2014年05月
2014年05月27日
2014年05月24日
院内銀山のお話。
こんにちは。柴田です。
ジオガイドの鈴木清子さんのお誘いで、歴史作家・土居輝雄先生と院内銀山を歩くツアーに参加して来ました。
秋田の歴史と院内銀山の詳しいお話を伺いながら、銀山を巡って来ましたよ。
土居先生は、御歳86歳、穏やかな笑顔の素敵なおじいちゃま(先生ごめんなさい)。
秋田の歴史はお任せあれ、何を質問しても詳しく答えてくださいました。
湯沢の観光スポットとして有名な院内銀山。
江戸〜明治にかけて、秋田にそして日本にとって、とても重要な役割を持っていた場所です。
歴史については、ガイドブック程度しか知らない私。
時代背景や当時の権力者達の利権争いなど、いろいろ教えていただきました。
当時の繁栄の様子を思い浮かべながら、栄枯盛衰を肌で感じることが出来ました。
まだ頭の中で整理が出来ていない状態ですが、巡った場所を紹介します。
まずはじめに、院内銀山について。
発見は、1956年・1606年の二つの説があります。
閉山まで350年の歴史があり、3回の盛況な時代がありました。
発見当初・天保時代・明治時代となりますが、天保の最盛期には‘天保の盛山”と呼ばれ、藩の重要な財源となっていました。
当時は4,000戸、15,000人を越える人口を抱え、秋田の久保田城下をしのぐほどの繁栄でした。
明治にドイツ人技師が招かれ、近代的な設備での採掘が行われ、鉱産量が増加しましたが、明治39年に坑内火災が発生し、大打撃を受けました。
その後休山や再坑があり、昭和29年に閉山となりました。
江戸時代の院内銀山はこんな感じでした。

当時の採掘の様子です。

そして、明治時代の銀山町の様子です。

では、院内銀山のツアーの始まりです。
今回巡った順番に紹介していきます。
院内銀山入り口の看板を入ると、一番最初にあるのがこの場所。
「十分の一番所跡」
ここが院内銀山のただひとつの出入り口でした。
ここでは、持ち込む物の全てに十分の一(10%)の入役税がかかりました。
ここは、税の徴収だけでなく、キリシタンの潜入や坑夫や罪人の逃亡を防ぐなど、銀山の治安を守る為に重要な場所となります。


「異人館跡」
明治政府が鉱山の再開発と経営の近代化に力を入れたため、5名のドイツ人技師が派遣されました。
給料が500円、現在の額に直すと1,000万円となるくらいの高額な賃金を支払っていたそうです。
注目すべきは石垣。花の形の積み方をしています。
日本古来の積み方とは全く違う、西洋方式の積み方となっています。
花はバラという説があり、ドイツのクリスマスツリーのてっぺんには星ではなくバラの花を飾る風習があるそうです。キリスト教との係わり合いが伺われます。



現在、院内駅の駅舎と併設されている院内銀山異人館は、当時の異人館を模して作られました。

「3番共葬墓地」
苔むした墓石が建ち並ぶ共葬墓地。
この景観から、心霊スポットとして有名でもあります。
歴史を知らなかった頃は恐い場所のイメージでしかなかったのですが、勉強していくと、この場所の意味や亡くなった方たちの生活を思い浮かべることができるとともに、この地の繁栄を感じることの出来る一番の場所と思えます。
この共葬墓地は、主に経営に係わっていた‘金名子’と呼ばれる人に関係する方の墓地です。
ほとんどが火葬され、狭い土地にたくさん埋葬できるようにしていました。
江戸時代としては、珍しい事でしょう。
階級の高い人の墓地は高台に作られ埋葬されました。
高台の墓地は、現在は通行することが出来ない為、墓参することは出来ません。
身分の低いもののほうが、末永く供養してもらえるとは皮肉なものですね。
鉱山へは、日本全国から坑夫がやってきていて、隠れキリシタンも多くいたようです。
星のマークや戒名にキリシタンを伺える墓石もあります。
今でも、ご先祖の墓地を探しに来る方がいらっしゃいます。
地元の方が一緒になって、戒名を手がかりにひとつづつ墓石を探していきます。



「金山神社」
銀山の守り神として建立されました。


「長床跡」
鳥居をくぐり階段を上ると、広い場所があります。
この脇に長床跡があります。
長床は、奉納品を納めたり、神楽などを演じた場所です。


長床の前を通り、階段を上ると社殿になります。
階段と階段脇の場所は、神楽などの時に桟敷席にも使用していました。


「社殿」
現在の社殿は1830年に建てられました。
彫刻もすばらしく、奥殿は総ケヤキ造りになっています。
正面の山門は変形の楼門形式で、秋田県ではここだけの形です。
秋田藩からも大事にされ、藩主からも多数奉納品が贈られました。
9月21日の鉱山記念日には開帳され、中を見ることができます。


「御幸坑」
坑道の中で、唯一のの出入り口です。
江戸時代には、坑口広場に五番役所がありました。
明治14年、明治天皇が東北地方御巡幸の際、5番坑に入坑され、御幸坑と名付けられました。
明治39年の火災の際、延焼を防ぐ為、中に坑夫を残したまま扉を閉めました。
100名を超える坑夫が坑内でなくなりました。
この火災が大きな打撃となり、大正末期採掘中止になりました。
昭和になり再坑されましたが、昭和29年全山閉山となりました。



「西光寺跡」
銀山にはいくつかのお寺がありましたが、現在は跡地が残るばかりです。


「住居地跡」
かつては、軒を並べて建っていた住宅地も木々が生茂り、わずかに痕跡を残すばかりとなっています。
1枚目は門屋養安宅跡地、2枚目中央木々の奥に石垣が見えます。


閉山の昭和29年からたった60年しか建っていないのに、いまは当時の面影を残すものがほんのわずかしかありません。訪れる観光客も少ないので、静かにゆっくりといにしえの時と時の流れを感じてください。
人の手で整備されていない分、繁栄していたころの様子を自分のイメージの中で膨らませることが出来ると思います。
観光地として整備されていないので、ポイント毎に案内板が設置してあるだけです。
こちらに行かれる場合は、ガイドと一緒に見学することをお勧めします。
資料に載っていないようなお話も聞けると思います。
ガイドは湯沢市ジオパーク推進室へお問い合わせください。
ガイドを頼まない時は、まず院内銀山異人館を見学し、簡単な説明を受けてから行った方がいいと思います。
地図も貰えますので、それを見ながら巡る事をお勧めします。
重要なお知らせをひとつ。やぶ蚊が多いので、虫除け対策をお忘れなく。
10月末〜雪が降るまでの間は蚊はいないとの事でした。
今回は、秋田市のガイドの方とご一緒させていただきました。
見学後、会食しましたが、皆さん明るくて楽しい方ばかり。
楽しいひと時を過ごさせていただきました。
お土産の‘金萬’も美味しかったです。ありがとうございました。
今回まわれなかった所も何箇所かあり、また行ってみたいと思います。
ひとつのジオサイトを勉強すると、他のジオサイトに繋がっていきます。
ひとつひとつ学んでいきたいと思っています。
湯沢に興味を持ってもらい、良いところ・宝をみなさんにお伝えすることができるように頑張ります。
ブログを気に入って頂けた方、クリックをお願いします。


にほんブログ村
ジオガイドの鈴木清子さんのお誘いで、歴史作家・土居輝雄先生と院内銀山を歩くツアーに参加して来ました。
秋田の歴史と院内銀山の詳しいお話を伺いながら、銀山を巡って来ましたよ。
土居先生は、御歳86歳、穏やかな笑顔の素敵なおじいちゃま(先生ごめんなさい)。
秋田の歴史はお任せあれ、何を質問しても詳しく答えてくださいました。
湯沢の観光スポットとして有名な院内銀山。
江戸〜明治にかけて、秋田にそして日本にとって、とても重要な役割を持っていた場所です。
歴史については、ガイドブック程度しか知らない私。
時代背景や当時の権力者達の利権争いなど、いろいろ教えていただきました。
当時の繁栄の様子を思い浮かべながら、栄枯盛衰を肌で感じることが出来ました。
まだ頭の中で整理が出来ていない状態ですが、巡った場所を紹介します。
まずはじめに、院内銀山について。
発見は、1956年・1606年の二つの説があります。
閉山まで350年の歴史があり、3回の盛況な時代がありました。
発見当初・天保時代・明治時代となりますが、天保の最盛期には‘天保の盛山”と呼ばれ、藩の重要な財源となっていました。
当時は4,000戸、15,000人を越える人口を抱え、秋田の久保田城下をしのぐほどの繁栄でした。
明治にドイツ人技師が招かれ、近代的な設備での採掘が行われ、鉱産量が増加しましたが、明治39年に坑内火災が発生し、大打撃を受けました。
その後休山や再坑があり、昭和29年に閉山となりました。
江戸時代の院内銀山はこんな感じでした。

当時の採掘の様子です。

そして、明治時代の銀山町の様子です。

では、院内銀山のツアーの始まりです。
今回巡った順番に紹介していきます。
院内銀山入り口の看板を入ると、一番最初にあるのがこの場所。
「十分の一番所跡」
ここが院内銀山のただひとつの出入り口でした。
ここでは、持ち込む物の全てに十分の一(10%)の入役税がかかりました。
ここは、税の徴収だけでなく、キリシタンの潜入や坑夫や罪人の逃亡を防ぐなど、銀山の治安を守る為に重要な場所となります。


「異人館跡」
明治政府が鉱山の再開発と経営の近代化に力を入れたため、5名のドイツ人技師が派遣されました。
給料が500円、現在の額に直すと1,000万円となるくらいの高額な賃金を支払っていたそうです。
注目すべきは石垣。花の形の積み方をしています。
日本古来の積み方とは全く違う、西洋方式の積み方となっています。
花はバラという説があり、ドイツのクリスマスツリーのてっぺんには星ではなくバラの花を飾る風習があるそうです。キリスト教との係わり合いが伺われます。



現在、院内駅の駅舎と併設されている院内銀山異人館は、当時の異人館を模して作られました。

「3番共葬墓地」
苔むした墓石が建ち並ぶ共葬墓地。
この景観から、心霊スポットとして有名でもあります。
歴史を知らなかった頃は恐い場所のイメージでしかなかったのですが、勉強していくと、この場所の意味や亡くなった方たちの生活を思い浮かべることができるとともに、この地の繁栄を感じることの出来る一番の場所と思えます。
この共葬墓地は、主に経営に係わっていた‘金名子’と呼ばれる人に関係する方の墓地です。
ほとんどが火葬され、狭い土地にたくさん埋葬できるようにしていました。
江戸時代としては、珍しい事でしょう。
階級の高い人の墓地は高台に作られ埋葬されました。
高台の墓地は、現在は通行することが出来ない為、墓参することは出来ません。
身分の低いもののほうが、末永く供養してもらえるとは皮肉なものですね。
鉱山へは、日本全国から坑夫がやってきていて、隠れキリシタンも多くいたようです。
星のマークや戒名にキリシタンを伺える墓石もあります。
今でも、ご先祖の墓地を探しに来る方がいらっしゃいます。
地元の方が一緒になって、戒名を手がかりにひとつづつ墓石を探していきます。



「金山神社」
銀山の守り神として建立されました。


「長床跡」
鳥居をくぐり階段を上ると、広い場所があります。
この脇に長床跡があります。
長床は、奉納品を納めたり、神楽などを演じた場所です。


長床の前を通り、階段を上ると社殿になります。
階段と階段脇の場所は、神楽などの時に桟敷席にも使用していました。


「社殿」
現在の社殿は1830年に建てられました。
彫刻もすばらしく、奥殿は総ケヤキ造りになっています。
正面の山門は変形の楼門形式で、秋田県ではここだけの形です。
秋田藩からも大事にされ、藩主からも多数奉納品が贈られました。
9月21日の鉱山記念日には開帳され、中を見ることができます。


「御幸坑」
坑道の中で、唯一のの出入り口です。
江戸時代には、坑口広場に五番役所がありました。
明治14年、明治天皇が東北地方御巡幸の際、5番坑に入坑され、御幸坑と名付けられました。
明治39年の火災の際、延焼を防ぐ為、中に坑夫を残したまま扉を閉めました。
100名を超える坑夫が坑内でなくなりました。
この火災が大きな打撃となり、大正末期採掘中止になりました。
昭和になり再坑されましたが、昭和29年全山閉山となりました。



「西光寺跡」
銀山にはいくつかのお寺がありましたが、現在は跡地が残るばかりです。


「住居地跡」
かつては、軒を並べて建っていた住宅地も木々が生茂り、わずかに痕跡を残すばかりとなっています。
1枚目は門屋養安宅跡地、2枚目中央木々の奥に石垣が見えます。


閉山の昭和29年からたった60年しか建っていないのに、いまは当時の面影を残すものがほんのわずかしかありません。訪れる観光客も少ないので、静かにゆっくりといにしえの時と時の流れを感じてください。
人の手で整備されていない分、繁栄していたころの様子を自分のイメージの中で膨らませることが出来ると思います。
観光地として整備されていないので、ポイント毎に案内板が設置してあるだけです。
こちらに行かれる場合は、ガイドと一緒に見学することをお勧めします。
資料に載っていないようなお話も聞けると思います。
ガイドは湯沢市ジオパーク推進室へお問い合わせください。
ガイドを頼まない時は、まず院内銀山異人館を見学し、簡単な説明を受けてから行った方がいいと思います。
地図も貰えますので、それを見ながら巡る事をお勧めします。
重要なお知らせをひとつ。やぶ蚊が多いので、虫除け対策をお忘れなく。
10月末〜雪が降るまでの間は蚊はいないとの事でした。
今回は、秋田市のガイドの方とご一緒させていただきました。
見学後、会食しましたが、皆さん明るくて楽しい方ばかり。
楽しいひと時を過ごさせていただきました。
お土産の‘金萬’も美味しかったです。ありがとうございました。
今回まわれなかった所も何箇所かあり、また行ってみたいと思います。
ひとつのジオサイトを勉強すると、他のジオサイトに繋がっていきます。
ひとつひとつ学んでいきたいと思っています。
湯沢に興味を持ってもらい、良いところ・宝をみなさんにお伝えすることができるように頑張ります。
ブログを気に入って頂けた方、クリックをお願いします。

にほんブログ村
2014年05月08日
小安峡のパワースポット・不動瀧
こんにちは。柴田です。
GWも終わり、普通の生活に戻りつつあります。
お休み疲れなどないでしょうか?
今朝、小安峡の不動瀧に行って来ました。
ここは、小安峡の成り立ちにとても重要な場所です。
皆瀬川でも一番川幅が狭い場所なので、昔からここを渡っていたようですよ。
場所は、総合案内所の裏になります。
案内所の駐車場から降りていきますよ。

坂を下りると、ジオパークの看板が建てられていました。
説明があるとわかりやすくていいですね。

看板を右手に行き、川原へ降りることが出来ます。

雪解け水で増水していて、水の流れが凄い勢いでした。
水が少なくなると、もう少し川原まで降りることが出来ますよ。
不動瀧は、2段になって落ちています。
ここは一段目(だと思います)

そして滝つぼのある2段目

この滝つぼには、龍神様がいらっしゃると言われています。
昔は、干ばつの時に雨乞いをしていました。
あまりに激しい水の流れに、近づくのが恐いくらいでした。
でも、水は綺麗でしたよ。
一人でいったのではなければ、しばらく眺めていたい場所です。
水の流れる音・新緑の明るい緑・そして綺麗な水の流れ。
朝から癒されてきました。
ただ、出勤の途中だったので、あわてて坂と階段を上ってきたので、息切れが・・・・・
体力の無さを実感しました(笑)
ブログを気に入って頂けた方、クリックをお願いします。


にほんブログ村
<思いのままに>はこちらへ引っ越しました。
小安峡だけでなく、県南の情報や日々の出来事を紹介しています。
柴田のブログ
GWも終わり、普通の生活に戻りつつあります。
お休み疲れなどないでしょうか?
今朝、小安峡の不動瀧に行って来ました。
ここは、小安峡の成り立ちにとても重要な場所です。
皆瀬川でも一番川幅が狭い場所なので、昔からここを渡っていたようですよ。
場所は、総合案内所の裏になります。
案内所の駐車場から降りていきますよ。

坂を下りると、ジオパークの看板が建てられていました。
説明があるとわかりやすくていいですね。

看板を右手に行き、川原へ降りることが出来ます。

雪解け水で増水していて、水の流れが凄い勢いでした。
水が少なくなると、もう少し川原まで降りることが出来ますよ。
不動瀧は、2段になって落ちています。
ここは一段目(だと思います)

そして滝つぼのある2段目

この滝つぼには、龍神様がいらっしゃると言われています。
昔は、干ばつの時に雨乞いをしていました。
あまりに激しい水の流れに、近づくのが恐いくらいでした。
でも、水は綺麗でしたよ。
一人でいったのではなければ、しばらく眺めていたい場所です。
水の流れる音・新緑の明るい緑・そして綺麗な水の流れ。
朝から癒されてきました。
ただ、出勤の途中だったので、あわてて坂と階段を上ってきたので、息切れが・・・・・
体力の無さを実感しました(笑)
ブログを気に入って頂けた方、クリックをお願いします。

にほんブログ村
<思いのままに>はこちらへ引っ越しました。
小安峡だけでなく、県南の情報や日々の出来事を紹介しています。
柴田のブログ