公安警察解散させる会

戦前から一貫して公安警察(旧特高)の国民に対する姿勢は変わっていない。 残虐非道、政治思想のないアナーキー集団。住民統制の実際を暴き、その多くの被害者の被害を報告し、もって、現憲法の実現を図るために、公安警察の解散を追及して行くものである。

1147回 第3章 領収書偽造は犯罪

8bfd2436.jpg18節 沈黙のおきて その6

橋下市政の前の市政によると、罪加重と告発の善行があって、差し引き、罪が上回り、告発者の免職となったというが、罪の告白による罪の免責という概念がないのではないかと疑いたくなる言動には耳を傾けざるを得ない(「内部告発者 免職にしません、大阪市河川事務所ネコババ」)。これは、現・橋本市長とまったく同じ見解である。国内では開明的である大阪であっても、このような国民主権・三権分立に合致しない行政の手腕があったことには、驚きである。
 仮に何だかわからないが、罪加重があったとしよう。あるいは、告発させまいとする動機にもとづく罪加重であったかもしれない事情も捨象してみよう。残るのは、その罪加重の内容があったらしく、そのためには、告発者の行為を観察していたことの可能性である。その内容があったのなら、その内容が観察されていなければならないからだ。
そうなら、誰が観察していたかという疑問が残る。その動機目的は、この際、捨象しよう。この行いは秘密警察を連想させるものがある。つまり、その行為は似ているということだ。
 すると、それら一連の行為を観察していたとすると、――観察していなければ罪加重がそもそもないのだから、その観察は、なければならず――、秘密警察的行政行為によって、誰の判断で処分を行え得たかという手続きが不明なことが、この処分の欠陥ではないだろうか。最終決定は市長であったようだが、処分を行い得た理由が不明であるから、なぜという疑問が残る。
 この残った疑問には、常に暗逆する秘密警察の動向が気になるところだ。秘密警察は、本質的に、民主主義政治に反する。
 道徳が統制の基本になるべきだという人々がいるが、このようなやり方では、上述のような暗黒の政治行為になるのは明白である。なぜなら、価値感そのものには理由を問えないからだ。したがって、行政ができることは、どのような手続きで行ったかを主権者に開示することが必要になる。その手続きは法もあるだろうし、強い不文律の慣習にしたがったのかもしれないが、価値感自体には原因を問えないのであるから、この手続き開示は必須になる。

 道徳による統制を主張する人々は、このような価値に対する判断への考察が欠けているというほかない。もしそうなると、何だか分からないが行為を統制するということになって、暗黒の世界になるのだが、それが分からない。彼らとて、そんなふうになることは望んでいないだろう。というのも、彼ら自身が口頭で主張したり、文書で意思表示するからだ。暗黒を望んでいるなら、「しゃべったり」「書いたり」することを望まないものだ。しかし、主権者の最終判断は、秘密警察によるのではなく、これは守られるべきなのは論を待たない。守られないとき、罪となり、犯罪になる。それらを断罪する者は、だれになるというのだろうか。

秘密を守る義務も、また主権者によって支えられる法であるのはまちがいなく、その通りであろう。暗黒の政治による暗黒度合いは、秘密保持を法律によって規定される度合いとは、質的に異なって、程度の差がまったく異なる。現在は開示できないが、相当期間の経過の後に開示という手法もあるだろう。たとえば、75年後に開示するといったものだ。

1146回 第3章 領収書偽造は犯罪

6e27ada5.jpg18節 沈黙のおきて その5

  司法には、靖国問題があるようだ。上記の無名人(参照:1142回)の国家宗教観とこの問題の関係については不明であるが、私の室内を盗聴している公安警察らがこの稿作成で、ざわついていた。
仮に関係があるとすると稚拙というほかない。特定宗教で洗脳すると政治腐敗がなくなるらしいことを主張しているが、他にも、その特定宗教に教説があるのか。ボンヤリとした自然信仰ではないか。このような基本的疑問から、わが国を再度、サ*の国にしようという匂いがある。

  司法は価値問題に不明のようだ。裁判所は価値の問題を扱うべきでなく、それでは宗教裁判になるからだ。この点で事実の把握と勇気に欠けることは、多くの被害者がいってることと一である。たとえば、相続物件で家庭裁判所で、分割協議が成立しているにも関わらず、訴訟代理人(菅原一郎)は、被相続人から相続したものだという明白な虚偽を裁判所に申立て、驚くべきことに、それがそのまま通るという事実がある(盛岡地方裁判所平成12(ワ)47号事件、裁判官・細島秀勝)。こうしたことだ。得体の知れない者らが関与しているが、弁護士などにはそうしたことを周知している者もいるようだが(それが本稿主要テーマである)、口を割らない。殺害もあるからだろう。

  西洋哲学では、価値の独特な問題は既知といえる。西洋から多くを学ぶべきである。靖国問題では、外国のコメントに、日本は成熟した国だからなどというものがあるが(Wikipedea)、お笑いだ。外見は西欧制度をマネた、あい変らずの封建社会であり、異文化を理解するだけのアタマも、そのつもりもないといえる。

1145回 第3章 領収書偽造は犯罪

cbf9cf91.jpg18節 沈黙のおきて その4

続いて、人は、このように無数の言語想起を抑圧しているから、社会から抑圧されているが、宗教がこの抑圧を解放するというのである。この抑圧とは無数の言語想起の抑圧からの解放なそうだ。
 もしそうなら小学生でも、机の上にあるリンゴを差し出されたら、直ちに、
       「これはリンゴだ」
といえるのはなぜか、疑問が想起する。
なぜなら、彼によると、目の前のリンゴから無数の言語を想起するというからだ。ただ、たまたま社会的に抑圧されているから、リンゴというだけにすぎないと言ってるようである。しかしながら、人が無数の言語をこのとき、想起するなら、たとえば、
   「これはミカンではなく、パイナップルではなく、鉛筆ではなく、昨日見たリンゴとは違うし、4月1日に食べたリンゴではなく・・・・」
と、無数の言語を想起するなら、無数の言語に対しその想起は必然的に、無限の時間を必要とすることになる。
ところが、目の前のリンゴから、即座に、
「リンゴだ」
と、小学生が発話したとき、なぜ可能なのだろうか。無数の言語の想起があるなら、それに対応して無限の時間がかかるはずである。
 実は、人の思考は、言語以前に情念(直感)が想起されることが観察されているそうだ。つまり言語で思考するから、思考は言語によってのみ可能と錯覚してしまいがちだが、その言語が想起される前に情念(直感)がわき上がっているそうだ。そうでなければ、なぜ小学生が直ちに
     「これはリンゴだ」
と発話できたか説明できなくなるだろう。

ところで、人はいくつの言語を記憶しているかといった観察もある。記憶では、約1万語であったかと思う。ちなみに、ゴリラは20語である。無限の言語の組み合わせが可能という説もあるかもしれないが、無限の組み合わせについてのその各要素は、無限であるためには、やはり無限である必要である。14個の各要素の順列組み合わせの数は膨大であるが、やはり有限個である。
 また、もし無限の言語を想起しているなら、いつまで経っても、その小学生は、
「リンゴだ」
と言えず、いつまでも置かれた机の前で、立ち尽くす以外にない。
「なぜ呆然としているのですか。これは何か、分からないのですか」
と問いたくなるだろう。
むしろこの場合、無限の言語がアタマを想起しているなら、医者の問題になってしまうだろう。

1144回 第3章 領収書偽造は犯罪

331653bb.jpg18節 沈黙のおきて その3

前回、一党体制の国の特徴は、わが国と無縁といえない旨論じたが(参照:1142回)、言及した論説(「オウム真理教の犯罪実行犯、逮捕の影で」(無名人による記事)には、さらに宗教へのタブーが政治腐敗を増大させたと受け取られる主張がある。その結果、国家が宗教的であるべきとか、宗教に関与すべきという戦前のあり方に賛同かの論説になっている。この論は、さかんに「マジメであれ」と、行政官から道徳家に変容する公安警察と一線にある。
「第二次世界大戦中、日本が戦争を実行するに際し、神道という特定の宗教団体が国家と一体化し、全国民を導いて行った。その事実への深刻な反省から、第二次世界大戦後には、政治と宗教を2分し、宗教は国家に関わらず、国家は宗教に介入しない、という宗教のタブー視が形成された」という。
これからすると、戦前は特定宗教が国家規模であったので、その悪影響から戦後、私人法人化の組織に限定されたと言い換えられるが、そうなら、影響の弱小化である。だから、戦前よりも、この説の趣旨からいって、悪影響を排除しようとするのだから、国家と一体であってはならないと結論されなければならないところが、彼は、宗教へのタブー視がかえって政治腐敗を生んだから、国家が宗教に関与するべきだと、理解できない展開を唱える。 政治腐敗は一義的に政治の問題であって、宗教の問題とすべき論理的な一貫性とでもいえる整合性がない。彼は無条件に、根拠なく、宗教の問題とするのである。

まず、彼がいう政治腐敗とは、(1)「財界人・大企業・政治家達が創価学会に対し、財産を預け、宗教法人財産と化すことによって、非課税と化し、脱税し」、(2)「その見返りに、創価学会の巨大な集会所の建設に際し、土地の紹介・アッセン、建設工事費用の低廉化、寄付の供与」、(3)「公明党議員と自民党議員との協力関係の育成等、便宜を提供してきた」ことを示している。
そうして、「自公政権とは、宗教タブーを利用し、財界の脱税マネーによって成立した政治権力の形態」と指摘しながら、突然と、「宗教と政治は2分すべきという日本の国是は、本当に是なのであろうか」と、根拠なく、宗教の問題とすべきだとして、政治・宗教の密接不可分を提唱するに至る。この場合の宗教は、具体的な特定宗教を示しているのは明らかである。つまり、自公政権は財界の脱税マネーによって成立しているから、国家が具体的特定宗教に関わるべきだと、理解できない論旨になる。それというのも、具体的特定宗教で、国家が国民を洗脳すれば、政治腐敗は改善されるという趣旨のようだからである。
しかし後述のように、あるいは被害者の会(参照:1077回、1080回。法に頼るのではなく、人の道に拠れといった宗教観念で、行動規制を全面に提唱する。それというのも、裁判所での陳述であるから、その言は重いというほかない)のように、国家を宗教的に統制しようとする原始的欲求は、現在でもわが国で見受けられ、決してめずらしくなく、法治国家を否定しているのである。国家統制の基本に一致した見解がないという致命的欠陥がある。
これは現憲法の理念との整合性であるが、この点で、西欧文化との亀裂すら感知させるものがある。
彼には、他にも、論理的一貫性の欠如あるいは整合性の欠落の性癖が認められ、国家は暴力で統制されていると言いたいがために、
「私はリンゴが好きなので、樹からリンゴを取って食べます」
と、いかなる関連があるか、読者に目を疑いたくなる論説を展開する。

「自公政権とは、宗教タブーを利用し、財界の脱税マネーによって成立した」という下りでは、宗教によってこの政治腐敗を解決しようとするのではなくて、選挙権は自然人に与えられ、企業には選挙権がないといった基本を理解すべきである。したがって、政党が企業献金を受ける意味合いはなくなる。
日常、われわれでも、見知らぬ得体の知れない人物や団体から、
「お金を上げる」
といわれたら、薄気味悪くなるものだ。
これと同じで、薄気味悪いことは行わず、政治腐敗を誘発しやすいそのような行為は、そのために禁じる法案があってよいだろう。つまり、上述の彼がいう政治腐敗を、企業献金禁止という法律で制定すればよいのではないか。
 なぜ国家が国民を特定宗教で洗脳すれば、政治腐敗がなくなるのか、その理由がまったく明らかになっていない。彼の自説は、社会・国家統制は暴力であった。そうであるなら、暴力で統制すべしという帰結になるのだが、ここにおいて唐突に、それと反する宗教解決が登場するに至っては、論旨の理解に困難を来たすというほかないのである。
彼はこれを補強するために、目の前のリンゴを見て、人は無数の言語を想起し、その中からリンゴという言語を特定するから、
「これはリンゴだ」
と発話できるという。

1143回 第3章 領収書偽造は犯罪

d27ed21e.jpg18節 沈黙のおきて その2

 行政が政治介入するには、論理的つじつまが合わないことは指摘して十分、意味ある。
  行政は国民に対し直接、作用を及ぼすが、その作用は規則にしたがったものでなければならないのは、論を待たない。この規則とは法律である。ところが、政治は人のさまざまな思いで社会統制される思念からでき上がっており、いわば、行動とは理性などに触発され、その契機は何であってもよいわけだが、最終的に人の情念で動かされる。つまり、価値によって、決せられると言い換えられる。この点で、行政と政治は、本質的に異なる。
  ところが、わが国では周知のとおり、官僚がほとんど全部、法案を作成し、行政と政治支配を行い、また少なくとも最近まで、閣僚に行政出身者が入り込んだりと、三権分立の不明瞭さがあり、本来的に、封建社会に似た側面を指摘することは重要だ。いわば、規則に従った行動をするという理性的側面と、情念に動かされる(政治)行動の2方向を抑えようとするもので、こうなると、人の全部を手に入れ、支配しようとするものであり、厚かましいというほかない。
  欧米の制度をうわべだけ、ただ単にサルまねしているからこうなるのだろう。制度の背景には思想がある。この思想をもっと学ぶべきだ。なぜそのような制度ができ上がったのか、理由を探るべきである。

1142回 第3章 領収書偽造は犯罪

586683a8.jpg18節 沈黙のおきて その1

さまざまなタブーがある。
 大阪市交通労組が平松前市長を大規模選挙支援(産経新聞インターネット記事、2012/02/06)というので、大阪市長・橋下氏が、地方公務員法は選挙で職員による署名活動の積極的関与を禁止するなど、政治的行為の制限への抵触・懸念を表明している。
もともと、公務員の政治活動は制限されるべきというのは、戦後、米国GHQが提唱したという。ということは、戦前まではこうした公務員の政治活動は制約がなかったことを示している。しかし、歴史をさかのぼり、現在の行政府が天下人であったことを知る必要はあるだろう。こうした暗黒の歴史は世界的なもので、封建社会というものはそうであった。
      「GHQが去ったあとは、もともの木阿弥だ」(高級公安警察)
いくら改革しても改革者が去ったら、旧支配体制がのし上がるというわけだ。ここまでナメられ、なお、ガマンすべきだろうか。
  公安警察は自らの組織維持のために活動するというのは、すでにインターネット情報では常識であり、実際、所轄署内で現職警官からそのようなことを面談の上、聞かされてもいる。たかだか、65年前まで天下人であった集団が、現在も、自組織維持のために活動しているとはどういうことであろうか。
  公務員の政治活動制限の根拠からすると、彼らは主権者の代弁者でなければならないことは論理的帰結である。つまり、政治活動制限されるべき根拠は、明らかに三権分立に抵触するからであり、天下人は国民にとって替わられ、行政人ではなくなったからだ。これが民主主義というものだろうが、いまだ、この国では行政の横暴が公然としているのは上記の記事からも一目瞭然である。橋下氏は支持されるべきというほかない。
  公務員採用では無試験採用があったり、あっても、形骸化し、縁故関係であったりする。公務員の系譜が、みごとに、そろっているといわれる由縁だ。
税で食えるというのは、特別なものだ。
  以上からすると、次のような政治の一党体制の国の特徴は、必ずしもわが国と無縁とは思えなくなる。「共産主義思想を信奉し、共産党への絶対的忠誠を若者に誓ってほしい。若者が共産党への忠誠を誓えば、自分達=共産党国家官僚の権力・勢力は絶対的に安定し、やがて政権を奪取し、日本国家を支配し、党組織内部での共産党幹部達の権力支配は日本社会全体に及ぶ」(「オウム真理教の犯罪実行犯、逮捕の影で」(無名人による記事。ベンジャミン・フルフォード掲載)
  この中の共産主義の部分を、公安警察ないし行政と言い換えると、わが国の政治状況が分かるというものだ

1141回 第3章 領収書偽造は犯罪

497e3ffb.jpg18節 日本人の支配 その56

 司法に関わる公安警察には、価値に対する考察が、前述からいっても欠けているようだ。「大した問題ではない」といって、ささいなことにこだわるなという道徳心で、法律上の問題を決しようとする(東京地方裁判所平成21年(ワ)14701号事件、裁判官篠田賢治)。こんなことなら、小学優等生でもいえることだ。成人した大人の知恵をみせてほしいものである。
 道徳で国家を支えているのではないのが、彼らには分からない。ところで、評論家にも、戦前は国家が道徳で民衆を規制したので、まるでよかったとでも言うような人がいるが、それでは卑弥呼の時代と変わらないことも、これまで見た来たとおりである。ここでも、価値に対する考察が欠けていることを如実に物語る。
 価値に対する考察が欠けているのだから、実証についても欠けていることになり、このために、事実判断でいささかゆがみがあることが予想される。つまり、価値と事実判断の判然としない混同である。彼らは現実世界を主観的なものと混同して見ているかのようである。
 これを少し違った視点から見ると、「住民の生活に直接間接に重大な関わりをする公務員がおり、日本国籍者住民の上位にある」(参照:1126回)という表現にあり、ここでも価値混同の問題からすると、「日本国籍者住民の上位にある」という存在表現の中にある。
 わが国は身分制度を廃止し、四民平等になったが(しかし天皇制にまつわる問題では解決していない。だが公式には、四民平等といわなければならないだろう)、いまだにこのような身分差別の視点が厳然と司法判決の中にもあるとおりで、これも思うに、実際には、人間の現実世界の認識方法に欠陥があるからといえる。これは抜き差しならないものだ。そう簡単に改善できないだろう。
 公安警察らに電磁波攻撃されていると、なぜこのようなことをするのか基本的な疑問が湧き上がるものだが、このような抜き差しならない根本的な欠陥がはっきりと内在しているからだ。もちろん、いろんな思いで、電磁波攻撃する場合があるだろうが、上述の視点からすれば、現実認識への欠陥を露呈しているかのようである。

1140回 第3章 領収書偽造は犯罪

bb6237f0.jpg18節 日本人の支配 その55

 優越思想もまた自己矛盾に陥る。
 実際、だれが他に優越しているか観察すると、同じ遺伝子媒体を経由しても、実のところは、同じ兄弟でも、身長や顔相に相違があるように、何が遺伝するかは偶然が支配することが示されている(ジャック・モノー(1910-1976年)「偶然と必然」)。したがって、誰が優越するかは、一見すると、劣等に見える人々の中から優越する能力者が誕生することはあり得ることで、昨日、敗者であったところから勝者が生まれることもあるということになる。
 すると、公安警察は、エリート主義から優越する者による政治を行おうとすると、政治の不安定をまねくことになる。誰が優越するか、分かったものではないからだ。ところが、支配層や富裕層というものは、元来、その得た地位からいっても、保守的になるのは洋の東西を問わない傾向だ。それでは、差別主義になるのだろうか。おそらくは、そうした者らが支配的であり続けようとするなら、そうならざるを得ないだろう。そこで、電磁波攻撃が登場することになる。政治的には大いな意味がある装置となる。

1139回 第3章 領収書偽造は犯罪

bbeb2c79.jpg18節 日本人の支配 その54

 前述の「大した問題ではない」の件には、2つの要素があった。1つは、規則にしたがった判断ではなく、そして明らかに、これは価値判断であった。もし、という仮定も必要ではないが、行政官がこのような価値判断を職務上で行った場合、職務違反ばかりでなく、一つの罪であろう。現行の公安警察である行政官が民衆に対し、価値判断で断罪する行為を行っている。
 電磁波攻撃はその派生の典型的事例といえる。すると、彼らは上述のように、彼らの掟である罪の意識から、自分自身までも拘束されることになって、価値判断という職務逸脱行為は彼ら自身の掟に反するゆえに、行えないことになる。そういった矛盾がある。
 この矛盾を看過して、平然と価値判断を行う行為をする人間を「遅れている」と非難すべきなのは、至極当然である。罪である。そこで、彼らは電磁波攻撃を民衆に向けたその装置をひるがえし、自分にも照射しなければならない。
 法治国家とは、法律という規則で統制するものであるなら、公安警察はこれに正面から反し、また三権分立という権力の分散に対しても対立し、自分らが裁判員・裁判官、執行官に同時になっている。
 いまだ民主主義から遠い。このようなことを行っている背景には自分らを、断罪できるエリートという思い上がりがあって、民主主義思想を愚弄しているとしか考えられないのである。優越思想というのがある。だか、遠大な行為を行う彼らは、何をもって、現在この職務に就くことができたか、電磁波等被害者には関心があるところだ。

1138回 第3章 領収書偽造は犯罪

a5759589.jpg18節 日本人の支配 その54

ところで、少し目先を変えると、西欧の自由民主社会と比べ、東洋政治の特徴は専制国家にあると指摘した人がいます。まさにわが意を得たりであって、「大した問題ではない」といった公務員世界の視点から、民間社会を含む社会全体まで判断する誤りの根幹には、このような専制政治世界の視点の中にあるはずです。
なぜ自分たちは特殊という視点が見えないのでしょうか。説明できない点にまで来ると、そこに、本質的なものが潜んでいるようです。わが国は敗戦で、好むと好まざるとに関わらず、自由主義社会になった。彼ら公安警察は、この自由主義社会をまったく理解できていないかのようです。だからこそ憲法違反、人権侵害という概念が表出して来ます。
前述の「大した問題ではない」の件には、2つの要素があります。1つは、規則にしたがった判断ではなく、裁判所であるなら、この場合の規則は法律になるでしょう。2つめは、明らかに、これは価値判断ということです。
「マジメであれ」
などという価値判断を取り扱える人々としては、神父、牧師などの道徳家、学校の教師などの教育家を上げることができますが、公安警察は入らないことは自明です。彼らも法律という規則で動かされるはずですが、上記のような価値判断を取り扱うことで、致命的欠陥を表すことになります。
 数百年後にこの国を描いた映画があるなら、観客は、遅れた国だったと見るかもしれません。価値判断が規則になったら、この場合の価値判断のはんちゅうに入らないわけですが、価値判断そのものは大変にむずかしいもので、客観性を持っていないといった特徴がご存知のように、ありますね。しかしそれでも、われわれ人間生活には大変に重要な要素のものであることも確かです。
 この点を職務で取り違えているのではないか。もしそのようなことが起こるなら、宗教国家になることは明らかで、卑弥呼の時代になってしまいます。人間は根本的なところで数千年の間、大して変わっていないとすれば、この仮定は成り立つでしょうが、だからといって、現代に生きるわれわれが、それで、満足するわけには行きません。
 専制国家とは、この価値判断までも支配しているからこそ、専制足りえるのではないでしょうか。だとすれば、公安警察とは、まさに専制国家の隠れた先兵隊として機能しているわけで、憲法違反の存在であることは明らかです。少なくとも、反民主主義であろうとしないなら、またそれを受け入れるなら、だれが彼らの行為を発案し、現在、どのような、また、誰による指揮命令形態であるかを国民に公表すべきです。
 銀行預金の残高を改ざんしたり、不法住居侵入によって現金を盗んだり、実印を盗み、民事訴訟の事実上の勝訴者を殺害しようとしたり、身体に重大な影響を加える電磁波攻撃、身体に重症を負わせたり、その証人を殺害している。こんなことが許されるのかという前に、その命令の指揮形態と各責任者が国民の前に明示されなければならない。
 この国が2000年前と違うというなら、その違いを見せてほしいものです。個人的義憤を書くことになってしまいましたが、価値判断と行政行為の混同が見られる遅れた支配構造が、公務員がピラミッドのトップに位置して人民を支配しているわけですが、そうした構造が隠れていて、表立って見ることはできませんが、今も続いている国であるのは間違いありません。
 なぜでしょうか。彼らに価値判断の客観性や、それにまつわる困難な問題を提示しても、おそらくは返答を得るのはむずかしいでしょう。それにも関わらず、なぜ、公然と価値判断を口にするのでしょうか。そこで、これが彼らについての説明できる限界点とすれば、そこに彼らの根本的性質、本質が隠れているのではないか。価値判断と判断一般の密接不可分性、彼らが根本的に持っているところの性質から、人間が遅れているだけのことだというのは簡単ですが、殺害されたもの、生活破壊されたものはどう取り繕えばよいというのか、返答がほしいものです。何もいえない、ただ命令にしたがったまでのことだというなら、その指揮命令の形態と各命令者の氏名を公表すべきですね。彼らはいつまで隠れているつもりでしょうか。
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