barfly diary

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カテゴリ: ▼いきものばんざい

…で、急きょ、カマキリ先生のツイッターに感化されて、ウチの庭のカマコの10月日記を。…まず、冒頭のクランベリーの上に乗っかったカマコ、これは前夜が例の9月末の台風26号が吹き荒れた、その翌朝の写真。恐る恐る庭の現状を確認しようと見てたらおもむろにカマコがクランベリーのど真ん中に乗っかってて、まるで嵐を一晩中耐え抜いてやっと穏やかな朝になり静かに朝日を浴びている…かのような佇まいがあり、そのたくましさとその姿が確認できた安心とで何とも象徴的なシーンだった。下の3態もおそらく同じカマコかと思う。家族が撮ったのでピンボケだけど、お腹がパンパンに大きくなっていて「もしかしたら…」と後日近くの枝を確認したら卵が産みつけてあった。この時、まだ10月のアタマ…例年からしたらけっこう早い時期かと思う。
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….ただ、これを境に、現在(11月初旬)まで、カマキリの姿は1回も見ていない。見てないというよりその気配すらない。そしてカマキリに限らず10月に入ってから庭に虫を見かけることが(例年に比べると)ほとんど無くてそれはそれで心配になる(下の写真だけ)。僕としては植物があって虫もいて…という形が生態系の豊かなバランスで、どっちかがいないというのは寂しい感じがある。実際に今年の(秋以降の)庭の自然状態はどーなっているのか…大幅な土の掘り起こしがあったのも少しは関係してるのかも知れない。
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カマキリ先生:俳優・香川照之の自宅のベランダにカマキリが産卵、しかもその産卵最中に本人が帰宅して遭遇する…という本当の奇跡が(一部で)話題に。確かにカマキリの卵って気が付くと何処かしらにあったりするもので、そのライブ中に出くわすというのは流石カマキリ先生!

そして興奮と感動のままに、それでいて的確にこの命の引き継ぎの瞬間と、カマキリ(小さな生き物)の健気な命の営みを、まるで上質な詩人もしくは哲学者のような文体で見事に表現されている。特に「虫たちは今日もーー生命を繋ぐために懸命にこの地球という星に食らいついているのだ。」…のフレーズが熱くさせる(笑)。カマキリ先生のカマキリ日記はちょっとしばらく要チェック。

(カマキリ先生)香川照之 Twitter

9月の庭日記の最後から続く、9月最後の日から翌10月1日にかけて襲った台風26号の、翌朝の図。大方の鉢関係は取り込んでいたものの、軽めの木製の台や空の植木鉢が吹っ飛び、手前のチェリーセージが完全に風で手前にお辞儀している。そして(右写真)キョウチクトウの真ん中の枝がごっそりと折れて無くなっていた。ちょうど壁のラインで無くなっているので相当な突風の力が入ったと想像出来る。
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9月の台風21号の時に"スケボー棚"の屋根が真逆に曲がってしまってたので太針金2本追加で補強して望んだ今度の台風26号。…そんなチープなDIYなど鼻で笑うかの如く(写真左の通り)いとも簡単に今度も真逆に折れ曲がる…。で、「今度こそは」と、写真右の様に屋根上部から板まで細針金で(逆に曲がり防止の)補強を。これでどーだろ(その後台風来てないからどーなるか分からない)。
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(文・絵:三芳悌吉 1976/福音館書店)
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(※ネタバレあります、ご注意下さい)
"生き物関係の自然科学絵本"を集めていた頃、出会った「生き物を描く」作家の中で特にお気に入りだったのがこの三芳悌吉氏による「おおさんしょううお」。すでに亡くなられている方だけれども、昔の画家ならではの基礎のしっかりした、そして対象となる(氏が嗜好する)生き物に対する愛情が指先から絵筆に流れ伝わる素晴らしい描写力。その実直な技術をバックに、この作品で展開されるのは…おおさんしょううおが瑞々しく生息する環境風景と、かつての時代の日本の田舎の暮らしと自然。柔らかいタッチに、時にシックにさえ感じるやや渋みを持つ絶妙な色彩。
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(天然記念物指定であっても)一見、グロテスクな風貌にも見えるおおさんしょううおは、淡々と生の営みを遂行する。やがて時代が変わり川の水も汚れて暮らしにくくなったらもっと上流まで登っていって穏やかな環境を見つける。その姿が何とも慎ましく見えてしまう。勝手に人間が環境を変化させているだけでそこに暮らす様々な生き物たちは文句も反抗もせず、ただただ(死んでいくものもいれば)もっと暮らしやすい所を求めて生き延びていく。この絵本で描かれる昔の日本の田園風景と川の生き物たちの絵を見ているだけで自分の遠い子供の頃の記憶を浮き上がらせる普遍的な郷愁がある。ずっとやさしい文体にも心が染みる。
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子どもと一緒に寝てしまい、1時間程して起きたら「もののけ姫」をやっていて、そのまま観てしまう。宮崎作品は、僕は初期の代表作(と言われる)いくつかは当時観たかと思う。ただ、そのいずれも「いつ、どこで、どれを観たのか」…という部分の記憶が曖昧だったりする。この「もののけ姫」も多分当時観たと思うんだけど何処でいつ観たのかあまり思い出せずにテレビ画面を観ていた。そんな薄い記憶だったので感触としてはある意味初めてちゃんと向き合って観てる感じもあった。

寝起きなので残り1時間程からではあったけれど、特に現在の僕の日々感情のバックボーンと今回はリンクし合って、とにかくこの作品からほとばしる宮崎駿のメッセージの熱量がこれでもか!って言う程に響く。自然と人間は「対峙」するのか、「共存」するのか、その狭間で作者が打ちひしがれていた怒りや絶望が強烈なエネルギーとなってダイナミックな空間動画がうごめく。西洋は人間が自然を支配しようとしてきた。昔の日本人は自然の中に神を宿らせ、そこに畏敬の思いを込めて来た。劇中の(自然を支配しようとする)人間像を徹底的に軽薄に描き、自然の神秘を崇高で高貴な存在として際立てせる。(おそらく)当時監督は血気ある50代。時に暴力的なまでに己のメッセージを叩き付けるかのような攻撃的なエネルギーを感じて、改めてこの作品の凄みを感じた。全編に渡って甘さが無い所もその本気度が伝わって来る。

秋の夜長の(録画溜めの)「日曜美術館」。明治時代の木版画家:小原古邨の小さな生き物たちと植物の世界を堪能する。そして息を呑むように魅了される。タッチはまるっきり違えどこの世界観は(その後の時代の)熊谷守一に受け継がれている気がした。

小原古邨の画像検索

先日事故で死なせてしまったヤモリ。年を重ねていくにつれ、昔の人たちからの言い伝えとか素直に受け入れている自分に気付いたりする。このヤモリにしても(家を害虫から守る意味でも)「家守」から来てるし、何年もわが家を守ってくれていたかと思うと申し訳なく、(これは半分自己満足の意味でも)ヤモリのお墓を急きょ作ろうと空き缶を使う。何年も経ってもっと錆びてくれれば味わいが増すのを想定して(右角の桑の木の下に眠る)。
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9月の虫日記でもピックアップしたわが家に定住するヤモリ。今朝、家族から「お風呂場の窓に何か死んでる」 と言われ確認したらヤモリが窓に挟まれて死んでしまっていた。前に駐車場でカマキリがひかれて死んでたのに続き、人間の生活の過程で起こる不意の事故はしょうがないって納得しようとはしても気持ちが沈む。特に今回のヤモリは(調べたら)寿命が10年もあるらしく、長い間この家に住み着いていた小さな生き物を死なせてしまった事にけっこう落ち込んでいます。

ついでにイモリは20年も寿命があるらしい。子供の頃水槽で飼ってて日向に出しっぱなしで2年で死なせてしまって泣いた覚えがある。そう考えると犬の寿命は短い気がしてしまう。

血の気が引いて白っぽくなってしまっていたヤモリの死骸をティッシュでつかみ、庭の角の桑の木の根元に埋めた。
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9月は(前途の理由もあり)この2ショットのみ。上のカマコはかなりお腹が膨らんでいる。けっこう時期的には早めかも(10月現在、すでに1個は産卵が確認できた)。
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雨が多い月は庭に出る事も少なくなるので必然的に虫もあまり見かけない。そんな中、珍しく「ヤモリ」に遭遇。ヤモリはたまーに夕方頃いたりする。おそらく夜に向けて虫を探して腹ごしらえ体勢なのでしょう。
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・早稲田通りを通過中、フと目にとまったフラワーショップがあり覗く。そこにあった中くらいの鉢の植物に興味を持った。加えてプレートにあった売り文句「変わったものが好きな方へ」…「あ、私です。」とばかりに心の中で手を挙げた。…で、購入したのが「ロータス」という名の、ウネッと茎がフリーキーに伸びてシルバーグリーンの針っぽい葉っぱが細かく出てるプランツ。お気に入りなのでこれも注意して見てないと天辺の葉っぱが減って来てる気もしないでもないので虫の食害はコマメにチェック。(9/9)(9/22)
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・メタルジャンクと植物の融合癖はスキあらばやってしまう。下は昔リサイクル屋で購入した回転式のCDラック。だけど1度もそれ目的で使用した事は無く、音系のライブや盤制作の為の(カンカン鳴らしたりキーキー回したりの)「音具」。ずっと雨ざらしにしてたのでここに来てやっといい感じの(色の)錆び具合い。(9/9)(9/17)
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・上:長いソテツが数メートル2本立ってて、その斜め裏っ側の日陰&ジメっとしたスペースが空いてて、そこに何かしらのものを設置したかった。縦長のアーチを組んで何か(垂れる系の)鉢を吊るしたいと思いつつ中々そこに適したのが見つからなかった。…で、結局落ち着いたのが「クランベリー」。赤い実はジャムとかにしないと酸っぱいらしい。とにかく水を求めるプランツ。(9/9)/下:以前、捨ててあった木彫りのグックラックを拾って来た時があり、そのガッチリとした重みのそれを(拾ったはいーけど)使い勝手が見つからないでいた。…で、趣味は巡り今回、そこに鉢を二つ並べての園芸グッズに再仕様。手前は錆缶に太針金でシンプルラフなレリーフ足をあしらう。(9/17)
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・多肉はものによって上手く育つのと失敗してしまうのと分かれる。写真のは(ほぼ唯一)多肉で安定した成長を見せる。葉っぱと茎のフリーなフォルム、そして先端の花?も含めてユニークな造形感があってお気に入り。(9/9)(9/24)
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・ことごとくダメになりかけなものが多かったツル系の中でこちらも唯一安定してた「ハートカズラ」。門の所に設置してるのだけれど現在はほぼ地面に付きかかっている。そして気が付いた時、意外な感じの花を付けていた。シックな色といい、形状のユニークさといい、ちょっと嬉しくなる開花。(9/16)
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・上:手前コスモスから「センニチソウ」を経て遠くで「ゼラニューム」。(9/17)/下:束の間の日差しの時、ヒョロッと顔を出した「チェリーセージ」の花。(9/24)
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・前途したように、初夏から夏中ずっと咲く事が無かった「ネコノヒゲ」が9月・10月と、連続して謳歌して庭の(花の)主役となっている。白の瑞々しさとユニークなフォルム。全体が安定して元気なので室内冬越しして何とか来年も咲かせたくなる。(9/21)(9/24)
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・…そして来る9月30日。この深夜からやってくる台風24号に備えて室内に鉢を取り込んだ図。一晩の室内故、若干の小アリとダンゴムシが周囲で見つかる。そして狂った様な突風・強風で庭はそれなりのダメージを負う。(10月編につづく)
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9月の振り返りで言えば何と言っても9月のアタマに1発、そして月末にトドメの2発目と、同じ月に2つの(しかも非常にストロングな)台風がやってきた事が大きい。庭園芸初心者の僕にとってもこの台風対策は実際に経験しないと何とも言えない部分もアリ。加えて本当に月を通して日射が無く、写真でも日差しを感じるのが少ないと思う。

・初夏あたりに一旦(枯れて)ダメ化しかけた「オクラ」。ほぼ放置気味で隅っこに置いておいたらある時期から1本復活再生幹が伸びて来た。で、ある時薄いクリーム色のしっかりとしたチャーミングな花を咲かせた。僕が思う園芸あるあるの一つに「野菜の花はたいてい可愛い」っていうのがある。その後しっかりとした(野菜としての)オクラが実り、夕食に頂いた。(9/1)(9/9)
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・スケボーを使った手作り棚。そこは基本、多肉系を置く場所にしているので乾燥気味仕様の多肉の特性の為に突然の雨に濡れぬよう簡易的に屋根を付けたのが9月2日。(上の)写真の通り、屋根を支えているのは太めの針金1本。つまり通常の風程度だったら「こんな感じでOKでしょ」…っていう判断だった。/しかし、そのイージーな判断を嘲るかのようにその数日後の皮肉なタイミングで(まずは)台風21号がやって来た。もちろん植物は取り込んでいたとは言え、台風が過ぎ去った後、そのイージー判断屋根はくっきりと分かりやすい程に180度逆側に反り切っていた(…)。「あら--、ダメでしたか」と、その1週間後に(写真下の如く)太い針金をさらに2本追加した増強バージョンで屋根再生。(9/9)「これでひと安心」と、自分的にフィニッシュ感を持っていた(しかし、その後の台風24号でそれも打ち砕かれてしまう…つづく)。
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台風21号の影響は所々であって、何より驚いたのは(けっこう太い幹だったのに)頑丈そうな桑の木がナナメ45度位に傾いていた。アニソドンテアも同様に傾いていて、「桑の木」「アニソドンテア」その両方に共通する…枝葉が長く伸びている「木」は強風の影響をモロに受けてしまうという教訓を改めて。両者ともけっこう枝が長かったのでこれを機会に大分カットして剪定した。傾いた「桑の木」は今後の為にも写真の通り丸太で支えるかたちで修繕した(9/9)。その後、10月現在、何処となく桑の葉っぱが元気ないような印象がある(もしかしたら風で傾いた時に根っこに損傷があったのかも知れない)。タフで旺盛な木なので完全復活を見守りたい所。
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・室内用にもいくつか緑が増えてきている。上の「モンステラ」は観葉の中でもよく知られたシンボリックな植物。どんどん大きくなり、現在ちょっと鉢とのバランスを考えなくては。(9/7)/下は「グレコマ」。本来ならこーいったツル系は好きでいくつか購入したものの、すでにいくつかダメになってきた。原因は色々だろーけど自分の中ではダンゴムシやバッタなど、葉っぱや根っこをやられる食害って思っている(その後対処中)。けっこう丈夫ってうたっててもウチの場合、ツルやツタ系が中々上手くいかない…。そんな中でも(かろうじて?)生き延びているツタ系の一つが「グレコマ」。でも元気感で言ったらもう一声かな。(9/17)
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・上:その時期に突然ヒョロッと細い茎を伸ばし可憐な白い花を咲かせた「ニラ」の花(ゼラニューム舐めの)。(9/9)/中:街道沿いの花屋に何気に寄って何気に購入した「ツルハナナス」。白から青紫へ、実はあまり期待してなかったけれど割とよく咲いてくれる。(9/9)/右側の日陰&湿気ゾーンに適した草花を探すのは割と難しい。そんな中、"日陰と湿り気の環境で育つ"という「シュウカイドウ」を見つけてすぐ購入。(9/17)10月現在、順当に花を咲かせ中。
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・上:この時期、そこら中で見かけるオレンジと黄色の「コスモス」。ヒョロッと伸びてパッと咲いてるその色の鮮やかさに段々心が動き、時期がギリな中、1株購入。鮮やかな花は庭のアクセントになる。(9/24)/中:「何か(何でもいーから)草花買いたい」…ていう時がたまーにあって、その時にホームセンターで購入した「クフェア」。(9/17)/下:7月にも登場した「コウシュンカズラ」。(9/22)
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・今振り返ればちょうど台風21号が去った後に唐突にあちこちから茎が伸びて、つぼみと思ったら一気に艶やかな真紅の花を咲かせた「ヒガンバナ」。以前からこの庭で自生してきたもので、一気にそこ一面が<ヒガンバナ空間>に変容する。もし、台風が数日遅れて来たらこれ一面全滅してたと思う(次の24号の後は全部茎が倒れてた)。(9/9)(9/11)(9/15)(9/16)
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ただ、ヒガンバナは開花期間が思いの外短い。あれだけ空間を支配していた真紅の花たちは下旬にはこんな状態になった(造形フォルム的にはこれはこれで趣きだけど)。(9/24)
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前月登場の「小型カマコ」が8月のある時、くの字に干からびて死骸になってた(中段左)。ちょっと唐突でビックリして写真撮ったのだけれど、しばらくその死因が分からなかった。同じカマキリ同士の共食いであったならもっと体のあちこちが無くなっているはず。「あまりに暑過ぎて干からびた?」とかも思ってたら、写真を拡大して驚きの判明。…死骸のカマの顔の所に「クモ」がベッタリ張り付いていた。…つまり、クモがこのカマを頭から行って体の中身を吸い切って殺し、その残骸だった(推測)。小さいボディのカマキリだったから成り立ったのかも知れない。実際にこの写真にそのクモがカマの顔に張り付いているのが分かるのだけれど、あえて拡大写真は自粛します。

右下のカマはある時期からずっと家の下の駐車場脇の雑草エリアを(何故か)テリトリーにしていた。その時期は大抵いつもそこに居た。庭の中でなく道路っぱたで危ないのになぁ…って内心思いつつ、この写真のすぐ後日、駐車場内でこのカマが死んでいるのを子どもが見つけた。どーやら車の出し入れの際に引かれてしまったらしい。さすがにこのパターンは防ぎようが無い…。何だか残念(子孫を残す媒体数がまた減ってしまったって事でも)だけど、「駐車場エリアは危ないよ」っていう認識は虫には求めようがない。…そんなこんなの、おそらく繰り返しが「野性の日常」なんだとも思う。
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この月で印象的だったのは左下の「金色の卵」。調べたら「ホオズキカメムシ」の卵らしい(この庭はダンゴムシに次いでカメムシは多い)。/そしてインパクト大だったのが右下の大きなイモムシ(写真は小さく遠慮気味)の「エビガラスズメ」という蛾の幼虫。門エリアに春先から「西洋アサガオ」の苗を植えてちょっとづつ成長するのを見届けていた。で、やっとの事で葉っぱも大きくなり、ツルも2階まで到達し、後は大きな花びらが付くのを待つばかり…といった矢先、ある時フト見たら急に葉っぱがいくつも無くなっていた。「あれ?」って思い調べたら西洋アサガオは下の葉っぱから落ちたりするらしいとある。その記事に普通に納得してたわずか後日、驚く事にツルの葉っぱがほぼ全て無くなっていてツルッツルだった。ビックリして見上げると上の方にこのイモムシ(10センチ以上はある)が張り付いていた(確かに前も見た様な…)。ちゃんと調べたら案の定これが原因で、食が激しいらしく本当に一気に葉っぱを食い尽くしてしまうらしい。どーりで地面には葉っぱが一枚も落ちていなかったので「何なんだろう」とは思っていた(随分ノンキな話…笑)。せっかく春から育てていた西洋アサガオ。さすがに「こりゃダメだ」と軍手で野太いその幼虫を捕まえてビニールに入れて次の日のゴミ袋に入れた。…殺生自体にどーもドライに成りきれなくなっている現在の僕はどーしても気になってしまい、朝方、そのビニールを取り出し、幼虫を持って近所の雑木エリアまで行って草むらに放す。もう死んでたかも知れないけど確認しないでそこを後にする。/その後、食害の元がいなくなった西洋アサガオは驚異的な再生力で再び葉っぱを付けるも、現在は(時期的にやや限界になったのか)結局花(つぼみ)を実らすまでは至らずに成長が終わりつつある。残念だけど失敗を次ぎに生かせる。
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写真だけで見ると爽やかな日差し景観で快適感があるけれど、それは今が季節変わったからで、本来ならそこにベッタリ<気温35度>というオプションが付いている。ちょっと庭で作業しただけで汗が吹き出て日中タンクトップを3枚変えたのがもはや懐かしい。ガラクタと植木のマッチングもこの頃には大方の配置に落ち着きつつある。ちょこちょこ新規の花を植えたり移動したり、道端の(ススキみたいな)雑草を引っこ抜いて持ってきたり。
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とにかく目まぐるしかった今年の天候。8月の異常な暑さがすでに懐かしい程に。写真の中の庭の草花たちにもそれらは反映されている。真夏、光の季節。暑過ぎて開花が出来ない花もあったりした中、夏を謳歌した草花コレクションです。

・前月にも顔を出した「ハゼラン」。午後3時に何故か咲くという意味で「3時草」とも言われてるらしい。つい写真撮っちゃう花。多分、その時間頃撮影。(8/6)(8/25)
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・下の娘が学校で育ててた「アサガオ」。夏休みの為、家に持って帰って来ての水やりはほぼ僕がやってた。ただ鉢がプラ製で軽い為、9月の2回の台風時、簡単に吹っ飛ばされてしまってた(しまうの忘れてて…)。(8/12)
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・「ヒマワリ」と共に夏のシンボリックな花の「アサガオ」。こっちの写真は(前月に咲き始めた)適当蒔きの種から伸びてきた自生のものなのだけれど、意図してない庭の淵の軒下エリアギリギリの所からツルがぐんぐんと伸びてきた為、途中から麻ひもを2階のベランダまで張ってたら伸びるわ伸びるわで気持ち良さそうだった。ただ反面、よくツルを見ると所々で「カメムシ」がいる。調べたらアサガオなどのツルを吸うらしい。前月の虫日記で悠長に写真撮ってる場合でなく、それからは(殺生はせずに)とにかく見つけ次第水スプレーではじき飛ばしてた。(8/19)(8/30)(8/31)
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・白く上に向かって跳ねた花は(その形状から)「ネコノヒゲ」という名前。そのユニークさが気に入って購入したのが春。一旦花が終わった後、それからずっと(葉っぱは元気に成長しつつも)一向に花が咲く気配が無かった。半ば諦めていたら8月の終わりかけに突如一つ咲いた(その後、今に至るまで「ネコノヒゲ」は順当に次々咲いている)。多分、夏は暑過ぎて咲くに咲けなかったんだと勝手に解釈。(8/26)
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眠気でつい1枚忘れてました。カマコもそうだけど、今写真見ると植木の「ルブス」が今より元気に葉っぱ茂らせているのが気になる…。
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7月のカマコたちはより行動範囲が広がり色んな所で出くわすようになる。だいたい毎年その種類は、緑系、茶系、その両方って感じだけど写真一番下のミニ型のカマコは珍しい(ただこのミニ型、次の月にクモに殺られて死んでしまう…)。
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セミや、ミミズの死骸にたかるアリとか、やたらと細く長い(コウガイビルというらしい)やつとか、見た目キツそうなのは小さく下段に控えめに(笑)、比較的ポップなのを上段メインに構成しました。全てこの時期の庭に住む(または訪れた)虫たち。
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(オマケ)自生の「ハゼラン」につくカメムシ。このハゼランの茎の構図にポイントで点在するカメムシの画面が妙にコンポジションデザインっぽかった(残念なピンボケ)。
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7月の庭は日に日に温度が上昇するにつれて、それに呼応するように成長するものもあれば(今思うと)暑過ぎて花が咲く時期がズレているのもあった。/庭作りはその都度、アイテムを購入しては各エリアに配置してまたイメージしたりの繰り返し。と同時に先月から続いて来ているガラクタオブジェとの絡ませが日に日に多くなっていく。

・車輪&せんべい缶オブジェに植えた「バーベナ・バンプトン」と「ヒューケラ」。この頃はまだ元気だけどバーベナが(購入時より)頭が垂れてきて葉っぱも(本来の紫から)緑色に変わってきた。(7/1)
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・以前、小金井公園内を歩いていたら唐突に捨てられてた(ゴミ化した)スケートボードを見つけた。ちょっと迷ったんだけど結局(何かしらに使えるんじゃないかって判断して)持って帰ってた。…で、巡って今回それを使うアイデアがここに落ち着く。スケボーを棚風に、多肉系を置くスペースに。これを作ってだんだん「それっぽい」空間になってきた。(7/1)
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・地面の掘り起こしの影響で根っこから場所を(強引に)移動した「ブラックベリー」。毎年雄々しくワイルドに枝葉&実をこれでもかと実らせるので今回どーなるかと思ってたら(全盛では無いまでも)何とか根付いてそこそこ実を付けてくれた。6月につぼみだった「ヒメヒオウギズイセン」がブラックベリーに重なるように咲いていた。(7/1)
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・適当に種を蒔いてた「アサガオ」(7/5)/この時が全盛だった(今は枯れてしまった…)「ダールベルグデイジー」(花摘みの時とか、香りが好きだった)。(7/7)/下の道路脇に自然に生えてる線香花火のような野草「ハゼラン」(雨上がり時の雨粒が付くとよりチャーミング)。(7/8)
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・ここで錆金属プレートを引っ張り出してきて自分なりの「庭感情」をドローイング化してしまう。…僕の親族であったならばこーいうアプローチをしてしまうのって明らかに(母方の)祖父からのDNAって思うと思う。(7/8)
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・今度は昔使ってた木の机の残骸パーツ(フォルムがバッファローみたいで取っておいた)を使って、それに合うような垂れ系の草を購入、バラ科の「ルブス」。下に垂れた茎がその後地面まで来てそこからまた根っこを生やしてきたので少し切って別の地面にそれを差した。若干現在は勢いがなくなってきたような…。
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・塀のコーナーでシンボル的に黄色い花を咲かせてくれる「コウシュンカズラ」。熱帯地域の原産なので今年の夏の異常な暑さでもなんてことなく。その反面、寒さに弱いらしいので10度位になってきたら室内へ。(7/22)。/雨が続きそうな時は鉢関係を窓際へ移動する今年の行いパターン。(7/28)
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確認した限り、今年は5月にその姿を見せた2018年版カマキリ。6月に入ると(まだまだ羽は生えないものの)背はヒョロッと伸び、5月期がべビーから幼児だとしたら6月期は小学生って感じ。各シーン(エリア)にて何となく4-5態の確認。
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6月の小さな虫記録です。植物を「育てる」視点でいると、今までウェルカム一方だった虫たちも場合によっては(育ててる植物を)害する虫だったりすると対処が微妙になってくる。例えばダンゴムシだったら腐りを利用して土を造る益虫の反面、植物の根っこを食べられるので湿った状況だとやっかいになる(いくつかそれで植物ダメにした)。
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もう今年も9月が終わろうとしてますが、そんな今年の中心軸モードである「庭づくり(いじり)」がなかなかご無沙汰でした。すでに(庭自然の)盛況時期のピークが過ぎかけてきましたが、この初夏(6月)から異常猛暑期を経て台風三昧の9月へと、少し振り返りつつまとめます(どんどん鉢アイテムが増えていきます)。

・5月編でもアップした「ツワブキ」が元気でノビノビ(この頃がピークかな)。(6/1)
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・毎年この時期にユニークな花を咲かせる「ネムノキ」(6/2)
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・掘り起こし作業の為に場所を移した「ラベンダー」…それがよかったのか例年より元気で柵から道路へ顔を出す。(6/2)
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・庭とか植木とか興味が続くと移動中とか通りすがりの家々の庭先とかつい見てしまう癖が今年ついている。…そんなモードの中、五日市街道沿いのとある(木造平屋)の家先に並べられた植木たちの空間が気に入ってしまう。丁度いいバランスの花鉢に対して、鉢や置いてある台などがこげ茶色に統一されていた。その全体感に、一見地味っぽく見えるけれど逆にストイシズムを感じてしまった。シンプルで地味だけどそこに庭主の意思が表れていた。時々その家の前を通ったのだけれど、ある時その庭主さんが見えた。何処となく樹木希林さんに似た様な雰囲気を醸し出していたおばあちゃんで、その人と庭がなるほど合致して妙に納得してた。/…で、そこの庭先の中でひと際印象的だったのが「ゼラニューム」だった。茶色の鉢に真っ赤なゼラニュームがインパクトだった。すでによく見る花なのだけれど、そのストイックな風情の庭先の真っ赤なゼラニュームに特別心奪われた。普通、ゼラニュームと言えばヨーロッパなイメージかと思うけれど、この家の印象で僕は「和風」のイメージをゼラニュームに持ってしまう。ただ、他のピンクとかの色には全く反応しなくて絶対「スカーレット色」限定で、僕はその家のゼラニュームと同じ事をしたくなった。その後、スカーレット色のゼラニュームを園芸センター巡って探し購入。そして鉢の色をわざわざ茶色に塗り替えた(笑/もとはもっと薄い黄土色)。スカーレット・ゼラニュームに茶色の鉢というコントラストが僕にとっての落ち着き所。この花と色は、庭に設置したら(周囲にさほど花が無くても)この花一つで賑やかさを出してしまうだけの強さがある。(6/3)(6/9)
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・この6月期はそこらじゅうでアジサイが盛況なのだけれど、ウチの庭では(去年枯れてしまったのもあり)ちょっと控えめ程度の生育。(6/14)
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・画家「熊谷守一」の影響で小さな苗を購入して植えてた「フシグロセンノウ」がついに花咲いた(詳しくはコチラ)(6/16-22)
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・発色がきれいな「黄金ツタ」…けっこうお気に入りだったのだけれど、3か月後の現在、この写真の時程葉っぱがフサつかなくなってトップが寂しくなり若干葉落ちしたりしてる。でもまだ葉っぱはしっかりとはしてるし紅葉しかかってきているので落葉系なのかな。(6/17)
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・多肉系2種。上部のポヨンポヨンしてるのは現在まで安定して成長しててよかったのだけれど、下の多肉が現在弱ってきてて外側の葉っぱが枯れて無くなり葉っぱの色も写真のマロン色からグリーンに変色してしまった(元の色から緑になるのは弱ってる証拠らしい…)。多肉は基本カラッとさせなきゃいけないという乾燥加減が上手くいかなかったのかも。(6/17)
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・唐突に茎が真っすぐ伸びて来てこの時期庭に点在的に咲く「ユリズイセン」。この花は前からここの土で循環してる半野性。よくアリが花にウロチョロしてる。(6/22)
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・春に行った「ソルソファーム」にて購入した「スプリングピクシー」。購入後しばらく咲いて花が終わり、その後しばし花が付かなかったけどこの時期また咲き出した。フォルム的に一見華奢なようでいて割とタフな花なのかも(現在はまた花休止中…)。 (6/24)
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・これも唐突に顔を出してくるオレンジの花のつぼみ(名前調べた)「ヒメヒオウギズイセン」。綺麗な比率。(6/24)
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・(今後も増えてきますが)元々が音関係で収集してた金属系ガラクタでそっち仕様から反れたアイテムで園芸仕様と絡み合いそうなオブジェをこの頃辺りから組み込み始めている。写真は昔ジャンクバザーで購入した何かの車輪パーツに、以前行った旅行先の道端に落ちていた(おそらく)せんべい缶の錆錆のやつを組み合わせたオブジェ鉢。これで何か合いそうな植物を考える。(6/24)
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・紫色の小さい花で真っすぐ立つフォルムが気に入って「バーベナ・バンプトン」を購入。さっそく車輪せんべい缶鉢に植えた。 (6/27)
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・2日後、四角い缶鉢の角に何か埋めようとヒューケラを2つ購入して添えて、一旦この形でしばらく育てる(現在は別ものに変わってしまったけれど)(6/29)
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2月に豊島区の(旧居)「熊谷守一美術館」に足を運んだ後、3月に入って、今度は国立近代美術館で開催中だった「没後40年 熊谷守一 "生きるよろこび"展」に、家族で行く。そーいえば、このテのちゃんとした展覧会に子どもを連れていくのは初めてだったのを途中で知った。時折子ども2人で勝手にフラフラ歩き回って係員に注意受けてしまった。あと何より(大声出して)しゃべっちゃいけないっていう暗黙の館内雰囲気が子どもにとってはさすがにキュークツっぽかったらしい。/やはり感覚がビビッドに反応するのは晩年への明確な色面とフチドリの「小さな生き物」シリーズになる。途中、絵画の解説文でハッとしたのが、"熊谷守一の、マティスからの影響"…という記述だった。画面の情報を極力排除して色と面だけで多幸的に単純に素朴に無垢に構成するそのテイストはまさにマティスのテイスト指向と同調するもので、僕が両画家に反応するバックボーンがそれで繋がった。180919_morikazuten
「外界に出ず、何十年も自宅と庭で過ごし、小さな虫/鳥/草花たちに囲まれて生きた画家」…という、その世捨て人なイメージでいわゆる「仙人」的な扱いを勝手に付けられた感のある熊谷守一。僕も、絵と同時にその「人となり」にも興味を持ち、いくつかの書物や関連雑誌を見た。そんな中で、個人的に(共感と共に)反応した「熊谷守一の言葉/及びその画家を評した言葉」などピックアップして羅列します(問題があった場合、削除します)。言葉の中に生き方、ものの見方、哲学、全て入っている。180916_morikazu1
<熊谷守一の言葉>--------------------------------------------------------
「ずいぶん年をとったアイヌが二人、小舟をこいでいる情景を見たときは、ああいい風景だなとつくづく感心しました。背中をかがめて、ゆっくりゆっくり舟をこいでいる。世の中に神様というものがいるとすれば、あんな姿をしているのだな、と思って見とれたことでした。私は、そのころも今も、あごをつき出してそっくり返る姿勢はどうにも好きになれない。反対に、老アイヌのああいう姿は、いくら見てもあきません。」

「家の庭は小さいものですが、そんなことで木や草花がいっぱいはえています。おおまかにいって西洋の花はいつまでも咲いていて気の長いものです。しまいにはあきがきてしまう。そこにいくと、日本の花は気短です。まだじゅうぶんきれいなのに、惜しげもなく花を散らしてしまいます。」

「私はだから、誰が相手にしてくれなくとも、石ころ一つとでも十分暮らせます。石ころをじっとながめているだけで、何日も何月も暮らせます。」

<熊谷守一への言葉>--------------------------------------------------------
『…その対談の中で、先生は音楽について、「出来ない事の面白さ」ということをいわれた。出来ない事の面白さーーそれは私が生まれてはじめて耳にする言葉であった。とたんに今まであくせく暮らしていたことが、つまらないものに見えて来た。(白州正子)』/…これは熊谷守一が好きでやっていたチェロに対しての事で、「出来ない事の面白さ」…この真実は、僕が雑音で音作品を作っている根っこにも繋がっていて、音楽を技術の高さや演奏力の向上に求めてしまうもの、ことに対するバケツをひっくり返すような痛快なアンチテーゼだと思う。

『家回りの修繕なども自分でやるものの、できれば直さず楽しんでいたかった。「自然とこわれてきたから様子がいい」といって、雨漏りや床が抜けたりすると喜んだ。 』/…この言葉、感覚にワクワクする。

『何億年もの間、何の変哲もなく存在し続ける太陽、月、雲、雨、そして何も主張しない小さな草花、虫たち。熊谷守一はこういうものに一日中、また何か月も付き合い、その不思議で神秘な古くていつでも新しい存在の根源を、もっとも平明な色彩と形に残している。』

…その他、印象的だったエピソードとして、かつて時の天皇が熊谷守一の絵を観て「これは子どもが描いた絵ですか?」…と言ったという。個人的にこのエピソードにはある種の「してやったり感」があってニヤリとしてしまう(当人でないのに)。

さて、最後に映像で観る熊谷守一。下記のインタビューで再び刺さる言葉があった(真実で本質)。:
「上手なんてものは先が見えちまいますわ。行き先もちゃんとわかってますわね。下手のはどうなるかわからない。スケールが大きいですわね。上手な人よりはスケールが大きい。」


俳優の山崎努が熱烈な熊谷守一ファンで、それ故に自ら企画を推したてて今年映画が上映された(「モリのいる場所」)。この映像を見る限りなんですが、熊谷守一より山崎努に見えてしまう(笑)。でも昔から好きな役者さんでもあり、先日亡くなった、(見事な死に様(生き様)を見せた)樹木希林が奥さん役でもあり、いずれ必ず観ようと思います。/PS:この映画の期間頃、聞いていたラジオで(シティボーイズ)きたろうもこの映画に出ていたらしく、この映画について(いつもの調子で)しゃべっていた。「…ずっと延々じーっと虫ばっか映してるんだよ。誰だって(途中で)寝ちゃうよ。」…さすがのきたろう節なんだけど、ここまで普通に言えちゃう(それが成立しちゃう)キャラクターが逆に凄い(笑っちゃったけど)。/敬称略


このシリーズ、おわり。

去年の暮れから再び火が付いた、熊谷守一の探求。前回に述べた通り、画家は(体調が悪くなったのもきっかけになり)晩年はずっと外部に出る事はなく、日々ずっと自宅の庭で過ごし小さな虫や鳥や草花たちと触れ混じり、夜になって独り小さなベニヤ板に絵を描く…という日常を(人生の最期まで)送った。
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僕がこの画家に対して(巡り合わせ的な)シンパシーを感じたのは上記の事柄だけでなく、(細かい話だけど)その晩年過ごした(庭と生き物の)熊谷守一邸のある(あった)豊島区椎名町千早エリアには偶然にも去年の暮れ辺りから僕もすぐ近くを時々通っていた。つまり再び「巡り合わせ」の上書きを都合良くしてしまう(笑)。…という事で今年の2月、まずは画家が45年もの間住んでいた「その場所」へ向かうべく、旧居:熊谷守一邸、現在の「熊谷守一美術館」に行った。この時、同時期に開催されていた国立近代美術館は後日行くとして、まずはかつての居住地に足が向いた。点数的には(近代美術館にも数点流れていたと思う)それほど多くはなかったけれど、何よりこの時、僕の目に最も強く飛び込んできたのが(死の前年、96才の時の絶筆)「アゲ羽蝶」の原画だった。96才の画家がこんなにも鮮やかなオレンジ色と、力強い黒を揺るぎない線と面で出せるものなのか…素直に感動してしまう。そしてこの(印刷物では味わえない)花びらのオレンジと黒い蝶のコントラスト、その瑞々しい色彩の(発色の)強さ、その生命力に涙が出た。180919_morikazuzeppitu

オレンジの花びらは「フシグロセンノウ」という山地に生える山野草の一つと知る。生前、熊谷守一は(中々花を咲かす事が難しいとされる?)この花を気に入って庭で咲かせたらしい。そこにとまる黒いアゲハチョウ…とにかく僕はこの絶筆の絵と同じ状況を「真似したい」って思ってしまった。僕もこの頃は庭作りモードがちょうど沸き上がってきた矢先。まず、「フシグロセンノウ」は園芸センターに売ってる気配が無かったので通販で調べて小さい苗を2つ購入した。ウチの庭の右側の(やや)日陰ゾーンに苗を2つ植えた(フシグロセンノウは半日陰向きなので)。

…その後、(今度は)”我が家のフシグロセンノウ"をあの絵のように無事に咲かせる事が出来るか…まだまだ小さい苗を時々覗き込む日々。3月、4月と、徐々に苗は伸びつつも(開花期は分かってはいても)まだ咲かない。5月…まだ咲かない。そして(やや放置気味だった)6月16日。何気に庭に出たら(!)ついにあのフシグロセンノウがつぼみから朱色の花びらを覗かせていた。そこからは早い。まずは記念すべき最初の花びらがオレンジ色に開く。その後、数日間で2つ3つ4つと次々に…。熊谷守一から発されたものがフシグロセンノウで繋がった(ってまた好都合解釈)。2つの苗の内、やや日差しが入り込みやすい場所のがより成長が早かった。そしてオレンジ色に輝くこの花も7月に入る頃には早くもしぼみかかって、やがて枯れて幹だけに。多年草なので来年また芽吹く事を楽しみに(…ただ、あの絵のようにフシグロセンノウに黒いアゲハチョウが来てとまれば完璧だった…残念だけどそうは上手く行かない)。180920_fsennou1
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よくみたらまだべビー時のカマキリが花びらにつかまっていた(このカマも、今はもう居ないんだろーなぁ、食べられたか強風で飛ばされたか…その辺はまたいずれ)180920_fsennou3


つづく

今や本業を越えた本能の熱量のままに「カマキリ先生」として虫を軸とした自然の生き物伝導師となりつつある、俳優の香川照之氏。もちろんEテレの番組は新作の度に拝見してはその情熱のエネルギーを浴びると共に、時折熱弁する小さな生き物への敬愛(リスペクト)の言葉に、今の(生態系環境をおそろかにする、例えばUSのトランプが最たるもの、な)人間こそ学ばなくてはならない本質が込められていて、ただの昆虫好きという範疇ではない広く深い意味を持っている。…そんな香川(カマキリ)先生のインタビュー記事。特に個人的に(強い共感と共に)印象に残る言葉は以下に:

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『カマキリの獰猛(どうもう)さが本当に好きなんです。何かを獲って食べて生きていくという。勝者と敗者が決定的に分かれるところが、印象的だったんです。』
『常に飢えていることが美しさであって、満たされた状態がいかに醜いか。』
『昆虫は、人類よりずっと昔から地球上に存在する生命体なんです。そこから、さまざまに枝分かれして人間が誕生しました。人間は、生物の末端として生まれてきているわけだから、大先輩の昆虫に対し「気持ちが悪い」だなんて……生意気です!』
『婚姻関係、社会性、階級社会など、そうした社会システムも、人間よりずっと先に昆虫がつくり上げたもの。この世の中で人間が初めてつくり上げたものなんて、実はそんなにないと思うんです。つまり、われわれ人間がしていることは昆虫の後追いにすぎない。』
『本来、地球のあるべき姿というのは地面であり野原であり、土であり岩であり――。ところが、本来あるべき地球の姿の上に、本来いるべき生物の姿を見る機会がどんどん少なくなってきています。でも、やっぱり野原や土があるところへ行って、土に汚れたり、川にジャブッて入って体をぬらしたりして、“服”を着ていない地球とちゃんと向き合ってほしいですね。そして、この地球こそがわれわれも含めて生命の源であることを感じてほしい。』
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大事な共感部分が多く、つい引用が膨らんでしまいました…以下が本文です:

香川照之「飢えたカマキリが美しい理由」

…ともあれ、役者という別枠からこーした見地で小さな生き物に対する本質を語る人がいて喜ばしいです。

ずっと頭の中の考えている割合いの6-7割は庭の事で、「この位置に何色のどんな大きさ・形の花(植物)を…?」とか、つまりこれは完全に庭空間をカンバスにしたデザインの配置作業そのもので、あーどこーだ尽きる事が無い。ただ、加えて生き物なので上手く育つもの、段々と元気が無くなるもの等々、全部が一律で育つワケがないという事を(水やりのタイミングやら日光のあて方など)改めて体験実感中。

昨日はサマーホリデーを存分活用して(ほぼ)一日庭作業…まずはバラツイてきた芝回りの雑草を取り除き、長くなった芝生をハサミで短く刈り取る。そんな広い範囲では無いものの、この手作業をずっとやってると(それほど猛暑日では無かったものの)湿気がハンパ無く2回タンクトップと下着を汗で洗濯かごへ。その他、時間がある時でないとまとめて出来ない(庭関係の)細かく気になる各部所の施しで費やす。…夕方、とりあえずその日にやるべき事をやり切った(やり過ぎた?)、汗を流し体を冷やす。…そして1日が明け、現在、全身が情けない程に筋肉痛。
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庭を彩る草花たち。5月のコレクションです。

・「チェリーセージ」…ここ数年でボリュームが増して、今や春先のミニバラと並んで存在感のあるチェリーセージ。リビングの窓半分を占めるので視覚を満たしてくれる。/時期が経つと花が赤から白く変化するのだろーか(詳しくは分からない)。
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・「ドクダミ」…やや日陰の一角を一面占めるドクダミ(もうちょっとこれは違う名前の方がイメージ変わると思うのだけれど…)。生命力が強く、時期が来たら一気にモサーっと茂る。
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・「ポリゴナム」…ヒメツルソバの別名だけど僕はポリゴナムっていう方が好み。ボール状の花の微妙な色のトーンといい、全体感といい僕は割と好きな花。
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・「ハルジオン」…凄く似たのでヒメジョオンがあるけれど、よーく確認したらハルジオン。右はハルジオンからのポリゴナム&ジャンク音具。
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・「ツワブキ」…最初から庭にあって、毎年時期が来るとしっかり生える。雑木の本を見たら名前が分かった。ちょうど去年はこのツワブキの茎にアゲハチョウの幼虫がサナギになってやがて飛び立った。
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・「アニソドンテア」/「ムラサキカタバミ」…アニソドンテアは購入時が一番咲いてて(ある意味そりゃそう)、その後中々花が付かないけど、また秋に咲くという、それを待って。/ムラサキカタバミ…石廻りのエリアをポイントで彩る小さな野草。
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・「ラベンダー」/「ブラックベリー」…去年暮れの(排水作業の為の)庭掘り起こしの影響で急遽別の場所に移し替えたラベンダー。でもそれが逆に日当りのいい所になったからなのか前よりちゃんと咲いた。/ラベンダーのバックで写るブラックベリーの実と右写真はその花。ブラックベリーも同様に掘り起こしの為に大胆に根っこも切られ移動もしたので大幅に成長に影響が出た。それでも何とか根付いてくれたようでちょっとずつ花や実が付いてきた。
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・「ヒペリカム」…2-3年前に「黄色い花咲くのを」って購入したのだけれど、思ったより成長が鈍い(日照が弱い場所のせいかもあるかも)。それでも時期が来れば数枚花が咲く。
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・「ヒューケラ」/「ユキノシタ」…日陰でも育つという目的で探すとこのヒューケラに一度は手が出る。低木の鉢の下にあしらう。さすがに現在でも安定した成長っぷりだけど、徐々にブラックベリーが茂りだしてせっかくの趣きの葉っぱが隠れてしまいがち。/下の小さな野草はしばし名前が分からなかったけどやっと判明:ユキノシタ。野草の本見たら確かに同じ葉っぱが庭の日陰エリアに既成してた。
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・(オマケ)…そんな園芸モードの勢いのまま野菜も栽培してしまう。左から「ベビーリーフ」「オクラ」「パクチー」…いったい僕は何処に向かおうとしてるのだろーか(笑)。/その後、これらの野菜はベビーリーフ以外は萎れがちになり、縮小傾向へ。
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今年は僕の方がかなりの熱量で庭に出入りしているせいか、庭いじりしてるとフとした所でカマコたちと目が合ったり出くわしたりする。5月の段階では例年と同様に(各所で)ほぼ5-6匹位は確認出来た。おそらくこれでも(卵ふ化数からしたら)10分の1以下まで減ってしまったんだと思う。実際、庭のクモがべビーカマコをくわえている瞬間に奥さんが出くわしたらしい…。(写真は同じカマもあり別のもあり)

・壁面の3態。褐色系。
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・ドラマチックな構図。壁の崖から覗くカマ(外部世界を見て何思う)/ポストから庭を眺めるカマ(この時は背景のミニバラがまだ満開期)。
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・葉っぱのカマ。褐色とグリーンの2種。
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・金網のカマコンビ。「カマブラザーズ」と命名。
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・壁にて、まだぎこちなく獲物を狙っているカマ2態。下のはこのまま半日位は微動だにしなかった。虫の時間軸世界。
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・ラベンダーとブラックベリーの葉っぱのカマ。
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・コツラ(鉢植え)をエリアにしていたカマ。…とにかく鉢植えの数も増えて、各所に点在させているのだけれど、その鉢を持って手入れなどで移動してフと眺めているとそこにカマコがいたりする。何となくの印象で、カマキリってテリトリー感覚がある気がする。それぞれ点在する数匹のカマコたちはそれぞれの「定位置」があるようで、ほぼ同じ様な場所で同じカマに会ったりする。写真の時はしばらくこのカマはコツラをテリトリーにしていた。その後、梅雨に入り雨が続いたのを境に(湿気に弱い)コツラがどんどん萎れてしまい、一気に枯れてしまった(1年草で時期が終わったのもあるかも知れない)。同時にここにしばらく居たカマも居なくなっていた。
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庭の虫のメインキャラクターでもあるカマコたち。およそ年末頃に命耐えるまで果たして何匹生き延びているでしょーか。引き続き成長を楽しみにします。

庭に点在する石(というか岩)。…庭再生作業の過程で芝生のエリアをいくらか制定して植え付けたのだけれど、逆にその芝生ゾーンが生まれた事で「茂るゾーン」と「グランドゾーン」という2つの空間の幅が出来た。そのせいなのか分からないけれど、点在している石の廻りの(芝生のゾーンと石の)隙間に生える事を許された?植物たちが既成していく、その、石と廻りの植物の組み合わせでまた一つの趣き空間が生まれていた。

雑多な植物たちの群集は楽しい。…クローバー、ピンクの小さな花が咲く「ユウゲショウ」、やがて黄色いセダムが自生する、名前は「モリムラマンネングサ」。そこにシダの葉が絡んで来る。シダは3億年前に陸上で初めて生まれた植物らしい。その、とてつもない生物歴史をこの石廻りでリスペクトと共に思い巡らす。石廻りの植物のゾーンの趣き…もしかしたらこーいう感覚って(いわゆる)「庭園」に対する構成美意識へと繋がっていく事なのだろーか(いや、そんな大層なものではない…笑)。
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