barfly diary

daily voice of nobuo yamada (abh) / since 2005 https://www.abh-oto-yamada.com/ https://www.instagram.com/abh_yamada/

何とも4か月振りのブログ。すっかりインスタが軸になってもいるので(世界の広さが楽しいので)、今日は子供の友だちが遊びに来てるのもあって(ほぼ自分の時間が通常より増してるのもありで)、久々のキーボード打ち&更新作業がちょっと忘れかけてたりもしてぎこちない(笑)。ここ最近反応してた音楽モノをいくつか…。

・お盆休み中、西日がまぶしい中を地元のホームセンターへ園芸用品を買いに出た。ふと付けたJ-Waveではクリスペプラーがチャートランキングを発表していた。何週か続いていた1位のあいみょんを抜いてこの時チャート1位としてカーステから流れて来たのがこの曲。ルーリード「ワイルドサイドを歩け」をインスピレーションとしたようなムードの、3姉妹バンド。他の曲をいくつか漁ってみたけれど他は割とフツーだった。この曲の(まさに)夏の終わりかけのような気怠さが印象的なサックスと混ざり合っていい感じ。PVも印象的。




・女優の杏。以前に歌ってる映像を見た時から「この人は絶対シンガーを軸にした方がいい」って勝手に思ってた。女優として成功を収めてはいるけれど、この人実は170センチ以上で長身なのもあってステージでの佇まいが凛とする。しかも声質がウエットでなくあっけらかんともしてて曲と自身とに程よい距離感があって、「いい歌声だなぁ」っていつも思う。勝手ついでに僕はこの歌声に70年代のフィーメールシンガーを重ねてしまう。ちゃんとしたプロデューサーと組んで「今」に媚びてない(できればギター1本の)グッドアルバムを制作&発表して欲しい。





・ラジオでライムスターとノーナリーブスのコラボ曲が流れた。ノーナリーブスは昔(多分20年以上前!)メジャーデビュー盤をレンタルした事がある。印象としては"遅れて来た渋谷系"…っていう感じで、ポップセンスは感じるけどちょっと線が細いかな、って思ってた。その後、どちらかと言うとMジャクソンやベニーシングス等、ポップス評論家として認識してる方が強かった。…で、上記きっかけで20年以上振りにノーナリーブスを辿って見た(聴いた)ら、思ってた以上にポップを成熟発酵?させていて現在も進化しつつ健在だった。ソウル(ポップ)ミュージックに対するほとばしる愛が隅々に。特に下記の「休もう、Once More」は素晴らしいポップスタンダードでとっても気に入ってしまう。この曲はかつてスマップに提供したけどボツになったという。確かにスマップが歌ってっぽいテイスト。




….さて、今夜遅くからハードな台風が来るとは思えない静けさ。これから庭の草花たちを室内に避難させます。

あれほどSNSツールに関して懐疑的なスタンスでいたのに、去年10月から始めたインスタには僕の気質の何処かのポイントとナイスマッチしたようで、ほぼ日のペースで画像をアップしている。以前にも述べたけれど、時間の空いた時にでも何気にあげた画像(もしくは動画)が瞬時に世界の何処かしらに届いてそんな世界の何処其処の彼ら彼女らに時々繋がるという感覚、時間と場所の距離感が完全にトんでしまうのってまるでドラえもんのどこでもドアみたいな感じがする。僕は世界と繋がるのが面白い…ウクライナの学生/シリアの画家/インドの楽団/アメリカのセレブパーティDJ/オーストラリアの女優/等々…普段絶対接点の無いような世界中の彼ら彼女らとの唐突な刹那の出会い。

もう一つ、とっても嫌いだった「いいね」という仕組み。実はこれもフタを開けてみたら、そのビジュアル(作品)に対するわずか数秒での反応の「いいね」クリックは、逆に何の義務も温情も忖度も無い(ユーザーによってはあるのかな?)純粋にパッと見ていい感じのビジュアルに親指を反射的に上げる、そこでの評価って僕なりに数ヶ月やっててけっこうなるほどって思ってしまう程に的確な気がした。僕の場合はほとんどがイラスト/アート作品の掲載なのだけれど、作品個々のいいねの数の差を比べると確かに分かる気もして、それによって自分でも客観的な視点を得る事が出来る。逆に(面白いのだけれど)自分ではけっこうクオリティが高いって自信を持ってあげた作品がまったく反応されない時もあったりして、軽くショックは受けるも逆に勉強になったりする。…そんなような、やり始めからあっちこっち試しながらニュアンスを得て行って、今年に入ってからまた新たに軸が定まってきたのが「抽象」だった。

「抽象(アブストラクト)」は、そもそもイラストレーションやる以前からオブジェ作ったりしてたし、何年か周期で(ある種の自由への反動で?)顔を出していた。ここ15年程はそっちのはけ口は雑音(ノイズ)作家活動で(音/アートワーク共に)満たしてはいた。正直ここに来て密かにイラストレーションというものに挫折感を感じていた所にインスタグラムが入ってきた。自分の作品を見て、というのと同時に、僕が好きなテイストのアートを探すのも楽しい(これはYoutubeでダラダラとお気に入りを探し歩くのと似てる)。世界中の色んなアーティストの作品を見て、お気に入りを発見しては「いいねぇ…」とか「コイツすげぇ…」とかやってる日常。とにかく感じるのは、世界中の(有名無名関係無く)芸術家の自由さ。何をやってもいいし何でもOK。そのアプローチの多様性に常に刺激を受ける。そして海外作家はアートが日常だし人生だし、暮らしだし、その全部ひっくるめて(狭いニッポンとは違う)自然で大らかでオープンマインドな空気感がインスタの画面から明らかに見えてくる。…そんな自由な同時代の抽象アート(アーティスト)に自分も呼応したくなったんだと思う。今まで(職業イラストレーションを前提とする為に)あえて脇へ置いていたアブストラクトアートのくすぶりがこの体験を通して再熱。これが2019年現在です。

そんな流れですでにインスタ上ではずっと連日アップしていたシリーズ「切れ端で遊ぶ」をセレクトしてブログにも掲載します。過去の切り絵作業で大量に残っていた「切れ端」、それを逆に使って無作為的に配置したシリーズです。作為や狙い、設計から解放された自由の純度はあるかと思います(リサイクルアートの側面もあります)。興味を持たれた方がいましたら下記にてもっと多く掲載しています(ちなみに現在進行中のシリーズは白だけのレリーフ、光と影のフォルムアートです)。

山田ノブオ@instagram

190506_kirehashi1
190506_kirehashi2
190506_kirehashi3
190506_kirehashi4

ちょっと前の事だけど、奥さんが何かしらの余興で面白かったらしい…「1/手を組んだ時の左右の親指の位置」と「2/腕を組んだ時の左右の腕の位置」…の1と2の合わせでその人が「うう(右脳右脳)」人間か、「うさ(右脳左脳」か、もしくは「ささ」「さう」かで性格(人格?)判断をする、というシロモノで、ある時家族でやってみよう…という流れに。結論先言うと、僕以外は右脳と左脳の両方合わさっていた。…で、僕は、その診断やる前からすでに自分の人生振り返っても(どう抗っても?)右脳(感覚派)人間以外考えられないって(自他共に)確信していた。その確固たる自信の通り、手を組めば右の親指は下に、腕を組めば右腕は下に…という「うう男」という結果。

で、その「うう男」の性格分析が家族で爆笑する程に僕そのもので、あまりにもそのまま過ぎるのでその文章はそのまま僕の自己紹介(プロフィール)文にもなる、確実に。興味のある方は下記のリンクだけど、文面からちょっといくつかワードを拝借すると…「いつもポジティヴなナルシスト/裏表がない正直者/たとえ失敗してもそれが失敗だと気付かない/切り替えが早い/もともと結論ありきの都合のいい理屈なので思いつきで言ってるのが見破られやすい/興味のない事には全然関心がない…」等々。僕という人はまぎれもなくこのような男です(笑)。ただ、この「うう男」の診断で僕に唯一当てはまらないワードがあった…(好きな事にはとことん突き進み)「いつの間にかその道の第一人者になっている事も。」….それは無い(笑)。

うさうさ脳タイプの診断法
私はうう男

ここ最近出会ったお気に入り@Youtube。

「Louis Cole」
ある意味現代ならではの(全てを網羅してるかのような)超マルチミュージシャン。テクニックがハイレベルなのだけれど、このアーティストはそんなのは単なるツールとしてまるでオモチャを扱うが如くやってのける。個人的にはテクノロジーっぽさが軸となる音より、前途した理由でもこのPVみたいに「人力でもやってのける」的な生バンドアプローチ(とサウンド)が魅力。特にこのPVはそれこそまさに「カメラを止めるな!」的バージョン。PS:そして個人的に、出てくるベーシストのキャラ(ノリ)が嫌いじゃない(笑)。


「Khruangbin」
もうちょっと前からチェックはしていたグループだったけれど、ラジオで流れてて改めて意識。60-70sの東南アジアのポップスの影響下にある、というだけあって、醸し出されるムードはオリエンタルでありながらも現代の新鮮なグルーヴに仕立て上がっている。懐かしい所では(そのフレージングに)ピーターグリーンとかダイアーストレイツとか思い出した。3ピースのスカスカの間が心地いい。色々あった中でこの曲…極上のクリスマスメロウグルーヴ。


「Alfred Beach Sandal」
日本のバンド。いくつか観てみると、ロックバンド形式でありつつも本人はギター1本でも演る。似たり寄ったりのロックバンドが食傷気味の中、このアーティストの感性は変え難い独特なフィーリングを持っている。最近は今時のシティポップグルーヴ界隈にも絡んでいる感じがあるけれど、個人的には(…確かにそれらも聴いてて嫌いじゃないし心地いいのだけれど)もはやその「それっぽさ」という点でも"今時のシティポップグルーヴ"はそろそろ(展開、メロディ、サウンドetc)様式化しつつあって、これまた似たり寄ったりがひしめき合っている。このアーティストの初期作程その(言っちゃえばある意味「セールスゾーン」)界隈とは別の場所にあって、この感じ(クセ)は"今時"に埋没しなければいーのになぁって思う。

スティールパンの混在がさらにストレンジにカオス化する


ギター1本での表現も独特な世界を醸し出す。何となくビートニクとか頭に浮かぶ(雰囲気で言ってます…笑)。このギター1本だけのフォーキーな作風でアルバムリリースして欲しい(もうあるのかな?)。


前回述べた…『現在、(埼玉県民6年目としても)「翔んで埼玉」を春休みあたり家族で観に行くような空気が家族内で流れつつあり、一旦その空気に乗りかけたものの、今は自分の意思は無く、それは消極的な流れに従うスタンスに。』…という発言、その後、わが家の司令塔が席の予約を入れ、この前の日曜日に家族全員で「翔んで埼玉」を観に行くという発令にただただ従う(笑)。場所は新座!家族全員で(子どもアニメ以外で)映画を劇場で観るというのは多分初めてだと思う。おそらく観客ほぼ埼玉県人の中、所々に発生する埼玉ディスり自虐シーンに所々で(爆笑でなく)クスクス、ニヤニヤな、控えめな県民性。数年前につい漫画原作を買ってしまっていたけれど、映画の方がよりキャッチーでエンタメ度合いが豊潤で普通にくだらなくて楽しい。と同時にラストにかけて中央権力に抗う民衆の闘争の構図に展開してタマシイを刺激されたりもする。しばらくしたらもう一回観てみたいっていう軽快な食い付き感のある娯楽作品。それまで圏外だったGacktが妙に親密に感じてしまう(笑)。

---------------------

内田裕也も死にましたか。ロックンロールの創造者(アーティスト)というよりロックンローラーという演者だったような印象。個人的には80年代初期(中期?)頃、当時のお目当てのバンドを観に日比谷の野音に行った時のフェスの主催が内田裕也だった(大晦日のとは違います)。いつものトっぽい感じでMCやってて、最後の方に出て来た時に髪の毛をバッサリ切ってパンキッシュなヘアになってて観客が沸いてたのを覚えている。/あと個人的に内田裕也といえば、主演している1986年の映画「コミック雑誌なんかいらない!」がナイスムービー。当時の芸能や社会で実際に起こった出来事を半分ドキュメントっぽく皮肉交じりに仕立てたもので、(俳優ではない)裕也氏扮する芸能リポーターが独特な空気感を醸し出していて氏が元々持っているトっぽさとイカレた感じがこの作品のギリギリ感を成功させている(これ書いてたら観たくなってきた)。

"ベリー天の邪鬼"な僕は、世間でもっぱら流行っている事象には"とにかく"一旦距離を置いてしまう。そのパターンは今まで一貫してたりする。去年話題の「カメラを止めるな」も結局足を運ばなかった。ちなみに映画に関して言えば、そのパターンで遡れば…「E.T」「ジュラシックパーク」も結局観た事が無いし、去年の「ボヘミアンラプソディ」も、今の感じだと…(もうちょっとしたらテレビでやるだろーから)っていう判断(その割に「プリティウーマン」は劇場に観に行った事がある、一人で/笑)。現在、(埼玉県民6年目としても)「翔んで埼玉」を春休みあたり家族で観に行くような空気が家族内で流れつつあり、一旦その空気に乗りかけたものの、今は自分の意思は無く、それは消極的な流れに従うスタンスに。

…そんな天の邪鬼、先日テレビで「カメラを止めるな」をやってたので観てみた。話題当時、奥さんはママ友に誘われて劇場に観に行ってて、感想聞いたら「凄く面白いっていう先入観の入りで観たから、そこそこ。DVDでもよかったかも」的な反応だった。…で、観てみて、確かにその通りだった。面白いけれど、あそこまで爆発的に話題になる程かな?って言うのが正直な所だった。この手の話題から流行っていくものって「面白い」っていう先入観のハードルがどーしても盛られてしまう。そこ基準で観るからどーしても期待値上げ過ぎからの減点的な見方にもなってしまう。ただ、確かに40分ノーカットは凄いって思った分、最後は妙にハートフルにしないで、これはそのノーカット撮影を達成させる現場を完全ドキュメントにして仕上げた方が画面が食い込んでくるような、個人的にはそんな感想。

「あそこまで爆発的に話題になる程かな?」…って思ってしまったパターンで言うと、数年前のアニメ「君の名は」にも感じてしまった。僕の感性がズレてるのかも知れないけれど、こればっかりは正直な感想。

----------------------

話は変わって、すっかり「渋井直人の休日」きっかけで俳優:光石研のファンになってしまったワケだけれど、何気ない表情とか鏡で真似しようと試したけれど絶対噓臭くなってしまう。当たり前だけど(さり気なく)プロフェッショナルな演技の実力が凄いって思う。…ありとあらゆる映画やドラマに出ているキャリアデータをチェックしてると、(その役者が光石研だったとは知らずに)いくつか氏が出てる映画とか観ていた事に今気付く。…その中で一番興味を再び持っているのが(確か)20年以上前の青山真治監督のデビュー作「helpless」。若き浅野忠信の初主演作でもあり、僕はその当時、ビデオをレンタルしてきて観た事がある。残っている印象は…とにかく遠方で淡々と進むロードムービーという感じで実際の物語はあまり覚えていない。メリハリ(強弱)がほぼ無く、映画全体が一歩「そっちの方で流れている」というような背景化したような、つまりそんな抽象的な「雰囲気」が一番記憶に残っている映画だった。その映画に片腕のヤクザの役で出ていたのが光石研だったと、渋井直人経由で改めて気付く。もちろん記憶ではかすかに「そんな人出てたかも」という曖昧な輪郭。でも下記の予告編観たら「!」ってなる。当時、俳優:光石研さんは今程仕事はなく、それまでとは全くキャラの違うヤクザ役での演技が評価を得て、この作品がきっかけとなって役者のキャリアが上がっていったらしい。今回の「渋井直人」とは真逆の人間も同クオリティで演じる両極の振れ幅の大きさに演者としての本当の実力を感じてしまい、「helpless」や別作品での(シリアス/ハードな)光石研をも味わいたいモードになっている。「helpless」はもはや王道モノが占めるTSUTAYAには無く、ネット系でも見当たらない。改めて観直してみたいモードを抱えつつ、Youtubeにあった予告編でとりあえず気分を満たす(精悍な顔付きのアラサー光石。アラフィフ渋井直人とのギャップ度合いの何とも激しい事、楽しむ)。DVD買おうかな。



先日リットーミュージックより発売されました、ジャズ教則本:加度 克紘(著)「ドレミで覚えるジャズ・スタンダード攻略法」のカヴァイラストを担当しました。同書はこれでシリーズ3冊目。僕としてもつい並べてみたくなり、ブック版ジャズ・カヴァとして楽しく眺めてしまいます。今回はセッションをしてるライブ感を意識しました。具象と抽象のイメージの行きつ戻りつ。個人的にはこのシリーズ、もうしばらく続いて欲しいなぁ…って密かに思っています(笑)。
190226_jazzbook4
190226_jazzbook1
190226_jazzbook2
190226_jazzbook3
190226_jazzbook5

「ドレミで覚えるジャズ・スタンダード攻略法」

ちょっと前、奥さんが友だちから教えてもらったという…自分の顔を撮って、それが芸能人の誰に似ているか、それをパーセント高い順に1、2、3位を出してくれるというアプリが面白かったそうで、家族で順番にそれで遊ぶ事に。最初、子どもたちが写真撮られてアプリオン。…そもそもこのアプリは結果的に意外に絶妙なラインを示していて、しかも「四捨五入して、よりグッドルッキンな方に寄せる」…という、遊ぶ側(お客)がちょっといい気分になる…というくすぐりが上手。…で、子どもたち。「え!?」って意外ではあったけれど、絶妙なラインで「…分からなくもないかも」と思わせたのが「井上和香」だった。パッと見は似てないかも知れないけれど「無くは無い…」という感じ。大人(親)から見ると特に長女は水谷豊の娘の女優さんにちょっと似てると思ってて、その人をもうちょっとアクを抜いた感じ。ちなみに奥さんの結果1位は何と「安室奈美恵」。20年前ならまだしもこのアプリ、大分気を使ってらっしゃるのか(笑)。ちなみに2位は「井上和香」が出たらしく、親子でこのラインはやはり繋がってるって事だろーか。

…さて、大盛り上がりの中、遠目にいた僕に指名がかかり写真を撮られた。提示された結果1位に家族に大爆笑される…「長渕剛」。面長でそれなりの年齢で、四捨五入しての結果…だとしてもお互い持ってるキャラのあまりの違いに家族はしばらく笑いで跳ねてる。2位は「市川海老蔵」。…気遣いアプリの頑張りではあるだろーけど以前にも泊まった宿主からも言われた事あったし、長渕から海老蔵でやっとフラットに(?)。ちなみに僕の3位が有吉だったのだけれど、これはどー見ても僕の顔に有吉的要素が見当たらず、これは理解不能。こーいうの、飲み会とかでやったら盛り上がるんでしょーね。

録画して後で観るのでなく、放送日放送時間のリアルタイムにTVの前に…という所まで愛でて来てしまっている「渋井直人の休日」。超個人的に、ここまで一つのドラマを愛でてしまったのは(10年以上前?の)クドカンドラマ「マンハッタンラブストーリー」以来。…イケてる(と思っている)ハズがカッコ付かないトホホでダサっぽい渋井直人(光石研)は、もはや僕自身の人生とダブらせている。もう他人ではない(笑)。正直言うとこのドラマと似た様な経験もあったりして、実は大方の人(特にオトコ)って大概が渋井直人な人生なんじゃないか…って勝手に思ってる。とっくに過去の事なのに今だにその(ダサかった)場面を思い出しては「あ---!(本当は「あ」に濁点)」って声に出す時もある。そんな人生の負の(密かに閉じ込めて過ごしている)エピソードを、俳優:光石研さんの全身渋井の振る舞いで泣き笑いの自虐で軽やかに、人生時間夕方に差し掛かる年代の愛おしい味わいとして届けてくれる。

先日の5話目はさすがに見てる方が辛くなる程のトホホ振りだったけどあんな感じもリアル。ただ最後の食堂でのアシスタント杉浦君絡みのシーンで全てが染みてくるとってもいい場面で見てる側を救ってくれた。そのアシスタント役の若手俳優:岡山天音さんのヌボー感がまたとっても良くって、渋井(光石)と杉浦(岡山)との絡みが見事に絶妙で楽しい。この2人の役者さんのキャスティングだけですでに何かが生まれている。余談だけどこの岡山天音さん、出身が(僕の馴染みの)東京:国立だそーで、その偶然もよりシンパシー。

本編に即したミニオフシーン「裏渋」。お気に入りを下記に:



このドラマで初めて意識した「光石研」。ちょっと前の「陸王」にも出てたって知って、しばらく思い出せなかったけれど時間差で「あ!」って繋がる…(シューズショップの店主だった)。それくらいに(バイプレイヤーズも然り)思い出せないけど実はあらゆる(振れ幅広く)作品に出まくっている「ザ・役者」を再認識。ちょっと遡り追いかけ始めていて、ついさっきも「下北沢ダイハード」を観てしまう(面白かった)。

#すっかりマイフェイバリットになりつつある「デザイナー/渋井直人の休日」。4話目を観て、全体に漂う(プログラムパッケージとしての)空気感とフィーリングに時々微笑んだり(簡単に言っちゃえばデザイナー版「寅さん」なのだけれど)。特にこの回の…ナルバリッチの音楽が流れるエンドロールと共に繰り広げられるオフショット的な光石研(渋井直人)の演技とそのペーソス漂う(あえて言っちゃう)お洒落な演出にちょっと切なくなる。(正直、僕はこのドラマで初めて意識した)俳優:光石研の本来の魅力を愛おしく最大限に引き出している。/別視点では、デザイナーさんの仕事の苦労エピソードも「そーだよね--」…と頷いてしまう。とにかくそもそも時間が毎回タイトなのにいきなり明日朝までに全直しだとか、それなのにギャラは最初の額で固定とか…僕も何人か身近にグラフィックのデザーナーさん達を見てきていたので同感してしまう。イラスト仕事はとりあえずは納品してしまえば基本手離れが早いけれど、デザイン仕事はいわゆる全てのフィニッシュワークなので地道さ忍耐が要求される。僕には備わっていない力です(笑)。

#浅野忠信@「タモリ倶楽部」。最近しばらくツィッター見てなかったけれど、浅野忠信画伯がついにメジャー化し始めたよう。番組観てから久々にツィッター覗いたら今はカラーリングモノも展開していて、どーしたことか絵に自信も加わってる感じでこれはさらに化けていく予感。浅野忠信発信モノ…個人的には音楽よりも絵の方が凄く可能性を感じる。

#あとはランダムに最近「いいね」の日本ポップス:

懐かしさと今っぽさが合わさったシティポップの新たな王道


今っぽい脱力ローファイ(風)ポップス。シンガーのフェイバリットに「Unknown Mortal Orchestra」をあげているのが納得の音作り。


まず、もの凄い歌声。バックボーンとしては「憂歌団」が想起される。何とか続けてもらっておばあさんになっても歌ってたら崇高になると思う。


「襟裳岬」をここまで壊れそうな感情でぶちまけるとさすがに感動する。

ここでも何度となく名前があがる中島翔哉。実際に彼を知ったのはハリルジャパンでのラスト期に突如茶の間に現れ、その突出した自由奔放なプレイに一目惚れしたワケだけれど、なのにロシアWカップに続き今回のアジアカップも負傷で不参加で、彼のプレイが世界を騒がす可能性を重ねて体験出来なかったのが改めて悔やまれる。…そんなお気に入り選手の中島翔哉なのだけれど、プレイと共にその人となりを知っていくとさらにその人間性に(共感と共に)惹かれてしまう。

アジアカップが始まる前にやってた堂安/南野/中島の3選手の密着番組を偶然観た時があって、中でも特に印象的だったのが、例えば堂安&南野が「今後の目標」みたいな質問を受けた時、2人ともほぼサッカーに関するより上のキャリアを目指す事だけに言及してるのに対して、中島だけは「サッカー以外の事でいいですか?」とことわった上で、自身のこれからの人生の目標を書き出していたのだけれど、その内容が「囲碁ができるようになる」とか「オーロラを見る」とか「ピラミッドの中に入る」「ギターを弾けるようになる」そして50才には「仙人のような人になる」…という(笑)。これは(番組的に)一見奇抜だったりボケっぽくて面白回答だったり、という類いに見られがちだけれど、個人的に、他の2人とはまったく次元の違う精神性(心の持ち方)を感じた。加えて今までの一番の思い出として中島が迷わずあげたのが「16才の時に出会った今の奥さんとの時間」というのも、いかに中島翔哉というサッカー選手が、人生というものを、その人生と(今携わっている)サッカーとの向き合い方を、俯瞰で捉えているかの、人の生き方の部分でとても重要なニュアンスを(無自覚のように)飄々と醸し出している。他の2選手と同様に、大方の代表のサッカー選手の気質はサッカーに己の全てをかけて日の丸を背負うだの、絶対に負けられないだの、ビッグクラブだの、自分探しだのにベクトルが向かう中、中島翔哉のこの感じはまるで(古いけど)笠智衆的な、ぼんやりした中に実は強固な意思が存在してる何かを感じてしまい、この人は単にサッカー選手でなく、一人の人間として自分や家族が幸せに豊かに時を過ごしていく為に生きる素敵な気質を持っていると思う。

…で、そこに来て先日の移籍のニュース。カタールリーグに移籍する事が決まった時、世間の憶測をはねのけるかのように自身のブログで「カタール移籍はあくまで自分の意思で決断した」と言う。確かに大方の見方をすれば中東のリーグ行くよりも欧州のビッグクラブを目指すべきでは…となる。彼の次元はまったく違っていた。「金や名声でなく、自分が楽しくサッカーをやれるか。そして楽しくサッカーをやれる環境の元で家族と過ごしたい。」…といった発言が俄然輝き出す。彼のインタビューを見る度に思うのがとにかく「(サッカーを)楽しく」を連発する事。僕が観て来た中でここまで「楽しく/楽しい」を繰り返し言っている選手を見た事がない。「楽しむ事」が彼の何よりの本質なんだと思うと同時に、この本質はサッカーに限らず全ての分野にあてはまる事だと思うし、それを実践し続けていられる中島翔哉の凄みはますます本物に。ここまで熱く書いてしまうって事はもちろん僕も彼のような気質に共感してるし憧れもある。勝ったり負けたりが無い。楽しいか楽しくないか、がある。楽しい事をやるのが人生、ですよね。

中島翔哉、24歳のカタール移籍に決意表明…ブログに長文公開「お金や名声ではなく…」

彼のような気質は大好きで、この感じは久保竜彦にも通じる。余談ながら中島翔哉は八王子出身で高校は調布…ざっくり見て僕の馴染みの地域(東京多摩エリア)でもありますますのシンパシー。

(大方の日本人と同様に)まさかのカタール戦決勝完敗。そこでよぎった事3つ:シャビ(の予言)すげーな/(サッカージャーナリストが言ってた)日本はイラン戦にピークをもってきた/点を入れられた時の松木安太郎の「時間はまだたっぷりありますから!」の決まり文句が出ると逆にもうダメな気分になる。

#先日の(アジアカップ準決)イラン戦。すでに顔つきが切り替わっていて緊張感張り詰めたタイトなゲーム。もろもろ差し引いても日本がFIFA50位というのは少し低い気がしてきた。ここに来て森保監督が不気味に見えてきた(いい意味で)。お気に入り中島翔哉がもしここにいたら…と、時々想像してしまうが、試合が泥っぽくなるほど原口元気の気骨も必要に思えるし…。/大迫のゴール時、ひとり雄叫びをあげてしまった後(それきっかけなのか)次女が起きて来てしまい、何やら怖くなったらしく側でぐずられたがまだ試合中、子どもに構ってられないので「いーから頑張って上行って寝な!」と一蹴。その後、大泣きしながら母の元へ駆け寄ったらしい。

#そんなに最近はドラマとか観る気が起きないのだけれど「デザイナー 渋井直人の休日」だけは何故かちゃんと観てしまう。まだ2話までだけど、広告業界でお仕事した人にとっては何かくすぐられてるような(あるある)ニュアンスがちょっと楽しい。ただ、デザイナー:渋井さん、あそこまで情けなくしなくてもいいのに…っとも思ってしまう(笑)。この先分からないけれど、もうちょっといい思いをして欲しくなってしまう(個人的に)。これが初主演という(バイプレイヤー)光石研。下の世代の役者さんから熱くリスペクトされてるだけあって確かに味わいが豊富。

#小4の長女が学校の保健授業で(いわゆる)「男女の身体」的な性の授業を(すでに)しているらしい。言いたいけど恥ずかしそうで微妙な表情。僕の時は果たしてどんなだったか、とっくの昔で覚えていないのだけれど、それでも以前はこのテの授業は男女分かれて別室で…っていうのが通例だったかと思う。今は(学校によってなのかは定かでないけど)男女同じ教室で一緒に授業を受けるらしい。良い事だと思う。あまり男と女で線引いてお互いを秘密めいた感じにするよりはお互いの性が一緒にいる中でお互いの身体や性の事をオープンに学ぶのは大事。ただ、娘の話を聞いて個人的に面白くなってしまったポイントは…担任のT先生(男)が教えるワケだけれど、普段はもうちょっとラフにふざけたりもしてたT先生がこの授業に関しては超真面目に冗談も言わず(言えず?)真剣にやっていたと言う。同じ男の心理としてこの(30才前後の)T先生の、妙に(おふざけや照れに向かわないように)頑張っている感じが想像出来て内心微笑みながら(頑張って!)…って思ってしまう。/ハハがお風呂でちょっと詳しく内容を聞いたらしく…膣/白い液(精子)等々が長女の口から出て、「あ、そこまでやってんだ」…と、ちょっと驚く(精子の大きさも学んでいるよう)。…おそらく(早ければ)小4、そして小5小6になるに向かって特に女子は思春期に入っていく。身体的変化も男子より早い。まだぎりぎり性の快楽性(という麻薬性)を体感する前段階の大前提として、男女の構造のしくみを大真面目に学校の授業で教えてもらえるのはとっても必要だと思う。学校で得た知識を今度は家に帰って家族でざっくばらんにフィードバックできればって思う。

例えば世代の違う知人と呑んだりして日本の音楽の話になった時、僕が歴史的ベストワンチョイスする日本人作家によるポピュラーミュージックアルバムは結局、荒井由実「ひこうき雲」(1973)になる。そしてこの作品は時代が経てば経つ程逆に確固たる存在として輝きを増してくる。70年代初期のフィーメールアーティストの作品として、同時代のジュディシル/ローラニーロ/ジョニミッチェル/ヴァシュティバニアンなどの作品と並ぶ位の存在だとも思う。憂いと陰りの70's アシッドフォーキーな佇まいとポップスの希有なブレンド。ティンパンアレイをバックに、若き才能のデビューを奇跡的な環境で最高のレベルで昇華させた。/2018年紅白のユーミンの登場にaikoが泣いていたけれど、途中から僕も何だか一瞬ウルッと来そうになった。おそらくaikoの(おそらくユーミンで育った少女期の)気持ちと同調してしまったのかも知れないし、やはり音楽の良さがそのまま会場の空気を包んでいた。

そんな正月気分の余韻の頃、この素晴らしい(2010年、NHK制作の)番組を偶然見つけた。あの名盤「ひこうき雲」のマスターテープを当時のメンバー&制作スタッフ交えて、気ままに思い出深く解体的に再試聴する…という、この盤に思い入れのある(僕も含めて)人にとってはとんでもない程に贅沢で魔法の様な時間を眺められる。いきなり「返事はいらない」を解体試聴…(ハタチの頃、友人推しで無謀にもこの曲をカヴァーした事あった)時代が何周も回って、しかしもはや時代が何周回ろうと関係ない所で永遠に鮮度が活きづくこのサウンドにユーミンは「新しい。」と言い、細野氏は「素晴らしい。」を連発する。この「素晴らしい」は本当の言葉であるのが画面で分かる。ボーカルパートを抜いてみる。それまで曲の背後でほとんど目立たなかったコンガとかがピックアップされる。楽しい!今度はボーカルだけ抽出。本人は最初から歌う事に執着なかったらしいけれど、結局「この声」だからこそ全てが成立している音楽だという事は特に初期の3枚のアルバムで証明されている。「きっと言える」…この楽曲のコード感の斬新さは今も本当に褪せない(というか、どんどん新しくなっている)。途中でユーミンの声と細野氏によるガットギターだけを流す。スタジオに魔法がかかるかのようにこのニューバージョンに全員聴き入る。そして当事者たちが酔いしれ、このグッドミュージックを称えている空気の持つ神秘的な時間は、勘違い系の自惚れの類いとは真逆の、音楽の真実に対する客観的な賞賛だと感じる。音楽は素晴らしい。



PS:この番組で知った新たなエピソード…ユーミンは元々ブリティッシュロック好き、ティンパンアレイはアメリカンロック派。そもそもこの感覚の違う両者がこの作品制作に携わる過程でお互いに違和感があり、精神的にも行き詰まった時、それを打開したのが松任谷正隆氏とユーミンとの制作途中での職場恋愛…それがあったからこそこの作品の(ブリティッシュでもない、アメリカンでもない)普遍なポジションの融合に成功した。(あくまでプロデューサー的視点の)夫の隣で無邪気に振る舞うユーミンは意外な程子どもの様にチャーミングで、いい夫婦。この番組は永久保存。

両親族の新年の集いで興味深かった事のもう一つに、義母と、僕の姉、両者共に話題の中で熱量と共に言ってたのが、ふたりともクィーンの映画「ボヘミアンラプソディ」を観に行って絶賛してた。もちろんふたりともクィーンをそれまで聴いたことがない。それでもわざわざ映画館に足を運び、しかもふたりとももう一回観に行こうとしてるというこの映画の大ヒットの拡散現象にちょっと驚く。

70s当時中学生だったオールドファンの僕にとってはクィーンはどーしても70s期に限定されてしまう。特に初期の4作品は誰も真似も出来ない、マンガの様な創造の領域だった。目まぐるしく変化する遊園地のジェットコースターの様なスリルが満載だった。僕は世代のタイミングでクィーンのトータル的アルバムをビートルズのサージェントペパーズよりも先に聴いていたせいか、時間軸的にはサージェントペパーズがあったからこそクィーンの様な発展形が生まれたワケだけれど、最初に富士急ハイランドのジェットコースタースリルを体験してしまった(中学生の)感覚からすると、サージェントペパーズはのんびりしてて比較すると浅草の花やしき位の違いがあった(もちろんサージェントペパーズもリスペクトしてる)。

作品で1枚を選ぶとすると、僕は傑作とされる初期の他作品も素晴らしいけれどあえて愛着感でファーストアルバムを選んでしまう。この73年のデビュー作は、まだ録音技術の問題もあってか、全体的に音がくぐもっていて、その音質の悪いこもった感じが逆に60s 後期から流れてたサイケデリックロックの残り香を醸し出していて、尚且つ英国的な田園風景も想起させる空気感が好きだった。あと、初期作ではプロデューサーのロイトーマスベイカーの手腕が重要な気もする。アルバムを通しての聴者をくすぐる刺激トッピングを散りばめるバランス感覚が秀逸だった。

オールドファンからすると、アメリカのマーケットを意識し始めて、フレディが分かりやす過ぎるゲイルックになっていく流れに反比例して彼らの音楽にも興味は遠退いていった。ただ、だとしてもここまで観衆を(しかもこの変化した今の時代になっても)熱くさせる何かがこの映画にあるんだと思うので機会があれば観ようと思う。

↑このページのトップヘ