備忘録より
12/8は、太平洋戦争の開戦の日です。海軍創設のお話。
その東郷平八郎を大抜擢したのが、今日、お話する山本権兵衛だったのです。
つづく
たったひとつのコツ(発想の転換)をしただけで! これを読めば! より若いあなたなら、250Y超えも可能ではないですか? ! |
朝鮮戦争
大東亜戦争のあと、朝鮮戦争があったという事実は、多くの方がご存知のことです。
この戦争は、昭和25(1950)年6月25日~昭和28(1953)年7月27日の停戦まで戦闘行為が続きました。
いまでも、南北朝鮮の間に38度線が引かれ、韓国と北朝鮮の両国は戦争状態にありますが、一般に「朝鮮戦争」と呼ばれるのは、戦闘が行われていた上述の期間を指すようです。
さて、その朝鮮戦争ですが、戦闘期間を通じて、韓国では軍人約42万、民間人106万が命を失いました。そして約1千万人が一家離散の悲劇にあった。
大東亜戦争終結後、日本が軍事徴用した朝鮮人たちを国費をもって彼の国に返し、どうしても日本に残りたいと申し出て日本に残留した朝鮮人は、わずか245人です。
そのわずか245人が、戦後65年経ったいま、日本国内に約100万人にも増殖したのは、要するにこの朝鮮戦争が最初のきっかけです。
ひらたく言ったら、朝鮮半島で殺されそうになった朝鮮人たちが、ボートピープルとなって大挙して日本に逃げて来たのです。
昭和25年から昭和28年にかけての日本といえば、まだまだ貧しい国でした。
ほとんどの日本人は、まさに食うや食わずの苦しい生活を余儀なくされていた。
それでも、多くの日本人は身ひとつで逃げて来た朝鮮人たちをかくまい、衣食を与え、ときには経済的援助まで行って来た。
そのおかげで、多くの朝鮮人たちが、日本にそのまま定着して、現在に至っています。
また韓国については、戦後たびたびウォンが危機状態となり、巷に失業者があふれ、結果として職を求めて(このとき女性は売春による荒稼ぎ目的で)日本にやってきた者も多い。
それでも昭和の間は、日本に永住していても、たとえば運転免許証などでは、免許証の一番上の「国籍/本籍」欄に、「国籍:大韓民国」とか表示され、だから免許証をみれば渡来人かどうかがわかった。
ですからサラ金が世に出た当時は、貸付審査に際して、運転免許証を見て、韓国人だとわかれば、融資をお断りしていた。
それがなぜか、お国からの通達で、外国人だからと融資を断ってはイケナイとされるようになり、挙げ句の果てが、どこでどう決まったのか、いまでは運転免許証の「国籍/本籍」欄は、印刷上は空白とされ、警察の保有する特殊な機械を使わないと、一般人には外国人であるかどうかの識別はできなくされている。
実に不思議な話です。
さて、そうした戦後の朝鮮半島と日本が、どのような流れになってきたのか、すこし考えてみたいと思います。
そこには、怒りと感動の物語がある。
いま、朝鮮半島は、北と南に分断されていますが、実は大東亜戦争が終結した直後、昭和20(1945)年9月6日に、統一朝鮮(北と南の両方がひとつの国になった朝鮮)が樹立されていたのです。
国名を、「朝鮮人民共和国」といいます。
戦前の朝鮮は、日本に併合されていましたから、南北の切り分けなんてなかったのです。
そこには朝鮮総督府があり、その総督府の機能が、そのまま朝鮮建国に結びつく筈だった。
だから朝鮮総督府には、呂運亨(ヨ・ウニョン)という立派な人がいて、朝鮮建国準備委員会を設立し、半島統一国家の建設を企図し、実際に「朝鮮人民共和国」が建国宣言まで行ったのです。
ところがそのまま統一朝鮮が樹立されればよかったのですが、樹立宣言の翌日に上陸して来た米占領軍は、半島に勝手に軍政をひいてしまいます。
そして呂運亨率いる「朝鮮人民共和国」も「朝鮮建国準備委員会」も否認してしまったのです。
実はこの否認にはこれにはもうひとつの理由があります。
それが、後に韓国の初代大統領となる李承晩(イ・スンマン)です。
李承晩は明治8(1875)年生まれの朝鮮の独立運動家です。
生家は、李氏朝鮮の初代王である太宗の長男で世宗の兄である譲寧大君の末裔とされていますから、要するに両班(りゃんばん、朝鮮の貴族)の家にあたります。
李氏朝鮮の時代というのは、人口でいったらほんの一握りしかいない朝鮮貴族の両班が、民衆に対して絶対的権勢を振るった時代ですから、彼らにしてみれば日本によって民衆に力を与えられるのは憎くて仕方がない。
日韓併合によって朝鮮半島が日本統治になると、李承晩は上海に渡り、そこで「大韓民国臨時政府」を樹立して、勝手に初代大統領を名乗っています。
これが大正8(1919)年のことです。
さすがにことのときは、日本も怒り、憲兵隊が李承晩を逮捕した。
日本はアジアの独立、アジアの欧米による植民地支配からの脱却、そして人種平等を目指して戦っていたのです。
人種の平等というのは、人間の平等の精神でもあります。
どんな人でも、努力をすれば、相応の地位も名誉も与えられる。
単に権威の上にあぐらをかくような存在は、否定される精神でもあります。
これに対し、李承晩が抱いていた思想は、あくまで朝鮮半島は両班のものであるという思想です。
朝鮮半島の人も富も、すべては朝鮮人の両班のものでなければならない。
つづく
new! 「朝鮮戦争」は日本と戦った「韓国戦争」で、韓国は戦勝国!? 何故、こんな嘘デタラメを教えるの、あの国は? 韓国では北朝鮮と戦った1950年6月25日~1953年「朝鮮戦争」を一切教えていない。 理由は同じ朝鮮民族同志で戦う理由など存在しないと教え込む学校教育と嫌憎日ヘイト教育方針からである。 では1950年6月~1953年の戦争をどのように教育してきたのか。 驚くことに、この戦争は韓国が日本と戦って戦勝国となった「韓国戦争」と教えている。 国連軍の米英仏連合国が「日本」と戦い韓国から追い出した戦争と教えている。 これについて質問すると高校生や大学生、40代の社会人に聞いても同じような回答が返ってくる。 それでは「韓国戦争」とはどんな内容なのか簡単に紹介すると、現在韓国の小中高学校教育で教えている事は以下の通りである。 |
new! 1. 朝鮮半島で同じ民族同志で殺し合う戦争などなかった。北と戦った朝鮮戦争は教えていない。 2. 1945年8月15日に日本は負け、満州の日本軍がソ連軍に追われて朝鮮半島に侵入して韓国を占領した。日本軍は婦女子まで銃を持って侵入して、韓国人を虐殺し悪逆非道の限りを尽くし韓国を占領し居座りつづけた。 3. 1950年6月25日に「韓国戦争」が始まり、朝鮮半島から日本軍を追い出す戦争が「韓国戦争」。米英仏韓の国連軍が侵略者の日本軍を朝鮮半島から追い出し、韓国が勝利した戦いが「韓国戦争」と教育している。 4. 北朝鮮はソ連軍と中国軍が北朝鮮から日本軍を追い出した。中国軍と韓国軍は「韓国戦争」で供に戦った同志戦友と教えている。 |
「子供の時、毎週末、日本人捕虜収容所に連れて行かれた」。ご存知かと思いますが、45年から46年にかけて、シベリアからウズベキスタンに2万5千人捕虜が移送されております。そのことを言っておられるんだと思いますが、麻生太郎談
「その捕虜収容所に連れて行かれた。母親が私に言った台詞は毎週末同じだった。
『せがれ、ご覧、あの日本人の兵隊さんを。ロシアの兵隊が見ていなくても働く。人が見なくても働く。お前も大きくなったら、必ず人が見なくても働くような人間になれ。』
おかげで母親の言いつけを守って、今日私は大統領になれた。」
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