中東の窓

長年、日本の外交官として中東に深く関与。中東から見た国際関係を日々発信するブログ。

2015年03月

「決意の嵐」作戦(風刺漫画)

194[2]「決意の嵐」作戦に関する風刺漫画を一つ
画像の左上には「決意の嵐」と書いてあり、渦巻きですそを巻き上げられて困惑した男のターバンにはイランの国章が書いてあります。
説明不要と思いますが、これはカタール系のal jazeera net の漫画です。
http://www.aljazeera.net/portal

イラク情勢

アラビア語メディアからとりまとめたイラク情勢次の通りですが、こちらも混とんとしています

・ティクリートについては、イラク軍等は、有志連合の空軍の最大規模の援護の下に、市の中央病院への攻撃を始めた。
他方al qods al arabi net は、イラク首相が有志連合空軍の空爆中止を要求するであろうと報じています。
これはシーア派民兵al hashd al shabiが、有志連合が空爆を中止しない限り、戦線には戻らないと脅迫した為の由
(この事実関係は不明ですが、自らの力でISを殲滅できずに、慌てて有志連合の空爆を要請し、再び中止を要求するとは誠に不可解な行動で、先日のアラブ首脳会議での立場と言い、イラク政府はイランの強い影響下にあると言うことでしょうか? )
同じくティクリート攻撃に参加していたイラン革命防衛隊の隊員2名が23日米国のドローンの攻撃で死亡した。
遺体はイランへ搬送された
(誤爆によるものと思われるも、詳細は不明)
・ISはティクリート、サラハッディーンから、有志連合の空爆の圧力下、大部分の兵力を撤退させたが、彼らをモースルに移動し、市内で軍事パレードを行った
(ティクリートからも大部分の兵力が撤退したことが事実であれば、イラク軍の戦闘能力に疑問がつくのは当然でしょう)
・国連事務総長は、ティクリート等の都市を奪還した後に、住民に対して、報復や不当な行動をしないようにと呼びあっけた。
・ファルージャの北で、イラク軍等の集結地で爆発が会い、5名死亡、多数が負傷した。
・イラク軍は、イラク各地でのISに対する攻撃で、多数のIS兵員を殺害したと発表した。
アンバール県で11名、ティグリスで25名其の他の由。
http://www.alquds.co.uk/?p=318984
http://www.aljazeera.net/news/arabic/2015/3/30/اشتباكات-في-تكريت-وقتلى-للجيش-بتفجير-في-الأنبار
http://www.alquds.co.uk/?p=318918
http://www.alarabiya.net/ar/arab-and-world/iraq/2015/03/31/-العراق-مقتل-54-داعشيا-وتفجير-ورشة-بالأنبار.html

シリア情勢

シリア情勢につきアラビア語メディアからとりまとめたところ次の通り。
シリア情勢も混とんとしています

・30日、ダマスのハメディーヤ・スーク(旧市街の真ん中)の近くにロケット弾が落下し、3名死亡し、多数が負傷した。警察はテロリストの仕業であると非難した。
また市の東部のjouber 地区では、アサド軍等に対して臼砲等の攻撃が仕掛けられ、多数の死傷者がでた。
・ダマス近郊のパレスチナ難民のヤルム―ク・キャンプで、ハマスの活動家が暗殺された。
犯行声明は出ていないが、ヌスラ戦線か自由シリア軍の犯行ではないかとの見方がある・
(ということは彼はアサド政権と近かったカISと近かったのか?不思議な話です)
・30日ダラア市で、自動車爆弾が爆発し、民間人15名死亡し、40名が負傷した。
犯行声明は出ていない。
・イドリブ(最近ヌスラ戦線がほぼ全県を掌握したが)について
   ・ヌスラ戦線の幹部は、反政府連合軍(所謂穏健派?)がイドリブに入ったとの報道を否定した
   ・アサド政権は、トルコが反政府軍のイドリブ攻略を援助したと非難して、は政府軍はトルコの通信網を利    し、又作戦計画立案も支援されたと語った
   ・反政府軍は、イドリブに残された政府軍の最後の基地に対する攻撃を始めると語った
・ISはハマで9名の人質の集団処刑に、18歳以下の少年を使った。
少年が集団処刑の道具として使われたの初めてである。
・FAO世界農業食糧機構はシリアの民衆のために、1億2100万ドルが早急に必要であるとのアッピールを発した。これはシリア内戦のために、シリアの農業生産が大きく落ち込んでいるためである。
http://www.aljazeera.net/news/arabic/2015/3/30/قتيل-وجرحى-بقصف-استهدف-وسط-دمشق
http://www.alarabiya.net/ar/arab-and-world/2015/03/30/مقتل-قيادي-في-حركة-حماس-على-أيدي-مجهولين-جنوب-دمشق.html
http://www.alquds.co.uk/?p=318971
http://www.alquds.co.uk/?p=318978
http://www.aljazeera.net/news/arabic/2015/3/30/دمشق-تتهم-تركيا-بمساعدة-المعارضة-في-إدلب
http://www.alarabiya.net/ar/arab-and-world/syria/2015/03/30/هجوم-متوقع-على-معسكر-لقيادة-جيش-النظام-في-إدلب.html
http://www.alarabiya.net/ar/arab-and-world/syria/2015/03/30/داعش-يشرك-أطفالا-في-عملية-إعدام-جماعي-للمرة-الأولى.html
http://www.alarabiya.net/ar/arab-and-world/syria/2015/03/30/الـ-فاو-تطلب-121-مليون-دولار-بصورة-عاجلة-لسوريا.html

「決意の嵐」作戦

30日もサウディ空軍等の作戦が続いていますが(al arabiya net・・サウディ系・・は「アラブ連合」という言葉を使いだした)、アラビア語のネットからとりまとめたところ次の通りです。

・サウディ国防省報道官によれば
   連合空軍は地対地ミサイル、武器弾薬庫、hothy軍基地、移動中の部隊等を攻撃している
   サナアからサウディ向けに地対地ミサいるが発射されたが、軌道に乗らなかった
   国境方面でhothy 軍は臼砲を発射しているが、サウディ軍は、これを制圧している
   アデンに向かう車列を攻撃し、多くの損害を与えた
・ハッジャ県の難民キャンプ(サアダからの難民の由)にロケットが落下し、多数の死傷者がでたが、hothyグループと連合軍は、お互いに相手の仕業であるとの非難を続けている。
(サウディは難民キャンプに対する攻撃の事実は知らないが、地上からの対空砲の攻撃に対して反撃したことはあるとしており、難民キャンプに、又は近くに置かれた対空砲に対するミサイルがキャンプに落下した可能性が強いか?)
・連合軍は、イエメンでhothyグループの支配下にあるすべての港には海軍艦艇が派遣され、イエメンの港は完全に封鎖されたと語った。
・イエメン外相は、これまでイラン人の関与は秘密裏であったが、最近革命防衛隊やイランの傭兵が公然と介入していると非難した
・中国は、自国民500名を避難させた・
インドはインド人の引き上げにサウディの援助を要請した
現在サナアには3100名、アデンに500名のインド人がいる。
・サウディは、GCCが提唱していた、国連傘下の国民対話へのhothyグループ等の参加には、イエメン軍から盗んだ武器の返還が条件となると語った。
・hothyグループは、「決意の嵐」作戦はシーア派に向けられた攻撃であるとの宣伝を繰り返し、国民を扇動しようとしている
(hothyグループがそのような宣伝を行うことは当然予測される所で、アラブ連合側の意図如何にかかわらず、戦闘が長引けば、宗派戦争の色彩を強めていく可能性が強いと思われる)
・イエメンの政治指導者は、エリトリア(アフリカの紅海沿岸にある国で、エチオピアから分離独立した国)が、家目の情勢を利用して、1995年に国際司法裁判所ICJの裁定でイエメンに帰属した紅海の島(当時国際法に基づく領土問題解決の良い前例として国際的に歓迎された)を奪取しようとするのではないかと危惧している
(ついにイエメン問題がエリトリアとの問題にまで発展する可能性が出てきた模様ですが、中東における種々の問題の複雑な絡み合いをうかがわせる事例です)
http://www.alquds.co.uk/?p=318986
http://www.alarabiya.net/ar/saudi-today/2015/03/30/-عاصفة-الحزم-إحباط-محاولة-استهداف-مركز-حدودي-سعودي.html
http://www.aljazeera.net/portal
http://www.aljazeera.net/news/arabic/2015/3/30/صنعاء-تتحدث-عن-وجود-عسكري-إيراني-في-اليمن
http://www.alquds.co.uk/?p=318961
http://www.aljazeera.net/news/international/2015/3/30/الهند-تطلب-مساعدة-سعودية-لإجلاء-رعاياها-باليمن
http://www.alarabiya.net/ar/arab-and-world/yemen/2015/03/30/الحوثيون-يلعبون-على-وتر-الطائفية-لتشويه-عاصفة-الحزم.html
http://www.alarabiya.net/ar/arab-and-world/yemen/2015/03/31/مخاوف-يمنية-من-مغامرة-إريتيرية-تحركها-إيران.html

イエメン情勢(ミニ解説   3)

イエメンの情勢について、サウディとイランの代理戦争であるとの議論も良く見られますが、これまで2回ほどミニ解説で、イエメンという国の複雑な状況をお伝えしようとしてきたつもりですが、矢張り代理戦争というのは余りに単純すぎる議論と思われます。 またスンニ派対シーア派の争いとするのも、歴史的に見れば、これまた余りに単純な議論のような気がします。そこで以下、現在のイエメン情勢のメイン・プレイヤーとなっている、サウデイとイランのイエメンとのかかわりについて、知っているところをごく簡単に書いておこうと思います。 サウディとイエメンは長い国境線を有し、又歴史的にも長い関係にあり、その意味でイエメンとイランとの関係よりはよほど緊密かつ複雑な関係を有していますが、そのためにも若干昔の話になりますが、取り敢えずはサウディ建国のころから話を始めるのが適当でしょう。 サウディが建国した時、当時のファイサル王子率いる部隊が、ジーザンとナジュラン(だったと思う)のイエメンの伝統的領域を占領し、そこはサウディに編入された。その先東の砂漠地帯は長いこと国境線が確定せず、両国関係争の地であったが、イエメン政府は国民の不満を惹起することを恐れて、国境画定に踏み切れなかったが、サーレハ大統領時代に最終的な国境線について合意した。 しかし、この歴史は特段スンニ派対シーア派(イエメンはイランの12イマーム派ではなく、ザイーディ派と言う一般に穏健と言われる宗派)という関係での問題ではなく、国民国家同士の国境を巡る対立であった。 その証拠に、1962年だったかに、イエメンで軍事クーデターでシーア派のイマーム制が廃止され、生き残った皇太子が、王制復帰を掲げ内戦となると、このシーア派の王党派を支援したのがサウディ(他はヨルダンと英国だったと思う)で、これに対抗してエジプトが大軍を派遣した。 しかし、1967年6日戦争でエジプトが敗戦しエジプト軍が撤退した後、サウディ等が後見人となって、王党派と共和派が妥協し、北イエメンに統一政府が作られた。
要するにサウディとしては、共和制のナセルの影響に対抗するためにも、王制保守派同士ということもあり、シーア派のイマームを支持したわけである。 勿論、その後も両国関係には微妙なものがあり、サウディはイエメンの政府が反サウディにならないように、部族(北部イエメンのシーア派部族)に対する資金援助等を通じて、随時内政に干渉したと言われている。 他方、貧しいイエメンからはサウディに大量の出稼ぎ者が行き、その意味では両国の関係は極めて緊密であった。 又イランとサウディの関係も、シャーの時代には、湾岸の主導権を巡って角逐することはあっても、スンニ派対シーア派と言う関係で対立したものではなかった。 イランにとっても、湾岸で最も近い関係にあったのは、ドファール反乱の時にイラン軍を派遣してスルタンを援助したオマーンであった(そのためか現在でもオマーンはGCCの中で、最もイランに同情的) 当時そのドファール解放戦線の基地があり、陰に陽に支援したのが、共産政権の南イエメンであった。 サウディがシーア派としてのイランを強く警戒したのは、イランのホメイニ革命後、その革命の輸出を恐れてから。確かイランからの巡礼者がメッカで大きなデモを行い、警察と衝突して、多数の死傷者を出した事件があった。 イエメンを含めた3国の関係では、確か革命後のイランは長いことサナアには大使をおかず、外交関係は臨時代理大使レベルであったが、その辺はサウディとの関係に配慮したサーレハの立場と、イランも当時はイエメンに対しては慎重な態度で臨んでいたことが原因のように思われる。 当時のイランの臨時代理大使は、私が現地で見ていても、非常に慎重に行動していた様に思われた。 その後、1990年の湾岸戦争の時には、サウデイーイエメン関係は非常に悪化し、サウディはイエメンの出稼ぎ労働者80万人を国外追放したが、これはイエメンがシーア派であった為ではなく、イエメンがクウェイトを侵略した世俗主義者でスンニ派のイラクのサッダム・フセインに同情的であったから(イラクで訓練された軍人が多かったと言われる。また、同時に、隣国で常に金にものを言わせて威張っているサウディに対する反感が主要な要因と思う)であった。 その後、イエメン北部でhothyグループが活動を強め、2004年以降にはサウデイとも国境を挟んで何度か衝突したが、当時は先ずhothyグループが戦った主要な敵はサーレハ政権(シーア派)で、その意味で、サウディとサーレハは対hothy同盟の関係にあった(現在hothyとサーレハが同盟関係にあることを考えると誠に皮肉だが)hothy グループの活動の活発化に伴い、イエメン政府(サーレエハ政権)はイランの、同グループへの援助を幾度となく非難し、特にイランからの武器輸送船を摘発し、乗組員等を拘留し、裁判にかけたが、そのイラン非難を強めていたのは、シーア派のサーレハ政権であった。 勿論、イランは関与を否定し、イエメン政府の行為を反イラン的、敵対行為であるとしたが、当然当時イラン政府は、イエメンの行為を反シーア派の行為等と非難したことはなかったと記憶する。 イランが、何故当時、シーア派の政権であるサーレハを敵に回してまで、イエメンに介入を深めていったのか、イランの本音は知らないが、当時イエメンに限らず、他の湾岸諸国でも特にバハレンやクウェイト等で、イランのエイジェントが摘発されたり、イランの干渉が問題にされていたことを考えると、強硬派アハマディネジャード大統領の下で、積極的な対外政策がとられ、イランの国教であるシーア派を政治的に使ったのかもしれない。また当時のイランの対イエメン外交では、シーア派のサーレハはサウディと近いと見ていたので、サーレハに圧力をかけるか、よりイランに近い政権を誕生させ様としたのかもしれない。 それがhothyグループだったわけである。 その後2011年以降のアラブの春後のイエメンの動きについては、これまで種々書いてきたので、これまでの記事を参照願いたいが、基本的には革命後の混乱を利用してhohtyグループが、その活動と影響を益々拡大し、革命により失脚したサーレハが、失地奪還の為に、昨日の敵のhothyグループと同盟し、彼の支配下にある軍、治安部隊をして、hothyグループを支援させたことが、力のバランスを圧倒的に、hothy―サーレハ陣営に有利に傾け、hadi大統領の最後の拠点であるアデンさえ危なくした背景と思われる。 その意味で、サーレハとhothyの同盟はシーア派としての強固な結びつきと言うよりは、政治的思惑による一種の野合ではないかと思われる。 又イランもhothyのサナア席巻後は、使節団往復、航空機乗り入れ、武器資金の援助等非常に積極的にイエメンに接近しているが、これもまたhothyの全国的な席巻を利用した、非常に少ない投資で大きな果実を得ようとする(レバノンのヒズボッラーやシリアのアサドに対する支援に比したら、イエメンへの支援は額も非常に少なく、長期的な計画に基づくものか疑わしい)かなり便宜的な政策との印象をうけている。 以上取り敢えずの感触を書いてみましたが、このような複雑な問題を論じるには、いささか安直かな、という気がしますが、取り敢えずのご参考までとして
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