barfly diary

daily voice of nobuo yamada (abh) / since 2005

(訳/やかべひろみ 1999: 新世研)
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(※ネタバレしてますご注意下さい)
(当時の)ブラジルの若手作家というマリオ・ヴァレのこの作風も、(前回のハイディ・ゴーネル同様に)自分にとって似たテイストを感じる作品。見ての通り、カラフルな紙を使ってそれを人形劇風な舞台のように画面を(光や奥行きなどを利用して)空間設定しているのが面白かった。そしてお国柄:ブラジルっぽい?陽気でチャーミングな雰囲気も全面に出ています。…森に暮らしていたさるが都会に興味を持って出かけてみたもののいろいろ大変な事が…というお話。(当たり前なのだけれど)「上手いなぁ…」ってつくづく(2回目/笑)。171209_makkanasaru2
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(訳/えくにかおり 1992(orig,1988): PARCO出版)
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(※ネタバレしてますご注意下さい)
この作家の絵を見た時、まるでマティスの簡略化を感じ(そして僕のタッチにも似たものを感じ)瞬時に共鳴してしまった。何冊か見た範囲で僕はこれがお気に入り。子どもが1日を過ごす様子を(絵と同様に)簡略的にぽつりぽつりと時間軸に沿って描いているだけなのだけれど、そこには作家さんが醸し出す(または作家が見つめる子どもたちへの眼差しの)ゆったりとした「テンポ」があり、逆に(大人の)深読みをしてしまうならば、子どもたちが生きている日常のテンポは、大人社会の競争感でせっつかれるストレスフルなスピード感に対するアンチテーゼとも感じてしまう。
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僕もかつて人の顔は簡略して(シルエット化して)表現していた。僕にとって顔のパーツの表情は情報過多な思いもあった。その答えをこの作家は見事にクリアしていて、子どもたちの顔はベタ面だけで表情は描かれていないのだけれど、ちゃんと子どもたちの動作・しぐさに表情がある。(当たり前なのだけれど)「上手いなぁ…」ってつくづく。この作家にしか出せない味を持っている事の強み。171209_ichinichi3

最近時々目にする話題に関して、ライターの網尾歩氏という方が述べている見解に丸々共感する。企画の主催側の発言に「自然に対する本質的な理解」の欠如と、本当はそもそも自然には関心が無い人のアプローチな気がしてしまう。

『多かれ少なかれ、私たちは自分のエゴから自然を犠牲にしている。生きるためだけではなく、単なる楽しみのために木や、それを原料とするさまざまな素材を使っている。部屋の中に一輪の花を飾ることだって、「エゴ」なのだろう。 だが、この企画では、そのエゴを過剰に飾り立て、さらには「これは問題提起だから、そのメッセージを受け取ってください、考えてください」と言う。まるで自分たちの行為は問題提起のための善行であると言いたいかのようにさえ見える。』

「神戸・世界一のツリー、樹齢150年の大木を伐採して「考えて」→炎上 」

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別件の事だけど、我が家のトイレが1週間前から詰まってしまい、自分たちではどーにもならなそうだったので専門業者に依頼した。聞くと、ウチの庭に沈んでいる配管を確認する為に庭の土を掘り起こさなくてはならなかった。どの程度の規模かは把握してないまま今日帰宅したら、庭の一角がごっそりと草木と土が掘り起こされ邪魔な木も根こそぎ取られてしまっていた。住人である人間の生活の為には止むを得ない事なのだろう。しかし一方、その一角では毎年様々な植物や虫たちが生息しては卵を産んで命を受け継いでいた。バッタ/クモ/カメムシ/テントウ虫etc…そして伐採された木はついこの前までカマキリが定住していた。ごっそりと「無くなった」その一角を見てしばし愕然とした。おそらく来年の春には生まれてくる豊富な命の種がごっそりとゴミ袋に詰められて置かれていた(もうじき寿命のカマコも含めた様々な虫たちもゴミ袋の中だろう…)。人間は人間のエゴを優先するのが大方の人間の基準。それは分かった上で、人間は自然に対してもっと気を使うべきだと痛く思う。悲しい。

(1983: 岩波書店)
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(※ネタバレしてますご注意下さい)
動物好きな「まきと」と「めぐみ」のきょうだいは「もっと大きい動物を飼いたい」ってお父さんに頼んだら、ある日恐竜の子どもをもらってきました。それから「まきと」と「めぐみ」、そして彼らの友だちも集まってきて、さてさて皆で体長10メートルもある「恐竜の子ども:どん」を飼う為に色んな事を考えたり工夫したりします。171202_kyouryuu2
…この本の、ごく普通に「恐竜もらってきたよ」…みたいな当たり前のトーンで子供たちの日常の中に恐竜:どんが入り込む、その発想からして目からウロコだった。さて、恐竜を飼うには…住む家はどの位?/何を食べる?どの位の量を食べる?/体を洗うにはどうやって?/トイレは?…ここでは実際に恐竜を飼う時に必要な具体的な事柄が子どもたちの愛情の頑張りを通して(ファンタジーでなく)あくまでも日常の行為として描かれているのがとても面白いです。そしてどんを飼う準備が出来た子どもたちは、どんの体に乗って街を練り歩き、湖で水浴びし、森へハイキングに行きます。自然の中で(野性の)喜びで元気一杯になったどんと、子供たちのワクワク感は言うまでもなく歓喜に満ちています。171202_kyouryuu3
イラストレーションは(精密な動物イラストで知られる第一人者)薮内氏が、ここではタッチを軽くして、まるで教科書に出て来るような真面目で実直な挿し絵に感じる特有の「その類いの味」を醸し出していて、そこも個人的にも気に入っている部分です。

ちょっと前、ひょんな(ネット)流れで版画家:池田修三氏(1922-2004)の絵に出会う。醸し出される…惹き付けの強さ、独自の(色彩の)湿度など、(あまり好きな言い方じゃないけど)今の時代にこそ息吹く魅力。もし、この絵で絵本が作られたとしたらきっと極上の仕上がりになっていたと思う(参ってます…)。171130_i-shuuzo

池田修三HP

●写真はしばらく前のNHK「自然百景」の奄美大島の回(だったかな?)。海底に沈む朽ち果てた鉄の塊は、太平洋戦争時に堕ちた軍機の残骸だという。数十年の時を経て、今やこの朽ち果ての残骸は、そこに生息する魚や海洋の生き物たちのオアシス場所になっているという。大小様々な魚たちが暮らす館のような。しかも画面にある大きな魚(名前忘れた)は砂にこの大切な館が埋まらないように定期的に身をくねらせて砂をはじいているサマも映されていた。このシーンがとても印象深く、画面を撮ってあったのを引っ張り出してきた(ちなみに「自然百景」は視聴率が上がってきていて朝なのに14%行く時もあるらしい)。171127_sizenhyakkei

●前にラジオでしゃべっていたある海洋写真家の話も印象に残っていた。…その方は、かつての東京湾がヘドロで視界も困難だった時代の海も潜っていた。潜るとそんな汚いヘドロの海でも「そこで生きている」魚たちもいて、そこで繁殖活動も確認していた。生で体験してきた氏曰く、「生き物というのは本当はしたたかなんです」という。当時、そのカメラマン氏は、「こんな汚い海でなく、他の綺麗な海に環境を移してあげよう」…と、その繁殖活動する魚を取り上げて別の綺麗な海に放流したという。そこで氏は大きな勘違いと(自然に対して人間が何かをしてあげるという)おごりのようなものを感じてしまったという。つまり、綺麗な海に放たれた魚たちは、一気に視界の澄んだ環境に移された事によって、外敵であるサメや大きな魚にすぐ見つかってしまい、補食される危険にさらされてしまった。

●最近特に話題になってきているテレビ東京の「池の水を全部抜く」という番組。最初の頃見たっきりあまりその後見る気がしなくて、久しぶりに先日見たのだけれど、やはり個人的には(番組の評判とは違って)ちょっと違和感があった。番組企画は池の水を抜いてそこに現状生息している魚や生き物の中で(純日本産の)「在来種」と(外国から来た)「外来種」を分けて、本来の日本産の生き物だけの生態系を取り戻すべく、外来種を(おそらく)駆除する…というもの。本来の純日本産の生態系を守る云々…という感覚も確かに納得する。ただその反面、番組演出的には(日本の生き物を脅かす)外来種という存在を徹底的に「悪」と捉えて、悪をとっつかまえるハンター的な盛り上がりを作る。番組の首謀であるロンブーの田村淳氏が自らラジオでも語っていたけれど、(言い方違うかも知れないけれど)「外来種を悪者扱いしてるけれど、その生物たちは全て人間の都合でそこにやってきただけで、生き物たち自身はそこで必死に生きようとしてるだけなんですよねぇ」…といったような発言に僕は共鳴する。一番悪いのはペットとして購入した後に勝手に外に手放す行為。生き物たちの意思がそこにあるワケなく、人間が好き勝手にやっているとばっちりに対して生き物たちはそれでも「そこで必死に生きていく」しかない。勝手に「在来」だの「外来」だのに振り分けて駆除されたらたまったもんじゃない。例えばまったく逆の状況に置き換えて、外国で日本産の生き物が(向こうにとっての)外来種扱いされてその地の生態系に悪影響だといって悪者となりハンターによって駆除されているサマを日本人が見たらどう思うか感じるか、という事だと思う。外から来るものを「よそ者」として、徹底的に「純日本」というくくりで守り、他を(それこそ)やみくもに排除する感覚は、まさに(人間社会の)移民(受け入れ/排除)問題にもつながっていく気が(飛躍かも知れないけれど)してしまう。


…3つのエピソードから感じるのは、人間のおごりで他の生物や自然を過剰にコントロールする事に対する違和感。生き物たちは自分たちの進化の過程で得て来た英知でただただ一生懸命に種の繁殖の為に生きているだけ。もし人間に有効な英知があるとするならば(笑)せめて地球環境の為になるルールを(皆なで)守って彼らを無下に邪魔するな、という事。

特に上の子は「パパの部屋は色んな物に囲まれてて落ち着く」…とか言って、たまーに僕の部屋で寝たがる。今日がその日だったようで、妹を誘って一緒にパパの部屋のベッドで寝る事に。いつもは隣の和室(キッズ寝室)で各自の布団で寝てるので、今夜のような場合、姉妹が一つの布団で寝る仕様なものだから、しばらくベッドの中で「布団引っ張らないでよ!」「そっちこそ!」みたいな小競り合いが続く。チチは背中向けてMac作業。「おやすみ」した後でもしばらく「ねぇ!動かないでよ!」…とか背中越しで聞こえてくる。特にいちいち反応せず黙ってそのまま背中越しで聞いてる。すると彼女らの中での取り決めが生まれる。(小声で)「ねぇ…動く時は「動くよ」…って言ってね。」「…動くよ。(モソモソ…)」「でさぁ、動くの終わったら「終わった」って言って。」「…終わった。」…そんなやりとりが何回か続く。するとやがて取り決めが合理的に発展する…「ねぇ、「動くよ」って言葉長いから、その時は「う」だけにしよ。」「それから(動くのを)終わる時は「お」ね。「…わかった。」…そんな姉妹の小声の取り決めが何だか面白くなってきた。…やがて、「……う…(モソモソ)……お……」「……う……(モソモソ)…………お……」という、かなりミニマルな言語音だけが背中から微量に聞こえてきた。背中では無反応を装っていたのだが(密かに)笑いをこらえていた。

(松代洋一(訳)/1978(orig.'77): 佑学社)
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(※ネタバレしてますご注意下さい)
去年の春頃、むさぼるように図書館に出向いては僕の琴線に触れる絵本との出会いを探し求めてた。この作品も瞬時に気に入って早速ネット上で検索してみた。確かあったはいいけど(絶版だったのか)えらく値段が高くて手が出なかったと記憶してる。その後、しばらくしてから(何かの拍子で)同じ絵本でタイトルだけ違ってた(おそらく旧発行時の)同作品を見つけた。これは図書館を経たリサイクル図書扱いで逆に安価だった。そのタイトル違い(元タイトル?)のがこの「王さまはとびはねるのがすき」(表紙左下に図書館シールが貼ってあったのをちょっと細工して消しました)。

1941年ベルリン生まれの作家。見ての通りの様々な柄素材を切り貼りした切り絵コラージュ。…とっても忙しくストレスを抱えた孤独な王様は、寝る前にベッドの上でピョンピョン飛び跳ねるとぐっすり眠れるという。でもある時、その行いが国中にバレてしまい王様失格とされ王様は体調を悪化させてついに息を引き取りそうに...その前にもう一度ベッドでピョンピョンさせてくれ、とピョンピョンする程にどんどん元気になった…というお話。こんなチャーミングな発想がチャーミングなコラージュタッチと共に表現出来て、僕はとっても羨ましい。本当にこんな味を養いたいけれど、正直限界を感じる。スコーンとした抜けの明快さ。171123_oosama2
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くわえてこの作品のとっても好きな所は、お話の文章の言葉のリズム。訳の方の感性も加味されているのだろーけど、子どもに読み聞かせている(読んでいる)僕の方も楽しくなるという貴重な本。ネタバレですが以下、好きな言葉のリズムを:
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『おうさまは、ピョンと とびました。 そして にっこり わらいました。「あ、おうさまが わらったぞ!」おいしゃたちが さけびました。 おうさまは、もういちど とびました。 なんども なんども とびました。 なんども なんども とぶうちに だんだん げんきに なりました。』
『おうさまは、とても しあわせそうに みえました。 それにつられて おいしゃまで、おもわず ピョンと とびました。 おいしゃばかりか だいじんも、だいじんばかりか けらいまで、けらいばかりか まちのひと、くにじゅうのひとが とびました。 みんな たのしく なりました。うれしなみだを こぼしながら、こえをそろえて さけびました。「ピョンカだいおう ばんざーい!」』
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ラストにかけてたたみかけるこの上向きのリズムアップにスコーンと抜けたハッピーエンド感がとても好きです。

(1982(orig.'81): ほるぷ出版)
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(※ネタバレしてますご注意下さい)
(実に半年振りのシリーズ更新になりました)よく知られたアメリカの作家で、どの作品にも心の優しい眼差しで包まれている印象がある。この本は文字のない絵本。…かりゅうどが狩りをする為に森の中に入る。そこでしあわせに暮らしていた様々な動物や鳥たちがかりゅうどに気付き、驚き、逃げながらも、森の中では動物たちの方が知恵がある。隠れつつ武器を隠し、やがてかりゅうどの目的をなくしてしまう。目的を失ったかりゅうどがやがて動物たちに囲まれて新たな眼差しが生まれる…。171123_karyudo2
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全編に渡って構成されている画面は、作家がある時出会ったハンガリーの民衆芸術の、木の板を使った彩色切り抜き絵にとても感化され、その影響下で制作されたという。それ故の、味わいのある柔らかい質感と色彩、そして装飾的な配置のような森と動物たちの構成表現など、文字が無い分、逆に心の温度が緩やかに上がっていくようなハートフルな絵本。もの言わぬ動物たちの、何とも愛しい表情も。


PS:前に同作家で購入していた別作品「おいっちに おいっちに」(発行時期によってタイトル違ってたかと思う)でも、おじいさんと子どもの時間の経過を通して子どもの成長と共に変わっていく人間(家族)の関係というものを(これまた)優しい眼差しで包んだ良作です。171123_oicchini

前回も紹介したTWICE「Do it Again」の楽曲のカッコ良さは、普通にポップフィールドを越えてランダムに俯瞰しても(オーディオのみに専念して向き合う程に)頭抜けているように思う(TTと同様にチープなリズムボックスがけっこう効果的)。楽曲提供作家はたいてい30代位の若手が携わっているらしい(そこも日本と制作環境が違う所)。TWICEの、この曲と呼応して身体を揺さぶるダンスの"クールプリミティヴ"な素敵さは前途の通りなのだけれど、同曲で踊る彼女らの「裏(Crazy)バージョン」とでも言うべき、(推測するに、おそらくダンス練習に疲れ果てた故の)ワチャワチャしたヤケクソおふざけな動画も見つけて、正規のバージョンと対比させるととても面白い。やはり個人的にはジョンヨンの(両バージョンの)ギャップが特に楽しい。


年末の紅白の出場が決まり、まだ慣れない異国で遠慮がちにかしこまっている様子よりも、本来の自由奔放な(各メンバーの)魅力が連日アップされるオフ動画で確認&堪能できる。


紅白に対しては…「予定調和の最たる悪しき偽善プログラム」という認識で、ほぼ毎年ケチョンケチョンに言っていた僕ですが、これだと今年は事情が違ってくるではないか(笑)。…ただ、やはり僕が感じているTWICEの魅力は前途してきた(フリーキーで素のままの)部分なので、紅白特有の段取りに支配されておざなりなアイドルチックな振る舞いで明るく振る舞う感じになるのだろーけど、そっちだと興味向かないだろうなぁ。おそらく(名刺代わりの)「TT」やって次に新曲の「Likey」へとメドレー的に…と推測。

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