行方不明の娘を探して中国へ15回、魔の売春宿に潜入した父親

2019/06/09 05:45 JST配信

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「もう10年前のことになりますが、娘を探しに行ったあの旅を決して忘れることはありません」。ハノイ市メーリン郡にある古いアパートに住む60歳を超えたタンさんは、硬い表情でゆっくりと話した。

 2007年、大人に近づいてきた多くの子供たちと同じように、タンさんの三女であるルオンさんは勉強のために携帯電話が欲しいと父親にお願いした。しかしその後、当時16歳だったルオンさんは見知らぬ人からメッセージを受け取り、遊びに誘われて出かけた際に麻酔を打たれ、中国に売られてしまった。

 娘が行方不明になり、家族はパニックに陥った。皆で東北部地方のフート省、クアンニン省、ランソン省、紅河デルタ地方のフンイエン省など北部11省・市のあちこちに赴き、洞窟や路地裏まで捜索した。父親のタンさんは毎日娘を探して通りを歩き続け、インターネットカフェ、バス乗り場、床屋、カラオケまであらゆる場所を探しまわった。警察にも通報したが、何日経っても音沙汰がなかった。

 絶望的な状況の中、タンさんは娘が騙されて中国に売られたのではないかと推測した。人づてに情報を聞き、タンさんはある男性に会いにフート省に行った。この男性もかつて自身の娘が行方不明になり、探し当てたことがあったため、彼の経験から学ばせてもらうおうとしたのだった。

 ここから、タンさんの娘を探す旅が始まった。

 つづく


ソース: https://www.viet-jo.com/news/special/190607184649-4.html

管理人注 : 支那はいまだにこんな国なんだよ。


 2007年11月、タンさんは中国広西チワン族自治区の憑祥市にある浦寨バスターミナル行きの電車に乗った。異国の地で一人、中国語も全くわからず、バスターミナルに人がごった返しているのを見ながら「この果てしない人々の海の中、一体どこで子供を探せばよいのか」と涙を流した。
 幸いなことに、タンさんはフウという名前のベトナム語が堪能な中国人と知り合い、助けてもらった。フウさんはタンさんを警察署に連れて行き、事情を説明した後、ベトナム人が多く住んでいる町までの地図を描いてくれた。「私は中国語がわからないので、私が道に迷わないよう、彼はコミュニケーションをとるための文章も書いてくれました」とタンさんは振り返る。

 この紙とともに、タンさんは広西チワン族自治区のいくつかの町を巡った。このとき、タンさんは地元に住む少女の助けを借り、ベトナム領事館に届を提出するため南寧市まで連れて行ってもらった。しかし、数日間探しても結果は出ず、お金も底を尽きたためベトナムに帰った。

 最初の2回の捜索の結果、タンさんはいつまでも人の助けに頼ることはできないと気づいた。なぜなら捜索は丸1年、もしくは数年にも及ぶかもしれなかったからだ。

 2008年3月、タンさんはハノイ市で中国語を学ぶことに決めた。毎週月・水・金曜日の夜に、家から7~8km離れたセンターに自転車で通った。

 「タンさんはいつも一番早く教室に来て、一番遅くまで残っていました。タンさんは、中国のいくつかの地名の読み方や書き方を尋ねました。最初は驚きましたが、タンさんの置かれている状況を知って、心を動かされました」とタンさんの中国語の先生であるチャン・タイン・ホアさんは教えてくれた。

 「タンさんは何日も授業を休むことがありました。戻ってくると、娘さんを探しに中国まで行ったが見つからなかった、という話を打ち明けてくれました」とホアさんは回想した。

 4か月後、少しばかりの中国語と、土地の一部を売ったお金とともに、タンさんは再び広西チワン族自治区に向かった。このときは5000万VND(約23万5000円)の報酬を出すと書いたチラシを数千部印刷したが、依然として結果は出なかった。
 その後何度かの捜索では、色々な場所を訪ねるのではなく、客を装って娘がいる可能性のある売春宿を訪ねてまわった。広西チワン族自治区から雲南省に行き、そして広東省に行った。

 「私が旅した総距離は約3万kmですが、1日に1000km移動した日もあります。遠くに行く場合は電車かバスで、近い距離は徒歩かタクシーに乗りました」とタンさん。しかしながら、タンさんが疲れを感じることはなかった。横になると娘の顔が浮かび、心が痛んだからだ。「あの子はまだ幼く、売春宿に売られるなど地獄以外の何物でもありません」。

 雲南省のある村を通っていた時、タンさんは強盗に間違われ、青年たちにナイフで襲われたことがあった。タンさんが事情を説明すると、彼らは道を通し、タンさんが早く娘を見つけられるようにと祈ってくれた。

 タンさんはタクシーに乗る時、女性の運転手を選んだ。「私が知っている中国語には限りがあり、何度も言うことでようやく意味が伝わります。もし、悪意ある男性ドライバーにあたって娘を探しているなどと話してしまえば、お金ばかりか命すら失ってしまう恐れがあったのです」とタンさん。

 娘を探すため、タンさんは1年あまりの間に15回中国に渡った。そして2008年の年末、嬉しい知らせが入った。いなくなった娘からYahooメッセンジャーで姉に突然連絡が入ったのだ。現在、広西チワン族自治区の崇左市にいるという短いメッセージだった。娘は油断した監視グループの隙をついて一度だけ抜け出し、メッセージを送ることができたのだと後からタンさんは知った。

 その知らせを受けて、タンさんは食べることも眠ることも忘れ、急ぎ崇左市に向かった。そこに売春宿を見つけると、フウさんに電話して助けを求めた。

 2人は客のふりをしてこの売春宿に入り、「ベトナム人の女の子はいますか?」と女主人に聞いた。女主人は頷くと、若い女の子が現れた。「ああ、娘よ!」タンさんは一言叫び、口を固く結んで涙を堪えた。タンさんの娘も息を飲んだが、何も言わなかった。「もしあのとき、2人が感情を抑えていなかったら、そこで死んでいたかもしれません」とタンさんは思い出す。

 タンさんはどきどき鳴る心臓と震える手足を落ち着かせ、少女が気に入らないからという理由をつけてその場を去った。外に出ると、すぐに中国の警察当局に電話をかけた。そして、買春宿の主がこれに気づいて彼女を遠くへ連れ去ってしまわないか心配しながら、落ち着かない様子で待った。

 しばらくして警察が到着し、この売春宿を摘発した。タンさんの娘のほか、10人のベトナム人女性が警察署に連れて行かれた。

 2009年のテト(旧正月)の前に、中国の警察当局はタンさんの娘をベトナムのクアンニン省のモンカイ国境警備隊に引き渡し、1年以上に及んだ娘の中国での日々は幕を閉じた。

 ベトナムに戻り、タンさんの娘は途中だった学業を続けた。10年が過ぎ、悲しい過去を抱えながらも結婚し、過去についても理解のある夫と2人の子供に恵まれた。

 タンさんは「なぜそんなに忍耐強くいられたのか、とたくさんの人に聞かれました。でも、私と同じような状況になれば、どんな父親も皆同じようにすると思います。それはただ、私が1人の父親だからです」と語った。

 この事件を担当した公安省C14局の幹部によると、タンさんのように自身で外国に渡って行方不明になった子供を発見し、連れ帰ったケースは異例だという。事件が起きてから長い年月が過ぎたが、いまだにタンさんの話が忘れられることはない。