barfly diary

daily voice of nobuo yamada (abh) / since 2005

なかなか日常、ドラマや映画に集中する時間(気分の流れ)を作りづらい。ドラマ「カルテット」は(毎度のパターンで?)1話だけ見てしばらく遠ざかり、その後しばしブランク後、タイミングが見つかり先週末で一気に見終えた。時々(練り過ぎ感もある)セリフ回しに、これはちょっと(リアリティとは別空間の)舞台演劇っぽい感じがした(あと時々映画っぽくもある)。舞台となったロケーション設定の世界感がそのまま余韻の後味を包み込む。個人的には6話の(ほぼほぼ全面主役の)クドカンの回が印象的で、夫婦が夫婦生活を日常繰り返していく断片断片で心の中でちょっとづつ(相手に対して)「あれ?違うかな…」というズレがちょっとづつ膨らんでいく場面場面の心理や感情の内的ディテールの描写が見応えあった。実は内心少しは誰もが感じているようなあるあるポイント(でも、「唐揚げにレモンやだ」って言えない関係はそもそも入り口からシンドいと思う/笑)。(キャスティング的にはサンドイッチマン: 富澤が好きでした)

さて、ここからが(どーでもいい)本編。…1話を最初に見終えた時、(「あまちゃん」の時にも感じた)松田龍平の、あの独特な普通感の雰囲気は元々役者さんが持っているものなのか、今回はそのテイストがさらに強固に表れていて、(今はそんなに思わないけれど)その時は「…この感じって、この先老いていく程、例えば"笠智衆"(りゅうちしゅう)っぽい役者になるんじゃないかなぁ…」って思ってしまった。で、後にこの事を食卓時に奥さんと話す。するとそもそも「笠智衆」が伝わらなかった。「ほら、寅さん映画の、お坊さんの、」とか「小津映画の東京物語の…」とか言っても通じない。しばし世代バックボーンのズレに戸惑っていた時、(このやり取りをそばで聞いてた)長女がすかさず「え!、それって"りゅうちぇる"のお父さん!?」って割り込んできた。そのまさかの予想場外からのインサートに思わず爆笑してしまう。でも、万が一100歩譲って「りゅうちぇる」が実は「笠・ちぇる」という笠智衆の息子だったとしても、それこそ世代がメチャクチャ。せめて笠智衆のひ孫位の開きはあるのではないか(もっと?…もはやよく分からない)。PS:今夜、この話がしたかっただけです(笑)。

(バイロン・バートン(絵)シャーロット・ポメランツ(文)谷川俊太郎(訳)/1992(orig.'84): 評論社)
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(※ネタバレしてますご注意下さい)
アメリカの絵本作家:バイロンバートンの本を最初に買ったのは…どこかへ行ってしまった愛犬を街中ドタバタと男の子が探して行くお話の「アル どこにいるの?」(1972)という絵本だった。よれっとしてカラフルでどこかトボケたポップさが割とお気に入りだった。そしてその後、この本「くまはどこ?」に出会う。「アル どこにいるの?」から10年ちょっと後の(同作家による)この作品のタッチは、さらにトボケたような妙な味わい度が確実に増していて、ページをめくった途端一発で虜になる。文章は(いわゆる)"遊び歌"的な類いなのだけれど、正直その辺は僕の場合印象が薄く、やはり何と行ってもこの…健気に生活の営みを遂行している最中の、とある村の奥にある森にくまが出たと叫ぶ声に、村中が一気に騒ぎ出し、とりあえず見た物手に取り恐る恐る、森に入り込む村人たち、くまが現れ大慌て…そして結局急いで家に逃げ込む村人たち…という、言っちゃえばそれだけのお話なのに、このイラストレーションのチャーミングさが何倍か増しで僕を惹き付けた。とにかく必要に「ずっと不安ゲな村人たちの表情」、それでいて実際のくまは(本編には見開きいっぱいのくまの姿のページがあるけれど)妙にジェントルな雰囲気だったりする(笑)。あまり上手くこの絵の「味」を例えられないもどかしさがあるのだけれど、何かしらの部分をくすぐられるような、「何とも言えない味わい」が全ての本。170326_kumadoko2

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「ほね、ほね、きょうりゅうのほね」
(バイロン・バートン(作)かけがわやすこ(訳)/1998(orig.'90): インターコミュニケーションズ)
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その後、バートン作品は色々見て回った時があった。この「ほね、ほね、きょうりゅうのほね」は、「くまはどこ?」からさらに5、6年が経ち、この作家のタッチはさらに単純化していく(現在はさらに単純化)。「くまはどこ?」で感じたおトボケな抜けたポップフィーリングはこの作品でも健在で、これも流れとしては…仲間(グループ)が恐竜の骨を探し歩き、発見したらそれらを皆なで掘って、くるんで、つめて、博物館に運んで、ティラノザウルスを組み立てて、また新たな骨を探しに歩く…というだけのもの。しかし、ずっと画面が楽しい。「くまはどこ?」でも感じたのだけれど、(特にこの2作品で共通で思うのは)誰か中心となる主役がいて脇がいて…という設定はなく、村人/発掘隊といった、グループがそこで(一心に)作業をしている…という状況を(要は)描いているだけなのだけれど、逆を言えばそこがいいんだと思う。読者の画面に向かって過剰に欲張ったりしない、この力の加減が心地良い。何かを声高に言う事なく、それでいて何とも言えない魅力を醸し出す…ある意味、このニュアンスを体得しているこの作家しか表現出来ないようなものを感じてしまう(羨ましい)。PS:ただ、この2作、子供にはいま一つその面白さが伝わらなかった…。170326_honekyoryu2

(パット・ハッチンス(文/絵)いしいももこ(訳)/1975(orig.71): 福音館書店)

(※ネタバレしてますご注意下さい)
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イギリスを代表する絵本作家の、(おそらく)最もスタンダードな作品「ティッチ」。この絵本をたまたまブックオフで見つけたのも僕を絵本の世界へ目を向けさせたきっかけになった。実際に彼女の息子さんがモデルになっていて、上のお兄ちゃん、お姉ちゃんがいち早く成長して何でも出来てしまう中、末っ子のティッチはいつも惨めな思い。それでも最後に、ティッチが植えた木はぐんぐん伸びる…この上なくシンプルで明快なストーリーで最後にみそっかすティッチの自尊心を「木の成長」と重ねて逆転表現する、見事な構成(ラストの絵を見た時に涙が出そうになったのは僕だけだろーか)。全然話は脱線するけれど、昔のドラマ「ふぞろいの林檎たち」で、確か一部の最終回で、エリート集団の学生が就職試験場で自信満々な振る舞いの中、中井貴一/柳沢慎吾/時任三郎の、いわゆる(ふぞろい落ちこぼれ)3人が肩身の狭い思いでいる中、特に柳沢慎吾が周りのエリート集団にビビって惨めな態度を見せた。しかし、横にいた時任三郎(全部役者名で言ってます)は、そんな慎吾に「いいから胸張ってればいいんだ!」とさとすシーンがあって、これを見た時も僕は込み上げるものがあって泣きそうになった。程度は違えどこのティッチでのラストと込み上がる感情の種類は同じような気がする。どんなに自分がダメでも惨めだとしても、「胸を張っている」という、真の自尊心、自分の存在に対する誇りのようなものが表現された時、僕はこの感情になる。
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加えて、まずとっかかりは絵のタッチの魅力もあった。ハッチンス氏のイラストはハンドメイドでチープな装飾包装紙のような味があって、特にこの作品で言えば、バキバキの原色から2トーン位抑えたような品のある色味と色数、そしてお兄ちゃんたちの得意気な表情とティッチのしょんぼりな顔もとても上手。

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ハッチンス氏の作品は何冊か集めたけれど、そんな中、「風がふいたら」も(絵柄も含めて)70年代っぽくて好きな作品(購入出来てないのだけれど)。ただ、この作家さんのパターンというのも何となく見えてきて、いわゆる一つの事象を繰り返してちょっとづつ変化させていく…という構成が多い気がする。特に読み手の場合、ちょっとこの繰り返しパターンって正直面倒な感じもある(笑)。

そんなハッチンス作品の中でちょっと異色っぽくて面白かったのが「なんにかわるかな?」(1975(orig.71): ほるぷ出版)。170320_nanni1
…これは積み木風の画面に男の子と女の子が登場して、画面毎にその積み木の世界(状況)がハプニングと共に変化していくという、文章の無い絵本。子供には最初、文が無い事がつまんなそうだったけれど、ある時、勝手に自分たちでその画面を見ながら話を作って、いわゆるストーリーテラーやってたりして「へー」って感心した時があった。この絵本の本質はその辺にもあるような気がする。この本の裏表紙にあったハッチンスの言葉で…「私は子どもだからといって調子を下げるつもりはありません。ただ物語が論理的にきちんとしていることを心がけています。」…という記述があり、絵本の入り口にいた僕としてはその時とっても共鳴してしまった。
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全ての生物、その一つ一つにスポット当ててその生態を掘り下げていくと、必ずその一つ一つに不可思議な習性や特徴が(多かれ少なかれ)あったりする。その選びは結局、普段の僕の生活圏の中で実際に(直接/間接で)接する事のある生き物になってしまうのだけれど、秋口あたりは(庭に生息してた)カマキリやクモなど、その都度「そー言えばカマキリ(クモ)って寿命はどの位なんだろ?」…程度の興味から始まっていった。冬になってからは虫関係が目にしなくなり、そーなると浮かび上がってきたのが鳥だった。と、同時に「木/森」に対する関心が高まっていくと、その生態圏に則して生きている(例えば)鳥/リス/モグラ…などに付随して興味が自然とトッピングされていく。

鳥というのは、実は人間の生活圏に最も日常的に接することのある(ほぼ唯一の)「野性の生き物」である事を再認識する。それ位に人間の暮らしている圏内に野性は姿を現さない(というか、人間社会が駆除する)。別に言えば、そもそも野性生物にとっても人間とその社会が一番の天敵であるとも言えるので、ほとんどの野性は(限られた)森の中で夜になるのを待って行動する。鳥はその点、空を自由に飛べる事がリスクからも自由になれる最大の特徴でもあるので結果、人間圏とも微妙に共存してる感じがある。

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大方の鳥たちはそれぞれ様々な環境や素材に則して巣(家)を作り、卵を産んでヒナを育てる。そこにはオス/メス、夫婦で協力し合って家族と家(巣)を守る姿も見て取れて改めて見直してしまうのだけれど、そんな中、「よその家(巣)に勝手に入り込んで卵をそこに産みつけて自分(母)は育児放棄をする種類の鳥」がいる事を知る。その類いの鳥が例えば「カッコウ」。いわゆる「托卵(たくらん)」という習性行為で、カッコウがその対象にする鳥はどの鳥でもOKなのではなく、ちゃんとカッコウはモズという鳥(ウチのお隣さんチでも巣があったらしい)を狙うという。そこには卵がカッコウと似ている大きさ/色なども関係しているだろーし、その習性はたまたまなのでもなく、それこそ長い長い年月の間にカッコウの生態の過程で遺伝子に組み込まれてきたものなんだと思う。
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カッコウのメスはモズの巣を見つけたら遠目で観察しつつ、モズが卵を産み、その巣から離れた時を見計らってモズの巣に来て、ちゃんとモズの卵を一個口にくわえて巣から落とし、自分の卵をそこに産んで飛び去る。やがて巣に戻ったモズのメスは卵の個数に変化ないし見た目もほぼほぼ変わらないので疑いも無く卵を温める。その後、(驚く事に)カッコウの卵は、モズの卵よりも必ず一足先にかえりヒナになる(カッコウの卵の方が数日早い事も学習済みなのだろーか)。そして我先にヒナになったばかりのカッコウの赤ちゃんは、まだ目が開かない内に自分の背中に、周りのモズの卵を一生懸命頑張って乗せて、そして自分以外の卵を落としてしまう。やがて戻ったモズのメス(母)は、ヒナが一羽(カッコウ)しかいない事に気付くのだろーけど、それでもそのヒナがわが子だと思って一生懸命エサを何回も持ってきてはカッコウのヒナを育てていく。写真でも分かるように、明らかにモズよりもカッコウの方が個体が大きく、それでもせっせと最後まで育てていく母親の本能を全うするモズのいじらしさ(それに対してカッコウの無責任なずる賢さ…)。やがてモズの巣からはみ出る位に大きくなったカッコウの子供を雨の中、覆い被さるように小さなモズのお母さんが上から包み込んで濡れないようにしている写真もある。…シビアな自然の生態の事なので人間が首を突っ込むのも無粋なのはわかりつつも、やっぱりちょっとカッコウのやり方は好きになれない(笑)。

PS:他人に子育てを丸投げする習性は、スズメバチだったかの世界にもいて、他の巣の女王蜂を殺して自分たちの子供を産み、(女王蜂を殺されて)残った働き蜂に自分たちの為に働かせる(もちろん巣も乗っ取り)のもいるらしい。ハチってけっこうこ頭脳的でこズルいんだよなぁ(笑)。

PS/2:「托卵」で思い出すのは、以前に、友人が演出した演劇の、その舞台で流す音楽の仕事を依頼された時があった。その劇のタイトルが「たくらん」だった。劇の内容も(カッコウなどの)托卵の習性を人間模様に当てはめたものだったと思うし、当時その友人との打ち合わせでもそんな説明があったように思うけど、「ふんふん、なるほどね、OKー。」…程度の反応で受け流してたかも知れない。今だったら「托卵」の興味も深まったし万全で望める(笑)。

PS/3:「托卵(たくらん)」のカッコウの不思議さをキッズらに分かりやすく説明しようと、ウチの家族とママ友家族を例えてやろうとしたのが間違いだった…「誰々ちゃんちのお母さんがウチに来て誰々ちゃんを置いてって、その代わり(ウチの子を)追い出しちゃうワケ。それでウチのママはその誰々ちゃんを自分の子供だと思って育てちゃうの…」…当然ながらキッズらはポカーンとチンプンカンプン。逆にそのリアル例えが意味が分からないままでよかった(笑)。

…と、際限なく地球にまつわる環境問題は後を絶たず、そのほとんどが絶望/悲観を促す現実を突きつけられていますが、そんな世界でも何とか健全な環境/生態系を取り戻すべく自分たちなりのやり方で立ち向かっている人々の記事もちょっとあって、その(ポジティヴな)姿にちょっと救われたりもしました。一旦の区切りの最後にそれらをピックアップします:

プラスチックに変わる未来の(自然)素材を開発した日本の若者たち
『寒天からつくる新しい梱包素材が海洋生物を救う可能性』

実は僕も「(もう)生まれ変わるなら「木」になりたい。」…と最近口走ってしまった事がある...。
『自然活動家のTorresさん、結婚相手がまさかの「木」』

海を愛するオーストラリア人若者によるDIYな仕掛け
『海のゴミを自動で集めてくれる魔法のバケツ「seabin」』

この見解が本当ならば、まさに世界の人類が地球の危機の一つを修復させた重要な結果
『環境問題とされていたオゾンホール 世界が団結し、オゾン層の回復へ』

"「朽ちた木の内側に生息する甲虫が原因で、健康な木にまで影響が出るため」とのポーランドの新しい環境大臣による伐採理由。"
"一部科学者たちは「数えきれない年月を経た森に対し、そのような干渉をするのはうぬぼれだ」と厳しく指摘。膨大な年月に渡って生態系を築いてきた森林にとって、人間の手が加わることがプラスなるのか、判断は分かれそう"

『ヨーロッパに残った最後の原生林、保護のため伐採へ』

"ビジュアル化されたグラフには、各月ごと1850年から2016年の気温の変化がスパイラルグラフ描かれています。どれだけ気温が上昇しているのか、それはグラフの広がりを見れば一目瞭然です。"

『地球温暖化がめちゃくちゃよくわかる可視化データ』

…まずい、つい本気モードになると環境問題収集が止まらない。ただ、小出しにしてたらキリがないのでこの際一気に吐き出してしまいます:

"1970年から2012年の間で、魚や鳥、哺乳類、爬虫類の個体数は、すでに58%も減少しているという。"
"「これは間違いなく人間による影響です。われわれは今、第6の大量絶滅期にいるのです。私たちは地球を酷使している。そして多くの野生動物の生息地を破壊しているのです」"

『「2020年までに野生動物の3分の2が消えることに」自然保護団体が警鐘を鳴らす』

"絶滅に瀕しているメキシコオオカミやソノラ砂漠のジャガーを含めた数多くの生き物たちはこれまでのように移動することができなくなる。"
"壁が建設されることで、絶滅危惧種111種、渡り鳥108種、4つの禁猟区および魚卵孵化場、および数え切れないほどの湿原に影響があると見られている。"
"過去にも、ジョージ・ブッシュ大統領が就任していた2005年に、カリフォルニアからテキサスにかけて高さ18フィート(約5.5メートル)・距離にして650マイル(約1050キロメートル)にも及ぶ有刺鉄線のフェンスが設置されたが、この影響で2011年までに16種の生き物の数が75%も減少 した。"

『トランプ大統領の壁建設は環境的な問題も引き起こす』


トランプのような人間の思考は、例えば散々私利私欲の為に地球を汚しまくり、生態系を壊して、いよいよ地球に住めなくなったら、またさらなる巨額投資をして別の住めそうな惑星を探して移住すればよい…というような考え方で、微塵も「自分も自然の"一部"に過ぎない」…という思慮深い慎みが欠落している(悲しいかな大方の権力者は皆な同じ)。

地球上の生き物の中で、人間は桁外れに知能が発達した生物でありながら、地球上の生き物の中で最も醜く愚かでもある。…生まれてきた子供たちに「素晴らしいこの世界へようこそ!」…とは、大人は胸張って言えない世界を作っている。それでも子供たちには極力(生まれてきた)この世界は神秘に満ちて感動があるという事を探し出して作り出して提示しなければならない責任がある。

"「自然環境は悪化の一途をたどっていて、破壊されています」…その原因は人間の普段の生活から生み出されているとのこと。"
"「政治家は国民が政治家にやって欲しいことを実行します。だから、もし国民が環境問題に対して政治家にやって欲しいことを示せば、今まで渋っていた政治家も簡単に問題に取り組むはずです」"

『気候変動による環境問題をディカプリオが体当たりで取材するドキュメンタリー映画「Before the Flood」』



"…そして人間がいなくなって数百年が経過すると、世界中のほとんどの動物は人間が誕生する前の生活水準に戻ることになります。しかし、生物の生息分布だけは人間に変更されたまま残る見込み"/"…プラスチックや硫化ゴムなどの化学的結合物は、バクテリアなどが物質を分解する際に使う消化酵素の影響を受けませんので、金属とは異なりプラスチックはさびず、腐食しません。こういった物質が消滅することはないので、水に流されて海にぷかぷか浮かぶか、土の中に埋もれるかのどちらかの方法で地球にそのまま残ることになります。"/"…さらに、有機化学物質や放射性物質も長く地球上に残る物質のようです。"

『もしも人類が絶滅してしまったら地球はどうなってしまうのか?』

"ただ人工的な橋を架けるのではなく、動物たちが親しみやすいように植物の生い茂る設計になっている。道路を横切る動物の事故が絶えないため、このような橋が設けられたとのこと。"

『ベルギーの道路に架けられた動物専用の橋』

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