barfly diary

daily voice of nobuo yamada (abh) / since 2005 https://www.abh-oto-yamada.com/ https://www.instagram.com/abh_yamada/

May 2017

先日、この作業を覗いた長女がタイトル見て「ププ、ダサっ!」…と言い残し部屋を笑いながら出て行ったシリーズ「いきものばんざい」。このあえての?ダサタイトル(笑)も、積もりに積もってもはやストック写真がまだ5-6百枚…。それでもうっとうしく連日徹底的に羅列しているのは...たった1本の木や1本の花や草にも、ほとんどの人が見向きもしないその小さな世界でも必ず何かしらの虫や草花たちが生きる活動をしているとても豊かなエネルギーがあり、例えば開発などでいとも簡単に木を切り倒したり草花を除去したりする中で、それらの小さな生き物たちの豊潤な世界も無造作に(人知れず)駆除されてしまっている、という事を(せめて)出来るだけ提示したいんだと思う。170530_nogawa1
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こんな虫、虫やってても子供の時から芋虫系はダメだった(気持ち悪くて…)。それでも子供の時よりは多面からの生物的視点も加わりいくらかは免疫はできた。そして、姿態をドギツく、または気色悪く見せるのはそれだけ敵を近寄らせない(捕食から逃れる)為の進化の現れなんだと思うとさらに拒絶の壁は溶けていく(少しだけ…)。

この公園、子供と行ったら(雨上がりのせいなのか)写真にもある、おたまじゃくしからかえったばかりの小さいカエルの子供が地面をつたなくピョンピョン跳ねて移動していた。そしてその数はおそらく数万単位!…大袈裟でなく歩いていて足の踏み場が無い程の異常繁殖が異様だった(なのでその場にいて、10匹位は普通に踏みつぶしてしまってたかと思う)。彼らの集団は四方八方に移動していてその意図は不明だったが、近くの池に向かっている一派が明確な意図が伺えた。じっと観察してるとせいぜい1.5センチ程度のべビーカエルらは一生懸命池に向かって飛び跳ねて、やがて岩を飛び越えピチャンと池に入っていった。ウチの子供にとってもナマの自然観察現場になった。その後、草むらを一緒に歩き、「パパ!ここにも虫いたよ!」…と、先走って教えてくれて、父としてはある意味(色んな意味で)狙い通りの展開(笑)。
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この時、西東京の遊歩道を歩く。たいがい遊歩道となれば、人は…ジョギングしたりウォーキングしたり、ママ同士のおしゃべりに夢中になったり、彼氏の横顔見てたり、もしくはスマホじっと見てたりと、…つまりは両側面に生い茂っている草花や木々なんて風景として何となく捕らえているだけで、そこのデイテールをいちいちまじまじと見入っている人はほぼ居ない。そんな、たいがいの人間がいちいち「見向きもしない」エリアを僕が見向いちゃっているものだから、「見向きはしない」つもりで日常を安心して過ごしているであろうそこの生き物たちが、まじまじとそのゾーンに目線向けて入り込むと「えっ!?マジ、何で!?」…という、虫たち、生き物たちがその予想外の展開に一気に緊張高まってドギマギしてるかのような感じがあって、その対象との駆け引きがちょっと面白かったりする。そーっと寄ってカメラ構えて、まずはちょっと遠目から保険かけて一枚パシャリ。そこで相手がまだじっとしてくれてるともう一歩踏み込んでズームイン。虫によってはテリトリー侵される緊張でダダッダダッって急にせわしなく動くのもいるし危険を察知して葉っぱの裏側に逃げたり、羽のあるのはその場から飛んで行く。

そんな中、目線の位置に急にトカゲと遭遇して「おっ!」となる。このハプニングはちょっとテンションがあがった。周りの草花と保護色になっているので最初は分からなかっただけに。前途した駆け引きでお互いの緊張が生まれる。なるべくならもうちょっと近寄りたい。じわじわ寄る…やはりある距離越えた途端に奥へすばやく逃げていった。何となく(プチ)マイ・プラネットアースな気分。170523_nishitkyo7

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この週末で我が家の庭のメイン花壇とも言えるミニバラがほぼ満開になった。…この、(リフォーム済みの)中古物件に出会って居を構えてから4年。(そんなに広くもないけれど)ここの庭全体を形成している数々の花や木々たちのほぼ7割位は、前に住んでいた家主の方が土台を作り上げたもので、僕たち家族が越して来た時は2月で、ここの木々たちの姿は控えめに冬眠してる様子だった。そして春が来て命が芽吹く季節になると庭の所々で芽が出て花が咲き虫たちや鳥が訪れて、それぞれが命の存在感を放ってきた。その中でも最も鮮やかな色彩を放ち命の芽生えの幸福感を醸し出していたのがミニバラだった。このバラしかり、四季を通して見ると、いかに(フラダンスの先生だったという)前の家主さんが四季を通じて常にその季節毎に何かしらの植物が生えているような構成をこの庭に工夫していたかが分かる。僕たち家族はこの(前)家主さんの残していった庭の環境をほぼそのまま受け継いで、そこに自分たちのテイストなりをプラスして「マイガーデン」としてリフォームさせた。当初は僕は今程庭木関係/自然環境にまるっきり関心が無かったのだけれど、それでも春に芽吹き溢れるここの庭の花や草木などの生命パワーは薄々と感じてはいた。そして巡り巡って現在の僕の自然生態への(うっとうしい程の)熱量の表れ…その、現在に繋がる意識の、その現実のきっかけをこの庭は作ってくれたと思う(去年秋はカマキリ三昧だったし)。そんなモロモロの過程も含めてつくづく前家主さんには感謝しています。170522_minibara2


そんな、この季節の幸福感を最大に表現するミニバラの姿をパシャリパシャリ。色もギリギリで下品にならない程度のグッドピンク。(ちょっと前にも述べたけれど)まだ若いつぼみの時はアブラムシがビッシリ貼り付き家の面側はやむなく殺虫剤で対応して、道路面は牛乳や水を噴射したりして、なるべく(アブラムシを大量に捕食してくれる)テントウ虫の生態も守りつつのやや緩めの対策を経て、そんなこんなで見事に咲いてくれました(テントウ虫もけっこう頑張って?アブラムシを掃除してくれた)。170522_minibara1


意識して見てると、とにかくハチが蜜を求めてバラにやってくる。特にクマンバチがお尻振りながら慌ただしく蜜を集めてる姿をよく見る。/よく分からないけれどインパクトのある何かの幼虫も花粉を食べていた(多分)。170522_minibara3

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こーして白い椅子を置いちゃうとちょとした「英国風ガーデン」っぽくハッタリ感が出る(笑)。…それで思い出した余談だけれど、ちょっと前にやってた「地球ドラマチック」で、ヨーロッパでの巨大な(バラやユリの)超ハイテクな切り花産業の現在を観たのだけれど、僕はそれを見て複雑な感情になった。徹底的な「同じ顔の/鮮度が保たれた」商品としての切り花を大量生産/スピード流通のオートマチックシステム。ちょっとでも質が落ちた花はどんどんはじかれる。そして徹底的な管理システムの中、商品として生み出されるバラやユリは自然の太陽の光は浴びる事が無い。ハウスの中で調整が常に一定に保たれた人工光や栄養バランスが計算された土の元それらは育っていく…。確かに「商品として」それらの花は価値があるのだろうけど、僕は違和感が残る。...生まれて来る花の本来の姿は、本当の太陽の光を浴びて、ミミズやら微生物が営む自然バランスの土に育ち、やがて訪れる虫たちとの共存で命を繋いでいく…という姿にこそ感情が生まれる。商品として育ったサイボーグのような切り花は翌日には街角のフラワーショップに飾られて、人間社会の様々な側面(プレゼントや冠婚葬祭、パーティ会場のコーディネート等々)の「演出物」として消費され、すぐ萎れてゴミになる。僕が20代後半の頃に作った詩があって、ちょうど同じような事を題材にした詩があったのを思い出す。「花は自らの為に咲く事が出来ない」…みたいな事を(カッコつけて)書いてた(笑)。

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「何だこりゃ?!」的な、見た事ないようなクモのフォルムに出会う(卵なのか?..そもそもクモじゃないかも)。
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こっちの赤いバルーン持ちはクモだと思う。ストレンジ...。
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写真の整理をしてたら出てきました。長女の通う小学校にて。
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実はとっくのGW中に新作の切り絵イラスト数点を仕上げる予定でいたのだけれど、この生き物の始まる季節…ナマの生物観察散策への熱量の前で、どーにもデスクワークな気になれず連日草むらでウロウロ(…そんなんだから、こーなんだ…?)。ちょっと前に六都科学館にて昆虫関係の展示などを観たけれど、正直どこかモヤモヤしたものが残っていた。それはあらかじめの展示を観るのでなく、やはり実際に外へ出向いて草むらで目を凝らして出会う生き物の新鮮な驚きには段違いに敵わないという事だった。

先日Eテレで観た香川照之プレゼンツ「昆虫すごいぜ」の第二弾。カマキリの着ぐるみを付けてるので終始バラエティ色が全面に出てはしまうが、氏が(それでも)マジな熱量で語る数々…「どんな小さな虫にもワールド(世界)がある!」「ひとりで生まれてくる虫たちは自分の力で生きていかなてはならない!」「(虫からしたら)人間の方が害なんだ!」等々、ほぼ同ジャンルで生きてる僕からしたら共感の数々(この俳優さんは、無理に歌舞伎の伝統継承を背負わないでこんな感じで映像の世界でのびのび生きてる方が似合ってるのに、っていつも無責任に思う)。

「香川照之の昆虫すごいぜ!」2時間目/モンシロチョウ
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もう2年前にもなる、ずっと家のテレビの連ドラ録画に放置されてた、2015年NHKドラマ「64(ロクヨン)」を観た。ここ数日前にとっかかって見始めて、そのまま毎晩ルーティンで一気に。見始めると一気に進みたくなる程に、不穏な緊張感がずっと(ダレる事なく)持続していけるドラマってあまり無い気がした。昭和64年に起こった地方での女児誘拐事件を軸に、警察組織内部しがらみ葛藤のディテールを徹底的に描いたサスペンス。とっくに当時見終えた奥さんから勧められてはいて、(大友良英氏の)音楽も良い…とも聞いてはいた。確かに、「あまちゃん」での仕事は何となく氏の許容の幅は見せてはいたけれど、この「64」での張りつめた緊張感(空気感)を、大友氏本来の実験音楽エキスが画面との程よい力量バランスも含めて見事に醸し出していた。

どっぷり主役のピエール瀧氏も、そもそものキャリアから辿ると不思議なキャリア道を来てる人だなぁ…とつくづく。徹底的にシリアスな面持ちと妙に貫禄さえ匂わすかのような演技に不自然さもなく、(確か)昔僕が新宿ロフトで見かけた(当時のインディーズバンド:電グルの前身)「人生」のローファイな活動から振り返ったら、余計に「人生分からないもんだなぁ…」となる。最近?映画化されたのでは佐藤浩市氏がその役らしいけれど、(観てないからあまり分からないけれど)佐藤浩市だとけっこうそのまんま感な気もする。

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嗜好が変われば見る番組のプログラムも変化(追加)していくもので、それまではせいぜいが(例えば)「ガキ使」「アメトーク」「ワイドナショー」「タモリ倶楽部」…など、基本ヘラヘラ笑う系が僕の連ドラリストであったのだけれど、それに加わってきたのが…「プラネットアース」「しぜんとあそぼ」「さわやか自然百景」「ダーウィンが来た」「地球ドラマチック」などなど、ほとんどNHK関係の自然系番組が連ドラ追加されている、という分かりやすさ(笑)。そのいずれもがその回によって初めてその生態を知る事が出来たり、身近な生態から地球規模まで、たいてい前途のプログラムでほぼ網羅できる。

その中で特筆したいのが、イギリスBBCによる、日本/アメリカとも共同制作している自然ドキュメンタリー「プラネットアース」。今年に入ってからちゃんと番組を見たのだけれど、その圧倒的な映像美に一気に引き込まれ、そのまま映像エネルギーは最後まで尽きる事なく続いていた。いくつかのシリーズを見て来てつくづく感じるのは、人間がその社会に於いて認識している「世界」というのは、本当にあくまでも人間圏と関わりのある範囲での「世界(地球)の認識」で、その範囲で「地球はこんな感じ」って捕らえてたと思う。「プラネットアース」の凄まじさは、そんな人間圏の世界なんて地球のたったの一部に過ぎず、本当の地球の姿は人間が思いも寄らないあらゆる地球の隅々でずっと昔から(今も)どこそこで繰り広げられているという真実を映像で提示している事だった。つくづく人間という生物は地球の歴史のほんのつい最近に登場したばかりの「新人」に過ぎず、それ以前の莫大な歴史と時間の流れの中、「初めまして…」位の存在位置な気がする(だから人間はもっと謙虚にならなければならない)。人間は地球自然の上に(端に)ちょっと「間借り」してるだけの立ち位置。…そんな思いを浮かばせてしまう程に「プラネットアース」で例示される自然界のリアリティはハイパー過ぎて逆にリアリティを越えちゃってる感も不思議に出てしまう。

例えばいくつか見た中で特に強烈なインパクトを残したのが...孤島に生息するイグワナの赤ちゃんが生まれた途端、砂の上に出て来た所を狙うヘビの大群との場面。ヘビからしたら(数少ない食料確保の為)イグワナの赤ちゃんという食料は死活問題。赤ちゃんは地上に顔を出した途端(おそらく遺伝子が記憶させているのか)すぐに飛び出して天敵のヘビから逃れる為に岩場まで全速力で逃げる。それを捕らえようと集まるヘビの大群にゾワっとする。四方八方から集まるヘビのこんな姿は見た事なく、異様ではあるがそこには「生きる/死ぬ」というヘヴィな緊張が当たり前の様に繰り広げられている。自然という過酷さをこの映像は見事に提示している。



他にも…数万羽がイタリアの都市の上空を舞うムクドリの大群が描く圧倒的にシュールな舞いの造形フォルムの凄さ/10年に1度大雨が来るという干ばつ地、その雨で一気に植物が咲き乱れ(地面の中、その10年チャンスを待っている植物の生命への渇望も凄い)それによって風景が一気に緑に覆われ、それに伴って億単位のバッタが異常繁殖して飛び回る…等々、地球の生命の力と豊かさに驚きが耐える事が無い。そして、そんな自然界の生き物たちの凄さをまざまざと感じたのと同時に、そんな生き物たちの、驚くべき生命の力と豊かさを映像としてここまでのクオリティで記録している人間の知力/技術力も本当に凄いと思った。



そして「プラネットアース」も含めて他の番組全てに共通していたのが、生き物の一生の活動は、その人生は全て「子孫を残す」という目的遂行の為に動いているという、生命の本質/本能を繰り返し感じさせた。巨大な生き物、ミクロな微生物、関係無くそれは全ての生き物に共通していた。

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昔、三鷹に住んでいた20代の終わり頃。近所の道角に「自由に持って行って下さい」…という張り紙と共におもむろに放置してあったのがこのバーバー椅子。ガラクタ好き(しかもタダ!)の僕としてはこの(床屋さんが手放した)オブジェ家具は一発で迷い無くゲットするべくスイッチ入った。大人でも持ち上げる事は難しい重さのこの椅子を、当時どーやって家まで運んだかは覚えていないけれど、それから20数年が過ぎ、家族を持ち、何度かの引っ越しを経てもこのバーバー椅子は生き残ってきた。しかし長年の使用感で両脇や所々に表面の皮が割れて中のスポンジが剥き出ていたまま気にしながらの日々、ある時ホームセンターで思い立ち、そこを修理するべく張り付け用の皮と皮用の接着剤を購入したのがもはや2年前…。昨深夜、2年越しに再び思い立ち、重い腰を上げてチョキチョキペタペタの修理を…面倒かな、と思いきや意外にすぐ終わった。そして予想に反してチープでダサい仕上がりに(笑)。その分、愛着も増したけど。170504_chair

(虫ギライの方、観覧注意)
植物が息吹てくると、それに呼応するかのように生まれ活動を活発にし始める虫たち。連休なのをいい事に、事ある毎に庭に出てはウロウロする(笑)。葉っぱを裏返してみたりじっと視界をズームインさせていくと何かしらの虫たちの活動に出会う。その一つ一つの発見の連続が、その不可思議な世界を覗く子供のような好奇心そのままに。170504_mushi1

この連日の行動パターン(フィールドフォト収集散策)へののめり込みは、以前の(2004-5年頃の)屋外での「音の収集」にドハマりしてた時を思い出させる。その当時は連日のようにあらゆる場所に出向いては(いわゆる)フィールドレコーディングの素材集めに夢中だった。当時はMDに録音してて、毎日MD1枚分(80分)は録り溜めてた。その頃をピークに「音収集」は現在まで機会がある度に続けているので素材量(だけ)はバラスカ有る。

虫…昨日は(アブラムシ対策で思案される)ミニバラの枝も観察してたら(それをエサとしている)テントウ虫やその幼虫が実際にアブラムシを食しているシーンも真近で見る事も出来た。幼虫/成虫共に1日で数千もの(!)アブラムシを食べるという。商売でやってるミニバラ園ではアブラムシ対策としてテントウ虫を大量に放出しているのもあるらしい(その割には枝に貼り付くアブラムシが今だに存在感あるが…笑)。それでも確かに葉っぱに付いている(アブラムシ残骸と思われる)茶色のカスは数多く点在してる。170504_mushi2

方や人類の開発進歩は宇宙へ向かい、未来は他の惑星への移住計画が本気モードで進んでいる。中国は国の存在力の顕示の目的でそれに邁進しているという。(地球の)自国の環境を凄まじく悪化させている最中…今住んでいる地球を綺麗に戻せないままさっさと宇宙に気を向けている感覚…。僕個人としては宇宙よりも足元の世界を見つめる事がとても重要な気がする。知れば知る程奇跡的な、いのちを生んだ地球の足元を見つめる事。
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