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 10月25日〜26日今治で昭和26年今治工業高校、工業化学科卒のクラス会を行った。

 私達は終戦当時が旧制中学の1年生であった。今治は戦災で丸焼けになったこと、終戦の混乱などで、入学当時は40人ほどいた級友も旧制中学で卒業をしたり他の高校に転校したので高校を卒業したのは、僅か23人であった。私の家も焼けて経済的にも大変な中を高校に行かせて貰ったことに対して両親に非常に感謝している。

 23人中6人(井手、片上、大塚、田中、小沢、藤原)が亡くなっている。2年前のクラス会に、皆に会いたいが病気療養中であると幹事の私に丁重に手紙をくれた藤原の倫兄もなくなってしまった。今回集まったのは10人であった。2年前は15人であったが年を経るごとに病気などで少なくなった。

 今回は母校を訪問する予定であった。藤岡校長が丁重に迎えてくれ、しばし校長室で昔の話に花が咲いた。校内を一巡したが、昔を偲ぶよすがとなるものは何もなかった。ここらにテニスコートがあった。とっさんが何時もラケットを振り回していたと誰かが言ってくれた。昔は3科(機械、工業化学、紡織)しかなかったが今は8科(電子機械、情報技術、デザイン、環境化学など)あり女性も120人いるそうである。立派な校舎が林立し木造などは何処にもなかった。

 今工を後にしてタオル会館を案内してくれた。級友の中にはタオル会社の社長をして一時は羽振りも良かった人もいて、タオルの製造工程を説明してくれた。コンピューターでどんな模様も簡単にできるそうである。しかし今はタオルも不景気になってしまったとのことである。

 タオル会館をあとにして国民休暇村、瀬戸内東予に行く。皆で再会と健康を祝して杯を重ねた。といっても皆たくさんは飲めなくなってしまっている。しかし何といっても来島海峡の魚は美味かった。話題は昔の懐かしいこと、病気のこと欠席の友のことなどロビーで話を続けていたら消灯をしますと追い出された。布団が立派過ぎて暑くて眠れにくかった。夜中に雷雨があったそうであるが、私は知らなかった所を見るとよく寝ていたようである。