2009年06月17日

それでも、コロンブスは、西へ……

 その当時、学者たちは地球が円いことを知っていましたが、僕やウニ程度の極く普通の人たちは知りませんでした。平べったい地球は、海の端まで行くと滝のように海水が流れ落ちていて、帆船も船乗りも、クラゲやクジラもみんな落っこちてしまうと信じられていました。
 そんな時代に僕の大好きなコロンブスは、「どんどん西へ進めば、必ずジパングかインドに着くはずだ」と言って、サンタマリア号を未知の海に進めたのです。
 資金を出してくれたのは、スペインのイザベラ女王でした。冒険家と出資者のタッグチームがなければ、発見も発明も、革命だって成就しません。人間社会の飛躍には、このタッグチームが不可欠でした。
 しかし人間の長い歴史の中には、このタッグチーム無しで成し遂げた、偉大な発明もありました。
 これも僕が尊敬するライト兄弟は、「空を飛べるのは、虫と鳥、それに天使だけだ」と人々が思っていた時代に、「いや、そんなことはない。人間だって空を飛べる」と、自分たちの資金だけで飛行機を造り、見事に飛んでみせたのです。
 西インド諸島を、まだその先に太平洋があるなんて思いもせず、東洋だと信じたコロンブスを嘲笑してはいけません。これが当時の知識と想像の限界だったのです。
 もし、あの時代にコロンブスがいなかったら、その大ぶん後ですが、ライト兄弟が空を飛んでいなかったら、まだアメリカはアラパホーやショショネ族が、弓矢でバッファローを狩り、木製の農具でトウモロコシを作っている、未開だけど平和な国だったでしょう。
ボーイング747、ジャンボジェットなんか、飛んでいるわけがありません。人間は僅か百年で、ライト兄弟の飛行機から、F-22戦闘爆撃機やジャンボジェットまで進化させたのです。
 
 なぜ僕が、“続・八ヶ岳あかげら日誌”で、関係の無いコロンブスや、ライト兄弟のことを書き始めたのか、読者の皆様は怪訝な顔をしておいでだと思います。いつも話がアッチコッチに寄り道する僕ですが、「アベの奴、遂に何を書いているのか分からなくなったのか…」なんて、お思いになった方もいらっしゃるに違いありません。
 そうです。確かに僕は歳を取りました。階段をソロソロ降りて、トボトボ登ります。はしゃいで駆けだしたウニを、追い掛けることも僕にはできません。
heinonaka
 五十歳でやっと初めての単行本が、本屋に並んだ僕ですから、最初から残り時間が少な過ぎました。七十二歳になって、まだ書きたいことが多過ぎることに怠け者の僕は気が付きました。
 今からではとても、コロンブスやライト兄弟みたいな発見や発明をやる時間がありません。
 せめて、小説を書きたいと思いました。このままノンベンダラリと、人生を了えたくありません。
 もし今、僕が、脳の血管が破れたり、心臓が止まったりしたら、帆ゲタにカモメがとまって陸地が近いことを知る前に、寿命が尽きてしまったコロンブスと一緒。エンジンを始動して、コックピットに乗り込む前に、心筋梗塞で倒れ込んだライト兄弟、みたいなことだと思います。
 ちょっと大袈裟かも知れませんが、僕が大袈裟な男だということは、読者の皆様がよく御存知です。作家になりおおしたからには、せめて長編をあと二作書かなければ、悔いを残します。
 いいものが書けるかどうかは、祈るだけでわかりません。しかし、全力を傾けた小説が、どうしても僕は書きたいのです。
 と、そんなわけで、しばらくの間、この日誌をお休みすることを、どうぞお赦し下さいませ。

 七月十五日に講談社文庫から『絶滅危惧種の遺言』というタイトルの本が出ます。表紙はウニではなく、可愛い憂い顔をしたパンダです。
 7andy_07202186一年半ほど中断していた漫画『RAINBOW二舎六房の七人』は、ビッグコミック・スピリッツの六月十五日発売号から再開しています。来春にはアニメ放映も始まりますので、こちらもお楽しみに。ホームページ『大人気ないオトナ』は引き続きマイペースで続けます。
 八ヶ岳の山小屋へはこれまで通り、月に一回、赤い車に女房殿とウニを載せて往復して、一週間ほど滞在します。
 どこかで僕を見掛けたら、どうぞお声を掛けて下さいませ。


abegeorge at 00:00|PermalinkComments(20)TrackBack(0)clip!

2009年06月03日

日本どんぶり教

 法事の帰りに僕は、一緒に行った女房殿と新宿のホテルで夕御飯を食べました。
 ボーイさんが渡したメニューを見た女房殿は、「ここには羊があるわよ」と教えてくれましたが、あれば必ずオーダーするラムチョップなのに、その日に限ってそうはしませんでした。
 これはバクチ打ちの隠語で“タカマド”というのですが、マナーに従って女房殿に先に見せたメニューを、おなかが空いて悶絶寸前だった僕は、顎をゆっくり上げて覗き込み、アントレの一番端にオッソブッコと書いてあるのを、確かに盗み見ていたからです。
606-1-t2 オッソブッコは、牛の骨付きのスネ肉をトマトとワインでグツグツ煮た料理です。オッソは骨、ブッコは穴という意味で、その名の通り、骨の真ん中の穴にある髄には、うま味が凝縮されています。サフランライスの炊き方も絶妙でした。僕は大満足で家に帰ったのです。
 マクラに書く文章が長くなり過ぎたり、横道に逸れたまんまになって、話がとっちらかってしまうことがよくあるのは、本人がよく承知していますが、狂牛病騒ぎ以来ほぼ十年振りで食べたオッソブッコの美味さを、どうしても書いておきたかったのです。
 高窓から他人の手の内を覗き見た、バクチ場でのセコイ話は、また今度にします。

 僕が一年の内の約九ヶ月住んでいる東京の杉並も、それにほぼ三ヶ月は過ごしている八ヶ岳も、実は新興宗教どころなのです。
 “どころ”なんて俗な言葉ではなく発祥地というのかも知れません。サリンガスで人殺しをした連中も、ナンタラ言う早起き教団も、それに白い寝間着みたいな服を着た女教祖の集団も、みんな杉並や八ヶ岳で生まれたのだと、居酒屋で土地っ子が教えてくれました。 僕は二十二歳で夜学の高校を、辛うじて卒業しましたが、大学には行きませんでした。他人様が一所懸命勉強している時、僕はバクチや喧嘩や、女の方を口説いたりするのに忙しかったからです。だから僕の知識は全て、酒場の耳学問なので当てにはなりません。
 けどしかし、新興宗教だと言ってバカにしているわけではありません。キリスト教でも仏教でも、始まった時はみんな新興宗教だったのです。
donburi 新興宗教発祥の地という地の利に気が付いた僕は、兄弟分のウニと語らって“日本どんぶり教”を立ち上げる計画を、秘かに企んでいます。
 僕は、どんぶりが大好きです。あのお汁がジワジワ、ジュルーっと染み込んだ、お米のなんと美味しいことか…。僕がどんぶりものが好きなのと、女房殿にとっても作るのが簡単、後かたづけも楽なので、我が家のお昼はどんぶりが多いのです。味噌汁とおつけものと丼をサッと出せば、食卓の格好がつきますから、早い・うまい・安いの三拍子が揃って、シャンシャンシャンです。
 天丼・カツ丼・そぼろ丼・まぐろヅケ丼・すき焼き丼・牛丼・うな丼・ウニいくら丼・麻婆丼・ステーキ丼、そして親子丼に他人丼と、簡単なのにメニューは豊富です。韓国のビビンバも、あれは丼です。
 それぞれの丼にファンは沢山いるでしょうから、信者は十万人でもすぐ集まります。僕の知っている人はみんな例外なく、丼が好きでした。黒木メイサが好きじゃない変な人でも、丼は喜んで食べるのに決まってます。
 お布施を集めてどんぶり型の大伽藍を建て、ダイエットはタンマして信者と一緒に毎日三回、旨い丼を食べます。新たな丼メニューの開発に想いを巡らせ、どんぶり礼賛の経文を唱えるのです。
 野球にもタイムがあるんだから、ダイエットにもタンマがあるんだと僕が猫語で言ったら、ウニは「ウン、でもママに言える?」なんて呟きました。
 ウニは民主党なのに違いありません。ものを決めたら理屈を捏ねたり議論ばかりしていてはダメです。一気呵成に信じる道に突進しなきゃいけません。まだるっこしい民主主義では大伽藍は建ちません。
 僕はいくら食べても平気ですが、胃の弱い信者と、しつこいものを食べるとゲフゲフするウニには、お布施でオオタ胃腸薬やキャベジンを用意しておきましょう。
 僕は若い頃、大井競馬場の五十円の玉子丼で命を繋ぎました。その頃カツ丼は二十円高い七十円だったのを、古稀をとっくに過ぎたのに僕は忘れません。
 
 美味しく炊いた御飯に、なんでも旨いおかずを載せて食べる丼は、美味しいを通り越して哲学か宗教の域に達していると僕は信じるのです。
 兄弟分には内意を受けているのですが、女房殿には、まだ打ち明けていません。教祖にすれば、お布施はみんな取られてしまうので、コトは慎重に運ばなければならないのです。
 「ボクは、サビ抜きのトロ鉄火丼」と、ウニはそっと呟きました。

abegeorge at 15:33|PermalinkComments(7)TrackBack(0)clip!

2009年05月19日

ウニも三つになりました

 ウチの山小屋に登る道の両側に、ヤマツヅジが咲いています。目にも鮮やかな紅い花なので、ただ咲いていると言うより、咲き誇っている…と表現した方が良いでしょう。連休明けのこの季節が、八ヶ岳の一番美しい時かも知れません。
 山吹の黄色の花も、目から入って心に染みていきます。こんな所に山小屋が持てて本当に良かったと、僕はしみじみ思うのです。
 僕は十年前にこの山小屋を建てるまで、ずっと海志向の男でしたから、山や高原の知識はほとんどありません。花や樹の名前も、よく知りませんでした。
 山小屋を建てると聞いた将棋仲間のタッチャンが、“アベは旨そうなものを見ると何でも口に入れちゃう喰いしんぼだから、この本をやらないと死んでしまうかも知れない”と、キノコの図鑑をわざわざ家に持って来てくれました。
 その極彩色のイラストが満載してあるキノコの図鑑は、定価7000円と帯に書いてありましたから、タッチャンは余程、自分よりちょっと下手な将棋相手が大事だったのでしょう。
 傘にわざとらしい赤の斑点がある漫画の毒キノコみたいな奴が、その図鑑によると“食用・美味”で、いかにも普通で害のなさそうなのが“猛毒”なのですから、知らずに採ってきて天麩羅にでもして食べてしまったら大変です。
 キノコは女や猫と一緒で、性格がいいかネジ曲がっているか、なかなか外見では見分けは付かないと、タッチャンがくれた図鑑をほんの五ページ見て分かりました。僕は五を聞いて、百の真理を知るのです。
 たいした研究もしないで、今の女房とウニに当たった僕ですから、この幸運を大事にすればいいだけで、キノコの図鑑を覚えるのは女房殿の役目だと決めました。それでも運悪く毒キノコにやられて、最近お気に入りのマドンナ・黒木メイサに会う前に泡を噴いてあの世に旅立っても、それが運命だと僕は腹を括っています。

ウニ4 五月十日は、ウニの三歳の誕生日でした。四国の松山から来た時は真っ白で、掌に載るほど小さかったウニは、三年経つ間にどんどん色が変わって、今では全体が白とグレイにベージュが混じった五.五キロの立派な猫になりました。
誕生日ケーキ 三年前に東京の僕の家まで、ウニを連れてきてくださった大池ひとみさんが、今年も素敵なバースデイケーキを送ってくださいました。
 そしてウニの五厘下がりの兄弟分の僕は、十七日に七十二歳になりました。五厘下がりの兄弟分というのは、イーブンではありません。ウニと僕と二人きりでいる時は“おい兄弟”と呼べるのですが、他人様がいる時は僕はウニに対して、“アニキ”と言わなければいけないのです。
 ウチの絶対専制君主は、僕とウニは共通点が三つあると言います。一つ目は、何時でも何処でも寝ちゃうこと。二つ目は、ご飯を出せば皿まで舐めるように食べること。三つ目は、サービス精神が旺盛で、家に来た人みんなにスリスリすることだそうです。(なんだか僕はかなり馬鹿にされています)
 いずれにしても日本航空で同期だった亀ちゃんが口を利いてくれて、我が家にやってきたウニは、僅か三年の間にウチの絶対専制君主に取り入って何時の間にか、僕より偉くなってしまいました。自民党にも民主党にもウニと同じように、大したことはしてないのに、どんどん出世する奴がいます。
ウニ3 バースデイケーキを食べてからウニは、生まれて初めて小さな金ブンを一匹生け捕りました。ウニは金ブンもアリも、みんなお友達ですから、殺したり食べたりはしません。それでも機敏にジャンプして見事に捕まえました。そして家で一番偉い人は、この快挙に手を叩いて褒めちぎったのです。
 なぜ兄弟分はこんなことで、こんなに絶賛されるのでしょう。猫が金ブンを捕まえるのは、サラリーマンが毎日会社に行くのや、政治家がウソを吐くのと同じ当たり前のことで、そんなに感嘆するようなことではないと僕は思うのですが、気の小さい僕はそんなことも口には出せないのです。
 だから何時まで経っても膨らんだ腹が萎まないので、際限なくダイエットを続けなければなりません。「物言わぬは腹ふくるるわざなり」と昔の人は言いました。 ウニ2

abegeorge at 00:00|PermalinkComments(6)TrackBack(0)clip!

2009年05月06日

お値打ち発見

 行きつけの飲み屋で会った酒屋のご隠居が、「もう店番をウチの婆さんや孫なんかに頼めない。時給八百円の大学生のアルバイトでも、こんなにビールの銘柄が増えたら、とても覚え切れない」と半ベソでボヤいたのです。
 やたら増えたのはビールだけではありません。大吟醸から焼酎まで、覚えなければならない名前と値段が日々増えるのですから、もうどう仕様もないと言うのです。
 「酒だけでも参っているのに、ウチは煙草もやっているから気が遠くなる」と言われて、僕は同情しました。今の煙草屋さんは国産はもちろん、マルボロからセイラムまで、銘柄ごとに強いのや弱いの、長さにもいろいろあって、これではお婆さんや中学生のお孫さんでは店番が務まりません。
 僕が煙草を喫み始めた約半世紀前は、煙草屋さんで売っていたのは値段の高い順に、富士、ピース、光、新生、フィルターではない吸い口付きの朝日、それにゴールデンバットと、煙管で喫む刻みタバコののぞみぐらいでした。フィルター付きのハイライトや、いこいにチェリー、スリーAなんて煙草は、昭和三十年代になってからだと思います。
 十本入りの光が三十円、二十本入りの朝日とゴールデンバットも三十円で、十円玉を三つ握っていたチンピラの僕は、どれにしようか迷ったのです。
 そんな優柔不断な僕でしたが、当時の煙草屋さんなら店番が務まりました。でも今の煙草屋さんでは、とても僕の粗雑な頭では覚え切れません。
 今から五十年ほど前の酒屋さんは、もっと楽でした。ビールはキリンにサッポロ、アサヒと三種類しかなかったからです。タカラが参入してすぐ消えると、暫くしてサントリーが加わりましたが、それでもたった四種類です。
 十代で一升酒を呑んだ僕ですが、チンピラの舌なんか当てにはなりません。“ビールの銘柄当て”では、恥をかくばかりでした。普段あれに限るとか、これは不味いとか知ったげなことを言っているくせに、何度やってもたった四種類のビールが、味や喉越しでは違いが分かりません。皆さん馬鹿にするでしょうが、日本のビールは政治家と同じで、みんな似ているのです。
でも四種類のビールで、新参のサントリーだけは必ず言い当てました。その頃、奥歯が虫歯になって神経を抜いたところで、ちょっとしたワケとトラブルがあって、治療が中断してしまいました。だから奥歯の外側だけ残って、内側はガランドウのままだったのです。
 いくら命知らずだけが売り物のチンピラでも、歯医者の椅子と床屋の椅子は、男を完全な無抵抗状態にします。だからローリング・トェンティースのマフィアは、床屋で相手のボスを襲ったのでしょう。
 ところがそんな状態でビールを呑むと、サントリーだけはピタリと当たりました。虫歯の穴の中に残ったのを舌の先で突くと、泡のタッチが他のビールと明らかに違ったのです。味に差がなくても、泡の細かさが違いました。

 あと半月で七十二歳という時になって、僕はかなり意欲的に、この頃のビールを試してみようと思い立ちました。旨そうなビールのCMを見ると、知らないで人生を終わるのが口惜しくなったからです。
 女房殿は、「あれはビールじゃなくて発泡酒よ」とか「これは第三のビールなんだって」とか、僕にはチンプンカンプンなことを言うのですが、僕はなんでもいいから端から二本づつ、買い物のたびに買って来ておくれと頼みました。
 ほとんど数限りなくある新製品を、二本づつ端から呑んでみるというのは、未知の世界へ挑むマゼランやコロンブスみたいなものです。ひと月ほど毎日二本、CMでタレントが旨そうに呑むビールやビールもどきを、とっかえひっかえ呑み続けていたら、とうとう連休二日目に水平線にインドが見えました。
 二十年以上呑み続けていた、サッポロの「黒ラベル」に匹敵するのがあったのです。「これは良く出来たビールだ。どこの何ていうビールだ」と、僕が老眼鏡をかけて缶を見ていたら、女房殿が「それは貴方が偏見を持っているビールもどきよ」と教えてくれました。
僕は反権力ですが、偏見や差別とは無関係なのに、女房殿はまるで分かっていません。  松茸のお吸い物でお米を三合炊いて、小さな松茸を一本スライスして載せると、松茸御飯が五人分美味しくいただけると、昔一緒に番組に出ていた高見知佳ちゃんに教えて貰った時から、僕は日本の食品メーカーの高度な技術を信じていました。
 松茸の風味が合成で出来るのなら、たいていのモノは自由自在です。オイスターソースは言うに及ばず、ジェット燃料のケロシンでも、他の原料で作ってしまう技術力が日本にはあります。日本で下らないのは、政治家と銀行だけだと、僕は三十年前に書きました。
009 その『麦とホップ』を呑んで僕は、ビックリしました。サッポロビールはこんな旨いビールもどきを作って、本物のビールは大丈夫なのか、売れなくなったりしないのかと心配になりました。爺いは心配性でお節介なのです。
 サッポロビールの経営を心配しながら、僕は女房殿に、「ビールはもう、お値打ちの『麦とホップ』でいいよ」と叫びました。我慢するとか、まぁこれでもいいか、なんてレベルではありません。『麦とホップ』は旨いのです。「安い」なんて言葉は使いません。日本には「お値打ち」という、いい言葉があるんです。

abegeorge at 00:00|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!

2009年04月22日

タタミの想い出

今週は、アケミでもハルミでもなく、タタミの話です。このところ何とも言えず、タタミへの想いに取り付かれています。
 トリツカレテは、“とり憑かれて”と書くのかも知れません。曲がりなりにも文章でメシを喰っている身で、こんなあやふやなことでは恥ずかしいのですが、それが本当ですから仕方がありません。
 僕は歳をとって、虚勢を張ったり嘘を付いたりするのが面倒臭くなりました。もう女にモテなくても構いません。(これはウソです)
 「なんだ。アベの奴は総理大臣と同じレベルのバカだぜ」なんて言う人がいても、二十年前の血気盛んだった頃なら、パトカーも救急車も駆け付ける騒ぎになっっていたでしょうが、今では何も起きません。
UNI ソファーの上で、手足も34センチある縞の尻尾も思い切り伸ばして、空を飛んでいる夢を見ているウニが、近くを通った僕に片目さえ開けず無視をしても、怒ったリしません。 二十年くらい前に、僕はパソコンではなく原稿用紙に「見栄と気取りは男の勲章だ。それを無くしてしまえば、そんなものは煙草を吸って酒を呑み、正常位で子供を作る珍しい豚だ」と書きました。自分では、この世の真理を書いたと思っていたのですが、誰も賛同してくれませんでした。
 そんな見栄も気取りも無くなった僕でも、パジャマやジャージでは表に出ません。玄関の外にある郵便受けに、新聞を取りに行く時でも、せめて短パンかジーンズを穿くことにしています。
 歩いて七十歩の郵便ポストに行く時も、僕は玄関用のサンダルではなく、面倒臭いけどスニーカーを履くのです。
 そんな僕を見て、チグハグだと女房殿も、生意気にもウニまで嘲笑するのは、普段、僕が徹底した面倒臭がり屋で、放っておけば一週間でも風呂にも入らず、シャワーだって浴びないからです。
 今朝シャワーを浴びて、背中もお尻もシャボンでゴシゴシツルツルやったのは、相馬鍼灸院に行って鍼を打っていただく予定があったからです。相馬先生は鍼を打つ前に、アルコールを湿した脱脂綿で拭いてくれます。もし、その脱脂綿がドス黒くなったら…と思うと身が縮みます。だから面倒臭くても、僕はシャワーを浴びてから相馬鍼灸院へ行くと、この十年誰に言われなくても、ちゃんと自分で決めているのです。
 これが爺いに残された、最後の見栄と気取りでしょう。ウニは松山から家に来て、と言うより生まれてから三年、歯も磨かずお風呂に入ったこともなく、おまけにパンツも穿き替えたことがないのですから、デカイ面をしていいものではありません。

 と、そんなことはさておき、桜の花が散って暖かくなると、僕は妙に畳が恋しくなります。八ヶ岳の山小屋には畳の部屋が一部屋もなく、杉並の家にも義母専用の和室が一部屋あるだけです。
 なぜ畳が縁遠くなってしまったのでしょう。旅をしても泊まるのはホテルで、旅館には泊まりません。哀しいことに待合なんか、もう二十年以上も御無沙汰です。靴を脱いであがる和食の店にも、まず自分から行くことはありません。
 お布団で寝るのには、足腰が弱くなり過ぎました。ヨッコラショッと起き上がるのが大変で、トイレも我慢してしまうほどですから、もう我ながら哀しくなります。
 博奕打ちをしていた若い頃は、畳の上で如何に居ずまいを美しく、鯔背に見せるかということに神経を使っていました。畳の上を銭が飛び交う鉄火場だからこそ、見栄と気取りを失わず、さっそうと格好良くしていたいのです。
 ひどい負け方をして頭の中が真っ白になってしまった時でも、そんな気配を表に出してはいけません。“盆の坐り”の善し悪しが博奕打ちの値打ちでした。自分にそんな時代があったなんて、こうやって書いていても、もうまるで映画のワンシーンのようです。shigotoba_4072
真新しい畳のい草の匂いに、何とも言えず心地よさを感じるのは日本人だけでしょう。畳のへりの柄や色遣いには、日本特有の美意識を感じます。そう言えばこの頃、街で畳屋さんが仕事をしているのを見かけなくなりました。薬缶の水を口に含んで、プフォーッと威勢よく鮮やかに畳表に吹くのです。あれはよく子供の頃に、家で真似をしてオフクロに怒られました。 

 でも今想うのは、下着姿で畳の部屋に寝そべって、ウニの伸びみたいに思いっきり手と足を伸ばしたいということです。い草の匂いを胸いっぱいに吸い込んで、ぼんやりウトウトしたいのです。そんなことを想いながら、結局はウニをどかしてソファーで寝っ転がる僕なのです。


abegeorge at 00:00|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!

2009年04月08日

今年初めての八ヶ岳

 調布インターから中央高速に乗って、僕が赤い車のアクセルペダルを踏み込むと、ほとんど同時にウニが反応しました。それまで後部座席のケージの中で大人しくしていたのに、その途端に“ニャーオ”と大声を張り上げたのですから、まるでエンジンの回転計のような猫です。
 「ウニじゃなくてタコだな」と僕は言ったのですが、それだけでは女房殿には何のことだか分かりません。面と向かって喋っている時は、相手が怪訝な顔をすれば、すぐ言葉をフォロー出来るからいいのですが、文章だとそれが出来ないので、読者は首を捻るだけになってしまいます。大家の文章でもたまに、説明が全くないままフレーズだけポツンと出て来ることがあって、読者を混乱させることがあります。
 助手席の女房殿が「なぜウニじゃなくて蛸なの?」と言ったので、僕はすぐ「足が八本ある蛸じゃなくて、タコメーターのタコだ」と言いました。我ながら余り上手いジョークではないと思っていたのですが、やはり女房殿は笑ってくれませんでした。
 二十年前は、どんなお粗末なジョークを言っても、顔だけではなく胸まで震わせて笑ってくれたのに、この頃では余程上手いことを言わなくてはニコリともしてくれません。  けど、だから僕はこの年になっても、文章を書いて飯が食えるのかも知れないのです。見近に一番手厳しい批評家がいるのは、タマに頭に来ますが、自分に甘い僕のような人間には望ましい環境なのかも知れません。
 ウニはそのまま100キロも大声で啼き続けて、いつものことですが、境川サービスエリアまで来るとやっと静かになりました。本当に変なネコです。なぜエンジンの回転が上がったり、トンネルの橙色のライトに、ウチのウニは敏感に反応するのでしょう。

 僕たちには今年になって初めての八ヶ岳でした。去年の暮れに来たっきりですから、丸三ヶ月ぶりです。
 泉郷の中の坂道を登って行って、角を左に曲がると目の前に忽然と、そう忽然とです。突然じゃありません。山小屋が現れます。「あ、あった」。燃えも崩れも流されもせずに、という言葉を省いて僕は呟きました。女房殿もウニも同じ想いだったので、タコの時のように訊き返しはしません。僕たち夫婦は、まるで永くコンビを組んだ漫才師みたいです。
 二人と一匹の心は、杉並の家を出た時から、八ヶ岳の山小屋へ飛んでいました。燃えも崩れも流されもしないで、丘の上に無事で建っていて欲しいと、心の隅で願っていたのです。
 1999年の3月25日に建物の引き渡しを受けたのですから、今年でちょうど丸十年です。
山小屋は、ベランダの手摺りに置いてあった鳥のエサ箱の屋根が、風で外れていただけであとは無事でした。久し振りなので、ウニは何にでもオデコを擦りつけて匂いを移します。ついでに女房殿のふくらはぎまで、オデコを擦りつけました。
 次の日の朝、僕たちはゆっくり起きて歯を磨くと、11時になるのを待って井筒屋に鰻を食べに行ったのです。僕は蒲焼きと白焼き、それに竹の徳利に入った冷や酒をちょっぴりやって大満足でした。
井筒屋1
井筒屋2






 僕たちの八ヶ岳ライフは、鴨南蛮と生粉打ちの月舎、トリッパとピザのマジョラム、それと旨いお肉が食べられる但馬屋と吉泉のお陰で、いつも充実しています。そして黒ビールが呑みたくなると、ブル&ベアーに行くのです。マジョラム
 八ヶ岳の楽しみは、景色や空気だけではなく、実は旨いものを食べることもあるのです。今僕は、91.4キロの厚くて高い壁に、手こずって眉根に皺を寄せています。四月末には二泊三日の、ほぼ確実に二キロ太る飽食旅行を控えているので、出発前に体重を90キロ台に落とせと、女房殿にきつく申し渡されているのですが、既に四回も91.4キロの壁に、空しく弾き返されました。

 鰻を食べて山小屋に戻り玄関のドアを開けようとしたら、開くことは開いたのですが、鍵が壊れてしまいました。
 矢張り十年も経つと、ちょこちょこ不具合が出るのです。ドアの鍵はシリンダーが抜けてパーツが落ちて無くなってしまったので、夜までに何とかしないと不用心です。
 女房の友達のカオルちゃんの亭主のジェフは、ペンキ屋も大工も出来るのに、僕は自慢じゃないけど何にも出来ません。ウニも食べて寝て、甘えるだけの猫です。
 泉郷の事務所に電話したら、すぐ係のオジさんが鍵屋さんと一緒に来てくれて、鍵を取り替えてくれました。こんな時につくづく、野中の一軒家ではなくて良かったと思うのです。
 ウニもそう思っていたのに違いありません。鍵屋さんの脛にオデコを擦りつけていました。この猫は人見知りを全くしません。産まれてから怖いものに会ったことがないので、みんなお友達だと思っているのです。カオルちゃんの針金ドッグ、イタリアングレイハウンドのニッキーも、ウニは頭からお友達だと信じて疑いもしません。
 ヒトもみんなウニみたいになれば、テポドンに心配しなくてもいいのになと、僕は夕焼けを見上げて想いました。巣に帰る小鳥が、まだ新芽の萌えない林の上を飛んで行きました。

abegeorge at 00:00|PermalinkComments(3)TrackBack(0)clip!

2009年03月25日

“WBC漬け

 二十二日の日曜日の夜は、大好きなハイボールを大きなグラスで呑みながら、漫画家の西原理恵子さんの「この世でいちばん大事なカネの話」を、朝の三時半まで読んでしまった。苦労して一家を成した方の、特にカネにまつわる赤裸々な話は、面白くて読み出すと止まらない。カネの話
 ここまで書いて、この日誌は“です・ます”で書くのだったと気が付いたのですから、中川元財務大臣のように酒や薬の助けを借りなくても、老人性モーロー症は可成り進行していると僕は自覚しました。
 でもまあ出だしのホンのちょっとの間違いですから、大目に見ていただいて、直さずに書き続けることにします。
 僕は毎日寝る前に女房殿に、明日の朝御飯は何をいただけるか訊きます。とにかく夕方六時に晩御飯を軽く食べるだけですから、おなかが空いて眠れないのです。
 僕は若い時に何度か入院したり監獄に入れられたりしましたが、そういう所は夕飯の時間が早いのでお腹が空いて寝られませんでした。緩慢ですが今もずっとダイエットを続けているので、毎晩入院や懲役の時と同じように空腹による睡眠障害を起こすのです。
 悪いことは痴漢も無銭飲食もしない僕なのに、毎晩ヒモジくて眠れないのは何かのバチでしょうか。せめて朝御飯のメニューだけでも聞いておかないと、あれやこれや食べたい物が頭の中に浮かんでは消えて、まんじりともしないで朝を迎えることになります。
 日曜日の夜、女房殿は“目玉焼きにポーク&ビーンズとパンか、それともワカメのお味噌汁とエボ鯛の干物とゴマ豆腐。どっちがいいの?”なんて面倒臭そうに言いました。食べる僕は必死なのに、作る方はなぜ面倒臭いのでしょう。
 僕はお金持ちも、宮あおいの亭主野郎も少しも羨ましくなんかありません。けど、おなか一杯食べても肥らない奴が、羨ましくて妬ましくて仕様がないのです。

 かけておいた目覚まし時計が“オキロ、起きろ、起きなさい”と、しつこく喚き立てたのは、月曜の朝九時半でした。寝惚け眼を擦りながら寝室を出てリビングに降りたら、ソファーの僕がいつも坐る位置に、白というより灰色の長い尻尾の猫が寝ていて、僕を見ると“オハヨー。早起きしたのは野球だろ”と、耳と髭で言いました。ウニは八分の七ぐらい耳や目や尻尾や髭で喋るので、女房殿にはほとんど分かりません。
 ウニを追い払ってテレビをつけたら、いくらおなか一杯食べても決して肥らなさそうな羨ましい日本ハムの稲葉が、目の醒めるような素晴らしいヒットを打ちました。きっとこの男は、毎晩ぐっすり寝るのでしょう。ヤクルトの青木や西武のショート・中島、それにこの稲葉が僕は好きです。
 大相撲は栃剣と舞の海が大好きでしたが、この頃は見なくなりました。競馬の騎手は東信二と安田富男でした。プロ野球選手は、誰が何と言っても青田昇と大杉勝男でしたが、二人共もうあの世に逝ってしまいました。
 今WBCに出ているピッチャーでは、左の杉内が僕のお気に入りで、背番号は11です。僕が子供の頃は、背番号11は巨人の別所さんでした。故 別所毅彦さん二十年ほど前、西都のヤクルトのスプリング・キャンプに行った時、青田昇さんから紹介されて別所さんとお昼御飯を食べました。別所さんは神戸の滝川中学で、青田さんの二年先輩なのだそうです。故 青田昇さん
 お二人ともその頃は、まだとても元気で声の大きい朗らかな老人でした。僕だってまだ五十そこそこで、今から考えると驚くほど活動的でした。
 食堂のテーブルに座ると青田さんは「この人は、天丼をおかずにカツ丼を食べるんだ」と笑いながら言いました。言われた別所さんは苦笑して、「いや年を取ったから、この頃はそんな大喰らいはしないよ」と言って、けど天麩羅うどんをおかずに、カツ丼を召し上がったのです。今の僕からしたら、羨ましくてヨダレが出そうな食べっぷりでした。
 アメリカのメジャーリーガーを相手に、ストライクが先行する安定したピッチングの杉内を見て、僕はとっくにあの世に逝っておしまいになった青田さんと別所さんのことを思い出していました。このお二人や中西太さん、それに金田正一さんや杉浦忠さんが、もしメジャーリーグで野球をしていたら、どうだったでしょう。
 野茂英雄がメジャーリーグへの道を切り開いたパイオニアです。バスコ・ダ・ガマです。マゼランなのです。僕たちプロ野球ファンは、成田ではなく羽田に、西を向かってスックと立つ野茂英雄の銅像を建てなくてはいけません。

 WBCの試合は全部見ました。次は日本のプロ野球の開幕です。世間のウサは、野球でまぎらわせて、今週僕は女房殿を助手席に、ケージに入れたウニを後部座席に乗せて、久し振りに八ヶ岳に行きます。ああ、今からワクワクします。 

abegeorge at 00:00|PermalinkComments(3)TrackBack(0)clip!

2009年03月11日

“チャンチキ・ツァー!”

頬に当たった風の角が円くなったと感じたら、それは冬が逃げ腰になった証拠です。
 僕たちは万物の霊長・人間サマですから、ついモノを想い過ぎてしまいます。春はいつもと変わらず自然にやって来ただけなのに、宮沢りえが孕んだからとか、アメリカ発の世界同時不況で、冬が驚いて足早に立ち去ったのではなかろうかなんて、いろいろ考えを巡らします。
 僕たちと書きましたが、こんなことを考えるのは僕だけかも知れません。けど何はどうあれ、梅と桃の花が咲けばもう春です。今年は日本中、桜の開花が早まりそうだとニュースでも言ってました。尻尾を巻いて去った冬は、もう暫く帰って来ることはありません。
 今朝の豆腐のお味噌汁に、女房殿は蕗の薹を刻んで散らしてくれました。食品スーパーで買った蕗の薹は、香りも苦味もホノカです。
 しかし、スノータイヤを持っていない僕は、八ヶ岳には行けないので、贅沢は言えません。八ヶ岳で過ごす平和で楽しい時に比べて、東京で暮らす毎日は、我慢しなければならないことが沢山あるのは仕方ないことです。
 そもそも人生の半分をシッチャカメッチャカに過ごして、年金もない暮らしですから、こんなことは当たり前です。
 竹中平蔵という“曲学阿世の徒”(今の漢字の読めない総理のお祖父さんが遣った懐かしい罵り言葉です)の所為で、社会には非道い歪みが生じています。勤勉で誠実な人が職場を追われて茫然としているのに、僕みたいな勤勉とも誠実とも無縁だった男が食べていけるのは幸せだと思います。ホノカな香りと苦味の、天然ではなくハウス栽培の蕗の薹にケチをつけるのは傲慢です。
 戦争中の「不自由を自由と思えば不足なし」というスローガンは、思い出すたびにムカつきますが、古稀を過ぎて健康でなんとか暮らしが成り立っていることに、心から感謝しているのです。

 麻布中学の同窓会の幹事をしてくれている江波戸さんから、メールが届きました。
 定額給付金で一杯やろうと言うのです。一緒にラグビーをしていた向本さんは、石和温泉の“石風”の主人なのですが、そこで芸者を挙げて、みんなでチャンチキやろうという、ド素晴らしい企画でした。。石風芸者1
 「やる。やる。俺は大賛成だ。野本さんの替え歌が是非聴きたい」と僕が返メルしたら、すぐまた江波戸さんから返事が来て、野本さんは東京マラソンでの記録更新を狙って練習中だから、今回の石和チャンチキ・ツァーは欠席だと書いてありました。
 野本さんが酔っ払って唱うエロい替え歌は絶品で、ほとんど国宝級か無形文化財です。これを聞かなかった人は、宮あおいを見なかった人と同じだと、僕は気の毒に思っているのです。芸者2
 野本さんは第一回の東京マラソンを完走して、僕たちを仰天させました。ゴルフも超ウマイのですが、まさか七十代になってからフルマラソンに挑戦するとは思ってもいませんでした。
 僕はしつこく野本さんに、誘いのメールを送りました。
石和温泉 『野本さん、一緒に石和に行きましょうよ。一番若くて綺麗な芸者を、貴君の為に僕が確保します。宴会では、一番トンカツの大きな席に貴君を座らせます。往きのバスでは、一番前のバスガイドに手が届く席を、貴君に譲ります。だから、石和に行きましょうよ。平壌やバグダッドに行こうと言っているのではありません。暖かで平和な甲州の温泉に行こうと、僕は一所懸命お誘いしているんです。』
 野本さんから、すぐ返事が来て「人生最後になるかもしれないマラソンを優先させてくれ」とありました。野本さんは定額給付金でペアの鉢巻きを買って、奥さんと手を繋いで東京マラソンを走るつもりらしいのです。
それにしても、今年七十二になろうかという爺いたちが、通信手段はみんなメールなのですから、時代は変わりました。ヒマなので、笑っちゃうほどアッという間に返事が返ってきます。結局この一泊ツァーには十八人参加することになりました。

 春になると万物の霊長は、いろんなことをそれぞれ考えるのです。
 テレビに映った爺婆は、給付金を貰うのに御礼を言ってましたが、自分が納めた税金がほんのちょっと戻ってくるだけの話ですから、そんなに丁寧にお上に礼を言うことなんか、五厘銅もありません。
かいじ

abegeorge at 00:00|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!

2009年02月25日

“こんな日に限って…”

 寒いのと、身支度が面倒くさいのと、外に出ると金がかかるのがイヤで、“老人性自宅ウダウダ外出拒否症”に罹っています。家の中を熊のようにウロウロ徘徊して、女房殿やウニにうるさがられる毎日なのです。
 仕事も、昔は外で何でもこなしていたのに、今は取材や打ち合わせでも皆自宅に来てくれるので、わざわざ出掛ける気がおこりません。当然髭も剃らず、むさ苦しい姿でいるので、我ながらとてもバッチイ爺いなのです。  
 でも明日は吉祥寺の歯医者さんに予約を入れているので、昼前には出掛けなければなりません。帰りに紀ノ国屋で買ってきてほしいと女房殿に頼まれているモノもあり、馴染みの古本屋さんにも寄ろうと決めています。
 そんな訳で、夜の十二時に僕は週刊新潮と日刊ゲンダイを持って、ベッドに横になりました。そして寝室のテレビのスイッチを入れたのが、もしかすると全ての煩いの始まりだったのかも知れません。
 CSチャンネルの画面に綺麗なブルネットの大年増が映って、旨そうな南イタリア料理を作っていました。生ハムとメロンの“プロシュート・メローネ”を前菜に、もう堪らないほど旨そうな料理が、次々と見せびらかすように出て来ます。
 来週は月一回の日本医大の定期検診があるので、僕は体重を減らす為に晩御飯をちょっぴり食べただけですから、気が狂いそうになりました。“フーディーズ・チャンネル”は、絶対にお腹が空いている時に見てはいけません。これは拷問です。
 最近は「風邪薬酔い」で「中川る」ことは、滅多にありませんが、このままでは“老人性空腹不眠症”になってしまうと思った僕は、超人的な勇気と決断でテレビを消しました。
そして静かに週刊誌をめくったのです。
 日刊ゲンダイも読み終わって時計を見たらなんと朝の五時だったので、僕は慌てて眠り薬を呑みました。歯医者さんの予約は昼の十二時半なので、朝御飯を食べる為には十時半に起きなければいけません。ヒグマは冬眠する前にお腹一杯食べるのだと聞きましたが、僕はカラカラのお腹を薬で騙して寝たのです。
 翌日は暖かい朝でした。剃刀で剃るのは面倒なので、僕はゴルフの賞品で貰った、古くて切れないシェイバーで髭を剃りながら、八ヶ岳の雪はもう溶けたかな…と、八ヶ岳連峰に想いを馳せました。
 ネコや犬は勿論、ワニもシャチも歯なんか磨きません。けど今日は歯医者さんに行くのですから、ちゃんと歯を磨きました。女房殿が朝晩、歯を磨くのは、元カレがライオン歯磨きの社員だったからに違いないと、そんな余計なことも頭に浮かびました。
中央線 冷たい水で二回も丁寧に顔を洗ったのに、頭がキリリとしません。睡眠薬も“中川病”の原因になるらしいので、気を付けなければいけません。仕方がないので僕は「車を運転して歯医者さんに行くのは止めて電車にする」と、女房殿に洗面所から叫びました。
 電車では両手で吊革を握っていないと、植草教授みたいに痴漢と間違われると僕は知っています。大好きな滝川クリステルさんや宮?あおいチャンが中央線に乗っていても、僕は遠目で見て近づかないと決めています。確かに“老人性ムラムラ妄想症”の気はありますが、七十一歳と九ヶ月で、痴漢と間違われちゃぁ堪りません。

阿佐ヶ谷駅 阿佐ヶ谷駅のプラットホームで下りの電車を待っていたら、とても綺麗なオバさんに、「アベさん」と声を掛けられました。慶應高校の同級生で以前僕のマネージメントをしてくれた、赤尾のケンちゃんの奥さんです。四十数年前に僕が見初めて「オイ。魂消た美人がいたぞ!」とケンちゃんに教えたら、ナオに取られちゃ大変だと慌てて結婚式をあげたという、それはとても綺麗な方でしたが、十五年振りでお目に掛かっても、少しも変わらない美しさでした。
 アルバムを見ると、僕は半年ごとに老い耄れます。女房殿もウニも分かりませんが、自分ではハッキリ違いが分かるのです。それなのに、いい女はなぜ…と僕は首を捻ります。
 ケンちゃんの奥さんに「さよなら」を言って、ホームに入って来た電車に乗ったら、今度は麻布中学で同級生だったノザワさんに、“ナオじゃない?”と呼び掛けられました。
これは三十年振りの再会です。ケンちゃんの奥さんもノザワさんも、声を掛けてくれたから分かったのです。ひとしきり麻布の後輩のゴックン大臣と「ガンバレ、ニッポンイチ」と叫んだトンデモ女房の話を喚き合って、吉祥寺で別れ、やっと歯医者に着きました。
 若くてチャーミングな歯科衛生士のお嬢さんが、僕の歯を丹念に磨いてくれます。野生のライオンも猛禽類の鷲や鷹も、牙や歯よりも爪を傷めると致命的だと本に書いてあったのを思い出したので、寝心地のとてもいい歯医者さんの椅子でウトウトしていた僕は、そっと袖から手を出して爪を覗いて見たら、伸びた爪に黒い垢がほんの少し見えました。「あ、ケンちゃんの奥さんも見たかな」と思って、僕は顔が赤くなりました。

KINOKUNIYA 歯医者さんから紀ノ国屋までは、歩いて十分ほどです。紀ノ国屋は何でもとても美味しいのですが、お値段もそれに比例しているので、ケチンボの僕は歯医者さんの帰りにしか足を踏み入れません。
紀伊国屋 この日は、女房から頼まれた鴨のテリーヌと海苔の佃煮、それに僕の大好きなブルーチーズを買うのです。海苔の佃煮は四万十川の川海苔しかありませんでした。「海苔は江戸前でいいのに、なんで四万十川なんだ」と商品棚の前にかがんでボヤいていたら、まるで昔のアンジー・ディッキンソンみたいな形のいい足が僕の目の前に立って、透き通った声が「アベさんじゃありません?」と上から落ちて来たのです。
 驚いた僕の前に、美しい婆サマがいました。「ヒロコです。ヤカタのヒロコです。二十五年前に主人は死んでしまいましたが…覚えていらっしゃいますか」と続けました。僕は「あっ」と声を上げました。五十年以上前、東京で一番光り輝いていたヒロコちゃんが、少し皺があったけど僕の眼の前にいました。ヤカタと仰ったのは東京女学館のことです。
 どうして買ったばっかりのお気に入りの革のジャンパーを着ずに、着古したダウンジャケットを今日に限って着てきたのだろうと思いながら、爪が見えないように僕は拳骨を握ったのです。
 本当に何処で誰に出喰わすか分かりません。何時でも、もう少し身綺麗にしていなければいけないと、今回はつくづく肝に銘じました。でも何と言っても重度の“老人性健忘症”なので、家に帰る頃には多分覚えていないでしょう。

abegeorge at 00:00|PermalinkComments(3)TrackBack(0)clip!

2009年02月11日

“人生は、うまくいかない”

 コーヒーを飲みながらデイリースポーツを読んでいたら、突然テレビにウニによく似た猫が映ったので、僕は“オヤ”と思いました。 驚いたなんて、そんな大袈裟なことではありません。この二年半、僕たち夫婦と一緒に暮らしているウニは、可愛い奴ですが極くありふれた猫で、ビックリするような特殊な猫ではないからです。
 僕は“うちのウニは日本一、いや世界でも三本の指に入る可愛い猫だ”と思っていますが、聞かれないから言わないだけです。ウニ2
 僕は今年の五月で七十二歳になる爺いですが、十五年前だったらきっと、“世界一可愛い猫だ”と躊躇わずに言い切って、アチコチに触れ回っていたでしょう。
 穴があれば脳天からスッポリ入りたくなることなのですが、僕は六十歳になるまで何も考えずに、ほとんど反射的に生きて来ました。これは愚かなこと、他人迷惑なことで、思い出すたびに顔が引きつって、思わず叫び出したくなるほど恥ずかしいのです。
 朝青龍も江川卓も、それに安倍晋三や山本モナもみんな、歳を取ったら若い頃無分別にやってのけたことが、思い出したくなくなるでしょうか?
 僕は中学二年生から還暦までの間のことは、思い出したくありません。いいことだって、もちろんいくつもあったはずなのに、なぜ恥ずかしくて身の縮むようなことばかり思い出すのでしょう。
 それでも遅蒔きですが、還暦を過ぎてやっとモノを考えるようになったので、“うちのウニは、世界で三本の指に入る可愛い猫だ”なんて、客観的で少し控え目なことが言えるようになったのです。
 ウニによく似た可愛い猫のトボけた顔が、画面にクローズアップされます。白い立派な髭とビー玉みたいな青い目が、“ボク、この家で二番目に偉いんだよ”と、カメラ目線のドアップで言ったから、僕はデイリースポーツを手から取り落として、「うわっ、ウニだ。うちのウニがテレビに映ってる」と、ソファーに座って豆大福を食べていた“うちで一番偉いヒト”に叫びました。ウニ1
 「そうよ、この前撮った『わんコにゃんコ』よ。昨日、テレ朝から電話があって、今日の十一時四十五分からオンエアだって、あなたにも言ったでしょ」と、女房殿は平然と言いました。
 
 日本では一番偉いのが官僚で、次が政治屋、そして三番目が銀行家の順番です。ゴロツキは、総長、組長、それからずっと下がって代貸ですが、それが我が家ではちょっと違います。
 大統領よりずっと偉くて、首相なんか屁でもないほど権力を持っているのが、豆大福より本当はショートケーキが好きな女房殿で、次がカニ棒に目がないウニなのです。なぜ二人と一匹の一家で、僕が副大統領にも官房長官にもなれないのでしょう?
 運転も出来るし歌も唱えるのに、なぜ僕はウニより位が下なのでしょう。いつ誰が、そんなこと決めたんでしょう。この世の中は、ワケが分からないことが多過ぎます。
 いつ誰が、比例代表で詰まらない奴が国会議員になる制度を決めたのでしょう。
 いつ誰が、あと二年で今見ているテレビが使えなくなって“地デジ”にすると決めたんですか。
 こんなことになったのは、そんな昔のことじゃありません。僕が還暦を過ぎてモノを考え始めた頃に違いないのに、僕には両方ともまるで覚えがないのです。
 女房殿は、ウニがテレビに映るのを確かに僕に伝えたというのですが、僕には覚えがありません。きっと比例代表制も地デジも、ウニのテレビ出演と一緒で、僕が小説のスジか晩ご飯のことを考えている最中に、決めたか言ったかしたんでしょう。 
 
 ちゃんとモノを考えよう、世の中の動きに目を配ろう、納得の行かないことにはきちんと声を上げよう…と思っていても、物事はいつの間にか決まってて動き出しています。
 世界同時不況も、去年の九月のリーマン・ショックから、アレヨアレヨと坂道を転がり落ちて、坂の終わりが見えません。まるで遊園地のループ型ウォータースライダーに、いつの間にか世界中が乗せられてしまったかのようです。
 せっかくモノを考える習慣が身に付いたのに、記憶力と理解力がだんだんダウンして、世の中の動きは早くなり過ぎました。
 テレビ画面のウニと実物のウニを交互に見ながら、人生はうまくいかないと、僕は複雑な気持になったのです。

abegeorge at 00:00|PermalinkComments(7)TrackBack(0)clip!