これまで、まず疑問や提起があって、その分析解説を長々と展開して最後に結論を述べる、という順序でばかり述べてきたが、さすがに自分でも焦れったくなってきた。
なので、まず今回は結論から書いていこうかと思う。

この項で述べたいのは、戦前戦中の日本が悪くないという事実を知り、最終的に私が自らが日本人である自覚と誇りを取り戻したのだ、ということである。

やっとここまで来た。正直かつての自分を振り返って綴る内、我ながらこんな奴が保守として目覚めるんかいなと不安に駆られてきたのでようやくこの時点に到達できて安堵している。長かった。
では、そう至る経緯を説明していこう。

己のアイデンティティを自身の内部にしか求めることが出来なかった私は、それでもどこか日本人としての意識を燻らせながら歳を重ねていった。だが、歴史の真実をだんだんと知るに連れ、少しずつ日本人としての自分を取り戻していくことになる。
戦後40年~50年あたりになると、隠しておく必要性がだんだんに薄れたらしくかつてのGHQや米軍が秘匿していた終戦当時の情報等が少しずつ明らかになってきた。それは古くなった機密の情報公開であったり、軍事ジャーナリストや近代史研究家の独自取材の成果であったりしたわけだが、一般の市民がようやく当時の真実を徐々に知ることが出来るそういう時代が訪れはじめた。そういう流れの中で、私も時代の真実を知ってゆくことになる。

もちろんそれ以前にも、大東亜戦争の真実に迫る歴史探求であるとか、新説などは時折出版されたり報道されたりしてきた。
例えばそれは、東京大空襲は民間人狙いの無差別爆撃などではなく、家内制手工業が主体だった日本の兵器開発軍需産業への攻撃目的だったという説や、陸軍の戦争推進に対して海軍がやむなく短期決戦を計画した通説に対し、海軍暴走説が提示されたり、真珠湾攻撃の布告と攻撃のタイムラグの謎についてなどである。
ただし、それらの殆どは戦争への経緯や作戦の有り様などの解釈のし直しというものであって、日本の侵略戦争という捉え方を覆すようなものは少なかった。たとえあっても、それは戦前戦中の日本を悪く思いたくないがゆえの擁護論というような扱いをされたりで当時の風潮をひっくり返すまでには至らないという、そうした時代が長かった。

一応、拙文は近代史研究や軍事ジャーナリズムが目的ではないので、これらについていちいち参考文献にはあたりません。あくまで記憶に基づいて私が時代の変遷でどう考えを変化させて行ったかが主題なので、記憶違いも私の現在の認識の一部ということになるのでこのまま続けます。

という事情なので、実際世の中でどのあたりからそれがむしろ歴史の真実だと認知されるようになったかはわかりませんが、ある時から、日本のアジア進出が侵略と植民地支配ではなく、欧米列強の植民地支配からのむしろ開放目的だったという真実が解き明かされるようになって来ました。
かつては、開戦に至る経緯については資源を抑えられたゆえに追い詰められてのものだという事情が逸早く定説化したものの、アジア進出については長らく侵略行為だと言い続けられてきたように記憶してます。
おそらくは、東南アジア諸国現地からの真実の証言がやがて国際論壇にまで届く時期が訪れて、戦勝国や特亜三国の都合で隠された事実が隠しきれなくなるターニングポイントがやって来てのことでしょう。
そうした流れの中で昭和天皇についても、かつては陛下の号令一下、国を挙げて戦争に邁進したかのように言われていたものが、実際は最後まで開戦には反対でいらした事実なども明らかになりました。陛下の戦争責任を主張する連中は未だにこの事実に耳をふさいでいるようですが。

それらの真実は証言だけに留まらず、例えば大東亜共栄圏については今や一般でも閲覧可能な文書が存在し、実際に東アジア全体の平等を目的にしていたことが記されていることさえ判明しています。そうした証拠によって事実がどんどん裏付けられてゆき、最終的にネット時代になった今、真実の伝播は加速度を増しています。

整理すると、日本の東アジア進出は侵略目的だった。無謀にもアメリカにも牙を剥いた日本軍は卑怯にも宣戦布告前に真珠湾攻撃を行い太平洋戦争に突入した。敗戦により列強に代わる日本の東アジア植民地支配の野望は潰えた。終戦当初はこう喧伝されその戦争犯罪を日本人は追及されていた。
これがやがて時を経ると、資源の無い日本はその資源確保のために東アジアを侵略した。アメリカの経済制裁等に追い詰められた日本はやむなく日米開戦を決意し短期決戦に臨み真珠湾攻撃を行うが、あらかじめ漏れていた情報によって本来の攻撃目標だった空母の撃沈に失敗、それが敗戦に繋がった、という已む無く開戦した説が次第に唱えられてゆき、この頃、真珠湾攻撃の宣戦布告がアメリカの工作によってわざと遅らされた等の陰謀論も数々浮上した。
だが本来の真実は、まず東アジア進出そのものが列強の植民地支配からの開放を目指し、アジア全体を一つの共同体にする大東亜共栄圏構想が目的だった。台湾など地域事情によっては植民地政策が採られたが、多くは開放政策だった。それら本来の目的を隠すため大東亜戦争が戦後に太平洋戦争に言い換えられていた。日米開戦はアメリカの資源供給停止や中ロの陰謀によるところが大きく、宣戦布告前の真珠湾攻撃いわゆるリメンバーパールハーバーはアメリカの正当性のためのプロパガンダで、そもそも開戦時の布告のあるなしは国際的に問題視されていないものだった。日本は敗戦したものの、東アジア地域の列強からの植民地解放という当初目的の半分は叶えられた。
このように情報は変遷し、終戦直後にいかに戦勝国の都合による戦後政策で真実が捻じ曲げられていたかを現代日本人は知ることになったのである。

こうした流れの中で、私は日本人である自分を徐々に取り戻していった。それは劇的にというよりいつしか憑き物が落ちたかの様に。
かつて、日本は侵略行為という罪を犯したのだから、その子孫の日本人は世界特に侵略したアジア諸国に謝り続けなければいけない、空襲も沖縄決戦も原爆投下も日本が招いた悲劇。こう思わされていたものが、やがて侵略戦争を行いはしたが日本にはそうする已む無き事情があった、という擁護論へと変わって行き、最終的にはそもそも戦争目的自体に罪が無かったらしいことまでわかってきた。
そうなれば、まず罪の意識から開放され、己の出自を卑下することも呪う事もなくなる。むしろ自分が日本人であることを誇っていいのだとさえ思えるようになる。
もちろん、ただちに誇りを取り戻したというような認識や心情の劇的な変化があったというより、自身が日本人であることを恥じる必要はないのだと、徐々に心を開放していったというほうが近い。

無論現在でも、これらの真実は保守派、右翼の喧伝であって、日本の侵略行為は事実あったのだという主張は未だあります。実際、列強の支配地域において敵軍に協力していた現地人を日本軍が攻撃した例もあり、一部兵士の暴挙や一部部隊の収奪行為も否定は出来ません。戦争である以上、全く残虐な行為が一切無かったなどとも言えません。しかし、戦闘や戦略は視点によっても解釈が変わるものであるし、それは日本に限ったものではなく、戦勝国側も同じです。
だが少なくとも、根本的な戦争理由に恥じる必要がないのなら(実際には戦争の動機はいろんな思惑がからんでいて戦争利権等さまざまな側面がありますが)、敗戦によってそれが貶められたものなら、自らの出自を恥じる必要はなくなる。
かつてはどこか卑屈に日本人ですみません、という心持ちであって、そういう姿勢がいやだから、好きで日本に生まれたわけじゃない、俺は俺だという虚勢を張って自己防衛をしていたものが、やっぱり日本人は悪くなかった、となり、やがては日本に生まれて良かった、とさえ思えるように変わっていく。

やはり人間は自身の生まれを肯定できないと、同胞を故郷を真実愛するということが出来ないのだと今は実感します。生まれを否定していると、出生地も偶々生まれた場所という扱いになるし、同胞に対しても同病相哀れむ同族意識でしかなくなります。
この地に生まれ、この国に生まれ、日本人として生まれてよかった、そう実感出来れば、己が帰属する民族、国家という全体と自分自身の幸福とが乖離せずに一体となる。
この感覚を歴史的事実からわずかながらに取り戻し、私はやがて目覚めてゆくのでした。

保守の目覚め ●戦争映画と反戦映画 に続く

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