望月衣塑子さんのツイート
最低70万人の韓国の徴用工への日本政府、企業が行った人権侵害の歴史を直視せず、認識聞かれても「これまで答えた通り」とはぐらかし、
「協定違反!」と韓国批判繰り返す菅義偉官房長官。
見識を持った発言、何故できないのか
(略)https://snjpn.net/archives/157271
罪のない日本人たちが殺された歴史を
忘れてはならない
人権も権利もない李氏朝鮮時代がよかったなら
義務教育も民主主義も捨てればよろしい
日韓併合してからの方が
就学して識字率も寿命も人口もふえてよくなっているのか?
説明してみろ
それを真似して北朝鮮が日本人を大量に拉致したんだよ。
【9条があり、軍隊がない恐怖 拿捕者3929人、死者44人】韓国側からは一切の補償は無い。「拿捕の恐怖忘れられぬ」 日韓国交50年思い複雑と佐賀新聞が捏造し煽る!!
日本と韓国が国交を樹立した日韓基本条約の締結から
22日で50年。
唐津市鎮西町の馬渡島に住む浦丸健一郎さん(84)は
「あの時の恐怖は忘れられない」
かつてないほど冷え込んでいる。
この半世紀は一体何だったのか。浦丸さんは複雑な思いを抱えている。
明け方の海に警笛が突然響いた。1962(昭和37)年12月13日。
長崎県対馬の西方沖約50キロの漁場で一仕事終えた浦丸さんは乗組員5人と朝食中だった。
慌てて船室を出ると、韓国の沿岸警備艇が猛スピードで迫ってくるのが見えた。
当時、玄界灘では韓国が一方的に自国の領海として設定した
日本の漁船が拿捕される事件が相次いでいた。
「しまった」。浦丸さんは操縦室に駆け込み、全速力で逃げた。
しかし、すぐに追いついた警備艇は船体に体当たりし、
国交がない時代、事件の解決には長期間を要した。「もう帰れんかもしれん…」。
浦丸さんらは悲壮な思いで両手を挙げた。
皮肉にもその日は、同年5月に拿捕されていた唐津市唐房の漁船の乗組員らが釈放されることになっていた。
池田勇人首相の親書を携え訪韓中の大野伴睦・自民党副総裁らへの“手みやげ”という政治的色合いを帯びた措置だった。
中断を繰り返し、10年以上に及んだ国交正常化交渉は大詰めの段階を迎えていた。
*
日韓基本条約の締結はそれから2年半後。しかし、浦丸さんは歓迎する気持ちにはなれなかった。
「捕まった時の気持ちがよみがえってきて、暗い気持ちになるだけだった」
浦丸さんは約3カ月間、釜山の刑務所で抑留生活を送った。
「李ラインは越えていない」と訴える浦丸さんに、
取調官は耳を貸そうとしなかった。
一緒に拿捕された漁船3隻の乗組員約20人とともに収容された10畳ほどの部屋は、カーテンだけで仕切られたトイレからひどい汚臭がした。
「これからどうなるのか」。不安で眠れない夜もあった。
執行猶予付きの判決を受け、帰国した浦丸さんは再び漁業を始めたが、二度と対馬近海で操業することはなかった。
国交正常化に伴い「李ライン」が消滅するまで、拿捕された日本人は計3929人に上る。
*
唐津をはじめとする北部九州は歴史的にも朝鮮半島とのつながりは深く、国交正常化後、さまざまな交流が生まれた。
浦丸さんの隣島でも、古代百済の武寧王の生誕伝説を通じた草の根交流が活発化。
ただ、浦丸さん自身は「罪人扱いされた」わだかまりから、参加を拒んできた。
「消すことのできない記憶」を抱き続ける心情は、戦前から植民地支配を受けた韓国の人々と変わるところはない。
李ライン設定で顕在化した竹島の領有権問題を棚上げにし、植民地支配の「賠償」もあいまいにしたまま、 両国の経済や安全保障上の利害を優先させた国交正常化。それが今日の対立の火種でもある。
「同じ悲劇を繰り返さないためにも、隣国同士、仲良くせんと。それはわかっているんだけど…」。
国と国とを隔てた海峡に、いつか互いが心通わせる橋を渡せるか。浦丸さんは静かに海を見つめた。
2015年06月21日 09時25分
李承晩ライン以降も
80年代頃まで拿捕やりまくってたでしょ?
実家近くが漁村だったから忘れもしないけど
露助とチョンに拿捕されて父親が半年帰って
こないなんて話何度か聞いたよ
違法性無いのによってくるから船にタバコと
パンスト常備しといて奴等が近寄ってきたら
それ渡して帰ってもらうって話を聞いたことあるよ
韓国は拿捕された人々を人質に
ゆすりタカリをして来て決まったのが日韓基本条約
死人も出たんだからな
うちの親父も拿捕されてたぞ!
朝日や毎日は
報道しない自由

>拿捕された日本人は計3929人に上る。
殺された日本人の人数も書けよ
素直に敵国コリアを恨んでいいんですよ!!
悪いことは悪い、悩む必要はありません!!
コリアが嫌い。それは正しい感情です。
日本人はこの時期何人殺されたんだっけ
ググったけど、
死傷者は44人らしい。
第一大邦丸事件
済州島沖の公海上で操業中の日本漁船第一大邦丸に韓国船の『第一昌運号』、
『第二昌運号』約55トンが接近、
日本語で「魚は獲れますか。」と話をした。
その後、附近で停止して操業を始めたように見せかけ、
第一大邦丸が揚網作業で身動きが取れなくなったところを見計らい、
昌運号に隠れていた韓国兵達がいきなり第一大邦丸に自動小銃を乱射、
船員に重症を負わせた。
第一大邦丸は拿捕されて韓国に連れて行かれたが
重傷者は病院に収容されずに放置された。
第一大邦丸の船員が
「私物を売って必ず代金を払う」
と必死になって治療を懇願すると注射一本だけを打った。
重傷者は結局放置されたまま死亡。
この後、船員に対して領海侵犯をしたという嘘の調書をでっちあげ、
これに強制的に捺印させ刑務所に留置した。
「同じ悲劇を繰り返さないためにも、隣国同士
、仲良くせんと。それはわかっているんだけど…」
日本人だけがこうやってマスゴミに洗脳されて、一方的に譲歩を強いられてきた
仲良くせんといかんって、何のために?誰の為に?
この被害者の方々も、
嫌なら嫌だとハッキリ口に出せる時代になったんだよ




















