barfly diary

daily voice of nobuo yamada (abh) / since 2005 https://www.abh-oto-yamada.com/ https://www.instagram.com/abh_yamada/

May 2015

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まだこぶの解剖検査(最終)結果に関して病院からは連絡がなくしばし待ちの状態ではありますが、こぶが居なくなって早くも1か月が過ぎ、居ないのが普通になっている時と、居ないのが「何故?」の時と、時折ふいに思い出してはジクジクする時と、ランダムに感情が交差します。さしあたってベタではありますが「こぶらメモリアル」を何回かに分けてまとめます。2014から15年の2月までのこぶら、さっきこれに際してこぶの写真を整理してて、やはり3月から最後までの時期のこぶの姿は辛くて涙が出てしまう。しかし、よく頑張ったと力強く頭を撫でてやりたい。...家族の暮らしにとけ込むこぶらの日常のメモリアル記録。
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業者さんの行いによってこぶらが火葬された時、その方から言われた事にショックを受けた。こぶを苦しめた腫瘍の塊が黒く頭蓋骨にこびりついていたのだけれど、「…私、今までだいたい3千匹くらいのワンちゃんの骨を見てきましたけど、ここまで大きな腫瘍跡は見たこと無いです。こぶらちゃん、きっと尋常じゃない位痛かったと思いますよ。」…薬がことごとく効かなかったこぶら。それ位にこの腫瘍は肥大していた。実はこぶはかなり痛く苦しんでいたという証拠の黒こげの塊…ショックだった。

犬は自分の体調の悪さを隠そうとする/犬は自分の体調の変化、病による痛みや苦しみをそのまま受け入れ(受け止め)てしまう習性がある…と聞く。今にして思えば(あまりにもそのきっかけタイミングだった事もあり今だに乾電池噛んだ事の影響もまだ素人考えてしてしまうが)病状が発症する少し前も、耳中をきれいにした後でも何度か頭の中を気にするように頭を振ったり、成犬になってからはほとんどなかった食糞を何度もしてしまったり、オシッコを変な場所でしてしまったりと、今だとそれらも脳の病変の前触れだったんだと思う。...犬は言葉をしゃべれない。自らの異変を僕らに訴える事はしない。そこに切なさがある。そんなに大きな腫瘍が蝕んでいるのにこぶら(犬とは)は、ただじっとその痛み、苦しみを毎日受け止めていた。

自らの本性を思う存分発揮/解放している子供たち…君たちには本当に罪は無いのだが、そんなこぶらの姿と、「あれ食べたい/これ見たい/ここが痛い/まだ遊びたい/お風呂入りたくない」などとわがまま言い放題の子供たちと、(死の手前で)ただ黙って苦しみ続けるこぶとの同空間でのコントラストが神経を疲れさせた。その感情は頭の中で飛躍する...今の世界を見渡せば、人間という生き物はいつまでもエゴのぶつけ合いで争ったり殺し合ったり本当にロクなもんじゃない。

黙々と死、もしくは(誰にでも必ず訪れる)自らの寿命の時期を静かに受け入れているかのようなこぶらの、犬という動物のある種の精神の気高さを思う。人間なんて死に対してオロオロ、バタバタするだろう。猫の、自分の死期を悟ると誰も居ない場所へ身を隠し、誰にも己の屍を見せないという習性、これが持って生まれた種族としての美意識や哲学も踏まえての真実だとしたら、その精神の気高さ、美しさは感動的ですらある(もちろん人間が勝手に色付けてそう位置付けているとも思うが)。でも、動物の生態系、習性に人間はもっと気付き学ばなくてはならないと思った。いつかやって来る僕の死期、難しいだろうけどこぶのような姿に近づけたらと思う。繰り返しっぽくなるけれど、上記のような経路もあり、ずっとじっと耐え、寝てるだけのこぶを見てた時、すでにしばらく前からこぶは僕らを認識しないまま何日も過ぎる時、ふと、こぶら自身は(もう何もしないで放っといて欲しい)と思ってるのでは?と考えてしまった時があった。何度か薬を変えてみたり、その都度シンドいのに病院まで行ったりと、僕ら人間は医学を頼って延命の為に命をコントロールするのだけれど、前途の思いを考えると、僕ら人間と共に9年間暮らして来たけれど、最後期の状態ではわが家の「こぶら」でなく犬という、人間とは違う種族としての野性と自然の生態系サイクルがあって、その領域に勝手に踏み込んでいるような、そんな隔たりも感じてしまう時もあった。…でも、じきにそれは思い直す。症状が悪化する程こぶが遠くに向かって行く感覚になっていた。どんどん一方通行になってきた。そうなると上記のような感覚もよぎってしまう。ほんのちょっと前までのように、コミュニケーション(反応)が欲しかった。こぶがたまたま舌を出した時に僕の鼻を舐めた感じになっただけで嬉しかった。

こぶが入院してて居ない時、そして本当に居なくなった今でも、僕は帰宅して家に家族が誰もいない時、(かつてのいつものように)「オッス!こぶちん-」ってわざと言う。ちょっと言いたくなる。そーすると(かつてのいつものように)ソファとかに寝ていたこぶがひょっと頭を持ち上げ僕を確認して、わざともったいぶったようにゆっくりと伸びをして、「さて、遊びますか」的な偉そうな態度で来る…そんないつものこぶのチャーミングな面影が浮かんだりする。僕が外出していて、こぶが留守番していて、この夜(家族が居なくて)こぶと2人だけの日が極たまーにあった。そんな日は(帰宅時に)家へ向かう僕は、まるで待つ恋人の元へ行くかのような、不思議に穏やかなワクワク感があった。前にJから「一番幸せを感じる時ってどんな時?」って聞かれた時があって、僕は「こぶと2人で過ごす休日の午後」って即答した事がある。(もちろん、前提として家族に対する同様の思いはあるものの)何も予定のない「こぶと2人で過ごす休日」…この何とも穏やかで静かな時間は、独特の幸福感があった。こぶら(犬)は言葉をしゃべれない。でも、言葉が無くてもこんなにも満たされる時間があるという事は、こぶが教えてくれた(もしかしたらこの領域の幸福感は逆に言葉が無い方がいいのかも知れない)。…僕の人生のフェイバリット映画の一つに(80年代米の)「存在の耐えられない軽さ」がある。プレイボーイの外科医を夫に持った妻(ジュリエットビノシュ)、この夫婦が共に暮らしていた犬を亡くしてしまった時、ビノシュはあまりの悲しみにずっと号泣していた。泣きながら「(あなたと違って)(犬に対しては)愛し方が自然なのよ…」というシーンがけっこう残っていて、人(僕ら)が犬(こぶら)に対する時の愛情はまさに(何の見返りも打算も関係ない)自然な感情だったと改めて思う。

最後に、こぶらとの9年半で思い出されるシーンを。…僕とJは(しばらく子供が出来ず)数年間、不妊治療をしていた。この先、「子供を持たない人生」という選択も考えなくてはならなくなった頃、Jが昔から好きだったというフレンチブルドッグをどーしても欲しい…という流れが出来た。当時、僕は渋々了承したような記憶がある。ネットでブリーダーさんを探し、加須まで車を走らせた。そこで出会ったのが(2人とも内心即決していた)こぶらだった(ちなみに一緒に抱き上げられた隣の白い赤ちゃんが、数年後奇跡の再会を果たす事になる妹のティアラだった)。手続きを終えてブリーダーさん宅を後にして、Jがまだ全然柔らかい赤ん坊のこぶを両手にぎこちなく大事そうに抱えていた時、横で見ていて内心新鮮な驚きがあった。その小さい命を両手に抱きかかえているJは、すでに母親になっていた。彼女の中でずっと膨らんでいた母性が、こぶらによって湧き出ていた。それまで僕はJに対して母性という感覚を持った事がなかっただけに、この場面でのJの母性の表れはちょっと神秘っぽくもあった。こぶら(その時はまだ名無し)が僕らの家の一員になった夜、まだケージも買ってなかったので確か段ボールの箱に窓をくり抜いて臨時のハウスに仕立てた。

犬のいい所は僕らと一緒に車に乗って旅行に行ける所。こぶとは色んな場所に旅行した。中でも興味深かったのは金沢旅行。金沢21世紀美術館にもこぶは居た。しかし、ペットNGの為、ペット用のカート付きのバッグに入れて、中で吠えないようにハラハラしながら館内を忍者のように足早に過ごした。その金沢の時も然り、例えば旅行先で出くわす観光客の中で、こぶを見て異常な程に思い入れたっぷりにこぶを可愛がってくれる方々が今まで何人かいた。以前はあまりピンとはきてなかったけれど、こぶを亡くして分かる…「私も昔フレンチ飼ってたの--!」とか、「写真撮らせて」とか、かつてこぶと同じようなフレブルと暮らしていた人たちにとって、こぶを見る事でわが家のワンちゃんの面影が蘇り、それであれ程までに感情が高ぶる事になる(中には涙ぐむ人もいた気がする)。そして僕らも、特にこぶが居なくなってから同じようなフレブルに会うと、同様の感情の高ぶりが生まれる。そして犬全部が愛おしくなった。

もう一つ、このシーンも忘れられないのだけれど…不妊治療を始めて数年が経ち、長男のこぶらと共に暮らして3年程過ぎたある日、僕がいつものように帰宅し、バイクを停めていたら、じっと窓際でこっちを見ているJにちょっと驚く。何やら半べそかいている。いつもとは確実に違う表情、薄ら予感もよぎったが、聞くと(ついに)妊娠したという。Jの顔はもはや何だかよく分からないぐしゃぐしゃな感じになっていた。諦めかけていた時に授かった事を2人で確かめ合う。…そんな時の、Jの、僕の帰りをずっと体育座りで窓越しで待っていた姿、その隣に、ちょこんと(何のこっちゃみたいな、いつもの素晴らしく愛くるしき味わいのポーカーフェイスの)こぶらもJの横に並んで一緒になって僕の帰りを(Jに付き合って)待っていた。僕からのその時見えたシーンというのは、そんな妊娠発覚の半べそJと共にこぶらの座り姿もセットになって記憶にずっと刻まれている。子供が出来てからはどーしても時間をかける(世話を焼く)比重は(特にJは)子供に行ってしまう。それと呼応するように僕の方は(ストレス気味になりがちな)こぶらに意識的に向き合っていた。子供がまとわりついてきても、まず僕はこぶと遊ぶ時間を最初にしてヤツをある程度満足させてからキッズに流れた。こぶらとの本気の遊び、その代償に数々噛まれ引っ掻かれ、指や手足の肉がえぐられ流血した、そんな、今も残る無数の傷跡を眺めてはこぶを思い出す事でしょう。僕にとってこぶらは、飼い主と飼い犬では無く、ちょっと相棒のような感じがあったかも知れない。

…たかが両腕で抱き上げられる程の小さな命が消える事の切なさ。…去年のある時だったか、ふと「人間以外の生き物と一緒に暮らしているのって、凄い!」って急に思った時があった。このニュアンスは曖昧なままなのだけれど、(何度も言うように)言葉を交わさない、種族の違う生き物同士が、それでも時々通じ合って、分かり合って、一緒に楽しんだり不安がったりという感情を共有出来る事の幸福感、この感じは改めて、(人間を中心にしか考えないものに対して)とても大事な何かを教えてくれた。

どーも最後に長くなりましたが、最後は本当に(ありきたりだけど)こぶに感謝です。ヤツとの出会いと暮らしは本当に楽しかった-。ここまでお付き合いありがとうございました。一旦終わりますが、その後、こぶの解剖検査の最終結果が出た時にまた記録報告する予定です(多分その前にこぶら、最近のメモリアルフォトみたいなベタものやるかと思います…)/(一旦おわり)
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2014, nov

夜が明けて日差しがリビングに差し込む。しかしいつもとは少し違う朝になる。静かで何かが止まったような空気。起きてきた子供たちにこぶが死んじゃった事を伝える。さすがに少ししんみりしていたが、この位が子供の自然な反応だと思う。苦しみから解放されたこぶはいくらか穏やかな顔に戻り、まだ普通に寝てるかのよう。

病院に連絡をする。今回のこぶの息の根を止めた病気の本当の原因が突き止められないままだった事もあり、ちょっと前に先生に(もしこぶが死んでしまったら)解剖してもらって原因を知りたい、という意思は伝えていた。先生や病院からしてみても(人間の医療に比べて)まだ動物医療は予算と症例の少なさもあって、ベテランの先生であっても判断に誤りがあったり原因不明になる事も多いらしい。それならば、こぶの病気を一つの症例として頭を開けて調べる事で、もし何かしら今後の動物医療に役に立つのであれば、同じような原因が不明瞭な症例を持った他のワンちゃんたちの為にも、こぶの命がその先のものに生かされる事は大事だと思った。飼い主さんは愛犬にメスを入れる事に拒否反応を表す方が多いらしいのだけれど、僕とJの判断に迷いはなかった。

…で、その件も含めて病院に連絡したら、担当の先生によると「解剖の担当医が今日は居るんですが明日あさってと不在になり時間が空いてしまうので出来れば今日こぶらちゃんを連れて来てもらえませんか?」との事。僕はこれに関してはそれ程抵抗がなかったのだけれどJの方が拒否した。おそらく死亡してからの時間が浅い段階で調べた方がより原因究明の精度が高くなる…という病院側の意向も理解は出来た。しかしJは、「今日だけは絶対にこぶと一緒にいたいので…」と先生に伝えてた。それはいくら今後の動物医療に役に立つ云々…と判断したとしても、10年近く一緒に暮らしてきたこぶが旅立ってしまったその当日に、家の外の家族以外の空間に一晩放置させたくない、一緒にいたい…というのは全ての判断を感情が飛び越えたJの母としての当然の思いだった。当初は「お宅まで伺います」とまで言ってきた先生でも、さすがにJの思いを汲んでくれて、亡きがらの穏やかなこぶらは、一晩家族と過ごす事に。
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夕方、度々「こぶログ」にて登場してきたIさん夫妻がつんと共にこぶに会いに来てくれた。彼らも含めて、その後も(こぶの双子の妹)ティアラのママ、Jのお姉さん、僕の姉&姪、そして近所の長女のクラスメイトのママからもこぶの為に花を頂く。簡易的に形にしたこぶが眠る手作り祭壇は淡い綺麗な花たちで彩られる。…Iさん夫妻と献杯の宴を。子供らは来客のテンションでやかましいがもはやそれでも善し。…小金井に住んでた頃、幼いこぶを武蔵野公園で散歩させてた時に出会ったのが、同じく(こぶより数ヶ月お兄ちゃんの)フレブルのどんを連れてたIさんだった。それからの付き合いになり、去年の夏にどんが先に、そしてこぶ…今頃どんと一緒に何処かで遊んでいる事でしょう。数年後に来たニューフェイスのつんとは遊びに行く度にこぶとは激しく遊びまくってて、遊び方の上手なつんのおかげで、こぶはたまにしか触れ合わなくなった犬仲間の時間を楽しんでいた。つんは、去年どん、今回こぶも居なくなってしまって何となく寂しそう。/次の日、Jがこぶを助手席に乗せて病院へ向かう。込み上げる感情を抑えながら先生へこぶの亡きがらを渡す。それから数日間、こぶは病院に。

数日後、解剖が終わったと病院から連絡が来た。家族でこぶを引き取りに。白い簡易箱に入ってたこぶの体に花束が添えられていた。お腹に少し縫い跡はあるものの、頭、顔とかほとんど前のままだった。担当の先生から今回の解体検査への協力のお礼と、「お役に立てなくて申し訳ありませんでした」…と言われ、病院を後に。この時見せてもらった(その後の)こぶの脳幹部のMRI…最初に撮った画像から明らかに病変部が広がっていたのが見て取れた。この悪化の速さが画像で確認されたと同時にこぶの苦しみを思う。この1か月後に他の臓器関係も合わせての総合の検査結果が出る。

地元近辺でやっているペット火葬の店舗をネットで調べた。(怪しい所もあるらしいけれど)それらも踏まえて近場でこっちの条件に合いそうな所を選んで予約。息を終えてから1週間後の4月25日(土曜)にこぶは燃えてあのシルエットとさよならする事になる。当日、お店の担当の方が家に来た。見かけに反して対応はきちんとしてて良かった。ここは自宅まで移動の「火葬車」として来てくれるシステム。細かい段取りの説明を受けた後、火葬車(見た目は普通のワゴン車…近隣に対する配慮もあるんだと思う)で火葬する場所を決める。僕らは家の回りだとすぐ近くの畑に囲まれた細い道があって、いつも1、2台は外回りの営業車とかの休憩場所になっている所がすぐピンときてたので一緒に担当の方とそこを確認してもらい、「ここならとてもいいです」…との事。再び家に戻り、出棺の準備。一旦、棺のこぶらを抱き上げ最後の一緒の写真を家族で撮る。その後、棺の回りに花びら、家族写真などを散らばせて出棺。切なさが漂う。再び畑道に移動し、焼かれる前の最後のお別れを。40分程で終わる。普段からのどかな畑道、その後もこの道を通る度にこぶらの熱風が空に上がっていくサマ、その光景を思い出す。「こぶらの最後の場所」としてこの畑道はずっと記憶に残ると思う。(つづく)
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3月28日。入院してたこぶが4日ぶりに退院。こぶの入院期間を利用して、家ではリビングをより「こぶら闘病仕様」に仕立ててた。ヤバかった入院前から比べればこぶは半分生き返った位の感じを持ってる気がして、この地点から少しずつ回復の流れになればなぁ、という思いでいた。...4月、そして数日が過ぎる。そんな淡い期待は消えていく。

4月1日から13日まで、こぶの身体は少しずつ確実に自由が効かなくなっていく。後ろ足がほぼ使えなくなり、ごはんやトイレの場所に行く事が難しくなる。こぶがずっと寝てる所から動く事がなくなる。オムツになり、水飲み時は自分を支えられずバタンバタン倒れてしまうので身体を支えながら飲ます。やがて前足も駄目になっていく。目は見えてないし聞こえない。表情もない。でも、あえていつもの感じでこぶの鼻と僕の鼻を擦り合わすとそれは反応してくれたりして嬉しい。加えてこの期間まではまだギリ食欲があって、素晴らしく食いしん坊だったこぶのそこは残された生きる力の証に思えて胸を打つ。13日朝、そんなこぶが朝ごはんを食べなかった。急遽、固形ので無く練ってあるタイプのカンズメを買い夜あげたらそれは一生懸命食べてて、しかも頑張って立ち上がろうとしてたりしてちょっとだけ安心する。

14-15日、こぶはこの頃から完全に立てなくなる。呼吸が苦しそうで舌が常に出て顔が歪んでいる。食事が出来なくなり水はスポイト注射で口の中に注入していく。時々(こぶの好物だった)ヨーグルトを水で薄めたのも飲ます。意識はもうろうだがまだ水やヨーグルト水を喉に流し込むという生きる本能は無くなってはいない。この期間、大抵午前中(お昼前頃とか)に容態が悪くなり、夕方頃穏やかになる、というパターンだった。
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先生も言ってたように、この段階になると治療云々のレベルで無いのでもういつどうなるか見守るしか無い。いわゆる昏睡状態が14日から始まった。僕とJとで、必ずどちらかがこぶのそばに。夜中でも安定した呼吸から荒くなったりして舌が出るとスポイトで水を飲ます。もはやこぶの命を繋いでいるのは水だけだった。でも欲求がありそれを飲むアクションがある間は救われた(こぶは内蔵関係は良好だった)。この時期、何回か容態が変化して呼吸が浅くなったり速くなったり。「あ、そろそろヤバい」…と、仕事部屋にいたJを呼んだり、逆に日中外にいる僕にメールが来て「間に合わないかも知れないから急いで!」…というやりとりが何度かあった。そーするとこぶはやがて何とかそこを乗り越えてまた安定した呼吸に戻って、時折いびきかいて寝てたりする。…そんなこぶの数日の頑張りを見ていたら、苦しみ、痛み、そんなこぶに対する感情がグルッと一周回ってしまい、逆に「ブラボー!」な気分にもなってきた。(もはや言い方変だけど)こぶの、このしぶとく淡々と生き延びる姿の奇妙な清々しさ。家に帰って「こぶ、どう?」と来て、お腹の動きで確認してまだ息を吸ったり吐いたりしてるサマを見る度に「お前、ヤるじゃん!」って、こぶの生き様に僕らの方が励まされてるような。

17日(金)…「その日」は今日かも知れない…と毎日思う数日。午前中、車で走ってて、フと歩道の犬を散歩してる女性を見た。犬を見たらフレブルではないか。!!思わず息を呑む…その女の人が連れてたフレブルがあまりにもこぶらそっくりだった。通過しながらの確認だったけれど、今まで9年半、こぶに何となく似てるブルに会った事はあるけれど、顔に加えて何より「身体」がこぶのシルエットそのものだった。こぶはフレブルの中でも(小型犬レベルの)7キロ台と小ぶりの犬だった。それだけにこぶと同じ姿形のフレブルって(妹の)ティアラ以外では今まで会った事は無かった。一瞬、涙が出そうになる(出てたかも知れない)。数百メートル通過した所で思わず気持ちが納まらず車を止めた。小走りで駆け出す。会ってそのフレブルの写真を撮りたかった。もちろん、普段の僕はそこまでのアクションを起こすタイプではない。もうじき旅立ってしまうであろう(家で頑張っている)こぶに対する思いで体が動いていた。…急いで戻ったのに(ついさっき散歩してた)その人とフレブルの姿がもう無かった。グルっと見渡しても見当たらない…まさか、これが幻だったら出来過ぎの話。僕の好きな仏映画「まぼろし」のラストシーンを思い出した。残念だったけれど、これっきり消えてしまったのなら、不思議のままにしておこう、と車に戻る。夕方帰宅…こぶは頑張っていた。

18日(土)…振り返ると不思議な事に、3月中は(失禁を伴う)割と動きの派手な発作痙攣が連日のように起こっていたのだけど、4月に入って日を重ねる毎にそのテの発作は無くなっていた。ただ、それは逆を言えばこぶの状態が次のステージに移ってしまった事による事なのかも知れなかった。この日も連日同様に基本、浅めの呼吸ながらも割と安定していて、ただある長さの周期で呼吸が速くなったり不規則になったりの「ヤマ」が起こる。そこを何とか乗り越えるとまた安定呼吸に戻る。明日は休日、ゆったりとした気持ちでこぶのそばに居られた。安定呼吸で寝てるこぶを見ていると「もしかして、このままもう少し長く生きてられるかも」…とか話す。僕はまた鼻をこぶの鼻と擦り合わせた。2回こぶが僕を舐めた。(たまたまなのかも知れないけれど)嬉しい。日付が変わり19日(日)、深夜2時過ぎたあたりだろーか、僕はこぶの隣で寝てしまっていた。Jは同じリビングにMac持ち込んで仕事を続けていた。やがてJが僕を起こす、深夜3時40分位だろーか。「こぶ、呼吸してないかも…」と言う。Jが仕事してて、こぶが2、3回程「クゥーン…」と声らしき音が聞こえたので確かめに来たという。呼吸してればお腹が僅かでも膨らむはず…こぶは息をしていなかった。2人でそれを確認した。お休みの日、深夜、僕とJのそばでこぶらは本当に静かに穏やかに呼吸を終えた。何という綺麗な終わり方なんだろう…2人で交互にこぶを抱きかかえ、「ありがとう、楽しかったよ-」って体をずっと撫でた。静かに涙がこぼれて来た。...発症から50日、我慢強いこぶでもさすがに辛かったと思う。よく頑張った、お疲れよ-。僕はこぶのように静かに穏やかに気品を保って呼吸を終えられるのだろーか。こぶらの最期はお見事だった。

ひとしきり2人で泣き、こぶの頑張りを労い、4時半を過ぎた頃やがて僕は再び眠りにつく。こぶの隣で。まだ少し仕事をしていたJが写真を撮った。その写真が気に入ってしまう。僕とこぶがお互いソッポ向いて寝ている。向き合ってべたべたするのでなく、ソッポ向いた距離感で寄り添う感じが「父と息子」の関係っぽかった。僕らにとって、こぶらは我が家の長男だった。(つづく)
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さて、どうしたものか。…つい2か月程前までは、出掛けに玄関までまとわり付いて来て「出かけんな、オレと遊べよ!」とばかりに僕の股位まで飛び上がってきてたこぶらが/毎朝6時半きっかりに「い・れ・ろ」とばかりに3回程僕の頭を前足でガリガリ引っかいて起こし、そのまま起床時間まで布団の中の僕の足の間にすっぽり入ってスヤスヤ寝るこぶらが/(キッズによるストレスからか)なかなか遊びに満足できず、結局やけクソになりお互い本気になってハァハァ言いながらボールやスリッパで狂ったように遊んでいたこぶらが/肉球の匂いフェチな僕が好き勝手なタイミングでこぶを抱き抱えひっくり返しては肉球に鼻を押し付ける時、大抵うっとうしがって僕の手を噛もうとおどけながらもいつも匂いを嗅がせてくれたこぶらが/太陽が差し込む天気のいい日には必ず庭先のベンチでまったりと日なたぼっこを楽しんでいたこぶらが…。

そんな、ちょっと前まではまったく当たり前のような日常の暮らしの中に居た、時々手を焼かせる愛くるしきチャーミングなこぶらが3月に入った途端、唐突に参ってしまった。上記のような日常の愛くるしい表情のこぶらはもう戻ってこない...この
唐突に寂しい現実をまず受け止めなければならなかった。こぶ自身が一番面食らってたのは当然だとしても、僕らもまさかヤツがこのタイミングでこうなってしまうのは予想外過ぎた。慌てて検索で調べまくる。それまでフレブルの平均寿命が10-12才だったという認識さえはっきり知らなかった、あえて知る必要が無かった程、それまでのこぶらは普通に元気だった(と感じてた)。明らかに異常な発作痙攣などを連日見てしまうと、当初はどうにかして治療して欲しい…との思いが当然強かったのだけれど、段々と(治療の選択が狭まっていくにつれ)苦しまず、出来れば静かに穏やかに、そして僕ら家族の中で見守られながら最期を迎えられたら…と思うようになった。こぶらも9才と5か月、平均寿命の範囲ではある。でもチと早い…妹のティアラも親友のどんも先に空に行ってしまった。彼らの分まで元気でいるはずだった。目標はあと半年頑張って、何とか10才の誕生日を祝いたかった。同じような、フレブルと暮らしていて(同じような病気で)旅立ってしまった方々のブログを見たりする。どなたかのブログで、(突然死でなく)ある程度「闘病」という期間があったおかげで悲しみが分散された…という記述があり、ウチのこぶの場合もそういう心の流れはあったかと思う。徐々に弱々しく変化していくこぶに対して、その都度何段階かの覚悟を上書きしていた。

経過観察していても、決定的な治療の方向が定まらないまま悪戯にもどかしい日々が過ぎる。予想と可能性の高そうな所から薬を足したり引いたりするも、とにかくこぶは薬らしい薬が効かなかった。確実に昨日まで出来ていた事が今日出来なくなる。…ある夜、台所にいて、ふと後ろのリビングのこぶを見た。その時はまだかろうじて歩けていた時期ではあったが、夜9時過ぎ、以前だったらリビングの自分のお気に入りの場所に上がって陣取り、手足をずっと舐めて、やがてスヤスヤと寝始める…といったいつものひととき。こぶ自身もそのつもりで「いつもの場所」であるソファに飛び乗ろうと思案して前足をちょっとソファに当てて、そのまましばし止まって…やがてやめてしまう。次の場所であるローチェアの所に移動して足を掛けかけて止まり、やがて諦める。次に折り畳んであった布団の上に向かう…駄目だった。そしてまた最初のソファに向かう…次にローチェアへ…そんな事をぐるぐる回って繰り返していたこぶを見ていて、あまりの切なさに涙が出た。ちょっと前のこぶなら当たり前のように「ピョーン!」だったのに。

こぶの発作発症の3月からは我が家としては(その時こぶの様子が安定していれば)2、3時間の留守はしょうがないとしても、半日を越えてこぶを一人にしてしまう事のないように、僕かJか、どちらかがそばに居る体勢にした。当然寝る場所もすぐ隣で何かあった時の為に。ただ、そーいう時に限って、特に3月は毎週末、上の子の卒園式/入学式、下の子も卒ルーム式/入園式、そして義従兄弟の結婚式に僕の母の墓参りと、ほぼ全埋まりという過密さ。子供行事関係は地元なのでこぶには頑張ってもらって、結婚式、墓参りはその都度どちらかが家に残って何とかやりくりした。

その流れで言うと(ちょっと話逸れますが)今回、こぶの闘病の50日の中で、もう一方の「やっかい事」として、2人の子供たちとの共有空間のシンドさがあった。6才と3才…「子供は元気な方がいい」とは親的にも当たり前ではあるのだけれど、それでもずっと寝たきりで病魔と闘いながらじっと苦しみに耐えているこぶらの回りでドタドタと走り回ったりギャーギャーわめいたり…きちんと状況説明しても、子供のスイッチオンでは100回注意しても治らない。この両極端な状況が混在する空間はシュールとか言う綺麗な形容でなく時々地獄気分になった。極めつけは(先生に発作症状を見せる為に)こぶが全身硬直させて失禁しながら足をバタバタさせて痙攣してる様を黙ってビデオで録ってた時、上の子がそのこぶの姿態が単純に意味なく滑稽に見えたのだろう「面白-い!」って言い放った。100回説明しても6才はまだ状況判断が出来ないものなのか…とけっこうショックを受けた。もちろん瞬間に一喝はしたのだけれど、もしそれでも繰り返したら僕は張り倒してたと思う。でも、これは逆に「言わなくても分かるはず」という根拠の曖昧さを教えてくれた事でもあり、「あえて何回も言い続けなくてはならないもの」の必要性を感じた時でもあった。

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3月24日の緊急入院から28日の退院まで、毎日(2人で、もしくはどちらかで)こぶに面会に行く。最初の覚悟を感じてしまった程だった24日のヤバそうだったこぶらは数日後、病室から出てきたら明らかに回復してて、裏で散歩させてみてもたどたどしくも何とか歩いていた。抱きかかえて向き合う…目が見えなくなっていたこぶがそれも幾分回復して目の前の僕をかろうじて「認識」してる感じがちょっとあって嬉しくなる。ずっと話しかけながら面会時間ギリギリまで過ごす。100%回復なんて贅沢な事は望まないまでも、もしこの位の状態のままでずっと安定してくれるなら万々歳って思ってた。今振り返れば、薬の効果がほとんど現れなかったこぶらが、この時の入院時に注入したステロイド剤の後の数日間が唯一「回復」という実感を与えてくれた。乾電池を噛んだ日からこうなってしまった経路がどうもずっと引っかかっていたのだけれど、病院の先生の見解からすれば、やはりその部分の影響と脳との関連は無いとの事で、乾電池きっかけは偶然と思うしかないらしい。
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28日の退院の日、ちょうど同病院に通院してたシモンも来る日とかで、時間を合わせてこぶと(Iさんフレブルファミリーと)再会する事に。(つづく)

3月11日、病院にこぶを連れて行き、担当の先生に症状を一通り伝えた。やはり脳関係が疑わしいとの事で、そのままこぶを預けてMRIを撮ってもらう事に。…その日の夕方、検査結果を聞きに再び病院。MRIの画像見ながら先生の説明…こぶの脳の中心よりやや右位置に白く、もやがかった部分があり、これは明らかに何かしらの病変だと言う。ただこれがてんかんのものなのか脳梗塞なのか、脳炎、脳腫瘍なのか、はつきりとは断定出来ないらしく犬のこのテのケースは珍しくないらしい。まずお医者さんとしては原因の特定を絞り込まない限り治療の方向も見えないとの事で、結局この日はMRI撮っただけでもう1週間程家で様子を見て後日報告する段取りに。

前途したようなレベルの全身硬直失禁発作は程度の差はあれどこの時期はほぼ毎日あった。それに伴って後ろ足がヨタヨタして時々倒れるようになる。3月10日頃から24日までを記載したこぶの病状メモがあり、以下はざっと箇条書きによるメモ書きを軸に:

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3月9日、夜0時頃(寝起き時)発作、数秒、失禁

10日、朝(寝起き時)発作、数秒、失禁夜0時頃/発作、数秒、失禁

11日、病院でMRI検査。夜11時半発作、数秒、失禁(少し)

12日、朝、こたつの中に失禁跡/午前中は発作前に戻ったかのように元気で動きに力もあり、後をついて回る時も。/昼12時頃/発作、40秒位、失禁(少し)、声が出る(2回)、左右にバタンと倒れる。

13日、午後1時半、窓際で日なたぼっこ後、立ち上がり時、後ろ足に力が入らず横に倒れ手足をバタつかせ発作、失禁、目が少し揺れる(20秒位)。

14日、午前1時半、軽い発作、失禁。/午前7時、布団の中に失禁と脱糞、覇気はないが食欲はあり。/午後12時20分、布団に脱糞

<15日、板床がずっとこぶにとって(滑ったり倒れたりの)歩行の負担になっていたので家にあったクッションマットを敷き詰める。>
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16日、寝起き時の足のヨタつきが進行している。夜中(3時50分頃)こたつ布団にて失禁。

17日、夜8時半頃、発作、失禁、数秒、横たわり足を2、3回バタつかせ突っ張る。

18日、夜7時半頃、発作、この後体調が悪くなる。目が虚ろになり足に力が無く、座っていても倒れてしまう。/夜0時頃、2回目の発作(軽度、失禁)。食欲はあるが足、歩行は増々弱々しくなる。

19日、朝、こたつ中に失禁跡あり。朝7時20分頃、発作、失禁、目の揺れ、手足の硬直。キッチンまで歩いてごはんを食べる。

20日、発作なし、足は増々弱る。食欲あり。夕食から抗てんかん剤を飲み始める(一つ一つより可能性の高そうなものから当って病変を絞り込んでいく為)。

21日、発作なし、寝て過ごす。

22日、発作なし。/午後4時半、静かに発作。目がクルクル回り失禁。

23日、1日ウンチなし。食欲はあり。畳んである布団から落ち、横向きに倒れる。身体が震えていたのでこたつに入れるも身動きしない。目が飛んで虚ろな感じ、体調がさらに悪化している。

24日、朝、ごはん場所まで歩いてきて食べる。割と調子が良さそう。/夕方6時過ぎ、容態悪化、ほぼ立てない。足に力が入らない。/夜、落ち着きがない。前のめりに倒れるように歩き、トイレでしたウンチは22日の朝以来。/夕食は食べず、ヨーグルト少々のみ。/2、3歩行っては止まり、右回りにUターンしてしばらくするとまた行きたがる…という動作を3回繰り返す。/椅子の下、タンスの下に向かう。/机の足に寄り添う。/20時半、手足バタつかせ発作、失禁、20秒位。

同日夜11時過ぎ、こぶの呼吸が明らかに今までとは違う激しく小刻みになり緊急を要する異変を感じ、最初の覚悟がよぎる。日付の変わる頃、救急扱いでJがこぶを病院へ連れていく。応急でステロイド/点滴を注入して、こぶはそのまま数日入院する事に(その時の担当医の話ではこぶはすでに目が見えていなくて耳もほとんど聞こえていないという)。

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(つづく)
150321_kob

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