24節 行政権力 その57中国の毛沢東は、学校で行われるテストさえも、その順位が明確にされるから、人間の平等に反し、これを行わせなかったという。では、学校の授業はどんなふうに行われたかというと、生徒の能力差が表れるので、まともに教えることはなされず、生徒は遊んでばかりだったという。
後年、成長期に、勉強しないで、遊んでばかりいたことをくやむ中国人が、こう、吐露している。米国に渡り、米国の教育を受けて、ノーベル賞を受賞した中国人だっている。それを、学校の授業では遊んでばかりで、返すがえすも、もったいなかったというわけである。
今は違うが、以前はこうだったというが、これは異国にできごとで、日本には無関係であろうか。というのも、日本では東大を頂点として、激しい受験勉強を行っていて、学校の授業はあそびの授業どころではないと、いいたくなるかもしれない。では、学校を卒業していからは、どうであろうか。
いや、学業中でもいい。成績優秀により、2-3学年の飛び級があってもいいが、日本にはそれがないのは、どういうことだろうか。
集団ストーカーは、マニュアルを持っていて、それにしたがい、機械的に行われているようだというものは、複数の人がいってるところである。機械的にしているから、実情とあわない市民に対する迫害が生じたりする。
パソコン用の言語習得で、当初、C言語を学習しようとしたが、本を読んでいると、吐き気やめまいをするような感覚におそわれている。そうして、集団ストーカーたる行政のバカ若者が音声送信で、話しかけてきたりしていたから、室内を注視していたのは明白である。そこで、簡易なインタープリタ機能をあわせ持つ言語で開発することになる。
つまり、既得権者を守るために、新規にせまい市場に参入しようと、入って来るものがいると、行政の仕事なしのひま人どもは、排除しようとする。共産主義である。その排除の手段に、電磁波をひとに向けて発射し、まともに読めないようにしたということである。
この危害の動機に、その傍証になるのであるが、ある国産メーカーにソフトの掲載を依頼したところ、電話口でこの担当者はこう言ったのである。
「大手が心血を注いで、開発しているというのに、あなたは数か月で」と、ひとしきり、小ばかにしたのである。この電話口の女性がどうして数か月で作成したことを知っていたか、と疑問に思うところだが、電話になりすまして、この人殺し行政一派の仲間であったかもしれない。
これも、加害のマニュアルにしたがって行われた不当な弾圧の手法であるとすると、毛沢東とどう違うのか。
電話口の女が大手と比較して、一方は心血を注いで、他方は軽く作り上げたというわけであるから、これは人間の平等の観点からも、おかしいというのであろう。他方は多額の金銭を投入しているから、同じように扱うのは人間の平等に反し、共産主義からいって理不尽だと、事実上、叫ぶのである。
そのためには、単に排除しようとすれば、差別になるから、段階を踏ませようとする。簡易言語から入り、高級な言語に移行させようとするようにだ。そうすれば、排除の差別ではなくて、機械的段階を踏むことになるから、その分、差別一色の反感を受けない。直接、危害を加える犯罪人が、「課長の命令だから」といったことがある。その共産主義の課長も、手足となって働く者らに、熱心に活動してもらわねば、課長のメンツがたたず、上に立つものの資格に欠けると非難もされよう。これがマニュアル化されていれば、被害者のみんなに、全員、同じように、それこそ平等に加害するから、なおのこと、1つの筋が通った意味ある活動と錯覚する。
集団ストーカーとは、このように、原始的共産主義に洗脳され、既得権者保護に触発された集まりである。どこが、自由な活動を保障する憲法が正確に履行されているというのか。
思えば、わずか70年前までは自由がなかった国であった。それも、外来から与えられた自由である。愚かな犯罪人がこのように、隠れて、ばっこしていて不思議ではない。
私は、姿を隠して室内を盗聴し、電磁波を発射し、危害を加えている犯罪人に、「名前を名乗れ」とたえず、言い続けているが、この加害者らは正々堂々、集団ストーカーとはなにものであるかを国民の前に明らかにすることから始めるべきであって、それが日本の現憲法を守るさきがけとなるのだ。日本の公務員の順法はこの程度なのかもしれないが、ひまな公務員をただ飯食らいといわれず、いくらかでもひと様の役に立つよう生かせ。





