barfly diary

daily voice of nobuo yamada (abh) / since 2005

例えば世代の違う知人と呑んだりして日本の音楽の話になった時、僕が歴史的ベストワンチョイスする日本人作家によるポピュラーミュージックアルバムは結局、荒井由実「ひこうき雲」(1973)になる。そしてこの作品は時代が経てば経つ程逆に確固たる存在として輝きを増してくる。70年代初期のフィーメールアーティストの作品として、同時代のジュディシル/ローラニーロ/ジョニミッチェル/ヴァシュティバニアンなどの作品と並ぶ位の存在だとも思う。憂いと陰りの70's アシッドフォーキーな佇まいとポップスの希有なブレンド。ティンパンアレイをバックに、若き才能のデビューを奇跡的な環境で最高のレベルで昇華させた。/2018年紅白のユーミンの登場にaikoが泣いていたけれど、途中から僕も何だか一瞬ウルッと来そうになった。おそらくaikoの(おそらくユーミンで育った少女期の)気持ちと同調してしまったのかも知れないし、やはり音楽の良さがそのまま会場の空気を包んでいた。

そんな正月気分の余韻の頃、この素晴らしい(2010年、NHK制作の)番組を偶然見つけた。あの名盤「ひこうき雲」のマスターテープを当時のメンバー&制作スタッフ交えて、気ままに思い出深く解体的に再試聴する…という、この盤に思い入れのある(僕も含めて)人にとってはとんでもない程に贅沢で魔法の様な時間を眺められる。いきなり「返事はいらない」を解体試聴…(ハタチの頃、友人推しで無謀にもこの曲をカヴァーした事あった)時代が何周も回って、しかしもはや時代が何周回ろうと関係ない所で永遠に鮮度が活きづくこのサウンドにユーミンは「新しい。」と言い、細野氏は「素晴らしい。」を連発する。この「素晴らしい」は本当の言葉であるのが画面で分かる。ボーカルパートを抜いてみる。それまで曲の背後でほとんど目立たなかったコンガとかがピックアップされる。楽しい!今度はボーカルだけ抽出。本人は最初から歌う事に執着なかったらしいけれど、結局「この声」だからこそ全てが成立している音楽だという事は特に初期の3枚のアルバムで証明されている。「きっと言える」…この楽曲のコード感の斬新さは今も本当に褪せない(というか、どんどん新しくなっている)。途中でユーミンの声と細野氏によるガットギターだけを流す。スタジオに魔法がかかるかのようにこのニューバージョンに全員聴き入る。そして当事者たちが酔いしれ、このグッドミュージックを称えている空気の持つ神秘的な時間は、勘違い系の自惚れの類いとは真逆の、音楽の真実に対する客観的な賞賛だと感じる。音楽は素晴らしい。



PS:この番組で知った新たなエピソード…ユーミンは元々ブリティッシュロック好き、ティンパンアレイはアメリカンロック派。そもそもこの感覚の違う両者がこの作品制作に携わる過程でお互いに違和感があり、精神的にも行き詰まった時、それを打開したのが松任谷正隆氏とユーミンとの制作途中での職場恋愛…それがあったからこそこの作品の(ブリティッシュでもない、アメリカンでもない)普遍なポジションの融合に成功した。(あくまでプロデューサー的視点の)夫の隣で無邪気に振る舞うユーミンは意外な程子どもの様にチャーミングで、いい夫婦。この番組は永久保存。

両親族の新年の集いで興味深かった事のもう一つに、義母と、僕の姉、両者共に話題の中で熱量と共に言ってたのが、ふたりともクィーンの映画「ボヘミアンラプソディ」を観に行って絶賛してた。もちろんふたりともクィーンをそれまで聴いたことがない。それでもわざわざ映画館に足を運び、しかもふたりとももう一回観に行こうとしてるというこの映画の大ヒットの拡散現象にちょっと驚く。

70s当時中学生だったオールドファンの僕にとってはクィーンはどーしても70s期に限定されてしまう。特に初期の4作品は誰も真似も出来ない、マンガの様な創造の領域だった。目まぐるしく変化する遊園地のジェットコースターの様なスリルが満載だった。僕は世代のタイミングでクィーンのトータル的アルバムをビートルズのサージェントペパーズよりも先に聴いていたせいか、時間軸的にはサージェントペパーズがあったからこそクィーンの様な発展形が生まれたワケだけれど、最初に富士急ハイランドのジェットコースタースリルを体験してしまった(中学生の)感覚からすると、サージェントペパーズはのんびりしてて比較すると浅草の花やしき位の違いがあった(もちろんサージェントペパーズもリスペクトしてる)。

作品で1枚を選ぶとすると、僕は傑作とされる初期の他作品も素晴らしいけれどあえて愛着感でファーストアルバムを選んでしまう。この73年のデビュー作は、まだ録音技術の問題もあってか、全体的に音がくぐもっていて、その音質の悪いこもった感じが逆に60s 後期から流れてたサイケデリックロックの残り香を醸し出していて、尚且つ英国的な田園風景も想起させる空気感が好きだった。あと、初期作ではプロデューサーのロイトーマスベイカーの手腕が重要な気もする。アルバムを通しての聴者をくすぐる刺激トッピングを散りばめるバランス感覚が秀逸だった。

オールドファンからすると、アメリカのマーケットを意識し始めて、フレディが分かりやす過ぎるゲイルックになっていく流れに反比例して彼らの音楽にも興味は遠退いていった。ただ、だとしてもここまで観衆を(しかもこの変化した今の時代になっても)熱くさせる何かがこの映画にあるんだと思うので機会があれば観ようと思う。

結果、この年末年始はほぼ家の掃除関係で過ぎたタイトな日々(そしてまだそれは終わっていない…)。そしてその合間に恒例の2つの親族の新年の集いへ向かう。

#義母の所(マンション)へ家族で。この正月はとにかく天気は良く日差しが注がれていた。さっそく子どもたちも含めて皆でカードゲームをワイワイとしている中、僕は窓際で徐々に寝そべって、気が付くとウトウトと寝てしまった。マンション5階の窓からの日差しが暖かかったのかも知れない。後で聞いたら1時間半位も寝ていたらしい(笑)。…つくづく思ったのは、義母の家で自然に寝てしまえる程(良い意味で)気を使わずにリラックスしている位に時が熟して来てたんだなぁという事。/僕が起きた後、入れ替わる様に奥さんが寝ると言う(結局実家で夫婦だけ寝るという/笑)。僕は寝起きがてら外へ散歩に出る。すぐ下にある、かつての星野源の実家でもあったジャズバーを通り過ぎ(まだ空き家状態)、線路を越えふらふらと散策。夜、普段はウチでは到底ありつけない(ハイクラスな)カニ鍋にキッズは無我夢中で欲望を暴れさせた。

#次の日は姉の家で数家族が集合しての宴。ここで僕は相当酔っぱらう。…実は僕は近年、お酒を(約3杯以上)呑んでいくと大抵(持病の)頻拍を誘発してしまい、動機が激しくなってしばらく身体がシンドくなる。おそらく加齢の影響もあるのだろーけどそのケースがちょっと続いていた。去年の夏はそのパターンで(地元のバーベキューと姉関係の集い時の)2週続けて(頻拍による血の気が下がりで)一瞬意識失って倒れてしまう。…そんな事もあり、余計に酒に対しては慎重にならざるを得なかった。ただ、以前処方してもらっていた(頻拍動機を鎮める)薬を、試しに(動機が起こってから飲むのでなく)呑む前にあらかじめ飲んでおけば対処出来るのでは?…という、自分の中だけの軽い生体実験をしてみた(良いのか悪いのか分からない)。…結果、その薬の効果なのかは定かでは無いけれど、この時、いくら呑んでも身体はシンドくならずに割とスイスイ呑めてしまっていた。この久々のノー問題感に多分、僕は密かに気を良くしちゃってたんだと思う。ビールと日本酒を(構わず)目の前にあるのから次々にピッチを上げてしまう。…結果、おそらく20代の頃以来の無茶酔いになった。皆としゃべっていても途中からロレツが回っていない事に気付くもうまくしゃべれない。(娘だろーが、奥さんだろーが)とりあえず隣にいる人に回りの空気関係無くヘロンヘロンにちょっかい出す。そして恐ろしい事に、(当然ここでも最後は寝ていたそうなのだが)起こされてバイバイして車に乗り込むまではかろうじて記憶があれど、そっから家までの会話や、宴の最中での会話とか、僕の記憶が断片的に飛んでいて(よくある)「え!?そんな事言ってたの?」的な事になる。そして翌朝は軽めの二日酔い…。こーいう、話した事が覚えていないとかは初めてだと思う。ハタから見てヘロヘロおっさんにヤレヤレって感じだったんだと思うのだけれど、10才の娘に身体を支えてもらいながら車に乗ったとか(覚えていない…)申し訳ないけれど、家族的な幸福の形の一つとして…「全ての身体の責任を放棄した、少し迷惑をかけているわがままな状態」…というものに、ある種の心地良さも感じていたりしていた。翌朝、起きて来た娘に謝ったら「年に1回位はいいじゃない。」って妙に包容感でさとされる。

宴の最中にモニターで僕が30才の頃の懐かし映像が流れていた。(今は亡き)父親と母親の動く姿を久々に見た。父親は相変わらずあまり動かない(この時すでに身体悪くしていたのかも知れない)、母親は意外な程リラックスしてしゃべっている。そこに若き青年期の僕も入っている。お酒がさらに染みる。

#わが家の司令塔による計画遂行の為、冬季休みはもっぱら家の大掃除....。のんびりだらだらとした寝正月とは独り身時代の遠い話。今は休みと言う名の別の働きで身体は無休状態なんだかな。

#今年は特に同年代の死に目に会う事が続いた事もあってか、自分も「いつどうなるか」本当に分からないって思うようになり、しかも今年、一歩間違えたら死んでもおかしくなかった瞬間も経験した事もありで、徐々に侵される病気なら何とか準備もあれど、とにかく突然死は避けたい思いが強まる。その為にもとにかく自分の所有物を断捨離して理想は今の半分位まで物を無くしてシンプルに暮らしたくなっている。その為にはとにかくまとまったフリーの時間が欲しいし必要。溢れる過去の作品やら集めたガラクタやら、例えば自分がいなくなった後でも残しておきたいモノだけにして後は無くしたい。でも整理時間が無い。その両岸のジレンマ。

#先日、唐突に長女が「あのさ、最近考えてる事があるんだけど、もしパパとママが離婚したらわたしはどっちに行こうかって。ママはガミガミうるさかったらパパの方に行くけど、パパは男だから思春期だったら気持ちがわかんないだろうからママの方がいいかなって....」という、なかなか的確な判断してて感心する(笑)。つまり、そんな事が自ずとシミュレーションしてしまう程に、この時代の子ども達にとって親の離婚というのは珍しい事ではなくなっていて、実際クラスメートで名字が変わったり突然引っ越したりの子どもは何人か聞く。子どもたちの事を考えると親が片方というのは極力避けたいけれど夫婦同士の関係が修復不能で悪化するのであればしょーがないのかも知れない(ウチの実情の話では無いです/笑)。

#話は俗に変わって、最近のトレンドでもあった 「水曜日のダウンタウン」 。 子どもも気に入ってる番組でもあり連ドラされてるけれど秋口から始まった「モンスターハウス」。僕は元々の「テラスハウス」の、あの感じが本当に生理的にダメで、テレビにちょっとでも映ったらすぐに画面を変えてしまう程だった。そのパロディでもあって、あれが始まってからは初回だけは見たけど後は、見ないで消していた(キッズにも内緒で)。その後何回かあって、先日の騒動の最終回と、その前位のを何気に見た。結果、世間の視聴者と同じくクロちゃんのキモゲスエキスをゾワっとしながらその磁力に引き寄せられた一人になる(笑)。つまりはクロちゃんと企画にまんまとハマるワケだけれど。最後の檻に入るくだりのリアクションはすでに芸人的な反応だったし。そしてもうひとつは、メンバーの中のモデルの蘭ちゃんが、僕は最初はあまり反応する事が無かったのだけれど、最後になるにつれて(そのオープンマインドな性格に)段々とチャーミングになってきて思わす「蘭ちゃんは可愛いコだなぁ。」ってしっかり声に出して言ってしまう(笑)。改めて最終回観ると、最初のチャラさから打って変わり、本当に恋をした女の子の表情になり、観る側は(企画に踊らされていると知りつつも)このコの表情と振る舞いにリアリティを感じてしまう。そして(テラハ拒絶の)僕は、この(本家とは違う)「異物をブッこむ事で生じる化学反応企画を」家族の目を盗んで一人で最終回をもう一回見てしまい、さらに何気に僕の指は蘭ちゃんのインスタを覗いてしまう(笑)。これが数日前の話。....そんな年の瀬です。良いお年を−。

クリスマス。子どもたちにとっては24日の夜は毎度の様にソワソワしてる。10才と7才。ギリギリサンタを信じてる部分と、すでにクラスメートからの情報で、それが実は「パパなんだよ」的な部分と、微妙なラインではあるけれど、それでも様子を見てると「サンタ実在説」の方に割合が傾いている。そこそこ成長しつつのこの状態だと、「サンタさんが実際に枕元に来てプレゼントを置きに来る」…といったリアルな想像も働いてしまうようで、去年までは普通に寝てたのが、今回は(面識の無い何処の国の人か分からない)初老?の恰幅のいいオジさんが夜中に自分たちの寝床に(いわゆる)不法侵入しに来る…というイメージも増幅されてしまい、2人とも逆に怖くなって夜中に何度も起きてしまう。迷惑なのは僕の方。その都度起こされて睡眠を妨害された。さすがにこのパターンが何度か続いたので「ちょっとサンタさんに下のリビングにプレゼントを置くように言っておくから。来年からそうするように言っとくから。今日は寝床には来ないから大丈夫。寝な!」…この対処に安心したのか、それ以降、キッズはグッスリ眠る。
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クリスマスのけっこう前から「こっち来ないで、見ちゃダメ!」…という何やらシークレットな取り組みをキッズが遂行していた。で、当日。両親を順番に前に立たせて(子どもたちからの)プレゼントの贈呈式が始まった。紙に式の進行の台本まであってそれに沿ってセリフを読み上げる。「せーの」っていう合図まで台本に書いてあるのに笑ってしまう。自分たちだけプレゼントもらっているのでっていう事らしく、彼らからティッシュで作った花束を贈呈された。…子どもらのこの時期のこの感覚。俯瞰でなく吸収しないとなぁって思う。
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きっかけは(子どもがよく見てる)日曜の朝のテレ東「ポケモンの家あつまる?」。僕はポケモンとか全く興味は無いのだけれど、スタジオの出演者&ゲストが心底楽しく遊んでいて楽しそうなんで時々一緒に観てしまう。そこに出ているのが中川翔子。中川翔子のお父さん:中川勝彦は80年代のイケメンシンガーで知られていたけれど、まだ幼い娘を残したまま白血病で亡くなってしまった。…実は、僕がまだ美術学校を出たばっかりでイラストの仕事も職業も何も見えていなかった(半分学生気分の)頃、学校の先輩でミュージックビデオの制作をしている人からの依頼でこの時期、何本かのPVの中のちょっとした仕事をやった事があった。その中の1本に中川勝彦氏の「アルバイトドリーマー」というPVの中の、簡単なフィルムアニメ(ラクガキみたいな)を担当した事をつい思い出していた。以前、一度YouTubeでその映像観た事あったけれど現在は無かった。数十年振りに観た時、そのあまりのクオリティの低さに愕然とした(笑)。たぶん今だったら高校生でももっと上手くやれる感じ。覚えているのは、当時(80年代後半)千昌夫が経営していた「STUDIO 1000」という映像スタジオで編集作業に立ち会ってた時、中川勝彦氏がマネージャーと入って来たのを覚えている。華奢な体にスマイルが爽やかなスターって感じだった。

その他には小野リサのデビュー曲「カトピリ」で氏が歌う回りの囲いをトロピカル風に切り貼りで現場で装飾したり(これも動画無かった)、森高千里の「だいて」とかいう曲の話もあったのだけれど、これは結局ボツになった。…で、そんな中、Youtubeで唯一上がってたのが、チャゲ&飛鳥の「モーニングムーン」。記憶が合っていれば、確か彼らがフォークデュオからシティポップデュオに方向転換する最初のきっかけの曲だったかと思う。PVは女のコがモノクロの写真を大量に連続させてコマ送り的な演出にしているもの。これも現在に見るとかなり「80年代PV聡明期」…っていう素朴な作り感は否めない。でもこのPVの監督は今や蒼々たるミュージシャンのPVを数多く手がけてる方。当時半分学生気分だった僕が担当したのはPVの後半3分過ぎた頃、女の子が走る場面にカラフルな色紙で風っぽくカケラを散らすイラスト…でも、イラストとも呼べない何ともチープな作業で再び愕然。こんなものでもギャラ数万もらった記憶があり、バブル時代の始まりだったのだろーか(笑)。ザ・昔の話!



PS:中川勝彦「アルバイトドリーマー」ニコニコ動画にありました(https://www.nicovideo.jp/watch/sm3971546)

この所、正直な所、目的意識が生まれず(正確に言えばあるんだけど諸事情でモチベーションが生まれず…)日々、割とダラついてインスタに埋没させている所もある。と同時にダラつく一日の終わりにドラマも観てしまう。色々あるなか意外にも織田ちゃん「SUITS」を結果観てしまう。最初は(自然現象的に?笑)織田ちゃんの「あの感じ」に一回拒否反応を起こして距離を置いてしまう。けれど段々と「あの感じ」がどーゆうワケか癖になり、その後は「あの感じ」をもっと欲しがっている自分に気付く(笑)。例えば福山雅治があの感じをやったら嫌味度が増して成立しなそう。織田裕二のキャラがギリギリのラインでハマっている気がした。その他、キャスティングも(織田と共に現役感をキープしている)鈴木保奈美、(絶妙に古いタイプとモダンのミックスのセクシー担当)中村アン、(お茶の間発見新スター)小手伸也、この4者が繰り広げるのは終始こ洒落た会話劇。ここで絶妙なのは(スマートで嫌味の無さがいい感じのジャニーズ)中島裕翔と新木優子という新世代はそんな「こ洒落た会話劇」とは無縁の普通の現代芝居をしているというバランス。もし若い彼らも同じ感じにしちゃうと一気に安いコメディになてしまう。

もちろんオリジナルの海外ドラマから通過した人からしたら酷評モノかも知れないけれど、個人的には、特に目的意識も生まれないここ数日の日々のダラつきを束の間軽く過ごすのに少し役立っている。

インスタを始めて2か月、ここまで僕がストレートにハマるとは思わなかった。そもそもが「SNS」とか「つながる」、「いいね」とか言うワード自体が好きではなかった。割りと生理的に。その(嫌いだったはずの)つながる感じが面白くなってきた。

前にも言ったけれど、こっちがあるニュアンスを投稿に乗せると世界の(ニュアンスに共鳴した)誰かが唐突につながる。例えばちょっと前に娘らと散歩して公園のブランコに揺れてるバックショットを録画して何気に投稿したら、全身タトゥーのイタリアメンズがいいねしたり、ツェッペリンの曲流しながらドライブしたのをアップしたらアメリカのストリートブルースマンが反応したり、イラストのグラデーションを明記したら美容師とつながったり(ヘアカラーのグラデーションとリンクしたらしい)、そのつながり方が自由で気ままでアクシデントで、この突拍子の無さが僕の性に合っていた。

そして、逆に僕が気に入ったニュアンス、テイストを探し出会うのも楽しい。インスタを通して今回改めて分かった事の一つに、僕が大概気に入る絵のテイストは8割方アブストラクトアート(抽象絵画)だという事だった。今まで商業イラストとの接点を模索してはいたけれど、世界のアーチスト達の、何ともノビノビとした作風と暮らし振りが見ていても心地いい風が吹いてて憧れてしまう。そして作風と暮らしがつながっている。太陽と大地と自然をモチーフに抽象化してる作家はその暮らしも同様。日本のインスタから見える風景はやはり何処か狭苦しい。そういう環境でダイナミックな自然を描くとしたら日本人の場合、空想になってしまう。そんなジレンマも感じたりもする。

いずれにしてもインスタグラムをフィルターにして世界の人たちの日常と空気感とそこから生まれる表現をリアルタイムで見つける楽しさは今の僕にとって日常化しつつあります。

昨夜見ていたタモリ倶楽部:空耳アワー。ジャニスに関する事案を告知してて嫌な予感と同時に「ついにその時が来たか....」とも感じてしまった。お茶の水にあるモスト老舗レンタルCDショップ「ジャニス」 には数年前まで本当にお世話になってた。わざわざ車で1時間半位かけてはるばる借りに行ったり返しにいったり。ノイズ/現代音楽/日本や海外のマイナー系/古いレアモノ等々、とにかく一般のレンタルショップには到底ありはしない「まさか!」っていう盤が置いてある音楽の全網羅図書館だった。時代は今、その役割は根こそぎyoutubeに持ってかれた。同時に僕もある時期からはパッタリお茶の水にまで走らせる事がなくなっていった。

タモリ倶楽部スタッフによる歌詞の確認作業も含めて、ジャニスの閉店は、空耳アワーの存続にも影響が出てるらしい。物凄く時代の流れをまたひとつ感じてしまった...。お世話になりました、感謝。

ずっとSNSというものに何かしらの距離を置いて来てましたが、先月、試しにこっそりインスタやってみたらちょっと面白くなって続いています(笑)。一時期ツィッターをやろーかどーか迷ってた時も結局このブログとの差別がつかなくてそのままでしたが、インスタは(前からちょっとやりたかった)Youtubeに上げる程ではない程度の動画をアップ出来るのと、自分の過去の作品も含めてフラットにカタログ化して羅列出来るのがいいかも、と思いました。

で、実際にやってみて面白かったのはハッシュタグでした。ちょっとしたワードで世界中のたまたま偶然のタイミングで出くわした人たちがそれにリアクションしてくる、その世界の中の突拍子も無い所から来たりして、しかも相手の暮らしぶりや風土や空気感などを(相手のインスタ通して)知る事が出来る。この世界とのスピード感とランダムなつながり感は初心者としては楽しかったです。ただ、なるほど(いいね!を気にするという)"承認欲求を刺激する(させられる)"とは「この事か」とも思いました。よく子どもたちが「パパ、見てみて!」と自分の作ったものや踊りや演奏を見せたり聞かせたがりするけれど、大人も同じなんですね(笑)。

嫌になったら止めるけれど今の所続けてます。友だちが少ないので異常にささやかです(笑)。ダラダラと散文を書きたい時にはいつも通りこのブログに来ます。よろしくお願いします。
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abh_yamada (イラスト/アート系instagram)

PS:同時に「音系インスタ」も別アカウントで始めてます(abh_oto_yamada)

…で、急きょ、カマキリ先生のツイッターに感化されて、ウチの庭のカマコの10月日記を。…まず、冒頭のクランベリーの上に乗っかったカマコ、これは前夜が例の9月末の台風26号が吹き荒れた、その翌朝の写真。恐る恐る庭の現状を確認しようと見てたらおもむろにカマコがクランベリーのど真ん中に乗っかってて、まるで嵐を一晩中耐え抜いてやっと穏やかな朝になり静かに朝日を浴びている…かのような佇まいがあり、そのたくましさとその姿が確認できた安心とで何とも象徴的なシーンだった。下の3態もおそらく同じカマコかと思う。家族が撮ったのでピンボケだけど、お腹がパンパンに大きくなっていて「もしかしたら…」と後日近くの枝を確認したら卵が産みつけてあった。この時、まだ10月のアタマ…例年からしたらけっこう早い時期かと思う。
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….ただ、これを境に、現在(11月初旬)まで、カマキリの姿は1回も見ていない。見てないというよりその気配すらない。そしてカマキリに限らず10月に入ってから庭に虫を見かけることが(例年に比べると)ほとんど無くてそれはそれで心配になる(下の写真だけ)。僕としては植物があって虫もいて…という形が生態系の豊かなバランスで、どっちかがいないというのは寂しい感じがある。実際に今年の(秋以降の)庭の自然状態はどーなっているのか…大幅な土の掘り起こしがあったのも少しは関係してるのかも知れない。
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カマキリ先生:俳優・香川照之の自宅のベランダにカマキリが産卵、しかもその産卵最中に本人が帰宅して遭遇する…という本当の奇跡が(一部で)話題に。確かにカマキリの卵って気が付くと何処かしらにあったりするもので、そのライブ中に出くわすというのは流石カマキリ先生!

そして興奮と感動のままに、それでいて的確にこの命の引き継ぎの瞬間と、カマキリ(小さな生き物)の健気な命の営みを、まるで上質な詩人もしくは哲学者のような文体で見事に表現されている。特に「虫たちは今日もーー生命を繋ぐために懸命にこの地球という星に食らいついているのだ。」…のフレーズが熱くさせる(笑)。カマキリ先生のカマキリ日記はちょっとしばらく要チェック。

(カマキリ先生)香川照之 Twitter

9月の庭日記の最後から続く、9月最後の日から翌10月1日にかけて襲った台風26号の、翌朝の図。大方の鉢関係は取り込んでいたものの、軽めの木製の台や空の植木鉢が吹っ飛び、手前のチェリーセージが完全に風で手前にお辞儀している。そして(右写真)キョウチクトウの真ん中の枝がごっそりと折れて無くなっていた。ちょうど壁のラインで無くなっているので相当な突風の力が入ったと想像出来る。
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9月の台風21号の時に"スケボー棚"の屋根が真逆に曲がってしまってたので太針金2本追加で補強して望んだ今度の台風26号。…そんなチープなDIYなど鼻で笑うかの如く(写真左の通り)いとも簡単に今度も真逆に折れ曲がる…。で、「今度こそは」と、写真右の様に屋根上部から板まで細針金で(逆に曲がり防止の)補強を。これでどーだろ(その後台風来てないからどーなるか分からない)。
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(文・絵:三芳悌吉 1976/福音館書店)
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(※ネタバレあります、ご注意下さい)
"生き物関係の自然科学絵本"を集めていた頃、出会った「生き物を描く」作家の中で特にお気に入りだったのがこの三芳悌吉氏による「おおさんしょううお」。すでに亡くなられている方だけれども、昔の画家ならではの基礎のしっかりした、そして対象となる(氏が嗜好する)生き物に対する愛情が指先から絵筆に流れ伝わる素晴らしい描写力。その実直な技術をバックに、この作品で展開されるのは…おおさんしょううおが瑞々しく生息する環境風景と、かつての時代の日本の田舎の暮らしと自然。柔らかいタッチに、時にシックにさえ感じるやや渋みを持つ絶妙な色彩。
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(天然記念物指定であっても)一見、グロテスクな風貌にも見えるおおさんしょううおは、淡々と生の営みを遂行する。やがて時代が変わり川の水も汚れて暮らしにくくなったらもっと上流まで登っていって穏やかな環境を見つける。その姿が何とも慎ましく見えてしまう。勝手に人間が環境を変化させているだけでそこに暮らす様々な生き物たちは文句も反抗もせず、ただただ(死んでいくものもいれば)もっと暮らしやすい所を求めて生き延びていく。この絵本で描かれる昔の日本の田園風景と川の生き物たちの絵を見ているだけで自分の遠い子供の頃の記憶を浮き上がらせる普遍的な郷愁がある。ずっとやさしい文体にも心が染みる。
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子どもと一緒に寝てしまい、1時間程して起きたら「もののけ姫」をやっていて、そのまま観てしまう。宮崎作品は、僕は初期の代表作(と言われる)いくつかは当時観たかと思う。ただ、そのいずれも「いつ、どこで、どれを観たのか」…という部分の記憶が曖昧だったりする。この「もののけ姫」も多分当時観たと思うんだけど何処でいつ観たのかあまり思い出せずにテレビ画面を観ていた。そんな薄い記憶だったので感触としてはある意味初めてちゃんと向き合って観てる感じもあった。

寝起きなので残り1時間程からではあったけれど、特に現在の僕の日々感情のバックボーンと今回はリンクし合って、とにかくこの作品からほとばしる宮崎駿のメッセージの熱量がこれでもか!って言う程に響く。自然と人間は「対峙」するのか、「共存」するのか、その狭間で作者が打ちひしがれていた怒りや絶望が強烈なエネルギーとなってダイナミックな空間動画がうごめく。西洋は人間が自然を支配しようとしてきた。昔の日本人は自然の中に神を宿らせ、そこに畏敬の思いを込めて来た。劇中の(自然を支配しようとする)人間像を徹底的に軽薄に描き、自然の神秘を崇高で高貴な存在として際立てせる。(おそらく)当時監督は血気ある50代。時に暴力的なまでに己のメッセージを叩き付けるかのような攻撃的なエネルギーを感じて、改めてこの作品の凄みを感じた。全編に渡って甘さが無い所もその本気度が伝わって来る。

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