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スイスで見た金与正氏の横顔

澤田克己 (毎日新聞記者、前ソウル支局長) 

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「北朝鮮では餓死者が出ているというニュースを見ていたので、そんな国から来たという子がぽっちゃりしていたのを不思議に思った」

 北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)委員長の妹、与正(ヨジョン)氏が1990年代後半に留学したスイスの公立小学校を訪れた時、当時を知る女性教師から聞いた言葉だ。

 毎日新聞ジュネーブ特派員だった私が金正恩氏の情報を探っていた2009年6月のことだった。

 韓国・聯合ニュースが同年1月に「金正日総書記の後継者は三男の金正恩氏に決まった」と報じ、正恩氏への関心が一気に高まっていた時期だ。

 今回は、兄の特使として訪韓し、文在寅大統領に北朝鮮を訪問するよう要請したことで注目された与正氏について紹介しよう。

 最初に告白しておくと、与正氏のスイス生活について多少なりとも取材できた記者はほとんどいないと思われるものの、私の取材も突っ込んだ内容のものではなかった。今になって悔やまれるのだが、与正氏には大きな関心を持っていなかったからだ。正恩氏の足跡を探る途中で与正氏の話にぶつかったから取材したけれど、正恩氏に関する情報を先に見つけていたら妹の留学など調べもしなかったような気がする。それでも、少しは調べたので書いてみようということである。

 冒頭で紹介した女性教師の言葉通り、当時の北朝鮮は「苦難の行軍」と呼ばれる最悪の食料危機に見舞われていた。日本や韓国で流布した「300万人餓死説」はさすがに誇張された数字ではないかと指摘されるものの、国連が支援した国勢調査の解析でもこの時期に数十万人の餓死者が出たと推定されている(『新版 北朝鮮入門』104頁のコラム『「300万人餓死説」は本当か』参照)。

 私はこの時の取材で小学生時代の与正氏の写真を見たが、接写を許可してもらえなかった。

 その後、聯合ニュースが入手して配信したようで、韓国メディアのサイトでは現在も当時の写真を見ることができる

(たとえば2014年12月6日のソウル新聞(電子版)の記事
 http://www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20141206500027
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 私が見たのはもう少し幼い時期の写真だったが、まさにこの少女である。写真を見れば、女性教師の言葉も納得できるだろう。

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     つづく

ソース: http://wedge.ismedia.jp/articles/-/11933

管理人注 : 日本未発表の写真沢山 ↓  

http://eye.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20180209500083&sectionPage=&photoIDx=1

 一例

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兄2人と一緒だった留学時代

 与正氏が留学したのはスイスの首都ベルンのLiebefeldという地区にある公立小学校(Liebefeld Hessgut)だ。富裕層の住む地域というわけではない普通の住宅街で、北朝鮮大使館から直線で4キロほど離れている。

 私が入手した小学校の学籍記録によると、「チョン・スン(Chong Sun)」という偽名を使っていた与正氏が編入したのは1996年4月23日。まず外国人向けのドイツ語補習クラスに入り、翌97年8月に小学3年の正規クラスに入った。在籍記録が残っているのは2000年7月までだが、消息筋によると、小学6年生在学中の2000年末ごろに退学して帰国した。

 与正氏の誕生日には諸説あるが、学籍記録では88年1月1日生まれ。金正日総書記の料理人として一家と親交があった藤本健二氏は、1987年9月26日生まれだと著書に記している。

 長兄の正哲(ジョンチョル)氏は1993年から98年まで、「パク・チョル(Pak Chol)」という偽名でベルン・インターナショナルスクールに通った。

 正恩氏は「パク・ウン(Pak Un)」という偽名を使い、兄と同じインターナショナルスクールに96年夏に入ったものの、数カ月で退学。その後は妹の通う公立小のドイツ語補習クラスに1年ほど在籍してから、隣接する公立中学校(Liebefeld Steinhölzli Oberstufe)に編入した。中学校の学籍記録によると、正恩氏は98年8月10日に7年生として入学した。退学時期は書類に記録されていないが、担任教師の記憶では2000年12月に「帰国する」と告げて学校に来なくなったという。

 兄弟の留学時期を整理してみると、正哲氏が93〜98年、正恩氏が96年夏〜00年末、与正氏が96年4月〜00年末ということになる。

 正哲氏がLiebefeldのマンションに住んでいたことは、日本のテレビ番組制作会社「ジン・ネット」による2005年の取材で明らかになっていた。そして、私が入手した公立中の記録にあった正恩氏の住所地を訪ねると、そこは正哲氏の住んでいたとされるマンションだった。与正氏の記録は入手できていないのだが、兄2人が同じ時期に、同じマンションに住んでいたのなら、妹も一緒だったと考えてよいだろう。公立小・公立中からは徒歩数分という距離である。

「周囲が異常に神経を使っていた」

 富裕層の住む地域ではないといえ、兄弟が住んだマンションは比較的新しい低層(3階建て)の高級マンションだ。エレベーターの両脇に各階1戸ずつ住戸があり、エレベーターの手前にロックのかかるエントランスがある。そうした構造が続く横長の建物だった。

 北朝鮮は当時、マンションの一番端に位置するエレベーターを使う6戸(各階2戸で3階分)を買い占めた。ロック付きエントランスの内側全体を占有することで、一つの豪邸としたのだ。

 正恩氏の親友だったジョアオ・ミカエロさんは私の取材に、「(6戸のうち)一つがウン専用だったけど、彼は、他の部屋もよく使っていた。1階の部屋にはサウナがあって、一緒に入ったこともある」と話した。世話役の大人がいつもいたが、よく入れ替わったので、いったい何人いたのか見当がつかなかったという。

 当然ながら、こうした特別待遇を受けていたのは与正氏も同じである。学校関係者によると、与正氏の入学手続きは北朝鮮大使館が行った。兄2人と同じように「北朝鮮大使館員の娘」として登録されたものの、学校への送迎は複数の女性が交代で担当した。当時在籍していた教師は「周囲が異常に神経を使っていて、ちょっと腹をこわしたらすぐに病院へ連れて行くような過保護の状態だった」と話した。

「独裁者の子供でも自由にさせるスイス流」

 中立国スイスは、どんな国の人間でも受け入れる。スイス外務省高官は当時の取材に「入国拒否されるのは国際テロ組織、アルカイダのメンバーくらいだ」と話した。今ならばイスラム国(IS)も対象になるだろうが、その程度ということだ。まして子供が勉強のために来るというなら問題になどされない。ジュネーブに駐在する外国情報機関関係者は「たとえ独裁者の子供でも、本人が問題を起こさない限りは自由にさせるのがスイス流。情報機関も、所在確認程度しかしないようだ」と話す。

 それでも正恩氏や与正氏のように公立学校への留学というのは珍しい。スイスの寄宿制学校などで作る私立学校協会「スイス・ラーニング」のクリバーズ理事長は当時の取材に「外国指導者の子供が公立校に通ったなんて聞いたことがない」と首をひねっていた。

 正恩氏の留学時代を知る人々の証言では、少なくとも学校内では周囲から特別扱いされるようなことはなかった。ぜいたくな生活ぶりを驚かれることはあっても、友人たちとは普通の付き合いをしていたという。与正氏にしても教師が「過保護だ」と眉をしかめたということは、学校では特別扱いしなかったということを物語っているのだろう。

 与正氏は放課後に楽器とバレエのレッスンを受けていたというが、そこでも「普通の子」としての待遇を受けた可能性がある。北朝鮮国内でずっと「お姫さま」として育てられるより良かっただろうと思うのだが、それが人格形成にどれくらいの影響を与えたのかは不明である。