18節 沈黙のおきて その6橋下市政の前の市政によると、罪加重と告発の善行があって、差し引き、罪が上回り、告発者の免職となったというが、罪の告白による罪の免責という概念がないのではないかと疑いたくなる言動には耳を傾けざるを得ない(「内部告発者 免職にしません、大阪市河川事務所ネコババ」)。これは、現・橋本市長とまったく同じ見解である。国内では開明的である大阪であっても、このような国民主権・三権分立に合致しない行政の手腕があったことには、驚きである。
仮に何だかわからないが、罪加重があったとしよう。あるいは、告発させまいとする動機にもとづく罪加重であったかもしれない事情も捨象してみよう。残るのは、その罪加重の内容があったらしく、そのためには、告発者の行為を観察していたことの可能性である。その内容があったのなら、その内容が観察されていなければならないからだ。
そうなら、誰が観察していたかという疑問が残る。その動機目的は、この際、捨象しよう。この行いは秘密警察を連想させるものがある。つまり、その行為は似ているということだ。
すると、それら一連の行為を観察していたとすると、――観察していなければ罪加重がそもそもないのだから、その観察は、なければならず――、秘密警察的行政行為によって、誰の判断で処分を行え得たかという手続きが不明なことが、この処分の欠陥ではないだろうか。最終決定は市長であったようだが、処分を行い得た理由が不明であるから、なぜという疑問が残る。
この残った疑問には、常に暗逆する秘密警察の動向が気になるところだ。秘密警察は、本質的に、民主主義政治に反する。
道徳が統制の基本になるべきだという人々がいるが、このようなやり方では、上述のような暗黒の政治行為になるのは明白である。なぜなら、価値感そのものには理由を問えないからだ。したがって、行政ができることは、どのような手続きで行ったかを主権者に開示することが必要になる。その手続きは法もあるだろうし、強い不文律の慣習にしたがったのかもしれないが、価値感自体には原因を問えないのであるから、この手続き開示は必須になる。
道徳による統制を主張する人々は、このような価値に対する判断への考察が欠けているというほかない。もしそうなると、何だか分からないが行為を統制するということになって、暗黒の世界になるのだが、それが分からない。彼らとて、そんなふうになることは望んでいないだろう。というのも、彼ら自身が口頭で主張したり、文書で意思表示するからだ。暗黒を望んでいるなら、「しゃべったり」「書いたり」することを望まないものだ。しかし、主権者の最終判断は、秘密警察によるのではなく、これは守られるべきなのは論を待たない。守られないとき、罪となり、犯罪になる。それらを断罪する者は、だれになるというのだろうか。
秘密を守る義務も、また主権者によって支えられる法であるのはまちがいなく、その通りであろう。暗黒の政治による暗黒度合いは、秘密保持を法律によって規定される度合いとは、質的に異なって、程度の差がまったく異なる。現在は開示できないが、相当期間の経過の後に開示という手法もあるだろう。たとえば、75年後に開示するといったものだ。









