「なんと世界で日本以外に日本語を使っている国があった」とする記事を掲載した。
記事は「現在世界で最も多くの国で使われている公用語は、間違いなく英語だ。英語を使う地域は世界の各地に広がっている。英語以外で多いのはフランス語、スペイン語、ポルトガル語だ。
そして、オランダ語も本土以外の多くの人が使っている言葉だ。なぜならこれらの国は比較的早く発展したことで世界に植民地を作ってきたからだ」とした。
そのうえで
「日本語は日本以外でも使われているのだろうか。実は1つある。その国の名前は、パラオだ。太平洋上に浮かぶ島国で、この国の公用語が日本語なのである」
と紹介した。
この説明は、正しくない。日本語を公用語に定めているのはパラオの国自体ではなく、同国内のアンガウル州である。同州の憲法には、同国の公用語であるパラオ語と英語に加えて、日本語を公用語とすることが書かれているのだ。
記事は、現地で日本語が公用語になった背景について
「第1次世界大戦でドイツが敗れた際、戦勝国の1つだった日本がアジアにおけるドイツ権益をすべて引き継いだが、そこにパラオが含まれていたのだ。
パラオは日本によって植民化されたが、日本に対して恨みを持っていないどころか、日本を好む傾向が伺える。それは、日の丸に似たパラオの国旗を見れば分かる」としている。
第1次大戦終了後から太平洋戦争終了までパラオを含む南洋諸島は、当時の国際連盟が日本に統治を委託した委任統治領だった。日本語教育が行われたが、敗戦後は米国の統治下に入り、日本語は使われなくなっていった。
憲法で日本語を公用語と定めているアンガウル州では実際に日本語が日常的に使われている訳ではなく、日本との関わりがあったことを示す象徴として定められているようだ。
ちなみに、パラオは中華民国との国交があり、中華人民共和国とは国交がない。
(編集担当:今関忠馬)
http://news.searchina.net/id/1642417?page=1

http://image.searchina.net/nwscn/4/1/7/1642417.jpg

(イメージ写真提供:123RF)
ほお…なかなかに気概のある国じゃな
パヨクがまた日本の公用語は日本語ではないとか言ってハングルで名前を書いたりする運動でも やり始めるだろうから、
国旗国歌法のように国語法でも作って日本語を公用語と定めることが 必要だな
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日本より日本らしいパラオの切手!
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日本より日本らしいパラオの切手!



ソース: http://hosyusokuhou.jp/archives/43587503.html
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天皇陛下が晩さん会のおことばで触れられた元大統領のクニオ・ナカムラさんは、日系2世
「国をあげて」歓迎
【毎日新聞】 2015/04/02 07:30
約1週間後に迫った天皇、皇后両陛下のパラオ共和国訪問について、
日系人のクニオ・ナカムラ元大統領(71)が 現地で毎日新聞のインタビューに応じ、
「パラオは終戦までの約30年間、日本の統治下にあった。
日本の教育を 受けている人たちが多く、とても親日的だ。国をあげてお迎えしたい」と歓迎の意を示した。
ナカムラ氏は三重県伊勢市出身の船大工の父とパラオ人の母との間に、
8人きょうだいの7番目としてパラオで 生まれた。
戦後の一時期、一家は日本で生活したが困窮してパラオに戻った。
ナカムラ氏は教師を経て政治活動を始め、
1993年に大統領に就任し8年間務めた。
大統領として計13回、退任後も計2回来日した。
ナカムラ氏は、両陛下の訪問先に約1万人の日本人が戦死したペリリュー島が含まれたことについて、
「白くて 美しいビーチがかつて多くの日本人の血で赤く染まった。
パラオ人はそのことに心を痛めてきた。戦死した兵士たちへの何よりの慰めだ」
と述べた。
また、戦後60年の2005年にもパラオ訪問の計画があったことにも言及。
「サイパン、パラオ、ミクロネシア諸島を訪問される話が持ち上がったが実現しなかった。
当時、トラック諸島の日系の大統領らが大変残念がっていたが、
今回はそれらの島々の要人も来て両陛下を歓迎する」
と語った。
ナカムラ氏は大統領当時、天皇陛下と3回会っているといい、
「英語と日本語で語り合い、非常に 有意義だった。淡水魚の研究をされていると聞き、帰国後にパラオの河川の魚の本をお送りした。個人的にとても尊敬できる方」
と話した。【真鍋光之】
ソース: http://mainichi.jp/feature/koushitsu/news/20150402k0000m040149000c.html
画像: http://mainichi.jp/graph/2015/04/02//20150402k0000m040149000c/image/001.jpg
(ナカムラ元大統領)
現パラオ大統領
トーマス・エサン・レメンゲサウ・ジュニア(Thomas Esang Remengesau, Jr., 1956年2月28日 - )はパラオの第7代、第9代大統領。コロール出身。
1992年にクニオ・ナカムラ第5代大統領の副大統領になり、2000年に大統領に選ばれ、2001年1月1日に登庁した。彼はパラオのアメリカの援助への依存度を縮小させる事とわずかな観光事業を促進させる事を望んでいる。
2001年4月の初来日以降、日本に頻繁に足を運んでいる。



陛下の笑顔も珍しいのでは・・

アメリカ海軍ニミッツ提督の詩

「この島を訪れる、もろもろの国の旅人たちよ。
あなたが日本の国を通過することあらば伝えてほしい。
此の島を死んで守った日本軍守備隊の勇気と祖国を憶うその心根を……」
「Tourists from every country who visit this island should be told
how courageous and patriotic were the Japanese soldiers who all died defending this island.」
日本兵の生還者があまりにも少なく語られる機会がほとんどなかったことから、「忘れられた戦場」となってきた。パラオ・ぺリリュー島戦。日本と言う名の船が迎えに行く・・
パラオ慰霊祭が9月末にぺリリュー神社で行われる。
40年以上もパラオで慰霊祭を続ける水戸の神主さん達もいる。
我々日本人が忘れていてもアメリカ海兵隊は戦史に激戦として残り、パラオの人々にも心に深く日本人の戦ったぺリリュー島戦を語り継いでいる。
以下産経ニュースより転載
日本列島の真南約3200キロに位置するパラオ共和国は、美しいサンゴ礁に恵まれた、ダイバーにとっての「楽園」である。
青地を背景に満月が描かれた国旗は、日の丸を参考にしたとの説があるほど、親日的な国柄でも知られる。
今年8月、2つのテレビ局が戦争の特別番組で、パラオのペリリュー島を取り上げていた。約4万2千人の米軍が上陸したのは、昭和19年9月だった。
中川州男(くにお)大佐率いる約1万2千人の日本軍が、迎え撃つ。島民は別の島に退避していた。
日本軍はそれまでの万歳突撃の戦法を改め、持久戦に持ち込み、圧倒的な戦力を誇る米軍に大打撃を与えた。アメリカ太平洋艦隊司令長官ニミッツも驚嘆したその戦いぶりは、約3カ月後の「硫黄島の戦い」にも引き継がれる。
ただし、日本兵の生還者があまりにも少なく、語られる機会がほとんどなかったことから、「忘れられた戦場」となってきた。
しかし、天皇、皇后両陛下は長年、故郷を遠く離れた南の島で犠牲になった人々に、お気持ちを向けられてきた。
平成17年6月には、米自治領サイパンを訪ね、「バンザイクリフ」で黙祷(もくとう)をささげられた。
その際にも検討されたパラオへのご慰霊の旅が、戦後70年となる来年の4月にも実現しそうだ。
ちょうど日本では、花見の季節である。
中川大佐が、日本軍の玉砕を伝えた最後の暗号電文は、「サクラ、サクラ」だった。
現地を訪れたジャーナリストの井上和彦さんによると、島民にとって、日本軍は「英雄」だった。
彼らの勇気と敢闘を称賛する「ペリリュー島の桜を讃(たた)える歌」まで存在するそうだ(『日本が戦ってくれて感謝しています』)。
両陛下が、そのメロディーを耳にされる機会もあるのだろうか。
(産経ニュース)
かくも長くぺリリューの戦いが忘れ去られていたというのは日本人として恥ずべきことなのかも知れない。
「パラオ会解散、寂しい」…最後の慰霊祭
2015年04月06日

パラオ諸島戦没者慰霊祭で合掌する出席者(5日、高崎市で)=佐々木紀明撮影
高崎市の寺院で5日、太平洋戦争の激戦地・パラオで亡くなった県関係者の遺族でつくる県パラオ会が、最後の慰霊祭を開いた。会員の高齢化のため、戦後70年の節目に苦渋の解散が決まったが、参列者からは「やはり寂しい」との声が聞かれた。
同市若松町の龍広寺で開かれた42回目の慰霊祭には生還者3人と遺族ら約70人が参列。読経の後、パラオのペリリュー島で8歳上の兄・澄きよしさん(当時23歳)を亡くした塚越茂会長(85)(前橋市)は祭文を読み上げ、戦没者の冥福を祈った。今月8~9日の天皇、皇后両陛下のパラオ訪問にも触れ、「英霊の皆さまも喜んでお迎えしてくれるでしょう」と述べた。遺族らは焼香した後、境内の納骨供養塔の前で合掌した。
満州(現中国東北部)からパラオへ転戦後、生還した松井好次さん(93)(沼田市)も参列。「生還した同年配も次々に亡くなり、会の解散も仕方ないが、寂しい」と語った。
同会は来年春に現地を訪れて最後の慰霊を行う。4回目の現地訪問を予定している塚越会長は、「会が解散しても英霊を悼む心は変わらない」と話した。
群馬の高崎連隊だったのか・・海無し県の山育ちが、太平洋の南方までは淋しかったろうに・・
歩兵第15連隊(ほへいだい15れんたい、歩兵第十五聯隊)は、大日本帝国陸軍の歩兵連隊のひとつ。西南戦争後の軍備拡張によって、群馬県高崎市にて創設される。日清・日露戦争から、満洲・上海両事変、日中戦争、太平洋戦争とほぼすべての戦役に参加。終戦時はパラオにあった。
20: :2015/04/08(水) 20:50:55.57 ID:
日本に生まれて良かった。
そのおじいさんと既に、日本で懇談した
4人生き残って二人と懇談
http://mainichi.jp/feature/koushitsu/news/20150323k0000m040095000c.html
陛下と会った時に車椅子だった人かな?
歩く際には杖2本で支え付きでヨタヨタだったけど
参拝の際には背筋シャッキリで 直立不動さすがだった
え?参拝の時だけシャンとしてたのか
余りにもきっちりしてるから95歳にみえねーさすが元軍人すげーって思ったけど
やっぱり戦友達の前だと気合いが違ったんだろうな
精神の崇高さがそうさせたのだろう。
前にNHKスペシャルで大佐の墓を訪れて涙してた方だよね?
あれは悲しみより切なさが伝わってきて俺も泣いてしまった。
俺達には到底計り知れない心境なんだろうな…
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それでも日本を愛していますパラオ。『帝国軍人が貴様らごとき"土人"と一緒に戦えるか!』・・・しかし、今でも日本のことを“内地”と呼び
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第三章.それでも日本を愛していますパラオ
1885年、パラオはスペインの植民地となり、圧政と虐殺、天然痘などで、6万人いた人口は6000人に激減。実に90%もの人々が亡くなった。いかにひどい植民地政策だったかが分かる。
1899年にはドイツに売却されたが、同じくドイツも搾取と略奪を続ける。
第一次世界大戦終了後、パリ講和会議で日本の委託統治領と決定。
帝国主義の白い蛮人たちはパラオの人々を人間とは思っていなかった。教育も与えず、インフラ整備も一切行わない。いかに搾取するかだけを考えた統治だった。
しかし、日本は違った。
学校、病院、電気、道路などのインフラ整備を行い、住民の生活向上に力を入れる。
特に教育に関しては、日本本土とまったく同じ人種差別なき政策を実行。
優秀な子供たちが続出し、「パラオ人も、やればできる」と彼らに大きな自信を与えた。
日本敗戦後、パラオはアメリカ統治となった。
アメリカは俄烈な日本叩き教育を行う。浸透していた日本文化の徹底的な破壊。
二宮尊徳像をぶち壊し、神社を破壊。
「日本は残虐」「日本は悪魔」「日本はパラオ人を虐殺した」
と長期にわたり学校教育を行う。
ところがパラオ人は、誰も信用しなかった。
特に日本統治時代を経験した年長者たちが、
「何を言いやがる。日本は素晴らしい。日本統治時代が一番良かった」と激怒した。
パラオは世界有数の親日国である。
にもかかわらずパラオの歴史を多くの日本人は知らない。これでいいのだろうか。
反日国を大事にし、親日国を粗末にするのは間違いだと思う。
パラオなどの南洋諸島の国々は大の親日国。日本の統治下に置かれ、激戦地となり、
多くの現地住民が犠牲になったにもかかわらず、ほとんどの人は日本が大好きである。
人口の少ない小国家ばかりだが、「国連加盟国」として、
いつも日本に味方してくれる。
国連議決などでは常に日本を応援し、「貴重な一票」を投じてくれる。
「チチバンド=ブラジャー」「シコーキ=飛行機」などなど、
パラオでは日本語がそのままパラオ語となった単語が600近くもある。
それほど、愛している。
■ペリリユー島
気温は35度近くはあるだろう。湿気が高く、立っているだけで汗だくになってしまい、
Gパン、Tシャツ、カメラマンベストはグッショリ濡れてしまう。
2012年、大型台風がこの島を直撃し、風が吹き荒れ、家屋が倒れ、木々はへし折られてしまった。役所の屋根は吹き飛び、現在でも荒れた状態で使用している。
以前から「日本人が造った建物は頑丈だから、台風が来たらその中に避難しろ」と教えられていた。80年ほど前に建てられた日本軍総司令部・発電所・倉庫などだが、最大瞬間風速70メートルでもびくともしなかった。
人口わずか600人の島民の力だけでは補修工事を行うのは難しいかもしれない。平均月収が300ドル程度の人々が資金をつくるのは大変なのだ。
ペリリユー島と日本との関係は、涙なくしては語ることができないほど深い。島の人々も、かつての日本軍人を愛していると以前から聞いていた。
兵数、物量とも圧倒的優位なアメリカ軍と死闘を行い、全滅した日本兵。
多くの日本人の命が、この島で散った。「サクラ、サクラ」と打電をして死んでいった。
ペリリユーの人々は「日本兵」 の墓、石碑などを大事にしていた。
完壁とは言えぬまでも、しつかりと清掃を行い、守り通してくれていた。
右や左の思想に関係なく、
「日本のために死んでいった人々」「日本がお世話になり、日本を大事にしてくれる人々」に対して感謝の念を持つのは当たり前だと思う。ありがとう!
■それでも日本軍は戦った
こんな美しい島で、これほど小さな島で、日米両軍の死闘が行われたのかと胸が痛む。 「絶対に負ける。必ず命を落とす」
と覚悟を決めた日本兵たちが圧倒的兵力、物量を持つアメリカ軍と戦う。
「一日でも長く、日本に生き延びてほしい。故郷の家族、仲間たちに生きてほしい」との願いで、若者たちが死んでいった。
ペリリユー島での日米両軍の戦いは、ボクシングで例えれば小学生のアマチュアボクサーと世界ヘビー級チャンピオンが戦うぐらいの差があった。それでも戦った。
写真はアメリカ軍に破壊された日本軍の95式戦車。ベラベラの鉄板でできた車体。バズーカ砲で貫通してしまう。この粗末な戦車が、たった16両。
アメリカ軍は、当時最高峰の性能を誇る分厚い鉄板で装甲されたM4シャーマン戦車が117両。日本兵の小銃は旧式のおもちゃのような鉄砲。
アメリカ兵は自動小銃や機関銃。海からは艦砲射撃、空からは徹底した爆撃。実質的には、まるで勝負にならない戦いだった。
日本軍の状況を的確に把握していたアメリカ軍は、
「子供を相手にするような戦闘」だと完全に舐めきっていた。
アメリカ第一海兵師団長のウイリアム・H・リユバータス少将は、
こんな小さな島に閉じこもる弱小日本軍との戦いは、2、3日で片づくと見ていた。
アメリカ兵に対して、
「諸君に頼みがある。私への土産に日本軍守備隊長のサムライサーベル(日本刀)を持ち帰ってもらいたい」と豪語。
アメリカ兵の中にも、
「この戦闘は午前中で終えて、昼からは浜辺でバーベキュー大会をやろうぜ!」
と笑顔で話す者もいたほどだった。
ところが日本兵は強かった。
つづく

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【社会】両陛下がパラオ到着、大勢の人々が歓迎
(JNN) 4月8日(水)17時10分配信
天皇・皇后両陛下は、戦後70年にあたり、太平洋戦争の戦没者を慰霊するため、西太平洋の国パラオに到着されました。
パラオは日本から3000キロ余り。
かつては日本が統治し、1944年に日本とアメリカが衝突したペリリュー島の戦いでは、日本側だけでおよそ1万人が命を落としました。
今回の訪問は戦没者を慰霊したいという両陛下の強い希望もあって実現したもので、パラオ訪問は長年の念願でした。
空港に到着した際は笑顔を見せていましたが、時折、やや緊張した表情も見受けられました。
両陛下は午後4時すぎにパラオ国際空港に到着し、レメンゲサウ大統領夫妻の出迎えを受けられました。
まず、笑顔で握手を交わし、陛下が「またお会いできてうれしいです」と話すと、大統領は「パラオへようこそ」と両陛下の訪問を歓迎しました。
空港ではそのまま歓迎式典が行われ、両国の国歌が演奏された後、両陛下はパラオ政府関係者と挨拶されました。
そして、大統領夫妻との会見が行われ、空港を出る際には、皇后さまはパラオの小学生から蘭の花を受け取られていました。
また、両陛下が次の訪問先に行く途中、沿道にはパラオの人々が大勢いて、両国の国旗を振って歓迎していました。(08日17:36)
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20150408-00000038-jnn-soci
〈君が代は 千代に八千代に さざれ石の~…〉
明快な日本語で「君が代」を歌い上げた94歳になる老女は、続けて「海行かば」を口ずさみ始めた。
〈海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね) 山行かば 草生(くさむ)す屍~〉
歌詞の意味は理解しているという。
ロース・テロイさん。「テルコ」という日本人名も持ち、「日本人になれるものならなりたかった」と言った。
「緑の島のお墓」を作詞したアントニア・ウエンティさん(85)は
「蛍の光」と「仰げば尊し」を歌って涙を浮かべ、童謡の「浦島太郎」を歌って、
「この歌は、『両親がしてはいけないということはやってはいけない。罰が当たるよ』という意味を含んでいる」と言った。
テロイさんのいとこにイナボ・イナボさん(故人)という男性がいた。
元パラオ共和国政府顧問で、生前は、「日本軍と一緒に戦いたかった」と何度も口にしていたという。
イナボさんは平成7年8月15日、靖国神社での戦没者追悼中央国民集会に参加した際、雑誌のインタビューにこう話している。
日本には大切なものが4つあります。天皇陛下と靖国神社と富士山と桜の花です。
アメリカ人から『日本は小さな国だけどもルーツ、根っこがあるから強い。
それは天皇陛下と富士山と桜だ。それはアメリカにはない』と聞きました。
日本人の戦いぶりはアジアの人々は皆知っているんですよね。イナボさんの日本への思い、そして歌詞の意味を確かめるように一言一言を丁寧に歌ったテロイさんとウエンティさん。2人の心に去来するものは何か。
それで日本を尊敬しているわけです。皇室と神社がある限り日本は倒れない。
日本人が安心していられるのは、天皇陛下がおられるからですよ。
天皇陛下がおられて、靖国神社があるからこそ日本は尊く、外国からも尊敬され、強い国となっています。
天皇、皇后両陛下のパラオご訪問が検討されていることに話が触れると、
「最初、いらっしゃると聞いたときはだれも信じられなかった。まさかという気持ちで驚いた。天皇陛下にお目にかかれることを非常に楽しみにしている」
と興奮気味に話した。
■産経:時を超える「誇り」集団疎開で、島民を守った日本兵。2015/01/03
ペリリュー島は「忘れられた島」とも呼ばれてきた。多大な損害を受けた米軍が口をつぐみ、
日本側も生還者が少なく、証言に限りがあったからだ。
だが、島民たちは、70年前に起きたことを忘れてはいなかった。
平成21年から25年まで駐日パラオ大使だったミノル・ウエキさん(83)は言う。
「日本軍は、ペリリューの島民を全員、疎開させることで保護してくれた。昭和18年6月現在でペリリューには899人の島民が住んでいた。島民によると、日本軍 と一緒に戦う決意をしていた島民もいたという。
だから島民に死傷者は出なかった。日本軍への感謝は何年たっても忘れない」
だが、守備部隊はそれを認めず、非戦闘員の島民を戦闘に巻き込まないため、19年3月から8月にかけて、全員をパラオ本島などに疎開させた。
当時9歳だったアマレイ・ニルゲサンさん(79)は、夜間を利用して両親らとバベルダオブ島に疎開したといい、こう記憶をたどった。
「日本の兵隊がダイハツ(上陸艇)で連れて行ってくれた。ペリリューに一つの逸話が伝わっているという。
バベルダオブに着いた後も、憲兵が2日かけてジャングルの中をエスコートしてくれた。
なぜ自分たちの島から避難しないといけないのか分からなかった。
2年半ほどして島に戻り、草木がなく石だけの島を見て、もし、残っていたら死んでいたと思った。
家族で日本軍に感謝した」
<ある島民が一緒に戦いたいと申し出ると、逸話の真偽は分からない。
守備部隊の中川州男(くにお)隊長に「帝国軍人が貴様らと一緒に戦えるか」と拒否された。
日本人は仲間だと思っていた島民は、裏切られたと思い、悔し涙を流した。
しかし、船が島を離れる瞬間、日本兵が全員、浜に走り出て、
一緒に歌った歌を歌いながら手を振って島民を見送った。
その瞬間、この島民は、あの言葉は島民を救うためのものだった-と悟った〉
だが、ニルゲサンさんは「自分は見ていないので分からないが、両親からそんな話を聞いたことがある」といい、
ウエキさんも「逸話は今でも語り継がれている」と話す。
生還者の永井敬司さん(93)がいう「日本人の誇り」は、島民疎開という形でも発揮されたのかもしれない。
バ韓国「日本を弟のように踏みつけたい」
この違いはw 国民性の違い
つづく
>天皇陛下がおられて、靖国神社があるからこそ日本は尊く、外国からも尊敬され、強い国となっています。
だから、それをあの2国は(3か?) 、破壊したい訳だ。
「徹底的に反日教育を続ける3か国以外の人々は日本が大好きだ!」『日本はなぜアジアの国々から愛されるのか』
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"和のこころ"平和こそ 総て!
『日本はなぜアジアの国々から愛されるのか?! 』
当HP『本山よろず屋本舗』は、以前から《日本のマスコミの偏向》ぶりを指摘してきました。
ところが、そうした"私自身"が 見事に《偏向報道》に嵌 (はま) り"洗脳"されていたという『事実』に 気付きました。《目》から"うろこ"が落ちたと言うところですが、その『事実』に気付かされたのが『日本はなぜアジアの国々から愛されるのか』(池間哲郎著 / 育鵬社) という"本"です。
http://www.amazon.co.jp/…/d/4594068847/ref=redir_mdp_mobile…
『国策』として"反日"を掲げている《中国や韓国》は、日本を 批判する時に頻繁に『アジアが嫌がっている』とか『アジアを不安に陥れる』という"言葉"を使うといいます。
《中国や韓国の国家指導者》が使うこうした"言い回し"を《日本のマスコミ》は、漏らさず 私たちに伝えてきました。
こうしたことを何十年も続けられると、私たちの『皮膚感覚』として、日本は"アジアから嫌われている"とか"孤立している"という『思い』を 自然と抱いてしまいます。
また『太平洋戦争』では《日本軍》が"アジア"に進出し、現地の人々に多大な迷惑を掛けたと言うのが"不変の事実"として、私たちに『正当な歴史認識』であると 刷り込まれています。
《日本の政治家》は"判"で押すように『先の大戦で日本はアジア諸国に、多大なご迷惑をお掛けした!』という"言い方"をしてきました。
ですから《中国や韓国》が『アジアは 日本を嫌っている』とか『不安にさせる』と言っても、私たちはこれを"何の疑い"もなく 受け入れてきました。
アジアの国々は『日本に 根深い恨みを抱いている』という漠然とした『思い』を日本人は持っています。しかし『事実』は、全く"違う"ということがわかりました!
近年《中国と韓国の反日姿勢》は、特に 激しさを増しているのは日本人であれば、誰しも感じるところだと思います。
それ故、私たちは《アジア全体》が更に"反日"に傾いていると"錯覚"してしまうのですが、実は"反日"なのはアジア全体の中でも《中国と韓国だけ》というのが『事実』のようなのです。(⇒ 北朝鮮も"反日"に加えるべきかもしれませんが、私は 北朝鮮に関して"情報"を持っていません)
『真実』はアジア全体が"反日"ではないということです!
"反日"なのは《中国と韓国 (含む北朝鮮) だけ》で、
後の国々は"反日"どころか、"親日"とまではいかなくても 日本に対し"好意的"であったり、少なくとも"嫌ってはいない国々"ばかりだというのです。
これは私たちが《教育やマスコミ》から受ける"印象"とは、全く"逆"です。私もまた《教育やマスコミ》によって"洗脳"されていた一人だったようです。大いに"反省"しています。
今回は"親日の代表国"として《パラオ共和国》について紹介したいと思います。
【政治】バングラデシュ首相「国旗は日の丸から」父の秘話明かす

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