barfly diary

daily voice of nobuo yamada (abh) / since 2005 https://www.abh-oto-yamada.com/ https://www.instagram.com/abh_yamada/

April 2013

ちょうど1週間前から(自分的には)珍しく胃腸が不調になり、下痢&嘔吐の後、ほとんどロクな物も食べられず胃や腸のあたりが張り、ずっと身体が重だるい1週間を過ごしていた。少しづつそれは軽減されてきつつあっても、その倦怠感は先週の間(必要な事以外は)ずっと横になっていた程の地味---なシンドさがあった。

土曜日になって、さすがに週またぎでこの体調が続かれるのを避けようと、近所の内科へ朝一で出向き薬を常用...その結果、現在は(完治とまではいかないまでも)こーして(文章打ったり)「何かしようと」思える程度には回復した。

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....で、その病院で待ちの時間に、ラックにあった雑誌「SPA」を何気に手に取ってパラパラ。そこでフと目に留まった記事が、大橋仁と言う写真家の新しい写真集「そこにすわろうとおもう」の紹介だった。ごく短時間ではあってもすかさず身体に入れ込む集中を見せた程、その写真家の行為に磁力があった。...総勢300人の男女が洞窟やら砂場などで"集団淫行"を展開する、そのサマを収めた。そこに立ち上がるのは「人間の肉」の過剰なまでの徹底的なカオス。この肉体の過剰化は(今や忘れ去られようとしている)生の感触を強引に掘り起こしていた。...僕はこの人をそこで初めて知ったのだけれど、処女写真集「目の前のつづき」では、氏が19才の時に継父の自殺未遂現場に遭遇してしまった際にシャッターを切りまくったというものらしい。常に氏の行為の源道にあるものは生と死の、人間の根源の部分でグツグツしているマグマのような衝動。

インタビューなどを読んでいて、個人的に共感してしまう部分がいくつかあった。何よりも「アート」というワードで収めている風潮に対する嫌悪感がビンビンとあり、そのテの「アート的なるもの」の流れはどんどん「人間そのもの」から遠ざかって人を撮る事をしなくなり、コンセプトが先行して、つまり「頭」の方面で事を成していく時代の流れに対する苛つき。氏の発動スイッチは「それを思い付いた」だけのシンプルかつ強固な好奇心で貫かれている。それは頭や脳発信でなく、明快に下半身からのエレクト発信。「アート的なるもの」の流れに極度に逆らう為に氏は(退化してしまいそうな)「(原始としての)人間」そのものを手づかみで掘り起こして目の前にブチまけるかのようなダイレクトな力強さを感じた。

「アート的なるもの」の流れは結局、その界隈から醸し出される特権意識を保持させる為に便宜的で、それがつまりはお金に循環されていく...という構造も含まれている。そーいう類いにツバを吐いて、何よりも人間の根っこに存在する(はずの)真実を掘り起こそうとしてきた...岡本太郎/そしてアラーキーの遺伝子に近いものを持つ大橋仁氏。ただ、氏は同時にコマーシャルなフォト活動も共存させられる開かれた器用さも兼ね備えている所が世代な気もした。

インタビュー読んでいて、昔、美術学校の友人と話した言葉が思い出された...「(芸術家は)神に近づこうとしているサルだよ。」...というもので、僕は(自分が)神になったような気でいる人よりも、どこかで所詮「サル」だもの...とフラットなバランスを持つ方を選ぶ。それを見て心が動いたのであれば、子供のラクガキと巨匠の名画なんて僕は同列だと思う。

大橋仁インタビュー「そこにすわろうとおもう」

Fishink Blog

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新環境に移って、キッズたちも新たな土地で新たな園生活を始める事となった。...1才半の次女は(ほぼ)家の近所の家庭保育ハウスに。彼女にとっては初めての「親から離れて過ごす日常」の始まり。時々ハハとの分離時に泣く事はあったらしいが、園で過ごす日中は自然に楽しんでるようで順応してるようで心配なさそう。

4才の長女の場合は...すでに前土地で1年間園と友達と過ごした事もあって、せっかく慣れてきて友達や先生とも仲良くなった所での転園なので、親としてはその部分が一つのデリケートなハードルでもあった。確か年末あたりだったか、初めて彼女にその事を伝えた。...やはり「(じゃぁ)○○ちゃんは?」...とか、それまでの日常であった園の友達や先生と(いずれ)別れるという通告に、時折グズり出したりの感情の波は顔を出していた。...しかし、今の新しい家での生活を始めつつ故の(基本)楽しいテンションも多少手伝ってか、徐々に彼女の中でもその変化を受け止めて感情の折り合いを付けていったように思え、少し成長を感じた。

新たな地での園選びは、前の園が比較的"お勉強"風な雰囲気だったので、ウチのキッズにそーいうのは似合わない...との反省をより踏まえて、何より自分たちで考えて遊びを作って泥だらけで遊ぶ...といったテイストの園を(何よりもキッズの為に)選んだ。園内にはクジャクやポニーなどの動物もいて、開放的な雰囲気の中で自然の中でノビノビ過ごせたらと思う。...結果、まだ10日程だけど、(まだ友達や先生と完全に打ち解けるには時間が浅いけれど)園での生活は楽しそう...と、家での彼女の表情などから伺えた。

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先週は入園式に参加。...たまーにしかチチはこのテの行事には参加しないけれど、やはり幼稚園の先生や園の醸し出す「満面の笑みによるウェルカムな和気あいあい感」...というのが今だ慣れない(笑)。例えばショップで店員に(おざなりの)声をかけられただけでイラっとしてしまうチチが基本である為に、歌のおねえさん的キャラクターで振る舞っている中に居ると、つい(...もっと自然のまま接してもいいんじゃないかなぁ...?)とか思ってしまう。しかし、ハハに聞けば「園はどこも同じ。逆にブスッとしてたら子供に好かれないし親にも評判良くない」...との指摘。そーいう世界か。

ダメだ...最近、この時間に起きてられない。睡魔を延々と増幅させる音楽を常に流し続けているせいもあるが。やはりまだ何もできない(そしてそれを言い訳にし始めている事も気付き始めている)。

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2月に新居に越してきて早2か月になるけれど、(散々言ってきたような理由もあり)日々に追われ、テレビのアンテナ工事もしていないので先日のヨルダン戦なんかはケータイで観てた(よって誰が誰だか分からない...笑)。...なので基本はラジオ、もしくはミュージック。もしくはテレビのハードディスクにすでに録画されたままの子供番組やキッズアニメなどをランダムにリピートしながら(主にキッズは)しのいでいる。

大人も(ちょっとダラっとしたい時など)この期を利用して、録画したままほとんど放置状態だったいくつかの番組があり、そーいうのを観たり。...最初は板尾創路主演の「デカ黒川鈴木」を全部観て、その後はオダギリジョー主演の「家族のうた」を昨日で見終えた(いずれも1年前のもの)。歴代最低視聴率で途中で打ち切り...という「家族のうた」だったらしいけれど、内容は決して(そういうのに比して)悪かった感じはなく、逆に(個人的に)考えさせられてしまう場面があったりもした。

「売れる為には自分を(とりあえず)軌道修正するべきか」「一切曲げずに自分を貫くか」...このテーマは生活収入の部分と家族の部分との関わりの中で今だにどっちかに振り切れきれないくすぶりとして(自分の中にも)あったりする。軌道修正出来る程の器用さもなく、かと言って貫いて突き抜ける程の(有無を言わせない程の)強烈さがあるとも言い切れない。ドラマ内でオダギリジョーがその狭間でぶつかったり苦悩するサマを、やがて僕はダブらせて観ている時がある(勝手に...笑)。もちろん「家族を作っていく」というもうもう一方のテーマも僕は同時にダブらせてもいたワケだが。(今まで割とスカした役が多かった中)個人的にはこのドラマでのオダギリジョーの役柄は一番好感があった。

視聴率云々で評価が左右されるのもどうでもいい話だけど、なんとなくロックミュージシャンという設定が今だ「茶の間」サイズではマイノリティで「食わず嫌い」のままスルーする人が多かったのかも。(オダギリの他にはムロツヨシがお気に入り)。

4才の長女は気が付けば体力もついてきたせいか、もはや「昼寝」をしない。しないまま朝から夜まで(やりたい放題の)テンションハイでいる。休日はもはや自身の心身の休息の為には無く、子守りで1日が終わる。昼寝というブレイクが無い事はノンストップでキッズと過ごす事になる。土日の週末2日間ともそれだけで終わってしまう事があり、この心身の疲労感は綺麗事も言えなくなる。4才/1才半/犬を相手にする2日間。先週だったか、僕は初めて育児という事に対して自信を無くしてしまった。高齢でのこの状況はシンドい。この意味で育児は5年、10年でも若い時でなければ体力が保たない。(時々感じてしまうけれど)たかだか生まれて数年しか経っていない小さな存在になんでいっぱしの大人2人がこんなにも振り回されてヘトヘトになってしまうんだろう...と思う。我慢出来ずに「休日は最悪だ」と口に出てしまった。感情が消えていくのが分かる。休みが2日もあって、自分の(今やらなくてはならない為の)時間が寝る前のたったのこの数十分だとして、すんなり切り替えられる程もはやタフではない。寝静まったキッズから解放されるとまず「何もしなくない」時間を欲してしまう。それがおそらくこういう状況下での人間の自然なバランス反応なんだと思う。そしてほとんど何も進行されないまま休日が終わり再び1週間を迎えるという負の繰り返し。

...以上、120%の育児愚痴を吐き出してしまった。これは愛とはまた別のベクトル感情だと思う。実際にキッズと過ごす時間の中では時に最高の、時に最低の両極端が混在するというのが育児のリアリティなんだと感じる。楽天家のつもりでいた僕でさえこうなってしまうのだから、「育児ノイローゼ」なんていくらでも入り口で転がってるもんだと思う。平日の仕事デーの方がコントロールしやすい分、当然ストレスは少ない。自己コントロールが意味を持たなくなったしまうのが休日キッズ。...ただ、親と子が(良くも悪くも)ここまで密着している時期は限りがある事も分かっちゃいるが。逆にクリエィティヴな生活なんて求めちゃいけないのかも知れない。ある意味、育児の前では「何も持っちゃいけない」のかも知れない(今回、かなり自暴自棄的...こんな時もある。もう寝る)。

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