社長の朝礼

社長が、毎日自分のために朝礼をする。社員に朝礼で訓示をする前に、まず社長が自分に訓示することで、自分自身を正す。そして、今日の仕事を開始する。 「今日の朝礼で、一日の成果が決まる」そんな、緊張感を持った、そして笑顔で出発できる、理想の朝礼を目指します。

人は過ちを犯したとき、それを認めるのに勇気がいる。
自分の過ちを正当化し、他人のせいにする。
しかし、自分の良心は知っている。自分が悪いことを。
自己正当化しようとすればするほど、良心の呵責を覚える。
だから、勇気をもって自分の過ちを認めることだ。
そして、素直に謝罪するべきだ。すると心は穏やかになる。
そこから、次の新しい一歩が始まる。
過ちは誰にでもある。問題は過ちを犯した時どうするかだ。
過ちを認めない人は、いつまでも引きずる。新しい一歩が踏み出せない。
過ちを素直に認めるとき、新しい一歩が始まる。
過ちを素直に認める謙虚な自分でいたいと思う。

織田信長の頃、人生50年だった。それが今や、還暦が過ぎてもまだ現役である。日本人の平均寿命は80歳を超えた。人生80歳時代である。人間は健康的な生活をしていれば120歳まで生きるらしい。人生100歳時代が来るかもしれない。そんな長寿社会の中で、我々はどんな人生を送ったら良いのだろう。改めて人生設計を考え直さないといけない。
いずれにせよ、人生はまだ長い。これまでやり残したことをやり遂げようと思う。

青森もようやく桜が咲いた。穏やかな春の朝、ピンク色の桜の木を眺めながら、柔らかな春の日差しに感謝した。

朝の散歩道、道端に小さな水仙の黄色い花が咲いていた。思わず足を止めて写真を撮る。自然は人の心を慰めてくれる。心を豊かにしてくれる。家に着くころ周囲が明るくなった。日の出の時間が随分早くなった。また、新しい一日が始まる。
何気ない自然の変化に、普段は気に留めることもない。しかし、道端の小さな花に気づいた自分は、少し心が豊かになったのかもしれない。

世の中には理不尽なことがたくさんある。
理不尽なこと出くわした時、どうするか。
怒りに任せ、理不尽なことをした人を責めるか?
仕方がないとあきらめるか?
理不尽なことをした人を理解し、受け入れるか?
いずれにしても難しい問題だ。
ただ一つ言えることは、決して怒りをもって対処してはいけないこと。
そして、私心を無くすこと。
そうすれば、理不尽なことを乗り越えられる。

雨の降る朝になった。春の雨は悪くない。一雨ごとに暖かくなるからだ。
雨を見ながらある諺を思い出した。「雨降って地固まる」、意味は悪いことがあった後に、かえって前よりも良い状態になること。
先日、ある協議会の総会が開催された。開始早々議論伯仲、一時はどうなることかと思ったが、何とか原案通り可決され安堵した。その後の懇親会では和気あいあいと談笑していた。まさに「雨降って地固まる」だった。
どんな組織でも、自由闊達な議論が出来なければ、組織は硬直し発展しない。日本は自由闊達に議論できる国だが、自由過ぎてどうでもいいことに執着をして、本来議論すべきことが議論されない国会の現状を見ると、少し考えた方が良いのかもしれない。やはり、我々国民が、マスコミの偏向報道に惑わされることなく、本質を見極め正しく議論されるように監視する必要がある。結局は我々国民の質が問われているのかもしれない。

「能ある鷹は爪を隠す」という諺がある。本当に実力や能力のある人は、いたずらにそのことを誇示したりしないという意味。逆に反対の諺で「能無し犬の高吠え」とか「能無しの口たたき」というのがある。能力が無い者は、おしゃべりで騒ぐばかりで実力はないという意味。だから、あまり調子の良いことをベラベラ喋る人は気をつけた方が良い。本当に力のある人は普段あまり喋らないが、話した時の言葉には重みがある。
但し、力のある人が陥りやすい欠点がある。それは、問題のある人や組織を見ると、黙っていることが出来ず、つい出しゃばってしまうことだ。つい、自分の経験や考えを言ってしまうことだ。これは気をつけなければいけない。自分の立場や能力をわきまえることだ。仮に自分が話したことが正論であったとしても、自分が喋るべき立場にないのに、正論を話すと混乱が生じる。物事がうまくいくとは限らない。自分の経験や意見が正しくてもそれが仇になることもある。だから、何か物申すときは、十分に自分の立場や状況をよく考えてから話すことだ。結局、自分をいつも謙虚に謙遜にするということではないだろうか。

毎日行っている公園のさくら祭りの準備が始まった。看板を見ると祭り期間は4月21日~5月6日とある。青森もようやく桜の季節がやってきた。天候に恵まれ、多くの人が桜を楽しんでくれたらと思う。私は残念ながら花見の予定はないが、休みには十和田にでも行ってみようかと思っている。自然と親しみ、心身リフレッシュすることで、次の活力が湧いてくる。

穏やかな春の日差しが窓辺に差し込んでいる。実に気持ちの良い朝である。風もなく、小鳥のさえずりが聞こえる。北国青森にもようやく春が来たようだ。
春は草花が一斉に芽を出す。木々も緑の葉をつける。残雪の残る山々は深緑に変わる。生命の躍動感を感じる季節だ。そんな自然を感じながら、自分の心は躍動しているか問うてみた。年齢がいき、肉体は思うように動かなくなったとしても、心にはいつも希望や感動そして歓喜に満ちた躍動する自分でいたいと思う。自分で決めた人生の目標がある。その実現のために、今日も躍動しよう。

最近の新聞やテレビを見ていると、国会は去年と同じこと(森友・加計問題)をまたやっている。そして、それを新聞・テレビが煽っているように見える。公文書の書き換えは重要な問題だが、本質はそこではない。その文書に書いている内容が問題だ。それを追求してほしいのに、書き換えは誰がどうやったのか?それに終始している。野党やマスコミの皆さんはよっぽど安倍晋三首相を辞めさせたいらしい。そのためにやっているようにしか見えない。書き換えの問題は国会ではなく、別のところで調べてもらうことにして、国会ではもっと国家・天下に関することを議論してもらいたい。そう願うのは私だけだろうか。それとも、足を引っ張ることしかできない国会議員ばかりなのだろうか。だとしたら、この国の未来はない。国民がもっと真剣に国家・天下のことを考えて、それにふさわしい人を国会に送らないと、日本の未来はない。日本人の覚醒を願う。

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