2006年10月23日
『阿呆船』『奴婢君』
『寺山修司幻想劇集』
『阿呆船』と『奴婢訓』を読了しました。
さすが寺山修司。最高でした。
天井桟敷観てみたかったですね。どれだけ過激で素敵で、グロくて、エロくて、飛んでたか、同じ空気と時間を共有してみたかったものです。
『阿呆船』は言わずもがなフーコーの『狂気の歴史』を踏襲していますね。新潮の翻訳本にはボッシュの『阿呆船』の挿絵がカラーでついています。
12世紀には阿呆=狂人が聖人に近い存在だと考えられていたそうです。共同体の周縁の存在である狂人たち。彼らは人間でありながら人々の生活になじめない。そんな彼らを乗せて聖地へ巡礼に向かったのが『阿呆船』です。彼らは言語を超えた存在として、より神に近しいと考えられたのです。
日本でも、周縁に近い存在は神に近いと考えられていました。たとえば、中世後期に多く見られるようになった琵琶法師。彼らはみな盲人です。盲人は健常者と同じ生活を送ることが当時できませんでした。その代わりに、一種の霊能力を持ち、闇と繋がっていると考えられたのです。それゆえ、平家鎮魂のために編まれた『平家物語』は彼らの口寄せによって伝えられたのです。
フーコーは狂気が誕生したのは近代以後だといいます。それは、ペストや癩病の隔離施設が生まれたことによって生まれます。
『阿呆船』では現代人である眠り男が12世紀の『阿呆船』へと夢の中で引きずりこまれます。彼の目には悪夢、狂気として世界は映りますが、当の狂人達はお祭り騒ぎです。
「何が阿呆見物だ! てめえの阿呆にも気づかず!」
貴婦人相手に影男がけりを入れるシーン。非常に象徴的です。
結局夢も現も判別ができなくなってしまう眠り男。無茶苦茶な話ですが、それを真か偽かと判断使用とした時点で観ている人は負けです。阿呆船の乗客たちは二項対立で語れない言葉の担い手ですから。
『奴婢訓』は登場人物が全て宮沢賢人の童話のキャラクター名です。オッベル、ゴーシュ、よだか、カンパネルラ、ブスコーブドリ、かま猫、ダリアなどなど、賢治ファンにはピンと来る名前が目白押しです。
しかし、内容はエログロ。賢治ファンは泣いて喜ぶか、怒り狂うか、トイレで吐くかのいずれかでしょう。ゴーシュが折檻を受けて身もだえするなど、素敵なエピソードがたんまり出てきます。
宮沢賢治が絶対に書けなかったイーハトーブを寺山は人間のぬるぬるとした夜の世界として描ききっています。慾にまみれて、怠惰で、匂い立つようなイーハトーブ。アンバランスさがたまらない作品です。
「主人のいない家を持つことは不幸だ。しかし、家が主人を必要とすることはもっと不幸だ」
主人がいない=統治者がいない世界は無であり、混沌。しかし、世界が統治者を必要とすることは、人間ひとりひとりの価値観を無いものとする不幸なこと。『奴婢訓』ではそのような今日的な悲劇を描いています。
宮沢賢治のキャラクターは没個性的で空虚な印象をしめじは受けます。その宗教的道徳に彩られたイーハトーブを寺山は斜めからみていたのではないでしょうか?
これから『レミング』を読んでいます。さわりだけ読むと安部公房の『闖入者』や『魔法のチョーク』それから『夢の逃亡』なんかを髣髴させますね。メチャクチャ面白そう。
いずれは寺山修司のような世界観の作品も手がけたいものですね。みんなが憧れる道なんでしょうが(^^;)
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コメント一欄
1. Posted by ワンピースチェッカー 2011年05月02日 12:20
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2. Posted by url 2012年07月12日 23:46
なるほど・・