barfly diary

daily voice of nobuo yamada (abh) / since 2005

この時、西東京の遊歩道を歩く。たいがい遊歩道となれば、人は…ジョギングしたりウォーキングしたり、ママ同士のおしゃべりに夢中になったり、彼氏の横顔見てたり、もしくはスマホじっと見てたりと、…つまりは両側面に生い茂っている草花や木々なんて風景として何となく捕らえているだけで、そこのデイテールをいちいちまじまじと見入っている人はほぼ居ない。そんな、たいがいの人間がいちいち「見向きもしない」エリアを僕が見向いちゃっているものだから、「見向きはしない」つもりで日常を安心して過ごしているであろうそこの生き物たちが、まじまじとそのゾーンに目線向けて入り込むと「えっ!?マジ、何で!?」…という、虫たち、生き物たちがその予想外の展開に一気に緊張高まってドギマギしてるかのような感じがあって、その対象との駆け引きがちょっと面白かったりする。そーっと寄ってカメラ構えて、まずはちょっと遠目から保険かけて一枚パシャリ。そこで相手がまだじっとしてくれてるともう一歩踏み込んでズームイン。虫によってはテリトリー侵される緊張でダダッダダッって急にせわしなく動くのもいるし危険を察知して葉っぱの裏側に逃げたり、羽のあるのはその場から飛んで行く。

そんな中、目線の位置に急にトカゲと遭遇して「おっ!」となる。このハプニングはちょっとテンションがあがった。周りの草花と保護色になっているので最初は分からなかっただけに。前途した駆け引きでお互いの緊張が生まれる。なるべくならもうちょっと近寄りたい。じわじわ寄る…やはりある距離越えた途端に奥へすばやく逃げていった。何となく(プチ)マイ・プラネットアースな気分。170523_nishitkyo7

この週末で我が家の庭のメイン花壇とも言えるミニバラがほぼ満開になった。…この、(リフォーム済みの)中古物件に出会って居を構えてから4年。(そんなに広くもないけれど)ここの庭全体を形成している数々の花や木々たちのほぼ7割位は、前に住んでいた家主の方が土台を作り上げたもので、僕たち家族が越して来た時は2月で、ここの木々たちの姿は控えめに冬眠してる様子だった。そして春が来て命が芽吹く季節になると庭の所々で芽が出て花が咲き虫たちや鳥が訪れて、それぞれが命の存在感を放ってきた。その中でも最も鮮やかな色彩を放ち命の芽生えの幸福感を醸し出していたのがミニバラだった。このバラしかり、四季を通して見ると、いかに(フラダンスの先生だったという)前の家主さんが四季を通じて常にその季節毎に何かしらの植物が生えているような構成をこの庭に工夫していたかが分かる。僕たち家族はこの(前)家主さんの残していった庭の環境をほぼそのまま受け継いで、そこに自分たちのテイストなりをプラスして「マイガーデン」としてリフォームさせた。当初は僕は今程庭木関係/自然環境にまるっきり関心が無かったのだけれど、それでも春に芽吹き溢れるここの庭の花や草木などの生命パワーは薄々と感じてはいた。そして巡り巡って現在の僕の自然生態への(うっとうしい程の)熱量の表れ…その、現在に繋がる意識の、その現実のきっかけをこの庭は作ってくれたと思う(去年秋はカマキリ三昧だったし)。そんなモロモロの過程も含めてつくづく前家主さんには感謝しています。170522_minibara2


そんな、この季節の幸福感を最大に表現するミニバラの姿をパシャリパシャリ。色もギリギリで下品にならない程度のグッドピンク。(ちょっと前にも述べたけれど)まだ若いつぼみの時はアブラムシがビッシリ貼り付き家の面側はやむなく殺虫剤で対応して、道路面は牛乳や水を噴射したりして、なるべく(アブラムシを大量に捕食してくれる)テントウ虫の生態も守りつつのやや緩めの対策を経て、そんなこんなで見事に咲いてくれました(テントウ虫もけっこう頑張って?アブラムシを掃除してくれた)。170522_minibara1


意識して見てると、とにかくハチが蜜を求めてバラにやってくる。特にクマンバチがお尻振りながら慌ただしく蜜を集めてる姿をよく見る。/よく分からないけれどインパクトのある何かの幼虫も花粉を食べていた(多分)。170522_minibara3

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こーして白い椅子を置いちゃうとちょとした「英国風ガーデン」っぽくハッタリ感が出る(笑)。…それで思い出した余談だけれど、ちょっと前にやってた「地球ドラマチック」で、ヨーロッパでの巨大な(バラやユリの)超ハイテクな切り花産業の現在を観たのだけれど、僕はそれを見て複雑な感情になった。徹底的な「同じ顔の/鮮度が保たれた」商品としての切り花を大量生産/スピード流通のオートマチックシステム。ちょっとでも質が落ちた花はどんどんはじかれる。そして徹底的な管理システムの中、商品として生み出されるバラやユリは自然の太陽の光は浴びる事が無い。ハウスの中で調整が常に一定に保たれた人工光や栄養バランスが計算された土の元それらは育っていく…。確かに「商品として」それらの花は価値があるのだろうけど、僕は違和感が残る。...生まれて来る花の本来の姿は、本当の太陽の光を浴びて、ミミズやら微生物が営む自然バランスの土に育ち、やがて訪れる虫たちとの共存で命を繋いでいく…という姿にこそ感情が生まれる。商品として育ったサイボーグのような切り花は翌日には街角のフラワーショップに飾られて、人間社会の様々な側面(プレゼントや冠婚葬祭、パーティ会場のコーディネート等々)の「演出物」として消費され、すぐ萎れてゴミになる。僕が20代後半の頃に作った詩があって、ちょうど同じような事を題材にした詩があったのを思い出す。「花は自らの為に咲く事が出来ない」…みたいな事を(カッコつけて)書いてた(笑)。

実はとっくのGW中に新作の切り絵イラスト数点を仕上げる予定でいたのだけれど、この生き物の始まる季節…ナマの生物観察散策への熱量の前で、どーにもデスクワークな気になれず連日草むらでウロウロ(…そんなんだから、こーなんだ…?)。ちょっと前に六都科学館にて昆虫関係の展示などを観たけれど、正直どこかモヤモヤしたものが残っていた。それはあらかじめの展示を観るのでなく、やはり実際に外へ出向いて草むらで目を凝らして出会う生き物の新鮮な驚きには段違いに敵わないという事だった。

先日Eテレで観た香川照之プレゼンツ「昆虫すごいぜ」の第二弾。カマキリの着ぐるみを付けてるので終始バラエティ色が全面に出てはしまうが、氏が(それでも)マジな熱量で語る数々…「どんな小さな虫にもワールド(世界)がある!」「ひとりで生まれてくる虫たちは自分の力で生きていかなてはならない!」「(虫からしたら)人間の方が害なんだ!」等々、ほぼ同ジャンルで生きてる僕からしたら共感の数々(この俳優さんは、無理に歌舞伎の伝統継承を背負わないでこんな感じで映像の世界でのびのび生きてる方が似合ってるのに、っていつも無責任に思う)。

「香川照之の昆虫すごいぜ!」2時間目/モンシロチョウ
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