中東の窓

長年、日本の外交官として中東に深く関与。中東から見た国際関係を日々発信するブログ。

2011年07月

シナイ半島の情勢

31日付のal qods al arabi net の記事は、ガザの内務省の情報として、エジプト当局が30日ガザとの国境の検問を突然厳しくしたために、450名のパレスチナ人がエジプトへの入国を拒否され、国境で立ち往生したと報じています。
このエジプト側の手続き強化の背景等については説明がなく不明とのことですが、31日には国境の規制は元に戻され、パレスチナ人のエジプトへの入国は支障なく行われたとのことです。

記事の要点は以上で、記事はそうとは明確にに書いてははいませんが、29日にはエルアリシュの警察署が襲われ、パレスチナ人10名を含む15名が逮捕されたと付言しており、双方の事件の関連性を示唆しています。
まあ、常識的に考えれば、エジプト当局としても武装パレスチナ人を逮捕した以上、暫くの間念のために国境の規制を強化したのだろうと思いますが、本当はどうなのでしょうか?
http://www.alquds.co.uk/index.asp?fname=latest\data\2011-07-31-08-21-47.htm

ムバラク裁判(法廷の変更)

ムバラク元大統領の裁判が8月3日から始まる予定ということは先にお伝えしましたが、31日付のal jazeerah net の記事は、公的通信社の中東通信が、裁判の場所がカイロの警察学校に変更されたと報じていると伝えています。
その理由は十分な広さの確保と安全確保のためとのことです。
(確かにあそこの場所は広いし、確か高い塀に囲まれていたと思うので、多数の群衆等の殺到を防ぐには好適んんところかも知れません)
但し、国民の中にはムバラクは健康上の理由から出廷しないだろうと見るものや、裁判は結局はシャルムッシェイフで行われるのではないかと見る者等、懐疑的なものが多いとのことです。
また実際ムバラクの弁護団は、その依頼人は極めて衰弱していて出廷は困難と裁判所に連絡すると語っているとの情報もあるとのことです。
推測ばかりが飛び交うばかりで、矢張り8月3日になってから出ないと確定的なことははっきりしないのでしょう。
http://www.aljazeera.net/NR/exeres/1FDE6BD7-0F9A-49FB-BD4A-5455E7D307C7.htm?GoogleStatID=9

シリア情勢(ハマ等)

シリアでは抗議運動とこれに対する政府の弾圧が続いていますが、かって大虐殺のあったハマでは戦車が突入して、多数の死者が出た模様です。
31日付のal jzeerah net の記事が伝えるところでは、活動家及び目撃者談によると、シリア軍の戦車が約1月の同市の包囲の後31日早朝、4方面から銃砲撃を加えながら、町に突入して、市民の間に24名の死者が出たとのことです。
また病院によれば数十名の負傷者が運び込まれ、また市の一部は停電しているとのことです。
またシリアの北東部のdir l zour 県でも広範囲な軍事行動がみられ、6名の市民が殺害されたとのことです。
また軍の一部が離反し、解放軍を組織し、アサド政権打倒のために戦うと声明したとも報じています。

記事の要点は以上で、個別の記事については同紙も独自に確認はできないとしていますが、国民対話と言う呼び掛けにもっ変わらず、シリア政権がほぼ全国的に弾圧活動を続けており、まt国民の側の抵抗も多くの犠牲にも拘らず続いていると言うのが、大きな流れのようです。
http://www.aljazeera.net/NR/exeres/B101F1C2-5AB1-447A-8138-A14DB84B621E.htm?GoogleStatID=1

ラマダン月

30日付のal jzeerah net の記事は、多くのイスラム国でラマダンは8月1日の月曜日から始まると報じています。
それによるとサウディ当局は30日新月が観測されなかったので、31日がshaaban月の最後の日になり、ラマダン月は月曜日から始まると発表したとのことです。
エジプトもラマダンは月曜日(8月1日)から始まると発表した由。

いよいよ8月の暑いラマダン月の始まりです。
リビアの国家移行評議会などはラマダンでも戦闘は続くと表明していますが、シリアにおける抗議運動、エジプトタハリール広場の座り込み等も含めて、ラマダン期間中どうなるのでしょうか・
http://www.aljazeera.net/NR/exeres/8BBA3A76-D575-488B-A88A-D63B2F94E3D1.htm?GoogleStatID=1

イエメン情勢(30日)

イエメンでは未だサーレハ大統領はサウディに滞在中の模様で、その帰国の目途も立っていないようですが、サナア周辺では部族等と政府軍の衝突が続いていて、とにかく状況は混乱していますが、hashed 部族連合の長ahmarは30日サーレは帰国しても、2度と政権の座には就かないであろうと、あくまでもサーレハ排除の意図を強調したとのことです。
他方南イエメンからのニュースでは、アルカイダが占拠しつづkているzanjibar周辺では、政府軍と近辺の部族兵とアルカイダメンバーの戦闘が続いていて、30日の現地筋によれば少なくとも42名が死亡したとのことです。
一つはzanjibar 近くの村での戦闘で政府軍の高級将校を含む11名がアルカイダの待ち伏せ攻撃で死亡し、また政府軍の空軍機による空爆で29名が死亡したとのことです。

どうもイエメンからの情報は種々報じられていますが、それぞれ断片的で、また錯綜していて、現実に何が起きているのか理解に苦しみますが、取りあえずの印象としてはサーレハ政権が、中央政権として南北のイエメンを統一的に支配する能力をますます失いつつあり、南の方ではかなり激しい戦闘が部族をも巻き込んでアルカイダとの間に続けられているが、航空機等をも動員しても2カ月にもなるのに、zanjibarを奪還できずに、戦闘地域はむしろ広がりを見せている状況。北では益々部族社会的な様相が強くなりつつある。
とまあこんな状況なのでしょうか?
アルカイダに対する戦闘の主要舞台としてのイエメンと言う観点からは、サーレハ政権はその正当性と言うか有用性を完全に喪失して、むしろ彼の存在こそが問題だ、と言う状況になりつつあるような気がします。
http://www.aljazeera.net/NR/exeres/79F6FE78-B10D-4B01-94C9-5645AE42B0D3.htm?GoogleStatID=1
http://www.alquds.co.uk/index.asp?fname=latest\data\2011-07-30-14-13-08.htm
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