前回に引き続き、後半のノートです:
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5/22(母)
信夫は家で元気に過ごしているくせに保育園へ着いた途端、大人しく恥ずかしそうにしていて驚いたと、付添った妹が言っておりました。集団の中へどうしたらとけ込めるか、私も我が子ながらじれったくなります。恐らく何かのきっかけから一つずつほぐれていくのだろうと思いますか?今のところお友達とは気持ち良くふれ合っているみたいです(これは先日迎えに行ってこっそり遊びを見ていたときの感じでした)。先生方に色々ご苦労をおかけしておりますこと、恐縮に存じますがよろしくご指導下さいますようお願い申し上げます。
5/31(M先生)
お昼はよく食べました。速度は相変わらずノロノロですが、気にしない事にしています。いつの間にか食べてしまって私の方を見てニッコリしてくれました。私も三倍位愛想良くニコニコしてみせるとすぐに外に出て行ってしまいました。信ちゃんなりに集団に慣れていってる姿が見られます。最近はバスの乗り降りにも非常に成長が見えます。
6/1(母)
おかげさまで朝嫌がる事も殆どなくなりました。昨日はとくに家に帰ってからすごく元気で陽気に騒いでいました。
6/5(M先生)
このごろニコニコとして信夫君なりに園生活を楽しんでいる風です。お鼻もきれいですし一段とお兄ちゃんになったようです。
6/18(M先生)
お弁当がおやつまでかかってしまい、お昼寝はさせませんでした。色々心づてのものを持って来ますが、あまりにも色々あり過ぎる事がありますね。夏みかん、パン、牛乳、園の給食と並べてのろのろ食べているのではいつまでかかるかわかりません。今日もお弁当と牛乳を持って来てましたが、かなり牛乳の方が負担になっていたようです、考えて下さい。
6/22(M先生)
元気で一日を終わりました。なかなか皆と同じようにお返事やおゆうぎをしてくれません。
6/22(母)
お返事は大きい声でなく、小さい声でするんだと云っています。家で2-3度おけいこさせてみましたが明日はきっとお返事する約束になっていますのでしなかったらちょっとお知らせ下さいませ。
6/23(M先生)
小さい声で返事をしているのかも知れません。何しろ手は肩の所まで上がるようになっています。ただ声には出していません。ささやくようなお返事がもれているのかなと思います。折紙、せいさく、ハサミの使い方なんかとても上手なのに何でもっと遊びの面、生活の面で活発でないのでしょう?おしっこの時も自分で自発的に行く事はなく、よくよくの時は泣き出します。私が気をきかして時々「おしっこ?」と尋ねますとそれこそかすかに微風にゆれる草の様にごくかすかにうなづいたり横にふりかけたりします。隣の子供につっつかれると子供同士はニコリと笑いあっていますが、それ以上には発展して行きません。
6/24(母)
全くはにかみ屋で困ったものです。明日はもう少し大きい声でお返事すると本人は云うのですが...しばらく長い目で....よろしくお願いします。
6/24(M先生)
今日はかすかではありますが声がもれました。「ハイ」と。えらいえらいとほめてあげますととても元気でニコニコと遊んでおりました。
7/13(M先生)
お返事したりしなかったりです。名前が呼ばれて次の動作に移るのが他の子供より2、3倍の時間を要します。
9/2(M先生)
信夫君、まだ9月半ば位までお昼寝をさせます。
9/10(M先生)
朝のお返事がとても上手になりました。見ていますと意志みたいなものを内にしっかり持っていて、気に入らないと静かではありますが強く抵抗します。彼なりに結構楽しく上手に園の空気を吸っているように思えます。
10/15(母)
今度の運動会についての記事を読みまして、先生のご意見は全くその通りだと存じます。私の場合、信夫がのろのろながらも得意そうに走っている様子を見て、昨年の状態にくらべやはり成長したことにホッとしておりました。ところが玉入れの時はお並びしている時から泣いており、出場しても玉を投げも拾いもせず、ベソをかいており、疲れたにしては少し様子がおかしいので戻ってから聞いてみますと、おやつに食べたアメを丸呑みしてのどが胃の辺りにつかえていたらしいのです。あわてて水を飲ませてすぐなおりましたが、こんな時、自分でちゃんと先生にお話できるようにならないといけない事はあとで本人によく言い聞かせました。ご迷惑をおかけし、すみませんでした。
ところで信夫は園であったことのあれこれを夕食を食べながら姉と競争で報告するようになりましたが、まだ先生やお友達に自分から話しかける事は全然ないものでしょうか。一度伺ってみたいと思っておりました。全体の事はのろくてもついていければまあまあですが、そろそろ意志表示をちゃんと出来るようになって欲しいと思いますので。
10/15(M先生)
玉入れの時は私自身気がつきませんでした。お母さんさぞご心配でしたでしょう。すみませんでした。信夫君は自分から私達に話してくれる事はありませんが友達同士ですと目を見張る様なふざけ方をしたりしています。そんな時の顔はさも楽しそうに顔中口にして笑っています。でも信ちゃんのお母さんは同じ様なお仕事をしていられる故か細かい理解を持っていて下さり私共ありがたく思います。
10/25(M先生)
毎日お弁当がビリでひどい時はおやつと一緒になります。一粒ずつ。おかずですともやし等一本ずつ口に入れているので「もっとたくさん食べてごらん」と言いますとジロリとにらみつけます。最近気に入らないとじっと見つめる様になりました。以前は目が合うと下を向いていたのですがそれだけ進歩したのかすれたのか....。
10/28(母)
どうしてお弁当が遅いかと聞くと「しみずくんとおはなししてたんだもの」との事です。量を加減してみたりよく言い聞かせますがどうぞきびしくご指導下さいませ。
11/8(M先生)
お迎えの時は(5時過ぎる場合のみ)オヤツを持たせて下さい。他の子供は持って来ていますので一人だけ無いのはかわいそうです。10円のキャラメル程度のもので結構です。特に暗くなると急に元気がなくなり、お腹は空くし心細いらしく、オヤツによって大分救われています。
11/9(M先生)
お弁当の量、多過ぎます。
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以上で年中期のM先生と母との連絡ノートは終わっている。前半、後半と読んでみて、いくつか(当人としても)ポイントがあげられる。...すでに全面的に露呈されているように、園児ののぶお君はクラスの中でも(ほぼ)最も集団でのコミュニケーション能力が劣っていて、友達同士というフラットな関係性に於いては自然な態度を見せられるけれども、縦の関係には恐怖心がある。集団という一つの(強いるべき)活動ペースに合わせる事が出来ない。しかし、反面、一人で創作などに向き合う時には能力を発揮する。他者から何かを指摘されると抵抗心が働くなどなど...。
ここで40数年振りに発見された事は...それらの(3-4才時の)僕に関する客観的な他者からの評価の内容はまさにその後の僕の人生の展開に則したルーツになっていた。「集団の中では異様にタマシイが萎縮する」「回りのペースに合わせる事が苦痛」「自分のペースに於いて創作に没頭する時間が己を豊かにする」...実際に、僕がタマシイを自由に開花させたのは学校生活から解放された後で、自分のペースで生き方を模索して、好きで没頭出来る事を探して見つけて、そこに没頭して...という、ここまでの僕の人生の展開の(それらは)根源になっていた。
しかし、それにしても冒頭に述べた「保育園期の記憶がほとんどない」...という事も、あまりに僕がダメダメだった故にそんな事すら覚える能力が備わってなかったのか、もしくはそうであったのをすでに自覚していて自らその記憶を消そうとしていた結果なのか...色々憶測もしてしまう。
...ここで、あまりにもダメダメなだけでこの項をただ終えるというのも何だか悔しいので、最後に自分でフォローしたいと思います:
「明るく元気」という性格が特に園(そして学校)の時期では当然の如く良質に評価される基準であるが、僕自身、その後の人生を40年以上やってきてその経験から実感した事は、「明るく元気」な、先生の評価に正当に則した優等な子は結局「そこ留まり」の人間である事が多々ある、という事実。そこが評価の平均基準だったとして、その後の人間の活動の展開として、その基準からポジティヴにはみ出す人間やマイナスにはみ出す人間は後々何かしらを「しでかす」要素を密かに持っていたりする。僕の場合、当然後者のタイプで、正直この連絡ノートを読むまでは自分はそこまで(集団の基準に対して)劣っていたとは思ってなかった。このノートの限りでは、明らかにこの頃の僕は何かが「欠落」していた感じがある。しかし、その後の学生時代の渦中ではどこかでその「欠落している」自分に対して激しいコンプレックスを背負いながら生きていたのだけれど、それはあくまでも「自覚」としてのそれだった。今回のノートが(自分的に)軽くショッキングだったのは、他者からの決定的な評価がすでに下されていた事実を知った事。僕が小6の時長野に転校した際、担任先生に(同行した)母が「内気な子ですがよろしくお願いします。」と言ったのが内心ショックだったのを覚えている。つまり、内心薄々とそういう部分は自覚はしているんだけれど、何処かで違うとも思いたい。しかし、(やはり)母もそういう風に僕に対して感じていた、という事が心にちょっと傷をつけた。「やっぱり僕はそうなんだ...」と自覚だけのコンプレックスが他者からも再度被さってくる。
「平均の基準からマイナスにはみ出す」...しかし、何かが決定的に欠落した人はその分他の部分で思いがけない程の豊かさを発揮する(後々何かしらをしでかす)...という事実(真実)を知るにはその後30年程待たなければならない。そういう意味では少なからず僕の人生の過程に於いて欠落した部分を反動にしたような、内なるエネルギーを沸騰させるようなベクトルを(20代後半位からやっと)持つ事ができた。僕自身の人生はその頃からやっと始った感がある。逆を言えば、人の平均(平均って何だ?)から決定的に何かが欠落したものを抱える事は(ある種の人間にとって)幸運とさえ思う。そこにこそ宝がある。独自の。
話は変わり、今、父としてもちょうどべにことこのノートをダブらせてもみた。...普段、食事が遅いだの、皆の中ではちゃんと大きく声を出して挨拶できないだの、先生に話かけられないだの、べにこに関してもそういう日常があったりするが、「どのツラさげてそんな事言えるか!」...と、父自身の園児記録の前では考え改め中になる。かつての父の欠落に比べればべにこなんてまったくノー問題の範疇。それでもいくらかべにこが今後同じ様な悩みを抱えるようになったとして(遺伝子同じだし)、上記のような「欠落こそ人の宝」みたいな事を言っても実感として得るにはやはり30年位待たなくてはならないかも(そしてその時すでに父は居ないかも...そこが淋しい所)。ただ、そんな父だから?言える(言いたい)事は...集団(社会)というのは機能させる為に一定の同じペースというものを要求するけれど、本来人は皆な「自分の呼吸するペース」というのがある。その自分が生きていくべきペースだけは(周期に振り回される事なく)頑固に貫いて欲しい。それがいくら回りと比べて遅かろうが。/あと、例えばこのノートでのM先生による激しい指摘内容をそっくり今のべにこに(あえて)置き換えたら...さすがに親としても心配がMAXになると思う。そう考えると当時の母にはかなり精神的にも負担をかけてしまったんだなぁ...と、申し訳なくなる。
PS:余談のポイントもう一つ...ノートの中にM先生が母に対してお弁当や牛乳やみかんなど多過ぎる....という指摘があって、これは息子としてウケてしまった。...母を取り巻いていた親族関係者なら分かる事なのだけれど、母はとにかく(何かっていうと)持参する食物がトゥーマッチな人で、例えば家族数単位で旅行とか言っても、なるべく身軽に行きたいのに母は一人でみかんだの牛乳だの(時には飲みかけの牛乳に洗濯バサミで止めて持ってくる)お手拭きタオルだのおにぎりお菓子バナナ等々、それだけで荷物が膨れ上がり、車に詰めるもそのせいでスペースがキツキツになり毎度いら立つ...というパターンを何年もやってきた。昔からそういう母のパターンが貫かれていたとは、これも興味深い発見。
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5/22(母)
信夫は家で元気に過ごしているくせに保育園へ着いた途端、大人しく恥ずかしそうにしていて驚いたと、付添った妹が言っておりました。集団の中へどうしたらとけ込めるか、私も我が子ながらじれったくなります。恐らく何かのきっかけから一つずつほぐれていくのだろうと思いますか?今のところお友達とは気持ち良くふれ合っているみたいです(これは先日迎えに行ってこっそり遊びを見ていたときの感じでした)。先生方に色々ご苦労をおかけしておりますこと、恐縮に存じますがよろしくご指導下さいますようお願い申し上げます。
5/31(M先生)
お昼はよく食べました。速度は相変わらずノロノロですが、気にしない事にしています。いつの間にか食べてしまって私の方を見てニッコリしてくれました。私も三倍位愛想良くニコニコしてみせるとすぐに外に出て行ってしまいました。信ちゃんなりに集団に慣れていってる姿が見られます。最近はバスの乗り降りにも非常に成長が見えます。
6/1(母)
おかげさまで朝嫌がる事も殆どなくなりました。昨日はとくに家に帰ってからすごく元気で陽気に騒いでいました。
6/5(M先生)
このごろニコニコとして信夫君なりに園生活を楽しんでいる風です。お鼻もきれいですし一段とお兄ちゃんになったようです。
6/18(M先生)
お弁当がおやつまでかかってしまい、お昼寝はさせませんでした。色々心づてのものを持って来ますが、あまりにも色々あり過ぎる事がありますね。夏みかん、パン、牛乳、園の給食と並べてのろのろ食べているのではいつまでかかるかわかりません。今日もお弁当と牛乳を持って来てましたが、かなり牛乳の方が負担になっていたようです、考えて下さい。
6/22(M先生)
元気で一日を終わりました。なかなか皆と同じようにお返事やおゆうぎをしてくれません。
6/22(母)
お返事は大きい声でなく、小さい声でするんだと云っています。家で2-3度おけいこさせてみましたが明日はきっとお返事する約束になっていますのでしなかったらちょっとお知らせ下さいませ。
6/23(M先生)
小さい声で返事をしているのかも知れません。何しろ手は肩の所まで上がるようになっています。ただ声には出していません。ささやくようなお返事がもれているのかなと思います。折紙、せいさく、ハサミの使い方なんかとても上手なのに何でもっと遊びの面、生活の面で活発でないのでしょう?おしっこの時も自分で自発的に行く事はなく、よくよくの時は泣き出します。私が気をきかして時々「おしっこ?」と尋ねますとそれこそかすかに微風にゆれる草の様にごくかすかにうなづいたり横にふりかけたりします。隣の子供につっつかれると子供同士はニコリと笑いあっていますが、それ以上には発展して行きません。
6/24(母)
全くはにかみ屋で困ったものです。明日はもう少し大きい声でお返事すると本人は云うのですが...しばらく長い目で....よろしくお願いします。
6/24(M先生)
今日はかすかではありますが声がもれました。「ハイ」と。えらいえらいとほめてあげますととても元気でニコニコと遊んでおりました。
7/13(M先生)
お返事したりしなかったりです。名前が呼ばれて次の動作に移るのが他の子供より2、3倍の時間を要します。
9/2(M先生)
信夫君、まだ9月半ば位までお昼寝をさせます。
9/10(M先生)
朝のお返事がとても上手になりました。見ていますと意志みたいなものを内にしっかり持っていて、気に入らないと静かではありますが強く抵抗します。彼なりに結構楽しく上手に園の空気を吸っているように思えます。
10/15(母)
今度の運動会についての記事を読みまして、先生のご意見は全くその通りだと存じます。私の場合、信夫がのろのろながらも得意そうに走っている様子を見て、昨年の状態にくらべやはり成長したことにホッとしておりました。ところが玉入れの時はお並びしている時から泣いており、出場しても玉を投げも拾いもせず、ベソをかいており、疲れたにしては少し様子がおかしいので戻ってから聞いてみますと、おやつに食べたアメを丸呑みしてのどが胃の辺りにつかえていたらしいのです。あわてて水を飲ませてすぐなおりましたが、こんな時、自分でちゃんと先生にお話できるようにならないといけない事はあとで本人によく言い聞かせました。ご迷惑をおかけし、すみませんでした。
ところで信夫は園であったことのあれこれを夕食を食べながら姉と競争で報告するようになりましたが、まだ先生やお友達に自分から話しかける事は全然ないものでしょうか。一度伺ってみたいと思っておりました。全体の事はのろくてもついていければまあまあですが、そろそろ意志表示をちゃんと出来るようになって欲しいと思いますので。
10/15(M先生)
玉入れの時は私自身気がつきませんでした。お母さんさぞご心配でしたでしょう。すみませんでした。信夫君は自分から私達に話してくれる事はありませんが友達同士ですと目を見張る様なふざけ方をしたりしています。そんな時の顔はさも楽しそうに顔中口にして笑っています。でも信ちゃんのお母さんは同じ様なお仕事をしていられる故か細かい理解を持っていて下さり私共ありがたく思います。
10/25(M先生)
毎日お弁当がビリでひどい時はおやつと一緒になります。一粒ずつ。おかずですともやし等一本ずつ口に入れているので「もっとたくさん食べてごらん」と言いますとジロリとにらみつけます。最近気に入らないとじっと見つめる様になりました。以前は目が合うと下を向いていたのですがそれだけ進歩したのかすれたのか....。
10/28(母)
どうしてお弁当が遅いかと聞くと「しみずくんとおはなししてたんだもの」との事です。量を加減してみたりよく言い聞かせますがどうぞきびしくご指導下さいませ。
11/8(M先生)
お迎えの時は(5時過ぎる場合のみ)オヤツを持たせて下さい。他の子供は持って来ていますので一人だけ無いのはかわいそうです。10円のキャラメル程度のもので結構です。特に暗くなると急に元気がなくなり、お腹は空くし心細いらしく、オヤツによって大分救われています。
11/9(M先生)
お弁当の量、多過ぎます。
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以上で年中期のM先生と母との連絡ノートは終わっている。前半、後半と読んでみて、いくつか(当人としても)ポイントがあげられる。...すでに全面的に露呈されているように、園児ののぶお君はクラスの中でも(ほぼ)最も集団でのコミュニケーション能力が劣っていて、友達同士というフラットな関係性に於いては自然な態度を見せられるけれども、縦の関係には恐怖心がある。集団という一つの(強いるべき)活動ペースに合わせる事が出来ない。しかし、反面、一人で創作などに向き合う時には能力を発揮する。他者から何かを指摘されると抵抗心が働くなどなど...。
ここで40数年振りに発見された事は...それらの(3-4才時の)僕に関する客観的な他者からの評価の内容はまさにその後の僕の人生の展開に則したルーツになっていた。「集団の中では異様にタマシイが萎縮する」「回りのペースに合わせる事が苦痛」「自分のペースに於いて創作に没頭する時間が己を豊かにする」...実際に、僕がタマシイを自由に開花させたのは学校生活から解放された後で、自分のペースで生き方を模索して、好きで没頭出来る事を探して見つけて、そこに没頭して...という、ここまでの僕の人生の展開の(それらは)根源になっていた。
しかし、それにしても冒頭に述べた「保育園期の記憶がほとんどない」...という事も、あまりに僕がダメダメだった故にそんな事すら覚える能力が備わってなかったのか、もしくはそうであったのをすでに自覚していて自らその記憶を消そうとしていた結果なのか...色々憶測もしてしまう。
...ここで、あまりにもダメダメなだけでこの項をただ終えるというのも何だか悔しいので、最後に自分でフォローしたいと思います:
「明るく元気」という性格が特に園(そして学校)の時期では当然の如く良質に評価される基準であるが、僕自身、その後の人生を40年以上やってきてその経験から実感した事は、「明るく元気」な、先生の評価に正当に則した優等な子は結局「そこ留まり」の人間である事が多々ある、という事実。そこが評価の平均基準だったとして、その後の人間の活動の展開として、その基準からポジティヴにはみ出す人間やマイナスにはみ出す人間は後々何かしらを「しでかす」要素を密かに持っていたりする。僕の場合、当然後者のタイプで、正直この連絡ノートを読むまでは自分はそこまで(集団の基準に対して)劣っていたとは思ってなかった。このノートの限りでは、明らかにこの頃の僕は何かが「欠落」していた感じがある。しかし、その後の学生時代の渦中ではどこかでその「欠落している」自分に対して激しいコンプレックスを背負いながら生きていたのだけれど、それはあくまでも「自覚」としてのそれだった。今回のノートが(自分的に)軽くショッキングだったのは、他者からの決定的な評価がすでに下されていた事実を知った事。僕が小6の時長野に転校した際、担任先生に(同行した)母が「内気な子ですがよろしくお願いします。」と言ったのが内心ショックだったのを覚えている。つまり、内心薄々とそういう部分は自覚はしているんだけれど、何処かで違うとも思いたい。しかし、(やはり)母もそういう風に僕に対して感じていた、という事が心にちょっと傷をつけた。「やっぱり僕はそうなんだ...」と自覚だけのコンプレックスが他者からも再度被さってくる。
「平均の基準からマイナスにはみ出す」...しかし、何かが決定的に欠落した人はその分他の部分で思いがけない程の豊かさを発揮する(後々何かしらをしでかす)...という事実(真実)を知るにはその後30年程待たなければならない。そういう意味では少なからず僕の人生の過程に於いて欠落した部分を反動にしたような、内なるエネルギーを沸騰させるようなベクトルを(20代後半位からやっと)持つ事ができた。僕自身の人生はその頃からやっと始った感がある。逆を言えば、人の平均(平均って何だ?)から決定的に何かが欠落したものを抱える事は(ある種の人間にとって)幸運とさえ思う。そこにこそ宝がある。独自の。
話は変わり、今、父としてもちょうどべにことこのノートをダブらせてもみた。...普段、食事が遅いだの、皆の中ではちゃんと大きく声を出して挨拶できないだの、先生に話かけられないだの、べにこに関してもそういう日常があったりするが、「どのツラさげてそんな事言えるか!」...と、父自身の園児記録の前では考え改め中になる。かつての父の欠落に比べればべにこなんてまったくノー問題の範疇。それでもいくらかべにこが今後同じ様な悩みを抱えるようになったとして(遺伝子同じだし)、上記のような「欠落こそ人の宝」みたいな事を言っても実感として得るにはやはり30年位待たなくてはならないかも(そしてその時すでに父は居ないかも...そこが淋しい所)。ただ、そんな父だから?言える(言いたい)事は...集団(社会)というのは機能させる為に一定の同じペースというものを要求するけれど、本来人は皆な「自分の呼吸するペース」というのがある。その自分が生きていくべきペースだけは(周期に振り回される事なく)頑固に貫いて欲しい。それがいくら回りと比べて遅かろうが。/あと、例えばこのノートでのM先生による激しい指摘内容をそっくり今のべにこに(あえて)置き換えたら...さすがに親としても心配がMAXになると思う。そう考えると当時の母にはかなり精神的にも負担をかけてしまったんだなぁ...と、申し訳なくなる。
PS:余談のポイントもう一つ...ノートの中にM先生が母に対してお弁当や牛乳やみかんなど多過ぎる....という指摘があって、これは息子としてウケてしまった。...母を取り巻いていた親族関係者なら分かる事なのだけれど、母はとにかく(何かっていうと)持参する食物がトゥーマッチな人で、例えば家族数単位で旅行とか言っても、なるべく身軽に行きたいのに母は一人でみかんだの牛乳だの(時には飲みかけの牛乳に洗濯バサミで止めて持ってくる)お手拭きタオルだのおにぎりお菓子バナナ等々、それだけで荷物が膨れ上がり、車に詰めるもそのせいでスペースがキツキツになり毎度いら立つ...というパターンを何年もやってきた。昔からそういう母のパターンが貫かれていたとは、これも興味深い発見。