10日付のal sharq al awsat net の記事は、アサド大統領は当初改革派と見られ、シリアの改革が進展しないのは守旧派の抵抗のためと見られていたが、誰が守旧派かなどと言う話は実態が無かった、現在のシリアの情勢はアサド大統領に責任があるとの解説を載せています。
記事が言う通り、これまでアサドに対しては、改革派という期待があったことは事実かと思いますが、正直言ってそのような期待はレバノンのハリリ首相暗殺事件で大かた消え失せていたのではないかと思いますが、それはそれとしてなかなか面白い分析ですので、要点のみ書いておきます。前文は下記をご参照ください。

「バシャールアサドは34歳で父親の後をついだが、ロンドンで眼科医をしてた経歴と相まって、軍人出身で強硬派の父とはことなり、改革派であるとの期待が寄せられた。
確かに彼は短い期間改革派のポーズをとったし、またダマスカスは彼の下で、ガラスの事務所、洒落たブティークや珈琲屋からなる近代的な街に変身した。
しかし、改革派としての彼の政策は一向に現れなかった。そのたびにシリアの改革期待派のみならず、欧米の連中も、彼は改革を目指しているが、体制内の守旧派が、彼の自由を奪い、行動を制限していると言ってきた。
しかし、誰が守旧派で、何時どのようにして、アサドの改革努力を妨げたのか、誰も説明できなかった。
要するに守旧派の障害と言うのは、アサドを改革派とみなしたい幻想を維持するためのフィクションでしか無かったようである。
アサドはこの11年の間に若い世代で彼の周りを固め、彼らの中心に居るアサドが決定権を握っている。
彼の弟のmaherは最も重要な共和国警備隊の指揮官で、強硬派で知られている。
彼の甥のrami makhaloufはシリア最大の携帯電話会社w任されている。この男の末弟は首都の情報を任されている。
もう一人の甥は最も激しい流血のあったダラアの責任者である。
このようにアサドの一族は網の目のような政治、軍事、経済の利権で結び付いており、その運命は一連で繋がっていて、生きるも死ぬも一緒という訳である。
アサドの改革と言うのは、本物の改革ではなく、体制内改革に過ぎない。
今回の抗議運動に直面し、48年間続いてきた非常事態法を撤廃したが、その後のすさまじい弾圧は、彼が改革など真剣に考えていなかったことを如実に示している。
しかし、アサド=改革派という幻想は未だ欧米にもあり、クリントン長官も[人が言うには」等と限定をつけながら、改革派のアサドの足を守旧派g引っ張っていると言う可能性に言及していた。
英国のヘイグ外相も同様の期待を示していた。
これがこれまで欧米のシリア情勢に対する反応が煮え切らない原因かもしれない。
しかし、シリアの現状はアサドの責任で、彼以外の責任ではあり得ない。」


http://www.aawsat.com//details.asp?section=4&article=621055&issueno=11851