barfly diary

daily voice of nobuo yamada (abh) / since 2005 https://www.abh-oto-yamada.com/ https://www.instagram.com/abh_yamada/

June 2012

先日たまたまNHKの不妊に関する番組を見た。ざっくり言うと...昔とは社会環境が変わり、女性は(昔の)子供を産み育て、家庭を守る...といった一元的な人生選択から、キャリア社会における「自己実現」...という選択も(それに入れ替わったのではなく)足されてきた。つまり、現代の女性にとっては子供を作る、という選択に加えて(人間としての)自己実現(仕事や趣味)の為の選択も合わさってきているので、例えば順路的にはまず自分が何者かに成る為の日々の行いが優先されると思うし、そしてそれが実現された、またはされないに関わらず、女性にとって「子供を作る」最適な時期(年齢)というのはある程度決まっているので、自己実現の為に動いてきた過程で子供(家族)の人生も加えて考え、行動しなくてはならなくなる。そんな上手く両方の選択をタイミング良く遂行出来る人はラッキーなだけで、おそらく数多くの女性はその自身の大切な両軸を上手く両立させる事に多かれ少なかれとても苦労してると思う。仕事や趣味における自己実現を優先せざるを得ないあまり、女性の最適な子供を作る母体環境のタイミングを遅らせてしまい、故に不妊に悩む人は(以前のウチの場合も含めて)周りでもけっこう多い。

そこで(そんな社会環境の現代化に伴って)やはり必要になってくるはずのこの国のサポート体勢....なのだけれど、先進国でも最低ランクの「不妊に対する国の援助力や危機意識の低さ」を番組は伝える。現在のこの国を動かしている(?)政治家の脳みその中は今だに旧時代の社会で止まったままのようで、「女は家に入っとけ」...といった、愚かで貧しい考えがはびこっているのでしょう。加えて、不妊の原因の半数近くが男性(精子)に問題があるとの結果。(何のプライドか理解出来ないが)夫は不妊の原因が自分になる事を怖がって検査を断固拒否したまま10年も経って結局タイミングを失ってしまった夫婦も紹介された。そのようなケースはけっこう少なくなく、喧嘩してでもその問題に吐き出しながら向き合っていく...といった別の夫婦も紹介され、そこには少し救われた。...不妊の問題をその女性にだけ押し付けて(結果的に)悪戯に追い込んで、この(人生の中で最も大事な)問題を「ダブー」な雰囲気にさせている、この社会や国の関係性や閉鎖性、または意識の低さ(もっと言えば文化性の幼稚さ)が露呈されている。メディアはお遊戯みたいなアイドルや政治家のどうでもいい内輪もめなどに時間を割いてるんだったら少しはこの(陰に追いやられている)問題にスポットを当てなければいけない。

元々子供を望まない女性(カップル)もいれば、いくら望んでも出来ない女性(カップル)も確実にいる。ウチの場合は長女を授かる前、やはり不妊治療を4、5年続けていた。毎月毎月、ダメだった時の(お互いの)精神的なダメージは回を増す毎に深くシンドかった。冗談でなく当てに出来る神や仏にお願いしていた。周りの友人らがオメデタの時は(特にハハは)祝福の建前の裏側でひどく妬み、イラつき、ヘヴィな感情を引きずって沈んでいた事は事実。最後の方では半分諦めの感情も入ってきて、「子供がいない人生」...というものを意識してイメージするようにもなった。そんな矢先での長女の妊娠。

ウチの場合はただただ運が巡ってきただけ。何よりこの問題で辛いのは、必死に、頑張れば頑張る程結果が報われるかと言えばそうではないという現実。不妊と関係なく来た人はこの問題のシンドさに対して意外にウトい。今はまだ当事者にしか分からない痛みとして隅に追いやられている。やはり「命を作る作業」という尊さの下、この問題はタブーにするのでなく(かなりデリケートではあるけれど)極力オープンにする勇気を持って(どんな人生の方向になろうとも)それと向き合っていかなくては、って思う。

(団地のゴミ格闘時)古い机の足を解体してたらちょっと形態に反応して、そのまま自宅の寝室のインテリアに。
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...いつからこんなアットホームなブログになったんだ?!

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彫刻風
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片親が亡くなった段階ではまだもう片親がいるので住居に変動は無い。しかし、今回のようにこれで両親がいなくなりそこに住んでいた住人がいなくなるっていう事は、団地(賃貸)であるならその場所を身ぐるみ引き払わなければならない。納骨を終えた後、今度はその作業が待っていた。

例えばただの引っ越しであるなら旧居から新居へ物を「移動」させれば済む事なのだけれど、引き払うという事はそのほとんどをゴミとして処分する、または部分的に遺品として持ち帰る、その為の区分け作業も加味される。...自分の親の事でこういう言い方してしまうのも何なんだけど、特に父が亡くなってからしばし経って、徐々に母はとにかく物が捨てられなくなってしまった。ティッシュの空き箱さえ何かに使えるとの事で沢山転がっている。そして近年ではその捨てられない物が家中に盛り溢れ、本当に足の踏み場が無くなる程になってしまい、ほぼ「ゴミ屋敷」と化してしまった事は否定できない事実だった。

何より本人が会う度それを口にしては相当気にしていて「生きてる内に何とか片付けたい」...とは言ってたものの、実際は何をどうする事も出来ず、そうこうしてる内に病魔に襲われた。ゴミや物に溢れた汚い家を誰にも見せたくない...と、晩年は僕や姉くらいしか家に上がれず、いわゆるお客さんとか家族の集まりなどは姉の家や外で設ける形になっていた。母の入院の期間を利用して姉を中心に数人で集まっては、「とりあえずお医者さんやお客さんがある程度出入り出来る程度」までは居間を片付けた。食卓と座る椅子が機能してベッドとトイレを行き来出来る通路を確保出来ただけでも驚く程の変化で、退院した母が思わず興奮した程だった。

それでも通常の感覚からしたらそれでも全然物に溢れまくった家には変わりはない。...納骨後、家人が居なくなったこの部屋の全ての物、それを試しに不要品回収業者2社に見積もり査定に来てもらった。通常、団地の3DKの回収作業の平均相場は約20万らしい。一通り部屋中見て業者さんがその物の多さにいささか困惑してた。で、通常の3DKの1.5倍位の物はあり、値段は両者共(安くて)30万はかかると言う。

...僕は今までの人生で何度か引っ越しは繰り返してるけれど、全て自分たちでこなしてきて一度も業者を頼んだ事が無く、あまり業者依頼という発想が無かったのもあるし、それに30万もかけるのもバカらしい気がしてた。姉たちは業者依頼を推奨してたっぽいけど、この瞬間、僕の中の何かしらのスイッチに火か付いた。大型家電関係は業者に引き取りをお願いするにしても、それ以外の全ての物は自分で片付けて「自分の手でケリを付ける」という、まるで何かに取り憑かれたかのようなモチベーションのマグマが己の中から湧き出る感覚が発生した。

その決意からビッチリ2週間、僕は毎日団地に足を運び(時には寝袋で泊まり込み)、この...母や父にとっての人生の最後の場所、僕も15才から(家を出る)22才までの7年間を過ごし、そして最後はゴミ屋敷となってしまったこの、かつての家族の人生が営まれていた家を、(金出して他人の業者に丸投げするのでなく)残った一番の「当事者」である自分が一つ一つ両親の人生の残骸を手に取って感じながら汗とホコリにまみれながら自分の手で処分していく...という(キレイに言ってしまったけれど)、これは当事者だからこそ沸き上がる感情のままに、本当にこの(5月後半の)2週間は全て丸ごとこの家のゴミと向き合っていた。故に(これは後でつくづく感じたけれど)本当に「愛」がなければ出来ない作業だった。

仕事の合間を縫っては1.5tトラックで粗大ゴミを市のセンターに運ぶ事計7回。ゴミ屋さんって気さくでいいオジさんが多く、さすがに連日持ち込むようになり顔見知りになって、「明日も来るの?」とかいう感じに。ラスト日には「もうこれで終わりなんですよ-」「あ、そう、それはおめでとう!」...って完了。その他、とにかく紙・本類がハンパ無く多いので紙や布関係のセンターにも何度も。(見積もりに来た)業者さんも言ってたのは「とにかく本が一番ネック」...という言葉通り、とにかく父の(主に論書関係の)本が軽く50年分はビッシリあり、おそらく段ボールにトータル50ケース位にはなったかと思う。団地の2階から下までの往復をとにかく繰り返す。基本的に作業は僕一人で、(木製の)足踏みオルガンやソファベッドも一人で下まで下ろした(つい自分労い気分がちょっと出てます...笑)。とにかく取り憑かれていた僕はやり切った達成感を味わう為にもポジティヴなヤケクソ感がずっと保持されていた。

生活感が消える程にそこにあった物を全て取り除く作業というのは、当初のざっくりした大物を運び出すのはまだ分かりやすいけれど、最後の方になる程、ありとあらゆる細かい物(各区分別の)の仕分けやらまとめやら処分やらのフィニッシュまでの流れがけっこう疲労感を増した。時にどうでもいいような物があり過ぎてイラつく事もある。...もうきりがないので省略して、5/29に全てが完了。この2週間でかかった費用はほぼ5万。業者の見積もりから25万程は浮かす事が出来た。しかし、振り返ると確かにこの一連の作業を考えると確かに30万位は貰わないと割が合わないって思った。

...かつて、ある一つの家族が数十年に渡って営んでいた部屋が、何の生活感も無い程に空っぽな空間になった(戻った)。この後、再び奇麗にリフォームされて再生され、またそこに新たな家族が人生を営んでいく。

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今年はそんなこんなで、すでに年の半分は親や家関係の事で時間が潰れた。自分の事とか趣味とかに意識が行けるのって多分7月以降からだと思う。まだ、もうちょっと亡き親関係の清算事項は続く。旅行がしたい。

5/24。キッズ生活になってからめっきりこぶの散歩の回数は減ってしまった。たまーに時間の空きタイミングの出来た時は近くの公園までグルッと。その公園に着いたらこぶもパターンが分かっていて、芝生の上で共に遊ぶのだけれど、だんだんその遊びが白熱してお互いゼイゼイする(笑)のは毎度の事。まだ夏前のこの時期の夕方はちょうどいい空気感。

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白熱してゼイゼイするこぶをパシャリ。(お医者さんに言わせると)こぶら(今年7才)もすでにシニア年齢。...お互い白いものが増えてきましたね。

5/12に母の納骨を無事終えた。...「納骨式」と言ってもウチの場合、一般で知られてるイメージである所の...お坊さんがお経奏でていくつかのお言葉を言われて...という格式張った類いのとは(以前から)まったく無縁で、(葬式時にも述べた通り)とにかく宗教色は一切無く、当然坊さんも無し。...で、そうなるとどうなるかと言うと、「間が持たない」(笑)。石屋さんが来て墓を開けて納骨したら段取りとしてはそれで終わってしまう。後は会食するだけ。ちょっと面白かったのは...通常だとこの時、衣装は喪服なのだろーけど、ウチはそもそもその発想が無く、当たり前に普段着のままなのだけれど、ちょっと関係が遠い(例えば)姪っ子のダンナさんとか、ネットでわざわざ納骨式での服装を調べたらしく、正装が当たり前と確認したのにウチがこんなにユルいものだからいささか困惑したのか、当日彼は普段着なのだけれど何処となく若干ちゃんとした普段着というラインに着地してるのが(本人には申し訳ないのだが)内心ウケてしまった。

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写真の通り、そもそも墓石も他とは違い、ヤマダ式はおにぎり型の自然石。1996年に父親が死んだ後、墓を八王子の霊園に設置したのだけれど、母のイメージもあり、とにかくステレオタイプな(グレーっぽい)一般の墓石にするという発想もそもそも(僕の中でも)無く、当時、茨城の真壁という所まで母と向かってゴツゴツした石場まで訪ねて行ってイメージに近い形の自然石を購入した(関係なく値段は高い...)。その石の中心から左の部分に父のかつての自筆による「山田」という文字のまま掘ってもらった(極端に右上がりな癖を持った父の筆跡はそのままヤマダの墓の趣きとなる)。母が死ぬまでの間は母がこの墓を守る立場であり、定期的に霊園に足を運んではその自然石の回りに植物をあしらう事にこだわっていた。母のイメージでは当初、このおにぎり石の表面に(いい感じの)苔を生やしたかったらしかったのだけれど、いかんせんこの霊園は(苔が生える条件となる)日陰などまったくない晴れた日はカンカンに照り注ぐ場所なので、苔案は断念。で、次に思い付いたのはツタを生やす事。これは何度かのチャレンジでちゃんと根が付いていい感じで石の表面にまとわりついて来たのはいいけれど、いかんせん、このツタの生命力が見る度に幅を効かせてきて自己主張が過ぎる(笑)。この納骨時の写真はこれでもまだマシな方で、しばらく放っておくと全面があらゆる植物で覆われてしまい、墓参りとか言っても、実際身内が集まってする事と言えば(お線香をくゆらすワケでも、お経を聞くワケでもなく)まず全員で草むしり(笑)。目的が違ってくる。

八王子の山の高台にそびえるこの霊園でも当然この墓は異彩を放っている。いつからか(誰からか)この墓を「モリゾー」って普通に呼んでる。

霊園にて墓守の名義を(長男の)僕に変更手続き。おそらく数十年後、自分がここに眠るまで母・父・叔母・祖父母の骨を管理する事になった。/石屋さんにより16年振りに墓が開けられ母の壷がイン。そして恒例の石周りの植物の手入れ作業に入る。その辺も(花添え&水やりも)終わり、さすがにこれでハイ、サヨナラでは味気が無いと思い、(フォークシンガーでもある)義兄によるギター伴奏でウチの家族&姉家族&姪っ子家族で「千の風になって」を墓の前で歌う(笑)。そもそもこの流れを作ったのは生前、母がとある時の父の墓参りの際に勝手に「千の風になって」の歌詞原稿をその場で皆なに配って墓の前で歌う事を(やんわり)強制するという伏線があり、そんなフリーキーな母の納骨なのだから今度はある程度自分たちの意思?で歌いましょーか...っていう流れ。ただ、そもそもこの歌って全部知ってるワケでもなく、後半ゴニョゴニョ(笑)。多摩・八王子の山の高台にそびえるこの霊園でそびえるモリゾーにギター片手の義兄の姿というのもなかなかの絵ズラ。/そんなこんなのこんな家族にしばらくは守られて行きますがご先祖サマ、ご了承です。

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