終戦の8月です。
今年安倍さんのショックもあってか、なぜか8月15日までに掲載する気力が起きませんでした。
でも、やはり知っておいてもらいたい、終戦にまつわる話いろいろを再々掲載します。
備忘録として、過去の 戦争にまつわる記事を 再々掲載いたします。
どれもこれも、保存しておくべき 泣ける内容です。
かえり船/田端義夫「皆様長い間本当にご苦労様でした。これは日本の船です。これより皆様方を内地へお連れ申上げます。」船内アナウンスと共にこのメロディが流れました。
これは驚いた。未発表資料が出て来た!!神風特攻隊が残した戦果は、実はすごかった。
東洋には、すばらしい国がある【硫黄島の戦い】硫黄島 第五艦隊司令長官 レイモンドスプルーアンス海軍大将の言葉
日本兵の生還者があまりにも少なく語られる機会がほとんどなかったことから、「忘れられた戦場」となってきた。パラオ・ぺリリュー島戦。日本と言う名の船が迎えに行く・・
敵を知り己を知ったニミッツが初めに考えたことは「米軍が絶対に負ける」という確信でした。 「勝てるわけがない。」
この事実を知っていますか?【海の武士道】英米が脱帽 一番砲だけ残し、総員漂流者の救助に当れ!
【広島の日】 アメリカ、日本にさらに12の原爆を投下する予定だった 。 昭和天皇によって救われた日本人の種。
戦後、先帝陛下は、一兵の護衛をも連れずに、ツギのあたった背広をお召しになられ、中折れ帽をかぶって、全国ご巡幸を開始されました。
昭和天皇は終戦から丸16年経過した昭和36年の還暦まで戦中の防空施設にお住まいになっていました。
昭和天皇とマッカーサーの会見を通訳官が証言
【沖縄戦にある秘話】20万県民を救った二人の島守(しまもり)、沖縄県知事・島田叡(あきら)と警察部長・荒井退造(たいぞう)
お盆です。 心霊ちょっといい話より 靖国神社 靖国乙女
聖断 昭和天皇と鈴木貫太郎。 昭和天皇と老宰相が、日本人の種の滅亡の危機から救った。
この本はぜひ取り寄せて読んでください。
日本民族の種が無くなってしまう!という危機が昭和天皇によって回避された。
驚くべき事実が書かれている名著です。
Amazon 聖断
管理人注 : この他にも、年月日右の 各フォルダを押して、毎年の8月でくぐってみて下さい。
または、「靖国参拝」のフォルダを押してくぐってみてください。
沢山の印象深い話があります。
お盆休みにぜひゆっくりと私たちの祖父祖母叔父叔母兄姉たちの体験を読んで、
亡くなられた戦没者の方々を思いお盆らしさに浸るのも良いものではないかと思います。
私は、終戦がお盆の真ん中である8月15日となったのは、数千年に渡る日本民族の英霊たちがそうしてくれたのだと思えるのです。
8月15日が抜けるような快晴の日になったものも、昭和天皇の大葬が冷たい悲しい雨の日になったのも。。
この歌は、復員列車が大阪駅に着たびに流されたそうです。
鹿児島の南風崎から復員した人は博多、北九州、広島の惨状を見て、まさか大阪まではと希望をつなぎながらも神戸の惨状を見て多少は覚悟して、
また舞鶴港から復員した人は京都が無傷だったからまさかの大阪駅前を見て絶望の境地に立たされている時に、駅でこの歌を聞いて、
どんな気丈な人も涙し、中々立ち上がれない人もいたそうです。
フレーズも歌詞も復員者の気持ち充分に込められた歌だと思います。
瀬尾 はやみ 3 週間前
「皆様、長い間本当にご苦労様でした。
これは日本の船です。これより皆様方を内地へお連れ申し上げます」
という船内アナウンスとともに、このメロディが流れました…。
これを聞いた復員兵たちは耐えきれず、
船内のあちこちから嗚咽の声が聞こえたといいます。
間違いなくこれは田端義夫渾身の絶唱と言えるでしょう。
心よりご冥福をお祈りします。
こうしてまだかろうじて持ちこたえていた日本人の矜持に対して、 その心を踏みにじっていったやつらを許さない。。。