑って危ないでしょ。
それに、僕ら漁師は船の上で年中水をかぶる。
小笠原は暖かいから、すぐに乾くギョサンは本当に重宝したよ。』
ギョサンの実用性が島民に広がる
そして、返還後の島の復興に従事していた建設業の人たちも、休みの日にはギョサンを履いて釣りや磯歩きに出かけるようになります。
また、当時の道路はまだ舗装されていません。
街中のメインストリートはサンゴダスト(海岸砂)で、それ以外の道は赤土に覆われていました。
雨上がりの水たまりやぬかるみを歩いても鼻緒が抜けることなく、丸洗いできてすぐに乾くギョサンはとても重宝したのです。
『通りを歩いて新築の都営住宅に帰ると、誰もが外の流し場で手足を洗い、潮や赤土を落としてから階段を上がっていったものだよ。』(先の漁師さん談)
こうして、返還直後から漁師の間ですでに必需品となっていたサンダルは、1970年代後半から80年代にかけて、漁師以外の島民にも広がっていきます。
島民の日用品から土産物へ
1990年代に入ると、それまで茶色一色だったギョサンにカラーバリエーションが加わります。
光沢のある青やモスグリーンなどの新色が加わり、購入の選択肢が広がりました。
90年代半ばには『ギョサン』という呼び名が島内でも定着し、その実用性がダイバーなどの観光リピーターにも認知されて、マニアックな小笠原アイテムとなっていきます。
ギョサンのカラフル化
そして90年代後半、少しずつカラーバリエーションの増えつつあったギョサンに革命が起こります。
そのきっかけとなったのが、母島漁協が特注入荷した『白ギョサン』
『実用的であるとはいえカッコ悪い。』とギョサンを敬遠していた女性たちに大ヒット!
鼻緒が少し細めなデザインにもオシャレ感が漂い、『母島土産は白ギョサン』が、父島ではちょっとしたブームになります。
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